モグトワールの遺跡 006

023

 ハストリカは燃え盛る炎の中に飛び込み、主である男を連れて城の裏側を流れる河へと移転した。水の宝人であるハストリカは水のある場所で、自分が知覚出来るポイントであれば、水を使って移転が出来る。主の身体は炎に当てられて軽い火傷を起こしていた。錯乱したのか、男の意識はまだない。
「しっかりなさってください、パンチャーズ様」
 水で皮膚を冷やし、水分を与える。するとしばらくして男の意識が戻ったようで、目が開いた。
「ああ、パンチャーズ様」
「ハストリカ」
「ご無事ですか? お助けするのが遅くなって申し訳ございません」
「いや、助かった」
 男は尊大な様子を見せることなく、ハストリカに礼を言った。
「あらあら、死んだかと思ったのに。三流の悪役はしぶといものですね」
 何もない空間から女の声が響く。ハストリカは虚空をにらんで、主を庇うように立ち上がった。
「今更、何の用!!」
 するとハストリカの手前で風が小規模ながら竜巻状になり、その中心から若い女が現れる。
「まったく、ここまでお膳立てしたのに、失敗するとはどれだけ無能なのでしょう?」
「……!」
 偽王であった男が呻いて、女を見る。
「あなたには失望しましたよ」
「すまなかった。もう一度! フィスなど……恐れるに足らぬ」
 そう言う男を女は鼻で笑った。
「もう一度? 無理ですから。フィス皇子は立派に次代の王として皆に認められるでしょう。貴方が再び王位をねらったところで今度は誰もついてきやしませんって。貴方はビス殿下でもありませんしね」
 女はそう言ってごうごうと燃え盛る炎を見る。
「ああ、すてき。力は衰えるどころではなく、ずいぶんと成長したものだわ」
 うっとりとそう呟いて、それから冷たい視線を男に移す。
「一番王としての器が無かったのは、あなただったようですね。シャイデの王は戦争なんて馬鹿な事をせず、己が単身で乗り込んで見事に事態を解決しようとしている。十代の若者にできて貴方に出来ない、その差はなんでしょうね?」
 くすくす女が笑う。ハストリカが水を周囲に出現させながら言い放った。
「これ以上の侮辱は許さないわよ!」
「あらあら、ハストリカ。貴女も馬鹿な女。こんな男に恋するなんてね。まぁ、恋は盲目、彼の魅力は貴女だけが知っていればいい、という所かしら?」
 女はくすっと笑って、その目線をハストリカに向ける。が、次の瞬間にハストリカの胸に一文字の傷が生じ、血を噴き出してハストリカが倒れ伏す。
「え」
「ハストリカ!!」
「哀れな女。愚かな男の道とは言え、付添は必要でしょう? 先にお逝きなさいな、ハストリカ」
「パン、チャーず、さ……ま」
 女はうっすら笑って男を見た。男は恐れを成して逃げ出す。しかし女は余裕で追うことすらなく、視線を向けた。その瞬間に、ハストリカ同様、男も血まみれになって倒れ伏す。一瞬にして絶命していた。
「まったく、こんな男に楓はもったいない! 殺してしまわねば、楓が苦しむ事になるわ」
 女は燃え盛る炎を見ながら呟く。
「これで、楓も宝人の義務から解放されるでしょうよ。魂が傷ついたのはこの男が楓の魂を持っているから。この男を消せば、魂に安定が戻る。楓も元気になるわ。……にしても、私が殺す間もなく、契約を解除してしまうなんて、さすが炎。見事な激情だわ。これからの計画に修正が必要ね」
 女がそう言った次の瞬間に、城の炎がおさまっていく。女は満足そうに笑って一陣の風となって消えた。来た時同様、唐突に。

 ジルは眠りについてそして夢を見た。いや、正確に言うと兄の夢を渡っていた。ジルタリアの王が亡くなったのは事実で、いまだフィス皇子の叔父である、名前を利用されたビス殿下は行方不明だが、とりあえず次の王はフィスで間違いない。そのフィスと友好関係を結び直せたし、フィスの行動や偽王が行っていた不信な事柄も解決したこともあって、国民も軍部も戦争ムードは無事に回避できた。
「心配したぞ、ジル」
 暗闇の果てに、シャイデの兄弟で使っている寝室が情景に現れる。広いベッドにキアが座り、ジルを待っていた。キアの顔に久々に見る隈が出来ている。ということは連絡をしなかった間、キアは睡眠時間を削っていたようだ。連絡を取らずにいても問題なかったようである。
「悪いね。でもジルタリアは解決したよ。もう心配ない」
「そうか。宝人はどうなった?」
「解放した。とりあえず、禁踏区域を解放したって? そっちに向かうらしいよ」
 キアは頷いて、簡単な事情を説明した。ジルタリアで現王が暗殺され、次期王位継承者であるフィスも命を狙われ、逃げ隠れていた事。その間にビスに成代わった偽物の王が起っていた事。その偽王がこの度の宝人の里を襲い、幼い子供を売りつけ資金を増やし、その資金で軍備を増強し、シャイデを攻めようとしていたことを伝えた。
 宝人は無事に解放し、囚われていた子供も親元に返した。戦争のために各地に散っていた軍は再編成され、通常の警備に戻った。早急なるシャイデとの国交復活を望んでおり、近々そっちに同盟の再締結のための人が行くだろうと言った。
「では、シャイデ側も国境に配備した軍を緊急に戻さねばな」
「ああ。それでいいだろう。どうする? 同盟再締結は話し合いも必要だし、俺がするには荷が重いと思うんだけど。そっちで担当の大臣とかをジルタリアに寄こす?」
 今回は宣誓を行ったのはシャイデなので、先に戦争を仕掛けたのはシャイデということになるが、事が事だし、シャイデが宝人の危機には盟約を重視するのは歴史で誰もが知っている。偽王が行っていた悪辣な事はジルタリアの国民が知ることとなり、ジルタリアが謝罪も込めて、シャイデ側を招待するのが筋ではある。おそらくフィスもそれを考えているだろうし、それまでの間、ジルやヘリーは国賓扱いを受けている。
「フィス皇子はどんな方だ?」
「まさしく皇子様って感じだぜ? キアは及ばないな。美形で人気も高い。そうだな、今回の事がないなら、甘ったれってとこだったと思うが、今回で化けたな。あれはいい王になる」
 各地で国や代表者を見て来たジルが言うのだから、フィスはいい王となるだろう。
「成程。そんな人物が心からの謝罪……ここは王として俺が会っておきたいな」
「じゃ、俺とヘリーはとっとと帰るか。いつまでもジルタリアの血税を使う訳にはいかねーだろ」
 ジルはそう言う。
「いや、お前には行ってもらいたい場所がある。それも早急に」
 ジルが疑問を顔に浮かべる。
「今回の黒幕だ。ジル、思っただろう? 国同士の諍いが簡単に片がついたなって。まぁ互いの代表がお互いをよく知らなくて、若いせいもあるだろうが」
「そうだな。戦争ってのは泥沼化するものだ。だからこそ、俺ら世界傭兵が儲かる」
 国同士まで発展した諍いは、簡単には止められないのだ。国を背負うのだから。一国家代表の我がままでは片がつかない。互いの国民と力とプライドを賭け、一方が壊滅するまでやらねばおさまらない。それが戦争だ。
「仕組まれていたからさ。偽王は操られていた可能性が高い。奴が失脚したからこそ、終結したんだ。トカゲのしっぽ切りだ。どうあっても、俺らシャイデとジルタリアを争わせ、何かを狙った奴がいるんだよ」
 キアの声は確証が取れた感じがする。キアは言っていた。なぜジルタリアか、と。ただ隣国同士で互いに力を持っていたから狙われただけだ。その間の宝人が利用されて。
「宝人の里すら利用か……おっかねーの」
 ヒュっと口笛を吹く。身体がうずいた。そんな連中、やっつけてやらないと世界傭兵の名がすたる。
「やつらがシャイデを諦めたとは思えない。ここは神の国、神代からの盟約の国だ。ハーキは今神殿に潜った。あそこは魔の巣窟だ。腐っている。お前が睨んだ通り、軍部もほとんどが腐っているな。繋がっているんだよ、両方、黒幕と」
「どこだ?」
「ジルタリアのお隣さん」
 ジルが目を見開いた。
 ――水の大陸三大大国の最後の一つ。
「ラトリアか!」
 キアが頷く。キアが調べていたのは金の動きと人の動き。ハーキは神殿と軍を探っていた。これらでわかったことがある。若者を雇用するといったのは自分が密かに調べるために潜り込む必要があったからだ。前の王の急死。自分達新王を認めない議会の動き。反発を繰り返す神殿と軍部。
 ――ラトリアとの癒着。
 確証はないが、ラトリア王はもう十数年にわたってシャイデの神殿から始まり、議会に入り込み、軍部も掌握しつつある。シャイデが乗っ取られる。巧い方法だ。長い年月をかけて知らないとことから侵略をしている。誰もが侵略されたとは感じない。ゆったりとして、しかし確実な乗っ取り。それに加担していた可能性すらある前王ら。
 王制の交替は荒れるに決まっていたのだ、最初から。腐っていたのはジルタリアではない。シャイデなのだとわかった。しかも簡単に調べる位でしっぽがつかめるのだから、相当根深く、長いものであるとわかる。
「でも大義名分がないだろう? ラトリアを攻撃する」
 ラトリアはシャイデを攻撃したわけではないし、取りいったといっても些細な事を重ねて育てたのだから、何も悪いことはしていない事になる。
「理由付けは後でどうとでもなる。だからお前に行ってもらいたい」
 キアはそう言って作成中の書類を掲げて見せた。ここは夢の中なのでキアの記憶を頼りに復元されたにすぎない。
「世界傭兵の立場を利用してラトリア王と将軍を捕えてくれ。とりあえずの容疑は前王の暗殺でいいだろう」
 ジルはこの年で世界傭兵の一人。己の正義で行動する事が許される人間だ。だからこそ、目的が分からないラトリアをけん制するために、トップを攫い、目的を吐かせると同時に行動を起こさせない。
「お前の隠れ蓑になるように、俺は堂々とジルタリアへ和平使節団の代表として行く事になるだろう。その間に国内で動く輩を見極め、一気に叩く。ヘリーはジルタリアで預かってもらえ。信用できるんだろう? 新王は」
「わかった。すぐに行動に移す」
 ジルはそう言ってキアの夢を渡る事を終え、視界を真っ暗に暗転させる。その後、違う人物の夢に渡るべく意識を広げていった。すべきことを終えて、ようやく休息に入る。明日から出発なのだ。休むに限るの。ジルは深い眠りへと誘われていった。

 ジルタリア城は炎の発生源であった西側はほとんど燃えていたが、西側の一部、すなわち城下町に面した西側だけは無事だった。半分以上が燃え落ちたとはいえ、元が城なので十分に広いその場所で、フィスは新しい王朝を宣言した。
 第五十二代目のジルタリア王と相成ったのである。ジルタリア議会も満場一致でフィスを王と認め、和睦も兼ねて、戴冠式にはラトリア、シャイデ両国王が招待されることとなった。戴冠式といっても城が半壊状態なので簡単な顔見せと発表だけだ。デャイデの王であるジルとヘリーはその場にいた人間を除いて、王であることを伏せられ一応セダ達と同じ賓客扱いになっている。広い部屋になれない一般人のセダたちは数日でもわくわくしていた。
「やー、慣れねー」
「はっ! 普通に考えて一般人が慣れるわけないだろ。こんな広い部屋。旅行とでも思ってればいいんだよ」
 いつもの調子でグッカスが言い、セダは肩をすくめた。
「さ、行くぞ」
 今日は久々に朝からフィスと朝食をともにする事になっていた。フィスは王座に就いてから忙しく、寝る暇もない生活になっていた。一王様といった感じで今では話しかけづらい雰囲気さえ漂う。
「ああ、おはようみんな」
 入って来たとたんに、軽く言い争う声が聞こえて驚いたが、言い争っていたのはジルとヘリーの兄妹のようだ。
「どうしたんだ?」
 思わずセダが聞いてしまったのは、ヘリーが泣きそうだったからだ。
「あー。ちょっと軽くもめているみたいだよ」
 フィスが困った調子で言う。肩をすくめて視線を向ける。
「わがままを言うな。ヘリー」
 ジルが強い調子で言っているのが印象的だった。空気を察したのか、この場にはフィスだけが残っている。テラやヌグファはまだきていないようだ。
「なんか、ジルはこのままジルタリアを出て違う所に行くらしいんだ。ヘリーを置いて」
「え? 置いてっちゃうのか?」
 後で年齢を訊いたのだが、半人は宝人のように寿命が長いわけではなく、普通の人間と同じようで、ジルもヘリーもセダたちより年下だった。それに驚いてしまったのだが、ジルは王になったのは不本意と言っていた。そんなまだ幼いヘリーを一人、他の国の王宮に残すのはさすがに可哀想だ。
「お前は戴冠式はどうするんだ?」
 グッカスがジルに問うた。自国の関係者と共にささやかなフィスの戴冠式に出るとばかり思っていたのだ。
「俺は出ないよ。ヘリーは興味あれば出ればいい」
 それを聞いてフィスが驚いた。
「ええ? てっきり君が出てくれるんだと思っていたのに」
「おいおい、こんなお子様王が釣り合うと思ってたのか?」
 ジルはそう言って笑う。確かに隣に並べば、王同士というよりは兄弟のようだ。
「では国から誰か?」
 フィスが思わず言うとジルは当然のようにさらりと言った。
「キアが来るから心配ない」
「キアって……」
 フィスは驚いて口をぽかんとあけてしまった。セダは視線で誰、とグッカスに問う。
「キア王。シャイデの一の王だ」
 それくらい知っておけ、新聞に出ていたとグッカスが返す。
「キア王が来て下さるのか?」
 フィスが思わず訊いた。シャイデは複数の王が起つ特殊な国だが、国の代表というと、一の王と相場は決まっている。一番目の王という意味で、今回は長子であり、兄弟の中でも信頼が厚いキアになっている。その王が自国を出て、迷惑をかけた隣国に足を運ぶと言うのか。フィスももちろんジルタリアの人々も担当の大臣辺りが来て、秘密の賓客扱いのジルとヘリーが出席してくれたら恩の字と考えていた。
「キアがフィスに会いたいっつったんだもん。だから来るんじゃねーの」
「ええ? 私に?」
「そんな驚くこと? キアの方がフィスより年下だし、経験も未熟だぜ?」
 ジルが笑いつつ言った。
「え? いつお越しになるんだ? 歓迎の対応とかは……!」
 慌てるフィスにジルが笑いながら首を振った。
「いらねーいらねー。そんなの。たぶんキアも適当に勝手に来るだろうさ。下僕とかに化けて」
「え? お忍びでくるの?」
「さぁ? だって議会がキアが行くのを賛成するとは思えないかんな」
 さすが兄弟。よくわかっている。
「だから、ヘリー。一人なのは少しだけだ。お前はキアと一緒にシャイデに帰るんだ、わかったな?」
 ジルがヘリーに言うが、ヘリーが目を吊り上げていった。
「いや!」
「だから聞けって」
 ジルは妹に甘いようだ。眉を下げて困った表情を隠しもしない。
「最後まで一緒にいる! ついて行くもん!!」
「だからぁ、今度は味方はいねーんだって。危険なんだよ。お前は連れて行けない」
「どこに行くんだ?」
 気軽にセダが尋ねる。ジルは首を振った。それ以上は立ち入るな、と視線が伝える。
「キアも来る。なにもジルタリアで一人ってわけじゃない。お前もフィス好きだろ?」
 ジルがなだめるように言うが半泣きでジルを見つめるヘリー。
「わかるもん。ジル、危ないことしようとしてる。ジル、また一人でどっか行くんだ! 一緒に行く! 一緒に行くんだから! で、一緒に帰るんだもん」
「帰るって。大丈夫だって、な!ほら、光とも友達なったんだろ? セダもいてくれる。独りじゃない。友達とキアが来るのを待ってろって」
 ジルが笑って頭をなでる。ここはジルにとっても譲れないのだ。いざとなったら逃げていい場所ではない。ジルが最悪の場合、戦争を起こす引き金となる。
「な! わがままを今度は俺も聞けないんだよ。ヘリー、いい子でいろって」
 ジルはそう言って部屋から出る。妹はうなだれた。フィスがおろおろしてジルを見る。ジルはフィスに視線を投げて、一緒に部屋の外に出るよう促す。フィスはとまどいながらも後に続いた。
「いいの? 連れてっていってあげたら?」
「俺がこれから向かうのはラトリアだ。シャイデにはラトリアの息のかかった奴が多く潜り込んでいる。今回の戦争を起こそうとしたのはそいつらの可能性があるんだ。フィス、お前もジルタリア議会を洗い出せ。前ジルタリア王を殺害した犯人がいる可能性がある。キアには内緒って言われてるんだけど、俺はフィスを信じてるから」
「ラト、リア……だと」
「そうだ。ラトリアだ。まだ、終わってないんだよ」
「でも、隣国で私たちの国は友好国として……」
 戸惑いを隠しきれないフィスにジルは笑って言った。
「同盟国のシャイデとは戦争になりかけたことを忘れるな」
 フィスがはっと顔を上げたとき、ジルはすでに背を向けていた。後手で手を軽く振る。そういう動作が子供のくせに妙に似合っていた。
「あ、そうだ」
 くるっと顔だけを振り向かせてジルが言った。
「ヘリーの事頼むな。わがまま言ったら叱ってくれて構わないから。あと、脚の速い馬を一頭借りる」
 それだけ言うと、ジルはまるで風のように城からすぐに姿を消した。