毒薬試飲会 022

13.ニッカリンT

048

 あっしはアンタに出会ってから、ずっと忠実にあんたの僕でさぁ。
 あっしらは配役に縛られる。だけど、それで叶う望みがあるならば、
 喜んでその役に人生、賭けやすよ。
 それが、あっしの代金でさぁ。

 「毒薬試飲会」

 13.ニッカリンT

「ぷぎー、ぷぎー」
 子豚が鳴いて、そして逃げる。足が速いわけではないから、小さな体躯から必死さが伝わってくる。そんな子豚を無視して、金属の音が響く。片方は包丁を両手に逆手で構え、すばやく動く。
 料理女はナイフのように、剣のように包丁を扱う。それに対してビルは笑いながら、避けていく。金属製の梯子はちょうど真ん中で折れる構造をしており、巧みに梯子を伸ばしたり、曲げる事で効率よく料理女の包丁からガードする。
 梯子は長いぶん、扱うのに困りそうなものだが、ビルは手際よく梯子を振り回す。リーチが長いので振り回された時に空を斬り、重さが感じられる。一度当たったら、ダメージは相当なものだろう。
 だからこそ、料理女も安易にその領域に踏み込まず、決定打を逃し続ける。
「そういやぁ、料理女。第一階層には戻らなくていいんでやんすか?」
「私の仕事場はここだ。ならここを離れる理由などあると思うか?」
「まぁ、そうでやんすねぇ。しかし、一旦逃すと次に戻れるのは十年後位になるやもしれませんぜ?」
 ピクリと料理女が眉を動かす。
「あいつは何をしている?」
「まぁ、公爵夫人が欠番になってからもう、どのくらい経ちましたかねぇ? よくもっているほうじゃねぇですかい?」
 戦闘を続けながら日常的な会話を行っているあたりが、不思議の国の住人といったところだろう。
「だからか、私の仕事が多くなったのは。もうそんな時期なのだな」
「そうでやんすよ」
 ブンっと孤を描いて振り抜かれた包丁はビルの額めがけて奔る。ビルは梯子の端を持ち、二つに折りたたまれて二脚の状態になっていたものを伸ばし、上空へコンパスを広げたかのようにして逃げる。
 そのまま反対側に梯子の足を折り、再び二脚の状態になると、片手で梯子を持って振り回した。振り回される過程で梯子がまっすぐに伸びる。今度は背を反らして間一髪で料理女が避ける。その隙にくいっと力を入れ、ビルは梯子を曲げる。
 二脚の脚が着地する場所にいたのは料理女だ。一瞬で影が迫り、目を見開いた瞬間に脚と身体が梯子に挟まれた状態になる。梯子の頂点に優優と座って、ビルは笑った。
「捕まえやしたぁ」
「く」
 恐ろしいのは梯子の脚の間で身動きが取れないように関節を封じられたことだ。
「さ、この二人の常駐を許可してくださいやすね? 料理女」
「許されるものか!」
「チチチ。いけやせんねぇ、料理女。天邪鬼はあんたに与えられた配役ですけどねぇ、度が過ぎやす。この二人は、見逃した方が、あんたのためってもんでさぁね」
 料理女は倒れる二人の男を眺めた。
「来るのか?」
 一瞬の間が生じる。
「まぁ、たぶんでしょうが……」
「そうか。なら、いい。今回はお前に免じて見逃す」
「そりゃぁ、ありがてぇことでさぁ」
 ビルは満面の笑みを浮かべて、梯子をどかす。料理女は立ち上がって腰に包丁を収めた。
「ただし、一週間だ。その間に自ら出ていかなければ排除する」
 ビルは笑って背に梯子を背負った。自ら、ね。とビルは笑った。もうそれは滑稽なほどに、配役に忠実な女だ。
「構いやせんぜ。その程度で出れないなら必要ねぇでしょうし」
「ふん、お前、矛盾してないか」
 先ほどは必要といい、今は見切りを簡単に付ける。
「してはいやせんよ。あっしはチェシャ猫の願いなら優先的に聞きやすけど、その願いをどう叶えるか、どの程度期待に添うかはあっし次第ですからねぇ」
「ふん、物は言い様だ」
 料理女は向こうでいまだ震えている豚に行くぞ、と声をかけて歩み去る。ビルはそれを微笑んで見送った。
「さぁ、あっしもそろそろお暇しやすかね。アランの若旦那はここから出れやすかね? 無事に出られたとしても、正しく出れなければ、最悪浦島太郎でやんすよ、若旦那」
 ビルはくすくす笑う。眠る二人を覗き込んではた、と首をかしげた。
「やぁ、本当に油断ならねぇや。大層な置き土産でやんすねぇ、チェシャ猫」
 ビルは笑みを浮かべたままの表情で言うと、シュルリ、とリボンを解くような音が聞こえた。それは微かな音ではあったが確かにビルには聞くことができた。
「期待“は”してんだよォ」
 独特の声。長く円を描いて螺旋になり、そして特有のしっぽが現れる。
「毎度、ご利用ありがとうございまさぁ、チェシャ猫」
「支払いは、金でいいのか?」
「いいえ。そうでやんすねぇ……今のあんたと未来のこの二人の状況、それでいきやしょう」
 チェシャ猫は嫌そうな顔をした。明らかに別のにしろ、と無言で言っているがにっこりとわらってビルは無視してやった。
「いやでやんすか?」
「なんでお前らは、俺に構うんだァ? 日頃の憂さ晴らしかァ?」
「さぁ? どうでやんしょ」
 ビルはそう言う。チェシャ猫は笑った。その笑みをいつものニヤ付いたものに変え
「いいだろォ。教えてやるさァ」と言った。
 にこりと微笑んで、ビルはチェシャ猫の服に手をかける。

 アランが再び目覚めた時、そこは灰色の世界だった。一応ハーンの精神世界からは抜けられたみたいだ。周囲に目を走らせるが、相変わらず無限の灰色が続く。そしてどこまで見渡してもビルの姿はなかった。
 もともとなかったのだから、帰ってしまったのかもしれない。ビルは商人だ。次の商いのために去ったのだろう。そう言えばポケットの中のビルから買った道具はなくなっていた。
「起きたか」
「ハーン!!」
 アランは先に起きあがっているハーンのそばに寄った。
「大丈夫か? どっかやべーとこないか?」
「何の話だ?」
 ハーンは苦笑して、アランの言葉に当惑しつつ、あまりのアランの心配ように、軽く頭をなでた。
 ハーン自身、この場所に全くと言っていいほど記憶がない。確か、ノワールの屋敷に軟禁されていたことは覚えているのだが……。あの後、どうなったのだろうか。
「ここはどこなんだ、アラン」
「えっと……」
 アランは言われた事を思い出し、しかし現実味がないと感じながら答えを口にした。
「禁世、らしいぞ」
「はぁ?」
 当然、ハーンは嘘だと言いたげに、怪訝な顔をした。
「ハートの女王に禁世に落とされたんだ、俺たち」
「なんで? また?」
 機嫌でも損ねたか、と内心出かかった言葉を飲み込んだ。あり得すぎる。
「それは……」
 アランは正直に話していいものか、迷った。もし、話して再びソニークの記憶が戻ったりでもしたら……と危惧したのである。しかし、いい話も思いつかないし、アランはどちらかというと嘘が下手だった。正直に話した方がいいかもしれない。
「お前の人形化を解くためだ」
「何だと?」
 ハーンは冗談をアランが言っていると思ったらしい。アランはそれを知って、つまったりしつつも今までの状況を包み隠さず、ハーンに告げた。
 ハーンはそれを聞いて、驚いた後、蒼白になった。
「本当だ……ソニークが、ソニークがオレの中に……いない!」
 ソニークの事自体は覚えているはずだ。その証拠にハーンは彼女の名前を呼んだ。しかし、少なくとも入矢とノワールによって禁じられた遊びの最中に事故で死んでしまった、その死因と状況はなくなったはずだ。
 たぶん、ソニークが死んだ事実のみをニュースのように受動的に知っている状態。
「どうして!」
 ハーンが頭を抱えて絶叫する。アランはそんなハーンの姿を初めて見て、動揺した。
「どうして、どうしてだよ! アラン! なぜ、彼女は死んだ? 誰に殺された? どうして、なぜオレは覚えていない! 彼女を愛しているのに! なんで、なんでなんだ!」
 ハーンが叫べば叫ぶだけ、ハーンの精神が狂っていく。アランは最初驚いていたが、逆にアランの方が今は蒼白になっていた。どうしよう、人形化は確かに解けた。しかし、彼女の死因を忘れた事によって、ハーンの精神が崩れかけている。
 まさか、こんなことになるとは思ってはいなかった。
「お、おれが……壊した」
「は?」
 焦点を失った目で、ハーンがアランを見る。
「俺が、ソニーク・デュバリサンクが死んだ記憶を壊した。だから、お前は覚えていない」
「なんだと?」
 ハーンはアランの胸倉をつかんだ。激しい憎悪が見れる。
「お前の人形化の術式に使われた根幹の記憶が、彼女の死んだ記憶だったから、壊す必要があった」
「誰が、そんなことを頼んだ!?」
 アランはハーンに激しく怒鳴られながらもまっすぐ、ハーンをみた。
「俺が、いつ頼んだ! 別にかまわなかったのに! ソニークのことを忘れてしまうくらいなら、俺は死んだってよかったのに!!」
 その言葉を聞いた瞬間にアランもカッとした。なんて言った? 死んでも、よかった……だと?
「教えろよ、アラン。お前が壊した俺の記憶は、ソニークの最後は何だ? お前が壊したなら、お前は修復する義務があるだろう! さぁ! 話せ! ソニークを殺したのは、誰だ!?」
「そうやって、知って、それでお前はまた殺した人間を憎んで生きていくのか?」
 アランが逆にハーンの胸元をにぎりしめる。
「あ?」
「それで、救えなかった自分自身を責め続けて、生きていくのかっ!」
「何が悪い! それが全てだったんだ! ソニークは俺の、全てだったんだぞ!!」
「……えない」
「なに?」
 激怒したハーンに微かなアランの声が響く。もう一度聞こうとハーンはアランを覗き込んだ。すると、そこには顔を険しくしたアランの姿がある。
「教えないって言ったんだ!」
「何だと!」
「ソニークの記憶を壊したのは俺だ! ソニークを想うお前を壊したのも、俺! 誰が殺したかなんて、どうだっていいんだ! いつまでも死人に囚われてんじゃねーよ!」
 ハーンの目に怒りが浮かび、瞬間、アランは殴り飛ばされていた。
 無機質な灰色の床をアランが無様に転がる。しかしアランは殴られた頬を庇いもせず、口から血を流し、ハーンをにらんだ。
「俺には!」
 アランが叫ぶ。ハーンは肩で息をしながらアランをにらみ返した。
「お前しかいないんだ!」
 アランは立ち上がる。そして、ハーンにぶつかるようにして、ハーンを押し倒した。
 そのまま馬乗りになり、抵抗し、殴ろうとするハーンに叫ぶ。
「お前は、もう、俺のものだ!!」
「ん!」
 ハーンが驚きに目を見開く。それは、アランがハーンに口づけたからだった。
「俺には、もう、おまえしかいないんだぞ。死人になんかくれてやるか! 俺のパートナーだろ、お前! 俺の邪魔をするやつは、たとえ死人だろうが、何度でも殺してやるよ!!」
 そう言ってアランは再びハーンに口づけた。荒々しい歯がぶつかろうが、その歯で口を傷つけようが気にしないようなキスを。
「だから、俺がソニークを殺してやったんだ!」
 無茶苦茶だ……。ハーンは泣きそうに怒っているアランを見る。アランはそのまま、ハーンの下半身に手を這わせる。
「何をする?! アラン」
 当惑するハーンにアランは黙ってろ! と怒鳴り返し、ハーン自身を取り出して、刺激を与え始めた。
「やめろ! 何をする!! アラン」
「お前は俺のものだ、ハーン。その身に教えてやる。お前の目に映るのが誰か!!」
 金縛りになったかのように、ハーンは動く事が出来なかった。
 そう言えば、強姦されると人は恐怖で抵抗が出来なくなるというが……ハーンは違うような気がしていた。そう、これはびっくり金縛りだ。ハーンは自分に言い聞かせた。
 ハーン自身が反応し始めると、アランは舌を這わせる。ぴちゃ、という生々しい音が、何もない空間で響いた。
「あ……アラン!」
 ハーンは羞恥に怒りをすっかり失念する。喉の奥まで咥えこまれ、アランの漏らすような呼吸が時折濡れた音に混じっていた。眠りを覚ますように、本能的な刺激に耐えられない。ハーンはありえない、と思いながらも刺激を与えるアランに感じ入っている自分を自覚しなければならなかった。
「アラン」
 顔が見たいと思った。だから、その短めの黒髪をなでてやった。
「ん……はっ」
 アランがようやくハーン自身から口を離し、すばやく下半身を露わにする。その瞬間にハーンはアランが何をしようとしているかわかった。さすがにそこまでは望んでいないが、アランは単純だからこんな行動をとっているのだろう。
「やめろ、アラン。もう、わかったから」
 ハーンはそう言ったがアランは聞き入れない。そのままハーンの上に腰を下ろした。
「無茶だ、アラン!」
「うぅうう!!」
 めりめり、という肉の裂ける音がして、ハーン自身がアランに飲み込まれる。
「うっ!」
 慣らしもせずに入れられた事でハーンはその締め付けに呻き、アランは受け入れた痛みに啼く。もう、そこから動くことなど出来ない。アランは痛みに泣いた。その場所が発火したかのように熱い。
 だけど、ここでつなぎ止めなきゃ、ハーンがどこかへいってしまう気がして。どこにも行って欲しくなくて。
「うっ、あ……はっ……ああぁ」
 ゆっくり、ゆっくり動かす。その度にぎちり、と肉が擦れて、血が流れる。激しい痛みにアランは唇を噛みしめて、耐えた。
 涙がこらえられない。ああ、これが男同士のセックス。これが受け入れること。俺が入矢にしたかったことだ。気持ちいいなんてとんでもない。
「アラン」
 優しいハーンの声がする。でも、ハーンは怒ってる。いや、悲しいんだ。ソニークの、愛してた、今も愛してる女を忘れてしまって。
 アランがハーンを見れないのも、見ないで無理強いしてこんなことをしているのも、全部ハーンを必要だと思うアランのわがままだ。
「アラン」
 ハーンはもう一度アランを呼ぶ。しかし呼べば呼ぶだけ下を向いて耐えてしまうアランにハーンは見かねたのか、身を起して素早く口づける。それはアランがハーンにしかけたような激しいものではなく、乱暴でもない。優しい、そしてやわらかな口づけ。
 優しく優しく、アランの髪を梳き、そして自然に舌を差し入れ、絡める。
「もういい、アラン。わかったから」
 上唇が薄く重なったまま、ハーンが呟いた。え? と見返すアランに微笑む。
「バカだバカだ、とは思っていたが……ここまで馬鹿だとはな」
 くすっと笑う。アランはなんだと! と膨れた。目に浮かぶ涙をぬぐってハーンが笑う。
「降参だ、お前には負けるよ、アラン」
 そしてそのままゆっくり、アランを傷つけないようにアランから自身を抜く。きっと彼なりに考えたのだ。どうやって自分を振り向かせるか、どう、けじめをつけるかを。そして、自分にどれだけハーンが必要かを考えれくれた。
 いや、アランは単純だから単にハーンを失いたくないだけだったかもしれない。それでもいい。ソニークを失って、世界は色を失った。もう、生きている意味さえわからなくて、かといってソニークの後を追うような勇気も行動力もなかった自分を必要としてくれたのだ。馬鹿すぎる。
「だけど、バカは……嫌いじゃない」
 ハーンはそのままアランに治癒の禁術を施して、服を着せる。自身もしまい、アランの額に口づけた。
「責任は取ってもらうからな。アラン・パラケルスス」
 その言葉と笑みに、ハーンの全てがつまっているような気がした。だから、アランも力強く笑って、言ってやるのだ。
「言っただろ? 『俺はお前に全て捧げてやるって』。ハーン・ラドクニフ」
 差し出された手を迷うことなく取る。
「契約完了だ」
「ああ」

「にしても、ここはどうやって出るんだ?」
 ハーンは周りを見渡して呟く。アランもそれは気になっていた。ビルが言うには女王陛下のテリトリーらしいが、彼女ってこういう趣味なのだろうか。
「不思議の国の住人ってのは、規格外なのはわかってたけど、こう現実に見せつけられると……本当に人間なのか疑いたくなるなぁ」
 ハーンがそう言う。二人して結構歩くがまだ先は見えない。
「どういうことだ?」
「ああ。たぶん、ここは禁世の一種だと思うんだが、それを所有しているとなると、彼女らの強さもわかる気するな」
 ハーンはそう言いつつ、アランの目に刻まれた十字架について話すべきか迷っていた。そう、禁世といえばアラン自身も何かを起こしているし、何かつながっているが、それがハーンにはわからない。
「なんだ、刻限まで待っていてやったというのに、そちらから出向くとはな」
 突如、女の声が響く。二人して声の方向を振り返った。
「ぷぎー」
「誰だ!?」
 ハーンが鋭く言う。そして二人して目が点になった。
「……豚?」
目の前に愛らしい子豚がてけてけと歩いてきて、すんすんと鼻を鳴らしたのだ。え? 豚? なぜに、ここに豚?
「自殺志願者か? お目覚めから忙しい事だな」
 え? この毒舌この可愛い豚が言ってんの? 食っちゃうぞ。アランが見ているとハーンに肩を押されて、はじき飛ばされる。文句を言おうとした瞬間、アランのいた位置に包丁が刺さっていた。
「問われれば、名乗ろう。それが我らのルール」
 豚から遅れて、一人の女が歩いてくる。漆黒のまっすぐな髪を二つに結び、垂らしているがそれは尻のあたりで一つにまとめられている。鋭い視線を持つ瞳、東洋人らしい白くきめ細かい肌。華奢な身体を浮かび上がらせるように全身を覆う白い布。アランはミイラかと思ったほどだ。そして腰をめぐる包丁の数々。
「我が名は料理女。不思議の国の住人の一人だ」
「不思議の国の住人だと!」
 ハーンも驚いた。姿どころか名前さえ初めて聞く。
「そこの豚もそうだ。赤ん坊という」
「え? この豚も」
「左様。ではいいか? お前たちを殺しても」
「いやいやいや!! ないだろ、それ。そもそもなんで殺されなきゃなんねーの」
 アランが叫ぶ。
「何? 知らないのか? ここは禁世。それも不思議の国の住人の領域だ。素人が踏み入っていい場所ではない。だから消す。それがルールだ」
 そう言うと料理女は包丁を両手に構える。いきなり襲いかかられてアランもハーンも避けることに必死になる。
「ちょ、待てよ! 俺らは好きでここにきたわけじゃ……!」
「関係ない」
「じゃ、出る! 今すぐ出てくから、出る方法を教えてくれよ!」
 アランが攻撃を避けながら言った。
「聞いたところで出れはしない」
「なんだよ、それぇええ!!」
 ハーンは出方を伺うべく、周囲に視線を走らせた。
「無駄だ!」
 さすが不思議の国の住人だ。ハーンとアラン、二人を相手にしていても余裕がありすぎる。気を抜けばすぐに殺される。直感でそう感じたハーンはアランに叫んだ。
「アラン! お前がこの場所を読め!」
「は?」
「俺が彼女の相手をする! だからその間にお前が脱出法を調べろ!」
 アランが返事をする前にハーンが攻撃に転じた。その手にはすでに武器が握られている。スペルなしで武器を生成するとは、さすがランク2でトップレベルの支配者だ。ノワールと実力が同等だと豪語するだけはある。
 アランは周囲に目を走らせる。相変わらず無機質な灰色が広がっているだけだ。何も変わらない。ここからどうやって出口を探せって言うんだ。豚はぷぎぷぎ言いながら、料理女の後ろで走り回っている。
「待てよ……」
 あの女はここを禁世で、不思議の国の住人の領域といった。ということは、禁世にはそれぞれのテリトリーが決まっている。もしくは不思議の国の住人共通の領域ということになる。そこの番人が、彼女。料理女。そしてこの場所に不思議の国の住人は出入りできる。
 なら、きっと俺たちにも出入りはできるのだ。ビルは、寝ていた俺を起こした。料理女も歩いてきた。なら、たぶん、そんなに広い空間じゃないのかもしれない。ハートの女王は俺たちを落とした、と言った。だけど料理女は入ってきたから、排除するとも言った。
 なら、普通の人はきっと意志を持ってここに侵入してくるんだ。
「ぷぎ」
 豚は、なぜ彼女と一緒にいるんだ? 今まで会った不思議の国の住人は単独行動をしていた気がする。チェシャ猫にしろ、ハートの女王にしろ。なら、たぶん……この豚は彼女と一緒にいなきゃいけないんだろう。何のために?
 アランは必死に考える。ハーンは支配者というのが嘘かと思うほどに動く。ランク2ともなれば支配者も動けなければ勝ち残れないからだ。
「お前、どうしてここにいる?」
 アランはたやすく豚を捕まえた。豚が鳴きながらじたばたと逃げようとする。
「ぷ、ぷぎー!」
「赤ん坊!」
 料理女は焦った声を出し、アランの方に向かって、包丁を投げた。アランはそれを必死で避ける。
「ぷぎー」
 しかし包丁はアランではなく、避けきれなかったものが豚に刺さっていた。かわいそうな豚は涙を浮かべ、うるうるとしてアランを見上げた。その目はお前のせいだぞ、このやろう、と言っているようだ。
「なぜだ? 仲間じゃないのか?」
 ハーンが言う。
「足手まといは不要だ」
 短く料理女が応える。しかしその目は豚を見ていた。そこでアランは気付く。なんで豚を足手まといと言いつつ、心配するんだ? もしかして、彼女……。
「わかった!」
 アランは立ち上がる。
「お前! 足手まといなんだろ? この豚、俺、貰っていいか?」
「アラン!!?」
 ハーンが応戦しつつ、当惑している。それを目で制して、アランは言った。
「好きにすればいい! 私には必要のないものだ」
「じゃ、食べてもいいんだな?」
「構わない。胡椒でもなんでも味付けて食すがいいだろう!」
 彼女は言った。この場所は素人は来ていい場所ではなく、俺たちの意志に関係なく来たことこそ、彼女には何の関係もない。そして、脱出法を彼女に聞いても出られない。それが表す本当の意味は、こうだ。
 素人は来てしまう場合もあり、俺たちの意志でないことが重要だ。そして、脱出法を彼女に聞かなければ出られる。彼女に聞いた脱出法はうそということ!
「わかったぞ!」
「何? 本当か、アラン」
「俺たち、ずっとココにいる! どうすればいい?」
「ふん、そうなる位なら私が送ってやる!」
「へ?」
 ハーンが驚いて料理女を見た。
「絶対、お前には頼まないぞ。手を出すなよ!」
「うるさい」
 そして料理女が指を鳴らした。すると血をだらだら流していたはずの豚がアランの腕の中で光った。
「うわ!」
 ハーンとアランは光から目を庇う。しかしあまりの光量に、目をつぶった。その瞬間、身をよじられる思いをし、騒がしいほどの喧騒を聞こえてきた。
「……戻れたのか?」
 ハーンは立ち上がって、きょろきょろあたりを見渡す。そこには多くの人がおり、喧騒があった。
「みたい、だな」
 アランも半信半疑だったが、戻ってこれたようだ。
「どういうことだ……?」
 ハーンが謎解きを希望する。アランは言った。
「簡単さ。彼女の性質を利用したんだよ」
「性質?」
「そう。『天邪鬼』だよ」
「あまのじゃく?」
「ああ。なんで彼女は豚を連れてるのかと思ったのさ。そしたら彼女はすげー悲しそうに豚の悪口言ってるから、反対の事言ってるんじゃないかって思ったんだ。そうすると彼女の言動が全て反転する」
 ハーンが納得する。彼女の言葉が全て反対だったのだ。
「よくあんな短時間でわかったな」
「いや、ビルが教えてくれたことがきっかけだったんだ」
「ビル?」
「ああ。ハーンを助けるのに協力してくれた不思議の国の住人さ。あいつが言ったんだ。『不思議の国の住人はアリスの登場人物の配役を演じている』って。今思えば料理女は天邪鬼っていう配役に忠実なら、最初の名乗りも彼女自身はしたくなかった。だけどしなければならないから、していたとすれば……」
「不思議の国の住人は、名乗り、配役を明かすことでその能力や性質を明かしているってことになるのか。そういえば料理女はメジャーなキャラクターではないが、確かに天邪鬼だな」
「だから、最初から料理女は俺たちを助けてくれるつもりだったんだよ」
「……わかりにくいな!」
 二人で、歩きながら景色を眺める。