毒薬試飲会 025

15.ベンゼン

054

 時々、おまえのことを夢に見るよ
 懐かしくて、愛おしくて
 でもな、知ってるよ
 それで……砕けるのも夢のうち

 「毒薬試飲会」

 15.ベンゼン

『さぁて、賭けて、賭けてぇぇえええ!!』」
 この前、入矢とノワールが立っていた場所にアランがこうして立っているのが不思議に感じる。客からしてみた時には、騒がしく激しいと感じた客の声も気にならない。このいつものゲームより激しい眼帯と拘束のせいだろうか。心が逆立たない。入矢とのゲームと違って、戦う前なのに静かでいられる。
 ハーンは入矢のようなすべてを任せるような、絶対的な支配をしてくれるような安心感はない。だけど、背中を預けられるような違った安心感はある。それともハーンが初戦は一発でそれも一瞬で勝つと言ったからだろうか。
 鎖が一つ外されて、一つまた一つ外されていく。身体が軽くなり、視界が開く。上空で椅子が浮かび上がり、回転が始まる。
『初戦の相手はぁああ、桃色の誘惑・アナン・マージョリーとミュミン・マッケンのツイン!!』
 わぁあああと歓声が上がる。静かに視線を上げた。蛍光色の桃色の髪の女性が支配者の席に座っている。その下に下僕のような一般的と言える奴隷がアランをにらみつけていた。
『さぁ、初戦、無謀なる一戦がスタートでぇえす!!』
 アランは静かに立っていた。ハーンの考えていることなど、わからない。しかしハーンが一瞬で終わらせると言ったのなら、信じなければなんのためのペアだろうか。見なくてもわかる。ノワールとは違うが、ハーンも余裕の表情であの王座のような椅子に君臨しているに違いない。
 アランは一回目を閉じ、そして深呼吸をする。再び目を開けた時、転がり落ちるかのように、桃色の頭が花弁のようにはらりとはいかずとも、軽い音を立てて落ちていた。目の前に落ちてきた首に奴隷であるミュマンが驚愕の表情をする。
『な、ななななんとぉおおお!!! 一瞬、一瞬です! 誰が予想したでしょうか! このスリーコインゲームの初戦、ハーン・ラドクニフ、一瞬でアナン・マージョリーを下しましたぁああ!!』
 初めてハーンを振り返る。するとアランが思い描いていたような表情をしたハーンが静かに相手の席を見据えていた。それに満足する。
 ハーンはアランのほうを見て、頷いた。アランは昨日のことを思い出していた。

「いいか、こいつとこいつ、あとこのペアだな。こいつらと初戦に当たった場合は俺が一瞬で支配者を殺してやるから、お前は動かなくていい。体力を温存していろ」
 ハーンが挙げたペアの中には桃色の頭をしたアナンのペアが含まれていた。名前を覚えずともその派手派手しい頭の色で覚えていたのだ。
「だが、この技といっていいか迷うが、それが通じるのは一度きり。それ以外は通じないから、二回戦目からはお前も命を懸けて戦え」
「わかった」
 アランは気を引き締める。次の相手からはハーンの瞬時の禁術、すなわち万緑の魔女と戦っていた名残の禁術は通じない。ハーンは一瞬で相手を光速の速度で殺す『黄色い虐殺者』の元となった黄色い閃光による殺害方法によって一瞬でゲームを決した。
 ソニークが作り出す相手の人形を瞬時に大量に殺害する為に生み出された黄色い閃光。これはハーンのオリジナル禁術であり、その速度は禁術の中で最速を誇る。
 放たれた瞬間に首と胴が切り離される。知覚ができたとしても避けることは愚か直撃をそらすことすら不可能。
 ハーンにその禁術を放たせたらおわりだ。そういう意味でハーンは十指として君臨していたのである。
 だが、この禁術は最速になるあまりに命中精度が悪いという弱点を持っている。ゆえにソニークとの連携では大量虐殺という方法を選んでいた。個人の、ピンポイントを狙う禁術には不向きであった。ハーンの禁術の弱点をソニークの禁術がうまくカバーしていたのである。
 では、今回はどうしたのか? ハーンは命中精度を上げるためにゲーム開始の前から禁術構成に入っており、指定禁術を重ねておき、コール瞬間に発動していたのである。集中はゲーム前にやってしまえば当てることなどたやすい。

『次の相手が決まりましたァああ!! 次なるツインは『橙色の悪魔』! レーベン・ベッカウルフと『幻惑の燈火』ルナマリア・ペスキス並びに『跳梁の刃』ステレンファント・ヴァムジーフです! ここで皆様は覚えておいででしょうかぁ? スリーコンゲームにおける複数ペアの同時参加のルールを!』
 うおぉおお!! と歓声が上がる。どうせ挑戦者に厳しいルールに決まっている。
 アランはしゃれた服を着込んだオレンジ色のメッシュを入れた髪をしている男を見上げた。その背後に控えるように自然な橙色の髪をした女性と、人工としか思えない蛍光オレンジのツンツンと跳ねた髪をした少年を見る。
『そぉです! 複数の奴隷を所持する支配者のスリーコインゲームにおいては支配者は全ての奴隷を出場させることも、奴隷を選ぶことも可能です! さぁ、橙色の悪魔が取る選択はぁああ!!?』
 悠然と足を組んだ橙色の悪魔がふ、と微笑む。
『もちろん、戦うからには全力で。二人を同時に使わせていただきますよ』
 艶のある声だった。まるで女をとりこにするためだけに生まれたホストみたいなヤツだ。アランは内心ホスト野郎と命名した。
『構わない。君くらいの相手なら問題ない』
 ハーンが悠然と逆に言い放つ。ホスト野郎の口元がひくついた。ざまぁみろ。と内心笑っていたらハーンがとんでもない爆弾を落としてくれやがった。
『新しい俺の奴隷は動くからね。俺がなんともしなくとも俺の奴隷が皆殺しにしてくれるだろうさ』
 おいぉぃいい!! 俺は思わずハーンを見上げるが、ハーンは俺を見もしない。
『おおっとぉ! 新しい奴隷のアランはかなりの実力者ということでしょうかぁああ? 先ほどのゲームは体力温存ではなく、その力を秘めたということなのでしょうかぁ!? さぁ、注目の第二回戦、スタートでぇす!』
 コールの瞬間にハーンの声が頭の中で響く。
(アラン、幻惑の燈火を先に殺せ。アイツが跳梁の刃と組むとやっかいだからな)
(了解)
 アランは向かってきた跳梁の刃(ガキと命名)を交わし、奥のほうで微笑む幻惑の燈火に刃を瞬時に生成して投擲した。すると、女は避ける動作すらせず、刃の刺さった部分から映像のように花びらを散らせて消えていく。
『無粋だわぁ』
 はっとアランが振り返った瞬間、ルナマリアが背後で笑っている。と次の瞬間にはその姿が跳梁の刃へと変わっていた。跳梁の刃の踊るようなナイフ攻撃をわずかに背をそらして避け、見渡すとルナマリアはまた距離を取っている。
『俺とルナが組んだ暁には、ヌシさまの手を煩わすこたぁないかもなぁ!』
『おやおや、万緑の魔女の方が強かったんじゃないですか?』
 上空で嘲るように橙色の悪魔が笑う。
『そんなの当たり前だろう? 本気にするなんて相変わらず自己陶酔が激しくて観察眼はないようだね。自分に向ける目をもっと外に向けた方がいいよ』
『おい!』
 思わず怒りを伴ったツッコミを入れると、目の前のガキが大爆笑していた。
『じゃ、わざわざ弱いパートナーを連れて無謀な戦いを挑んだわけですか。とんだ愚か者ですね』
『愚か者? この土地に住まう時点で愚か者さ。表現をもっと豊かにしなよ。そうだね……とんだ狂いっぷりだ、とか』
 ハーンはアランに指示を出すこともなくひたすら相手を挑発している。支配者同士の戦いの火蓋が口論によって落とされることはよくあるが、ハーンはここまで人を小ばかにしない。きっと何かあるのだろう。
『狂ってまで、勝算がおありですか?』
『もちろん。そうだね、ソニークとなら君ら相手で5分とすればアランとなら20分ってトコかな? ねぇ、アラン?』
 ハーンは自信満々にそういう。
『知・る・か!』
 怒りをもってそう返し、跳梁の刃の攻撃をはじく。お前は自分の考えを俺に伝えないなら俺は勝手にする。その代わりお前の望むゲームならないことくらい覚悟しとけよ。
 アランはハーンと一緒に戦うときはいつも何故かハーンに戦う相手より怒りを覚えているのはなぜかと思うくらいだった。
『その割には仲が悪いようですが?』
『そう見えるかい? これだからナルシストは困る。俺とアランの絆をその程度でしか図れないなんてね』
 アメリカンジョークのようにヤレヤレと肩をすくめてふー、とかなりイラつく仕草を続けるハーン。ハーンにはハーンに勝手にやらせて、とアランは目の前の二人に注目する。
 直接攻撃を主に続けるガキ。こいつはどうにかなるとして、問題は女の方だ。奴隷であるからにはきっと肉弾戦も不得意ではないはず。しかしガキがいる限りはそれをしない。この女が使う禁術は移動禁術か目くらましの類に近いと思うが……。
 アランは禁世に落とされたことで禁力に関する目を養った。自分の肉体に関するものはハートの女王の稽古のおかげで格段に進歩したが、禁術に関してはまったくダメだったアランが、禁世から出た瞬間に、その希薄な禁力のありかを見つけ、完全に禁力を見ることができるようになった。
 その観察眼はハーンが舌を巻くほどだった。アランは禁術を見破るにはその禁術を使わせ続けるに限ると思いどんどん攻撃を仕掛けていく。
 攻撃パターンとして、女は攻撃を受けない。受けた場所から分解するかのようにその姿をぼかし、違う場所に存在している。またはその場所が跳梁の刃に取って代わられる。女から出る禁力を視て、そしてその構成を読もうとする。アランは入矢のように理解はできない。その構成を読み、理解し、禁術を解体するような作業はできない。
 アランができるのは禁力の流れを見て、なんとなくその禁力がどう使われるか、本当になんとなくわかるのだった。ハーン曰く、それお前の才能だな、という話である。
『ホラホラ、どしたぁ!』
 ガキがあまりにもうるさく、アランの珍しい思考の邪魔をするので、アランはハーンに言われたことを忘れ、ガキを先にどうにかすることに決定した。跳梁の刃はその名の通り、性質の悪い攻撃パターンで攻撃してくる、小型の鎌とナイフと鉈を一緒にしたような金属武器を振るってくる。
 簡単に言うと、幅広い刃を持つが柄の部分は短い、片手で振るうことのできる、そんな武器だ。飛び跳ねることが多く、変質的なパターンを読むのは至難ではない。実際アランもそのしつこさに舌を打つ。
 そう、一言で言うとウゼェ。
『そなたは絶対の支配者にして鎖。全ての秩序を決める者。我はそなたの僕。そなたの助力を請うもの。汝の名は時!』
 そう、飛び跳ねてうざいなら、跳ばせなければいいのだ、という強引な理論でアランは一瞬時間を止めると、その身に容赦なく次の攻撃を仕掛ける。
『地中より湧き出でて、暗黒の沼に一条の光となって、空と大地を繋ぎ留める。そなたの名は、槍』
 入矢が見たら感激するとしか思えないほどに形成の早い禁術を多用したアランの攻撃。
 一瞬で跳梁の刃の身体が貫かれる。しかし、攻撃を受けて跳梁の刃がニタァっと笑う。
『ざぁ~んねんでしたぁ』
 貫かれた部分から花びらと散って跳梁の刃が消えていく。
『しまった!』
 とアランが言った瞬間に腹部に熱さ。血が噴出して、刃がめり込んでいるのがわかった。
(だから、幻惑の燈火から始末しろって言っただろ)
 呆れたようにハーンの声が響く。
(うるせぇ。ったくなんだよ、あいつ。反則じゃね?)
(反則なんて言葉がこのゲームにあるか。おまえ、ほんと、おばかさんだねぇ)
 ハーンがくすくす笑う調子までが伝わってきた。
(お前こそ、俺のパートナーなら少しはアドバイスとかしたどうだよ!)
(あれあれ? そこで俺頼っちゃう? アランさまともあろうお方が?)
(俺は一度もお前にアラン様とか言ったことないんだけどな!)
 怒りを交えて言うと、からかう調子でハーンが続けた。
(ヒントをやるよ。幻惑の燈火という名前からしてそれが幻覚に近いとは予測できるだろう。でも幻覚ってのは相手に影響を与えて初めて効果を発揮するもんだ。でもどうだ? お前なら禁力が見えるだろう?)
 アランはそう言えば自分に対する禁力は働いていないと思った。
(では、オリジナル禁術ってことから、考えてみろ。他にどんな禁術があるか。あいつの禁術は3つの禁術を組み合わせているのさ)
(わかった)
 そこでヒントだけ与え、禁術の仕組みを教えないハーンのやり方にアランは異を唱えなかった。ハーンは自分を成長させようとしていることがわかっているからだ。こんな大事なゲームでも。
(急げ。お前の体力的にも禁力温存にも早く俺は橙色の悪魔にオリジナル禁術を使わせたい。奴隷一人殺せば、ヤツも本気になるだろう)
 それで挑発ばかりしていたわけだ。アランは納得する。
(あと、橙色の悪魔は肉弾戦も得意とする支配者だ。幻惑の燈火と組んだときは自分が自ら奴隷を殺しに来ることもある。だからこそ、幻惑の燈火を先に殺すんだ)
(わかった!)
 アランは自分で止血を行うと、跳梁の刃から距離を取った。ハーンの言葉を思い返す。
 幻覚の類なら相手に見せるわけだから自分の姿をそう見せるために相手の視神経および脳を一部禁世の指定に入れる必要がある。映像を見せるくらいならわけないが、自分の存在そのものをごまかすのは難しい。なぜならばその人物も動くからだ。
 自分の動きを正確に把握し、その映像が相手の位置や動きからどう見えるか逆算し、映像として見せるにはかなりの計算を必要とする。
 幻覚にはもう一種類ある。蜃気楼のように特定の物理条件を作り出すことだが、自分ならまだしも跳梁の刃などに行うにはあまりにも禁術の発動時間が短いのが気にかかる。
『そなたは絶対の支配者にして鎖。全ての秩序を決める者。我はそなたの僕。そなたの助力を請うもの。汝の名は時!』
『同じ禁術が俺様に効くかよ!』
 跳梁の刃が言うが、アランは鼻で笑う。
『お前じゃねーよ。ばーか』
『な!』
 驚いた目つきをした幻惑の燈火が目を見開いて動きを止める。直接攻撃ならばいなしてしまうが、こういう類の禁術なら防げないらしい。
 アランはなるほど、と思いその動きを止めている今をチャンスと思い、直接刃を叩き込もうと剣を生成する。すると女の間に跳梁の刃が滑り込んできた。焦った表情で刃を繰り出してくる。
 ハーンはそれを目下眺めつつ、挑発のような禁術を橙色の悪魔に叩き込む。お返しのような応酬が続く。
 そうだ、アラン。幻惑の燈火のオリジナル禁術は己の存在確率を歪め、同時に移動禁術を仕掛け、そして映像を見せるかのような視覚禁術の組み合わせ。
 つまり、己の存在を限りなく0に近づける。そうすることでその空間に、その場所にいる、という法則を無視させる。それと同時に別の場所への移動を行うと同時にその場所への存在確率を高めてしまう。そうすることによって攻撃が当たっても当たっていないように変えてしまうのだ。
 瞬間移動の種明かしとでも言えばいい。だからこそ、己の居場所と跳梁の刃の居場所を交換なんて真似ができる。それをあたかも魔法のように花びらが散るエフェクトをつけることによって自分の禁術攻撃を不可思議なものにさせるという、一種の種も仕掛けもある催眠のようなものだ。
 慣れてしまえばどうってことはない。今のお前なら殺せるはずだ。逆に今殺さなければ、橙色の悪魔のオリジナル禁術が発動されたときに厄介なことになる。急げ、アラン!
『ふーん』
 アランは呟いて、わかったことを整理した。直接相手の肉体に触れるような攻撃は効かないが、空間そのものや間接的な攻撃なら避けることはできない。そして間接攻撃には跳梁の刃が滑り込んでくる。なら、それが弱点ってことだ。
 それと同時に自分が直接攻撃すればその場所には絶対いないのであれば……。
『お前を殺すよ、女!』
 アランは剣を幻惑の燈火に向けて構えると走る。
『やってごらんなさいな!!』
 優雅に笑うと、腕を広げ、さぁきなさいと挑発する。跳梁の刃に一瞬アイコンタクトを送る。アランはその様子を冷静に見ていた。すぐに距離をつめ、幻惑の燈火の胸、正確に心臓を貫く位置に刃を滑り込ませる。瞬間、その場所から白い花びらとなって女の身体が消えていく。
 微笑む顔を残して消え行く女にアランは視線を反らし、すばやい動きで振り返りざまに右腕を回転させた。
『な!! ……馬鹿、な……』
 そこには胸を一直線に斬られた跳梁の刃の驚く顔がある。その顔目掛け首に刃を叩き込むと、跳梁の刃の首から水のように赤い血が流れ出し、跳梁の刃の目が反転する。と同時にアランは叫んだ。
『我は起動する。そなたは欠片。そなたは礫。そなたは飛翔できる刃、漆黒の光。そなたの名は手裏剣』
 四方から会場全体から内側に向けて黒い飛翔する刃が飛ぶ。その最中でまだ姿を現していない幻惑の燈火の悲鳴が聞こえた。その方角をチラッと視線を走らせて確認し、アランは続けて禁術を起動させる。
『う!』
『そなたらは、闇を貫く幾筋の光の軌跡。伸ばせ、その意思を、その力を存分に振るえ、そなたらの名は槍!!』
 入矢が使った禁術をアランは全て覚えている。姿さえ現していない一瞬会場内から消えたかのような幻惑の燈火の位置がわかっているかのように正確に槍を全て叩きこむ。
 一瞬遅れて観客の動揺ともとれるため息のような声が響き渡る。
『ルナ!』
 初めて上空にいた橙色の悪魔から声が上がる。複数の槍に串刺しにされたかのように空中に身体を繋ぎとめられた無残な姿になった幻惑の燈火。
 アランはそれを確認すると、次の瞬間には跳梁の刃の首に差し込んだ剣を引き抜き、離れた幻惑の燈火に向かって剣を投擲した。ゆるりと血の軌跡を描いて、跳梁の刃の首が死体から離れて倒れる。
 その音と同時に剣が幻惑の燈火の首をかすめ、血が噴水のように吹き上がった。ぐらつき、半ばもげた首が幻惑の燈火の命を消そうとしている。
『ハーン!』
 アランが呼んだ。ハーンは頷き返す。奴隷を同時に倒したアランは上場であると言えよう。
『ルナマリア!!』
 橙色の悪魔は使い物にならなくなった奴隷を見、そして使いたい奴隷の名を叫ぶ。優先的に治療を行おうと意識を失わせないように叫ぶ彼をハーンが見逃さない。
 治癒術式が施されようとしたところをハーンがそれをさせない。許さない。
『ルナマリア!』
 首から血を流しつつも、支配者に声をかけられ、幻惑の燈火の意識が一瞬戻る。しかし動くことは不可能だ。アランは構えたまま、注意深く見守る。苦しげに幻惑の燈火が瞬きを繰り返し、そして血を吐いた。
『……レー…べ、ン……さ……ま』
 かすかに音として聞こえるその声が響いた瞬間に、アランは己の身が何かされたと気づいた時には遅く、その身がいつの間にかハーンの隣にある。幻惑の燈火、最後のオリジナル禁術がアランに用いられたのだった。
『よくやった! ルナマリア』
 橙色の悪魔のほめ言葉が響き、アランがハーンに状況を聞こうとした時、橙色の炎が立ち上る。
『食らえ! 橙色に染まれ!! 炎に焼かれて死ね!!』
『やられた!』
 ハーンがアランを抱き寄せ、急いで防御の禁術を立ち上げる。
 ハーンの椅子一つ分程度の炎に囲まれた空間が出来上がる。アランも動けないまま、ハーンの膝に乗り、抱っこされた状態のまま周囲を一瞬で囲んでいる炎を見る。
『よくもかわいい私の奴隷たちを殺してくれましたね!』
 怒りの声が炎の中から響く。
『どういうことだ、ハーン』
『橙色の悪魔、ヤツのオリジナル禁術だ』
『その通りです。無名の新人さん。私の禁術は炎! 私自身がこの炎であり、炎は簡単には消えません。しかし、あの短時間でよく防壁の禁術を組み立てましたね。さすが元十指とはいえ、侮れませんね、黄色い虐殺者。ですが、それも時間の問題。炎に直接焼かれずとも、蒸し殺しにして差し上げましょう!』
 炎の勢いが増したかのように燃える音が響き渡り、暑さに汗が噴出す。
『ハーン、どうすんだ』
 アランを抱いたまま、ハーンが忌々しそうに舌打ちをする。
(これがお前の使わせたがっていたオリジナル禁術なんだろ?)
(そうだ。だけど、それはお前が自由のときだ。一緒に炎に焼かれちゃ困るんだ)
(この炎を俺が自由だったら消すことができたのか?)
(例えばだが、俺が大量の水でこの炎を一瞬消せたとする。その瞬間を狙って実体化した橙色の悪魔を殺すためにお前が必要だった。しかし一緒に捕まれば、その隙が生まれないだろう?)
(ああ、なるほどな)
 呼吸さえままならないほどに熱い。空気が焼かれているようだ。ハーンの顔が険しくなった。
(炎、どうにかなんねーのか?)
(ヤツ自身が炎なんだ。意思ある炎とでも言えばいいか。消せない炎だ)
 ハーンは考える。おそらく漆黒の黎明、ノワールなら彼のオリジナル禁術でなんとかできただろう。しかし、ハーンにはそんな便利な禁術はない。どうにかして炎を消す方法を考え付かねばならない。でも、どうやって?
(炎を攻撃できねーのか?)
(馬鹿か? お前。どうやって炎を攻撃するんだよ)
(あ、そうか)
『もう、呼吸が苦しいのではありませんか?』
 笑う調子でかけられた声に二人はこたえない。声を出すことでさえつらい熱さなのだ。皮膚にはすでに火傷の症状が現れている。二人して目を覆う。アランは熱から逃れるようにハーンに身を寄せた。ハーンも応えるかのようにアランをしっかり抱きしめ、アランの頭に己の顔をうずめて直接の熱を避ける。
 炎を直接解析できれば、まだタネがわかるかもしれないが、炎に触れたり、防壁を解除すれば焼け死ぬ。そういう意味で厄介な技である。
(ここまで面倒な禁術だとは思ってなかったなぁ)
 ハーンが呟くと、アランが快顔を上げた。
(お前な、支配者倒す戦術を組むのはお前の仕事だろ? 俺、ちゃんと二人とも殺したぞ)
(はいはい)
 ハーンはいつまでも逃げているわけにはいかない、と痛い目をこらえて防壁の内側から炎を観察する。このまま禁力を消費しても仕方ないのだ。なんとか、アランだけでも自由にしないと、殺せない。しかし、炎を殺すにはどうしたらいいか。
(ってか、なんで橙色なんだろうな)
(は?)
 アランは目を瞑ったまま、面倒そうに呟いた。
(いやさ、炎を操るからってのはわかるんだよ。だけどさ、二つ名がなんで橙色なんだろうなって)
(そりゃ、お前橙色の炎を操ってるからだろ)
(そこだよ。普通さ、炎って橙色にしねーだろ、わざわざ。たしかにオレンジ色っぽいから橙色ってのもわかるんだけどよ)
 アランが言っていることはこうだ。炎とは酸素を使って燃える。その酸素の供給量が足りないと炎の色はオレンジ色っぽいような黄色がかった色になる。一般的な炎の色といえよう。酸素濃度を高め純度の高い炎にすれば透き通るような青白い炎となり、それはより熱い炎になる。
 殺すための炎なら禁術を使っているのにわざわざ青白い炎ではなく、オレンジ色、それも橙色と呼ばれるまるで金属を混ぜたかのような色にする意味はなんだ、と言ったのだ。ハーンも言われて初めて気づいた。当たり前だが、なぜ橙色か。燃焼効率の悪い炎を使う意味があるに決まっている。
(そうか!)
 ハーンは思いついた。
(アラン、お前、熱いの耐えられるよな?)
(無理つってもそれしか方法がねーんだろ?)
 アランは笑った。
(今から炎を殺すぞ)
(おお!)
『汝は空間。汝は独占する者、汝は拘束具、汝は支配者。我は汝の共犯者。我は汝を閉じ込める、我に従い、形と成せ! 汝の名は結界!』
 ハーンの言葉に炎に混じって客の歓声がかすかに聞こえる。それは実態を与えない禁術、すなわちランク1の禁術であった。
『無駄ですよ!』
 ハーンは禁術の檻を立ち上げた。禁じられた遊びの会場内全てを囲っていく。それは透明な箱のようなものだ。
 見ることはできないが確かに囲われた部分から炎が消えていく。空間支配の禁術は高度な技術を要する。
『私を閉じ込めるつもりでしょうが、私は炎! そんなことでは消えはしない』
 ハーンはその言葉に答えない。おそらく禁術の維持に精一杯なんだろう。アランは厳しい顔をするハーンを見て、一つ決心する。ハーンに抱きついた。それこそ跨っているように密着し、触れ合う肌しかないように。
『なに、してる?』
『俺がお前と俺を守る壁を立ち上げる。お前は禁術の維持に集中しろ』
『しかし、この炎の攻勢に耐えられる壁を、お前が……?』
『信じろ、俺を。そして、命じろ』
 アランの目をハーンがまっすぐ見返す。力強い言葉が、ハーンを揺らす。
『俺はお前の、奴隷だ』
 ハーンが一瞬黙る。熱くて目さえ開けていたくないのに、二人してしばし見詰め合った。