17.ストリキニーネ 緑
063
一歩ずつ、進んでいけばいい。
そうしたら、必ずどこかしらには着くはずだ。
……一歩ずつ、進む事ができたらの、話だけれどね。
「毒薬試飲会」
17.ストリキニーネ【GREEN-side】
――突然ですが。絶賛、落下中の二人です。
アランもハーンにさんざん言われて第一階層に上る前に、不思議の国のアリスというルイス・キャロルというむっかーしむかしの人が書いた古代の童話の何とかダウンロード版を手に入れて読んだ。
――感想を一言、変な話だった、以上。
そのアリスの冒頭、主人公であるアリスは白ウサギを追いかけて、兎の穴に落ちてしまう。そこから物語がスタートするのだ。だからといって、そう、だからといってだ!
「俺、自由落下に恐怖を感じず、退屈を感じるって初めてだよ」
「後にも先にもこれきりだと信じたいがな」
うす暗い縦穴のような空間をずっと落ち続けている。時間で計っていないが、感覚ではもう一時間は軽く超えていると思う。しかも自由落下を続けてはいるものの、その落下速度はそこまで恐怖を感じるほどには速くない。エレベーターでゆっくり下降を続けているという雰囲気だ。この縦穴は先が見通せないが、壁に可愛らしい花を模したランプが灯っていて、うす暗い。つまり、そうそう恐怖を感じさせない。
「誰か手入れしてるのかなぁ?」
しかも所々、誰かの部屋のように日常生活にありふれたものが浮かんでいる。本だったり、鏡だったり、椅子だったり。それらのものはゆっくり下降しているゆえに手に取ることもできる。
「さぁ? 本を読みながらゆっくり下れ、ということか? それにしてもこの本全部白紙だけどな」
そうなのだ。本は立派な装丁の割には中身が真っ白。読むもなにもない。生活感が溢れているようで、まるで絵画の中のように、中にいる住人のことはなにも考えられていない世界。外面だけの、整った場所。
「永遠にこれだったら、これもなにかしらのゲームとかだったりするのかもしれないな」
ハーンの呟きにアランは疑問を返す。
「どんなゲームだよ?」
「例えば、どれくらいでこの空間に飽きて死ぬかとか」
「おいおい」
アランはあり得なくもないところに若干ビビりながら、落下を続けつつ壁面に触れてみる。
「止まったりは、できないのか」
壁をひっかくだけで落下が止まることはない。ランプに手を掛けると、あっけなく砕けてその場にとどまっている。
「加速の禁術でも使ってみるか?」
ハーンが呟く。
「でも、加速した瞬間に地面に激突とかしたくねーし」
「だなぁ」
二人してうーんと唸る。白ウサギの姿は扉をくぐった瞬間から見えない。
「さぁて、どうすっかなぁ?」
ハーンとアランは唸りながらも緩やかな落下を続ける。
「でもアリスのお話通りなら、いつか底があるはずなんだけどな」
という会話を続ける気力もないまま、二人して落下を続けるうち、いつしか二人して眠りについていた。いつもの寝る時間がきたのかもしれないし、飽きて寝てしまったともいえる。
「ってぇー」
アランは首に痛みを感じて目を覚ました。するとうす暗い部屋は相変わらずだが、一つ違う点が。それは、光源の様に遠くから明るい光が差し込んでいるのだ。
「お!」
そこでアランは覚醒する。目をぱちりと開けて状況を確認しようとした。
「って!」
そこで身体に異変。実はアランは床に肩だけを付けてちょうどバランスを取るのに失敗し方の様な、脚が頭の前に、腰が宙に浮いている状態のままというなんとも不自然かつ不安定な姿勢で眠っていたようだ。どうりで首が痛くなるはずである。
隣を見るとハーンも頭が床に押し付けて上半身だけを床に寝転がらせ、海老反りを失敗したような姿勢で寝ていた。床が在る時点で気付くべきだが、自由落下は寝ている間に終わったらしい。それで落下したその姿勢で寝ていたようである。よく目覚めなかったな、というか無事だったな。
「ハーン、起きろって」
とりあえず海老反りハーンをつつくと、無理な体勢が祟ったのか、すぐに崩れ落ちてハーンが呻く。
「いた……え? なに?」
状況把握に困ったハーンに灯りを指差す。ハーンはしばらく瞬きし、そしてアランの様に覚醒した。
「え? あの落下終わったのか?」
ハーンはそう言って真上を見上げた。うす暗い穴には落ちてきた実感がわかないほど何も見えずらい暗闇の空間が広がっている。ハーンはおじさんのようによっこらしょ、と掛け声を出して立ち上がった。
「よし、行ってみるか」
「おう!」
二人は立ち上がって穴から出るべく歩き出した。
兎穴を抜けると、そこは不思議の国でした―。
そんな語り口から第一階層が語れるのだと、アランは思っていた。
「……ハーン」
「言うな、アラン」
チェシャ猫の創った扉を抜けて白ウサギの後を追いかけて、ひたすら長い兎穴を落下して、やっと、ようやく第一階層にたどり着いたはず、なのだが。
「いつまで続くんだろうな、これ」
第一階層に着いたならば、そこは目に眩しい快晴の青空が広がっている――はずだった。
見渡す景色、一面、緑。
アランたちが小さいからか、それとも元からそうなのか、おそらく前者だろうが背の高い草がアランたちの視界を覆っている。否、それしかないと言うべきか。
アランたちが白ウサギの後を追いかけて抜け出た世界は一面の巨大な草だらけの場所だったのだ。自分が昆虫にでもなった気分のスケールで、おそらく自分が普通のサイズならば、踏まれればあっさり折れてしまいそうな草がアランたちの前にそびえ立っているという寸法だ。
「これさ、誰かが気付かずに通ったら、俺達瞬殺だな」
なにせ自分達が気にも留めない雑草がはるかに巨大にあるのだから、元々の人間が通ろうものならば、ぷちっとなというものだろう。想像に易い。
「それは祈るしかないだろう」
ハーンが特に気にした風もなく巨大な草を苦労してどけながら進む。
「おろ、珍しいお客さんだねぇ」
若い少年のような声がする。
「どこだ?」
雑草を掻き分け、アランが声の主を探そうとする。
「ちがうちがう、ここ。上、上」
「へ?」
二人して上を見上げるとそこには、金髪の無駄に美形の少年が―空に浮いていた! というか、雑草に留っていた。
「誰?」
「ってか、あんた、何?」
その少年は、快楽の都市仕様といえば、そうなのだが、全身金髪でしかも背中に黄色い巨大な蝶のような羽が生えている。っていうか、しかも全身何か濡れているように光っている気がする。
「さすがに狙いすぎ」
「コスプレもやりすぎはどうだろう」
「ちげーよ!!」
少年が怒鳴った。少年は羽を巧みに使って二人の元に降り立った。――アレ、生えているんだ。
「よ!」
「いや、爽やかに挨拶されても、そこまであからさまな変態はあまり関わり合いになりたくない」
「ハーン、さすがに直接的すぎやしないか?」
「馬鹿にしてるだろ」
初対面の美形だが、あまりに不思議の国の住人さえも超越しそうな奇抜と言うよりは変と言うか、できればお近づきになりたくない種類の格好をしていたのだ。全身タイツのように袖や裾がない様な黄色い姿は何故かオイルを塗りたくったように全身が光沢にまみれている。背中には大きい造り物としか見えない羽が生えていた。
「いや、悪い。さすがに変人に見慣れた俺らでもあんたレベルは中々……」
「お前も馬鹿にしてるな」
少年はそう言った。
「で? 何か用か? わざわざ話しかけてきて」
ハーンは何も分からないこの世界ゆえか、警戒して少年に問いかけた。
「いや、この領域に御客さんが来たのは久しぶりだからね。ちょっかい出したくなるのが人の性。俺の名はバタ付パン蝶っていう者さ」
「は?」
アランとハーンがぽかんとする。
「なんだって?」
「いや、間抜けだと思うけど。俺の個体名。バタパンとでも呼んでくれよ」
「はぁ」
ハーンはこれ以上ない位怪訝な顔をしてバタパンを見た。アランも突っ込みきれずに半眼で少年を眺める。
「いやね、この領域にお客さんが来るのは珍しいんだ。なんせ、みんな巨人並みにでかいからね。君たちはどうして俺達と同じサイズなんだ? そういう種族?」
バタパンの言い分に納得したアランは、えーと色々あってと言葉を濁した。
「ふーん。まぁいいや。ついでに姉さまらに会ってく?」
「姉さま?」
アランとハーンが不思議そうな顔をして顔を見合わせる。そもそも領域とは何だ? 支配下という意味か?
「そもそも、領域って? 誰の?」
アランが尋ねると少年はくすくす笑いながら二人を誘うように歩き出した。アランとハーンも少年に続く。
「まぁ、俺は仮住まい。詳しいことは姉さまに聞きなよ。喜んで歓迎してくれるだろうさ」
「だから、姉さまって誰なんだよ?」
少年はくすくす笑うだけで何も言わずに二人を草の彼方に連れていく。草の森をかき分けて少年の誘うままに進むとそこは草があまり生えていない場所にたどり着き、何者かが住んでいるような印象を受ける草の住処が合った。アランとハーンは顔を見合わせる。
「あら、お客様なの?」
草がまるで扉の様に開き、そしてむわっとするほどの花の香りと蜜の様な甘ったるい香りが漂ってきた。
「う、何このにおい?」
アランが鼻をしかめる。
「まぁ、なんて言い分かしらぁ? かわいい坊や」
暖簾の様に草の葉をかき分けて、その芳香の元がわかった。一面に咲き誇る花々の数々。オニユリ、ヒナギク、パンジー、バラ、スイセン、等々。ハーンやアランが名を知らないような花がたくさんそこにはあった。しかし花畑という印象を抱かせない。そう、それは部屋の中に花を飾り付けるような印象が強いか。壁に蔦のように伸びる植物からラッパのような形の黄色い花がつり下がっていたり、部屋の片隅にクッションの様に大輪の花が咲いていたりする。花が好きな者が、無理矢理一室に花を押し込め、収集し、愛でているような一室。
その一室は限りなく広く、むしろ何人もの人がそこで暮らしているかのようだ。実際、ハーンとアランの前には一人の美女が花の花弁に寄り掛かって寝転がっていたが、奥には人の気配が何人もする。
「バタパン、お客様なの?」
身近な美女が少年に問いかける。少年は微笑みながら美女に近寄った。
「そうだよ。珍しいでしょ?」
美女は微笑んだ。そのまま少年の顎を捕まえると二人の目の前で濃厚すぎる口づけを交わす。
「うへえ!」
アランが少し赤くなりながら驚く。ハーンは他人のキスシーンを見せられて、げんなりしている。
唾液が絡むような激しい口づけは少年がリードしており、どちらかというと少年が美女の口を貪って吸っているかのような口づけだ。少年は夢中で美女の口を吸い、しばらくすると口を離した。
「ごちそうさま! オニユリ姉さんは香が強烈だけど蜜は美味しいんだよねー」
少年は満足そうに言ってハーンとアランに軽く手を振ると草の向こうに去っていった。
「オニユリ? お客様なら紹介して頂戴よ」
「ええ。みんないらっしゃい。久々のお客様よ」
美女がそう言って身を起こし、手を叩く。するとわらわらとどこにいた? と言わんばかりにかなりの人数の人が出てきた。見た目麗しく、派手な印象が強い者が多かった。
「お名前は? わたくしはオニユリ」
「ハーン」
「アランだ」
二人が短く応えると、大輪が咲いたような笑顔を誰もが見せる。アランはその笑顔を見てなぜかちょっと寒気がした。
「ようこそ。中々普段はお客様が見えないのよ。だから皆嬉しくて浮足立っているのよ」
アランはじーっと興味津々ですと言わんばかりの視線が居心地悪く感じる。
「先程の少年も言っていたが領域の主とはお前達か?」
ハーンがそう問いかける。するとくすくすとオニユリの背後から笑い声が上がる。
「もしかして、第一階層は初めて?」
「ああ、そうだが」
「そう」
甘く微笑んだオニユリはどちらかと言うと悪女のように見えてしまう。アランは嫌悪感を滲ませた視線で見る。
「では分からなくても仕方のない事ねぇ」
「ずるいわ、オニユリ。貴女ばかり話して。私たちにも話させてよ」
オニユリの肩にもたれかかるようにして美しい少女が朗らかに声を上げる。オニユリが笑いながらそれもそうねぇと呟くと、背後から私も、私もとかしましい女の声がこだました。
「第一階層はね、この下の階層とは違うのよ」
「大地が仕切られているの」
「その仕切られた一つの区切りをブロック、枡、領域等と呼ぶのよ」
「ブロックに居られる駒は一つ。ここは私たちの領域」
「あなたたちはお客様」
「と同時に侵入した外敵」
オニユリの背後から様々な声が代わる代わる言葉を紡ぐ。アランはオニユリをはじめとしたこの場の住人に違和感を覚えた。髪の色等は鮮やか過ぎる色ばかりだ。黒や暗色の色があまりない。誰もかれも美形なのも不気味だが、身体を覆う服はきわどい快楽の土地仕様と言えばそうなのだが、あまりにもきわどいものが多い。その服が緑系の色ばかり。
「外敵? じゃ、戦うのか?」
「まぁ! さすが殿方ですこと。そんな野蛮なことは誰も望んでいませんわ」
オニユリが笑いながら言う。
「わたくしたちにおもてなしさせて下さいな。それでわたくしたちは満足ですから」
オニユリはそう言うと、ハーンによりかかって、上目遣いでハーンを見つめた。視線に熱がこもっていそうなあからさまな仕草にハーンはドキドキするよりは、不信感が最大に募ったようで、じろりと見下す。
「ああん。連れないお方ね」
「じゃ、こっちの坊やはどうかしら?」
アランはいきなり両腕をがばっと取られ、腕にぶら下がるかと言うような勢いで腕を絡ませる白髪の瓜二つの顔をした美少女に胸を押しつけられて驚いた。あからさますぎる誘惑にアランは少し胸が動きを速くしたが、ハーン同様不信感をあらわにした。
「あら? ずいぶんな殿方ですこと! 女の誘い無碍にするものじゃなくてよ?」
少しその言い方と雰囲気にぞっとするものが含まれている気がした。鈍感で少し際ど過ぎる美女に囲まれたアランでもこりゃヤバそうな……と思わせる何かがあった。
「言う通りにしないと、ただじゃおかないってか?」
「頭のいい子は好きよ?」
オニユリが客人をもてなすよりは女主人のような絶対的な笑みを浮かべる。
「……そういうことか」
ハーンは白ウサギの言葉を思い出して溜息をついた。
――同じような会場があって相手が用意されていると思ったら大間違いだ。
――第一階層は下層より混沌に満ちた世界と考えろ。
――殺意を持って相手が現れたらそれはすなわち、ゲームが開戦された事になる。
「あんたたちは俺達をどうしたいんだ?」
ハーンがオニユリを振り払って毅然と問う。オニユリは笑みを崩さずに言う。
「そちらの殿方は仕組みに気付いたようね? ではお尋ねするけれどわたくしたちの正体がわかって?」
ハーンは腕を組んで、しばらく相手を睨みつけると、鼻を鳴らした。
「あんたらは『花』だな」
「ご明察」
オニユリはそう言った。アランはそう言われてはっとした。そうか、ここにいる者は皆花の化身とも言うべき存在なのだ。だから名前が皆花の名前で、鮮やかな色合いを持つ者ばかりなのだ。
「なぁに、わたくしたちは力なき花。戦いたいとかあなた方の命を奪いたいなんてことは思っていないのよ? 私たち花が望む事はなんだと思う?」
オニユリが尋ねると、他の花も期待した目線で二人を見る。
「望む事?」
アランが聞き返すと別の花が応えた。
「花は何のために咲くのかしら? 花は何のためにつくのだと思う?」
「何のため?」
アランが呟く。ハーンはそれを聞いて少し考えた。
花が咲く意味。植物がエネルギーを使ってまで花を咲かせる理由。それは種を実らせるためだろう。
「それは種をつけるためだろう」
ハーンの答えに満足そうに花が皆頷く。
「そうよ。では思考を転換させて。私たちが種を造る為に花が行う行為はなにかしら?」
オニユリの背後でバラが優雅に微笑みながら問いかける。誘導されるようにハーンが応えた。
「……受粉か?」
「正解」
別の花が笑いながら応えた。
「じゃ、受粉を人に置きかえると何になるのかしら?」
「は?」
アランがぽかんとする。受粉もなにも自分達は花でも植物でもないのに、人に置きかえる?
「……性交だろう」
ハーンがまっとうに応えた。アランが思わずハーンの方を見て、そして納得する。そういや、そうか。
植物が花を咲かせるのは、種をつけるため。種をつけるためには花のおしべから出る花粉をめしべに受粉させる事で成り立ち、種ができるのだ。人に置き換えれば――性交ということになるか。ぶっちゃけて。……ぶっちゃけすぎだとも思うが。
「そう! 大正解!!」
「ハーンさん、頭の回転が速いのね」
花が口ぐちにハーンを褒め、ちやほやするが、ハーンは距離を保っている。
「私たちは花。花であるということはね、常に子孫を残すために受粉、貴方がたでいう性交を求めているの」
アランが絶句する。それはちょっとぶっちゃけすぎじゃないですか!!?
「……呆れかえるな。そこまであからさまな誘われ方は初めてだ」
「花って肉食系だったんだな」
ハーンとアランがドン引きで花をもう違う目で見る。
「だから外界に出ない、いいえ、根付けば動けないわたくしたちのために、新たな可能性を、わたくしたちに新しい遺伝子を下さいな」
どの花も同じような顔をしてとろけるような笑みを浮かべて言う。
「いや、遺伝子くれって言われてもな」
ハーンが当惑した声で返す。いくら美女に囲まれようとも、その身体が魅力的でも、こんなムードもくそもあったもんじゃない誘われ方をされればほいほいついていくのはよっぽど女に飢えているか、女を知らないだけだ。
「うーん。困ったわねぇ」
パンジーがそう言う。バラも困惑しているようだ。どうやら、この流れで言って連れない男がいなかったようだ。
アランは確かに目の前に咲き誇るかのように居座る女たちは美しく、妖艶で色っぽいと思う。その豊満な身体を推しつけられて、その芳香が薫ったらくらっとして身体に触れてしまうだろう。
だが、今は隣にハーンがいる。それに人工めいた、造られた美しさや色気を感じるのだ。いくら本物に近くても、模型の食物サンプルに食指がわかないように。肌を重ねたいとは思わない。
「じゃ、言い方を変えましょうか?」
白バラが背後からそう言う。スイセンがそれを聞いて頷く。
「貴方達はわたくしたちが満足しなければこの領域から出られないのよ」
「言う事を聞くしかないの」
「命を取るわけではないわ」
「わたくしたちの誰かを満足するまで抱いてくれればいいのよ」
「簡単な事でしょう?」
そよ風のように、寄せては返すさざ波のように、女たちの口から言葉が次々と流れていく。
「脅すつもりか?」
アランが顔を険しくして言う。
「いや、怖いお顔!」
「どういう意味だ?」
ハーンが聞き返す。
「言った通りよ。ここら一帯はわたくしたち『花』の縄張り。入ることは出来ても出ることはできない。出るにはわたくしたちの望みを叶えなければ。そういう風に設定してあるの」
「は?」
ハーンとアランは顔を見合わせる。先程からブロックやら縄張りやらで、ルールがまったく読めない。白ウサギが言っていたように、これは禁じられた遊びの様に何かを競うような状況にも思えるが、望みが性交とあっては勝負とは言えないような気がする。
「第一階層は下層とは違うの。己の思い通りになる事等何一つとしてないのよ。己の進む方向でさえ、おそらくは、ね」
状況が飲みこめない二人は当惑した顔を隠せない。
「ね、いいじゃない? 一回くらい。生娘、処女ではあるまいし。それとも童貞なのかしら? 筆おろしにちょうどいいわよ」
ハーンもアランもあえて否定はしなかったが、ここまであからさまだと萎える。今まで引っかかった男はこれでこの女どもとやったのだろうか。
「あ、それとも男専門? じゃ、こんなの如何?」
目の前でシラギクの胸が引っ込み、節々が張って筋肉質になったかと思うと美形な男に変わる。
「それともこんなの如何?」
スイセンがそのままきわどい緑の下着をはらりと剥ぐ。すると豊満な胸から下に視線を下げると、立派な男性器が付いている。
「私たちは花だから、基本的に性に縛られないの」
両性具有も在りと言うことだろう。アランはまじかよ、と本気でこの女たちから逃げたくなってきていた。
「ハーン」
情けない声が出てしまい、ハーンの方も視線で逃げたいと物語っていた。
「貴方達に極楽みせて差し上げるわ」
「不満はさせないはずよ」
「こでまでのお客様はみんな虜になったもの」
ぞっとするような光景だった。最初に姿を見た時は皆、美女だったのに今やどうだ。オニユリ以外皆姿が変わっている。幼女、少女、美女、熟女から老婆、と年齢層に幅が在り、性別も男性女性関係なく両性具有いる。あらゆる好みに合わせられますとも言わんばかりだ。いちばん寒気がするのは、その十人十色の姿を持つのに、浮かべるその笑みが一様に同じなのだ。プログラムされたようなその行動が生理的な嫌悪に満ちる。
「ちょっと考えさせてくれ」
ハーンはそう言うとアランに視線で来いと送ると二人で顔を寄せ合う。
「お前、どう思う?」
「いや、俺、ああいう女嫌いだ」
「女だけじゃねーけどな」
「じゃ、訂正。ああいう輩」
「俺もだ。さっき正直ぞっとした。人間じゃねーと思ったね。いや、花だけどさ」
ハーンがそう言う。ちらっと背後を見ると同じように笑う花。これからまともに花を見れなくなりそうだ。
「で、どうする?」
「え? どれかとセックスしろって?」
冗談だろ? と言わんばかりにアランが信じられないような顔でハーンを見る。
「いや、この第一階層がわからない以上、騙されているのか真実を見分けることができないからな。とりあえず従うのも在りかと思うんだが、この生理的嫌悪というか、本能がヤベェと激しく警鐘を鳴らしている状況なわけだしな」
アランも激しく頷いた。そう、花たちを相手にすると確実にヤバイと第六感が告げているのだ。こんなはっきりした勘も珍しいというほどに。そう言うのって勘というのだろうか。
「だろ。で、言うとおりにしないとこの場所を出れないと考えると、前に訪れたという客人は確実に死んでいたりするんだろう。したたかそうだからな」
「確かに」
セックスで絞り取るだけ絞り取って、干からびた死体を土中に埋めて養分に花を咲かせましたと言われても納得してしまう気がする。植物だけに。ほかにも食人花とかあったなぁ、とアランはなんとなく考えていた。
「で、やつらの要求を突っぱね、なおかつここから早急に出ていくためにはどうするかってことだけど」
ハーンがちらりと女たちを振り返る。諦めなさいと言わんばかりの微笑み。
――諦める? 却下。これだけは即断即決。
「なんか思いつくか?」
アランはハーンに言われて考えるが、首を横に振った。
「だよな。ありきたりだが、お前と俺が恋人同士というのが一番簡単に納得させられそうだと思わないか?」
「ええ?!」
ハーンの言葉にアランは驚き、そして瞬時に紅くなる。そう言えば、ハーンは俺の物とかいって俺、強姦魔がいのことしたっけ? あの時は必死だったから、そのまま流れたけど、肉体関係を持ってないかと言われると、否だよな。えっと。
「いや、深く考えるな。究極の二択。お前、俺とあの花だったらどっちの相手したいってこと」
アランはそう言われて、ボンと湯気が出るほど真っ赤になった。
「え、ああぁっと、うえ、ああ!?」
困り果てたアランにハーンはいつものように、仮定だ、と冷静に言ってくれるかと思いきや、にやりと笑うとアランの耳元に唇を寄せて低い声で囁く。
「俺は断然お前だけれど?」
「えええ!!」
アランが声にならない悲鳴を上げる。ハーンはようやくその姿を見てけらけら笑った。
「覚悟はできたか?」
アランは恨みがましく上目づかいで紅くなりながらハーンを睨んだ。
「……おう」
「では行くぞ?」
ハーンは男らしく笑うとアランの手を取った。