毒薬試飲会 006

5.鈴蘭 上

011

「料金プランはどうしましょうか?」
 イモムシが妖艶に微笑んで俺を誘うかのように尋ねてくる。
「最上級だ」
 俺の代わりか、先にチェシャ猫が応える。
「あらァ、アンタにしては太っ腹ねェ」
「約束したからな。ゲームに勝ったらフェイの過去を教えてやるってなァ」

 「毒薬試飲会」

 5.鈴蘭 上

 アランは突然の事態を夢だと思った。しかしこれは現実。イモムシの店の奥、プライベートルームのベッドで寝ていることが一番の現実。
 それはフェイさんがいないということ。フェイさんがあの男に連れて行かれたということ。
 それは突然だった。別れは覚悟していた。だから再び逢う事を望んだ。フェイさんは頷いてくれた。また逢える、だからしばしの別れだと。
 ……しかし、こんな別れ方は想像していなかった。あまりにも唐突で、あまりにも残酷だ。
「よォ」
「……チェシャ猫……」
「お前は第四階層でのラストゲームちゃんと勝ったしな、約束だ。フェイ、いやイリヤの過去を教えてやる。だからお前をここに連れてきた」
 俺が何を望んでいるかわかったらしい。俺はあの男への怒りとフェイさんを喪失して困惑していた。
「イモムシ、金は俺が払う。だからお前が教えてやれ」
「ええ、構いませんとも」
 二人の間で成り立つ会話にアランが疑問符を浮かべていてもお構いなしに話は進む。
「どうしましょうか? どこから知りたいのかしら、この坊やは。イリヤの全て? 生まれた瞬間から? それとも生まれる以前の関係性から? ノワールと出会う前? 出会った後? 御狐さまに拾われる前、後? 坊やに出会う前……区切りはいくつかあるわ」
「御狐さまに拾われてからが妥当だろう、それ以外は関係ない。イリヤの全てを教えてやる必要だって無いしなァ」
「そうね。人の歩んできた道を勝手に知るんですもの。全てを背負うにはこの子にはまだ覚悟がなさすぎるワ。そこで契約成立ね」
「ああ」
 チェシャ猫が頷くとイモムシはアランの方を覗き込んで、こう言った?
「本当に知りたい? イリヤの過去を? イリヤとノワールの関係を」
「ああ!」
 そこだけは譲れない。ノワールという男だけは許せない!
「わかったわ」
 イモムシはアランの胸を軽く押して、再びベッドに寝かせると、傍にあった水パイプの煙を深く吸い込んだ。味を楽しむかの様に長いこと煙を吸っている。いつ紫煙を吐き出すのかと思えば、吸い込んだまま呼吸を止め、そのままアランに己の唇を押し付けた。
 困惑と驚きにアランの目が見開かれるが構わず、そのまま深く口づけて自分の吸った紫煙をアランの中にゆっくり吐き出した。抵抗するアランをシカトして、イモムシは息を全て吐き出した。その証拠にアランの胸が膨らむ。
「げほっ」
 唇を話した瞬間にアランが咳き込む。妖艶にイモムシは微笑んだ。
「望むコトをすべて観ていらっしゃい」
 イモムシにそういわれた瞬間にアランには強烈な眠気が襲う。目も開けられない。そうしてたった3秒でアランは眠りの世界に落ちていった。まるで麻酔のように。

 第五階層ロサンゼルスアベニュー、第四階層インディーストリート、第三階層チャイナストリート。そこの裏通りには普通に人間を売買する店がいくつも立ち並ぶ。
 奴隷市などではない。物を売り買いするのと同じで人間を取り扱う店なのだ。店に入るといくつかの椅子とカウンター、それに壁一面に張り巡らされた写真だけがある。その写真には一枚に付きナンバーが振られていて、その写真の顔を見て、満足したらその写真の番号をカウンターの店番に言いつける。
 すると奥の扉を開けてくれて、もっと広い倉庫のような場所に連れて行かれる。商品の棚のように横一列に巨大な棚が並んでいて、その棚には小さな窓が棚の一面に付き20個くらいある。その窓をよく覗いてみると人がはいっていることがわかる。狭くて小さい、ペットショップのゲージのようなものに人間が入っているのだ。それが永遠にある。
 特殊な薬品なのか術なのか店によってまちまちだが売られる人間はその狭いゲージの中で死んだように動かない。眠っている。店番は暗証番号を押し、ゲージのロックを解いてゲージを引き出しのように手前に出し、中の人間を見せてくれるのだ。そこで満足すれば、そのままお買い上げ。値段交渉が始められる。生きている状態が知りたければ首輪と手錠をかけた状態で起こしてくれる。そこで気に入ればまたお買い上げ。
 レンタルを取り扱っている店もある。また、お試し期間がある店だってある。店にも依るが様々な人間を取り扱っていたり、女しかいなかったり特殊な訓練をつんだ人間しかおかない店もあって、自分の欲しいタイプの人間を求めることができる。
 値段もまちまち。安い人間もいれば、手に届かない人間もいる。
 そんな店の一つに半年に一回、足しげく通う者がいた。それは第二階層ジャッポーネアベニューの中でも高級街、花街と呼ばれる場所の最高級の店の主・御狐(おきつね)さまだ。彼女の目当ては必ず子供。性別は関係ない。見目麗しく、一級品の男娼、娼婦に育て上げるためその才能、可能性ある子供を金に惜しみなく買っていく。
 店に入って御狐さまは店の壁中に張り巡らされた写真を眺めた。そうして隣に影のように付き従う黒い男に声を掛ける。男は頷いたり首を振ったりして写真を真剣に眺めたあとにカウンターで10名ほどナンバーを言った。店番は女で、お得意様である御狐さまをとても丁寧に裏へ案内する。
 引き出しを開けてもらい、それぞれ確認すると御狐さまは赤髪の子供を含む3人を買い取った。

 ――そうしてイリヤは店の主人・御狐さまに買われた。

 深い眠りについたアランを見て母親のようにイモムシは微笑みを浮かべる。
「実際、どこまで見せてやるんだ?」
「アンタに言った全てよ。御狐さまに拾われてからのイリヤの全てを」
 互いに向き合ったチェシャ猫とイモムシの間に今は笑みはない。いつもの軽薄なチェシャ猫の笑みもイモムシの妖艶な微笑みも、全て。
「お前の能力は、恐ろしいものがあるな」
「でもあたしはこれしかできないのよ」
「……俺の過去でさえお前は求められたら教えてしまうんだよな……それがお前の本質だ」
 イモムシは下を向いてしばらく無言になる。
「あんたの過去なんて誰にも教えないわ。教えたって面白いものでもないじゃない?」
 今度はチェシャ猫が無言になったあと、ぽつりと言った。
「そうだな。イリヤに比べれば激動の人生じゃない」
「あたしたちは人生なんて……そんなもの、ないわよ。ただ、だらだらと生きているだけ。そうでしょ?」
「ああ」
「どうして人は落ちてはいけない深みに自分で堕ちていってしまうのかしら。馬鹿よね」
「……ああ」
 チェシャ猫は低い声でただそれだけを言った。
「ねぇ、あんたはチェシャ猫じゃなかったら何になりたかった?」
「普通に、普通に……快楽の土地にいなくてもよかったな。普通の人間としてつまらない歴史にも残らず、誰のキオクにも残らない……そんな生を受けたかった、のかもしれないな。意外と」
「今死ねば……叶う望みね」
 悲しそうにイモムシが笑う。
「今、死ねれば……でも俺は今に満足している。俺が自分で望んだ事だしな……所詮、チェシャ猫がお似合いなのさ」
「あたしもよ、イモムシ以外には所詮、なれないんだわ」
「……そうだな。俺達はワンダーランドの住人。アリスが目覚めない限り、俺達は自由になれない」
「そう。あたしもいかれ帽子やも三月ウサギもハートの女王も白兎もみ~んな、狂ったまんま、ね」
「ああ。無為に時を過ごすだけ……」
 二人は無言のまま、何かを堪えるような表情だった。

 ジャッポーネアベニュー、通称日本街。日本は極東に位置する島国だ。国土は狭いが多彩な文化を持っている。だからジャッポーネアベニューには日本の過去に時代全てが詰まっている。
 花町があるのは日本の江戸時代の文化を色濃く残したからだが、現在の日本文化も合わさった場所になっていた。花街の店はただのこの快楽の土地にある店のようなものではなく、『遊郭』と別の名称を持ち、技も仕草も値段も一級品の店が立ち並ぶ。
 その中でも最高級のおもてなしをする事で有名なのが女主人・御狐さまの店『翹揺亭(げんげてい)』である。
 翹揺亭には大人子供合わせて200人以上が働いている。翹揺亭は遊郭の中でもひときわ大きく、美しい外見の建物で、様式は日本風。建物はすべて木でできていることで有名である。色を売る商売をしているのが200人中80人。

 翹揺亭に入った子供が最初に受ける教育は自分の立場を自覚する事。どういった経緯で売られていたのかは知らないが、翹揺亭に買われ、翹揺亭でいずれ色を売る者として働く事を義務付けられている事。
 この土地では普通に行われる人身売買だが、自分が買われたことを良しとしない子供は当然反抗する。しかし翹揺亭ではそんなことはない。洗脳やヤクで子供を従わせたりはしない。今いる大人たちが愛を持って子供に接し、まるで家族のように育つのだ。
 この土地ではありえない接し方。最初は反抗していた子供も一年、二年と翹揺亭で過ごし、自分の立場を理解する頃には翹揺亭に買い取られ、教育を受けられることを誇りに思うようになる。それが長年、最高級の看板を掲げてきた翹揺亭・御狐さまの教育方針だった。
 翹揺亭は一つの大きな家族のようなものだ。皆が皆を知っている。翹揺亭は御狐さまが買い取った子供を育てる事で働く者をそのものの一生をかけてゆっくり大事に育てるからこそ愛と忠誠心と礼儀が備わるのだ。
 普通の店はこんな非効率な事はしない。最初は皆色を売る者をして教育されるが成長につれそのものの才能を御狐さまは見抜いてくる。最終的に残った子供の数は年に片手で足りる数しか育たない。他の子供は色を売る者の世話係りとなって働く。
 一生を翹揺亭で働き、暮らすことを強いられているのに誰も文句を言わない。皆がこの環境を愛しているという、一種の洗脳のような日常が翹揺亭にはあった。
 そして翹揺亭にいる子供が逃げ出さない最大の理由は15にならないと御狐さまは客を取らせないことだ。十分に色を売るという未知の世界への覚悟を決めさせておくのだ。
 14までの子供は性別を隠し全員女として先輩にあたる男娼、娼婦の座敷での手伝いをする。この役目を負った子供を翹揺亭では「お稚児」と呼んでいた。日本語として「稚児」はそのような意味を持たない場合が多いが翹揺亭ではそういう意味を持っていた。
 お稚児は15になって初めて一人前になり、自らの性別を明かすことができる。14になるとお客から金を賭けてもらい掛け金が一番高いお客に初物を捧げるのが決まりだった。
 お客は好みのお稚児の初物を欲しがる。それと同時に始めてお稚児が少年か少女かわかるギャンブルも楽しめるのだ。これが翹揺亭ならではのことで、人気の原因の一つである。
 他の店はどこもこんな真似はしない。初物を売り物にするならば処女膜を再び金をかけて復元すればいいのだ。
 しかし翹揺亭のお稚児の初物は一度きり。御狐さまはそんなことはさせない。御狐さまは色を売る仕事に誇りを持っていた。金だけがすべてではないとも言い聞かせてある。

 入矢(イリヤ)も翹揺亭の決まりごとに漏れず、翹揺亭の一員としてそのことを誇りに思っていた。いずれ翹揺亭のために一人前の立派な色を売る者になる、そう思っている。
 同い年のお稚児はそろそろ成人が控えていることもあって、たった4人になってしまった。最初は6倍くらいの人数がいたのに。入矢の下の年のお稚児はもっといたが今は2人。まだ入矢の年の方が多い。
 同い年のお稚児は入矢と雪乃(ユキノ)、咲哉(サクヤ)、洸(ホノカ)の4人。入矢は今13である。翹揺亭では買い取られた月を誕生月と定めている。だから同い年と御狐さまに言われても入矢だけがまだ13で、他のみなは14になっている。
 お客の掛け金も日に日に跳ね上がっている。一番人気は洸。次が咲哉、雪乃と続く。入矢が14になったらどの程度までいくんだろうか。楽しみだった。
 入矢が御狐さまに買われたのは4つのとき。10年間御狐さまの下で育ち、様々な事を学んだ。日常的に必要な知識は勿論、お稚児として必要な芸、礼儀、学問、時には寝間作法をも学んだ。寝間作法とは翹揺亭秘伝のテクニックの数々で客を満足させるための下半身による奉仕だ。これがおろそかなら美形がそろっている翹揺亭では指名してもらえない。
 あとこの土地柄、中にはヤクの類で無理矢理しようとするやつもいるのでヤクや媚薬たぐいにも強くなるため、最悪なのは一週間媚薬を飲んで通常生活をするなんてのもあった。おかげでここらで売っている媚薬は翹揺亭の者は効かない。
 あと魅せ方だ。客がいっきにいきたいのかじっくりしたいのかによって魅せ方を変えニーズに応えるのも大切。そして客の話をじっくり聞くのだって仕事。あらゆる客と話すには幅広い知識が必要なので翹揺亭のお稚児は学問の時間が結構多い。
 その分、翹揺亭でなくとも生きていけると思う。そしてそれに伴う技術とここの土地で引けをとらないさまざまな芸を叩き込まれた。翹揺亭の男娼、娼婦はそこらの者より数倍頭もいいし技もある。でも誰も文句を言わない。
 そりゃつらくて愚痴をこぼす事はあるが最終的にはちゃんとしてしまう。御狐さまが何を望んでどのように育って欲しいのか日々大切に教えてくださるからだ。

「入矢と洸は今日は佐久にいさんのお部屋のお手伝いへいってくれ」
「はい、渉にいさん」
「咲哉と雪乃は京香ねえさんのところへ」
「はい、綾ねえさん」
「未知と亜優李(あゆり)は蘭ねえさんのところへ」
「はい、綾ねえさん」
 早朝、この土地の人間は誰も起きだす時間ではない、そんな時間にお稚児の一日ははじまる。何人という男娼、娼婦の仕事管理を行っている渉(わたる)にいさんと綾ねえさんのところに伺い、仕事を頂くのだ。
 お稚児には正確に言うと二種類あって色を売っている兄さん姉さん方の手伝いができるのはお稚児の中でも御狐さまに許可されたものだけ。客の目の前に出れるようになるには様々な知識と技を会得しないと出してもらえない。この許可が初物を売る成人までに下りないと、色を売る仕事には付けず、料理番になったり世話係になったりと違う仕事を回される。
 御狐さまは子供に色を売る仕事をさせるために教育を施すので皆がそうなりたいと努力する。でも叶わない子供の方が多い。そう考えると入矢は幸せ者だ。でも落ち零れた子供を見捨てたりはしない。御狐さまは裏方の仕事の尊さも教えてくれる。
 支援する側に回る事だって名誉な事だと、この翹揺亭にいる者でいらない仕事は一つもない。全てが重要でなくてはならないものと教え込まれる。
 色を売る者が華やかに美しく商売できるのはお針子が仕立てた美しい着物を着て、化粧係がいてくれるから。部屋が小奇麗なのは掃除番、疲れたり客をおろそかにしないで済むのは時計係がいるからだ。
「洸、今日切る着物は何色にする?」
「佐久にいさんは青色をお召しになることが多いから薄い浅葱かな」
「じゃ、帯は朽葉だと暗すぎるかな……黄色でいいか」
「白でもいいんじゃないかなー。ほら薄い緑ですかし模様が入ったやつ、手鞠からもらったでしょ?」
「あー、あれ綺麗だよな」
 二人はそう話しながら佐久にいさんのところへ向かっていた。洸は見事な金髪に青い目の女の子。年は入矢と同い年だ。一番仲がよくて、お互いで知らぬところなどない。入矢はよく洸と寝間作法を学んだだけあって恥ずかしい部分も知っている仲だった。
「佐久にいさん、失礼します」
 翹揺亭で4番の人気の男娼、佐久(さく)はアジア系の美男子で、漆黒の髪と目、雪のような白い肌を持っていた。その佐久の接客部屋の前で二人は頭を下げたまま座る。
「おー、入んなー」
 中から麗人に似合わぬ明るい声が聞こえた。その声が聞こえてから二人は頭を上げる。この礼も翹揺亭ならではの身に染込んだ決まりごとだ。
「おはようございます、佐久にいさん」
「今日の俺の担当稚児は洸と入矢か。よろしくな。今日は俺のお得意様が来るから気合入れてくれな。俺は今日、あの着物着る。お前たちは赤を着ろ。久々に女になっちゃるかんなー」
「へぇ! 女形ですか」
 入矢が感嘆の声を上げた。男娼は成人すれば男と知られているが男性の客の好みに合わせて女装、つまり女形を演じることがしばしばある。佐久は男でも色が女以上にあるので女形はやらないのだがお得意様に頼まれたら断った方が翹揺亭の名が廃る! と意気込んでいるようだ。
「舞でも舞われますか? 楽曲は?」
「そうだな……。ブラウンさまは何が好みかな……。夕までに考えておくよ。でもお前らなんでもできるだろ?」
「はい、一通りは」
「じゃ、大丈夫だ。安心しとけ……で、久々に今日は蜜時を入れるからな。お前ら今晩ウラの仕事は入っているだろう? 渉に聞いた」
「はい。後任は夢が勤めることになっております。早朝には我らも帰ってこれますから、大丈夫かと」
「ん。励めよ。俺も今回終わったらウラに回るんだ」
「そうですか……それで女形を?」
 佐久は照れくさそうに笑った。そうではないらしい。単純に今晩の客が好きなのだろう。
「でも佐久にいさん、おれらのために蜜時を? 申し訳ありません」
「気にすんな。俺だって色売ってんだ。抱かれるのはキライじゃない」
「やっぱり気持ちいいものですか? だって男に抱かれるのって結構キツイって黒鶴(こくつる)にいさんに聞いたんですけど……」
 入矢の言葉を笑い飛ばして佐久は耳を寄せて入矢に囁いた。
「最初はな、めっちゃいてーよ?」
「ええっ!?」
「嘘だ。自信持てよ。御狐さまに認められてお稚児やってんだろぉ? あ、でも初物のあとの寝間作法の方がキツイぞ。性感帯開発が一番。女より男の方が直結するからな。容赦ないぞ、あれ枯れるまで責められて、俺なんか性感帯開発ぶっ続けで32時間やられた。時間かかるぞぉ??」
「32時間!!?」
「かからなかった方だ。相手はにいさん方だからな。あのテクでいじいじイジられる。俺32時間で何回イったんだろー。覚えてねーや」
 声も出なかった。恐ろしい……。上半身いや、身体の性感帯開発は恐ろしかった。思い出すだけで汗が出てくる。具体的に何をされるかは、伏せておこう。
「あの……それって女もやるんですよね?」
「もちろんだ、洸。ホラでも女は妊娠の可能性あるだろ? だからそうでもない」
「ひー!!」
 入矢が悲鳴を上げる。それを聞いて佐久と洸が笑った。
「ま、黒鶴は普段ヤる方が多いからだと思うぜ? 忘れてんだろ、感触を。俺だって黒鶴とやりてーとは思わないかんなー。あ、でも寝間作法でおれアイツ、イかしたことあるぜ?」
「えー! あの黒鶴にいさんを? すごいですね、佐久にいさん」
 二人で感動してしまった。黒鶴とは12番人気の男娼で彼を求めてくる客はほとんど女性である。彼に抱かれる事を望んでいるのだ。しかし女性客と同じくらい男性客も彼を求めてくる。その場合、佐久とは違って抱かれる事を望んでいる客が多い。故に黒鶴は攻めキングである、と稚児には認識されているのであった。
「なぁに言ってんだよぉ? 俺は攻める方もいけるクチだ」
 偉そうに踏ん反り返って笑う佐久に二人も笑う。しかし彼が言う事は事実で彼に抱かれる事を目的に多くの女性客もまた、集まる。
「じゃ、次は開店2時間前には来い。10時には蜜時に入らせる。お前らは3時にも少なくとも帰ってきておけ、怪しまれるからな。今回の仕事は?」
「暗殺です」
「じゃ、そんなに時間かからないだろう。マッドハッターとかちあったら譲っておけ。お前らじゃまだ時間がかかりすぎる。仕事が暗殺なら目的は一緒な事だしな」
「はい、わかりました」
 二人して礼をし、部屋を下がる。そう、翹揺亭のもう一つの顔は暗殺を主とする裏稼業だ。暗殺や情報収集など表立ってやれないことを行っている。お稚児になるための条件の一つはウラ仕事がこなせるようになる事だ。その仕事が当たり前にこなせるようになるまでお稚児にはなれない。
 実は翹揺亭の収入のほぼ70%を占めるのがこのウラ稼業で、男娼、娼婦はウラ稼業のエキスパートだ。他の職人にウラ稼業ができない人間がいないかというとそうでもないが、男娼、娼婦より忙しい身の上なので時間が取れない場合が多いのだ。
 お稚児である洸と入矢ももちろんウラ稼業を手伝っている。その技能はプロの者より優れている。この第二階層で翹揺亭のウラ稼業に優る腕を持った者はイカれ帽子屋、通称マッドハッターと三月ウサギのペアを含む両手で数えられるほどの暗殺者くらいしかいない。でもヤツらの強さは本当に狂っているとしか思えないので、論外といってもいい。
 時々第三階層から女王が来たりするが、彼女は気まぐれすぎるので、また論外である。

「入矢」
 佐久にいさんの部屋を辞去した時、時ねえさんから声をかけられた。
「時ねえさん」
「入矢に小さなオキャクサマよ。仲いいわね」
 くすくす笑って指差された部屋を覗くと入矢より少し年上の子供が座っていた。
「ノワール」
 入矢が笑いながら入っていく。ノワールは入矢より年上の少年で、黒髪に黒い目を持つが、西洋系――スレイヴ系の顔立ちをしており、整った顔立ちをしている。
「今日も相変わらず綺麗だね、入矢。洸も」
「ありがと」
 洸が笑って入矢に目配せすると部屋を出て行った。
「今日は? お仕事で寄ったの?」
「うん。契(ちぎり)さんと星埜(ほしの)さんは今年で翹揺亭を去るみたい」
「そう、なんだ。……ざんねんだな」
 そう、色を売る者は限界がある。老いて醜くなってしまえば客足は途絶えてしまう。だからその前に伴侶を決めて身請けするか、ノワールのところにお邪魔するか、裏方の仕事をするか決めなければいけない。ノワールの家はそんな男娼、娼婦を買い取ってくれる。
「この前のゲーム、観たよ。すごかったね! 禁術はもう全部使えるの?」
「うん。大体は。ランク1の禁術も使えるよ。ちょっとなら、ね」
「すごいじゃない。お父様のお仕事、いつでも継げるね」
 ノワールの家は禁じられた遊びのスレイヴァントを育成して売るのを生業にしている。金持ちの中には禁じられた遊びを見て賭けるだけじゃ満足できないヤツがいて、大抵やってみたがる。しかし一緒に組んでくれるスレイヴァントがいないのだ。自分で見つけても自分が勝てるようになるまで育つスレイヴァントはいない。負けるためにゲームをするような人間はいない。金持ちだって当然勝ちたいのだ。
 そんな金持ちのためにある程度育ったスレイヴァントを売る。するとドーミネーターとしては全然弱い金持ちでもランクが低ければスレイヴァントの力で勝てるゲームもいくつかある。そのためのスレイヴァント育成だ。そういう意味ではウラ稼業で鍛えられた翹揺亭の男娼、娼婦はノワールの家では重宝されている。
 禁術に対してのやり方さえ教えてしまえばすぐにでも売り物になるからだである。ウラ稼業を行ってきた翹揺亭の男娼、娼婦は身体能力が優れている。
「ああ。入矢もその時が来たら、俺のところに来てよ? 入矢、強いんだろ?」
「どうかな? 洸の方が強いと思うんだけれど」
 そこは言葉を濁しておいた。いくらウラ稼業のことを知っているノワールにでもそんなに強いとか弱いとかは教えられない。
「ね、この前話したこと、絶対、なんだろうね?」
 ノワールが低い声でそう切り出した。
「うん。大丈夫だよ。私が14になったら初物をどなたに差し上げるか決める掛け金を受け付けるから、それでノワールが一番多く掛けてくれたら、私の初物はノワールのもの。子供ってことは関係ないよ。御狐さまもそう仰った」
「そう。よかった。私が一番多かったら、入矢は私のものだね」
「う、うん。でも、なんかお情けみたいでちょっとね」
 入矢とノワールは友達だ。親友に近い関係だと思っている。その親友に抱かれるとは、なんか同情されているようでちょっと、入矢には複雑だ。
「そんなことない! 私は入矢を愛しているんだ!」
「ありがとう、ノワール。あ、私そろそろ準備があるから行くね。今度は日曜に来て。一日非番なの。一緒に遊ぼう? ……あ、ゲームの予定ある?」
「大丈夫だ、じゃ、お仕事頑張れ」
「うん」
 入矢とノワールがはじめて会ったのは入矢が8つ、ノワールが13の時だった。その時はノワールは父親の仕事をようやく本気で手伝い始めたばかりで、その時も父親に付いて来て、翹揺亭にやってきていた。まだお稚児にもなっていなかった入矢と偶然出会い、意気投合した。
 そこから親友の付き合いになり、父親の代わりに翹揺亭に来るときは大抵入矢のところに寄って帰っていった。話すのは他愛のない話ばかり。それでも二人は楽しかった。