毒薬試飲会 002

004

『どうも、お邪魔してすいませんでした! 初めまして、SHELLOWです。今聞いてくれた曲で、俺らの歌をいいと思ってくれたなら、別の場所でライブしますんで、聴きにきてください!!』
 その瞬間に画面を開いていた客全員に詳細を示す情報媒体が配られた。そこからほかの曲も試し聞きできるらしい。なぜか歌に完全に魅入られて、客は本来の目的のゲームのことを忘れているようだった。
「行くぜ?」
 猫はそう言って、客が騒然とする中をかき分けて、裏口へ向かった。人気がなくなり、殺気だった視線が向けられる中を猫は悠然と歩いていく。
「お疲れ」
「よ! チャシャ猫」
 それはSHELLOWが出る前のゲームをしていた勝者だった。確か、フェイとアラン。
「今回はすごかったな。みんなルルヴェにかけていたから、俺、大もうけだった。ありがとな」
「だろ~? フェイさんの策だよ。たまには魅せるゲームも必要だろうって」
「へぇ……」
 猫はフェイを覗き込む。迷惑そうにフェイが鼻を鳴らした。
「で? 今回は何の用なの?」
「残念。今回用があるのは、お前らのほうじゃなくて、ケイスケの方」
「ケイスケ?」
「そ。こちらの淑女がね、用なんだと」
 ふ~ん、と人を値踏みするかのように見つめてくるアラン。その視線がイラついた。
「お疲れ!!」
 アランの目線を避けるように下を向いていたら、アランの明るい声が響いた。
「次のライブも成功の予感!! まー、サンキュー、サンキュー、アラン」
 タクトが画面で見るよりも子供っぽく言った。
「……あれ、どなた?」
 タクトが気づいたように声をかける。
「ケイスケに用があるって……知り合いか?」
 アランが私が黙っていると、そう言ってくれた。
「……んー。知らないな。どなた? 俺になんか用ですか?」
 ジャッポーネにしては色素の薄い瞳が言い放つ。
「知らないだと!! 笑わせる!! 私のことを忘れたなどと!!」
 私はその場で発砲していた。六発、全弾打ち尽くして、目を開くと、影が7つ。誰も倒れていないことに驚いた。
「何でいきなり発砲?? ってか、まじめに誰ですか? あなた」
 ケイスケが言う。銃弾をどうやって避けたかはアランの靴底を見てわかった。
「女関係は面倒だって言ったの、ケイスケだぞぉ~?」
 茶化してタクトが笑う。
「まじで、知らない。ってか、日本の女とは縁は切ったし、ここに来てからは女を作ってない」
「俺も知らない。けーちゃんにはこんな彼女はいなかった」
 金髪のナナヤが言った。けーちゃんとはおそらく、ケイスケのことだろう。
「さ、舞台は整えてやったろ? 今度はお前が踊れよ、オキャクサマ」
 猫が笑った。その笑みに激昂しそうになる。
「お客さん、お名前は?」
 それまで黙って静観していたムツキが私に聞いてくる。私は、答えようとして、名前が分からないことに気付いた。
「あ……わたし、は!」
「やっぱり」
 ムツキが唸った。隣でなるほど、とフェイが頷いた。
「人形化(ドール)か。やっかいな」
「チェシャ猫、お前、分かってて連れてきたな」
「まぁね。これから、お前達の裏稼業が役立つかなぁと思ってさァ。俺、淑女には優しいから」
 猫の笑いにタクトが嘘ばっかし、と言った。
「よく聞いて下さい。貴女は、この地で誰かのドールにされています」
 ムツキが私に優しく言った。ドール??
「ドールはこの地では良く犯罪者が使う悪質な手さ。催眠と禁術を組み合わせて、その個人に別人格を植え付け、自分の代わりに動かす。でも、そんなに長く続かないから、指令が届かなくなった人間は何も考えられず、記憶を失くし、最悪なジャンキーより性質の悪い廃人を作り上げる。それがドールの末路」
 何を言ってるの? 私は……。
「でも貴女はまだ救いようがある。一回しか指令を受けていないなら、脳への負担は少ない。記憶は失くしてしまったけど、これから違う人生が歩める」
 私、そんな、私は、誰……?
「残念ながらそれを知る者は、いない」
 返して!! 私の人生を、記憶を返してよ!!
「ドールにされたってことは、お前がこの地で落ち度があったからだ。誰も責められない。自業自得だ」
「フェイさん、あんまりじゃ……」
 でも、私はこれでは、何が落ち度か、分からないのよ!! この地で、どうやって暮らしていけばいいの!? 私はこの地のことも何も、知らないのに!!
「そう、過去から何も学べないのでは、対策を練ることは不可能。お客様、ラッキーなのは、アンタがまだ、俺のお客様だってことだ。何をして欲しい?」
 猫が笑う。赤と黄色の瞳が尋ねる。
「教えて欲しいの。私の記憶を奪ったのが、私を違う人に変えてしまった者の、居場所が!」
「知ってどぉする~? 殺しに行く? でも、あんたの銃に、弾は入ってないね」
 知ってるわ。それでも……。
「もしさ、あんたの代わりにそいつのことぶっ飛ばして、アンタの記憶を取り戻してくれる商売してる奴が居たら、お前どうする? 頼むか? それなら、頼んでやるし、紹介してやるよ?」
 それは、あなたがその、私の記憶を奪い、人生を目茶苦茶にした奴を探し出して、その商売をしている人たちに頼んで、私の記憶を取り戻してくれるって事でいいのかしら?
「あァ。金はかかるけどね」
 お願いする!! お金はいくら掛かっても、お願い!
 猫は満足したように笑って、目線をタクトに向けた。
「どォも? ご利用ありがとうございまァす!」
 タクトが笑って言い、shellow全員が言った。
『盗み屋です』

 どぉも。本当に、かわいそうっすね。ドールにされちゃうなんて。
 たぶん、ケイスケを狙ってるんですから、あなたの記憶を奪った人間は、女でしょうね。おそらく。
 今となっては、何がなんだか、みんなわからないですよね?
 たぶん、ケイスケのことは知ってて、他のメンバーのことは知らなかったってことは、そいつ、禁術があんまし上手くないんですよ。だから、完全にドールに出来ていない。初心者の人形師(ドーラー)ですね。
 たぶん、簡単に、記憶を奪って、ケイスケを殺すって言う指令のみを植えつけたんでしょうね。だから指令が終ったら、ドール化も終った。
 体験しても分からないでしょうね。あなた、たぶん、この地の住人じゃないですよ。きっと善良な人なんでしょうね。だから、引っかかっちゃたんです。気にすることはないですよ。良くあることですもん。
「でも、貴方のペアの人はそう入ってなかったわよ」
 フェイさんは優しいんですよ。俺なんかより、ずっと。言葉で慰めることはいくらでもできます。でも、現実的に何も変わるわけじゃない。現実に目を向けさせてくれるフェイさんの言葉の方が優しさが見え隠れしてていいと思うんです。俺、口ばっかだから。
「あの、いろいろ、教えてくれる? あの人たちのこと」
 シェロウですか?
「そう。貴方、アランさん? 親しいみたいだから」
 あぁ、ええ。友達です。ジャッポーネ出身のロックバンドグループですよ。ロックばっかりうたっているわけじゃないですけどね。あいつらもジャッポーネでいろいろあったらしくて。それで自由に歌いたいってこっちに来たんです。そしたらもう、すごいのなんのって。
「ジャッポーネで、彼らに何があったの?」
 ジャッポーネって国は集団の国だから、違う概念では生きていけないんすよね。弾かれちゃって。人間ってのは、一人では生きていけないっすから。
 詳しくは、聞いてないんすけど、タクトが原因だったらしいです。あいつ、すっごい魅力的でしょう? で、その魅力で虜にしたのが、同じグループのムツキとタクトの実の兄。兄貴の方とは今はもう関係は切れてて、ムツキ一本らしいですが。ジャッポーネは同性愛とか認めない国柄ですから、生き難かったんじゃないでしょうか。
 そういえば、関係といえば、ナナヤとケイスケもそうですよ。だから余計あなたがケイスケを狙う理由はないんです。安心して下さい。
「ええ。人を殺さずに済んで、今は良かったと思ってるわ」
 ええ。人なんか殺さないのが一番すよね。あ、話ずれちゃいましたね。で、あいつらジャッポーネでいろいろあってこっちに来て一から始めたんす。
 音楽とかの芸術系はいくらここの技術が進んでるからって、感性の問題ですから、そんなに進歩してなくて、楽器なんか持ち込む古いやり方でも十分通用したんですよ。逆に進みすぎて音楽が薄っぺらいものになってたんです。そこに、あの魂を揺さぶるような音楽。ここの住民は虜になっちゃって。いっきにシェロウが有名になったんです。
 で、あのグループは作詞と作曲が毎回違うメンバーがやりますから音楽にマンネリがない。それも好かれる理由かな?
 でも、この地は金がないと何もできないですから、軍資金を集めるためにやってたのが『盗み屋』だったんです。モットーは「何でも盗んでみせる」。
 あいつらは情報も人間も物も何だって盗む依頼達成率90パーセントの盗み屋です。
 タクトはこの情報機器のネットの電子の世界において舐められがちな、物理的な活動をするのが役目です。昔の盗人みたいに家とかに侵入して物を盗むっていう、そういう仕事が担当です。小柄ですし、運動神経もいいらしいんで、ぴったりなんですよ。
 俺はタクトはスレイヴァントとしてゲームしたらけっこういいところまでいくと思うんですけどね。本人曰く、芸能人は見せなきゃで、顔が生命らしいです。怪我はしたくないんですね、きっと。
 ムツキはシェロウのリーダーでもあって、盗み屋でも計画をたてて、全般的なことをしてます。臨機応変に対応するのが役目です。
 ケイスケはこの世界でも通用するハッカーです。情報系でもケイスケは他に引けをとられません。電子系はケイスケの役目ですね。
 で、最後にナナヤは武器輸送機器全般の管理をしてます。そうやって事を有利に進めるんですね。あらゆる会社系にコネを持ってるのは意外とナナヤなんですよ。意外とハニーフェイスってやつで。
 で、この四人で盗み屋やってるんです。でも、本業は歌を歌うことですから、歌の仕事と被る時はこっちの依頼は断るし、危険なことはしない。そしてやっていいじゃんって言う、依頼内容じゃないと仕事を請けてくれないんです。それが盗み屋のモットー。
 たとえば、お客さんみたいなケースは依頼を受けてくれますけど、どう考えても一方的な誘拐とかは受けてくれないんです。司法国家出身だけありますよね。
「歌、もっとちゃんと聞いてればな。その時は……ドールだったからあまり聴いてなかったの。そんなに歌を大事に思ってて、いい歌なら聴いとけば良かった」
 いや、ドールの状態でそんなに身を入れて聴かない方が良かったと思いますよ。
「なぜ?」
 これは、フェイさんに聞いたんですけど、タクトの声は危険なんです。
「危険?」
 ちょっと前に流行ったですが、脳内麻薬って知ってます? そんな感じでタクトが本気で歌うと、人間が狂っちゃうんですって。
 本人達は全く気付いてないから言わないで欲しいんすけど、タクトが歌うと、禁世に響いちゃうんです。禁世に響くってことは、禁世をこっちに引き寄せるってことです。
 俺達、禁じられた遊びのゲーム者は禁世に徐々になれていきます。禁世ってのはこっちに無いものを作れるほどエネルギーに満ちた世界らしいんす。そのエネルギーがこっちに何にも身構えてない人にあたったら、その人はエネルギーを使って、本来の能力以上のことをしてしまう。麻薬みたいに簡単に廃人になってしまう。
 わかります? タクトの本気の歌声は、世界を揺るがすんですよ。
「そうなの……。怖いのね、この地って」
 ええ。ま、それだけ才能があるって事でもあるんですけど。
 でもタクトが本気で歌うのは感情が高ぶったときなんでライブが多いですから、さっきのでは大丈夫だったかもしんないですけど。

「おい、準備できたぜ」
 タクトが笑った。待たされていた間に猫は情報を売り、その情報からケイスケがネットに検索をかけて、ナナヤがコネを使い、タクトがその相手の所に入り込んで、そいつを拉致してきてくれるらしい。
 私の人生を奪ったのは、クルシュという人形師。その人形師を雇ったのは、ベルクルという女。
 ケイスケによれば、この女も知らないという。逆恨みだろう。よくある話だと聞いた。
 この地ではイカれた人間が多いから幻覚とかで簡単に人を恨む。冤罪で殺されるなんて事や、他人に責任を押し付けられて死亡、なんてのは笑い話にもならないほど溢れているという。
 何らかの理由でケイスケを好きになった女が狂って私を人形にし、暗殺をたくらんだのではないか、という話になった。
 その女と何を話すか、どんな制裁を加えてやろうか、と考えてはいなかった。でも人の人生を狂わせた罪を背負って貰いたいし、反省もして欲しかった。
 できれば、記憶も返して欲しい。だから、盗み屋を雇った。殺してもらうのではなく、罰を受けてもらうのではなく、私の人生を狂わせた女を盗んでもらう。
 女にどう罪を償ってもらうかは、会って決める。
「多額のお金を求められたらすぐには払えないわ。一門無しだから。でも、必ず働いて返すわ」
「ん」
 タクトは頷いた。そのタクトは今、黒衣を着て準備万端だった。髪が黒いせいで夜になれば目立たないことこの上ない。まぁ、この地に昼夜なんて概念は当にないんだけど。
 靴は足音を響かせないコルクでできた厚底のブーツ。腰には道具が下がった小さなポーチをつけている。私のためにタクトと猫、それにフェイが協力してくれるという。まぁ、お金は取られるけれど。
 アランは行きたがったが、動きが大振りなので音を立てるとタクトに拒否されていた。アランの方が黒髪で目立たないと思うのだが。
 猫は黒髪なので問題はない。そのことを指摘すると、髪だけが目立つ要素ではないと言われた。

 しばらくして、行ったときに聞こえていたナナヤの車のエンジン音が聞こえた。中から女、ベルクルを抱えて出てくる。成功したらしい。達成率90パーセントは伊達じゃないようだ。
「あなたが、ベルクル?」
 ケイスケは問う。ベルクルはケイスケに恨みがあるようで口も利かなかった。そして私を見て、表情を変えた。
「あぁ!! スティス!! 会いにきてくれたのね!!」
「スティス? あなた、私に何をしたかわかっているの?」
「スティス、やっぱりあの男を愛しているのね!! 私のことは愛していないの!!?」
 責めるようにまくし立てるベルクルに一同は困惑していた。ただ一人、チェシャ猫を除いて。
「ベルクル・シガーハット。俺はお前の願いを叶えてやったぜ? 金は振り込んどいてくれな」
「ええ。必ず」
「どういうことだよ!! チェシャ猫」
 アランが叫ぶ。アランを制してフェイが言った。
「金はこっちにも払ってくれるんだろうね? ミセス・シガーハット」
「スティスが迷惑をかけたなら、払うわ。当然のことですもの。安心して頂戴。後でここ宛に振り込み場所を指定しておいて。払っておくわ」
 それを聞いてフェイは頷き、文句を言いたげなアランを連れて去っていった。
「どゆこと??」
 状況を理解できないタクトにムツキが耳を寄せる。ケイスケはため息をついて説明してほしいか? と私に視線で問うてきた。わたしは頷く。
「シガーハットさんは貴女、スティスさんの恋人ですね?」
「うそ」
 信じられない。だって自分の記憶を奪った人間と、恋人?? しかも女で同性で??
「貴女は何かわかりませんが僕ら、SHELLOWを好きになった。あなたはきっと僕を好きになったんでしょう? 違いますか? シガーハットさん」
 ケイスケの問いにベルクルが唸る犬のように叫んだ。
「そうよ!! お前のせいで!! スティスは私を見てはくれなくなった!! 憎いわ、お前が!! 私からスティスを奪ったんですもの!! 死んでもいいと思ったのよ。そうしたらスティスが私に泣いて懇願したの、お願い、ケイスケを殺さないで!! って。だからスティスにもお仕置きをしてやろうと思ったのよ!!」
 私は絶句した。この女、狂っている。
「それで人形師を雇ったんですか?」
「そうよ!! 愛した男を殺したらドールが解けるようにしているの!」
「それでは、貴女は僕を殺さないと記憶は戻らないことになりますね……。どうしますか? スティスさん」
 ケイスケの目に同情の色が映っている。
「殺してよ、スティス。それでまた私と、愛を語り合いましょう?」
「ふざけないで!! な、何が愛よ!! 人の記憶を奪っておいて、何様よ!! あんたなんか、大嫌い!! もう、記憶が戻らなくても、いいわ。金輪際、私に近づかないでよ!!」
 激情のままに私は女に叫んだ。すると女はとても傷ついた顔をして、私を見上げ、その直後に憎悪に歪んだ顔を見せた。それは憎む相手がケイスケから私にシフトした瞬間だった。
「もう、いらないわァ」
「何ですって?」
「もう、私の物になんかならないスティスなんて、いらない!! でも、すっごく愛してるの。離れたくはないの。ねぇえ、大好き、スティス。だから」
 女が私に抱きついてくる。とっさのことに、私は動けなかった。
「私が」
 その瞬間、首に熱が生じた。
「食べてアゲル」
 タクトの目がまん丸に開かれている。猫は相変わらずにやにやしていた。ケイスケは目を背けている。
「手に入らないならァ、私のものにすればいいんだァ!! 一緒になろっ! スティス」
 血霧が辺りに飛び散った。タクトの顔が歪む。無言でそれを庇うムツキ。

 私は何故動けないの??
 身体が、熱い。熱があるのかしら??

 長い長い時間をかけて、ベルクル・シガーハットは愛する恋人、スティス・レンジスを貪り喰らった。
 首の大動脈に肉食動物に比べてとても鈍い犬歯が食い込み、血を啜り、ゆっくり嚥下する。そのまま、やわらかく、やさしく痙攣する恋人の皮を削ぎ、舐め、ゆっくり咀嚼した。
 首の骨を残して、衣服を剥ぎ取り、胸へ。生前のまま白い乳房を掴んで、その頂点の淡く色づく部分に唇を落とし、前歯で噛み千切る。そこから胸への食事が始まった。それから下へ下へ、食事が進んでいく。
 途中で耐えられなくなったタクトを連れて、シェロウはこの場を去り、チェシャ猫だけが、ベルクルの食事を最後まで見届けた。
 フェイはこの結末をわかっていたのだろう。だから、こんな女達の恋物語の結末を知る前に去ったのだ。
 哀れなスティスは最後には骨さえも噛み砕かれて、まるで一人の人間が一人の人間を食ったとは思えないほど、影も形もなく、食われた。
 怪物が丸呑みしたかのように、スティス個人を判断できる遺体らしきものは何もない。
 ベルクルは異常に、零したスティスの血さえも舐めとった。妙にドス黒い真っ赤なドレスを着て、野蛮な動物のように口元をいや、顔の半分以上を真っ赤に染め上げ、恋人と永遠に一緒だと、満足してベルクルは消えた。

 ――後には何も残ってはいない。

 まぁ、こんなことはよくはねぇけど、あることだよ。
 狂った愛なんて誰もが心の奥底に隠しているものサァ。気にすんなって。
 いきすぎだって? こういうことを留める人間の働きを理性って呼ぶんだぜ? でもさ、この地に理性なんてもんが存在してたら、仮にだぜ? 殺人も、ヤクも強姦もなんもかも起こらないぞ。ここはそんなことが起こることを容認、いや、違うな。自ら受け入れることによって栄えてきたんだ。
 人間ってのはな、おもしろいことにな、理性がぶっ千切れたときにだけすんげぇ能力を発揮するんだよ。理性はこの地では逆にお払い箱へポイな物だな。
 ダイジョウブ、こういう悲惨な人生を送るやつならこの地にはけっこういるもんだぁ。
 可哀相って感情はないのかってぇ?? ないさァ!! これも面白いお芝居みたいなものだもの。悲劇の舞台や物語を見るやつはこういう話が大好きじゃないのかイ? 違う?? そうかぁ?
 現実なるとびびっちゃうだけだろぉ? 楽しまないと、何事も、何事も。それがここでのルール。俺たちの、ルールさぁ!! ひゃっは~、狂っちゃえよ!! いいか、狂ったやつしかいえねぇ世の中ではなぁ、狂ってない正常な生き物が狂ってるって言われてんだ。
 人間は集団を作る生き物。集団に属さねば、生きていけないイキモノなんだ。集団に入るためには、郷に従え。狂ってしまえってね。それがここでの生き方ってもんだ。

 サァ、俺らと

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 狂ってしまえ??