毒薬試飲会 013

029

 アランとハーンのもとにハートの女王が来てからはや一週間が経過した。そろそろ次のゲーム予定が入るがアランは全く自分の戦闘スタイルというものを開発できずにいた。あいかわらずハーンは助けてくれるどころか自分がそんなこと言いましたっけ的なしらんぷりさだった。
 アランは暇を見つけては誰もいない空間で禁術を使い、武器を振り回してみたり、飛んだり跳ねたりを繰り返していた。その状況に一番早く値を上げたのは、女王陛下だった。
「見ててイライラすんのよ! そういうのはね、戦っていくうちで初めて身についてくるもんだっての!」
「俺は、早く第二階層に行きたいんです! そんな戦っていくなんて悠長なことはいってられない!」
 少し暗く淀んだ瞳でアランは相手が女王陛下だということも忘れてアランは言い放った。
「あんた、あたしに舐めたクチ利いてくれるじゃないの! どんな大層な理由があるってのよ」
「フェイさんが、フェイさんに逃げられる!!」
「ふぇい?」
 怪訝そうな顔をした女王陛下にハーンがさすがに仲裁に入った。
「入矢のことです。入矢に裏切られて、入矢を追ってるんです」
「入矢?」
 女王陛下はそう言うと、アランを見た。そしてしばらく黙っていたかと思うと、なるほどと呟いた。
「しょうがないわね! あたしが相手したげるわ! ホラ、構えなさい。ただ、あたしは強いわよ。爆弾魔だと思って近距離戦闘ができないなんて思わないことね! 途中で死んでも知らないからね!」
 女王陛下はそう叫ぶと一瞬でアランの前から姿を消す。アランは目を見開き、息を飲んだ瞬間に、ハーンが側転をして急いで視界から逃れるように距離を取ったのを確認した瞬間、衝撃がきた。
 反射で受身を取るも、間に合わない。吹っ飛ばされた挙句にちょうど後ろにあったゴミの山に背中から突っ込んだ。衝撃を堪えて目を開き、身体を動かそうと痙攣した体に指令を送ろうとした次の瞬間に、もう女王陛下の身体がアランの目の前にある。
 アランは驚きに目を見開いた瞬間に踵落としが派手に決まり、アランの身体が地面に埋もれた。
「もう? あっけないの。こんなんじゃ第二階層行ってもすぐにパーだし。よくあんたも出て来たもんだわ。こんな子に付き合ってまぁ……! ソニークも泣くわよ?」
「ほんと、何してるんでしょうね。おれ」
 ハーンが呟くがその声は陛下に届く前に盛大な音を立てて打ち消され、ゴミがプレスされたものから立ち上がったアランがゆらりとよろめいた。ハーンは生きてるかー? と気軽に聞く。
「ちなみに、陛下。なんでアランに稽古つける気になったんです?」
「あーゆー目をした奴、キライなのよ」
 アランは行き絶え絶えに剣を禁術で生成する。それを構えて陛下に向かっていった。
 女王陛下はアランをちらっと見ただけで振りかぶった剣を難なく避け、その剣に手を軽く触れると、剣を握るアランの腕をつかんで今度は反対側にアランを投げ飛ばした。その細身からどんな力が? と疑いたくなるものだ。
「あー、一応殺さないでくださいよ」
 ハーンは気軽に言って、二人の様子を眺めるに留めた。ハーンはそのまま二人の稽古もとい、一方的な暴力を視界に入れつつ、懐かしいその名前を思わず口にした。その名前を呼ぶにはとても勇気がいって、もう二度と呼べないと思っていたのに。
「案外、簡単なものなんだな、人の心って。ソニーク」
 ソニーク。ソニーク・デュバリサンク。ハーンと数年を共にし、ハーンの心の時間を止めた、永遠のパートナー。
 入矢に殺された、ハーンのスレイヴァントだった女性だった。

「んぁあっ!」
 入矢は体をそのまま思いっきり抱きしめられて、すでにたちあがった己を挟まれて眉をひそめた。その顔を見て、赤狂いがにやにや笑う。
「ちょ、何笑ってんの?」
「ん? これからどういじめてやろうかとおもってさ。入矢意外と生意気だし」
「どういう意味?」
 下から突き上げられながらも、必死に反応しているふりをした。ちゃんと感覚コントロールはできている。射精のタイミングさえ感覚に支配されず己の意思で行えるようになっているから、感じているふりは演技だ。
 入矢だけではない。ほとんどの翹揺亭の男娼と娼婦は絶頂のタイミングでさえ己でコントロールする。
「入矢は俺から逃げない賭けをしたんだ。ってことは、俺はお前に逃げてもらえなきゃ、勝てない。だからさぁ、俺はお前が逃げたい状況を作り出す! これからどんどんひどいことするぜぇ? 俺、セックスの時は紳士的にって決めてたんだけど、お前は別ね、入矢」
「やっぱり、ソレ、演技なわけ? 悪趣味っ! あ、あう!!」
 体勢を入れ替え、入矢はベッドに押し倒されることで、深く赤狂いを受け入れる。覆いかぶさってきた赤狂いはニヤっと笑う。入矢はその様子を怪訝に思った。
「初っ端だからって遠慮するこたぁ、ねぇよな? 入矢」
「何?」
 額に落ちている赤い髪をうっとりと眺めることで質量感が増したことに対して萎えそうになる己を必死にコントロールする。額の髪から手を放し、そのまますっと赤狂いの手は眼帯に伸びた。
「なんで眼帯してんの?」
「それは……」
 入矢が口ごもった瞬間、眼帯は引きちぎられて、ベッドの向こうに投げられていた。それは入矢がノワールから受けた呪を隠すためにノワールと別れた瞬間からつけていたものだ。急に明るくなった部屋を見て右目だけが虹彩を収縮させる。
「お前……」
 ノワールから受けた血約の呪。頬に刻まれた文字のような模様のような黒い模様は再びノワールと共に暮らすことによって薄れた。
 ノワールは入矢の精神を支配する。呪われている自覚が入矢の中で薄れたから消えていったのかもしれない。だがまだ、うっすら残っている。そして瞳の色は青いままだ。
「オッドアイだったのか。でも珍しいものでもねーだろうに」
 虹彩の変化は激しい痛みを伴った。この虹彩の色だけはもう、二度と戻らないかもしれない。赤狂いはよく見ようと動きを止めて、入矢の顔を固定し、顔を近付けた。そして指で目のまわりを撫で、笑った。
「うぁっ!!」
 次の瞬間、入矢は指でこじ開けられた右目の眼球を赤狂いによって舐められていた。ぬるり、ざわり、そして生暖かいものに触れられている感触が入矢の身体を硬直させる。瞬きが阻まれて入矢の目は侵入物を排除しようと自然と涙を分泌しだした。涙さえ舐めとられて、釣られた左目から涙が垂れる。
「しょっぺー」
 入矢の目からようやく解放された。入矢は涙目で赤狂いをにらみつける。
「なにすんだよ!!」
 怒鳴ったところで、首に手をかけられる。ぎょっとしたと同時に妙に冷えている赤狂いを見て入矢ははっとした。
「言っただろ? ひでぇことするって。知ってか? セックスの最中にな、首締めると、ナカもめっちゃ締まんだよ」
「首絞めて殺そうっての? 賭けはそれじゃ無効だよ!」
「んなワケねーだろ? 殺すのはもったいねーよ、お前は。ホント」
 首ならノワールに絞められたことがある。酸欠でひどい目にあった。こいつもそれがしたいのか、しかも同じように二人とも俺との初めてで!! 内心怒りが溢れてきて入矢は冷ややかな目で赤狂いを見つめ返した。
「そんな締めてほしいなら、締めてやろうか?」
「違うって言ってんだろ? だからさぁ、俺もまだ、やったことねーんだけど、もっとひでぇことしたらどんだけ締まるのかってハナシだよ」
「何をするつもりだ?」
 本能っていうのか、第六感っていうのか、入矢は何かいやな予感を感じ取った。それを体現しようというかのように赤狂いの手が右のほほに添えられる。その感触に、そしてこれからされるであろうことに入矢はぞっとした。
「やめろ! ショック死する!!」
「そんな根性なしじゃねーだろ?入矢」
「馬鹿野郎! どっちにしろ、お前みたいなヤツに任せたら失血死する! どけ! そんなことには付き合えない!!」
 入矢は本気で抵抗しようと腕をばたつかせはじめた。
「ちゃんと再生禁術かけてやる。こう見えてもおれ、うめーのよ?」
「信じられるか! そこまで悪趣味だったとは!!」
 入矢は殺気をこめて腕を相手の項に叩き込もうとした瞬間、腕をつかまれ、磔にされる。
 入矢は抵抗を止めず、腕を動かそうとした。赤狂いはにやにやとそれを見て、入矢を自分のモノが中に入ったまま入矢をうつ伏せに無理やり変えると、腕を持ち上げた。
「やめろ! おまえ、そこまでする気か!!」
「言ってもおとなしくなるたぁ、思えねーかんな」
 ぼぐっという生々しい音が響いた瞬間に入矢の叫びが上がった。利き腕である左腕の肩関節を簡単に外された。入矢はその瞬間から脂汗が出てきたのを感じ、肩が脈打ち、重いような熱いような痛みが襲ってきた。
 力が抜けた入矢の左腕は人形の腕のようにベッドの上に転がっている。もう、痛みのせいで自分のものと思えないくらいに、何も感じなくなっていた。入矢は呼吸が速くなるのを感じていた。完全に萎えた。
「さ、次は右いっとくか」
 同じように右腕を背中の後ろに回されて入矢は本気で叫んだ。
「やめろ、腕が使えなくなる!」
「使えなくさせるんだから、当たり前だろ?」
「わかったよ、入矢。何も両腕肩関節外すことはないか」
 入矢は安堵にふっと短く息を吐いた。その次の瞬間、また体が悲鳴を上げた。
「ああああああ」
「こういう悲鳴も聞いて興奮すんなー」
 射精が訪れたのか、入矢のナカに思い切り白濁が放出されるが、入矢はそんなこともはや感じられなかった。今度は赤狂いは肩関節ではなく、入矢の肘の関節を外したのだ。
 同様に死んだような切り離されてすでに感覚がないように入矢の右腕もベッドの上に投げ出される。
 入矢は涙が垂れていたことすら気付かず、荒い息を繰り返していた。
 赤狂いは射精したことで、入矢から己を抜くと入矢の中から白濁の液体が毀れてきたことを満足げに眺めた。
 そして入矢を仰向けに寝かせると腕の関節を外した部分がすでに内出血を起こし、紫色に染まっている。白い肌にその紫色は痛々しいというよりむしろ気味が悪い位に変色していた。
 入矢は額いっぱいに脂汗を浮かべ涙を流している。抵抗する意思を削ぐ、というよりかは抵抗そのものをさせなくしたのだが、本人は痛みで気付いていないだろう。
 外した瞬間に入矢は激しく赤狂いを締め付けた。最高だった。もともと挿れたとき、具合はいいとは感じたがここまでとは。満足して痛めつけた少年を見下す。
 痛みに耐えている入矢は可哀そうと同情したくなる一方、すばらしい色気がある。顔を眺めているだけで反応してきたことを珍しく思いながら、赤狂いは自分の放ったもので濡れている秘部に己を再び突き立てた。
「ごほっ」
 入矢は痛みに激しく疲労したのが、血を吐くような息の吐き方をして挿入そのものには反応できないようだった。
「入矢は抵抗のプロなんだろ? 脚も折った方がいい?」
「やめ、やめて……」
 かすれた声が煩悩を直撃する。懇願する表情がたまらない!
「にげ、ないから……」
 意識が離れかけているようだ。それじゃ困る。これからが本番なのに。そう思って赤狂いはすっかり力の抜けた人形のような体を一方的に蹂躙する。揺さぶっても入矢は声を上げない。腕は全く動かず、慣性にのみ従って、赤狂いの行動についてはこなかった。
 まぁ、無理なはなしだ。萎えっぱなしの入矢の中心をいじっても反応はしない。マゾの気は薄いのかもしれない。
「こっちを見ろ、入矢」
 ほほを軽く叩いて、自身が十分な硬度を持つほどに反応したことにニヤりと笑みを浮かべた。入矢は涙目で赤狂いを見る。どう思ってるんだろう。これから従順な性道具となるか。それともまだ反発するか。初めてでこんな扱いをしたのは初めてだった。
 入矢の内出血している部分におもいきりベッドの隣にあるチェストから出したナイフを突き立てる。
「ああぁぁあぁああぁあああ!!!」
 再び入矢の悲鳴。こんな紫色なんだ。肌の下には大好きな赤が無駄に流れているならば、自分の視界に入れて自分を興奮させるべきだ。そう考えて左肩のナイフを抜く。おもいっきり刺したから傷口は相当深い。それをまた力任せに抜いて、入矢の悲鳴を聞く。
 抜いた瞬間からみるみるうちに湧き出るように赤が、赤が!! 溢れてきた。誰が血は赤黒いなどと言ったのか? 新鮮な血の美しい真紅、この赤を見よ!! 紫を染めつくして、入矢の肩が真っ赤に染まる。
「本当だ、君の白い肌に赤はよく映えるよ、入矢」
 最初は恐る恐る、そして覚悟を決めて赤狂いは入矢の血を流す傷口に触れた。
「う!」
 入矢が痛みに顔をしかめるが、気にしない。赤狂いは自分の興奮はすべて入矢の血液に注がれていた。自分の手が入矢の血の赤に染められていく。なんてすばらしいんだろう。
 そしてすっかり興奮しきった赤狂いはナイフが空けてくれた真紅の縦穴、すなわち傷に指を突っ込んでかき回す。入矢が痛みに白目を剥いて、叫び、全身を痙攣させる。
 傷口から指を抜いて、真紅に染まった指をうっとり眺め、そして舐める。赤い味だ! これが!!
「入矢」
 満足した赤狂いは入矢の意識が残っているのを確認すると、入矢に語りかけた。
「痛かった?」
「いたい、に、きま、ってん、だろ!」
 まったく力がこもっていない声だったが入矢の怒りが十分感じられた。と同時に興奮した。この子はあれだけ痛めつけたのに、折れていない!!
「でも、入矢が悪いんだよ?」
「……な、に?」
「この、嘘つきがっ!」
 穏やかな声を急に激しいものへ変えて、赤狂いは入矢の血で真っ赤に染まった指を入矢の右目に突っ込んだ。

「―――――――――――っ!!!!!!!!」

 入矢の呼吸が止まった。乱れる。口が叫ぶためにめいいっぱい開いて、右目から青を埋め尽くす赤が噴き出し、赤狂いの顔に散った。指を突っこんだまま、狭い眼窩の中でゆっくり動かす。
 少し動かすだけで赤が激しく散って、入矢の絶叫が響きわたる。眼球がつぶれてしまう生々しい感触を入矢は知覚しているだろうか? いけない、もっとずっとかき回していたいが、入矢の意識が落ちたらつまらない。
 赤狂いは入矢が痛みに悶絶しているのを確認して、そして。

 ぶつっ。

 数瞬、おかずに
「ぎゃあぁあああぁぁぁぁあぁああ!!!!!!」
 セックスの最中に似合わぬ絶叫というか、痛みによる咆哮と言おうか、入矢の顎を外さんばかりに、その喉から生命の叫びが放たれる。少し型崩れした入矢の右目。青い眼球は血にまみれて真赤だった。それを満足げに一舐めし、残った左目に見せつける。その緑色いっぱいに俺という存在と、この至高の赤を刻み込め!! 入矢!!
 涙に濡れた緑色の目が殺意を持って赤狂いに向けられる。手さえ動けば今にも殺すために飛びかかってきそうだ。それに満足して、眼球をつまみあげた。腕が動かないから目を抑えることもできず、赤色の血を流しながら、入矢は赤狂いを見ている。
 見られていることも一種の興奮材料になっているのを自覚して、赤狂いはそのたった一つの、今この場でしかない新鮮としか言いようがない入矢の眼球を口に含んだ。そして噛んで、潰す。
 噛んだ瞬間にはじけて、口いっぱいに塩味が広がった。嚥下する瞬間まで興奮が止まらなかった。そして耐え切れなくなって、射精する。すでに意識を手放してしまって、横たわる白く、美しく、ところどころ真赤に染め上げられた身体の上を汚すように、穢すように、赤狂いの精液が飛び散った。
 血が止まらないぐったりした肢体を抱きあげて、虚ろになった真赤な眼窩に口づけを落とすと、珍しく赤狂いは自らの手で治癒術式を展開し始めた。血止めをしてから、一番ひどい右目の再生術式から。時間がかかるので、術式だけをかけて、ベッドの向こうに落ちていた眼帯を直し、清潔に保たせて、蓋をする。
 一か月もあれば再生するだろう。その時には、その眼がノワールの血約による青でなく、入矢本来の緑に戻っていることを切に望む。過去は問わなくても、その体に昔の男との情事の痕が残っているなんて、自分が二番煎じのようで気に食わなかったのだ。
 そして傷を丁寧にふさぐ。跡も残らないように、丁寧に、丁寧に。少し赤色が止まってしまうことを残念に思いながら。
「どうせだから、髪を伸ばすか」
 赤狂いはいそいそと入矢の髪を伸ばす禁術をかけ、満足そうに気絶した入矢を眺める。
「俺に風呂に入れらせるとは、本当に珍しいというか、すげぇな、入矢」
 浴室まで抱き上げて運ぶその姿を、部下が本当に珍しそうに眺めていることに内心笑いながら、赤狂いは次に入矢になんと声をかけようかとくすっと笑った。

 廃墟が広がっている。この場所はどこぞにもいそうなマッドな技術者の実験場になっていた場所で、結構な汚染が広がり、誰も近づかない場所だった。
 そこに平然とチェシャ猫は立っている。普通なら人間は数分いるだけで体内から汚染され、破壊される魔の地だというのに。
「それで、入矢はどうした?」
 何もない空間にチェシャ猫は語りかける。だれもほかに姿は見えないが、確かに返事も聞こえた。
『だからちゃんとお狐さまのトコに送り届けたってぇ』
「それじゃ、守ることになんねぇだろ、いつもてめぇらは仕事を適当に済ませようとしてんじゃねーよ。こっちはちゃんと金払ってんだぞ! 見合う働きをしやがれ!」
『ぶっちゃけ、入矢は気に入ってるよ? でもさ、僕だってお前が今、禁世に行くことは反対なワケ。それを助けるとでもおもってんの?』
「おい、マッドハッター、テメェはどうなわけェ?」
『私はマーチヘイヤに従う。わかっているんだろうな? お前こそ。皆がお前を案じていることを』
 チェシャ猫はそこで黙る。
『第一階層に戻ってからじゃだめなのかよ?』
「だめだ。時間がかかりすぎる。それではノワールが間に合わない」
 しばし両者とも無言。
『お前、俺らとハートのお二人とイモムシ以外みんな第一階層に上げたんだって? それほど、危険になるのか? ここは』
 話の話題が変わったことにチェシャ猫も反応する。
「黒白の両面が関わっているなら、用心にこしたこたァねェとおもったんだよ」
『お前の頼みはなるべく聞くけど、僕らも危険が迫ったと思ったら上がるからな、それはいいだろ?』
「ああ」
 チェシャ猫は頷くと、片手を上げる。
『僕らが止めても、行くのか? お前の得にはこれっぽっちもならないって言うのに』
「ああ。じゃぁな」
 チェシャ猫はそういうと、何もない空間に両手を突き出した。そして扉を両手を使って開ける動作をする。その瞬間に赤い空間が突如現れる。
 チェシャ猫は迷わずにその赤い空間の中へ飛び込んだ。チェシャ猫がその中に入った瞬間に何もかもが失せ、元通りのさみしい空間へと戻って行った。

 まず自分で風呂に入れた。でもやっぱりな、と思い直して係りのプロに入矢を最高に仕上げろとだけ言い残し、自分は風呂から上がる。
 入矢は目覚めない。失神したままだ。それはそうだろう。傷めつけは極めた。賭けをしようと言ってきたことは赤狂いにとってこちらに有利に働く一手だった。おそらく、入矢は何かしらの目的があって身請けしたに違いない。だが、その目的が読めない。
 自分が抱えている情報を欲しいのかと鎌をかければ、違うようだった。まさかあの女の復讐? それにしてはすぐに殺そうとしては来ないでこんな目に合っている。入矢は本当に自分との賭けが有利、もしくは対等とでも思っているのだろうか?
 入矢が逃げたくなるような状況を作り出すことなどこちらには容易い。体を痛めつける、精神を追い詰める。いくらでもある。先のセックスでは赤狂いは入矢の両腕の関節を外した。骨を折らなかっただけましだが、かなりの痛みだっただろう。なにせ、痛いように上手に外してやらなかったのだから。そして深さおよそ15cmの刺し傷、極めつけは右目を喰ってやった。
 あの入矢の殺意に染まった眼は最高だった。あいつは少々痛めつけたくらいでは折れない。賭けは有利に進まない。ならば、今度は。精神的に逃げたくなるようなことをしてやるまでだ。

 ハートの女王に投げられ続けてはや一週間。ハーンは飽きないねぇと呆れている。
 しかし二週間目にもなればアランだって反応できるようになった。女王様の動きについてこれるようになったのだ。それは格段の進化だった。ハーン自身も一月くらいはかかると踏んでいたのだが。
 そして戦いのさなかでコツをつかんだらしい。アランはやはり格闘系、拳を振るうことにしたらしい。武器はメリケンサックとナイフが一緒になったような武器。
 スペルを教えなかったのに、よくぞ自分で生成したものだ、いや、できたものだ。それだけ進歩が速く、禁世にも慣れたか、と考えていたがそれが大きな誤りであることにハーンは気付けなかった。
「こんなもんね」
「そうですか?」
「ええ。これで第三階層制覇くらいの実力は付いたでしょ」
 アランは手を握ったり開いたりを繰り返している。自分の実力をわかっていないようだ。不思議の国の住人・ハートの女王の動きについていけるだけでもすごいことなのだが。
「試しにゲーム出てみたら? きっと実力を自覚できるわ」
 やることはめちゃくちゃでえげつないが、彼女は基本的には優しくていい人なのかもしれないとアランは思った。イライラしたからという理由らしいが稽古をつけてくれ、強くしてくれ、戦闘スタイルを決めるに至らせてくれたのは彼女だった。
「ありがとうございます」
 アランがおもいっきり頭を女王さまに向かって下げると、がしっと、踏まれた。
「うるさいな、見てていらついただけんだからっ!」
 頭を踏まれたまま、アランは照れてるんだな、とわかってしまった。その時ちょうど広場の方が騒がしくなった。女王さまは足をどけて、思わずそちらの方を見る。アランもハーンも釣られて見た。
「何かしら?」
 爆弾を抱えている女王さまにこの人また、掃除とかいう名の一方的虐殺をするつもりか! と思い、どうしようか、どうやって止めようかともう一度広場を見た。一人の強引な男が野次馬の集団を突き抜けていく。その人ごみの中の中心が本当に偶然で見えた瞬間、アランはすべての動きを止めた。
「どした? アラン」
 ハーンは急激に気配を変えたアランを見て絶句する。
「……」
 口が言葉を紡ごうとして失敗する。

 見紛うことなき、真紅の頭髪。

 その人は――……。