7.アニリン 白
022
「~絶望と悪夢の欠片」
「何の歌だよ? なになに、新曲作るの? 次の作詞担当はおれでしょ?」
「砕け散る、希望の欠片」
ゾクゾクする感覚が通り抜ける。托人が何気なく口ずさむ音楽には何かが宿っている。
「……アラン、フェイと別れたんだってさ」
「だから、アランのための作詞か?」
「違うよ。これは……オレの根源さ」
「托人……」
「ある日突然、幸せが絶望に変わって、希望が打ち砕かれて恐怖に喘ぐ日々が続くってことを……オレだけが知ってる。このメンバーの中で」
タクトはそう言って詩を音に乗せていく。
「でも、オレは幸せになれた。……アランもそうなればいい」
「托人」
ほっと安堵した息が漏れる。だからメンバーに聞こえないようにそっと呟いた。
「……すべてを蹂躙されることは、つらく見えてとても楽だから、ものすごく」
「毒薬試飲会」
7.アニリン【WHITE-side】
「あのさ、俺を鍛えるって……なんでここ?」
ハーンに怒鳴る。怒鳴らないと互いの声が聞こえないのだ。周囲がうるさすぎて。
「いやー、お前ついてるよ!」
広めの会場にすし詰め状態に押し込まれた人間が群れて騒いでいる。この場所はこれからある団体による催し物が行われるのだ。そう、アランがよく知った人物によるよく知った催し物が。
『JUST Spice! I want your honey,baby!』
激しいギターサウンド。ドラムの音も激しい。コンサート開幕の序曲としてはみんながノれていい感じだ。狙ってるんだろうな。アランはそう思って会場のステージに現れた四人組を眺めた。
「コラ!!」
怒鳴った声はなんだか楽しそうだった。今まで友人であるシェロウのライヴはフェイさん、いや入矢と見続けてきた。初めて隣に立つ人間が違う。
「ちゃんと魂で聴け!」
ハーン曰く。
禁世に触れて、禁術に慣れ、禁世を感じることができればそれだけ俺の禁世への感応能力? みたいなのが上ってゲームで相手の行動が読めるようになるらしい。
つまり、アナウンスのお姉さん然り、ドーミネーター然り……一番身近だとフェイさんのように禁術発動のタイミングもどんな攻撃がされるかもわかるようになるらしい。コレができることが第二階層に行く事の必須条件。身体能力は禁術でカバーできるらしいし、禁術に対応できないと身体も動かないだろ、とのことだった。
で、手っ取り早く禁世と触れ合うには禁世を揺らす特殊能力を持った人間に触れ合う事。一番わかりやすいのが芸術家ってカテゴリーの人種だ。
例えば、禁世を揺らすということができる画家が居たとする。そいつの作品を見ると一般人はその絵が禁世と繋がっているために見た瞬間に一定行動を引き起こすようになる。
まぁ、一種の視覚麻薬みたいなもんだ。犯罪に使おうと思えば最悪な事態になりかねない。まぁ、この土地に法律なんてないから、犯罪って呼ぶのはおかしいんだけど。それが禁世を揺らす人間。
ハーンはそういう類の人間と俺を触れ合わせて禁世に入ることで俺を極限まで狂わせたいらしい。そうすれば禁力が上るんだそうだ。
で、ハーンが見つけてきたのがSHELLOWってわけ。特にタクトの声は禁世を揺らす。フェイさんも言っていたがその才能は本物のようで、わざわざ友人特典を使ってステージの目の前で聞くことになった。四人の顔が直接見える位置でライヴを聞き、禁世と触れ合えってことらしいんだが……。
「今んトコ、そんな感じ全くねー」
大勢のファンに囲まれて揺さぶられる音に圧迫される。ライヴはまだ3曲目。しかし4曲目が始まった瞬間アランは突如その感覚を自覚して驚いた。
弾けるギターサウンドとドラムの音に直接脳を揺らされたような感覚を味わう。そのまま、激しくギターがかき鳴らされ、タクトがマイクスタンドを傾けて音に酔い始めた。リズムに乗る四人に合わせて叫び出したいような、自分を何かが操っているかのような感覚が襲ってくる。
タクトの声がノリにノってマイクを通して響き渡る。会場全体が既に禁世に触れている。
気づかせないままに禁世に接触した!? 見ているだけで、発狂する感覚をどう理解してもらえばいいのだろうか。
叫び出したい、踊り出したい、歌いだしたい、走り回りたい! 涎をたらして、欲望の赴くままに殺してしまいたい! イってしまいたいっ!! この感覚をどう理解してもらえばいいというんだ!?
「お、おい! どういうことだ!!」
「だから言っただろ? 完璧な訓練だって」
耳元でハーンがスペルを囁く。するとアランの視界が一瞬めまいを起こしたように白く染まった後に、会場全体が薄く、水の中に油を垂らしたマーブリングのように赤いものが空気中に漂っている。
「なんだ! これは!!」
アランの驚きにハーンはにやりと笑って、歌にノリつつ叫んだ。
「これが禁力だ! 可視状態にしてやったからなっ!!」
歌はサビの部分に。会場がわっと沸いて、観客が同時に歌いだす。するとどこから来ているのか赤い空気の密度が増していく。アランは目を動かして赤が一番濃い場所を探した。
「そんな……嘘だろ?」
アランの目は信じられないものを見ているように見開かれた。
「あれが禁世を揺らす歌であり、声だ!」
まるで津波のように、赤いものは一気にその量を増し、襲い掛かってくる。視界は全面の赤に。飲まれる! その感覚が正しいみたいだ。タクトの声に合わせて、赤い波が襲い掛かってくる。そしてそのまま皆を飲み込んで、巻き込むのだ。
「あ!」
アランはざわざわとした感覚を味わった。身体全身を這い回る感触。でもそれは嫌悪感を抱かせるようなものではなくかといっていいものでもない。一気に堕落する感覚とでも言えばいいのか。身体が興奮剤を飲んだ後のように一気に勝手に興奮する。それに伴って神経も興奮してくる。
「な、んで!? 今までこんな、こと、なかった……のにっ!」
アランは身体がついていけず、その快感に呻いた。周りはとっくに禁世に侵されて堕落している。
「入矢が守ってたんだろうねぇ」
ハーンはしれっと言い切った。彼だけは禁世の影響を受けていないようだ。
「どうして……!」
「ファン見てればわかるだろー? アレは本人らが望もうと望まないと洗脳だよ。タクトの歌が彼らを支配するんだ。それが禁世を揺らすって事だ。お前は禁じられた遊びに出てるから、まだ耐性がある方だな。お前の訓練は、この状態でも通常の感覚を保つ事。禁世に慣れれば俺と同じ状況になる」
「だって、こんなの……防ぎようがない……!」
アランは下半身に特有の異常な熱を感じながら、悲痛に叫んだ。よく周りを見回せば、ビキニを着た女性の胸の頂点が立ち上がっている。彼女らもまた、興奮していると言う事か。男性ファンは周囲を気にせず下半身に特有のふくらみが目立っている。でも誰もそれを指摘したりしない。いや、できないのだ。自分たちのことで精一杯なんだろう。
自分に襲い掛かる興奮を、体内でざわめき、手が付けられない熱をどう扱えばいいのかわからないのだ。
「ここで自慰しても俺は構わないから、頑張って」
語尾にハートマークでもついていそうな勢いでハーンは言い切った。
「ざけんな! 冗談は……!」
「冗談なんかじゃない。みんなしてるよ」
ハーンはニヤっと笑って囁いた。アランは周りを見回してはっとした。興奮に染まった顔をした女性の腕は自然と股に伸びていたりする。涎を垂らした顔はどれもエロい。とてつもなく。
「あいつら……気づいて……?」
「まぁ、こんな場所ですし、仕方ないんじゃないの? ってか、歌うことに他が見えてないのかもな」
タクトはマイクを大事そうに抱きかかえて声を響かせている。そのタクトが一番ヤバい顔をしていることに本人は気づいているのだろうか? エロいんじゃなくて人を興奮させる顔なんだ。
「それにしてもスゲー才能。普通ここまで禁世を揺らさないもんだけど……あいつら、もしかしたらここに来る前に何かあったのかな」
ハーンの呟く声に耳を傾け、問う視線を送るとハーンは答えた。
「心に影があれば、それだけ禁世に入り込む」
俺がそうだったように。とハーンは続けた。
「こころの……かげ」
アランはそういわれて思い浮かんだ顔がある。深紅の髪。緑色の目。白い肌と華奢な身体。薄く整った唇。冷たいようで本当は優しいその性格。
――でも裏切られた。
すっと下半身の熱が引いていく。ハーンは暗くなっていくアランの瞳をじっと眺めた。
心の影。だがアランのものは影というよりかは闇に近い気がした。アランと付き合い始めてわかったことがあった。コイツは何か違う。そう思わせる何かがアランにはあった。
――なんだ? コイツ。
ハーンは冷静にアランを観察する。ゲームの最中もどちらかと言えば敵に勝つことよりもアランを知ることを優先して戦ってきた。入矢は約一年間、こいつの手綱を取ってきた。しかも全てを勝利と言う形に変えて。イモムシに頼んでアランの過去は全て知った。でも何かがひっかかる。
入矢が変えたのか? そうとは思えない。入矢はただのきっかけを作ったに過ぎない。アランの身の内に封じ込められていた何か。それを開放する封印を入矢が解いただけ。アランが身の内に本人知らずかどうか知らないが、飼っていたモノ。
ハーンはそれを見極めようとしていた。
ライヴは全て終わって、バックステージに向かったアランとハーンはシェロウにハーンの紹介も兼ねて、挨拶に行こうとしていた。
「それにしても、あのタクトってヤツの声はすごいもんだねぇ」
「なぁ、お前もフェイさんもすぐにタクトの歌を聴いて、禁世のことを言っていたけど、俺がそうなるまでどれくらいかかるんだ? ってか、そもそも普通のときに禁世って感じられるものなのか?」
ハーンは少し悩んで、アランに教える。フェイはアランに禁じられた遊びに勝つためだけの方法を教えていた。だからこそ、禁世に慣れるよりは、禁力の使い方を優先した。だが、ハーンは違う。ハーンは禁世に触れ、慣れておくことが一番の近道だと言い、スペルよりこうして禁世をアランも感じ、それを自分がどう扱うかの訓練ばかりしている。
「たぶん、お前が禁世を感じられないのは入矢のせいっていうか、お陰だと思うわけ。俺、禁世に触れることを優先してるけど、それって一発間違えればお前廃人になっちゃうわけだからな。入矢はそうならないように、お前が安全に禁力を使えるようにしてたんだ。まぁ、普通のスレイヴァントなら必要ない事だしな。禁世ってのはイマイチ俺も理解できてないが、すんげぇ気まぐれなワケよ。女みたいに」
くすくす笑ってハーンは自分が禁力を操っているのをアランに見えるようにした。
「禁世ってのは、人の不幸が大好きなんだ。他人の不幸は蜜の味って知ってっか? まさしくソレ。負の感情に近づけば近づくほど、禁世は人に禁力を与える。そう、一番簡単に禁力を使いこなすには、不幸になっちまうのがいい。この世の滅亡を望むほどの不幸になっちまうのが」
「俺が与えられた不幸では、禁世は満足しないのか?」
「さぁね? お前次第だからなんとも?でもな、ソレとは逆に禁世は超ポジティブも大好きだ。それの一例が芸術家達ね。あいつら作品を創る事に命かけてるから。そういう奴も大好きなの」
「正反対じゃねーか」
「そ。だから言ったろ? 気まぐれなの。気に入られるために必要なのは努力じゃない。どれだけ印象付けられるか、どれだけ、自分の存在を知らしめるか、ってトコだね」
人差し指を立ててハーンは言い切った。
「じゃ、お前はその、禁世に認められたのか?」
アランが尋ねると軽く首を傾けて、ハーンは笑った。
「ランク2の10指に入るってそういうことでしょ。いい意味でも、悪い意味でも」
「どうやって、強くなったんだ? どのくらいの期間で??」
アランがハーンに食らいつくように聞くと、ハーンは溜息をついた。
「なぁ、お前さ、強くなって、ランク2行って、入矢に会ってさ、そんでどうすんの? 許さない、って具体的に入矢に何すんの? 殺すの? それとも、奴隷にでもすんの?」
アランは目を見開いた。
「俺はさ、ノワールと入矢に会って、俺のパートナーの仇取ろうとか、考えてないわけ。初めてお前に会ったとき言ってたのは、実は冗談なのね。どうして殺したのかってのを、聞ける状態なら聞いてみたいだけなワケ。だけど、お前は違う。復讐すんだろ?」
「俺は……!」
「なんで入矢がお前を利用したかはしんねーけど、少なくとも入矢はおまえと一緒にいる間だけは、お前を大事にしていたぞ。客観的に見て、だけどさ」
「……約束してくれたんだ。一緒に第一階層に行ってくれるって」
「何? お前、約束守って欲しいだけなの? 入矢を自分の手元に置いて、ずっと一緒に行動できりゃ、それで満足なの?」
呆れたようにハーンはアランを鼻で笑った。約束を守るとか、一緒に居るとか、そんな子供だましのことを本気にするなんてどうかしてる。ここは快楽の土地。裏切りは背中合わせの場所だ。
「違う。本当は、ノワールを恨みたかったんだ。俺からフェイさんを奪ったヤツだって。そうしたら、俺は堂々とフェイさんを奪い返すことができるだろ? ……でもさ、実際違うんだよ。フェイさんがノワールを裏切ってたんだ」
ハーンは意外な事実を知ったように、目を少しだけ大きく開いた。
「そりゃ新事実だね。ノワールと入矢は血約を結ぶほど互いを信頼しているペアだったのに」
「フェイさんの過去を、イモムシに見せてもらったんだ。ノワールサイテーなやつでさ、フェイさんに心から同情したよ。でも、フェイさん優しいから。ノワールを許した。そこまで理解できた。俺が入る余地が無いくらい二人が親密だって。でも、フェイさんはノワールを裏切った」
「……お前、ノワールを裏切って、お前さえも裏切った入矢の別の顔に腹を立ててるのか?」
別に、この場所じゃ、誰にも見せない違う面を持っていてもおかしくなんか無い。
「違うんだ! フェイさん、ノワールを裏切った時に言ったんだよ。『お前、弟いるんだってね?』って。……俺、ノワールの弟らしいんだ……!」
「弟!!?」
ハーンも驚いたようだった。信じられない、といった顔をしている。
「結局、俺、フェイさんに俺を見てもらえなかったってことなんだって気づいて……。俺、フェイさんにとって「アラン」じゃなくて、「ノワールの弟」としか見られてなかったのかって、それが一番、ショックなのかもしれない」
「それより、お前、ノワールの弟ってことのほうが重大だろ?」
「別にどうだっていいさ。そんなこと。フェイさんは、俺のことどう思ってたのか、結局、俺を嘲ってただけなのかって。それなら、許せないじゃないか。この想いをどうしたらいいんだ?」
「……アラン」
それをぶつけたいだけなのかも、とアランは言った。その時のアランの目がまた暗く淀んでいて、ハーンはぞくっとした。寒気を感じた。それによくよく考えるとおかしい。
ハーンだってイモムシにアランの過去を見せてもらった。確か、アランには妹がいたはずだ。アラン自身が溺愛したエーシャナがいたはずなんだ。
でも、入矢は弟いるんだってね、と言ったからにはエーシャナには触れなかったことになる。すでに死んでいたから? それともドール化した別人になっていたから? それにアランも生きていたエーシャナもノワールのことは存在さえ知らなかったのに、弟と知らされても、これだけ動揺も、疑問も持たないアランはどういうことなんだ??
ハーンはまだ、何かが隠れているような気がした。ノワールと入矢、アランのこの3人には何かが、ある。
「ハーン?」
声をかけられて、はっとした。
「悪い、なんでもない」
と微笑みかけて、その笑みが凍りついた。
「くそっ! いつの間に!!」
『大地より立ち上がりし、鉄壁の壁。何の侵入も叶わぬ防御の要。そなたの名は、盾!!』
ハーンが叫んで、アランを盾の内側に引っ張り込む。その瞬間に、大地が揺れた。
「うわぁっ!!」
立て続けに、揺れと聴覚が無くなったと思わせるほどの爆音が響く。熱風と衝撃波を盾に感じ、盾がめしめしと音を立てた。連鎖的な突然の破壊は次の段階、すなわち火災を巻き起こす。
「な、何が?」
アランはそこで気がついた。確か、自分たちはシェロウの楽屋に向かっていたはず。そういえばそれは5分ほどで着く筈なのに、未だについていないことの方がおかしい。そして、この場所はライヴ会場の外で、メインストリートであった。いつの間にこんなところまで歩いたきていたんだ!?
「ハーン」
「黙っていろ! 死にたいのか」
ハーンは爆発が収まったとわかるや、盾を消す。だが、盾はもうぼろぼろになっていた。あと一回の爆発の余波でさえ耐えられそうに無い。
「ち、愚民めが! なぁんで、生き残りがいるのよー」
上の方から、女の子の声が響く。恐る恐る上向くと空中に少女が浮かんでいた。
「これは、これは女王陛下」
ハーンは苦笑いを隠しもできず、少女に視線を向けた。少女の赤い瞳がアランたちに向く。肩口で切りそろえた綺麗な黒髪が爆発の余波で翻る。
「あー、あんたかぁー。どうしたの? ヒッキーしてたんじゃなかったの?」
微笑みを浮かべて少女がハーンの前に降り立つ。少女がくすっと笑う後ろには、爆発に巻き込まれて苦悶に喘ぐ人々がいる。だが、少女は平然とそれを見下し、見回し、微笑んでいる。
「いや、また禁じられた遊びに出てみたくなったんですよ」
「それがあんたの新しい子?」
少女がアランを覗き込む。少女の顔はアランを見て、顰められるとハーンを問い詰める。
「この子、チャシャ猫を会ったことは?」
「もちろん、ありますよ」
「へー。なぁるほど。あいつの考えそうなことねー。でも、あたしはこの子嫌いだな」
そう言って腕を組む少女は、アランに向かってデコピンをかました。
「いて! なにすっ……」
アランの文句はハーンによって強制的に黙らされた。ハーンが真剣に黙っていろ、とアランを睨んだ。
「それより、どうしてこちらに?」
「決まってるでしょー? あたしの道を我が物顔で歩いてる愚民どもの首をかっきりに来たのよ」
アランは目が点になった。は? こいつ、今なんて?
「そうでしたか。……いつここは女王陛下の道に? まったく気づきませんでしたけど」
「やっぱりマメに掃除にこなきゃダメってことねー。印なら、わかるでしょ?」
「いえ?」
ハーンが言うと、少女は当然のように言い張った。
「ハートが無いでしょう?」
「気づきませんよ、それ」
「気づかない方が馬鹿なのよ。まったく、ここはあたしの道よ。許可無く好き放題しちゃってくれて、いらついてたのよ。この前やっと第二階層の掃除が終わったから降りてきたのに、第三階層も同じになってるとはね」
腕を組んで、忙しいと少女は文句を言った。
「本日は陛下は? お見かけしませんね」
「あー、あの子は置いてきたわ。第二階層に。今、ちょっと気になることがあったから。だから掃除しに来たのよ」
少女はそう言うと、じゃ、と笑って空を“走って”いった。後には爆発に巻き込まれた建物と、人々の怨嗟の声が響いている。どう考えても少女の仕業だが、だれもそれに文句を言わない。
「なんだ? あの女」
ハーンは溜息をついて、立ちがる。
「いいか、これから生きていたいなら覚えとけよ。彼女には絶対逆らっちゃいけない」
「は? なんでだよ? 爆発させたの、アイツの仕業なんだろ?」
アランは怒りに身を任せて、そうなじった。
「ここは彼女の道だったんだ。なら、居た俺達が悪いのさ」
「はぁ!? 何だ、それ」
「彼女は不思議の国の住人、ハートの女王(クイーン・オブ・ハーツ)。……最強のボマー(爆弾魔)だよ。覚えとけ」
アランは驚いた。あの少女が悪名高いハートの女王だと!? 確かにやっていたことは最低、最悪だが。
「彼女に出会ったらこちらは身を低くすること。これ鉄則。つぎに絶対ハートの女王って呼ばないこと。女王陛下って呼ぶんだぞ。彼女はハートが嫌いなんだ」
「は? なにそれ。ハートの女王なのにハートが嫌いなのか?」
「なんか、形がキライらしい。媚を売っているとかなんとか。それで彼女はハートをいたく嫌っておいでで、ハートの女王って呼ばれることがキライ。だから彼女の領域にはハートが存在しない。逆にだからこそ、彼女の場所なわけ」
「女王の場所なら、あんなふうにしていいってのか?」
「だって、彼女の道だもの。俺らはさ、それを使わせてもらってるだけなんだよ。ってか、彼女の場所では彼女が法律。知らない? 「首を切っておしまい!!」って有名なセリフ」
「いや、切ってないじゃねーか。爆発させただけで」
「昔は斬ってたらしいんだよ。でも一人一人で面倒だから、爆発させることにしたらしい」
なんだそれ!? アランは不思議の国の住人はチェシャ猫とイモムシしか会ったことが無いので、一番キテレツなヤツだと思った。外見はすごくかわいいのに、やってることは本当にえげつない。
「彼女は怖いぞ。少しでも気に触れてみろ、一直線にあの世行き。女王陛下の道ならば彼女は道と道をつなぐこともできるし、空間を捻じ曲げて勝手に道を作ってしまえる。だから俺達気づかないうちにメインストリートにいるわけ。で、彼女の言う愚民どもをいっぺんに集めて、どーん。で、おわり」
「馬鹿な! そんなの無差別じゃないか!!」
「そうだよ。運だ。さっきみたいにわかれば大丈夫だけど、突然だ。本当に彼女の爆弾はいつ爆発するかわからないからやっかい。察知できなければ死ぬ。彼女はね、何でもアリなんだよ。そこがまたこわいとこでねー」
ハーンは苦笑いしつつ、今度こそバックステージにまわった。大量無差別殺人を起こした爆発があったというのに、この地はすでににぎわい、騒いでいる。
「彼女はね、爆弾の能力だけでもありえないのに、クロケットができるからね。それに誘われたら、もう、無理。何もかもあきらめた方がいいね」
「クロケット?」
「知らないの? お前、一度アリスのワンダーランド読んだ方がいいよ。この地ではそれ読まないと不思議の国の住人と一緒の場所で生きられないから。女王陛下はアリスに言いました「お前、クロケットはできるかい?」アリスは女王のクリケットに参加しました「こんなのってないわ! 何もかもが動くんですもの!」……女王の主催するクリケットはね、必ず女王の思い通りになるんだよ」
肩を竦めてハーンは言った。