毒薬試飲会 010

023

「おいっ!!」
 ハーンとアランに駆け寄ってくる人影が会った。
「お? 誰?」
 ハーンは不思議そうにした。アランは駆け寄ってくる影に向かって手を上げた。
「どぉした? ケイスケ? それにナナヤ」
「タクト!! タクト見なかったか!?」
「いや……? どうかしたか?」
 二人の尋常じゃない様子にアランだけではなく、ハーンも肩をこわばらせた。
「やっぱり、だめだ! ここは追いかけて見つかる問題じゃないよ」
「でも、ムツキだって今は使い物にならねぇのに! どうすんだよ」
 二人は母国語である日本語で話し始めたので、アランにはわからなかったがハーンは同時通訳の禁術を一瞬でかけていたので理解できた。みかねてアランに同時通訳してやる。
「タクトってのはあの、ボーカルの坊やだろう? いなくなったのかい?」
 ハーンの問いにアランは驚いた表情を見せた。
「タクトがっ!?」
「どういうことなんだ?」
「あ、ああ。ライヴ、見てくれたんだろ? そのライヴ後にタクトがいなくなったんだ。ただいなくなったんじゃねーのさ。様子からして、たぶん」
「……連れ去られた、ってトコか」
「どうして?」
 アランが叫んだ。
「あの、声だね」
 ケイスケだけは思い当たる様子で、目を気まずそうにそらした。ナナヤとアランはわからずにハーンとケイスケそれぞれを眺めている。
「とりあえず、ここじゃ、アレだ。楽屋行こう」
 ケイスケがため息を吐いて皆を先導する。楽屋に入ったとたんに意気消沈したというか、すでに狂乱し疲れた表情のまま動かないムツキの姿があった。ハーンはそれを見て何も言わなかったが、アランはムツキとタクトの関係を知れば当然だと思った。
「あー、遅れたが、この人は誰だ? アラン」
 ナナヤはハーンを見て問う。
「俺の新しい禁じられた遊びのペアだ。ハーンっていう」
「よろしくな。で、何があった?」
 ハーンは冷静に、現在通常の会話ができそうな雰囲気であるケイスケに目線を向けた。
「ライヴが終わって、楽屋に戻った。そのときはちゃんと、確かに居たんだ。で、気づいたらいなかったんだ。同じ部屋にいた。なのに、気づいたら居なかったんだ。俺ら誰も気づかないうちに」
「はーん。どう考えても、禁術だな。当然」
「で? 誰にラチられた? 思いつくか?」
 黙って首を振る。だろうな、とハーンはつぶやいた。
「お前ら、最近ココに上ってきたんだろ? ……そのライヴは何回やった?」
「今日で8回目だ」
「で、今日みたいに大体盛況だったわけだね?」
「あー。そうだ」
「そうそう。幸先いいって、話してたとこだったのに……!」
 ナナヤも話し出す。つまり、こういうことだ。いったん楽屋に戻って、一息入れていたところで、突然、タクトだけが消えた。出て行く様子も、何も無かったのに姿だけが誰にも気づかれず忽然と消えた、ということになる。
「おまえら、同じメンバーだが、あの坊やの才能に気づいていたか? お前らの思うようなものじゃなく、な。あの才能をほっとくやつは、普通いないしね」
「……気づいてた」
「ムツキ」
 ぽつり、とムツキが話す。
「フェイに前々から言われていた。タクトの声は危険だと」
 やっぱりねー、とハーンは頷いた。
「そう。禁世を彼の声は揺らす。その才能は金を積んでも積んでも手に入らない、在ることすら奇跡みたいな財宝だ。誰だってほしがるぜ? 犯人の特定は難しいなー」
「じゃ、帰ってこないのか? ってか、タクトはどういう目に合うんだ!!?」
「さぁてね」
 ハーンは視線を泳がせた。
「見つけ出すには、相当苦労する。ここが第三階層なのが幸いだな。イモムシがいる。彼女に情報を頼みなよ。そうすれば誰が攫って、どこにいるか位はわかる。ただ、問題は……」
「ああ。俺たちが禁術に慣れていないことだな」
 ムツキが呟いた。その目には精気が戻っている。落ち着いてきたようだ。
「そうさな」
「……イモムシ経由でチェシャ猫を呼びな。手を貸してくれる」
 ハーンが言った。アランをはじめとして、皆が驚く表情を見せる。
「な、何で? チェシャ猫なんだ?」
「戦力になるからさ。お前、気づかなかったのか? 俺が知っている中でアイツが一番最強の禁術使いだぞ?」
「え? そうなのか?」
 ハーンは呆れた様子でため息をついた。禁術についてまだまだ、とその表情に書かれている。
「ま、慣れてくるうちにわかるだろうさ」
「で、お友達得点で、コイツを奪還メンバーに加えてやる」
 ハーンはそう言って、アランを突き出した。
「え?」
 アランは力になれるなら、と考えていたので驚きつつも頷いた。
「……その前に、言わなきゃならない相手がいる」
 ムツキはそう言って立ち上がった。
「は? この緊急事態にか? 誰にだよ? 早く、イモムシんとこ行こうぜ?」
 アランもハーンも不思議そうな顔をする。逆に気まずそうにしたのはシェロウのメンバーだ。
「あ? どういうことか、説明してくれよ。急いでんだろ? タクトが危険かもしれないのに……!」
「いや、タクトがらみになったからには、言っておかなきゃいけない相手がいるんだよ。俺が、昔そう約束した。だからこそ、タクトはこの階層に上がるのを嫌がった」
「はぁ?」
 アランとハーンはまったく事態が飲み込めず、当惑する。タクトがいなくなってあんなにパニックに陥っていたヤツらとは思えない。一体誰に何を報告するって言うんだ?
「その必要はない」
 そのとき、静かな声と共に一人の男が扉を開けて入ってきた。
「誰?」
「本当ここにいるとは……な」
 シェロウのメンバーが一歩後ろに下がって入ってきた男を見る。しかし、ムツキが相対するかのように、男の目の前に立った。
「お久しぶりですね、瑠椰(りゅうや)さん」
 ハーンは身内同士の問題を知って、アランの肩を引いて一歩下がって事態を眺める。
入ってきた男には10人ほどの護衛がいた。それほどの人物ということだ。
「事態はもう、知ってる。イモムシにも連絡を入れた。情報はすぐ入る。急いで動け」
 静かで、なおかつ艶のある声だった。漆黒のコートを着た男は髪も漆黒で、瞳も闇を吸い込んだように静かなる黒色だった。肌は白く、美しいというよりかは艶がある人物と言えた。
「あ、思い出した。……アレ、劉天陣のリュウヤか!」
 ハーンが驚いたように呟いた。アランが耳を寄せて誰かを尋ねる。
「あれはこの第三階層でイモムシの勢力の次に力と金を持ってる中華系……マフィアみたいなモンの幹部の一人だな。なんで、こんなとこに来るんだか?」
 逆に呆れたようにハーンが言った。そんなに大きい勢力と知り合いなら、盗み屋としてのコネにも頷ける。だが、ただの知り合いという雰囲気でもない。敵対しているように見えた。
「手勢は? お前たちだけか?」
「いえ、ここの二人が手伝ってくれます。ほかに可能ならばチェシャ猫を」
 ハーンは自分も手伝うことになってしまって、驚きを隠せない様子だったが、リュウヤの前なだけにその顔をむりやりひっこめた。
「そうか」
 リュウヤはアランたちに向き直る。
「貴方は、ハーン・ラドクニフさんですね。そのお名前、存じております。弟の救出に手を貸してくださるならば、私だけで叶うことならば、いくらでも払いましょう」
「はぁ、丁寧に……って、おとうとぉおお!!?」
 アランが驚いた。そしてまじまじとリュウヤを眺める。よく見れば髪や目が黒いところだでなく、顔つきが少々似ている、と思った。
「ええ。紺野托人は、私、浅月瑠椰の正真正銘の弟です」
 ハーンもさすがに開いた口が閉じないようだ。
「そりゃぁ、おかしい話だね。こう言うと申し訳ないが劉天陣の力をもってすれば、俺らがやるより簡単な話じゃないのか?」
 意地悪げに問うハーンにもリュウヤは表情ひとつ変えない。
「昔、私も悪でして、タクトに嫌われてしまったんです。ですから二度とタクトには会わないって決めたんですよ。そう約束したからには、私は手を出せません」
「その弟を、助けるためでも……ですか?」
「ええ」
 ハーンとリュウヤが無言のにらみ合いを続ける。それを破る声は空から降ってきた。
「そォ言ってやんなってェ。人にはジジョーってもんがあんだからさァ」
「チェシャ猫!?」
 声と共にまるで姿がフェードインしてくるかのように、うっすら姿が浮かび上がってくる。
「君も手伝ってくれるのか」
「あァ。不満だろォけどなァ」
「ああ。君には会いたくもないんだが……そうも言っていられない!」
 リュウヤはしかめていた顔を冷静な顔に戻し、一言だけチェシャ猫に言った。
「君には礼はしないから、そのつもりで」
 リュウヤはそのまま、チェシャ猫に視線を向ける。肩をすくめてチェシャ猫は言った。
「イモムシから情報は貰ってる。行こうかァ? 歌姫の救出にィ」
 チェシャ猫がそう言って消え始めたと思った瞬間、アランたちも自分たちの姿が消えていることに気づいた。それと同時にアランはハーンの言っている意味を理解する。これは禁術だ。スペルもどういった禁術の構成なのかも理解できないが、確かに禁力を感じられる。
 そして気づいた先は、まったく知らない場所だった。
「さァ、案内しましたぜェ? ここが囚われの孤塔ってトコかァ?」

「お前、知ってるぞ。家族で唯一生き残った。犯人は実の兄でお前に目が眩んだそうじゃないか。お前のせいで家族が死んだ。お前が殺した。そうだよなぁ?」
「ちが、俺は!」
 目を見開いてタクトが震え出す。その肩を抱き締めて囁いた。
「いいのかぁ? こんな場所で、自分ひとりだけ幸せになって。しかも犯人を恨むドコロか、同じ土地で暮らしているなんてナ。神経疑うぜ。まじで」
「俺は……」
 タクトの身体がゆっくりと傾いでいく。その身体を抱きとめて、男は笑った。
「ほぅら、簡単だって、こんなこと。トラウマ抉れば一発だ★」

 駆けつけた場所は美しい場所だった。枝垂桜が咲いていて、その花弁が夜闇に浮かんではらはら落ちる。そんな場所に東屋のように屋根と床と数本の柱しかない日本風の建物。
 壁がなく、景色が360度見渡せるものだ。床は正方形でかなり広く、人が100人は入れる広さだった。その床を覆うのは水、いや、池の上に東屋が浮かんでいるといったほうが正しいだろうか。
 だが救出にきたメンバーはそんな美しい東屋や枝垂桜の風景に目も向けず、その床に倒れているタクトを見ていた。タクトを首輪でつないでペットの様に扱う男が人口の月で月見酒をしゃれこんでいる。
「タクトを返してもらう」
 ムツキはそう男に声をかけた。振り返った男がニヤぁっと嗤う。
「かかったな、大物だァ」
 男が誰に言うでもなくひっそり呟いたのでその声は誰にも聞こえなかった。その目線が捕らえていたのは誰だったか。しかしそれさえもムツキの目には映らなかった。
「何でこんなことをした?」
 ムツキが殺気立って訊く。だが、男はニヤニヤ嗤うだけ。
「無駄だァ。話してもな」
 ハーンがそう言ってシェロウのメンバーを下がらせる。その瞬間、ハーンは禁力を多数感じて警告の声を発した。黒い闇からまるでファンタジーのゲーム中にモンスターが出現するが如く、人間が出てきて、アランたちと向かい合った。
「そいつらに用はァ……あァ。そこの黒髪の少年以外は殺していい」
 黒髪の少年が指す言葉がアラン自身と知って、少し疑問に思ったが気のせいだろうと判断する。
 ハーンにアイコンタクトを送って、攻撃のパターンを確認すると、アランは自分で剣を禁術で出すことを最近練習していた成果を発揮すべく、自分で生成し、相手に向かっていった。ハーンは後方で冷静に分析しつつ攻撃されるとそれを最小限の動きで避けていた。その動きこそがハーンの実力を認めるものであり、アランは彼の言っていたことが正しいと物語っているとわかった。
 すなわち、禁力の流れで攻撃の予測がある程度できるということが。そして禁術が一番使いこなせるという、チェシャ猫に目を向けると、チェシャ猫に向かって男が銃を向けた。しかし驚くことに、チェシャ猫に当たる寸前で銃弾は逸れていく。
「こうでなくっちゃなぁ!!」
 男は叫んだ。その瞬間に煙幕がもうもうと立ち上る。アランたちは目が一瞬使い物にならなくなるが各々の対応で何とか危機を乗り切った。

「小洒落た猫だ。十分美しい」
 タクトの首輪に繋がっている鎖を離さないまま、男がチェシャ猫に言った。チェシャ猫は無言で視線だけを向け、タクトの首輪を破壊する。だがその破壊はちゃんと制御されていてタクトに傷一つ残さない。それどころか首輪の痕を癒やしてさえいる。
「なに? 俺が目的だったわけ? オマエ」
「あぁ。君は十分魅力的だからね。色気と艶もある。そしてテクが」
「オマエ、俺のストーカー? タクトは関係ねーだろうになァ。無駄足だァ」
「そんなことないよぉ? 君は禁世に触れた人間に優先的に接触するんだろ? だから。一番の狙い目だったんだ。君が来なければそれは別に使い道がある人間だし」
 タクトはまだ気を失ったままだ。チェシャ猫はタクトを見て男を見る。
「オマエ、これ、オマエが計画したことじゃねーな。裏にいるのは誰だ?」
「君のこと、キライで大好きなお人さ。君はいつも自由奔放、好き勝手と思わせているけど……実は違う。役目に忠実で、ご主人様の命令に逆らわない忠義なネコ。本当の姿は、飼い猫、だろ?」
 ふいに男の姿がブれ、チェシャ猫の目の前に現れると首にはめている紫色の石が一つだけついている黒色のチョーカーを指で弾いた。
「っ!」
 男と距離を取ろうとしたチェシャ猫の腕を男はつかんで放さない。その力に思わず、チェシャ猫眉間にしわがよった。
「そして君の躯(うつわ)は禁力に侵されてる、違う?」
「放せ!」
 チェシャ猫が思わず怒鳴った。次の瞬間、男のつかんでいた右腕は破裂したかのようにはじけ、血と筋繊維を垂らしていた。ぼたぼたとひっくり返したバケツの中身をぶちまけたように広がった血と、むき出しになり途中で折れ、赤がこびりついた骨、そしてカーテンのように垂れ下がった皮膚は赤い鮮血を滴らせている。
「触れたら火傷以上だね」
 男は幸せそうに哂い、チェシャ猫にちぎられた筋肉を食んだ。それはそれは美味しそうに。
「変態め」
 逆に笑ってチェシャ猫が相手を殺そうとした瞬間、声が響いた。
「みぃーんな、死んじゃえっっ!!」
 明るい少女の声と共に白い閃光が空間を切り裂く。それは刹那の時間を追いかけて、紅蓮の炎と盛大な爆音、それに加えて地獄の熱波を円形状に広げていく。
「女王陛下かっ!」
 声の方が後から聞こえるくらいにチェシャ猫の顔が白い閃光に晒された次の瞬間にはもうチェシャ猫の姿が消えている。同時にチェシャ猫はシェロウメンバーとアラン、ハーンをも爆発から守っていた。
 爆音は今度は一回で消え、振動は数回続き、熱と炎は空高く燃え盛る。それを頭上から見下す女王陛下の顔も炎に煽られて赤く染まっていた。
「うーん、今度も死んでいない愚民がいるわね」
「第三階層に降りてきてたのかァ? 女王陛下」
 声がした方を見て、女王陛下は思い切り舌打ちした。
「いつもはあたしがいると出てこないくせに、今日はどういう風の吹き回し?」
「別にィ? それよりアイツら追ってたのか?」
「ええ。今話題のやつらっぽいじゃない?」
 女王陛下は爆炎が収まりつつある場所に目を向けた。ハートの女王の爆弾はすぐに爆発が収まるのが特徴だ。死んでるかをすぐ確認できるように改良されているらしい。
「くそ……」
 男は生きてはいた。だが、下半身はすでに赤黒い肉片と化しているし、残っていた左腕はちぎれ、爆風に飛ばされて離れたところで炭化しそれでもまだ焼き具合がミディアムレアだと主張するかのように赤い肉と血を撒き散らしている。
 不思議なことに巻き込まれた奴らは全員首から上だけは何も無かったかのように無事ではあったが、すべては身体と繋がっていなかった。そう、首しかないのだ。しかし、男は生きていた。
「何時見ても惚れ惚れするね、あんたの爆弾」
 チェシャ猫が口笛を鳴らす。そう、ハートの女王の爆弾は焼き具合からどの部分だけを焼くか、爆発させるか、本人の命の有無、など全てを設定して爆発させる。
「きれいな首だけ死体の出来上がり。首切ったように見えるでしょ? 結構気に入ってるのよ。爆弾の構造そんなに難しくないしね」
 女王陛下が手を叩き、下に降り立つと燻っていた炎は全て消え去り、煙さえもなくなっていた。チェシャ猫は守っていた人間を自由にする。ムツキはタクトに駆け寄った。
「さぁ、お話し! あたしの土地でこんなことをしでかした理由をね!」
 上から目線、超命令口調。だが彼女にはそれが似合っていた。そして彼女の口調には逆らえない何かが存在していた。だからか、それとも激痛に耐えかねてか男が言った。
「ご主人様は美しい猫を捕まえろと仰せだった」
「コイツをどうこうできるなんて本気で考えてたわけぇ? 馬鹿じゃない?」
 呆れた様子で女王陛下は言い、チェシャ猫に目線を向けた。
「今度の大それた馬鹿はアンタをお望みのようね」
「……ああ」
「さぁ、お言い! オマエのご主人さまは誰?」
「知らない。ぼ、お、れは……どー、ルだか、らネ」
 ぼんと音と黒い煤けた煙を出して頭が爆発した。
「やられた! 時限式の細胞爆弾か! ドール化! 人形師。……心当たりは?」
「一人」
 チェシャ猫は珍しく思い悩んだ様子で遠くを見つめた。
「だれ?」
「女王陛下、第三階層には来ない方がいいかもしれない。陛下と離れないほうがいい。今はきっと。まァ、安心しなよォ。なんとかするってェ」
 いつものようにふざけた笑いを浮かべたチェシャ猫は女王陛下から離れ、シェロウたちと共に去っていった。
「あいつが本気になった……。あたしも気を引き締めなくちゃ」
 ハートの女王は困惑を顔に浮かべ、まだ煙が上っている爆発した男の頭をしばらく眺めていた。そして無言のままハートの女王もまた、姿を消した。

 タクトの意識はまだ戻っていないがハーンとチェシャ猫双方から明日になれば目覚めるだろうと言われ、一安心したようだ。リュウヤは楽屋で皆の帰りを待っており、無事なタクトの姿を見た瞬間、ほっと溜息をついて幸せそうに微笑んだ。
 ハーンとアランに改めて礼を言い、金はいくらいるかと訊いてきた。
「や、そんな俺だってタクトと友達ですし……」
 アランの言葉を遮ってハーンはずずいとリュウヤに言い切った。
「いや、貰います。俺とアランが第二階層のランク2のゲームに参加出来るだけの金を用意してください」
 リュウヤは部下の一人に見積もらせると頷いて、ハーンに支払うことを約束した。
「いいんですか?」
「弟の命にはかえられません。あなた方は本当によくやって下さいました」
「口座番号はここにお願いします。金だけでランク2に食い込もうって考えてないんで。でも、これはランク2に行くために使わせてもらいますから」
 ハーンはそう言って口座番号を禁じられた遊びの運営口座ではなく個人口座を示した。
「そうですね。それがいいでしょう。ランク2にいた貴方はともかくアランさんは違うようですから」
 リュウヤはそう言って微笑み、深く礼をした。その後、シェロウメンバーとチェシャ猫に向かい合う。
「今回の原因はお前たちの実力不足だろう?」
「……はい」
 言い返せないようでただ、ムツキは肯定した。アランが言い募ろうとするのをハーンが抑える。
「自覚はしているようだな。タクトだけが第二階層いや、第一階層でも可能な実力を持っているのに、お前たちがそれに追いついていないからタクトは階層を登れないんだ。わかるな?」
「はい」
 今度はムツキだけでなく、残りの二人も頷いた。
「わかっているならいい。今後こういうことがないようにしろ。……チェシャ猫。私が金なら払う。君がこの三人を支援してくれないか? 今後のために」
 チェシャ猫は一瞬驚いた顔をして、唇のはしを吊り上げるとにやぁっと笑った。
「いいだろォ。叶えましょうかァ?」
 チェシャ猫は笑い、頷くとまずムツキの額に右手の人差し指を当てた。
「覚悟はできてるな?」
 ムツキは頷いた。満足げにチェシャ猫はより一層笑うとそのまま唇の端を片方だけ吊り上げた。その瞬間、紫色の蔦のような模様が一瞬にしてムツキの額から広がっていく。
「ぐあぁああああああ!!!!」
 ムツキが苦悶に喘ぐ。ハーンが目を見開いてその状態を言葉も失って眺めた。
 アランは最初何が起こっているかわからなかったが、ハーンからしばらく遅れてぞくっとした感覚が身体を電気が流れたのと同じように感じられた。
 ハーンを思わず眺める。ハーンもまた絶句して、冷や汗をかいていた。
 全ての人が言葉を失っていたが、ムツキの絶叫が止まり、ムツキが床に倒れ伏したことで時間が戻ってきたかのように、アランは肩の力を抜いた。いや、抜けた。
 チェシャ猫が触れていた額には何も痕など残ってはいない。チェシャ猫は何をしたのか? だが逸れに堪える間もなく、チェシャ猫がケイスケとナナヤを見る。
「同じことをする。覚悟はあるかィ? お二人さんよ?」
 二人は気絶してしまったムツキを見、そしてタクトを見て決心がついたようで首を縦に振って頷いた。
「いい覚悟だ」
 チェシャ猫はそれぞれの額に両方の人差し指を当てる。二人分の絶叫がしばらく続いた。
 そうしてシェロウのメンバーが一人残らず意識を失ったのを見て、チェシャ猫は金は振り込んで置けよーと言い残して消えていった。
 リュウヤはアランたちに一礼すると、部下に誰かが目を覚ますまで見張っていろと言い残して去って行った。再び無音になった空間でアランはハーンにようやく尋ねた。
「なぁ、さっき支援って言ってたけど、チェシャ猫は何をしたんだ?」
 ハーンは呼吸を落ち着けつつ、迷いながら答えてくれた。
「たぶん……おそらくだが、直接禁力を注いだんだ」
「注ぐ?」
「俺がお前に、禁世に慣れて、禁世と身近になれって言ったのは、禁力をより多く、より使いやすくするためだ。そのための訓練だった。だけど、チェシャ猫は俺達がしようとしていたことをあんな簡単にやってみせた、んだろう。たぶん。だが、あの、苦しみよう……」
 戸惑っているようで自分で言いながら確認しているようだ。
「じゃ、俺らもそうすれば、簡単に?」
「だめだ。危険すぎる。それに、あんな方法……あいつ以外に誰ができるんだ?」
 ハーンは驚いたのではない。恐怖を抱いたのだとアランにはわかった。
「お前こそ、どうして平気でいられる? あんなに圧縮された禁力を俺は初めてみるぞ!!」
「え?」
 ハーンは恐怖を感じないアランに当惑しているようだ。だがそれ以上にアランだってわかっていなかった。何がそんなに恐怖だったのか? チェシャ猫のしたことはそんなにすごいことだったのだろうかと?

 それはアランが人間としての感覚が鈍感では済まされないということにまだ気づいていなかった。