TINCTORA 002

2.赫い現実

004

「失礼致します」
 返事を待たずに女は一礼して部屋に入ってきた。女は白い甲冑姿。この辺りで彼女を知らぬ者はない。
 彼女はこの都市の誇りであり尊敬の的である。なぜなら彼女はその腕だけで帝國の皇帝が支配する帝國軍の偉い立場にいる。
 つまり、この国にたった四人しかいない将軍のひとりなのだから。
 その彼女が礼をとる相手はこの世に二人しかいない。皇帝と、彼女の目の前にいる男だ。
「報告致します。北方、クルセス卿の支配下であります、ファキへ作戦時刻ヒトヨン-マルマルに威嚇射撃をもちまして作戦を実行、ヒトヨン-サンマルには作戦を自分の判断で終了、撤収しました。これを持ちまして、王命及びケゼルチェック卿の命令を遂行致しました」
 女はすらすらと口上を述べた。
「ご苦労さま、ヴァトリア将軍。陛下へのご報告は」
「は、すでに済ませております」
「よろしい、では直接陛下からお聞きになったかな?」
「は」
「では、釈明をどうぞ」
 男は笑って女の返事を待っていた。
「は、では申し上げます。自分が受けました命令はファキの者が陛下に反乱の意思を持ったことに対し、また陛下に信用を裏切ったことに対する報復を同じクルセスの者に知らしめてこい、との事でした」
「うん、その通りだね、続けて」
「自分はファキをある程度攻撃することで十分ご命令に添えたと考えました。自分はファキを滅ぼしファキの村民全てを皆殺しせよ、とも言われませんでしたのであの程度の攻撃でよかろうと判断いたしました」
「なるほど、陛下にも同じ説明をした?」
「は」
 女は無感動にそう言った。
「ではそれを聞いて陛下は何とおっしゃられたかな?」
「は、陛下は何も仰いませんでした。しかし、代わりにバイザー卿が『貴様が生かしたファキの者どもは見つけ次第捕らえ、公開処刑、もしくは奴隷にする。王命に叛いた事は許しがたし!』と仰られ、陛下は異を唱えませんでしたので『残念ですが、承知致しました。致し方ありますまい』と答えました」
「あはっ!」
 男はそれを聞いて笑う。
「そうか、わかったよ。君に罰を与えよとバイザー卿は仰せだったが止めよう。次の命令に備えて休むがいい。下がっていいよ、ヴァトリア将軍は、ね」
「は、では失礼致します」
 くすくす笑う男の書斎に女は背を向けた、かのように思われた。
「あはは!! 何だよ! その返事! あは、あははははは!!」
 男が笑い出した。思いっきり机を叩いている。
「そんなにおかしな事言ったかしら? っちょっと、笑いすぎ」
 女も今や肩の力を向いて男の机に腰掛けている。
「や、ごめん。陛下にまじめにそう言っちゃったの? レナ」
「そうよー? いけなかったかなぁ。ユナ、そんなにおかしい?」
 男と女は旧知の仲のようだった。男はここの主であり、女の主君だ。名をカトルアール・メ・ホドクラーという。
 まだ二十歳を超えたばかりの若者で爵位を戴くには若すぎる。だがカリスマ性にあふれているからか知らないがついてくる者は多い。
 外見も多少整って入るが美形という程でもなく、かといって醜いわけでもない。この国に多い赤茶の真直ぐな髪と黄緑色の明るい虹彩を持つ瞳はどちらかといえば人を安心させる部類に入る。
 彼は若くして数々の誉れを我が物とし、そして絶大な人気を得ていた。そんな彼と女将軍は親友でもあり、恋人でもある仲であった。カトルアールのことをユナと呼ぶのはただ一人、この女-レナード・N・ヴァトリアだけである。
 レナードはいかつい甲冑に全身を包まれているから判りにくいがとても柔らかい豊満な体つきをしている。引き締まった体は女としての魅力と将軍としての筋肉の両方がベストな割合で混在している、すなわちイイ身体(カラダ)を持っていた。
 レナードはユナ以外誰もいないのをいいことに重たい将軍職を象徴する甲冑を脱ぎ捨てその肉体美を露わにする。そのとたんに肩口より伸びた濃い金髪が流れ落ち、女性さが増した。
 女にしては硬質な金髪をユナは撫でると彼女のクリアグリーンの瞳はユナを映す。
「だってさー、陛下は怒ってた訳でしょう? なのに真面目に本当に正当な理由言っちゃう? ……普通言わないよー?」
「だってぇ、本当のことじゃない?」
「うそ、うそだぁ! レナ、僕のためにファキを生かしたね?」
 真剣に問いただすユナの黄緑色の目はレナに真実を話させてしまいそうだ。くすり、とレナは笑った。
 そこに突然の侵入者の来訪がドアを開ける音で知らされた。
「ただいまー」
「あれ? ……早いなぁ。もうっちっといるんじゃなかったの?」
「うん、ただいま、ネツァー。聞いたよ。ファキのこと」
 レナとユナの間に入ってきたのはケテルとティフェレト。ルステリカから馬車と飛ばして帰ってきたのだ。
「今、ユナにそれで叱られてたんだ。お帰り、ケテル。ティフェ」
 愛想よく出迎えるレナにケテルは笑顔を返し、ティフェは何も応えないがいつものことである。
「ただいま。ねぇ、ホド、頼みがあるんだよ」
「何?」
 なんでもないように余裕で笑っていてもケテルも注文はいつも無理難題ばかりだ。ユナ――つまりホドは空色の目に問う。
「ファキの生き残りが欲しい。ティフェの影を見つけた」
 満面の笑みに絶対の支配者たる傲慢な口元。ケテルが欲しいと言えばそれは必ず彼の元に手に入らなければならない。
 ユナも、レナもティフェもこうして今、ケテルの下(もと)にいる。ケテルが自分たちを望んだから、ここにいるのだ。
「ほぅ……それはそれは。どんな奴?」
「ティフェと同じ外見を持つ女で名前はキラ・ルーシ」
 レナとユナは思いっきりティフェの顔を眺めた。見慣れた顔にもかかわらず、その造形はいつ見ても美しい。思わず、ほぅ、とため息が出そうだった。
「どんな感じ? 自分の影って」
 レナが興味津々に尋ねると返答はあっけないものだった。
「ぼくは特に何も感じなかった。でも、ケテルが言うからそうなんだろうと思っただけ」
「ふ~ん、そう」
 レナはその答に不満足の様子だったがユナはティフェらしいと思った。彼が固執するものなんて在るほうが信じられない。彼はそういう生き方をする独特な感じを持つ青年だった。
「できるかな?」
 ケテルが確認して問う。
「我が主君のためならば、不可能も可能にしてみせましょう? それが僕の役目だからね」
 空色の瞳は満足して頷いた。
「さて、じゃ、何から取り掛かろうか……う~ん」
 ユナが考え始めると彼の目が左右に動く。熟考しているときのユナのくせだ。
「ホド、舞台はどこがいいだろう? 考えついたのは炎上がるファキ、憎悪渦巻く帝都、それからケゼルチェック、なんだけど……」
 ユナは思考から一時現実に帰還し、ケテルに言った。
「それは当然帝都でしょう! 僕らの最終目的地だからね。いずれどこを選ぼうともそれは途中経過にしかならないよ、なぜなら総ては最終章へと帰着するからね。……あぁ、でもいい事を思いついたよ、ケテル」
「何?」
 ユナは悪戯を思いついたような顔で無邪気な笑顔を浮かべる。
「影は本体に付き従うモノ。……おいで頂こう。ティフェの下に、ね。そして僕らは夢を見せてあげるといい」
「……夢?」
「影が来てからのお楽しみだよ、ケテルも参加するかい?」
「それは、ホドの考える芝居にかい?」
 ユナは笑う。
「さあ? ……途中参加も可だからね。見ているといい……」
 楽しみになったのか、満足したのか、ケテルは微笑んだ。
「とりあえず影は見張らないと逃してしまう。追跡者を出そうか。……今予定が空いてるのは……?」
 ケテルが代わりに言う。
「もうすぐゲヴラーとケセドが帰還するよ。コクマーはいつでも暇人ではある。僕はもう少し静観させてもらうからナシ。ティフェはどうする?」
「……どうでもいい」
「だと思った」
 ユナは考えがまとまったようだ。
「決まりだ、初手はゲヴラーとケセドに行ってもらおう。舞台は真実を知り、現実を知る、愚者の傍観するトコロ」
「……縁(えにし)たゆたう、帝都の入り口・サクト、か。いい設定だね。楽しみにしてるよ、ホド」
「御意」
 ケテルが満足して背を向ける。無言でティフェが付き従った。
 形式的に頭を下げたユナの顔に張り付くのは三日月型の口。悪意の渦中にある黄緑は爛々と輝いていた。

 馬は帝都に着いてから売却した。人が多い帝都では馬のような大型の物を連れるのは貴族くらいのものだ。
 馬はそこそこいい値で売れたので二人は帝都に着いてから金に余裕ができた。
「ここが、帝都……大きい」
 キラがほぅ、と溜息を漏らす。
「とりあえず地図だな。帝都はクルセスよりは狭いけど、俺たちは始めてここに来た訳だし、場所を把握しなきゃいけない」
「地図? どこに売っているの?」
「別に買わなくてもいいんじゃないか? 図書館とかに行って写せばいいだろ」
 キラは不服そうな顔をした。
「ナック、それ本気? 地図なんか私たち素人が書いて使える地図の訳ないじゃない」
「そっか、そうだな……」
 ナックはそう思った。なにせ、ナックは地図なんて書いたことは一度もない。
「でも、ナックの眼の付け所はいいと思う。地図は置いておくとしても、図書館には新聞があるかもしれないわ」
「新聞?」
 ナックはキラの考えがわからない。
「そうよ。ファキは滅ぼされたのよ。いくら田舎の小さな村だといっても第一軍の武器を作ってたんだから何かしらのニュースはあるでしょう?」
「成程! そういやそうだなぁ」
 ナックは感心してキラに笑いかけた。
「おい!! お触書をみたか?」
 あまりにも近くから声がしたものだからナックは自分に話しかけられているのだと思った。が、そういった男は自身の連れに話しかけていたのだった。
「あぁ、アレ。でもまだ警戒する必要はないんじゃない? ファキって遠いんでしょ?」
 連れの女は笑っていった。
「そうだな。でもよ、帝都の入り口で北に繋がってるのはここ、サクトしかないだろ?」
「そうね。まぁ、あと五日位したら入り口に軍人さんでも来るんじゃないの? それより今日はさぁ……」
 キラとナックの瞳が見開かれる。今、この男と女は何を言った!?
「あ、あのっ!」
 ナックは男の洋服の端を思わずつかんだ。
「あぁ??」
「今言ったこと、詳しく教えてください!」
「はぁ!? んだぁ、テメー」
 男は急に柄が悪くなったようにナックに言った。
「今、ファキがどうなったって言ったんですか!?」
「……何、あんたたち、まさか、ファキのやつ、じゃ……」
 女がナックの顔を見ていぶかしむ。
「あ、違うんです! 私たち旅をしてまして、以前ファキでお世話になった知り合いがいるものですから」
 キラが慌てて弁明した。
「あ、そゆこと。なんかね、ファキがこの前やられたんだよね、で、生き残りがいるからそれを見つけ次第軍に引き渡せっていう触書が、ねぇ?」
 女は男に小首をかしげて言った。
「そうそう、だからサクトに住んでる俺らは警戒してるって訳。その、知り合いとやらには残念だったけどな。まぁ、触書なさ、中央広場に掲示されてるから、見に行けよ」
 男はそう言って女を連れて去っていった。
「あ、ありがとうございました」
「いいって事よ~。あ、午後から……」
「やめなって、知り合いなんじゃ、気の毒だよ」
「?」
 男は罰の悪い顔で苦笑した。
「あ、ワリ、なんでもねぇや。じゃな」
 二人は顔を見合わせた。お互いに青い顔をしている。楽しかった旅行気分も今ではすっかりなくなった。
「行こう、中央広場に」
「うん」