毒薬試飲会 014

031

 ハーンは入矢の額と後頭部の出血を止める術をかけつつ、アランを見ていた。あれは何だ? 自然と体が震える。
 ハーンは隣でずっと見ていた。何が起こったのかも見ていた。でも理解には程遠い。
 アランは突然“変わった”。アランが怒鳴った瞬間に、広場にいた野次馬の人間は消滅した。ただ単に殺されたのではない。体を一瞬で水風船のように変えられ、その後すぐさま破裂させられて、血をぶちまけて消えた。
 おぞましい能力。しかし一番恐ろしいのは、その事実をアランが認識していないことだ。
 アランは入矢を助けたいが故に、入矢を馬鹿にしてしまった観衆にキレたがために自分が大量虐殺を犯したことを知覚していない。アランにとって邪魔なごみを掃き、どけた。その程度の知覚しかされていないのだ。
「清潔な水持って来たわ」
 ハートの女王が差し出してくれる水を震えが止まらない手で受け取り、少し水をこぼした。丁寧に顔についた血を拭き取る。何度も何度も拭いてようやく入矢の顔本来の色を取り戻す。
「だめですね、血が足りない。輸血が必要ですね」
 驚くほど冷たい身体を抱え直して唸る。失血によってその顔は青白い。
「増血剤は生成できるんでしょ?」
「いえ、この失血量なら増血剤では間に合いませんよ」
「死なせてはだめよ。今入矢が死んだら、あの子どうなるかわからない」
 ハートの女王はそう言うと、向かい合うアランとレッドジャンキーを厳しい目線で見つめる。
「アランに、何が起こったんですか?」
「説明してる暇はなさそうね。あの男を殺すだけで収まればいいけれど、そうも上手くいかないでしょうね」
 ハートの女王はそう言って、どこからか、おそらく禁術ですらっと細身の刀身の武器を掲げる。それはハートの女王、本来の武器で、それは刀に似た細身の剣だった。
「女王陛下?」
「止めてくるわ。だから反対したのに、チェシャ猫め!」
「陛下!!」
「アランは禁世に飲まれた! このままじゃ止まらない。もう一度閉じ込める必要があるのよ!!」
「飲まれた??」
 女王はそう言って駆け出していく。ハーンはその背に声をかけたが聞き届けられないと知ると、諦めて肩を落とした。
 そして腕の中の少年を見る。細い首に手を這わす。
 このまま首を折ってしまえばソニークの仇は取れる。
 そう思ってぐっと力を込める。だが、溜息をついて、諦めた。
 まだ、聞きたいことがある。
 禁術でチューブと針を生成するとうまく組み合わせてひとつを自分の腕に、もう一つを入矢の腕に差し込み、輸血を始めた。
 入矢の顔を眺める。そうして血に汚れた眼帯を清潔にしなければと思い立って、そのものに手をかけ、ふっと禁力を感じる。
 眼帯を剥ぎ取って、ハーンは絶句した。
「こいつ、目が……」
 ぽっかりと空ろな眼窩のみがそこに存在している。禁力をよくよく感じ取って、右目の再生術式だったと理解できると、ハーンは当惑して入矢を散々嬲った男を眺めた。
「殺す気だったのか!?」
 入矢の体をよくよく調べなおす。そして入矢の扱いを思い知った。あの男は入矢にひどいことしかしていないようだ。なぜそんな男の元にいる? 入矢はノワールと別れて何をしようとしているんだ?
 そもそもアランをも巻き込んだこの一連の騒動は入矢が引き起こしたものだ。入矢はなぜノワールを裏切り、わざわざアランの元へ来たのか。そしてなぜもとの鞘に戻ったはずの二人が引き裂かれ、このような事態に陥っているのか。
「お前、何考えてる?」
 ハーンはピクリとも動かない入矢に向かって問いかけた。
「なんなら、教えてあげようか? “黄色い虐殺者”」
 ハーンはしばらく耳にしなかったその言葉を聴いて、思わず振り返り、そして呟いた。
「お前、ステレンファント・ヴァムジーフ!!?」
「覚えていてくれたのか“万緑の魔女”の飼い主サマ」
「なぜ、お前が第三階層に降りてきているんだ?? お前はまだ、第二階層の十指の位に就いているんだろう?」
「ふ~ん。引退したってワケじゃないのかー。いや、あんたらはさ、目の上のたんこぶみてーなもんで、死んでくれて助かったよ。殺してくれなきゃ、復活でもされて困ってたんだ。厄介な女だったよね。お前のパートナー」
 目の前にいるのはまだ年端もいかない少年だ。ピンク色の独特なデザインの服を着た愛らしい少年。だが、その真実の姿は第二階層ランク2のトップから十番以内、十指と呼ばれるの実力保持者の奴隷。
「“橙色の悪魔”はどうした? お前がいるってことは近くにいるんじゃないのか?」
「ご主人様は違うモノにご執心なのさ。だから代わりに見に来たの。赤狂いの様子をさ」
「お前! あいつの知り合い、いや、あいつが部下なのか??」
 ハーンの問いかけに少年はぷっと笑う。
「必死になりすぎ。ねぇ、面白いことになってるね、あの少年。あれ、誰? “黄色い虐殺者”」
「俺の問いに答えろよ」
「あそ。赤狂いはね、ご主人様だけの部下じゃないの。“青い地獄”と共同の子飼いだよ」
 少年はくすくす笑う。ハーンは逆に絶句した。少年が今言ったことが本当ならば、それは大変なことになる。
「そう、わかったぁ? “真紅の死神”はね、ご主人様と“青い地獄”から逃げるために“漆黒の黎明”を裏切ったんだよ」
 ハーンは信じられない目をして少年を見つめる。
「そうさ、あの二人はお前たちを負かしたばかりでなく“万緑の魔女”を殺した。だから、目をつけられたのさ」
 ハーンは莫迦な、と呟いた。
「あ、正確には違うか。入矢が“真紅の死神”になっちゃったから、みんなが欲しがったわけだよね」
 今でも思い出せるなー、と少年は笑う。
「……お前たちは、何が目的だ」
 低く、ハーンは怒気を含ませて少年に尋ねる。対して少年が朗らかに笑って言った。
「だから言ったじゃないか。赤狂いの様子を見に来たって。赤狂いが殺される分には構わないけど、入矢を獲られるのは頂けない。だからさぁあああ!!」
 少年がおもいきりハーンに向かって腕を振り上げた。ハーンは厳しい表情を崩さぬまま、構え、そして構えた腕が入矢とつながっていることを知覚した瞬間、すでに鈍い痛みを受け入れていた。

 アランの頭には、この男を殺す、ということしかなかった。
 殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す、殺す。
 腕を振り上げて、男を叩く。それは殴るという行為とはかけ離れている。やはり、叩くという表現がふさわしいだろう。まるで、嫌いな害虫を叩き潰すかのように、男を圧倒的な力で叩いて、重圧で押しつぶす。
 体液をぶちまけろ! 無残な血と肉の塊に成り果て、その無残な死体をさらすがいい。
 フェイさんにあんな真似をしたこの男にはそれでもまだ、飽き足りない。叩くだけでは気がすまない。
 ならどうする? どうすればこの怒りは収まる? 虫を殺した後に湧き上がる、虫に出会ってしまった不幸と嫌悪感、そして虫の死骸を見て感じる気持ち悪さと後片付けを嫌悪する気持ち。それがこの男を殺したときにも訪れるだろう。
 でも逆におもいきり体を押しつぶし、ひねり潰して、内臓をあたりに撒き散らし、無残に死ぬことこそが一番この男には似合っているとも思う。
 男はアランが手を下したわけでもないのに、何もない場所で“何も”されていないというのに、何者かに踏みつけられて、ぐりぐりと痛めつけられているかのように、地に伏せて、苦しんでいる。唾液が口から垂れて、重さに喘ぐばかりの彼は、あまりの重さに口から血を流す。
「やめなさい!」
 アランの手を誰かが止める。アランはそちらを振り返った。
「やめてくださいよ、こいつ殺さなきゃ気がすまないんですから」
「だからって、このままにしたら、あんたが……!」
 思考がいつものようにはいかない。なにか膜がかかっているように、どうでもいいことのように思えるのだ。ただただ殺したい。この男を殺したいんだ。
 ハートの女王につかまれた右腕を振り払う。
「ハートの女王サマがいるたぁな。……てめぇ、本当に何モンだよ?」
 赤狂いと名乗った男はハートの女王の姿を見て、少し驚いたようだった。
「殺してどうするの? あんた、それで満足できるの? この男を殺したら正気に、戻れるんでしょうね? なら、早い。殺しなさい。思うままに気が晴れるだけ、殺せばいいわ」
「なら……!」
 振り上げた手がなぜか止まる。殺して満足できるのか?
 否、できない。このまますべてを破壊してしまいたい。目の前に、視界にうつるものすべてを壊しつくして、世界が俺とフェイさんだけになればいい。
「できないでしょ?」
「うるさい!!」
 冷ややかな女王の声が今は激しく忌々しい。
 この女も俺を邪魔するんだ、ならば、殺してしまえ!!
 振り上げた拳をハートの女王は難なくよけた。しかし、アランが振り上げた拳は地面と接触した瞬間、衝撃波を放つ。
 直線状に避けただけでは高さもすさまじいその攻撃に対応することはできない。
 ハートの女王は剣を下から上へと振り上げ、その衝撃は自体を“斬った”。次の瞬間に激しく女王の髪とスカートを靡かせて、衝撃波が通り過ぎる。
 しかし、アランはそれだけでは止まらない。二撃目が容赦なく襲い掛かる。激しい物量による、重力をそのままぶつけられるような重さの攻撃。ただ単に殴っているのではない。それは巨人が地面をたたいているのと同じだ。
 それを可能にしているのがアランと直接つながってしまった禁世。
 ――アランは禁世に飲まれた。
 禁世とは禁界という。そして禁世には禁力が存在している。禁力の塊、集合体、そのものの世界。それが禁界であり、禁世。
 禁世は意思を持っている。禁世は人間を好んでいる。
 だからこそ、特殊な状況下におけるこの快楽の土地で禁世は欲深い人間に力を貸した。
 禁世は不幸を好み、禁世は美しさを好む。禁世は特出した才能を欲し、能力を愛で、異端の感情を求める。
 禁世は才能のある人間に目をつける。そのものが自分の意識とは関係なしにその才能を発揮するならば、それは“禁世を揺らす”と表現できる。
 また、禁世は使う人間を選ばず、排さない。
 禁力を使うことに慣れた人間は徐々に禁世と細く繋がりを持ち、禁世を一定量自在に扱うことができるようになる。それはその人間の、そのものの、個人の力となり糧となる。
 しかし、今回の場合は。
 “禁世に飲まれる”。この表現が当てはまった事例は少ない。
 禁世が激しい揺れ幅の感情の乱れを感じたときに禁世はそのものを気に入り、手に入れてしまう。
 禁世はその人間を愛で、その人間の求めに応じ、人間は膨大な量の禁力を手にし、暴走する。理性を手放し、本能の赴くまま、行動をしてしまう。
「馬鹿ね!」
 ハートの女王にはわかっていたはずだった。このアランと呼ばれる少年が心を傾けていることに。
 この少年の目つきは最初から気に食わなかった。禁世に近いと感じた。禁世を揺らすことができる人間の数が少ないが、禁世に飲まれた人間はもっと少ない。感情の起伏によって禁世に近づき、禁世が近づけばそれだけ扱える禁力の量も増す。
 しかし、飲まれるほど大量の禁力を目の前にいる少年は扱いきれない。禁世にやられて、理性をなくし、心を失っている。このまま本能のままに行動すれば、待っているのは廃人と化した精神状態だけだ。
 麻薬だって規定量を守らなければ、それは毒だ。ハートの女王たち、不思議の国の住人はあまりにも禁世に近く、そして過去に禁世を揺らしたことがある人間たちとも言える。
 本当の定義は別にあるが、ある意味ではそういう捉えられ方をされても否定はできない。
「アラン!」
 名前を呼んで、心を引き戻す! アラン、戻ってきなさい。あんたはそうやって禁世に頼って望みをかなえたいわけじゃないはずでしょう??
 容赦なく剣を振るい、アランの胸から鮮血が舞う。痛い、と言いたげな顔を向け、アランが再び手を振り上げた。チャキっと刃の音が小さく響いた。顔の横に構え、刺突の要領で攻撃をかわし、アランの胸元に突っ込む。
 深く胸を刺し貫いて、アランの顔の前に手をかざした。
『お前はこれより、“ハートの女王”の所有物だ!!』
 声高に宣言した瞬間、アランの目が見開かれ、絶叫が迸る。
「ぎゃぁあああああ!!!」
 のけぞったアランの背から剣を抜いて、手をかざし続ける。
 するとアランの左目にくっきりと黒い十字架が浮かんできた。虹彩や角膜といった目の構造を無視したその証はアランの体から湧き出る禁力を禁世に強制的に戻していく。
「っく!」
 ハートの女王の額に汗が浮かぶ。強大な量の禁力を強制的に戻すにはこの方法しかない。
 すなわち、アランをハートの女王の所有物として、管理し、ハートの女王を通して出しか禁世と触れ合えわさせないのだ。
 不思議の国の住人はすべて禁世との扉を持っている。その扉からでしかアランに禁世を触れされなくしようとしているのだ。
 しかし。
“それはないんじゃなくて? ハートの女王”
 弾かれた! ハートの女王がそう知覚した瞬間に、視界が真っ暗に染まり、次第に赤色に変じていく。
「お前!」
 周りの景色が一変していて、無限の赤色が広がっていく。そこは通常ではありえない景色。彼女も数回しか来たことがない場所。禁世の中だった。
“おひさしぶりね”
「お前、“黒白の両面(こくびゃくのふたおもて)”!!」
 目の前にいる女に向かってハートの女王は叫んだ。禁世の中にいて、普通の人間が普通でいられるはずがない。でもこの女なら可能だ。
 この女は人形師。自らの体でさえ、人形と交換することができるのだ。
“おにいちゃんはあたしがずっと昔から目をかけていたのよ? つばつけるなんてひどいじゃない”
「そう、この一連のことはチェシャ猫の言うとおりあんたの仕業だったのね」
 くすくす女が笑う。不愉快だった。
“本当に、あの猫にはやられたわ。あの猫を廃せば、少しは思い通りになるかと踏んでいたんだけど、まさか貴女が来るなんて。磐石の備えだといわれているみたい。でも残念ねぇ。あたし、やばいと思ったときには迷わず自分も働くタイプなのよ。知らなかった?”
「何が目的なのよ?」
“やぁね、教えるわけないじゃない??”
 ハートの女王は剣を構えたまま、低くつぶやいた。
「前から目をかけていたって言ったわね。……アランのあの体質。滅多にお目にかかれるものじゃないわ。……そう、あんた、自分で創ろうとしてるのね? チェシャ猫を」
 目の前の女は少し目を見開いて、いたずらがばれた子供のように舌を出して笑った。
“よくわかったわね”
「確かに。チェシャ猫が自在になれば、あんたは何もかも自由にできるでしょうね! でも、無理よ。この世に許されたチェシャ猫はアイツだけよ!!」
“そうかしら? あの猫だって所詮、飼い猫でしょ? 誰かの支配におかれていることに、代わりはないわ”
「違う! あいつはね……」
“知ったことじゃないのよ。あなたたち、不思議の国の住人の思惑なんて。あたしは楽しく愉しく過ごすために努力は惜しまないの。そのために、生きているし、これからも生きていくの。貴女たちのような不自由な生き方はごめんだわ”
 女は鼻で笑うとにやぁっと唇を吊り上げた。
“だからね、彼に貴女の所有印をつけられたら困るのよ。彼にはもっと狂って、狂って、禁世に落ちてもらわなきゃ。到底チェシャ猫と同じ器にはなれないもの。だから、ここは穏便に、取ってくださるかしら? 女王陛下”
「いやよ、あたしに命令するなんて、とんだ見当違いね! 首を刎ねておしまい!! とは言わないわ。あたしが直接、刎ねてあげるわ。感謝なさいな!」
 剣を思い切り振った瞬間に、地から這い上がるように人間がいく体も出現する。それはすべて女の影響下にある人形たち。もとは人間、いや、人間と変わらない人対ゾンビのようなもの。
“女王陛下が招くクリケットには参加してもいいけれど、私、負けず嫌いなの。さて、陛下? あなたは自在に動かない駒の前でもクリケットで勝てるのかしらね?”
「舐められたものね!!」
 剣を振りかざし、横に薙いだ瞬間に、突風が吹いたような衝撃とともに、目の前に立ちふさがった人間が一瞬で塵になってしまう。これこそが、ハートの女王最強装備。ハートの女王は爆弾魔などではない。彼女は本来れっきとした剣士であった。
 そう、言うとおりに彼女は首を刈るのが面倒になったから爆弾を使用していたに過ぎなかったのである。
“貴女たち不思議の国の住人の化け物じみた強さを十分理解してるわ。その強さの筆頭にあげられるハートの女王さま。でも、一気に百人に攻撃されたら? 千人、一万人、あなたが対応できないだけの人形をこちらは用意しているわ。その不思議の国の名に傷がつかないうちに、負けを認めたらいかがかしら”
「人形師の名は伊達じゃないわね!」
 すべての方向を敵で囲まれた女王はひたすら剣を振るう。しかし人影は減るどころか増えていくばかりのようだ。物量作戦は個人で最強の力を奮う者にとって、最大の敵といえる。
“さぁ!!”
 何分、いや何時間この攻撃に耐えただろうか。腕に疲れを感じ始めた。場所もよくない。禁世の中はハートの女王の嫌いな場所である。
”死んでもいいの? 強情な女“
 嘲ったような声に目線を向けた瞬間、背後から痛恨の一撃をうけ、ついに女王はひざをついた。その途端に、女からキャっという歓声が聞こえ、舌打ちをする。
“殺せば、所有印も消えるでしょうよ!!”
 女の喜々とした声に、人影が一斉に襲い掛かってくるのが理解できた。ハートの女王は禁世で禁術を使えない。もし、この場所でさえなければ、爆弾が使えたのに。この女がそこまで考えてるならば、いや、考えていただろう。
 やはり、チェシャ猫の対策はよくできていたことになる。チと舌打ちをひとつ。
「行け! A(エース)!!」
 幼い声が響いて、身に襲い掛かるであろう攻撃が止んだ。ハートの女王は唖然として景色を眺める。人影はそれぞれに白い一枚の紙が立ちふさがって、それぞれで戦っているのだった。
「あんた、なんで?」
 ハートの女王は新たに現れた幼い子供に声をかけた。美しい金糸の髪におそろいの赤い瞳。しかし、ハート型の黒い眼帯がチャーミングであり、変に見える子供だ。
“予想外ね。まさか貴方もここにいらっしゃるとは、陛下”
「ハートの女王に戦いを挑むなんてどんな莫迦かと思えば、貴女か。よほどその頭、記憶力が悪いと見えますね」
 子供を思わせない口調と毒舌が響く。
「あんた、なんでこんな場所に? 第二階層で待ってなさいって言ったでしょ?」
「姉さんの危機を感じて、自分が危ないわけでもないのに、助けない薄情な弟だとでも思っていたの?」
 子供はハートの女王の前だけはその子供らしさを取り戻す。ばさっと真っ赤な小さめのサイズのマントを払い、子供は勝ち誇った笑みを浮かべた。
「貴女がどれだけ人形を用意しようと無駄ですよ。わかっておいででしょうが、僕の紙兵も無限ですからね? なんなら人形勝負でもいたしましょうか? 紙兵を自在に使うことこそ、この僕がトランプの王、ハートの王の権限でありますから」
 手のひらから零れ落ちる、四角い紙は、地に落ちる寸前で立ち上がり、拡大して、意思を持った彼の奴隷となる。
“これは失礼を、ハートの王様。女王陛下への無礼お許しくださいな。あまりに力を持たない貴方ですが、女王陛下が絡んだときは別人のようですもの。そして私の力は貴方とは相性が悪い。退散しますわ。でも覚えていてくださいませ。アランは、私のものですから”
 女はそう言って消えうせる。後にはばらばらに散らばった無数の紙と二人の姉弟が残された。
「何があったの? 姉さん」
「チェシャ猫が目をつけていた奴が禁世に飲まれたのよ。一応所有印を残したけど、あの女に邪魔されて、中途半端よ。チェシャ猫が帰ってくる前に、また暴走しないといいのだけど」
 子供はハートが彫られている王冠をかぶりなおし、姉に言った。
「とりあえず、ここを出よう。姉さん」
 紙が二人を覆っていく。無数の紙が集まって白い集団を作り上げ、いつしかその紙ごと、二人も消えた。

 赤狂いは内心驚いて、しかし行動だけは冷静になっていた。
「なんてラッキーなんだ」
 目の前には先ほどまで暴れていた少年が気を失って倒れている。ハートの女王に何かされて、あの力は使えないみたいだ。
 こいつぁ、ついてるぜ。そして少し先に入矢が倒れているのを見つける。その隣には見たことがある男が。
「なんだぁ、こいつ、黄色い虐殺者じゃねーの」
 三人の男が倒れている。そして全員知り合いみたいだ。これは、うまくすれば最高の娯楽に変わる。
 誰もいない真っ赤な広場で赤狂いは狂ったように笑い、そして三人の男を引きずっていった。途中で控えていた部下に少年と男を引き渡し、やはり入矢だけは自分の手で抱え、第二階層へと戻っていく。
「入矢、やっぱ、お前は愉しいよ」