毒薬試飲会 004

3.弗化水素 下

007

 這いつくばってでも、行かなくてはと思った。
 フェイさんが、待っているから。

 『毒薬試飲会』

 3.弗化水素・下

「あらぁ~? どうかなさったんですかぁ? ソレ」
 係員の女の子が笑って俺の腹をケラケラ笑った。痛ぇんだぞ、こんちくしょー。
「早くゲーム終らせないと本気で現実で死んじゃいますよぉ?」
「分かってる……アンタ、治療術式は?」
「いちおー、使えますよぉ? コレでも係員ですからぁ」
「止血だけしてくれないか?」
「いいですよぉ? 幾ら払ってくれますぅ?」
「幾らだ?」
「うぅ~んとぉ、ぢゃあ、今回のゲームに勝ったら、利益の0.5割くださぃ」
「暴利だな。いいよ。言い値で」
「はぁい。ありがとぉございますぅ!! ちゃんとしますよぉ、安心して、ゲーム楽しんでくださぁい」
 係員はにこやかに笑って、俺を所定の椅子に座らせると、肩にこのゲームシステムといえる機械を身体を接続する。
 肩に接続するのは身体を大きく動かすスレイヴァントだけだ。ドーミネーターは頭脳を使うので頭にもっと小型の機械を接続する。接続された瞬間に現実の感覚は消えうせる。
 まるで実際会場にいるかの如くに、感じる。やかましい女のアナウンス。見えないけど、頭上にはフェイさんがいるはずだ。
 三日も早まったゲームのおかげで今日はどう攻めるか、どんな感じで進めていくか何も話し合っていない。それどころか、相手のペアの分析さえする暇はなかった。フェイさんは少しでもしたんだろうか?
「奴隷、解放~~!!」
 瞬間拘束具が全て消えうせる。相手を見つめた。小柄な男が奴隷。フェイさんと同じくらい美形の男が敵の支配者!!
「ゲーム、スタートです!!」
 そのアナウンスと共にフェイさんとの通信が開通する。焦り、驚いたフェイさんの声がした。このこもる感じは、敵に聞こえないようにしている通信だ。
(アラン、どうした!?)
(なんでもないっす、それより、今日は相談できなかったんで、どう行きますか?)
(そんなことより、先に治すか?このゲーム内だけでも、楽になるだろうし……)
(そんな暇ないですよ)
「おぉっとぉ!? コレはどうしたことでしょう?? アラン、開始前から、腹部に深い傷を負っています!! 不利です! 何があったのでしょうか? フェイ、驚きを隠せないようです!! こ、これはぁ~、フェイ初の黒星なるかぁ??」
(ほら、ばれちゃいますから)
(アラン! だけど、お前)
 なかなか動かないオレらに痺れを切らしたのか、敵のスレイヴァントが突っ込んでくる。
『ど~したぁ? あぁ!!』
『うるせぇな』
 俺は相手に殴りかかる。その瞬間、ぐらっとめまいがした。忘れてた、前回のダメージが残っているんだっけ? おかげでヤツの拳は俺の怪我している腹に直撃。俺は避けられずに後方にぶっ飛んだ。
『アラン!!』
『何だ? 痛かったみてぇだなぁ? ハラどしたぁあ?』
『ハラ壊しただけだよ、ボケ』
 強がって言っても痛いものは痛い。そんな様子を優位ととったのか、敵方はにやついて笑う。チェシャ猫みたいでちょっとムカっときた。
『油断したんだろぉ? いつも親しくしているからって味方とは限らないぜぇ??』
『味方なんて思っちゃいねぇよ!』
 俺は悟られないように平然と言い返す。
『じゃぁ、トモダチかぁあ?  そういう風に思わせがちな奴だもんなー』
『友達と思ってたヤツに刺されるなんてここじゃ当たり前だ?忘れてたのかい?』
 くすくす笑いながら相手のペア同士で俺をバカにする。腹が立つよりこっちは出血が激しくて、相手にして入られない。早く決着させないと、貧血で倒れちまう。
 そんなことを考えていたら、フェイさんが口を開いた。
『そう。お前らか……。アランを刺させたな』
 フェイさんの静かな声が響く。結構怒ってるときの声だなって何となく思った。
『言いがかりはやめたまえよ、フェイ。勝手に君の奴隷がゲーム前にけがを負ったのを我々のせいにしないでくれたまえ』
『そうだぜ、迷惑だ』
『なるほど、皆お前の差し金か。ディロン。ゲーム日程が以上に早まったのも、全ては己が勝つためか。そこまでしないと勝てないのか?』
 フェイが言う。挑発ではない、事実を述べた。
『自分たちが勝てないときの言い訳は心の中にしまっておきたまえ』
『ナルシストも程々にしないとただの馬鹿だよ、ディロン』
『自分の方が醜いからって私の悪口を言うのはやめてもらえないか? 私のファンが悲しむのでね』
 ここまでくるとナルシストの域超えているな。
『ファンなんかいたっけ?』
 俺が言うと目の前の奴隷が怒鳴った。
『おまえ等モグリだな!! 俺らを知らないなんでよぉ!!』
『お前たちみたいな弱小ペア今まで目に入らなかったゼ。なんつー、名前だったかなぁ?』
 俺はフェイさんと違って、明らかな挑発だ。
『デディだ!! 撲殺のデディと無敵のディロン!!』
 なにその、無敵って……。馬鹿っぽい。よわっちいなぁ。
『デディ、ひがむヤツは幾らでもいる!! それらを華麗に倒すのが我々の役目だろう?』
『そーだな!! いっちょ、武器頼むゼィ!』
『あぁ!!』
「おぉっとォ!! ここでディロン、禁術を使います! 武器は何を持たせるのでしょうかぁぁ??」
 アナウンスが鳴り響く。この声をこんなにうるさいと思ったのは初めてだった。
(心配するな、アラン。負けたりはしない)
 フェイがこんなに力強く言ったのは初めてだった。
『我が憎悪で歪むのは、血の泉が其処にあるから。噴き上がれ、噴き上がれ……そなたは全ての死の具現!!』
 ディロンが禁術を完成させる。その刹那、アランの前で巨大な爆発が起こった。会場全てが熱風に曝されるほどの大爆発! これには誰もが目を覆った。自分たちでさえ、巻き込まれそうな爆発だった。
『アラン!!』
 フェイの悲鳴が初めて上った。どよどよと客が何があったのか見ようと、青い画面に指示を送る。
「おおっとォ、こ、これは、ひどいです!! 大爆発が起こったのはアランのすぐ傍! アラン、応答できません! アラン、初めて敵に一撃も入れられずに、死にましたぁぁああ!!」
 アランの体はまともなパーツが残っていないほど、悲惨な死体となっていた。下半身は爆発で既になく、辛うじて残っている上半身も、焼け焦げてアランかどううか、判別できない。フェイがその光景を何も言わずに見ている。
「フェイ、ここはどうでるか?? スレイヴァントは完全に沈黙! 蘇生しようにも、時間がかかりすぎます! 逆に敵であるペアにダメージは一つもありません!! フェイ、この試合、初めて勝ちを譲るのかぁ?」
『投降したまえよ、フェイ、君は我々に惨めに負けたのだからっ!!』
『そうだぜぇ? 奴隷がいなくてどうやって勝つんだぁ? テメ』
 普通ならみんなここで投降する。ドーミネーターだけで相手のスレイヴァントが残っている状況なら勝てる確率はわずか10%! しかも相手のペアにダメージは一つもない。
 フェイの追い込まれた状況は最悪といってもいい。アランを回復させるのしても、アランは爆発に巻き込まれて下半身がない。上半身も動かないだろう。彼の体を完全に再生するには時間が足りず、禁術が複雑すぎた。
 ここはランク4のゲーム。そんなことは強いフェイでも到底できないだろう。フェイは一人で無傷の相手を殺すしかない。誰もがフェイの投降を予測した。
『おまえ、殺してやるからな』
 静かにフェイが言った。
「フェイ、やる気です! 殺意十分! ゲームは圧倒的にフェイが不利のまま、続きます! フェイ、早速禁術を用いるようです! さて、何をどうしてくれるのか? フェイは勝てるのか??」
『吾が、全ての言の葉は短くして最大の鐘を鳴り響かせる。吾が、言葉はそなたの源』
 フェイは呟いた。しかし何も起こらない。構えていた、デディが叫んだ。
『脅しだけかぁあ? あぁ!? 口ほどにもねぇってのはこのことだなぁ、えぇ、オイ!!』
『そのようだな、デディ、華麗に彼を彼の奴隷と同じ場所に送ってやろうではないか!!』
『おうよ!!』
「ここで再び、ディロン、禁術を使います! 今度は何をするのでしょうか?」
『汝は殺人の種。大地に根付いて死の花を咲かせる、大虐殺の徒! 汝が名は、銃!!』
 すぅっと何もない空間から狩猟などで使う銃がデディの手に握られる。それを見ても、フェイは盾を作るわけでもなく、静観していた。
『オワリだぁ!!』
『どうかな? 汝は風、切り裂け! 心赴くままに、ただただ、切り裂け!!』
 フェイが言った瞬間に、デディの体が鮮血の花を咲かせる。デディの悲鳴が会場全体に響き渡った。
『デディ!! おのれ、フェイ! 何を!!』
『何を怒る? お前はアランの下半身を消し飛ばして、上半身は焼いて、どうしようもないくらいに殺したじゃないか? 全身を切り裂くくらいの仕返しはする権利が俺にはあるだろう? 俺、優しいなぁ。ホラ、まだ生かしてやってる。一発で殺してやることもできるんだぜ? ……切り裂け、もっと! もっとだ!!』
『ぐあああああぁぁあああ!!!!』
 デディの体が深く、長い切り傷を増やし、その度に鮮血が舞う。全身を斬られ、意識も朦朧とし、もう立ち上がれないデディにまだ、攻撃の手は緩まない。斬られる度に、ビクビクと痙攣するデディの体から急速に血の水溜りが広がっていく。
「デディ、止めることなき、フェイの禁術攻撃に耐えられません! デディ、完全に沈黙、応答できません! しかし、フェイの攻撃もまた止みません!!」
『もう、やめろ!!』
 ディロンが叫んだ。既にデディは死んでいる。それでもフェイは攻撃をやめない。ついにデディの手が度重なる攻撃によってちぎれた。
『何で? まだ、下半身取れてない』
 攻撃をやっと止めて、フェイが嗤った。
『あぁ、もう死んだな、じゃぁ……汝は火、爆ぜよ!』
 フェイが言い終わると、デディの体が着火、次には爆発を起こす! 爆発の余韻が消え去った時、デディはフェイの真下で倒れているアランと同じ状況になっていた。フェイの人が変わったかのような攻撃とその残虐性に会場の誰もが口を閉じて静かに画面だけを覗き込む。
『ま、待て! わ、わたしは!!』
『逃げるなんてナシだよ、ディロン? 俺を怒らせたんだ、責任取るのがカッコイイって言うんじゃないのか? ……汝の言の葉は響かない! 汝は口を閉じた腐った果実!』
 フェイの言葉に反応できないディロン。
「フェイ、ディロンの声を封じました! ドーミネーターの宣言で、ゲームを投降することが認められます。よって、ディロンはこのゲーム、降りることができません!!」
『どうやって殺したら、アランと同じ痛みを与えられるんだ? お前らみたいな奴はさァ、このゲームに参加する意味なんてあんのかなァって俺は思うワケ。俺は二度とお前らの顔見たくないしな……できるだけダメージが大きな殺し方をしようと思うんだぁ。なぁ、ディロン、たかがゲームだよ? ゲーム内の攻撃なら俺なんとも思わない。あぁ、フェアなのがいいって言ってるんじゃないぜ? でもなぁ……それなりの覚悟はしとけよってコトで……そろそろ死んどく?』
 フェイはしゃべれないディロンに死刑宣告をした。
『決めた。お前、全身を腐らせて死ねばいいよ! ……汝のは水、全てを溶かし、腐らせよ!!』
 ディロンの身の回りから一瞬にして透明な、水が出現する。その水はディロンを余すところなくシーツのように包み込み、ディロンがまず、酸欠で喘ぐ苦しい表情が映し出されると共に、その顔が絶叫の顔に取って代わる。
 声をフェイが封じたおかげで一切の無音のまま残虐な術がディロンを苦しめる。しばらくして透明の水が淡く色づいてくると本当に水がディロンを溶かしているのだと、悟らずにいられなくなった。その水は、みるみるうちに真っ赤に染まり、ディロンが見えなくなるほどに赤くなった。
 うっすら笑いながらフェイが相手の席の赤い塊を見ている。そうしてしばらく蠢いていた赤い塊は弾けるように急に空気中に消えてなくなった。そうして出てきた物体は、これまた全身を火傷のように溶かして真っ赤に染まった何か、であった。もちろんそれはディロンであったモノ。フェイが全身の表面だけをきれいに溶かした人間のなれはてだ。
「……ディロン、完全に沈黙! フェイ逆転の、しかも余裕の勝利です!! 今宵も生きた女神の口づけを!」
 解説の女も完全に引いている。しかしフェイの勝利宣言で会場の一切が消えうせ、ほっと安心の溜息がもれた。いくら非日常的でもグロテスクでもそうそうお目にかかることのできなかったゲームであった。

「お疲れィ」
 もちろん無傷で出てきたフェイをチェシャ猫が迎える。
「お前、よく俺の前に出てこれたな」
「なんのこと?」
「試合前にアランを刺したの、お前だろ」
 しばしの無音の空間が二人の間を流れる。
「ばれた? ……ま、俺何でも屋みたいなもんだし? 許して、な?」
「アランと同じくらい刺されるなら許してやってもいいよ?」
 フェイはチェシャ猫の腰にあるナイフを抜き取って首筋に当てた。
「あ、アレ? フェイさん、ちょっと、コレはアランよりもしかしてひどい状態になっちゃったりするんじゃ……?」
 慌てて言うチェシャ猫に満面の笑顔でフェイが言った。
「大丈夫、チャシャ猫。俺、お前にほんっとう感謝してるんだ。いつも勝ちに酔ってる俺たちの酔いを醒まそうとしてくれたんだよな? なんて友達がいのあるヤツなんだろう、お前って!」
「そ、そうか? う、うれしいなぁ……ははは」
 引きつった笑いに対するフェイの眼は氷よりも冷たい。
「だから安心しろ? すっぱり一度で頚動脈切ってやるから、な?」
「な? じゃねぇよ、死ぬ、いくらなんでも死ぬから!! イッっちゃってること言わないでクダサイ!!」
 ナイフを持つフェイの腕を必死で止めて、チェシャ猫は喚く。
「やー、こんな残酷な感じ久しぶりだから、今なら三人くらいなら殺せそうな感じで」
「あー、俺もそんなお前見るの久しぶりだよ!!」
 同じくらい笑って、チャェシャ猫がフェイの右腕を拘束する。
「何する気?」
「別にィ」
 フェイがチェシャ猫を睨みつける。その顔にもう笑みはない。殺気のみが残っている。
「んン! ンふゥ……!」
 殺気だったフェイを無視して強引にチェシャ猫はフェイに口付ける。フェイの口を難なく割り、舌を絡め、フェイの喘ぎを引き出す。フェイはますます殺気立ち、ナイフを本気で首筋に近づけたとき、もっと激しく、チェシャ猫が舌を絡める。フェイは酸欠に意識を持っていかれる。
「ア……ん」
 溢れた二人の唾液がフェイの口元から垂れ、感じ始めた声にチェシャ猫が口元だけでニヤリと笑う。それを自覚してフェイが赤くなった。チェシャ猫はしばらくフェイを口づけて唾液の糸を二人の間に垂らしつつ、ゆっくり離れた。フェイはチェシャ猫を睨みつける。
「……どうして、こんなことした?」
「殺戮に浸ってるお前が色っぽかったから」
「ふざけた理由だな」
「あと、お詫びをかねて。アランのことは本当に悪かったよ。反省してる」
 フェイはナイフをチェシャ猫に返して言った。
「どこがお詫びなんだよ」
「言ったろ? 俺のキスは銅貨三枚」
「ほぉ……。アランは銅貨三枚で刺されたワケ?」
「そういう訳じゃない。俺がな、驚いたのは、フェイ。お前がアランのことを大切にしてるってわかったからさ。あの、お前がよ? アランに聞いたらまだヤってないって話だが嘘かァ?」
 嫌悪感を露にしてフェイが言う。
「お前に言う義務はないんだよ」
 フェイは鼻を鳴らすをチェシャ猫の下を去ろうとした。
「オマエ、逃げてるだけなんだよ」
「何だって?」
 フェイは振り向いてチェシャ猫に向き合った。
「アランが大事なのはオマエが巻き込んじまったからだろ? そういうの、大切にしてるって言わねぇんだ」
「おいおい、おかしな話言うなよ。チェシャ猫がさっき、俺がアランを大切にしてるって言ったんだぞ」
 フェイの言葉に反論せず、チェシャ猫が次の言葉を紡ぐ。
「お前がアランに対して持っている感情はなぁ、同情って言うんだよ」
「俺がアランの何に同情しているって言うんだよ」
「なァ、フェイ。何でお前、禁じられた遊びから離れてないんだよ? 御狐(おきつね)サマに育てられたお前だ。何したって暮らしていけたハズだぞ? なんでまた禁じられた遊びに出てる?」
 フェイの顔が険しくなる。触れられたくない話題なのだ。
「どうしてアランと組んだ?」
「アランが誘ったからさ」
「誘われれば誰だってよかったのか?」
「それは……」
「アランだったから、とでも言うつもりかァ?」
 チェシャ猫がフェイの身体を床に押し倒す。馬乗りになってフェイに言った。
「似てたからだろ? アイツとアランが!!」
「……っ!」
「オマエ、逃げてるだけなんだ、アイツからじゃない。アイツを忘れられない自分から逃げてるんだろ? だから禁じられた遊び以外のことはできない、アラン以外と組めない、アランには抱かれないんだろ?」
 チェシャ猫が再びキスしようとするとフェイは顔を逸らして、拒絶する。
「……アイツが本心では忘れられない、忘れたくないからアイツ以外とキスするのが嫌なんだろ?」
 チェシャ猫は顔を離し、フェイの首に手を掛けた。
「俺にはここにまだ首輪が見えるぜ、フェイ」
「そんなハズ……ないんだ」
 フェイが呟いた。
「アランは本気でお前のこと、好きになってる。お前アランの夢、踏みにじろうとしてるんだぞ。アランに申し訳ないって思わないのかよ? このまま階層上れないことくらい、気付いてるだろ?」
「……わかってる。アランとはもともとランク3になったら別れるつもりだった」
 フェイは言う。チェシャ猫は頷いてフェイの上からどいてやる。
「でも、どうすんだ? お前、後2回で階層上るんだろ? アランには言ってあるのか?」
「ああ。そういう契約だ」
 チェシャ猫はフェイが立ち上がるのに手を貸して、ニヤっと笑った。
「どうすんだ、お前?」
「何を」
「お前があんな風にディロン殺したから、びびっちゃってお前ら不戦勝でランク上るっぽいぞ?」
 頭を抱えてフェイはチェシャ猫を睨んだ。
「お前、知ってたな? わざわざ忠告に来てくれるなんてなんて有難いんだ! お礼に一回殺していいか??」
 さらりとした笑顔でフェイがチェシャ猫の首に手を掛けた。
「ごあー!!」
「死にさらせ!」
 フェイはそう言って、怒って去って行った。ぴくぴくと痙攣したままチェシャ猫は動かなかった。

 俺は急がず、焦らず傷を治せたらしい。目覚めがすっきりしている。その時に目に入ったのは赤色。フェイさんだとすぐにわかった。
「気分は、平気か?」
 優しい声。俺がすぐに死んでしまったのを許してくれているようだった。
「はい。……死んじゃって、スイマセン」
「いい。あの怪我じゃな。しかも元凶いたことだしな」
「あ、チェシャ猫は……?」
 俺はふつふつと怒りを感じつつ言った。
「あー、しばらくは姿を見せないだろうな。悪い。お前が一番にアイツを刺したかったに違いないのにな。一回殺してきてやったんだ」
 さらりと言うから怖い。この人は、やっぱり怒らせてはいけないなぁと改めて思った。
「……俺、オマエが死んだ後な、キレちゃって、ちょっとグロい殺し方をしてな、それで……次の相手がビビってて……その、言いにくいんだが不戦勝で俺ら第三階層に上ることになったんだ」
「えぇ!!?」
「で、第三階層に行く前に……俺とした約束、覚えているか?」
 フェイさんが無表情で言うので、俺はどきりとした。
「……もう、お別れなんすか?」
「俺はもう、オマエとはゲームはしない。でも、いろいろ手続あるから、一緒に第三階層には上ってやるよ。お前の新しい相手が見つかるまでは、一緒にいる」
 俺は、言いたかった。そんな事いわずに、一緒にいてください、一緒にゲームしましょう。
「なんで、一緒にいてくれないんスか?」
「聞かないでくれ。理由は言えない」
「フェイさんにとって俺はなんだったんですか? この、一緒に過ごした時間は、何だったんですか?」
 俺は必死な顔をしていたんだろう。フェイさんは困った顔をしていた。
「……オマエと過ごした時間、とても、いや……すごく安心できる時間だったと思う」
「……安心て、なんすか? 俺は、貴方にとって安心できる存在だったんすか? 俺が、フェイさんを、好きだとか、性対象としてみている、とか、考えなかったんですか? 俺も……男ですよ?」
 フェイさんの顔が泣きそうに歪む。そのフェイさんの肩をつかんで、俺はフェイさんをベッドに押し倒した。抵抗されなかったせいで、フェイさんが俺を見上げた格好となった。
「……俺も、男だ、アラン。お前に抱かれたいとは……思えないだろ?」
 フェイさんは俺をそのようには見てないってことなんだ、俺が……。そう思った瞬間、フェイさんの肩にかけた両腕の力を込めて、その首筋に唇を寄せる。
「やめろ、アラン!!」
 フェイさんが俺の頭を叩いた。俺は口を離して、フェイさんを見つめる。
「もっと、本気で抵抗してくださいよ! じゃないと、俺!!」
 俺は興奮して、発狂してしまいそうで、フェイさんに抵抗されて、自分が攻撃されたらフェイさんを傷つけなくてすむ。そう思って叫んだ。
 ねぇ、抵抗して、本気で嫌がってよ。じゃなきゃ、俺、貴方になにするか……わからないよ?? 貴方がいないこれからの生活を、俺にどうやって生きていけっていうんだ。……それほどフェイさんのことが好きだった。大事だった。かけがえなかった。たった一年くらいしか、一緒にいなかったのに……。
「どうして、お前、俺が好きなんだよ?」
 フェイさんが聞いた。フェイさんは苦しげに訊く。
「なんでっ! 俺なんかが、好きなんだよ」
 フェイさんの顔が、俺の行動を留める。
「なんでってフェイさん……?」
「どうして、俺をそういう風に、見るんだよ。俺の顔がきれいだからか? 俺よりきれいな奴、いっぱいいるじゃなか?? きれいな女だってここには溢れてるだろ? 性格? 俺なんか最低じゃないか? 拾ってもらってやつに世話してもらって、自分の都合で捨ててるんだ。最悪以外のなんなんだよ? なんで、俺なんだ!」
 フェイさんは最後のほうは叫ぶように言っていた。アランは驚いた。フェイはアランの向ける感情を理解できないようだった。一緒にすごして、とても幸せだった。願わくば、ずっと一緒にいたい。それが理解できないのだろうか?
 ただ、ひとつわかった。フェイはアランを嫌っているのではない。アランの気持ちを嫌がっているわけではない。……アランは確信は持てないが、こう思ってしまった。
 ――この人、自分に愛情を向けられるのが、怖いんだ……。
「アラン、お前、俺が好きなの?」
 視線を逸らしたまま、フェイさんは呟く。
「ハイ。好きです、貴方の事が」
「やめとけ。俺なんか、好きになるなよ。お前、もったいない。エーシャナだって、今のお前見たら悲しむぞ」
「どうしてですか?」
 フェイは答えない。しかし、アランを押しのけて、ベッドから離れて立つとアランに向かって言った。
「アラン、お前、血約結びたいって言ったな? 俺と」
「はい」
「お前に教えてやろう。禁じられた遊びという名がついているこのゲームの本当の危険さを」
「え……?」
 フェイはそう言うと、アランにこう言った。
「第三階層で別れる前に、お前に俺が教えてやる。だから上ろう、次のステージに」
 フェイが病室の扉を開けて、姿を消す。
「すべてはそれからだ」
 病室に何がなんだかわからないまま、ただアランが残される。フェイが取り乱す原因はアランが向けた愛なのか、それとも血約なのか、はたまた禁じられた遊びなのか、わからなかった。

 チェシャ猫は病室の外でにやにや笑いつつ、二人のやり取りを盗み聞きしていたようだった。フェイはそれを睨んで、顎でチェシャ猫をしゃくる。くすくす笑うチェシャ猫は足音を立てずにフェイの後についていった。
 禁じられた遊びの選手控え室兼病室から離れた二人は向かい合う。
「お前に言われずとも、アランとは別れる」
「ああ、聞いてたぜ?」
 チェシャ猫は盗み聞きしていたことを悪びれもせず言う。
「お前……なんで今回、俺の味方をした?」
 フェイはにやつくチェシャ猫を睨んで問うた。
「今回? どういう意味だよ。俺、アラン刺したぜぇ?」
「そうじゃない。……どうして、あんなはした金で俺を隠してくれる?」
「あぁ、そっちかぁ。いいじゃねぇの。俺の気まぐれってことでさァ」
「よくないだろ。はっきりさせとかなきゃいけない。お前は、俺をアイツから隠してくれているのに、アランと血約を結ばせようとしたりして、お前の行動が……俺に何をさせたいのかわからない。お前、俺の味方か、それとも違うのか……?」
 フェイの気を落ち着かせるようにチェシャ猫は軽く、トンとフェイの眼帯を人差し指で押した。ハッとしてフェイが黙りこむ。
「それはァ、俺がお前の眼帯の理由を知っているからかァ?」
 フェイは俯いた。
「……」
「安心しろって。お前のことは悪いようにはしない」
「……チェシャ猫を信じるなんて、アリスだってしなかった愚かな事だ」
「お前がアリスなら、とっくにお前は泣き疲れて、涙も枯れて、眠っているよ」
「誰が、泣くか!」
 フェイはそこで肩の力を抜いて、ふっと苦笑した。
「まぁ、いいよ。なるようにしか、ならないさ」
 フェイはそう言って、チェシャ猫の元を離れた。フェイの姿が見えなくなって、チェシャ猫はつぶやく。
「お前は、今でも泣いてるよ。赤い、血まみれのアリスちゃん」
 呟いたあとに、ニィっと口元を吊り上げてチェシャ猫は笑い、鼻歌を歌い始めた。そのチェシャ猫の外見が劇的に変化する。
 黒い髪は白髪に近いアイボリーカラーに。赤い左目は青色に、黄色い右目はエメラルドグリーンに。茶色の上着は深紅に変わり、変わっていないのは、紫の猫耳と尻尾、そして顔のペイント位だ。
「第三階層かぁ、なつかしいなァ……」
 鼻歌を歌いながら歩くチェシャ猫は先ほどとはまったく別人のようだ。
「さァてとー。たぁのしィなー」
 無邪気な声を残してその姿は解けるように消えていく。

 病室から出てアランは電球の明るさに目がくらんだ。そしてフェイの言ったことを思い出す。
 フェイのことが気になる。何をしていたのか、名前は何なのか、すべてが。

 ――貴方は、まるで、毒。
 気づかぬうちに私の中に入り込んで、私を堕落させ、腐らせる。
 そして私は貴方の甘い毒の酷い痛みなしでは、生きてはいけなくなってしまうのでしょう……。

 次の舞台は第三階層、第四階層よりも危険は少ないが、狂ったヤツらが日々遊ぶ、快楽の土地の中心。

 それぞれの思いを乗せて、狂ったお話は、さらに狂っていくのでしょうか?