11.DES 上
039
私を、どうか
殺してください。
「毒薬試飲会」
11.DES・上
「アッ、アン、イヤァ」
裏路地で誰かが密かに喘ぐ声が響く。後ろから突き上げている男の息も上がっている。
「イヤ、じゃねぇだろぉ? ディー。ホラァ、こっちむけって」
「アァ! ちょ、挿れたままで動かないで」
「顔見ないと不安って泣くのは、お前だろぉ?」
犯していた男は犯されている者を無理やり正面に向かせる。犯されているのは、男だった。
「ダム! もー」
同性同士のセックスなんてここでは珍しくもなんともない。いたって普通の行為であり、逆に男女よりは男と男の方が多かったりするのがここ、快楽の土地だ。
「あー、サイッコー。やっぱり真っ赤に染まるお前、超きれいだって」
しかしこの二人は少々他とは違う。彼らの隣にはまだ血を噴き上げる死体が隣にあった。その死体の血を浴びて二人とも全身を真っ赤に染め上げている。
血がべっとりと張り付いた男の首筋をこれまた血で真っ赤に染まった顔をした男の舌が舐め上げる。
「ひゃぁ。だめってばぁ、アアァ」
一際甲高い叫びと共に両者から白い液体が派手に飛び散る。二人はしばらく息を整えていた。
「なぁ、ディー」
「だめだからね」
「いいじゃん、ディー。一回じゃ満足できねー」
「だめだってば。早くしないと鮮度が落ちるでしょ?」
「チェ!」
そういった後、犯していた男が離れる。自由になった男は血をだんだん噴き上げなくなった死体のそばにしゃがみこんだ。
「うん、やっぱり綺麗。この目は禁術じゃないよ! 天然。綺麗なブルーグリーン!」
心底楽しく、またうれしそうに男は言った。そしてもう一人の男から血まみれのナイフを受け取る。そのまま死体の眼球付近の皮膚を切り裂いた。血が出るが勢いはよくない。
「やっぱさ、目取るなら生きたままの方が楽しくねー?」
「だめだよ、こないだダムがそう言って取ってくれたやつ、潰れてたじゃん。抵抗されない方が綺麗なまま保存できるもん。この前の女の手首だって死んでからの方が簡単に切り落とせたでしょ?」
「あー、まぁな」
手際よく男は眼球を取り出した。そしてポケットから専用の箱にしまいこむ。
「それで眼球は何個目?」
「うーん、いくつかなぁ?」
「天然の眼球見つけるの苦労するかんな。まぁいいさ。お前が飽きるまで付き合ってやるよ」
「ありがと、ダム。愛してる」
「俺もだ、ディー」
二人して立ち上がる。血溜りから出て、路地を抜けるころには全身を赤く染めていた二人は何事もなかったように綺麗な格好をしていた。そして光が射して初めて気づく真実。
二人はまったく同じ顔をしていたのだ。格好も同じ。二人を判別する方法は皆無といってもいい。どう考えても一卵性双生児だ。
「見つけましたよ、また悪趣味な行動をなさっていたようですね」
その二人の前に立ちはだかるようにハートの王が立っている。二人はびっくりした様子で立ち止まった。ハートの王が言う、悪趣味とははたして彼らの性癖のことなのか、それとも近親相姦のことなのかどちらを指しているのだろうか。
「うっせーよ、てめー何の用だよ? ハートのガキが」
「珍しいですね。第五階層まで降りてこられるとは、ハートの王さま」
双子が同時に口を開く。その声はまったく同じ。
「トゥイードルダム、トゥイードルディー。あなた方、チェシャ猫から聞いていないのですか? 第一階層に帰還するように言われませんでしたか?」
「はぁ? んで俺らが猫の言うこといちいち聞かなきゃいけねーんだよ、ボケ」
「あれ? そんなことありましたっけ?」
歩く凶器、そんなあだ名をつけられそうなくらい乱暴な口調の青年をトゥイードルダムという。彼の趣味は殺人。つまり殺人狂だ。
血を浴び、血に興奮する。快楽殺人だけではなく、残虐非道な拷問行為の果ての殺人も簡単に行う青年だ。
そして穏やかで丁寧な青年をトゥイードルディーといった。しかしこの青年も同じくらい狂っている。
彼には収集癖があるのだが、それが人間の一部なのだ。眼球だったり手首だったり、内臓だったり、集めるものはそのときのトゥイードルディーの好みで変化する。
二人とも第一階層にいるべき人間なのだが、彼らの趣味は第一階層では叶いにくいので、わざわざ第五階層まで降りて、趣味を楽しんでいる双子だった。
双子はとても綺麗な顔つきをしている。中性的な顔立ちで、いかにも男女両方寄ってきそうな顔なのだ。だからその顔を生かしてまずダムかディーが相手を釣る。そしてその間にもう片方が殺すのだ。
殺して二人は血を浴びて、その隣で有り余る快楽から逃れるように、増幅させるように身体を重ねる。これが二人の生きがいだった。二人にとって世界に自分達以外はすべていらないモノなのだ。
「今、不思議の国は揺らいでいます。あなた方にもしっかりしてもらわねばならないと言うのに……。まったくわざわざ僕がここまで下らなければいけないとは……」
「誰も頼んでねーよ、バーカ」
「だめだよ、ダム。そんなこと言っちゃ」
「相変わらずですね、あなた方は」
ため息をつきたくなる。ただでさえ第五階層など気分が悪くなるのに。もともと階層移動はチェシャ猫の十八番だ。だがそのチェシャ猫がいないのだから仕方ない。息苦しさを振り払って王は二人に口を開きかけた。
「「!」」
しかし次の瞬間、双子の様子が変わった。何かを感じ取ったかのように、お互い目を合わせて頷く。
「断固絶対!」
「逆も逆だよ!」
「はい?」
二人して叫ぶ。しかしそれは双子が仕事をするという宣言のようなものだ。
「てめーの言うこと、聞くわけじゃねーかんな!」
「ちょっと急ぎの用ができたみたいです」
「どうなさったんです? 第一階層に戻るのですね?」
ハートの王は一応姉に頼まれたことは終わったと安心した。どうやって双子を戻そうかと考えていたのだが、二人の方で勝手に完結したらしい。
「面倒だが仕方ねぇ! ウサギのババァには借りもある」
「それに王さまの命令でもあるしね!」
「まぁ、戻ってくださるならいいんですが、どうかなさいました?」
「てめーに関係ねーだろ」
「いえ、ちょっとしたことです。チェシャ猫が強姦されただけですから」
「はい!!?」
それこそハートの王は驚いた。あの、チェシャ猫が強姦された? 一体誰にだ? そしてなぜそれを目の前の双子が知っていて、それを知ったからといって第一階層に上るのだろうか。
「あの、なぜそんなことで第一階層に戻る気になったんですか?」
「いちいちうるせーガキだな。別に戻るってんだから構わねーだろうに」
「ある人から頼まれているんです。チェシャ猫に何あったら知らせるようにと。その引き換えに僕らは第一階層から降りることを許されたんですよ」
にこっとトゥイードルディーが微笑んだ。
「ある人とは?」
「てめーに教える義理ねーだろ?」
「だめだよ、ダム。そんな事言っちゃ。一応不思議の国の住人なんだから」
「うっせーよ、てめぇらで解決しやがれってんだ。俺たちを巻き込むんじゃねーっつの。ま、土台無理なハナシかぁ!」
「簡単に言うと、公爵夫人が欠番だからですよ」
そういい残して双子は消えてしまう。唐突な階層移動だった。ハートの王は唖然として、肩をすくめると姉の下に戻るべく歩き始めた。
「公爵夫人が欠番。それと何の関係が……?」
ハートの王が首をひねった。その首をひねった王は一瞬で一枚のカードに代わり、そのまま捨てられたただの紙片となっていた。
ノワールは禁術の気配が解けたことを察知して、ゆったりと時間を取り、そして入矢の元に向かった。彼らはどういう風になったのだろうか。壊滅的に仲が悪くなったならうれしい。というかそれが希望。私以外見てはいけないよ、入矢。
“ノワール”だってそう感じているからこそ、私もそう感じるのだから。
「ノワール様、どちらへ?」
「ああ、入矢の様子を見に行く」
「ノワール様、申し上げにくいのですが、私にはあの男のどこがいいのかさっぱりわかりません」
“ノワール”にひそかに想いを寄せる部下がたくさんいる。それを黒白の両面は利用し、精神面だけを人形化することに長けていた。そう、彼女が最高の人形師といわれる所以は、ここにある。
人間という複雑怪奇な生き物が一つの想いを強く持っただけでそれを中心に人形へと作り変えられてしまうのだ。
「ああ、君たちにはわからなくていいことだ。わかったら、入矢を好きになってしまうだろう?」
そう言い残して、部下を下がらせる。入矢はどうなっているだろう。あの反抗的な目をまだしているだろうか。入矢は誰にも屈しない。そこがいい。
「あ、やっと見つけたぁ」
場に似合わぬ幼い声が響き渡った。ノワールははっとする。誰だ?“ノワール”の屋敷に警報音すら響かせることなく進入してきたのは! そして空気が映像のようにぶれはじめ、その姿が現れる。
「これは……!」
ノワールは唇をかみしめた。そうだ、第二階層では敵があまりいないノワール。でも唯一かなわないのが、不思議の国の住人だ!
「動くな」
ノワールがどうしようかと思案している最中に首に刃の感触がある。深く首に食い込んで、そして血が流れ始めた。少しの痛みに顔をしかめる。
「どなたです?」
気配がまるで読めなかった。そして思い至る組織名を言葉に載せる。
「ああ、翹揺亭ですね?」
しかし暗殺者は動じなかった。さすがプロの暗殺者集団・翹揺亭。誰が来ているか知らないが大した実力だ。
「あらら? ノワール恨まれてるね!」
明るい声と共に栗色のウサギの耳が現れる。空間を捻じ曲げて出現するのが彼らの特徴。
「どうも、お久しぶりですね、マーチ・ヘイヤ」
にこやかに挨拶する。その間も暗殺者は動きを一つも変えない。
「ねー、入矢どこ?」
かわいらしい少年がそう言って尋ねる。その後ろから影が実体化したように立ち上がる黒い物体。マッド・ハッターだ。
「何故知りたいのです?」
「そりゃ、入矢を保護することが俺たちの役目だからさー。だから教えてよ」
翹揺亭の暗殺者が一人で入ってきたということはあるまい。しかも動きを止める動作をしている以上、目的は入矢と考えるべきだ。翹揺亭のことだから教えずともいずれ入矢の元にたどり着こうが、時間は稼いだほうがいい。
「入矢は私の元にいる限り安全です。だからお引き取りくださいませんか?」
言外に入矢は自分のものだからと含ませる。
「そういうわけにはいかないんだよね」
その言葉に自分がノワールのドールということが知られているのかと杞憂するが、違うようだ。困った様子で三月ウサギはニコリと笑う。無邪気にそれは無邪気に。
「漆黒の、お前何かあったか?」
ふいにいかれ帽子屋が問う。その質問の意味をノワールは図りかねている。
「そりゃ、ありますよ。今もこうして、暗殺者に……って助けてくれないんですか?」
「なんで?」
「あー、あなた方はそういう方でしたね」
ノワールはため息をつく。不思議の国の住人が二人も屋敷に。だが恐れることはない。マッド・ハッターさえ何とかして見せれば、どうにかなる。
「ね、入矢の居場所は?」
「教えたら入矢をどうするんです?」
ノワールはそう訊いた。せっかく邪魔者を一人消したというのに、この手から逃してたまるか。それに入矢はドールマスターが最も欲している人物。
「お茶会に招くね。で、ずーっと遊ぶんだ♪」
三月ウサギは笑った。そんなことのために入矢を欲するだろうか。いや、ありうる。コイツは本当に子供だからだ。そしてその子供のわがままに応えるのがマッド・ハッター!
「ずっと、ですか?」
「うん、ずっと。チェシャ猫がいいって言うまで」
「それは困りました」
ノワールはそう言って、禁力を発する。敏感にそれを感じ取った暗殺者が一瞬で対応。ノワールから距離をとり飛び道具で殺しにかかってくる。ノワールはそれに対応する。不思議の国の住人はその場でそれを観戦したままだ。
「で、どうなの? 教えるの? 教えないの?」
「入矢を私から取り上げる奴は……皆殺しだ!!」
ノワールが叫ぶ。その叫びは果たしてノワールのものなのか、“ノワール”のものなのか。冷静に判断することなく、叫ぶ。入矢を渡してなるものか。入矢は私だけのものだ!
「生意気―! 僕らに逆らうっていうの?」
「あなた方に従う理由などない」
そう言い返したとき、暗殺者がマッド・ハッターの元に舞い降りる。そしてノワールには聞こえないように何かを問うた。
「あなた方は入矢を助けにきたのですか?」
「お前は?」
マッド・ハッターも事情をなんとなく察し、低い声でたずね返す。
「翹揺亭の流星と申します。御狐さま命で入矢を取り返しに参りました。しかし、不思議の国の住人と争ってはならないとも命じられておりますので」
「そうか。私たちはチェシャ猫から入矢の保護を頼まれてる。チェシャ猫からの指示があるまで私たちで保護しようと思って来た。しかし相手がノワールな以上、する必要があるのかとも考えている。お前はどう考える?」
「御狐さまは相手が何者であっても、と仰いましたから。相手は関係ありません」
「だめだよ、マッド・ハッター。僕らお茶会に招くんだから!」
「はいはい。わかってるよ。マーチ・ヘイヤ」
頷き返して、マッド・ハッターは流星に向き直る。
「では我らは目的が同じようですので、手を引きます。構いませんね?」
「いいよ。あとは誰が?」
「はい。柏木が参っております。入矢の様子を見たら、我ら帰還いたしますので」
流星はそう言って一瞬でその場から去っていく。ノワールはその流星めがけて禁術を放った。逃がしてたまるか。アイツは入矢をさらってしまう!
「消えちゃえ!」
明るい声が響き渡る。すると、ノワールの禁術は解体されるのでもなければ破壊されることもなく、一瞬で消えうせる。そう、組み立てた禁術が一瞬で禁力もろとも消えたのだ。
「ね? 本とに僕らと戦う気? ノワール?」
「あなた方が入矢を狙うのであれば」
「じゃ、しょーぶだね!」
あはっと笑うガキにノワールは相当の怒りを感じた。全員、ぶっ殺してやる。
チェシャ猫は死んでいるようなノワールを抱き起こした。ぐったりしているというレベルではない。すでに死んでいるように見える。口元に手をかざしても呼気が感じられなかった。
「ドール……か」
チェシャ猫はそう呟く。チェシャ猫はそのまま辺りを確認する。
「あぁ、仕方ねーかァ」
チェシャ猫の指先から紫色の光が灯る。しばらくして回りの禁力がそれに呼応されるかのように細波立つ。それをひしひしと肌で感じながらチェシャ猫はノワールを起こすように力を注ぎ続けた。
ノワールは黒白の両面が事前に用意してくれていたドールを数体、召喚する。
それは“ノワール”を心酔する部下であり、下僕である。
何が心酔だ。“ノワール”と自分の差さえわからないような奴らが。
そういう意味ではその差を理解した入矢は“ノワール”を本当の意味で理解し、愛していたのだと思う。
同時にその愛が憎いのだ。何故なのかと。自分との差を理解しなければそれはそれで冷めた気分になるのに、その差を理解し“ノワール”を選ばれれば同じ顔で同じ思考を持つのに何が違い、何が拒絶されるのか嫉妬に近い気持ちを絶えず味わう。
この想いは“ノワール”のもの? それとも“ノワール”になったブランのものか。
なぜ黒白の両面はブランの記憶を残したのか。自分は“ノワール”になりきれていない、ドールとしてはとても半端な存在だ。
黒白の両面は最高の人形師。ミスを犯すことなどありえない。だからこそ、ブランを残した意味は? 自分がブランとして入矢の前に立ちはだかり、その想いを歪める目的は何かわからずにいる。
『ここは、ここは! 楽しいお茶会。さぁ! お茶会に僕を招こう!』
召喚した部下が消えていく。殺されているのではなく、消えているのだ。
『このお茶会の主催者はだ~れ?』
『主催者が僕ならお客さんも僕に決まってる。じゃぁ招こう! さあ、いらっしゃい僕。お茶をおあがりなさいな、僕! さぁティーカップに紅茶を注がないで! 溢れて零れている紅茶だよ!』
『お茶を召し上がれなんてとんでもない! お茶会だぞ?“お茶”なんか飲めるものかい??』
朗らかな歌声が響いてくる。そう、それこそが三月ウサギの罠。三月ウサギの能力は具現化と空間の入れ替え。いやそんな次元では済まされない。彼の能力はまだまだ未知数。
ただわかることは三月ウサギの言葉はすべて“そのとおりに替わってしまう”ことだ。
『空いているお席はありますか?』
三月ウサギの声共に、ノワールの屋敷の一室がそのままお茶会の会場に替えられる。何もない無機質な部屋のはずが、野外のお茶会パーティー会場だ。
深い森の果てに存在するという三月ウサギの住処。その庭先で絶えず開催される気違いのお茶会。真っ白なテーブルクロス。広く長いテーブルの上に並ぶのは揃っていない茶器と踊るティーカップたち。
『あれあれ、招いてもいないのに席に座るなんて失礼だね!』
三月ウサギの歌に別の声が混じる。それはマッド・ハッターの歌声。彼らは気違いのお茶会のメンバー。彼らが開催するお茶会こそが普通の人間には耐えられない空間になる。なにせ気違いなのだから!
ノワールはいつの間にか自分が豪華な赤い背もたれ付の椅子に座らされていることに気づいた。空間を入れ替える。それはノワールの意思さえ凌駕して!
「誰も頼んでいない!」
ノワールはそう言って席を離れようとしたが、椅子と尻がくっつけられたように離れない。
『席なら空いているよ! たくさん、たくさん! でも君の席はない』
『だから席が怒ったのさ!』
「椅子など不要だ!」
『まぁまぁぶどう酒をどうぞ、おあがりなさい』
三月ウサギの言葉にノワールはくらりとした。これは同じだ。不思議の国の住人のモチーフとなった古代の童話。そのままを真似している。その空間そのものにしている。ならば自分は今はアリスということ。
アリスなら次に何を言うか、ノワールは知っている。
「ぶどう酒なんか見えないが?」
『あるよ! 君はぶどう酒の中にいるじゃないか!』
返答が違うと思った瞬間に視界が赤紫色に染め上げられた。ノワールはそして気づく。本当にぶどう酒のプールの中に突き落とされた。これが三月ウサギの能力か! そして禁力を発生させる。水分とアルコール。ならばすべて分解させる! 声が出せないがこの程度はランク3の禁術。簡易で行える。
紫電のような光が走った瞬間、水の圧迫感と呼吸が復活する。
『ぶどう酒を勝手に飲むなんて失礼だね!』
『まったくだ。高級なぶどう酒だったというのにね!』
『全ての干渉は我に通じない。我はすべての事象に嫌われし者、この空間、事象すべては我に近づけない!』
ノワールが禁術を発動する。三月ウサギはおやっという顔をしてマッド・ハッターに視線を向ける。
『汝は炎の使徒。全てを燃やすエレメント。汝が向きし方角にこそ、汝の望む者がある!汝の名は爆発!』
最大限の力を発揮する爆発の禁術を瞬時に編み上げる。
『ところで今日は何日だね?』
マッド・ハッターが三月ウサギに急いで問うた。
『今日は16月マイナス4日だね!』
三月ウサギがそう言った瞬間、爆発は一瞬で消え去る。
「なに!?」
あれだけの規模であのタイミング。ぜったいに防がれることはないと思っていたのだ。もしこの禁術を防げるならばそれは禁術解体か破壊しかありえないというのに! こいつらは何をした? そして発言を思い出す。今日の日付を聞き、違うありえない日付を答えた。……つまりそれは。
『明日は何日だったのかね?』
『明日は16月99日だとも』
『汝は縛り名。すべての動きを静止させるもの。汝の名は枝!!』
周囲の決して細いといえない幹から延びる枝が瞬時に鞭のようにうなり三月ウサギに向かうが、それも先ほどのように全て消え去る。
「なるほど、別の日付のお茶会に攻撃を飛ばす。空間を入れ替えることができるのか」
「さすがノワール。たった2回でわかってしまうんだね!」
三月ウサギが感心して言った。三月ウサギの能力は具現化と空間の入れ替えと仮定する。
「お前の能力は限定空間でのみ自由にできるんだな?」
「違うよ?」
三月ウサギはそう言って笑った。
「僕の力は具現化っていっていいのかなー? わかんない」
三月ウサギの声に当惑する。コイツは自分の能力さえ把握していないのか。自分の能力を把握できていない? なのに不思議の国の住人を名乗っているとでも言うのか?!
『しまった! 日付がずれてるよ! この時計狂ってる』
変なことを叫びだしたと気づいた瞬間、ノワールは再び攻撃が再開されたと知り、身構える。
『だけどバターを塗って直したが?』
マッド・ハッターがそれに答える。
『バターがいけない、バターだよ!!』
『一等上等なバターだったがな』
『パンくずが入ったに違いない。バターナイフを使ったね?』
童話とだいたい同じような会話。だが同じ結末とは限らない。これは彼らが“今”紡いでいる物語であり、歌なのだから!
『バターナイフを使ったよ、一等美しい血100%のバターだとも!』
マッド・ハッターがそういった瞬間、ノワールの身体が巨大なバターナイフに貫かれる! 大量に血液が零れ、その下にお遊びのように巨大な懐中時計の内部があった。
『入ったのは、パンくずじゃないね! 皮膚だ! 髪の毛だ!』
『ではバターはやめよう! 今度は一等美しい血から作ったジャムはどうだね? 血ジャムだ!』
『それはいい! 臓物を軽くつぶした臓物入りの血ジャムを塗ればきっと直るさ!』
『さぁ! 塗って』
『さぁ! 直そう!!』
ぐしゅ、ぐちゃと身体の中で音がする。そして一瞬にして自分の身体が自分が何もしていないのに、何も傷を負っていないのに眼下に映る時計の上にまがまがしい真っ赤な血と内臓がごちゃごちゃに混ぜられた物体がぶちまけられた。
あり得ない事情と状況が逆に理解させる。これは私の内臓だ!
「がはっ」
口から血があふれ出す。べこりと腹が不自然にへこんだ。それは内臓という内臓が一瞬で“ある場所を入れ替えられた”から!
これがマッド・ハッターの能力。三月ウサギと共に発言するすべての事象のあるべき事象を入れ替えてしまう能力だ!
意識が持っていかれる。痛いややられたという感覚よりいつの間にか起こっている失血とショックで意識が遠のいていく。
『直っていないよ!』
『一等新鮮な血ジャムだったがな』
『きっと“骨くず”が入ったんだ! そうに違いないよ!』
『煮詰める時間が少なかったのか?』
『違うよ、煮詰める時の柄杓がうまくつぶせなかったんだ!』
ボキボキボキボキボキボキ!! ノワールの背骨が砕かれる音が響く。あるべき、とるべき姿を砕かれた事象に入れ替えられた! ノワールは倒れ付す。なんだ、この桁違いのありえないことは!
「今、ありえないって思ったでしょ?」
「ありえないことが起こるのが気違いのお茶会だとも」
二人の声が響く。意識はフェードアウトしていった。さすが不思議の国の住人。敵わない。
“お前は死という概念すら抱けない私のドール! さぁ! 復元禁術は常時かけてある!”
“お前は動ける。私が動きを止めるまで!”
――でも私はあの二人には敵わない……入矢が取られてしまう。
“三月ウサギは殺せるわ。大丈夫。いかれ帽子屋は無理でも彼は殺せる。”
――無理だ。あんなめちゃくちゃな能力……理解できない。
“あなたには“ノワール”の分析力がある。わかるはず。よくよく考えて。あの子はまだまだ子供。自分の能力を表現する言葉を知らないわ!”
――あの子が言ったことは現実の事象として今ある事象と入れ替えられる。
“それは空間制御と時間制御の延長線の禁術。ランクは1だから、“ノワール”の力を受け継ぐ貴方はどうすれば三月ウサギを殺せるか……思いついたでしょう?”
――ああ、そういうことか。わかったよ。ご主人様(ドール・マスター)。