モグトワールの遺跡 007

026

 ジルはラトリア国内、城下町の手前の森の中で馬を休ませていた。ここまで急いで走ってくれた。そしてジルより前に複数の人間がここで馬を休ませていることが跡でわかる。足跡を見て、森の奥のほうに行っていることがわかった。馬に水を飲ませて、泉の周りの草を食ませている間にジルはそちらに向かう。人の気配がちらほらする。
「陛下」
 頭上で声がした。ジルは上を向いて、笑う。
「どうだ?」
「ほぼ全員集まりました。偵察も済んでいます」
「急な願いで悪かったな」
「いえ、陛下が出る前に準備をしておくようにと仰いましたから。全員気合入ってますよ、やっと大きな初任務ですからね!」
 ジルはそうか、と言って踏み出す。頭上の人がジルの背後に着地し、後に続く。ジルが姿を現した瞬間に数名の人間が木々の間から姿を現して並ぶ。
「陛下」
「ジル陛下」
 声を掛けられてジルも軽く手を挙げて答えた。
「にしても、お前ら大丈夫なの? 軍抜けちゃって」
「なに言うんすか。ジルが俺らをジルの近衛に命じたんじゃないすか」
「そうっすよ。普通の軍務より『鷹隊』の任務が優先されるのは当然っす」
 『鷹隊』――ジルがシャイデの王になって最初に行ったことだ。すなわち、軍部から優秀な数名を選抜し、己の近衛隊に抜擢する。ジルだけのジル命令に忠実なジルの部下だ。
 王であることをいいことに、勝手に書類を作成し、護衛は決まっている人がいいとか無茶を言って、議会と軍上層部のはんこをもぎ取った。
 しかし面子を見ればすぐに精鋭部隊であることがわかる。ジルは選抜した軍人とは密にコンタクトを取り、全員の信頼を勝ち取った。ちゃんと信用できる部下がどうしても必要だと思ったからだ。
「ありがとな。じゃ、作戦を練ろう。報告してくれ」
「はい。ラトリアは城が国の中心にあり、城下町ではやや西側にあります。城を中心として八本のメインストリートが走っており、その道を境に街が展開し、栄えているようです。門は四つ。東西南北に一つずつです。残り四つは地下の出入り口と繋がっています。門には門番がおりますし、地下の出入り口にも見張りがいます」
 河を国境にしているシャイデ、ジルタリアとは基本的に違うのだ。河を利用した街づくりではない。どちらかというと付近の森を利用している国づくりのようだ。
「ラトリア王は一日をほぼ執務室で過ごします。寝室は執務室とそう離れてはいません。食堂は階が違い、謁見の間は正面ゲートから続く広大な広間に繋がっています。謁見は週に一回。午後をその時間に充てます。必ず週に一日は家族とふれあいを持つようにしているようで、息子と鷹狩に行ったり、妻と劇場へ通ったりしているようですね。国の領主たちとの謁見を週に二回。休日は週に半日」
「ラトリア将軍は軍部で過ごす日は少なそうです。将軍も城で暮らしています。ほぼ、彼の住居スペースである三階で家族ぐるみで過ごしています。週に三回、軍部に顔を出しますが、行動範囲は広くありません」
「二人が会う機会は?」
「あります。しかし日程が決まっているわけではないようです」
「城の見取り図はできているか?」
「はい。ほぼ。ただ地下はチェックが厳しく、手がつけられません」
 ジルは顔を愉快そうにゆがめた。
「隠しているものがあるって言っているようなものだな。ヒューイはいるか?」
 ジルは言うと、鷹隊をまとめるリーダーが言う。ヒューイとは元空き巣専門の泥棒だ。潜入工作にもってこいの人材をジルが更生させ、仲間に引き入れた。
 そう鷹隊とは、優秀な軍人だけではなく様々なプロを引き入れたジルだけの、ジルの命令を忠実に聞く特殊な部隊。
「手配済みです、陛下。ご報告は明日にでもできるかと」
「おう、ありがと。潜っているやつは何を調べてる?」
「主に二人の行動範囲と予定ですね」
「逆に将軍と王が会う理由は何だ?」
 さらさらと会話が弾むのもジルが城を抜けてこの面子と過ごした日が多いからだ。個人的な付き合いも、集団での付き合いも。しかも近衛なのだからジルのそばに呼び寄せることも出来るので、全員で一緒に過ごした日も少なくない。
 ジルも城を抜け出して遊んでいたわけではないのだ。いや、好き放題やっているのだから遊んでいることと変わらないのだが。ジルは仲間の報告を聞き、仲間と共に潜入の作戦を練って夜は更けていった。
「陛下」
 作戦日をどうしようかと夜遅くまで話し合うジルたちの下に見張りにしている兵士から連絡があった。
「どうした」
「誰か近づいております。おそらく対面の森に潜んでいる輩と思われますが、如何なさいますか。撃退しますか」
「いや、いい。気づかれないよう気を配れ」
「その必要はないみたいです、陛下。あちらさん、こっちに気づいてますよ」
 別の兵士がそう言った。
「しゃーねーな」
 ジルが立ち上がる。それにあわせて、部下が皆臨戦態勢を取る。
「とりあえず会話が可能な方向で進めろ。無理なら斬り捨てる」
「了解」
 しばらく静寂とかすかな息遣いだけが森を包む。ジルは対面の森にいる輩って?と近くの部下に気配を消して問う。部下はこちらと同じで少人数で森に潜む輩がいるのだという。
「頭!」
 対応していた兵士が慌てた声を出す。陛下と呼ぶわけにも名前を呼ぶわけにも行かず、いざと言うときは山賊の振りということで頭と呼んだわけだ。
「おう。どうした?」
 とりあえず会話が可能な相手だったようなので、目線で配下に配置に着くよう命じ、山賊のようにちゃらちゃらした感じを出しつつ、森の外へ出る。
 月明かりの元、屈強と言える体つきの男が単身で立っていた。ジルはその男から出る気配とわずかな殺気に反応して相手に悟らせないように体を緊張させ、自然に剣の柄に手を置く。
 ……ただ者じゃねーな。男は背中に真っ白な大剣を背負っている。と思った瞬間、その大剣をジルに向かって振り下ろしていた。ジルの反応は瞬時。獲物の質量差から瞬時に剣の間合いを計り、双剣が音もなく抜かれている
 。互いに剣に手を掛けた瞬間から殺気が噴出し、目線が鋭くなる。双剣で質量差を翻弄させる素早い動きで対応するジルと、大剣のリーチを生かしてジルを追い詰めようとする男。互いに急な剣戟にも関わらず、疑問や言葉はまったくない。そしてジルは瞬時に配下に手を出すなという目線を送る。
 月明かりの元、しばらくやりあいが続き、どちらともなく剣を振る手が止まった。
「水の大陸三大宝剣の一つ『白帝剣』とやりあうことができるとは思わなかった」
 ジルがにやっと笑って言い、先に剣を収める。すると男も背に大剣を収める。
「こちらこそ世界に七つしかない呪剣『陰陽剣』をこの目で見るとは思わなかった。呪いをものともせず制御しきるとは、すばらしい使い手だ。手を出した無礼を詫びよう。部下に手を出させぬその判断もすばらしかった」
 ジルが苦笑する。
「で、ジルタリアの英雄・騎士団長で行方不明のビス殿下がこんなしがない山賊に何の用だ?」
 部下の中で息を呑む声がした。フィスは言った―白帝剣をお持ちでない、それがあなたが叔父上でない最大の理由だと。ならば、白帝剣を持つこの男こそ、行方不明のビス=アザンシード=ジルタリア張本人。
「しがない山賊とは冗談がきついな。宝剣は盗品だとでもいうつもりかね? シャイデの神殿の奥深くで封印されていたと記憶しているが?」
「さぁな。事実は正確とは限らないぜ?」
 ビスが微笑む。
「遠目でお会いしたキア様によく目元が似ておられる。……お初にお目にかかるな。シャイデの英雄王」
「チ。ばれているならしゃーねー」
 ジルは正式な挨拶の型を取った。それに習って部下も拝礼を行う。
「シャイデより参りました。第三の王・ジル=オリビンと申します」
 その拝礼に応えるようにビスも返礼を取る。
「ジルタリアより参った。ビス=アザンシード=ジルタリアだ」
 固く握手を交わした後、ジルは奥へビスを無言で案内した。
「で、時間がないもので単刀直入に聞かせていただく。我々に何の用でこちらに?」
「そちらの目的が知りたい。……もしかすると目的は同じではないかと思ったものでな。私は兄君を苦しめたあの女が許せなくてね。兄の慈悲によって自国に逃げ帰ったくせにちょっかいだけは一人前に、息子を利用してまで行う悪女を、斬ってやろうかと思ってな」
 ふむ、とジルが顎に手を当てて悩む。どこまでが本音か図っているのだ。
「それにしても優秀な部下たちだ。即位からわずかな期間でよくぞここまでの手勢を集めたものだ」
「ジルタリアの騎士団に比べたらそうでもないですよ。お褒めに預かり光栄ですがね」
 ジルはそう言って笑い、まなざしを鋭くして問うた。
「その悪女は誰の差し金かわかっておられるか?」
「もちろん。複数いるが一人は悪女の本当の恋人だ。かの国で一番高い椅子に座っている」
「成る程。では、悪女の国が持つ剣はどの程度の鋭さかご存知か?」
「無論。しかし我と貴君の足元には及ばぬだろう。昔は有名を馳せたようだが、金と権力におぼれ戦場に出なくなれば、待つのは耄碌した爺一人のみよ」
 ジルはそれをきいてにやっと笑った。
「おおむね目的は同じようだ。協力し合えるかな? といってもあなたの甥子殿と我が兄が仲良くなったならば、答えは一つしかないわけだが?」
「成立だな」
 武人らしく拳と拳が打ち合わされた。

「そいやさ、楓さっきなにしていたんだ?」
 セダは楓が街を出て少しして人気のない場所で行った行為を尋ねていた。ちょっと先に行ってとお願いされたかと思えば、その場で炎を出してくるりと回転したりしていたからだ。
「ああ。『紋』を作ってたんだよ」
「もん?」
「宝人のみできる特殊能力ってとこかな」
 楓の言葉にセダは首をかしげる。説明を求められているとわかって楓が穏やかに語りだした。
「宝人は各自のエレメントの特性を利用して移動ができるのはわかる?」
「それってリュミィが光を使ってびゅーんと移動する、みたいな事?」
テラの問いかけに楓は頷く。
「光の宝人は光のエレメントを使って直接移動できる。つまり、自分の力が及ぶ範囲なら光の速度で移動が可能なんだ。それが光。じゃ、闇はどうかっていうと己の力が及ぶ場所への『転移』ができるんだ。つまり、瞬間移動だね。闇のエレメントは自分で闇を出すことの出来る場所への移動ができる。光の場合は己の力が届く範囲の『転移』だね。宝人はそういう感じで己のエレメントを使って時間と距離を詰めることができるんだ。これは宝人の独特の能力の一つ。『転移』っていうんだけど、じゃ、他のエレメントはどうやって『転移』するでしょう?」
 宝人は便利だなぁとつくづく思ってしまった。限られているとはいえ、瞬間移動ができるとは。
「あれよね、きっと水とかは水のある場所ってところかな?」
 テラの言葉に楓は頷く。
「水は光と同じように自分が知覚できる範囲内の水がある場所へ移転できる」
「土も同じですか?」
 ヌグファの言葉に楓は頷いた。
「土は繋がっているからね、己の力が及ぶ範囲までを土を通して移動する。光とかと原理は一緒だけれど土を介すから、そこまで速い移動方法じゃないよ。こういう風にエレメントを通して転移をするのは『直接転移』っていうんだ。他の直接転移のエレメントは風。風も風を使って移動する。直接転移で速いのは光、次に風」
「セダたちも楓のお願いでお城から風の転移で運んでもらったんだよ?」
 光がそう言ってイメージがつきにくい転移という能力を教えてくれる。
「あれか! じゃ、光が落ちてきたのも……風の転移ってこと?」
 光は頷く。
「あれは風石がなくなっちゃってね……。お願いしたのは楓だから私ではどうにもできなくて」
 ということは、落ちた場所が干草の上でなければ死んでいたということだ。上空を風の流れに乗って飛ぶわけだから。光は運がいい。
「ちなみにさっきの闇や水は『間接転移』っていうよ。水は水を通すけれどその水が同じところになければいけないわけじゃないからね。で、話を戻すけれど間接転移はそのエレメントを己が知覚できれば問題ないんだけれど、距離が離れるとどうしても知覚は難しくなってしまう。そこで登場するのが『紋』」
 楓はポケットから己の火晶石を出した。
「『紋』はマークだね。この場所は僕が知っているというマーク。このマークを次のときに道しるべにして転移する。これが間接転移の基本。特に炎は絶えずその場所にあるものじゃないからね。自分の力のかけらである火石を埋め込んで、『紋』を描く。するとどこにいても紋を描いた場所は一瞬で転移できる。これが炎の転移」
「へー、便利!」
 テラが感嘆の声を上げた。
「じゃ、今からでも戻れんだ? さっきの場所まで」
「できるよ。でも炎がないとこの場所まで戻れないから、やらないけれど」
 やってくれと言いたげなセダに釘を刺すことを忘れない楓だった。
「何故? ジルタリアに用でもあるのか?」
 グッカスが尋ねた。楓は苦笑する。
「今回でジルタリアには炎の精霊をたくさん生んでしまったみたいだから、気に掛けておこうと思って」
「宝人は精霊の管理もするのか?」
 セダの問いに楓は首を振る。
「家族みたいなものかな? 僕にとっては」
「精霊ってそんなにいっぱいいるのか?」
 人間であるセダたちに、精霊は見えない。どういう存在かいまいちわかりにくいのだ。
「グッカスも『魂見』できるから、見えるのか?」
「見えない。俺が『魂見』できるのもけっこう特殊な理由があるんだ。宝人と獣人は基本的に違う」
 楓が目を丸くする。
「あなたは獣人だったの……?」
「楓は『魂見』できないからね。グッカスの魂は鳥。あと炎のエレメントに親しい色をしているね」
 グッカスが軽く目を瞠る。
「おまえ、魂見でそこまで視ることができるのか?」
「光の魂見は優秀ですわよ。形だけではなく、その形で何を表すか、どのエレメントに近いかだけでなく、その者の性質でさえ見通しますの」
 リュミィに言われてほめられているかのように光が胸を反らす。
「じゃ、鳥人なんだ。……炎に近いってうれしいなぁ」
 微笑む楓を見て、グッカスが一瞬呼吸を止め、目をそらす。照れているのだとテラが気づいたが、気づかないふりをしてあげた。
「そういえば、楓って里でどういう扱いを受けていたの? 里の人と仲がいいわけじゃなさそうだったけど」
 テラは話を変えるようにわざと重い、しかし目的地に着く前に聞いておきたいことを聞いた。
「僕は元々あの里に生まれたわけじゃないんだ。生まれは風の大陸の里。しばらくそこで育ったんだけれど、炎を抑えるには対抗できる水のエレメントの土地でってことで水の大陸の里に移されたんだよ」
「一番水の大陸で力のある里があの里でしたし、周りが水に囲まれた立地条件でしたから、あの里に送られましたのよ」
 リュミィは補足するように言った。
「で、泉の中に小さな小屋が建っていて……基本的にはそこから出ない感じで暮らしていた気がする。光と出遭ってからは泉のそばなら行動しても許してもらえるようになったんだけど。そんな感じだったよね?」
 光も頷く。
「それって、軟禁状態じゃない!」
「仕方ないことだから」
 楓が笑う。その笑みが、本当の笑みじゃない――。そんなことは誰もがわかった。
 ――楓、泣けないんだよ。光の言葉の意味がわかる気がした。この少年は己の運命を受け入れて、どうしようもないことも理解している。だけど、たぶん、望まずにはいられないのだ。自分が受け入れられる未来を。すべてを諦めるほどには絶望するほどにはまだ生きていないから。いつか、と夢を見るようにして生きている。
「それに苦痛じゃなかったよ。光が一緒にいてくれたから」
「そんなことしか、できなかったし」
「ううん。一人と二人はぜんぜん違う。僕には光がいてくれた。光がいることを許してくれる宝人の大人達がいたんだ。だから、つらくなかったよ。それに一人のときは炎を出すことも、できたし」
 リュミィがつらそうに視線を反らす。宝人がエレメントを守護し、扱うのは呼吸と同じくらい自然なこと。でも、楓は炎を恐れる周囲に気を配り、決して他の宝人の前では炎を出さなかった。だから、そんな当たり前のことさえ、することができなくて……。
「だめだ」
「え? セダ?」
「そんなんじゃ、だめだ! 楓。俺は火を怖がらない。確かにお前と違って炎に触れたら俺は怪我する。でも。恐れない。だから、お前俺らと一緒にいろよ。な、一人と二人は違う。でもな、二人といっぱいも違うんだぞ」
 きっと恐ろしい己の周りに光という女の子が共にいてくれたことだけが奇跡のように感じている楓だ。そんなのつまらない。俺もテラもみんな楓と友達になりたい。一緒に笑いたいのだ。それに炎なんか関係ない!
「……っ! そんなこと言われたの、初めて……!」
 ふわっと楓が笑う。
「ばっか! あったりまえだろ!」
 セダがぐりぐりと楓の頭を撫で回す。楓が笑った。光もリュミィもその笑みをみて、久しぶりに楓の心からの笑い顔を見れたことに安心したのだった。