毒薬試飲会 019

11.DES 中

041

 メルヘンチックなこの場所で、
 殺意と悪意を練り合わせて最高のスィーツを
 さあ、召し上がれ!!

 あなたとまた悪夢で出会えますように。

 「毒薬試飲会」

 11.DES・中

「ハーンの根幹って言われてもなぁ……」
 困り果ててハーンの寝顔というか死に顔を眺めてどのくらい時間が経っただろうか。
 ハートの女王が一方的な殺害報告をされてわけのわからない時間を過ごしている。
「困ったな……」
 アランは何度目かわからないため息をついた。この事態に転機が訪れなかったら永遠にこのままということは理解できる。この場所から脱する、というか本当に死んでいるのか不思議ではあるが状況を変えるにはハーンをどうにかしなければいけないのだが。
「入矢なら、得意って言ってたな。ってことは、禁術解体って事で、つまりは人形化も禁術ってことになるよな」
 アランは人形師でもなければ、禁術使いでもない。しかし禁術という事なら構造さえ理解できれば破壊、もしくは解体できると入矢は言った。
 入矢は確かに禁術を使いこなす、という点においては基本を教えてくれた。スペルの組み立て方、構造、禁世の触れかた、具現化全ての方法を入矢に叩き込まれたと言っていい。
 ハーンはそれに対し、禁力の接し方を教えてくれたようなものだ。そう、アランは二人によって禁世について学んだ。ならば、できなくもない事が一つだけある。構造を理解する事。人形化は確か、脳に直接情報を上書きする形で支配すると聞いた事がある。
「よし!」
 アランは自分の禁力をゆるやかに発しながら、ハーンの額に己の額を触れ合わせて瞳を閉じた。

 漆黒のロングコートは視界をチラつくように動き、黒い影が奔る。その影を視界の端に捉えながらノワールは目の前で無表情なまま、歌を歌おうとしている子供から視線を外さなかった。
 そう言えば“ノワール”は不思議の国の住人と争う事態を避けていた。それは能力が未知数という事もあるが、何よりこの狂ったお茶会メンバーに目をつけられないようにしていたということなのだろう。
 マーチ・ヘイヤの興味を引けば、それは殺害対象から外されたことになる。しかし遊び相手としてどれだけ危険を伴うかという事でもある。マーチ・ヘイヤは確かに子供だ。自らの興味のある相手には進んで接触を図る。だからこそ、戦闘はマーチ・ヘイヤが行う場合が多く、その支援を行うのがマッド・ハッターであったのだ。
 まさか、本気になったマッド・ハッターが直接攻撃を仕掛けてくるタイプだとは思わなかったが、三月ウサギの動きからして注意すべきは、目の前の情報が皆無なドー・マウス。
「警戒してるな?」
 ドー・マウスはそう言った。そうだ、三月ウサギは子供の思考回路と思えば大丈夫だった。いくら激しく恐ろしい攻撃をされようとも、なんとか対処はできる。
 しかしこのドー・マウスはまだ眠りにいるように思える。思考や感情といったものがまったく読めないのだった。ただ、感じるのは彼らの愛する三月ウサギを行動不能にまでさせた怒りだけだ。
「そもそも、あなたはなぜ、狂ったお茶会メンバーと呼ばれながら、その存在を秘匿しているのですか? あなたは普段彼らの傍にいない」
 その疑問にドー・マウスは答える気がないようだった。無感動な紫の瞳は光を受動的に跳ね返すのみである。ふっとため息を吐いた瞬間、そのすぐ背後で冷気を伴った返答があった。
「眠り鼠だからさ、それは」
 ノワールは思わずささやかれた耳を押さえて逃げた。
「『チラリ、チラリ、コウモリさん……』」
 それはまるで音叉を鳴らしたような声だった。空気中に波を描いてあらゆるものに干渉を起こし、共鳴を促す魔が声とでも呼ぼうか。静かな声は存在感を確かに持ち、それでいて美しい。もし、三月ウサギと同じ体を使い、それゆえに同じ能力を使うなら彼は歌によってあらゆる事象を引き起こす可能性がある。
 ノワールは身構え、どんな事象に巻き込まれても大丈夫なように心掛けた。
“歌わせては、だめよ”
 脳に直接アドバイスが届く。それはドール・マスターの声だ。自分が極限状態になったからか、それとも興味を抱いたからか、危機感を抱いたからか知らないが、今はドール・マスターと完全に感覚がリンクしているらしい。ならば、死なないように従うしかない。
「『何を狙って……』」
「歌わせはしない!」
 ノワールはそうして駆け出す。眠り鼠の弱点は、動きが俊敏でないこと。眠り鼠の名を顕すようにその身体は完全に覚醒していない。だからこその攻撃だ。
 そしてそれをカバーするかのように黒い影が迫り来る。それを完全に見越して禁術で対応する。
『お前はおまえ自身と戦う必要があると思うかい?』
 マッド・ハッターが突然、禁術を避けながらたずねてくる。その声は恐ろしく低く、陰鬱に聞こえるからこそ不思議だ。
『お前は影に悲惨な方法で完全に勝つだろう。それはおまえ自身なのだから、全てお前の力となるさ。それは恐怖? いや、過大な力の具現というべきものかね? さぁさぁさぁ!! 喜びたまえ! そして一歩、後退だよ!』
 瞬間、ノワールの躰が自然と一歩前に出る。そのまま、マッド・ハッターの方に向かって走り出した。
「お前! 何をした!!?」
 これがマッド・ハッターの攻撃方法ということか、歌ではなく、嘘を具現化する能力とでも言おうか。ノワールが口の乗せた言葉の真逆が起こるならば……!
「『……いるのやら』」
 丁度、ドー・マウスの歌が一節歌い終わる。反響する澄んだ声。清いからこそ、壮絶な拒絶となるその攻撃にノワールは身を焼かれるような感覚を覚えた。これがドー・マウス。
 マーチ・ヘイヤが歌によって空間と事象を入れ替える能力、マッド・ハッターが嘘を具現化し、ドー・マウスが歌によって内部破壊を行うのだとすれば……、確かに最強だ。
「違うとも。最強などとは程遠い」
「何?」
 ノワールはそう言って言葉を挟む。考えを読んだ??
『おぞましい暗く長く、明けぬ夜は確かに存在するのだと』
 マッド・ハッターの台詞が出たその瞬間、ノワールの部屋が暗く湿気を帯びた部屋に急激に変わった。これは、何だ? 再びの空間の入れ替え? いや、マーチ・ヘイヤはいないはず。
「『下界をはるか……』」
 ドー・マウスの歌が再開される。
「私達、狂ったお茶会はねぇ、みな持っている能力は同じなんだ。使い方が違うのさ。君はマーチ・ヘイヤを傷つけた。残念だよ、ノワール。いや、ノワールのドール。マーチ・ヘイヤの攻撃で君が倒れていたならば、それはさぞかし楽しい時間になっただろうに……」
「『下に見て……』」
「私達はマーチ・ヘイヤのように純粋な残酷さは持ち合わせていないんだよ」
『迷え、迷え。そして泣くがいい。己の無力さと愚かさを思い返して、後悔の涙を流すがいい!』
 マッド・ハッターがそう言う。
「『お盆のように空を飛ぶ』」
『お前は誰も迎えに来ない、お前は一人、お前は独り。お前を知り、お前を愛し、お前を求める存在など、どこにだっていやしない』
「『チラリ、チラリ、チラリ……』」
 交互にマッド・ハッターとドー・マウスが歌い終わる。
『お前を必要とする存在など、どこにもない。……世界の全てがお前を嫌っているのさ!!』
 ――瞬間、ノワールは絶叫した。身体を炎で焼かれるように全てが切り裂かれるように、内部から発火するように痛む。痛いではすまされない、悶絶する気さえ起こらない、究極の痛み。いや、痛みというより、苦しみといったほうが正しいか。
 そしてマッド・ハッターの言う意味を理解する。マッド・ハッターが行ったのは嘘の具現化ではない。言葉そのものの具現化。それも干渉されるのはノワール自身だ。だからこそ、その精神攻撃がノワールを内側から破壊する。
 ノワールは目に映る全てがノワールを拒絶しているように感じた。それは、床であり、窓であり、そして自分の手の一部分であったり、つめの先など、ありとあらゆる目に映る全てのものがノワールを憎み、嫌い、拒絶しているように感じる。
 あぁ、自分さえいなくなればこれらのものはすべて幸せに違いないのに。そう思うほどマッド・ハッターの精神攻撃はノワールの戦意を完全に折った。
「あ、あぁああ」
 弱く息をすることさえ難しい。そう、確かにマーチ・ヘイヤの空間のときは楽しめた。でも今はとても無理だ。彼らと戦うことなんて。
「マッド・ハッター」
「もちろんだとも、マーチ・ヘイヤをあんな目に合わせた人間、完全に苦しめて殺す」
 二人はそう言う。反転術式なんか効くものではない。もう、だめかもしれない。いや、生きているだけで全てに迷惑を掛けるなら、いっそここで。そんなことを考えていた。思考力さえも奪われる、これがマッド・ハッターの歌が現す効果の具現だった。
「やはり、嘘をつき、相手を貶めるのは子供には向かない。マーチ・ヘイヤのいいところは純粋に子供の遊びで残虐非道なことを平然と出来ることだね」
「そうだ。陰鬱で悲惨な悪夢の具現こそが、マーチ・ヘイヤの影である僕らにふさわしい」
 あぁ、身体の奥底からドール・マスターの声が響く。指示をする声が。でも、もうとてもじゃないけれど無理なんだ。この世の全てがノワールをいや、自分を憎んでいる。自分のそう考える脳みそでさえ、自分のものでなければ幸せだったに違いないのに。自分の脳みそだったがためにこんなにも自分を嫌っている。そう感じる。
「それにしても、完全戦意喪失。ざまぁ見ろ」
 ドー・マウスはそう言って笑った。初めて見せる満面の笑みだった。
“ああ、使えない子ね”
 躰の奥底で、そう言ったのが誰だったか世界から拒絶されたと感じるノワールにはもう、わからなかった。全てが否定に聞こえる。己の存在意義を失った。
 次の瞬間、場違いな桃色の花びらが一枚、ノワールの目の前を横切った。
「ぐっ」
 次の歌を奏でようとしたドー・マウスの喉から鮮血が舞う。マッド・ハッターは驚きこそしなかったが、急いでドー・マウスの身体を支えた。ドー・マウスの喉元から生えているかのような禍々しい赤の混じった銀色の輝き。
 ドー・マウスの幼い顔が歪み、口から盛大に血を零した。
「……ク、ソ!!」
 痛みと怒りに歪んだ顔はそのまま、マッド・ハッターを引き寄せ、伝言を伝える。
「歌を止められた! 僕はもう、寝なければ……だけど! この怪我は……傷と痛みは……マーチ・ヘイヤに残さないように……僕が、引き受ける、から……!」
「わかっている。ゆっくり休め。後は私に任せて構わない」
「ほんと、ちょっとはやる気出してよね……? この怪我を治すまで、僕は眠りにつくから」
 マッド・ハッターの赤い唇に己の血を塗りつけるように、口付けを落とすと、ゆっくりまぶたを落とす。それを見て、マッド・ハッターは新たな敵を見極めようと視線を前に向けた。
 抱きかかえられたドー・マウスの身体が色を取り戻していくかのようにマーチ・ヘイヤの色に戻っていく。灰色の髪が栗色になって、健康そうなウサギの耳が生えてくる。一人の体に二人の人格とそれぞれに合わせる能力を持つ、狂ったお茶会の三人。
「さて、ここまで私を怒らせたのは、貴様が始めてだよ、黒白の両面」
 マッド・ハッター自身の力が解放されたのかと勘違いするほど、黒い影が自在に動き出す。
「危険、危険!」
 どこからか女の声が聞こえてきた。突然、ドー・マウスを退け、ノワールを助けたその存在はノワールたちに姿を悟らせない。そして知識からこの存在が何者なのかだいたい見当がついた。
“まったく、マッド・ハッターは嘘を具現化する。ドー・マウス、マーチ・ヘイヤとは次元が違う言葉使いよ? 気をつけて欲しいわ。あなたはノワールのドールであると同時に、おにいちゃんのドールでもあるのだから”
 ノワールはドール・マスターの言葉でようやく、精神状態が戻ったことを理解した。これは、あの自分がどうしても必要ないと感じたそのことが、マッド・ハッターの攻撃だったというわけだ。
「私の存在意義を取り戻してくださったわけか」
“さ、ここからが彼女のお手並み拝見といったところね”
「彼女……よく協力してくれましたね」
“ふふふ。彼女は橙色の悪魔のスレイヴァントよ? 関係だけじゃなく、その心も。なら、ご主人様の命令には従うでしょう? 喜んで、ね”
「なるほど」
 姿を見せない女を冷静にノワールは見る。あの狂ったお茶会のメンバーを二人は戦闘離脱させた。残りは一人。一番厄介だが、彼女の能力ならば可能だろう。
“さ、もう私が手伝わなくても翹揺亭くらいならあなた一人で大丈夫でしょう? 不思議の国の住人は消したも同然。入矢とアラン、必ず確保なさい”
「はい」
 ノワールは頷いて、入矢を探すために部屋を後にする。マッド・ハッターがどうなったか見る必要もない。おそらく、戻ってきたとしても、もう事はすでに済んだ後になるだろうから。

 入矢はノワールの屋敷が揺れたことで、何が起こっているかを察知した。誰と誰が戦っているかはわからなかったが、それによって自分の行動も定まる。
「入矢!」
 突然背後から声がかかった。確認せずとも気配の消し方でわかる。
「……流星にいさん!」
 自分より背の低い先輩の男娼の姿がそこにはあった。振り返った入矢の背後でもう一つの着地音がかすかに聞こえる。振り返って確認した。
「柏木にいさん」
「んー、おまえのそういうとこ、好きだぞ」
 ぐりぐりと頭をなでられる。
「常に年長者には敬意を持って接するべきだよね、うん」
「お二人とも、何故?」
「御狐さまからのご命令。お前を取り戻して来いと」
 柏木の言葉に驚く。流星も頷いた。
「行かせはしない」
 三人の背後から声が響く。次の瞬間、突風というか豪風が吹き荒れた。思わず目を閉じる入矢の身体が何かに攫われる。
「入矢!」
 目を閉じる隙さえもない、流星の即時の反応。風の吹き荒れるのが止むのを待つこともなく柏木の超越的な攻撃が迫る。
「お前!」
 入矢が戦意をむき出しにしてノワールに唸る。そこには、いや、正確には入矢を抱きとめた存在は漆黒の影に血をべったり貼り付けたノワールのドールだった。
「莫迦な! お前は狂ったお茶会を倒したというのか!?」
 流星の言葉に戦闘の苛烈さの正体を知った入矢は血まみれの姿に納得する。
「倒す必要などない。私は入矢をこの屋敷から、いや私から逃がさない。これは私と入矢が永遠に命を賭けて約束したことだ。入矢を私は逃がさない」
「違う! それはノワールとした約束だ。お前とじゃない!!」
 入矢の言葉を聞いて柏木が目を細める。
「はぁん、どうにも、お前らしくないと思ってたんだよ、漆黒の。そうか、お前、偽者か」
「何故、そう思うのです? 私はノワール。ノワール・ステンファニエルです。あなた如き、私を知った風に語るのはよしてほしいものですね」
 その口調、相手を小ばかにした態度、全てがノワールに映る。だが、入矢が否と叫ぶなら。
「馬鹿め。俺が信じたのはお前の態度じゃねぇ。入矢の拒絶だ」
 ノワールの目が見開かれる。“拒絶”それはノワールが先ほどマッド・ハッターにされた究極の精神攻撃だ。ノワールはその言葉に、愛してる入矢の拒絶に耐えられない。
「うるさい」
「んだよ、事実だろ?」
 流星は舌を巻いた。そう、柏木の一番優れているところは何を考えているか読めないその思考回路と相手を挑発し、精神を揺らす能力。相手の状況を正確に把握し、急所を突く。
 無情なまでの佐久の攻撃とも、闇をひっそり穿つ黒鶴のような攻撃でもない。相手をとことん揺らす、それが柏木の力であり、最大の攻撃。
「それに気づいていたか? 俺がお前を漆黒の、と呼ぶとお前は必ずやめてくださいって絶対零度の微笑みを向けるんだぜ? お前しないってことはやっぱ、偽者かぁ」
「そんなことありませんよ?」
「そんな余裕もないってか? 本当のことばれて」
 すっとごくごく自然に歩を進めた柏木は抱かれて拘束されたままの入矢の手を取った。
「だから、入矢がこんなに傷ついている?」
 入矢の両手首に痛々しく残る拘束の痕。見せ付けるように柏木が入矢の手首を舐め上げる。
「ん」
 入矢がくすぐったさに色気を混じらせ吐息をこぼした。それに反応したノワールは我に返って、柏木から離れる。
 ニヤついた柏木は流星にアイコンタクトを送った。流星が攻撃態勢をとる。
「邪魔者はさっさと立ち去ってもらいたいものです。私はあなた方を招いた覚えなどないのですから!!」
「ってことよ? さっさと日陰者は立ち去りなさいな」
 ここにはいない誰か女の声が響いた瞬間、桃色の花びらが二人を覆いつくした。入矢は目を見開いてそれを見ている。一瞬のことだった。
 花びらが二人を覆いつくした瞬間に二人の姿が消えてしまったのだ。……見たことがある。もしや。
「……幻惑の燈火(げんわくのとうか)!」
「ご明察ぅ。お久しぶりね、真紅の死神」
「そうか、お前がマッド・ハッターたちを……!」
 声こそ聞こえないが、この女はどこにいようが全ての事象に干渉できる。それがこの女の能力。
「そうよ、まぁ不思議の国の住人相手じゃ、そんなにもたないでしょうけど、漆黒の黎明を助けるくらいの時間なら稼げるわー。感謝なさいな」
 入矢は何もない空間を睨みつける。まるで、どこにいるかがわかっているように。
「ふざけるな、お前は俺の敵だ。何故、こんな真似をする!」
「だってぇ、あたしの支配者がお世話になったって言うからね、恩を返しに来たのよ?別にあんたを助けたわけじゃないわー。あんた、危険なんだもの」
 入矢は何もない空間を己の腕を武器として大気を切り裂く! 次の瞬間、大量の花びらが落ちてきた。その中から、普通の少女が現れる。
「お前の能力は一回構造を理解してしまえば全てに応用が利く。残念だったな、自らの利点が弱点になって」
 入矢の正確な禁術解体は、敵の唯一最高の術でさえ、その効果を無効化してしまう。己の力量と入矢の強さがわかっている者こそが抱く、恐怖の力。それが禁術解体。
「お前は俺の敵じゃない。幻惑の燈火、ルナマリア・ペスキス」
 入矢の言葉は正確だ。だからこそ、ルナマリアという第二階層の十指に入る女のプライドをいたく傷つけた。
「そうね! でも、私と私の支配者が敵になったとき、同じことが言えるかしら? 橙色の悪魔とこの、幻惑の燈火が一緒になったときに!」
 ルナマリアの力は単純だが、誰も真似でできない、オリジナルの禁術だ。大量の花びらのような力によって特定の事象を入れ替える。それはマーチ・ヘイヤの能力に似ているが彼ほど自在には扱えない。でも不意打ちにはもってこいの技だ。
 マーチ・ヘイヤの能力は優れているが、使うマーチ・ヘイヤ自身が幼いこともあって、彼の思考が及ばない点では効力を発揮しない。子供の考えることしか夢と遊びのような力しか発揮されない。
 だからこそ、そこに突く点がある。だからこそそれをフォローする形でマッド・ハッターが控える。
 マッド・ハッター自身の力は嘘。嘘を具現化する。その言葉は難解で相手に攻撃を悟らせない。マーチ・ヘイヤが子供ならマッド・ハッターは大人。マッド・ハッターはその能力を使って相手を精神攻撃にかける。
 この二人の中間の能力を持つのがドー・マウスだ。彼が行うのは歌による攻撃。言葉の具現によるものではなく、歌そのものに攻撃力を持たせた二人の守り人。
「言えるさ、俺とノワールが一緒に戦うんだからな」
 入矢はそう言った。相手がペアでかかってくるならこっちもペアで闘えばいい話だ。
「できるかしら? あなたのペアはあなたが望む人じゃなくてよ?」
 幻惑の燈火が微笑んだ瞬間に入矢の身体は床に叩きつけられた。ノワールが上に圧し掛かってくる。入矢はノワールを睨み付けた。
「うふふ、じゃ、私はこれで」
 ルナマリアの姿が花びらとなって消えていく。存在が完全に消えたことを知覚する前にノワールが入矢を拘束する。
「何のつもりだ、お前」
「そろそろ、私に屈する気になった?」
「誰が!」
「認めなよ。私と“ノワール”どこも違うところなどありはしない。私が“ノワール”と認めなよ」
「お前はノワールじゃない」
「強情だね」
 ノワールはそう言って歪んだ笑みを見せた。