モグトワールの遺跡 007

028

 シャイデの神殿にハーキが巫女見習いとして密かに進入してそろそろ一週間が経とうとしていた。なんとなくだが神殿内部の事情が読めてきて、そろそろ王様に戻らないとなぁと考え始めた。
 キアはジルタリアで王としてフィスと面会をし、ラトリアに喧嘩を売る頃だ。その頃までには王宮に戻っておかないといつまでも体調不良の不在は隠し通せない。
 数日のうちに神殿はラダという老女の独裁で運営されていることは明らかだった。ラダ派が主力でラダと対立していた巫女頭は位を落とされ、ほぼ軟禁状態。ラダに逆らえる者は存在しないようだ。
 王としてヘリーは敬われているが、それは仮初。このような場所を度々抜け出してジルと遊んでいた理由がわかる気がした。こんな場所はたしかに居たくない。
「ニオブさま!!」
 ラダと神殿で結構高い位にいるニオブという巫女の下へ複数の巫女が駆け込んできた。
「何事です。騒々しい」
 ニオブがラダの叱責の前に、巫女達を一喝する。それすら耳に入らない様子で巫女が叫んだ。
「今、宝人たちの『鳴き声』がシャイデに響き渡っております。旗印と旗色からラトリアが宝人たちが避難している禁踏区域を強襲したようなのです!! ヘリーさまにお取次ぎをお願いいたします!」
 ニオブの目つきがかわる。ラダの世話をしていた巫女たちでさえざわめきだす。
「そなたは感応性の高い巫女かえ?」
 ラダが落ち着いた様子で問うた。巫女たちは頷く。
「占の巫女も同様の結果を出しております。事態は火急です! どうか!」
 ニオブはラダに落ち着いた顔を貼り付けた上で問うた。
「ヘリーさまもお聞きになっていらっしゃるかと。ヘリーさまは王宮ですか?」
 ハーキはそれを聞いて驚いた。ヘリーがジルと共にシャイデを抜け出したのはずっと前で、神殿に手紙を残したとさえ言っていたのに、それをニオブ位の高位の巫女が知らないとは!
「落ち着きなさい。どうせわかりませんよ。それにヘリーさまは今シャイデにいらっしゃいません。兄王とどこぞへ逃げたとか」
「なんと!」
 ニオブが驚くのは最もだった。それはラダの元で握りつぶされているのだから。
「そなた、感応性の高い巫女というが、このわたくしでさえ聞いておらぬ『鳴き声』などを聞いたのかえ?」
 意地悪くそう言うラダにいつもならひるむ巫女たちでさえも事態が事態だけに反抗した。
「はい。はっきりと」
 巫女の一人が言った瞬間にラダの眉間にしわがより、不機嫌そうな顔つきになる。
「ふむ。そういえばそなたらはヘリーさまのお付きであったな。幼子に感化されて嘘をつくなど、恥を知りなさい。ラトリアは我国と長きに渡って友好関係を築いておる。馬鹿なことを申すでない」
 ふんと鼻を鳴らすとニオブの方を向いてラダが言い放つ。
「ニオブ、そなた最近甘いのではないか? 平気で嘘をつく巫女などヘリーさまだけで十分だ。きつく罰を言い渡しなさい。二度とそんなことを吐けないように」
 ニオブは殊勝にラダに向かって頭を下げ、申し訳ありませんと続ける。
「はい、二度とこのようなことがないよう、彼女らには罰を申し渡します。さぁ、あなたたちいらっしゃい。ラダ様に嘘を言うなど、覚悟しておくのですよ」
 ハーキはラダの頭から決め付けるその態度となによりうそつき呼ばわりされる妹に心底腹を立てていた。そしてニオブが訴えた巫女の集団を連れてラダの前を退出するのをいいことにその巫女達についていく。彼女らに事情を聞いておかねば。ニオブはそのまま自室に急ぎ足で皆を促すと部屋に待機していた巫女に視線を送り、その巫女は事情をわかっているように頷いた。
「ローウ、『鳴き声』の内容は?」
 ニオブは訴えた巫女に尋ねる。あれ? 嘘と疑っていたのでは? と意外に思う。
「はい。つい先ほど、禁踏区域でほぼ全員の宝人が鳴きました。視えたのは紫色の旗に白の染め抜きでラトリアの国旗です。鎧姿の人間の胸元に紫で旗印があり、一軍隊であるのは間違いありません。彼らは予告も無に禁踏区域に押し入り、宝人を捕まえる魂胆のようなのです。宝人はパニックを起こし、逃げ惑い始めています。シャイデから軍を出して足止めと共に宝人の保護をすべきと考えます」
「サイナ、占いには出たのは本当?」
「はい、今朝の占いでは『戦』を意味するものと『宝人』、『破壊』、『危機』、『炎』、『怒り』……どれも不吉なものばかりが」
 ニオブはそれらを聞いて少しだけ考えると決断をしたようだ。
「ローウは王宮へ急ぎなさい。ヘリーさまがいらっしゃらないのは痛いけれど、なんとか他の陛下にこの事実をお伝えするの。陛下さえご存知なら軍を動かしてくださる可能性が高いわ。いざとなったらラダさまのお名前を出してなんとか陛下に直接お目通り願いなさい。ラダさまと懇意にしている高官は避けるのです」
 ローウと呼ばれた巫女は頷いた。
「サイナ、貴方はチリを連れて西塔へ急ぐのです。チリ、あなたは鍵番の巫女をなんとか鍵から離してブランさまが軟禁されている部屋へ事の次第を伝えるのです。なにか良い案を授けてくださるかもしれません。必要であればブランさまをわたくしの元へお連れして」
「わかりました」
「ユリはミシナと共にサーマル様の下へ。事の次第をお伝えして。もしかすれば彼の口から陛下に伝わるかもしれません。イビアは数人の巫女と軍の……誰でも構わない。噂を広げ、軍の上層部に事の次第が伝わるようこのことをばら撒いてきなさい。さぁ! シャイデの危機に神殿が使えないなどと言わせません。行くのです!」
「他の皆はラダさまの巫女たちが邪魔をしないよう、張り付いておきなさい。わたくしもラダさまについていますから。いいですか、シャイデの魔神の恩恵を受ける国の神殿の巫女として、己の信ずる国の為、朋友の為、魔神さまに誇れる行動を取りなさい!貴女達の勇気がこの国を助ける礎とならんことを!」
 祈るポーズをニオブは一瞬取ると踵を返した。ハーキは感心してそれを見送る。てっきりラダの腹心だとばかり思っていたのだが、ニオブという巫女、ラダではなく国の為に進言する巫女を信じた! ハーキは神殿も捨てたものではないと思いなおし、陛下を探す巫女ローウという女性に付き従った。
「ローウさま、わたくし王宮は詳しゅうございます。お供しますわ」
「ありがとう」
 駆け足でローウという巫女は王宮に走る。衛兵をなんとか言いくるめ、王宮に急いだ彼女だったが、王に会うことはできなかった。それも運の悪いことにラダと懇意にしている高官や大臣が対応したせいだった。神殿から出ない巫女には高官がどういう立ち位置かわからないのだ。この急ぐときに、とローウは唇を噛み締める。
「直接陛下にお伝えせねばなりません。どうかお通しください。ラダさまからもそう言いつかっておりますゆえ」
「ほう。ラダさまと。わたしはそのようなことお聞きしていないが」
「当然です。事は火急なのです! なぜ陛下にお目通り願えないのですか」
「陛下の御身をそなたのような下級の巫女に取り次げるわけなかろう?」
 口調を強めて負けじとローウが言い返す。
「巫女は緊急事態の際は陛下に直接お言葉をお伝えするのが役目です!」
「では、その火急の事態とやらを私にまず伝えてみてはどうかね? 事の次第によっては考えよう」
「禁踏区域に避難している宝人がラトリア軍によって強襲を受けています。保護のためにも軍を動かしていただくには、陛下の下知が必要なのです」
 ローウがそう言ったとたん、辺りは一瞬静まり返り、その後、大爆笑に包まれた。
「な、なんです!?」
「とんだ巫女もいたもんだ! 知らないのかね? ラトリアと我国はずっと昔からそれこそ建国当初から友好関係を築いている。そのラトリアが我国をしかも城のすぐ隣の禁踏区域を攻撃? なにを馬鹿なことを言っているのだね?」
 ローウは怒りで顔を紅潮させながら言い放った。
「嘘とは何です!! ではご自分で確かめに行かれよ! 禁踏区域が今どうなっているか!!」
「ラトリア側はなにも出していないのだよ? 我国を攻撃する理由がない」
「理由など問うている場合ではないのですよ! 現に今、攻撃を受けているのです」
 ふん、と鼻で笑った高官はローウの肩を掴み、無理やり脚を出口の方に向けさせる。
「何をするのですか!?」
「出て行きたまえ! お前のような口からでまかせを言う巫女など巫女にあらず」
 その瞬間、ハーキの堪忍袋の緒が切れた。その高官の腰についている剣を抜き放ち、低く告げる。
「清廉な乙女に触れるな、この下種!!」
「な! き、貴様!! 無礼であろう!!」
 剣の鞘でローウに触れる手を払われた高官は怒ってハーキに向け手を振り上げる。しかし、遅い。ハーキはそのまま抜き身の剣を男の眉間につきつけ、己の顔を覆っていたベールを殴り捨てた。
 その瞬間鮮やかな青い髪がさっと腰まで流れ落ち、白い目がこの場の高官たちを射抜くように見据える。
「無礼は貴様だ。私を誰と心得る」
「はぁ?」
 気づかない高官がなおも言い募ろうとした瞬間、気づいたほかの高官が眼を見開いて半歩後ろに下がる。
「ハーキ=オリビン。貴様は自国の王の顔でさえ忘れたと見えるな?」
「……へ、陛下! なにゆえ……この様な場所に……」
 男は娘と侮っていたハーキの思わぬ威圧感に耐えられず、後ろに気づかず下がっていた。
「私のほうこそ問いたいところだ。イーマ大臣は経理担当のはず。ならこの時間いるべきは南塔だろう? こんなところで油を売っているとは、大層暇なようだな。公務を見直す必要があると見える。ちらほらと見える面子もどこの誰かすべてわかっているぞ。昼日中からずいぶん余裕な仕事ぶりだ。関心に値する。それ相応の謝礼を期待しておけ」
 国政を決める円卓会議でも二の王の彼女はたおやかな笑みを絶やさず、どちらかといえば困ったように微笑むだけの乙女だった。思わず護ってあげたくなるような。口調も丁寧でお飾りとしては十分の女王だったのに、今目の前に立っているのは本当にハーキ=オリビンか?
「まぁ、そんなことはどうでもいい。暇なら時間があろう。今から緊急で円卓会議を開く。十分後に議場へ集まれ。そこの君、各大臣とその副大臣、軍部から将軍と大将を集めてくれるか。至急だ。そのときに十分以内に集まれない場合は職務放棄とみなして首を挿げ替えるから覚悟しておけと伝えてくれ。君だけでは無理だろう? 仲間に手伝ってもらって構わないぞ」
「は、はい! 陛下!!」
 衛兵の一人が駆け出していく。ハーキはそれを見て、その後違う衛兵に目を向ける。
「君は軍部に言って軍を緊急で動かす旨を伝えてくれ。一部隊は禁踏区域の偵察に行かせろ。報告はすべて私の元まで上げる様に。途中で握りつぶしてみろ、貴様らは即刻処罰対象だと伝えることを忘れるな」
「了解です」
 慌ててもう一人の衛兵が駆け抜けていく。発言がいちいち過激だがそんなことより巫女の言葉を信じていることに驚いた高官が言う。
「おそれながら、陛下。この巫女の言うことを信じるのですか?」
「馬鹿か、貴様は。彼女の言うことの真偽など、見てこさせれば一発だろうが。なぜそんなことをすることもなく彼女の言うことを否定する? そのための『巫女』だろう?」
 ハーキはそう言ってローウを振り返る。伴となってくれた女性が実は王だったとは、と驚きながらも、思い返し平伏の姿勢を取る。
「かしこまらないで。あなたのおかげで最悪の事態は免れるかもしれない」
「……陛下」
「悪いけれど、あなたは『声』を聴けるようね? なら会議に一緒に出て頂戴」
 ローウを立たせてハーキはそう言うとこの場の用は終わったと言う様に歩き出した。
「陛下、どちらへ?」
「いや、巫女のままで会議は出られないでしょう? そうそう、今まで騙していてごめんなさいね」
 巫女服を着て一週間ほど巫女見習いをしていた少女は目的があって神殿にもぐりこんでいたことを悪びれもせずに言った。
「これ、返すわ。奪われるようならもっと重い剣を下げることね」
 気軽に高官に剣を投げ返し、颯爽とハーキは歩き去った。

「陛下! 申し上げます」
 フィスはキアと歓談している最中だったが駆け込んできた兵は必死な様子だった。キアはどうぞ、伝えてきたのでその場で報告させる。
「国境付近で待機していたラトリア軍が断りもなく侵入を開始しました」
「尻尾を出したな。付近の軍を向かわせろ! 街には一歩も入れるな!」
 フィスの言葉に兵士が返礼をした後、駆け出していく。
「キア王、申し訳ないがこの場はここで終了とさせていただいて構わないだろうか?」
「緊急事態ですからね。当然です」
 フィスは頷く。
「如何しますか? ジルタリアは戦場となるでしょう。御身を傷つけさせるわけにはいきません。今からでもシャイデにお戻りになりますか? その際は国境まで護衛をお約束いたしますが」
「……いえ、結構。私はジルタリア王とご一緒します。貴重な兵を私に割いていただかなくても結構です。シャイデもラトリアの攻撃を受けているでしょう。だってあの宣言は我国と貴国の連名なのですから」
それに顔を青くしたのはバスキ大臣だった。
「な! では今すぐ帰還せねば!」
「もう遅い。それになんのためにハーキがいると思う? ハーキに任せておけば最悪の事態にはなるまいよ」
 キアが堂々と言い放ったが、バスキ大臣がさらに言った。
「ハーキ陛下はあんなにもたおやかで儚げな乙女ではありませぬか! 彼女に一人で耐え切れるとは……」
「おやおや。ハーキは俺よりも強いし、戦況を見る目も長けている。俺なんかが指図するよりいいと思うな。先の話からシャイデとジルタリア、どちらが目的かわからない以上、警戒に越したことはない」
 くすくす笑いながらキアが告げる。バスキ大臣は不思議そうな顔をしている。
「フィス王。微力ながら俺もお力になりますよ。貴方の傍に居させて下さい。貴国に居座る以上、戦力と考えて頂いて構いませんから。少しお時間頂けますか?我が国に到底間に合わないでしょうが、一応指示を出してまいりますので」
 フィスは驚きつつも、頷くにとどめた。
「陛下!!」
 席を立つと同時にバスキ大臣がキアを追いかけてくる。
「陛下、お待ちください。間に合わないというのは納得できます。しかし! 戦時となるジルタリアに居座るのは一代表としていかがなものでしょうか。帰国の途ならば情報のやり取りも迅速に出来ます。今すぐにでも帰国すべきかと!」
 キアは振り返って微笑んで、バスキ大臣に言った。
「うん、いい。貴方は信頼できる。だから貴方には本音を伝えようと思う」
 キアはそう言って自室の前で留まっていたバスキ大臣に中に入るように促す。不審がりながら入出した。下調べの時にもわかっていた。仕事は実直で誠実。腐った国を感じ取りながらも、ぎりぎりの場所で頑張っている良い貴族の鏡。フィザー=バスキ。今回彼がジルタリアに行くと聞いてついて行く気になったのだ。
「バスキ大臣はルル=ミナをご存じか?」
「……? は、はあ。水の大陸を活動拠点にしている世界傭兵ですよね。近年はあまり活動をききませんが。そういえばビス=ジルタリア騎士団長を間違いで怪我をさせた件でも有名でしたね。しかし、二十年前のミシィー村の村人全員救出の方が我々の方では有名ですか。……で、そのルル=ミナが何か?」
「うん。ハーキね、そのルル=ミナに五年師事した二刀流の達人」
「は?」
「だから世界傭兵に師事した超絶剣の達人。俺よりってか普通に男より全然強いの。あれ猫かぶりだから、乙女とか。まず戦争とかになったら一番に役に立たないの俺な自信ある。戦時にハーキなら絶対大丈夫。これが国を放っておく理由その一」
 というかそのルル=ミナが自分たち兄弟の親戚なのだが、そこはまだ伏せておくか。
「で、ジルタリアに居座る理由の一つは、フィス王の対応を身近で見たいから。俺も王として未熟だから勉強にしたいし」
 あんぐりとバスキ大臣が口をあけて呆けている。勉強にしたいからって、それだけ??
「あとラトリアの目的が見えない。ジルタリアが目的か、シャイデが目的か。シャイデの場合はハーキが見ている。でも、ジルタリアの時は誰も見ていない。だからジルタリアに俺はいたい。これが二つ目」
 バスキ大臣はハッとしたように驚いた。
「しかし、ラトリアの目的といっても……ただの侵略か、征服か……」
「それこそラトリア王の乱心かな? その点は大丈夫。ラトリアにはジルが行っている。これでコンプリート」
「は!? ご旅行と伺っていましたが?!」
「国の税金使って生活しているんだからそこは子供でも許さない。この前の宣誓の際も軍も議会も相手にしてくれなかったから、ジルタリアに行かせて、今度はラトリアに行かせた」
「ジルタリアにぃ!!? なにを、なさって……?」
 掻きまわす第三の王の所業を知ってざぁっと顔を青くする。バスキ大臣はジルタリアの担当大臣だ。関係を悪化させでもしたらそれは彼の責任になる。
「いろいろしたみたいだよ?」
「ええええ」
「ま、それは置いて置いて」
 キアはにこにこ微笑む。それに反比例してバスキ大臣はさぁっと青くなっていく。
「来ると思わないか?」
「は? 誰がですか?」
 キアはにぃっと笑う。その表情は歳相応で、バスキ大臣はそういえば彼らはまだ大人の入り口に立ったばかりだったことを今更思い出していた。
「く・ろ・ま・く」
キアはそう言って話は終わりとばかりにフィスの元に戻ろうとする。
「へ、陛下!!?」
 バスキ大臣は後にこう語る。……私の苦悩はこの日より始まったと思う――と。