毒薬試飲会 026

058

「さすがぁ。なかなか上手いじゃねーの。出すぜ」
 ボルバンガーはそう言ってチェシャ猫の前髪を引っ張って口から己を取り出すと、チェシャ猫の顔に己の欲を吐き出した。思わず顔を背けようとするが遅く、チェシャ猫の顔が白濁まみれになる。
「何をしている? はやくボル様の貴重な精液をその躰に染み込ませないか」
 メラトーナがそう言ってチェシャ猫自身を握り締めて圧迫した。
「あ、っは! や……」
 チェシャ猫が苦悶と喘ぎが混ざった声を上げ、メラトーナの言う意味を図りかねる目線を送る。
「わからないのか? その身に受けたボル様の精液をお前の体に自分で塗りたくれと言った」
「はァ?」
 チェシャ猫は本気か? と言いたげな目線を向ける。すると、メラトーナが容赦なくチェシャ猫自身を握りつぶすかのように圧迫する。
「うぁああ! いっ……!」
 涙が零れ、チェシャ猫が甲高い声を上げる。顔射された精液を震える指で救い、胸にまで零れ落ちた白い液体を伸ばすかのように手のひらで広げていく。白い軟膏を伸ばすように広がる液体がチェシャ猫の白い肌の上を汚すように伸び、その身体を視覚的に犯していく。胸を掠めるその行為にチェシャ猫が吐息を漏らす。ニヤついてそれを眺めていたボルバンガーは手を滑らすチェシャ猫の手を覆うように握り、その動きを止めた。
「ほら、自分で乳首いじってみろよ」
 耳を食み、唾液を送り込みつつ囁かれる言葉。チェシャ猫が思わず顔を反らし、己の指でその淡い綺麗で肉感的なピンク色の乳首を挟み込む。くにっと遠慮がちに触れ、許しを請うようにボルバンガーを見上げた。
「あん、やぁ……」
「ほら、もっとこねくり回せよ!」
 チェシャ猫の指を己の手で支配する。他人に強制され、チェシャ猫は自分の指で己の胸の突起をおもいきり抓られた。
「ああン! いたいっ……やん」
「クるぜぇ?そ の声。さすが寝子は啼き声も様になってるなぁ」
 メラトーナはチェシャ猫を背後から抱きこみ、ボルバンガーが犯した耳とは反対の耳に息を吹き込んだ。チェシャ猫が身を捩じらせる。
「そのままボル様ので後ろを解しなさい」
 メラトーナがそう言う。チェシャ猫は荒い息を吐きながら唇を噛み締め、精液を掬った己の指を後ろへと伸ばした。
「もっと脚開けよ」
 震える膝がチェシャ猫の羞恥を物語っている。そう、ちょうどアランたちに見せるかのような位置関係になってしまっているのだ。ボルバンガーたちには見えていないようだが、チェシャ猫は当然わかっているはずだ。なかなか開かないチェシャ猫に痺れをきらしたか、ボルバンガーが笑っていった。
「鍵の在り処を吐く気になったか?」
 顎を指で掬ってチェシャ猫の瞳を覗き込む。チェシャ猫は視線をそらせた。その様子を見て鼻を成らすと、それを合図にしたか、メラトーナが背後からチェシャ猫の膝裏を抱え、股を全開にさせる。
 淡い色素が沈着していない子供のような綺麗な秘所が顕になり、その中央で震えながら勃っているチェシャ猫のシンボル。花の雌蕊のように蜜を結んで垂れる液体が光って雄を誘っている。ボルバンガーはその下に位置する場所に触れた。
「ん!」
 周囲を撫でまわしなぞるようにして中々、中には入らない。
「なぁ? 別に俺は橙色の悪魔みてぇにおまえが好きなわけでもお前を犯したいわけでもないんだ。お前には第一階層に案内してもらえばいいんだよ。なぁ、話せって」
「でも、男を犯すシュミはご健在と見るがなァ?」
 チェシャ猫はからかう視線を快楽の中に滲ませつつ嘲笑する。
「佐久もそうやって抱いてやったのかァ? 効かなかったろォ? てめェらのテクはそんなもん止まりってワケだなァ」
「てめぇ、優しくしてやりゃつけ上がりやがって……!」
「うっ! ああああ!!」
 チェシャ猫の狭いその後腔にボルバンガーの怒張がねじ込まれた。チェシャ猫の苦悶の悲鳴が甲高く叫ばれ、慣らされないその場所から血が滲む。チェシャ猫は歯を食いしばり、その痛みと衝撃に耐えていた。必死にボルバンガーがこれ以上責め入らないように、その華奢にも見える腕でボルバンガーの身体を押し返そうとする。
「一丁前に抵抗なんかしてんじゃねー。邪魔だぁ!」
 ボルバンガーは腕を片手で纏め上げ、もう片方の手でスペルなしでナイフを生成する。手首を拘束されたチェシャ猫はナイフの使用方法を探ろうとボルバンガーを見つめた。
「繋げてやるよ」
 ニィっと笑った口元は掲げられたチェシャ猫の両手を祈りを捧げるかのように手のひらを合わさせた。そして、その両手をナイフで貫いたのだった。
「うぁぁああああ!」
 チェシャ猫が叫ぶ。右手の手の甲からナイフを刺し、左手の手の甲からナイフの先端が生えている。飛び散る血がボルバンガーの顔を赤く染め、痛みにチェシャ猫の腕が痙攣する。
「ボル様、ナイフではボル様が危険です。御身を痛められては私が堪らない」
 メラトーナがそう言ってナイフを勢いよく抜く。
「ギっ……!」
 あまりの痛みに声が出ないようだ。どっと血が流れ出し、チェシャ猫の両腕を赤く染めていく。
「セオリーに手錠にしては如何です?」
「それじゃつまんねーだろ」
「はい。ですから、こうするのです」
 手首にかけるはずの手錠は先ほどナイフで傷つけられ、縦穴が覗く手の甲の傷口に通された。
「いっっ……!! く、ああ」
 チェシャ猫が痛みに悶絶する。身体が痙攣し、視線は焦点を結ばない。手の甲から覗く真っ赤でそれ以外の色も見える人体そのもの肉の色の間から生える凶器のような銀色の煌き。その冷たい光は血をコーティングされてぬらりと暗い色で光を跳ね返し、そこから生まれるように湧き立つように真っ赤な液体が滲ませたインクのように溢れ零れていく。
「うえ……」
 あまりのむごさにアランがうめいてしまう。ハーンも眉間にしわを寄せている。
「うへ! さすがに痛めつけるとすげーな。イっちまったよ。俺もまだまだだな、メラ」
「いえ、ボル様」
 チェシャ猫の細い腰を持ち上げると、途端に白い液体があふれ出した。血が混じったその紅白のコントラストが行為の悲惨さを際立たせている。
「死なないってのは便利だな。なんせ、血を半分以上失ってもお前ら死ねないわ、意識を失えないわ、だもんなぁ。経験したくねーぜ」
「わかってんなら、やんな、ボケ」
 声が震えているのは仕方ないことだろう。それでもチェシャ猫は折れない。
「そこでやるから楽しいんだろうが。ちなみにさっきの話だけどよ、佐久には一度に俺の部下全員で輪姦してやったんだ。それをそういうのが好きな物好き20人を観客に向けて公開させてよ、20人のオカズにさせてやったのさ。いい儲けになったし、さすがに泣くかなーって思ったんだけどよ、とんだじゃじゃ馬で、相手にしたやつ全員殺しやがった。だから半殺しにした上に人形にしてやった。今頃死んだかな?」
 ボルバンガーは翹揺亭から逃げ帰ったから佐久が生き延びたことを知らない。入矢がゲームで殺気をぶつけ、佐久兄さんの仇といったことを死んだと捉えたのである。
「でも、残念ながらお前の相手をするのは俺とメラしかいねーんだ」
 笑うボルバンガー。
「どうだ、やっぱりてめぇから見たら俺らの拷問は温いか? やっぱり拷問の真髄は痛みと快楽だよなぁ。快楽は痛みに似てるからなぁ? 快楽は今から与えてやるよ、俺が直々に」
 そう言ってチェシャ猫の腰を乱暴にゆすり始めた。チェシャ猫のすすり泣くような喘ぎが響き渡る。
「それに痛みも」
 囁くボルバンガーはそのままくちゅりと唾液を滲ませてチェシャ猫の耳を舐る。そうして歯を立てて、チェシャ猫の耳を噛み千切った。
「あああぁ!!」
 歯型が残る耳からも血が流れる。ボルバンガーはプッとチェシャ猫の耳を吐き出し、血を垂らした獣のような口を八重歯を見せて獰猛に笑う。
「てめーには猫耳がある。4つも耳なんかいらねーだろ? それにベースは人間なんだ。人間に尻尾はいらねー」
 チェシャ猫が痛みに震えながらボルバンガーの次なる痛みを予期して震える。
「メラ、……切り落としちまえ」
 そっとされは囁くように。優しい口調で語られる命令。
「はい、ボル様」
「やめっっああああああ!!」
 手を貫いたナイフが尻尾に付きたてられた。切り落とされ捨てられた紫と黒の縞模様の尻尾は、作り物めいた贋作に見える。切断面をわずかに赤く染めているだけの尻尾は出血量は少ないものの、人間には想像できない痛みだろう。それも尻尾を生やしているという摩訶不思議な現象を確証付けたとも言える。
 ボルバンガーは切り取られた尻尾を摘んでそれを猫じゃらしのように使いチェシャ猫のほほを撫でる。
「偽物つけてんのかと思ったけど、本当に生やしてたんだなぁ」
 感心するかのような目線はすぐさま飽きたのかぽいっと投げ捨てられる。
「どうだぁ? きもちイイだろ?」
「あ、う、ひぃ……」
 苦痛を貼り付けた顔を舐め上げ、痙攣する身体を抱きしめ、後頭部を固定してチェシャ猫の口を貪って犯しつくす。
「メラ」
「はい、ボル様」
 アランは二人のこのやり取りを何回聞いたかと思う。その後絶対ろくなことしない。
「お前も入ってこいよ」
「はい。喜んで」
 メラトーナは背後からチェシャ猫を抱きよせ、ボルバンガーと視線を交錯させた。ボルバンガーは軽くチェシャ猫の身を持ち上げ、己をすべて出すぎりぎりまで抜く。ただでさえ無理をさせ出血している後口にメラトーナの怒張が添えられる。
「ひっ! や、それは……」
 チェシャ猫が首を振った。逃れようとするその身体をボルバンガーが口付けで固定する。身が、肌が裂けるめりっというあまり聞きなれない音が響く。
「ん、んん!!」
 口を貪られるチェシャ猫の篭った悲鳴が聞こえる。ゆっくりと、だが確実にメラトーナがすでに入っているボルバンガー自身に沿うようにチェシャ猫に侵入していく。ただでさえそういう行為をする部位ではなく、ただの排泄器官に完全に勃起した男のブツが二本も侵入していくその圧迫と苦しみ。口付けから開放され、仰け反るチェシャ猫の白い喉がいっそ大理石でできた芸術品のようだった。
「ぷはっ! 二輪挿しだぁ。うぁ! キッツー」
 ボルバンガーがあまりの圧迫に身体を振るわせた。それはメラトーナも一緒だったようでくっ、っと吐息を漏らしている。
「ああああ」
 もう、言葉にさえならないチェシャ猫の嬌声。苦悶を彩る涙。
「情熱的に相手を抱きしめることも出来ねーのかぁ?」
 ボルバンガーは動きを止めてチェシャ猫に言う。しかしメラトーナは動き続けているためにチェシャ猫は苦悶の表情を湛えたまま、視線だけで問う。チェシャ猫の両手は手錠で繋がれたというか、傷つけられたまま、チェシャ猫の頭上で固定されている。というかあのときの痛みで動かせないのだろう。
「ホラよ!」
「イ、アァア!!」
 チェシャ猫の声にならない何度目かの絶叫が響き渡る。乱暴にボルバンガーにまわされたチェシャ猫の両腕が揺すられる動きによって、無理強いされた振動を強要され、痛みに変わる。
「ボル様、私はもうだめそうです……!」
 ただでさえキツい状況に痛みつけるその刺激でチェシャ猫の締め付けは相当なものらしい。
「もうちと粘れといいてぇが、俺もそろそろだ、イくぜ」
「はいっ! ボルさまぁ!!」
「メラ!!」
 そこは言うのはチェシャ猫だろうに、二人でセックスしているかのようにボルバンガーとメラトーナが頷きあう。チェシャ猫を間に挟んでお互いの指を絡め、握り合わせ、情熱的に二人で口づけを交わす。二人の熱い吐息が漏れ、シンクロしたかのように二人して同じリズムでチェシャ猫を責め立てた。
 お互いに入れたくないときはこういうセックスもありなのかもしれない。ただしそれに付き合ってくれる相手がいれば。
「やめェええああぁァア!!」
 チェシャ猫は最後の叫びを上げる。
「はぁ、はぁ……」
 終わったとき、三人とも息絶え絶えだった。それほど激しかったのだろう。特にチェシャ猫は無理な体勢を強要されたせいか、脚が開き切っている。股関節が外れているのかもしれない。
「さすが長生きの不思議の国の住人サマはちげぇなぁ! ちと夢中になっちまった。で、吐く気になった? さすがに2ラウンド目は俺も疲れるからご遠慮願いてーんだが」
 己を抜き、そのままチェシャ猫の身体を労わる事もなく投げ捨てる。
「根気比べでも俺は構わねェよォ?」
 チェシャ猫はあれだけ傷めつけられ、辱められたのにもかかわらず笑って言い切った。
「マジか? ド淫乱だなぁ!!」
 ボルバンガーの目の色が変わった瞬間、電子的なコール音が響く。
「俺だ」
 体内通信素子からボルバンガー宛てに着信があったのだろう。
「進捗状況はどうかしら? と思って連絡をしたのだけれど、第一階層に行けた?」
「いんや。猫が吐かねーのよ」
 アランたちには相手の声は聞こえないが、誰かと話していることはわかる。
「チェシャ猫には会えたのね。それは重畳。じゃ、あたしの目的の人はまだ第一階層に行ってないんだわ」
「は? なぜそう言える? あいつらの姿は見えねーぞ」
 ボルバンガーはそう言って辺りを見渡す。
「今のチェシャ猫だったら一組送るだけで精一杯でしょうから、会えたならまだ送っていないということよ」
「はーん?」
 わかっていないような顔をしつつ、関係ないと判断したのかそれ以上ボルバンガーは聞くのをやめた。チェシャ猫の持病。病といっていいか定かではないが、それは第一階層以外の階層で暮らすとその身に次第に禁力を溜めていくものだ。これは禁世に関わった人間なら誰しも起こる事象だ。
 しかしチェシャ猫が溜めてしまう禁力は通常の禁力ではない。紫色の濃度が濃いものである。それがたまり始めるとチェシャ猫は己の色を変えたりして消費する方向にシフトするが、限界が来る。
 すると周囲に影響を与えないよう、チェシャ猫は禁術の使用を制限する。そしてこの教会から出なくなる。ただ、第一階層に人間を案内する為だけの本来の役割に戻る。
 限界を超えれば、彼は第一階層に戻るしかなく、その間チェシャ猫の姿を見るものはない。だから、いるならまだ送っていないことになるのだ。
「さて、チェシャ猫には会えたと。でも行っていないなら抵抗されているワケ?」
「ああ。あんたが言った鍵とやらを出してくれねーからさぁ、いけないのさ」
「拷問でもしてた?」
「まぁな」
「吐くわけない。それは彼の存在理由なのだから。それが彼の“役割”なのだから」
「どうでもいいさ」
 ボルバンガーは鼻で笑い、チェシャ猫を蹴る。苦悶が漏れるがボルバンガーは鼻を鳴らすのみだ。
「そう。じゃ教えてあげる。第一階層との扉の鍵は、彼の『心臓』で出来ている。鍵を翳せば扉が開く。そういう仕組みなのよ。取り出し方はわかる?」
「取り出し方?」
「例の禁術は展開している? それを展開したままの方がラクに済むわ。いい? 右手を彼の胸に当てて、“潜らせる”のよ。そしてぐっと押し込んで、掴むの。まるでドアノブを掴むようにね」
「潜らせる?」
「言葉通りにやればうまくいくわ。急がないと、彼が意思を失ったら行けなくなるわ。拷問やお楽しみも程ほどにすることね」
 体内通信は一方的に切れる。ニヤぁっとボルバンガーは笑った。力を失ったチェシャ猫の体に再び覆いかぶさり、先ほどの行為で汚れた胸に己の右腕を添える。
「まさか!」
 チェシャ猫は目を見開いた。
「おまえ! やめろ!!」
 チェシャ猫が叫んだ瞬間、ボルバンガーの腕がチェシャ猫の中に“潜り込んだ”!
「何だよ、あれ!?」
 アランが叫び、ハーンも目を丸くしている。人間の手が肌を傷つけることなく、入った
「あああああああああああ」
 壊れた機械のように耳を覆いたくなるような甲高い悲鳴が木霊する。仰け反った体は壊れてしまったかのように首が落ち込み、しかし、手足は突っ張って指先に力が篭っている。身体が痙攣を起こし、目が血走って見開かれたまま焦点を結べずさ迷う。叫びと叫びの合間に吐き出される真っ赤な血がボルバンガーを染め上げる。
 だが一番驚くべきはその胸だ。ボルバンガーの腕が潜る場所から波紋を描くように肌が不可視な状態で繰り返し波打っている。
「いィだろォ……行ってくる、が、イぃ……」
 喘鳴と共に血が吐かれ、それと同時にチェシャ猫が漏らす言葉。
「だが……無理に……行くんだァ……対価はァ……支払えよォ……」
 チェシャ猫の両腕を繋いでいた手錠が熱で溶かしたかのように液状になって解けて流れ落ちる。メラトーナが驚いて目を瞠るが、チェシャ猫は美しく笑うに留めた。次の瞬間に、木でできたシンプルなドアが現れる。年季が入ったドアはドアノブの色が少しくすんで鈍い光を放っている。
「あれが……第一階層と繋がる扉……!」
 メラトーナが少し感極まった調子で呟く。チェシャ猫は満足そうに笑って、そして血だらけの手を潜り込むメラトーナの腕に絡ませた。
「てめぇ、何を?」
「そ、の身にィ……受けろ。……俺からのォ……しゅく、ふく……だァ」
 触れ合う腕から紫色の花のような植物のような炎のような模様が、本当に咲き誇るかのように広がっていく。恐ろしい速度で広がっていくその模様にボルバンガーも危険を察知したらしい。
「てめェも、だァ……メラ、トーナ」
 メラトーナには血に濡れた指を示しただけで、メラトーナの額に同様のことが起こる。
「うぜぇ!!」
 ボルバンガーが叫び、ぐっと潜る腕が深まり、そして勢いよく引き抜かれる。どっとチェシャ猫が倒れ伏す。それ以降動かない。
「おい! チェシャ猫!! チェシャ猫!!」
 アランが術式を何度も叩きながら呼ぶが、今度こそ意識を失ったように動かない。ボルバンガーの手にはドアノブと同じ光を跳ね返す金色の鍵が握られていた。本当にチェシャ猫の中から抜き出したのだ! 喜びを隠せないまま、ボルバンガーは鍵を鍵穴に差し込む。
 チェシャ猫はやっと身を起こし、そして腕をあげた。
「いって、らっさ~いィ」
 軽く手を振る。座り込んだチェシャ猫は口から血を吐き、全身血と汗と精液に塗れてそれは哀れな姿だった。服は纏うほどもなく、ぼろきれだ。ボルバンガーはそんなチェシャ猫に目をくれることもなく、重い音を立てて開いた鍵に感動し、ドアノブを握って扉を開いた。
 その瞬間圧倒的な光量が容赦なくアランたちを差す。思わず目を閉じ、再び目を開けたときには扉ごと二人の姿が消えていた。
「消えた!?」
 アランが叫ぶとハーンが苦々しげに行った。
「第一階層に行ったんだろう。俺たちを押しのけて」
「ちくしょう! チェシャ猫! もういいだろ! 出せよ!!」
 チェシャ猫は振っていた手を止め、血が止まらない真っ赤な己の手を見つめていた。
「チェシャ猫?」
 アランの声は次第に驚きに変わる。チェシャ猫の周囲から紫色のリボンのような何かが何本も立ち上がったからだ。そしてそれは生きているかのように動き、揺れて、チェシャ猫を囲む。
「チェシャ猫! チェシャ猫!!」
 ハーンとアランは彼を呼ぶが、彼に答える力が残っていないようだ。
 ――そしておぞましい現象が始まる。
 その紫色の何かはチェシャ猫が零した血をまるで舐めるかのように、零した場所に群がり始めた。何本もの紫色の平面なのに植物の蔦のような、すばやい蛇のような動きをする紙テープにも似た形状何かはチェシャ猫の血痕に群がってうごめいて、しばらくするとまた新しい血痕を探す。そして群がった場所には、血は一滴たりとも残っていないのだ。
「おま、えらはァ……何が……あっても、そこから……出るなよ」
 チェシャ猫がそう言って笑う。そのセリフは二度目。そしてぽつりと呟かれた。
「俺を……喰らっていい。そこの二人には手を出すな」
 その瞬間、何十本という紫色の何かがチェシャ猫の皮膚を突き破り、その身を侵食する。その行為にというか現象に対するチェシャ猫の反応は皆無。
「おい!! チェシャ猫!!」
「チェシャ猫!」
 それはチェシャ猫から吸い上げるような動作を繰り返す。チェシャ猫は突き破られた部分から血を流すが、流した途端に別の紫色のものが血に集る。その現象が進むにつれ、群がられた部分からチェシャ猫の皮膚が、人間とは思えない深い紫色に変色していく。
 チェシャ猫は己が見つめていた腕を力なく落とす。チェシャ猫の手首にあった紫と赤い花のような刺青も、生きているかのようにうごめき、恐ろしい速さで成長しチェシャ猫の腕を這い登る。
「チェシャ猫を……食ってるのか?」
 アランがそのおぞましさとありえなさに思わず口に手を当てて呻く。
「なんなんだ、あれは?」
 アランは反らしたくても反らせないその現象を視る。なぜか唐突に理解できた。
「……禁世だ。禁世がチェシャ猫を食ってんだ」
「あれは、禁力か!?」
 アランの言葉が信じられないと言った様子でハーンは驚愕の事実を受け入れようとする。
 紫色のものは次第に数を増やし、群がられたチェシャ猫の姿は見えなくなる。音もなく、その行為は濃密な禁力の気配だけを残し、チェシャ猫に群がった。しばらくして、といってもどのくらいたったのかアランには判断がつかなかったが、紫色のものは本数を減らして、次第に元通りに床の中に消えていった。残ったチェシャ猫の身体を紫色に塗り替えて。
「……チェシャ猫?」
 アランとハーンが呼びかけるが、チェシャ猫はぐったりして目を覚まさない。疲れきった表情。仕方ないと思う。もともと弱っていたようだったのに、あの二人にいいように陵辱され、痛めつけられた上に、禁世に食われるというありえない現象をその身に受けたのだから。
 チェシャ猫のフェイスペインティングだとばかり思っていた紫色の模様は、様変わりして、咲き誇った蔓科の植物のように首筋まで伸び、肩の部分で腕の刺青と繋がっている。そしてその腕は赤い刺青が消え去って、おぞましく見るのも厭うような、濃く尚且つグロテスクな紫色に変色した。いや腕だけではない、ほぼ首から下は無事ではすまなかったようだ。
 犯された無残な汚れが目立っていたのだが、今はそれすらかわいい悪戯に見えるほどに、チェシャ猫の白かった肌は紫色に染まっている。
「そうか、それを隠したかったんだな」
 ハーンがぽつり、呟く。アランが視線で問うた。
「チェシャ猫は両足をいつも隠していた。誰かと身体を重ねるときも下半身は乱さなかったって噂だ。たぶん、時と共に……脚、あの色になってしまうんだろう」
 ハーンは以前、アランの鉄版入りの靴をチェシャ猫のせいで壊すことになった際、チェシャ猫の靴を見ようとしたアランに対して触れるなと言っていたのを思い出したのだ。あのチェシャ猫が触れるななどと言うことが驚きだったから覚えていたんだろう。
「チェシャ猫の奇病。最初はあの刺青から始まって、進行が進むと刺青が増えて、そして紫色に変色する。いつ治そうとしていたかは知らないが、腕のあの進行状況を見れば、そうとう苦しいかはしらないが実力を出せなかったに違いない」
 禁世に侵されるという奇病。聞いたこともなければ想像も出来ない。彼の禁力が紫色というのも関係しているのかもしれない。
「不思議の国の住人は最強なんて誰が言い出したんだか」
 アランは思う。確かに実力は飛びぬけているが、抱えているものが大きすぎる気がする。そうこうしているうちにチェシャ猫の身体が一度動いた。ゆるりと瞼が持ち上がる。
「チェシャ猫!」
 チェシャ猫は瞬きを繰り返し、アランたちを認めると、軽く手を上げて上体を起こした。
「もう、動いていいぜェ」
 するとあれだけ動きを阻んでいた不可視な壁がないことに気づいた。アランは駆け寄ってチェシャ猫を気遣おうとすると、目の前に血だらけの手のひらを翳された。といってもその手すら紫色で血の色さえ判断しづらくなっているのだが。
「触らない方がいい。特に今はなァ」
 その手は到底自然にふさがるようなものではなかったが、傷跡だけ残して、すでに血は止まっている。次第に傷は治っているようにすら感じた。これが不老不死か、とハーンは納得する。