モグトワールの遺跡 005

020

 入り口付近がざわざわと細波のように騒がしくなる。まさか、とかご無事でとか微かに聞こえる。そのさざめきが不吉に思えて、王は声をわざと荒げた。
「何をそう騒ぎ立てるか。我が前ぞ。落ち着くがよい」
 静かでいて、遠くまで通る声。しかし、その声は驚きにふつりと止まってしまった。
「御久しゅうございます、叔父上」
 王は思わず立ち上がった。手から赤い石が零れ落ちる。むなしい音をたてて転げ落ちるその赤い石を誰も見ていない。それはまるで手のひらから零れ落ちる権力の様か。
「フィ、フィス!!?」
 あの時逃がしたまま行方知れずとなっていた甥っ子が堂々と王の貫禄を漂わせて目の前に居る。手勢はわずか。しかも歳若い子供といえるような者ばかりだ。
「な、何をしに戻ってきた?」
 フィスは不思議そうに首をかしげて言った。
「何をしに? 妙なことを仰いますね、ここは我が城。理由などなくとも私がある限り戻ってまいります。それともなんですか、私がいると叔父上に不利なことでもありましょうか?」
 セダはあまりにも今回の悪役が焦っていることに驚いた。だってフィスを逃がした時点でこういうことは想定していてもよさそうなものだが。

 というのも――。
 実は軍隊をこの少人数とぶつかり合わせても負けることが目に見えている。どうやって叔父から王座を奪還するかというときにセダがいったのである。
「なにも、戦わなくてもいいんじゃないか、と」
 フィスは正式な王位継承者だ。許されざる罪を背負っているわけでもないし、戻ってもいいんじゃないの。というわけだ。だが相手も馬鹿じゃない。現国王を殺した罪をフィスになすりつけている。
 だから、誰にも拘束されず、公の場で身の潔白を証明できれば追いつめられるのは、向こうだ。その為に決行を送らせてまで情報収集に努めたのだ。

「何を申すか! そなたは国王を殺害した大罪人ぞ! 衛兵! こやつらをひっとらえよ!」
「待て! わが父を殺したのは私ではない!」
 フィスが近寄って来た衛兵に告げた。衛兵はとまどって二人を見比べる。
「叔父上、そもそも私が城を離れたのは父上を殺害したと思われる犯人に襲われたからです。バスキ大臣のおかげで命からがら逃げおおせたのです。叔父上の身柄を案じておりましたが、無事でなによりです。にしてもおかしな話です。私は逃げ延びた後に、バスキ大臣の副官であるロヴィン殿に助けて頂くまで父上の訃報を存じませんでした。その私が父上を殺す真似などできましょうか?」
「口ではなんとでも言える。バスキ大臣が兄上の暗殺を謀っておったことは知っておるのだ!」
 フィスはその言葉にも動じずに言い放つ。
「私もそれで父上を殺した、と? では私はなぜ父上を殺す必要があったのです?」
 フィスは次期王位継承者。病により先が長くない父親を殺す必要はない。それに公私ともに父とフィスはとても仲が良く、互いを支え合っていた。殺す理由が本当に全くないのだ。
「そして仮にバスキ大臣が暗殺を謀ったとして、そのバスキ大臣はどちらです? 私に逃亡の手助けを行った後行方が知れないのですが。それに彼の屋敷の街はすでに焼き払われた後でした」
「国外に逃げたのではないか?」
「それはおかしいですね。もし何らかの事情で彼が父を殺したとして、その後自ら屋敷を焼き払ってから逃げる必要性を感じませんね。証拠隠滅? 罪が暴かれたからこその逃亡ですよ? そもそも叔父上は何の証拠があって彼を犯人と決め付けます? むしろそれを証明できる手管があったにも関わらず未然に防げなかったというのですか?! 騎士団長であったあなたが!!」
 フィスが喝を入れるかのように大声で王座に座す男に言い放つ。
 兄王であるカラ陛下とビス殿下は折り合いが悪かったが信頼関係はあったらしく、そこら辺が不思議に思われるがカラ陛下の王の側近でありながらもっとも近い近衛兵としての騎士位の最高位にビス殿下はいたのである。
「それを恥じることもなく、その父上のあるべき場所に貴方が悠然と居座れる理由をご説明いただきたい! 私が知る貴方なら、今頃地の果てまで父上を殺害した犯人を探しに行っていることでしょうね! 私が殺したと思うなら、それこそ貴方は私を殺しに、こんな場所ではなく、愛馬を駆っていたでしょう!!」
 フィスはどうして叔父がこのような行動を起こしたか全く理解できなかったし、信じられなかった。だが、いろいろ調べてもらって違和感を感じずには居られなかった。自分が知る叔父とは行動が反対なのだ。今まで騙されていたと言われればそれまでなのだが、この違和感が相手を目の前にして嫌悪感に変わった。
「白帝剣をどうなさいました?」
 フィスは王座から滑り落ちそうなほど青ざめた男を見る。もう、はっきりわかった。
「……あ、あれは」
「叔父上と父上の父、すなわち私の祖父に頂いたもので、貴方は寝る時でさえ手放さないその命より大事だった剣ですよ。身につけていないとは珍しいですね」
 ジルタリアを示す深い緑のマント。そのマントの下にあるべき白銀の大剣がない。
「その王座に身を落ち着かせるには、邪魔でしたか?」
 フィスが穿つように言い放つ。
「それとも、持てなかったんですか?」
 それに続くように配下の一人が軽蔑をもって王に言う。
「な、なにを!」
「最初は半信半疑だったんですよ。というかほぼ私の希望だと思いました。そうであればいいとそう願っていたのかもしれません。でも、お会いして、確信しました。……貴方が、ニセモノであると」
 フィスが言った瞬間に、男が呻いた。
「何を申すか!!?」
 王座から立ちあがって男が怒鳴る。それにフィスの周囲の配下もほとんどがフィスのその発言に驚いた。
「白帝剣をお持ちでない。それこそが、貴方が叔父上でない最大の理由です」
 フィスがそう言いきった。セダは目を丸くする。それだけの理由?
「そう言えば、ビス殿下は昔、戦場で大けがを負われたそうですね。確か……胸から腹にかけてこう、斬られたとか……一命を取り留め、戦場に復帰するのに一年かかったとか……」
ジルが隣でそう言った。
「あー、それ俺も聞いたことある。たしか、世界傭兵が珍しく陳謝した件だったよな」
 セダがそう言う。テラも、ああと頷いた。
「では、貴方が本物のビス殿下なら、胸に傷が残っていることになります……ねっと!」
 ジルがそう言うや否や、構えさえ与える暇もなく、腰の剣を一閃した。その軌跡すら常人には見えなかったであろう速さだ。グッカスは舌を巻いた。
「ちょっと!」
 誰もが行きすぎた行為に口を開きかけるが、ジルだけはニヤっと笑って、腰に剣を戻すと、男に視線を投げた。ジルは見事に纏っていた洋服だけを切り裂いて、男の胸を露わにしていた。その、傷一つない、対して筋肉質でもない胸板を。
「傷がない!!」
「偽物だ!!」
「ビス殿下ではない!」
 男は我に返ると、フィスを睨んだ後に、呆然としている近衛を押しのけてこの場から逃げ出した。謁見の間にある王座から逃げ出した男は、謁見の間と続きの間になっている閣僚たちが会議を行う部屋へと逃げた。謁見の間の会話が聞こえ、返事を待たせる間に話し合いがもたれる場だ。そこに命からがら逃げ出したかと思うと、叫んだ。
「ハストリカ!」
「はい」
 楓、並びに紫紺と鴉の番をしていたハストリカは服装も乱れ、血相を変えた主に歩み寄る。
「追われている! 足止めせよ!!」
「はい!」
 セダ達が追ってくる足音が近づいた瞬間に、水の壁が襲いかかる。
「な、水!!?」
 セダがすぐさま気付いて脚を止めた。瞬時の判断でテラが矢を放つが、水の猛威に力なく折れるだけだった。水の猛威を止める方法は一番は相殺関係の炎をぶつけることだが、炎は滅多に使えない。すると他のエレメントで対応するしかないのだが。
『方位は東、色は黄色、応ずるは茶、場の設定には白。力は増しませ、基準は我の左右に一直線で展開! 出でよ!!』
 ヌグファが杖を掲げて叫ぶ。すると黄色い魔法陣が浮かび、その周囲に茶色の魔法陣が浮かぶ。床材に使われていた白い石材が剥がれ、持ちあがるかのように隆起して壁となって一行を水の大波から防ぐ壁となる。
『続いて、方位は同じく東、色は緑、応ずるは萌黄、場の設定には黄緑。力は鋭し、基準は我より直前で放射! 出でよ!!』
 タイミングを図ったように、土の壁が崩れ落ちるその瞬間に緑と萌黄色の魔法陣今度は空中で光り、ゴウっと風が放たれる。真っ向から水の壁を粉砕させ、その間にセダたち武闘科のメンツとジルが滑り込んだ。
「チ!」
 水の壁の向こうから出てきたのが細身の女性、しかも青い紋章が顔に浮かびあがっているとあっては、セダたちは驚いた。
「な、宝人?!」
 セダたちにはその宝人が敵なのか、どうかが判断できない。そう思って脚を一瞬止めた瞬間に水が降りかかる。
「うぁ!」
 水を目くらましに使われた、と気付いた瞬間、オレンジの軌跡を描いて、一羽の小鳥がハストリカの顔面に攻撃するかのようにぶつかった。
「きゃぁ!」
「悪いな!」
 セダはグッカスと分かった瞬間に、自分の武器の柄を相手の腹に叩き込んだ。ハストリカの顔から離れて小鳥は優雅に一回旋回するとふわりと降り立ってグッカスの姿に戻る。
「油断したな、馬鹿め」
「悪かったよ」
 ハストリカによる水がなくなり、全員が男を追い詰めた。
「楓!!」
 光が叫んだ。部屋の奥にはなにやら箱上の何かが置かれている。よく見れば、それは一面が格子をはめられた小さな檻であることがわかった。その中に、信じられない事に人が入れられている。
 光の目線はその檻に釘付けだった。光は駆け出した。小さな女の子の行動を男はハストリカが倒されたことが信じられず、それを見逃した。光は紫紺と鴉の傍により、檻の中の少年に声をかけた。
「楓! 楓、助けに来たよ」
「光! ……お前がいるってことは……みんなは?」
 鴉が信じられない驚いた顔をして言う。光は力強く言った。
「みんな助けて、もうリュミィを先導に逃げてる。大丈夫。あの人たちが協力してくれたの」
 あの場には宝人の信頼も厚いリュミィが先導になって宝人を逃がす指揮を執っている。終わればこちらに合流する予定だ。
「……光?」
 顔が上げられない楓は確かめるように視線だけを上げて、弱弱しい声で言う。
「うん、楓、あたし、助けにきたの」
「逃げてって言ったじゃないか……」
 苦笑する楓の優しい目をみて、光は泣きそうになってしまった。こんな時も楓は自分の心配をしてくれる。
「だって……」
「でも、ありがとう」
 楓がそうつぶやく。鴉は目の前の無晶石のついた手枷を示す。光は誰かの手を借りようとセダを見た。
「あそこにいるのが楓か?」
「ひどい……!」
 テラが言った。あそこまでする理由がわからない。しかも檻の前には二人の幼い少年がいる。彼らも宝人だろう。
「投降して下さい」
 フィスはその現状に眉をしかめ、厳しい声で言った。やっと現実に返った男は近づくな、と言いたげに叫ぶ。
「私には、まだこれがある! さぁ、恐れ慄くがよい!」
 楓を閉じ込める檻に近づき、男は怒鳴った。
「馬鹿言え! 宝人のみんなは解放されたんだ、誰が従うかよ!」
 鴉が今までためていた怒りを一気に放出するかのように怒鳴り返す。
「黙れ!!」
 男が懐から短刀を取り出し、怒り任せに振り下ろした。
「っあぁああ!!」
 鴉が目のあたりを押さえて呻いた。抑える手から血が滴り落ちる。紫紺は震え上がって後ずさった。
「お前、なにしてんだ!!」
 セダが怒りに叫んだ。相手は子供だ。そんな子供に逆上するとは。
「さぁ、炎で奴らを殺せ! 私を助けるのだ!!」
 楓を無晶石の檻に入れたままということすら忘れ、男は光を乱暴につかんで叫ぶ。
「いや!」
 光が叫んだ。楓の目が見開かれる。
「光!!」
 その刹那、光と音がが爆ぜた。

 ――バンっ!!

 何かが爆発したような音がした。その方向は楓が閉じ込められていた光のすぐ後。激しい音と共に、楓を閉じ込めていた檻がまるでガラス細工のように粉々に一瞬で砕け、炎の中に溶けて消えた。一瞬、誰もが呆けてその方向を見た後、事態を理解する。セダたちが武器を構えて駆け寄ろうとしたときだったので誰もが目を見開いてその明るい炎を見た。オレンジ色の明るい炎の中で立ち上がる楓の影。
「おお! さすが、これこそが炎! さぁ、こやつらを殺すのだ!!」
 男が嬉々として叫ぶ。セダ達は光を人質に取られた上に楓の行動がつかめず立ちつくす。
「契約を、解除して下さい」
 一瞬で爆発の余波で楓を包んでいた炎が消え、炎から現れた楓が静かに言い放った。
「はぁ?!」
 男はすでに半乱狂といった体で言う。逆にセダたちは初めて楓という少年を見た。全体的に細身の印象に、茶色みを帯びた黒い髪と目。熱に煽られた彼の衣服や髪がゆらりと揺れ、熱が時々彼の姿を滲ませる。
 そして何より目を引くのが、彼の左頬から額にかけて描かれた赤い模様だ。それはひし形を組み合わせて楓の葉の様な形を成し、彼を楓と言われる所以となっている。
「貴方は僕に宝人の仲間達の身の安全と引き換えに契約を迫りました。事あるごとに仲間の命を、責務を盾にして僕にむりやりエレメントを使わせた」
 静かな声だが、その声に怒りが混じっていることは初めて会ったセダたちでもわかる。
「だけど、仲間はもう解放された。僕が貴方に従う理由はこれでない」
「なにを! だが、この娘はお前の知り合いなのだろうが!!」
「貴方はそうやって人質を取って僕を脅した。だけど、知ってますか? 人質を傷つけた時点で、それって人質の意味を成してないんですよ? ……あなたは鴉を傷つけた」
 その視線に怒りが宿っている。ここに里の大人がいたら、楓を抑えようと必死になったはずだ。あれだけの拘束にエレメントを否定する無晶石の檻。それすら一瞬で破壊してしまった、楓のその能力。
「……あと、人には逆鱗ってあるんだって知ってます?」
 男がほとんど楓の言う意味を理解していないのをわかっていながら言わずにはいられないといった楓。
「光を僕の新しい人質にしたのは、最大の間違いです!!」
 楓が叫んだ瞬間にこの空間そのものが一瞬にして燃え上がる。突入しようとしていた兵士たちが悲鳴を上げて逃げ始め、炎が瞬時に壁や床を伝い、勢いを増して激しい音を立てて爆発を起こす。その熱波から身を守るように一行は腕で顔を覆った。熱波は一行をなぶっただけではなく、部屋の窓ガラスを激しい破砕音を立てて壊した。その瞬間に外の空気が流れ込み、より一層炎は攻勢を強める。
 部屋中で炎が空気を巻き込んで爆発を起こしている。盛大に燃え盛る真っ赤な炎が容赦なく城を破壊していく。
「これが……炎……!!」
 楓は無表情になって男の手を取った。
「でも、大丈夫。貴方は僕と契約していますから、今も熱くも怖くもないはずです」
 楓が怒った事が男を正気に戻したのではない。自分はとんでもないものを起こしたらしいことがようやく理解できた男は、楓が光を拘束する腕を外させたのにも自然と従ってしまった。
「楓!」
「だから言ったでしょ? 僕を助けることは考えずに、逃げてって」
 楓はそう言って光を自分から突き放した。男の手を取る反対側の手でポケットを漁り、緑色の風晶石を何個も取り出した楓は、男を視線から離さずに、叫んだ。
「風よ! 僕が触れていない人物をこの建物から逃がして安全な場所へ運んで!!」
 炎に包まれたこの部屋では確かにセダたちは逃げ場所もないが、それより楓が起こそうとしていることがなにか分かって光が叫ぶ。
「だめ、楓!!」
 しかし自らの意志とは関係なく、風のエレメントによってこの場にいた誰もが壊れた窓から身を躍らせるように外へと運ばれていく。空を飛ぶという経験を初めてした人間のセダたちは大いに驚いた。
「でも助けに来てくれてありがと。たぶん、僕をそうやっていつも救ってくれるのは光だと思ってた。リュミィも光の我儘につきあってくれてありがとって言っておいて」
 光を庇うように抱きしめていたセダたちにも楓は礼を言った。
「それから、人間の皆さんも、仲間をすくってくれてありがとう」
 ずいぶん楓と距離が離される。一行は風の精霊によってすでに窓の外へと運ばれていた。
「楓! どうするつもり!!?」
「契約を解いてもらう! ……いや、これ以上は耐えられない。解く!!」
 楓はそう言うと男に向き直った。セダ達はこれ以降もう、部屋の中が見えないほどに運ばれていった。残ったのは楓と男だけ。
「解いてもらおうとは最初から思ってません。貴方がそう言う人じゃないの、わかってますから。契約は互いに解除する方法が一番望ましいのですけれど、一方的に解くこともできるんですよ」
 楓がそう言った瞬間に、楓の契約紋から炎が噴き出した。契約紋でさえ燃やしつくそうというように、楓の形をした赤い模様から炎が噴き出す。楓は契約紋が熱いと感じた。ああ、これが皆が言う、熱さなのか。でも自分にはこれが身体を傷つけ、命を削る熱さでも、とても親しみのあるものに感じる。それと同時に男の腕にあった契約紋も燃えだした。
「わ、わしの腕が、腕がぁああ!!」
 燃え盛る腕を見て男が部屋を駆けまわる。そう、燃えろ、僕ごとこの男を含めて、全て!
「燃え尽きろ!!」
 楓が叫ぶと同時にがくりと膝をついた。思わず胸をかきむしる。楓の魂と結ばれた人間の魂を無理に引き剥がすその対価が激痛となって楓に襲いかかった。
「あ、熱いぞ! ハストリカ! ハストリカ!!」
 もう片方の宝人の名を呼びながら炎の中、男が転げまわる。熱いと感じるということは、男との契約が切れて来た証だ。もう少し、この男だけは許せない。
「僕と一緒に死んでもらう!」
 炎の宝人である楓は炎で死ぬことはないだろう。だけど、無理に契約を解く対価として死ぬかもしれない。宝人の人間との契約は魔神に課された宝人の義務。一方的な契約の解除は魔神から課された役目を放棄することと同じだ。それは宝人の生まれた概念を否定する行為。だから魂が苦しいのだ。だから死ぬほど苦しくて、死んでしまうことが当たり前なのだろう。自分で自分の存在を否定しているようなものなのだから。
 でも、楓は構わなかった。炎を使う喜びはある。でもそれは他人を怖がらせて傷つけてまでやることじゃない。なにより、自分の意志に反する炎は自分が許せない。
 ――瞬間、炎が爆ぜて完全に部屋が燃え落ちた。

「楓! 楓―!!」
 光が叫びながら地面に下ろされる。その瞬間に光達がいた場所が爆発して白の外観が崩れるほどに燃え始めた。
「光!」
 セダが叫んだ。爆発を聞きつけてリュミィが光となって駆け寄ってくる。
「光は宝人なんだろ! 水のエレメントは使えるのか?」
 この場にいる宝人はハストリカしか水の宝人ではない。しかし彼女はいまだ目覚めていない。リュミィは光だし、幼い宝人は一人は怪我をしているし、もう一人は恐怖におびえている。ジルもヘリーも首を振った。
「……わ、わからないよ」
「じゃ、ここに残れ!」
 セダはヌグファに行った。
「俺に水をぶちまけてくれ。テラ預かっててくれ」
 セダは武器を全てテラに預けて身軽になる。
「セダ、危険すぎます」
 ヌグファが言うが、セダは退かない。
「楓を助けなきゃ、なんのために俺らは来たんだ。さぁ、ヌグファ」
『方位は西。色は青。応ずるは紺、場の設定には水色。力は弱く、基準は我の直前に穏やかに放出! 出でよ!』
 さぁっと水がセダに降り注ぐ。
「行くのか? 無茶だぞ」
 グッカスが言うが、セダが笑う。
「大丈夫だって」
 駆け出そうとしたセダにグッカスが言った。
「俺は炎には耐性がある。俺に乗って行け。今なら部屋まで一直線だ。上空で待機している。楓を連れてこい」
「無理ですわ! 楓の炎が起こした熱で今やあそこの空気は熱せられておりますのよ! 鳥だって飛べませんわ」
 上昇気流が湧き立つように生じているであろうその場所で、楓は鳥として飛べないと言ったのだ。
「私も光を使って運びたいのは山々ですが、あの熱気には耐えられないでしょう」
 セダはなにもかも理解したうえで頷いた。
「行ってくる」
 何も云わず、何も云わせずセダが駆け出す。誰も止めることも出来ずに焦熱地獄と化しているあの部屋へ行くセダを誰も止められない。光が一瞬泣きそうな顔をした後にセダを追って走り出した。
「光!」
「あの馬鹿!」
 しかし城の中に飛び込んでいった二人の影を追うことは誰にも出来なかった。二人が通り抜けた瞬間にその場所が燃え落ちたのである。