021
ハーンは大人の男だった。多少のことでは動じないというか、アランを的確に導いてくれる。入矢とは別の意味で強い人なのだろう。
「よォ」
チェシャ猫はいつもそうだが、声から先に聞こえてきて後で体が浮かび上がってくる。一体どうやっているんだか、いつまで経ってもつかめないヤツだ。
「久しいな、チェシャ猫」
ハーンは既に顔なじみのようで手を上げて挨拶する。
「入矢に憎しみを抱いているお二人さんにご朗報~! 入矢とノワールが禁じられた遊びに復帰するぜェ。リアルタイムで見たいだろォ? わざわざお届けにあがったのさァ」
携帯端子を新たなアランの住処兼ハーンの現住処にある大きめのプロジェクターに接続すると、今まさに始まろうとしていた禁じられた遊びの風景が映し出される。
基本的に禁じられた遊びはランクが高いほど下のランクのゲームを観戦できる仕組みなのでアランが第三階層にいる限り第二階層の入矢とノワールのゲームは見ることができない。チェシャ猫はわざわざ持ってきたのはそういう理由だ。
「これが、ランク2のゲーム……」
雰囲気が違う。観客は同じでも戦う場所が小奇麗だ。右側の椅子に座っているのはノワールだ。余裕そうな笑みを浮かべて相手のドーミネーターを観察している。
「さァ! 今宵のゲームは一味違うよォ!! なんとぉー、あの、伝説のツイン! ノワールとイリヤが帰ってきたよぉ! 今宵、勝利の女神はどちらに口付けるのか!!」
「伝説って……」
アランが言うと真剣な目をしたハーンが言った。
「ノワールと入矢はランク2で10指に入る強いツインだった。第一階層、ランク1への到達も可能と言われていたほどだ。だから二人が禁じられた遊びから消えたことを誰もが不思議に思った」
「フェイ、入矢は本当にスレイヴァントなのか……?」
アランにとってはドーミネーターとしての記憶しかない。いつも安心させてくれて自分の支えになってくれたフェイ。その彼が今回いや、今まで椅子に座らず高みから見下ろすことなく戦っていたことがアランにはにわかに信じがたい。
「今、座っているノワールはなんなんだよ」
ハーンがそうつぶやいた。殺された、ということは二人の戦いを知っているのだろう。
「さァ、対しますのはぁー、コキューアとクーヘムアのツイン。以前の雪辱を今日こそ返さん! 二人は一度負けたことを糧に今までのし上がってきたヨ! さぁ、このゲーム、注目です! サァ、皆さん、ベット(賭けて)!! ベット!」
「どっちが勝つ?」
アランの問にハーンは即答した。
「ノワールだ」
「あらあら~ん、ノワールの方が劣勢ねェ。それも仕方ないかしらぁ~? ブランク1年は大きいもの。さぁ、実際はどう傾くかしら? いよいよ、お待ちかね! 奴隷のご入来~~ん!!」
次の瞬間、鎖の音と共に二人の男が現れる。ノワールの下、鎖に全身を巻かれた赤い頭髪。入矢だった。漆黒のスレイヴァントの衣装を身に付け、開放の時を待っている。
「皆様、待ちきれないご様子ねー。じゃ、奴隷解放と行きましょうかぁあ~ん!!」
澄んだ金属音が響いて鎖のビジョンが消えていく。紛れもなく現れたのは入矢。鎖が完全に消えたのを察知してゆっくりと入矢が目を開ける。
「え!」
入矢は左目はアランが見慣れた緑色だったが右目は澄んだ美しい淡い青色にだったのだ。アランは眼帯をしておた入矢しか知らないが過去の入矢は両目緑色だったはず。
「血約の呪い」
ハーンが重く呟いた。瞼にはあのときのように何かの模様が刻まれたままだ。ハーンが言ったのと同時に会場がざわつく。
「あらぁ。これは入矢、ノワールと一度決裂した様子~ん。血約の呪いが刻まれていますわん。そんな状態でもゲームの復帰はなるのかなぁ? これは注目の一戦となりました。サァ、みなさま、お待ちかね!! 今宵のゲーム、スタートですっ!!」
そう言った瞬間に入矢の身体はすでに敵の背後へ。
アランは目を見張った。入矢がドーミネーターをしていた時も入矢はいつだって冷静だった。しかしスレイヴァントとして戦っている今、どちらかといえばそれは冷静さというよりかは冷たさを感じる。暗殺者のような相手を仕留める直前のような冷ややかな目をしていた。
「アラン、頭に叩き込め。これが俺達が越えなければならない、勝たなくてはならない相手だ」
入矢が背後に回りこんだのを察知した敵側のスレイヴァントも入矢の速さに瞬時に対応できる。姿がブレて消えたかのように見えるほどの速さ。これは動体視力が悪いと見えない速さの戦いだ。
これがランク2のゲーム。スレイヴァントが持つ基本的な速度領域。到底アランが持ち得ないものだ。いつの間にか二人のスレイヴァントには剣が握られている。アランが目を見張ったのを感じたのか画面から目を逸らさずにハーンが説明してくれる。
「ランク2ではランク4以下の禁術は簡易で行うのが常套。言葉で発するほど隙も時間も不利になる」
入矢は剣を巧みに使う。しかしよっぽど速いのか、音が聞こえてこない。無音の間に剣が何度も閃いていた。剣を使うだけじゃない。脚ももう片方の手も相手の隙あれば使って攻撃する。それでもお互いにダメージはない。入矢はそれを理解したのか、剣を振りかぶって激突した力を反動させて一気に後方に下がり、また駆け出した。その手に剣はもう握られていない。
『我が言の葉は、急ぎ紡がれるものである』
入矢の好戦的な姿勢はドーミネーターのときとは反対だ。積極的に相手に攻撃を仕掛けている。
『力は我に味方せよ』
相手のスレイヴァントもまた、唱え始める。それを見て、ノワール、コキューア双方ドーミネーターもまた動き出す。ノワールはあくまでも傲慢な態度で、コキューアは勝利を求めて貪欲に互いに無言の禁術が行われる。それを感知するのも発動するのも同時。
スケールは双方を巻き込むのではないかというほど規模で行われた。会場が一瞬で炎と氷に包まれる。攻撃の中心にいたスレイヴァント達はその攻撃を難なくかわし、まだ攻撃を継続していた。
『我が姿は二重影、三重影、四重影、五重影、六重影、永遠に影を連ね束ねるものへと変化する』
『すべてを爆砕する神の吐息よ、我に吹け』
スレイヴァントが言った瞬間にドーミネーターも巻き込む攻撃禁術が発動。クーヘムアの攻撃はまるで竜巻。モロそれをくらって入矢の身体は宙に浮き、そのまま吹き飛ばされる。風速が速いこの風に乗れば激突した時は即死、いや身体さえも残らない衝突になるだろう。
その風は竜巻が移動するかのように移動してノワールをも巻き込んだ。だがノワールの周りだけは無風のようにノワールの髪を一筋さえも揺らがせない。これがノワールの実力。
吹き飛ばされた入矢は風が周囲の壁に激突したことで死んだかのように見えたが風が止んだ時、クーヘムアの目の前で鎌を振り上げていた。その鎌を避けるクーヘムア。攻撃が直撃するとは思っていなかったらしい。対応は迅速で冷静だった。
「ありえない! 直撃したのに」
アランは思わず見入ってしまった。次の瞬間入矢が無事だった理由を理解する。黒いシミが持ち上がるかのようにクーヘムアと戦っている入矢とは別の入矢が黒いシミから生まれ動き出した。
「やはりランク2まで使いこなすか……入矢」
ハーンが呟いた。あんな禁術アランは初めて見た。黒いシミはいくつも立ち上がりいたるところで鎌を振り上げる。クーヘムアは一編に6人の入矢と戦うハメになった。そのうちの一体がコキューアの椅子まで跳躍する。
「相変わらずの跳躍力。チェシャ猫、今でも入矢のアレは最高か?」
「あァ。入矢の最大の武器と言えるな。コキューア、クーヘムアは一回戦ってるが入矢のアレを喰らっていない。喰らったのはお前のベネルだけだ」
「あれ?」
「今回出すと思うか?」
「イヤァ、出さねーだろ。ノワールが指示しねェと入矢はやんねェ。コイツらにそこまでする気はねェな、今の状況では」
「そうか」
「今のアイツらの信頼関係では出せない技だしな」
アランにはさっぱりわからない話題だが入矢は一撃必殺の技を持っているということだけわかった。コキューアの椅子の上に造作もなく着地した入矢は鎌を振り上げる。鎌がその瞬間分解していき、入矢の身体も貫かれた。貫かれた入矢の身体は黒い液体のようになって椅子の下に落下した。その液体がずるずると目指す場所がある。
『本体はそこか!』
コキューアが叫んだ先にはクーヘムアと戦う複数の入矢が存在する。この禁術は自分の影を分裂させて望む姿に見せかけ操るもの。本体でなければ影として入矢のもとに戻る禁術。倒された影が戻る先に本体がいる。その瞬間、一斉に入矢が消えた。気づけば一人しか入矢はいない。だがコキューアの背後から立ち上る黒い液体。
『本体を自ら晒して特攻か! 愚かな』
影と入れ替わるかのように現れた入矢に向かってコキューアが攻撃する。入矢の首を貫いたコキューアは満足した笑みを浮かべた。頭から先に血を噴き出して落下する入矢の躯。しかし次の瞬間、コキューアの首が空中を飛んだ。
『コキューアさま!!』
『誰も入矢の影なんて言ってないよ』
ノワールが微笑みを浮かべてそう言った。入矢は躯のみ残った台座に立っている。平等な高さにある入矢とノワールの目線が交錯した。勝利したのにお互いに喜びはない。それが彼らのスタンス。
「なぁんと! さすがノワール! 圧勝です!! 今宵、女神はノワールに復活の口づけを贈りましたぁああ!! 再びノワールに敗れました、コキューア。三度目の挑戦はあるのか否か!」
「……どうなってんだ?」
アランが呟いた。霞のように4人の姿が消えていく。歓声に包まれた会場は未だに熱気に満ちている。そこでチェシャ猫が端末を引き抜いた。画像は一瞬で消え去る。
「おまえ、わかんないだろ? どうやってノワールが勝ったか?」
「ああ」
アランの答えを聞いて解説しようとしたハーンにチェシャ猫は録画された先程のゲームが入っている情報端子を代わりに差し込んで無言で二人のやり取りを聞く体勢になった。
「ランク2のゲームがランク3以下のゲームと大きく異なるのは禁術の使い方だ。ランク2ではスレイヴァントも当たり前に禁術を使う。ドーミネーターは簡易術式って方法でラストスペルを省略して禁術を発動させる。さっきのゲームでもランク2の常套手段が使われた」
ハーンはそう言って二人のゲームを巻き戻す。入矢が禁術のスペルを言ったところだった。
「ここで禁術を発動したのは入矢じゃない。ノワールだ」
「え? じゃあ。一体……?」
「そもそも入矢が発動させようとしていた禁術は影を操る禁術で、自分の影を分裂させ、影に自分の姿を与えて攻撃させるもの。入矢はこの術を発動して自分を複数造り、同時に攻撃させた。一回目のコキューアの攻撃はもちろんフェイク。入矢が簡単にあの高さにある椅子を狙えることを示すためのものだ。相手はそれによって入矢の跳躍力を気にする」
ランク2のゲームは椅子の高さも高くなっていた。あれでスレイヴァントの動きがドーミネーターに見えるんだろうか? それとも見えないことを前提にゲームをより面白くさせるためのものかもしれない。それを難なく入矢は跳んで見せた。確かに直接攻撃される恐れを抱いて当然だ。
「その影の動きがより禁術を発動したのが入矢と思い込ませる。実は禁術を発動したのはノワールだ。入矢は禁力召喚をしていない。スペルを唱えただけ。ノワールが入矢の影を操り、入矢の実体を持たせた。俺も最初騙されたよ。てっきり入矢が発動したと思っていた。入矢ならできてしまうと思わせることが目的だった」
「あの竜巻はどうやって避けたんだ?」
気になっていたことを訊くとハーンは話を中断して答えてくれた。
「入矢なら避けられる。ってか風に遊ばれたりしないんだよ。仮にされたとしてもノワールがどうとでもする。見てみな」
ハーンは映像をポーズにしてくれる。そこには竜巻にのみこまれている赤い髪の入矢とノワールの椅子に平然と立っている入矢の二人が映されていた。
「影?」
「違う。このときまだ禁術は発動していない。これはこっちが映像を解析してないから入矢の移動速度に映像が追いついていないだけ。一瞬で移動したってことだ」
「嘘だろ……どうやってだよ」
「それができるからランク2の10指に入るツインなんだろ? ランク2の頂点から10組だぞ。強さは例えるなら神だ」
呆然とするアランに話戻るぞ、と言って先程の続きを語り始める。
「ノワールはあえて入矢の位置を示し、狙わせたことで焦った入矢が特攻のように先程と同じ攻撃をしてくると思い込ませた。そしてまた入矢が倒される。このとき、入矢は密かに移動している。ノワールは入矢の影を全て使ったと思わせたがクーヘムアの相手をしている入矢もまた入矢の影だ。本体はどこにいたかというと……」
ここにいる、と言って違う画面がポーズされた。クーヘムアもコキューアも二人とも特攻する入矢に目を奪われて椅子の真下にいる入矢に気づいていない。勝利を確信した、少なくとも入矢を倒したと思われた瞬間に真下の入矢本人が跳躍。首を刎ねた。
「じゃ、最後のノワールの言葉は? それに特攻攻撃する時は影だったんだから本体は別ってどうして気づかないんだよ」
「あの禁術はドッペルと呼ばれるものだ。ドッペルは影と本体の位置を交換することができる。おそらくクーヘムアの攻撃を利用してノワールは入矢がドッペルと立ち代っていると思わせた」
アランが直撃し、竜巻に巻き込まれた入矢が逃れているとは思えないと感じたように二人もそう思ったに違いない。攻撃をまともに喰らった入矢が生きている、すなわち影と立ち代ったのだと思わせた。
「そしてノワールの最後の言葉は……今まで説明した禁術は入矢の影を使ったんではないってこと。検証してないからわからないけど、ノワール自身の影、もしくはコキューアの影を使った攻撃だった可能性もある。禁術、影、敵意を薄れさせるために」
アランには意味がわからなかった。なぜ入矢の影ではいけないのか。なにを騙されたのか。
「ノワール以上に禁術において騙しが上手いドーミネーターはそうそういない。今回も入矢が禁術を使ったと思わせて実はノワールだったとか、よくやる。入矢が攻撃してるなら入矢をとめればいい。だがそう思っていたら実はそれが罠だった。ランク2では禁じられた遊びは殺し合いのゲームじゃない。知略戦だ。……アラン、どうしてランク2のゲームでは解説者がいないかわかるか?」
そういえばゲームに集中していたがアナウンスの女は解説を一切していなかった。
「あのアナウンスの人たちは優秀な元禁じられた遊びの参加者。禁術の気配を察知するのに長け、的確にお客さんに教える。でもランク2ではそうも行かない。騙し合いしているのにそれを邪魔するような解説は不要だし、ランク3以下なら守れた自分の身がランク2では危ういから、ゲーム中は一切関わらない。それに客もそれを求めない」
アレだけの禁術攻撃だ。当然巻き込まれるだろう。納得した。
「なぁ、なんで入矢の影を操っただけじゃだめなんだ?」
「最後のノワールのセリフだな。影はダメージを受けないんわけじゃない。じわじわと受ける。アレだけの影を作って攻撃されたり影を消された入矢は後々影、すなわち自分自身にダメージが返ってくる。それを見越して、もしくは敵を欺く事で戦力を削ごうとしたんだろう。たぶん、影にはコキューア、クーヘムア両人の影が巧みに気配を変えられて使われていたはず。もし攻撃が決まらないで長引けば、二人はダメージでちょっと不利ってことだ」
ノワールの先を見通す力、それに応えるだけの戦力を持つ入矢。二人の強さを見た気がしたアランだった。ランク2の禁じられた遊びはレベルが違う。あれに追いつけるのか?
「違うぜェ」
今まで黙っていたチェシャ猫が哂った。
「ノワールは保険をかけるようなゲームはしないタイプだ。保険をかけるくらいなら負けをあっさり認める。それがノワール。特に入矢とのゲームなら。……ノワールが最後に言った意味を教えてやろう」
チェシャ猫はそう言ってゲーム画面を戻した。
「今回のゲームはノワールが禁術を使ったのはたったの一回だけ。でもそれは一撃でコキューアを殺せる禁術だった。お前の予想とは違う。入矢が最後の一回以外はすべて禁術発動を行った」
チェシャ猫はニヤニヤ笑う。その笑みはアランたちではなく、ノワールに見せているように画面を覗き込んで目を細めた。
「今回のゲームは解析しても無駄。ノワールはこのゲームで常時自分の禁力を解放していた。普通ならそんな無駄、ってかわざと負けるような行為はしねェが、ノワールは復活戦の初っ端は勝つことに拘った。自分と入矢が一年前となんら変わらないことを見せ付けるために、な」
ハーンがそこでチェシャ猫に問うた。
「では解析しても辺りはノワールの禁力で無駄に満ちている、と?」
「そうさァ。入矢が禁術を使えることをわからせて、尚且つどっちが使ったか、タイミングが読めないように特定されないようにして、自分たちの実力を黙したワケだ」
「それってノワールは入矢が禁術を使える可能性を示唆しておきながらノワールか入矢かどっちが使ったかわからなくさせようって、そういう魂胆なのか?」
アランの問にチェシャ猫は頷いた。
「そうすれば次からノワールも入矢も警戒される。どの程度防げばいいのか、どっちに集中すればいいのか相手サンがよめなくなるからな」
ハーンが補足するように言った。本当にランク2は知略戦だ。
「ドッペルの禁術。これはァ自分の影を複数に分割してそれぞれに指令を下し、操る禁術。ランク2の禁術で入矢は今回6体の影を操って見せた。つまり入矢はお前と禁じられた遊びにドーミネーターとして出ることで入矢自身の禁術の幅を一気に広げたんだな」
「利用されたってことか?」
「そうじゃねェ。入矢の成長値が高かったってことだナ。ま、それはいいとして、竜巻を避けたのは入矢自身の身体能力の高さだ。ドッペルは影が受けたダメージはいずれ自分に返ってくる。入矢はそれを危惧した。だから大きな攻撃は影も喰らっていない。あとで見直してみな」
「普通、この術はドーミネーターが使う。大きく動き回るスレイヴァントには影を制御できないから。入矢はそれをこなした。それだけ余裕があったってことだろう」
ハーンは唸った。予想外に入矢が強くなっているらしい。アランの支配者になったことで。
「入矢はおそらくこのままドッペルを使ったままじわじわクーヘムアを追い詰めていく予定だったに違いない。さすがの入矢でも直接ランク2のドーミネーターに攻撃はしない。弱ってもいないのに。ここでノワールが命じたんだろう。そのまま入矢はノワールの命じるままに影を一つに集め、それで特攻をかけた。でも、このとき入矢はコキューアの真下に待機している。どうなってるか? このときを誰にも悟らせないためにノワールは自分の禁力を振りまいた」
禁力は放出する事ができる。禁じられた遊びを録画し、解析作業にまわすと、各個人の禁力を映像に組み込むことで誰がいつどのように禁力を使ったかわかるのだ。禁力が色の付いた煙のように現れると思ってくれればいい。
禁じられた遊びの解析はこうされる。それを避ける、誰が禁術を使ったか、どうしていたかそれをわからなくさせるには禁力を大量に放出し続ければいい。そうすれば解析画面ではその者の禁力しか映らない。
「ノワールは入矢に影を残すように言った。ドッペルを発動したまま入矢は全ての影をコキューアの特攻に使わせ、特攻が失敗する前にノワールの禁術が発動した。よく考えればわかるはず。影は持ち主の能力以上のものを持つ事は出来ない。この場にドーミネーター席まで一気に跳躍できる力はあるのは入矢だけ。他の影だと跳ぶ事ができない」
「そうか……」
ハーンが納得し、すぐ青くなった。
「そうだ。ノワールは禁じられた遊びならランク2の禁術さえ簡易術式を行う」
「信じられない。じゃ、ランク1の禁術も使えるってことじゃないか……!」
「そうさァ。ノワールは入矢の一件で禁世と深く交わった。血約を結んだ身だ。入矢が成長したようにノワールもまた成長したのさァ」
「何が、どうなっているんだ? ノワールは何をしたんだ?」
まだわからないアランが問うとチェシャ猫が語り出す。
「ノワールは交換の禁術を使った。全ての力が必要な難易度の高いランク2の禁術だ。つまり入矢の影が切り裂かれる瞬間にノワールはコキューア自身を入矢の影と交換した」
「じゃ、あそこで首を落とされたのはコキューア? でもんで発動をそんなにタイミングよくできる?」
「それは、このセリフだろ?」
チェシャ猫は映像をまき戻した。
『我が言の葉は、急ぎ紡がれるものである』
入矢が最初に禁術発動の宣言で言ったスペルである。
「このスペルは自分が禁術のスペルを曖昧にして効果を早めたい時に一番最初に宣言するものだ。これによって一瞬で入矢がドッペルとして影を複数立ち上げた、そう思わせた。でもちゃんと聴けば入矢は最初から6つの影を出す事を宣言している。竜巻に巻き込まれた直後に一気に6体発動したのは入矢の禁術形成速度が速いからだ。それはアランも知ってるだろう?」
アランは頷いた。入矢の禁術形成速度は速い、そう身を持って知っている。
「そうだ、これは二段術式の布石。すべて最後のノワールのために入矢が予め宣言したものだ。ノワールはこれを利用してすぐに自分が望むタイミングで禁術が影響するようにしたのさァ」
「ラストスペルを唱えていないのに?」
「そう、それが簡易術式。入矢のあのスペルで曖昧でも禁術はその効力を発揮する。ちなみに最後入矢が首を切った瞬間に椅子の上に現れたのもノワールが次回からのゲームを見越してのフェイクだ。入矢の実態が斬ったかのように見せたかったのさ。最後に印象的なセリフを吐けば、もう誰もこのゲームで本当に起こったことがわからないってスンポー」
笑顔で解説終了とチェシャ猫が告げた。
「ならどうしてお前はわかったんだ?」
アランの問にチェシャ猫は意外そうな顔をしてしれっと言い放った。
「俺がすごいからだろォな」
アランはそこで白けたがハーンは重苦しい顔をして何か考え込んでいたようだ。しかし、いつもの無表情に戻ってチェシャ猫に礼を言う。チェシャ猫はそれを聞いて手を振って消えていった。
「俺、この二人に勝つ……のか」
「不安そうだな。じゃ、安心させるために教えてやろう。俺もともとランク2経験者+10指に入るツインのドーミネーター。ノワールとは少なくとも互角だから。あとはお前次第」
アランは驚いた。彼の目的からノワールと入矢と戦った事があるとは知っていたがまさか同じレベルだったとは。ハーンは表情を変えずに顎を掻いた。
「で、お前は俺がちゃんと育ててやるから。一年ありゃランク3を卒業できるレベルにしてやる。つまり、一度も負けなしでランク2に行かせてやるよ」
「……できるのか?」
「お前にやる気がありゃあな。だって考えてみろ。ノワールが復活したならあいつらがランク2を終えて第一階層に行くのは時間の問題だ。さっきので二人は能力が全く落ちていないんだから」
第一階層に行かれたらアランは追いかけることが困難になってしまう。その前になんとしても第二階層に行かなければならなかった。
「で、お前がこれからやることは……」
ハーンはそこでニヤっと笑った。
お互いにゲームをしている間は不変でいられた。お互いの絆も変わっていない。でもゲームが終われば緊張感から開放されて二人の間には微妙な空気が流れる。
変わってしまったのは入矢。内面は変わっていないとチェシャ猫の言葉で気づかされても、外見は変わった。
ノワールの所為で入矢は一生、呪われた証をその顔に刻まなければいけない。そしてかなりの激痛を伴ったであろう、右目の虹彩の変化。
遺伝子情報が呪いで変わるとは思わなかったが、無理矢理個人の情報を書き換えたのだから痛みを伴わないはずがない。
「入矢」
「な、なに?」
開いてしまった距離は易々と縮まらない。
「もう一度、私を信じてくれるなら教えてくれ。なぜ君が気づけて私はできなかったのか」
入矢は足を止めて、ノワールの漆黒の瞳を見つめた。
「俺がお前を見ていたから。お前のすべてを見ていたから、俺だけが気づいた」
「……信じてくれるんだ?」
クスっと笑って言うと入矢は騙された、という顔をした。
「ねぇ、教えて。これは君だけの問題じゃない。最初から二人で解決するべき問題だったんだ。私の言いたいことはわかるね? 君だけの自己犠牲では私はどうすればいい? 君に全てを捧げたのに君が受け取ってくれなかったら私はどうすればいい?」
入矢は俯いて悩んだ。その顔を顎を軽く押し上げて上から虹彩が左右変わってしまった瞳を覗き込む。
彼の瞳の色は血約によって成された呪いの結果。もう色は治らないだろう。血約は禁世を通したもの。禁世を通したものは二度と変らない。
「どこに敵がいるか……わからないんだ」
「ここじゃ、だめか」
「どこでもだめだ」
「じゃ……なぜ、君は私の仮初の弟の存在を知れた。これは父も知らなかったことなのに」
言葉が出てくるのを促すように優しく口づけを落す。
「……パテトンはどうした?」
入矢は耳に唇を寄せて小さな声でそう言った。
「ダノワーズさまにスレイヴァントとして売ったが?」
「敵の一人……俺をあんな行動に走らせた原因の一人がパテトンだ」
「なに!?」
さすがのノワールも驚いたのか目を見開いている。入矢は周囲に視線を走らせた。
「ばれるだろ!」
「すまない」
「どうして、彼女は私に一途で……仕事は忠実で」
「だからだろ。お前、俺以外本当に見てなかったんだな。あの女は俺が邪魔だったんだ」
呆れた顔をして入矢はノワールに背を向けると歩き出してしまい、肝心な事を聞きそびれた。だが、まぁ良しとしよう。関係が少しだけ穏やかなものになったのだから。
チェシャ猫は廃屋の屋根上に立っていた。その廃屋は見れば誰だってわかる教会で、チェシャ猫は今から身を投げるのではないか、そんな危機感を抱かせるような場所にいる。
寂れた崩れかけの教会の一番高い屋根に聳え立つ十字架。その十字架に立ってチェシャ猫は風に当たっていた。顔は満足そうな笑みが浮かぶ。そこでチェシャ猫は姿をまた変えた。
アイボリーカラーの頭髪は薄い水色に。エメラルドグリーンの瞳は金色に。ジャケットは濃紺、ショートパンツから釣られているオーバーニーのレッグウォーマーは黒と青のストライプ。
「過去を知っても、そのものの心を読めても、感情を知っても、その者を真に理解したことにはならない。すべての起こした事への起源、何を知識として蓄えても、溶け合うほど親密に、合わさるほど同じにはなれない。
他者への理解はいつでも程遠く、その距離に人は発狂する悲しみと無駄を知る。しかしそれは返せば、本人の絶対的な安心、唯一の領土となることができる。誰にも本心を、その事を起こした理由を知られなければ、それが本人の唯一無為の救い。知られない事は、自分を絶対的に守ってくれる壁を持つ事。それが、人間が持つ事を与えられた絶対のモノ。
人はそれを時には心と称し、精神、思考、感情と呼ぶ。だから人は生まれた時から孤独。そして他者との関連性で壁を高く積み上げ、壁を壊そうとする矛盾を持つ。
俺はそれが愛しい。俺もまた、人間以外ではないから、その概念に縛られる。それを苦痛と思った。だからこそ、自分の起こす行動を誰にも知られない事こそが救いであり、絶望であることも知った。
人の思考は複雑で難解。しかし本人にとっては単純明解。そのプロセスを読み取る事はどんな確率論でも無理。人の思考は膨大。もし仮に本人と同じプロセスを辿ったからと言ってそれが本人と同じではない。プロセスに至るまでの目的が異なるから。
人は孤独。孤独だからこそ愛しいんだ」
神に呟いているのか、誰に向かって言っているのか、それとも独り言なのか。チェシャ猫は言い放つ。
「俺はそれを……知っているから……」
その先の言葉は聞こえない。紫色と黒の縞々の尻尾が軽く揺れ、チェシャ猫の姿は消えていく。
また、誰かをからかい、惑わせるために。
「俺は道先案内人。でも案内する場所に君が満足するとは限らない」
誰もいない空間に楽しげな歌うような声だけが聞こえる。
「なぜなら俺は……チェシャ猫だからァ」
声だけでその笑みが見えるよう。