031
ジルは闇のエレメントを用いてシャイデに残した部下と連絡を取って驚いた。シャイデの宝人の避難区域、すなわち城の影に匿うようにある王家が定めた禁踏区域がラトリアの攻撃を受け、その直前にジルタリアも攻撃を受けたと言う。
ジルはすぐさまそれをビスに伝え、一国の猶予もないという同意見に達した。部下の兵士達も自国が攻撃されたとあって士気が高まっていた。本来ならば夜襲にする予定だったが、ちょうどラトリア王もその重鎮、将軍も揃っているとの情報もあり決行に移す直前、耳鳴りのようなものが響き渡った。
「っく! なんだ!!」
ジルのほかにはヘリー、そしてもっとも様子がひどかったのは宝人の兵士たちだった。
皆頭を抱えていたかと思えば、突然虚空を見上げて反応しなくなる。ジルもそのわめき声のような甲高い音が頭で響き、頭を軽く抱えていた。
痛みに耐性があるジルでさえ、身動きするのが困難なほどで、宝人たちに至っては心ここにあらずの様子だった。ビスは心配して宝人の部下を叱咤したり、揺すったりしたがまるで反応がない。
「作戦開始という時に……どうしたのか」
「……『卵核』が壊されたの」
ヘリーが頭を抱えたまま呟いた。シャイデの王は半人。宝人のような特殊能力が身につくが、宝人と同じかと言うとそうではない。王に選ばれた兄弟全員がエレメントを使いこなすことはできるが、宝人の様に精霊と会話ができるわけではないし、かすかに見えたりするくらいだ。当然晶石を生むことはできない。
宝人の『鳴き声』もジルは聞き取れない。そういう宝人に対する感受性とでも言おうか、そういう能力はヘリーが巫女王と言うだけあって一番能力が高い。兄弟の中でヘリーだけが宝人の『鳴き声』を聞け、精霊ともコミュニケーションが取れる。
宝人の『鳴き声』は宝人の危機を遠くにいる同胞に知らせるもの。聞き取ることが出来れば、何が起こったか遠隔の地でも知ることが出来る。
「……今のは鳴き声なのか?」
「うん。今までの中で一番ひどい。でも当たり前。『卵核』が壊されたんだもの」
「何だと!!?」
「らんかく?」
ビスが聞き返すが、ジルは真っ青な顔になった。周囲の宝人たちの様子に納得できる。
「宝人の卵。すなわち、宝人を生み出す、次代の宝人たちが眠るものです!」
ジルはビスに言った。ビスは内容を理解した瞬間、顔を青くする。そして虚空を見上げるままの宝人たちを呆然と眺めた。そして両国のある方向に赤い光が見える。
「……あれは、なんだ?」
ジルもビスも全員が空高く柱のように上っている赤い光を見る。遠く、何かわからないが重大なことが起こっていることだけは確かなようだ。
「ビス殿。宝人たちはそっとしておきましょう。我らにとって赤子が、いえ、母体共々来年生まれる命を殺されたようなものなのです。そして宝人は祈りによって生まれる。それは宝人全員の子供であり、宝人の未来なのです。卵核が壊されたというなら、これからどうなるかわかりませんがラトリアがやった以上、もう待てません」
ビスが力強く頷いた。多少の変更点を部下に言い伝え、出立の雰囲気が漂う。
「ジル。私も行かせて」
「おい!」
当初追いかけてきたことを反省し、自陣でおとなしくしている約束だったが、ヘリーはジルに自分の意見をようやく伝えた。というか、今度のことで決意した。
「わがままに思うだろうけど、行かなきゃいけないの。巫女王としてどうしてこんなことをしたか、ラトリアの王様に私が会わなきゃいけないの。だから行かせて」
ヘリーの顔はわがままや寂しさからの発言ではない。王としての責任があるような決意のまなざしだった。
「シャイデの巫女王を、朋友の危機を目の前にして下がれとは言えないはずよ。英雄王」
ジルは妹の本気に今度ばかりは折れなくてはいけないようだった。というか初めて妹に王としての気迫があった。その気迫に折れたと言ってもいい。
「俺のそばから離れるなよ」
「うん」
深くため息をつくとジルは黒い指輪を口に含み、ぷっと息とともに吐き出した。するとその息は黒く染まり、闇で出来た黒馬と変じた。
ジルはジルタリアから直接来たため、己の愛馬を駆ってこれなかったのだ。そういうときのために闇のエレメントで作った愛馬のコピーをつくっている。
ジルは闇のエレメントを宝人並みに使いこなすが、宝人でないために『暗円』のような補助具を作って能力を安定させている。その延長線上である一定の形を記憶する為、指輪や腕輪型に形を形状記憶させている仕組みである。
「落馬とかしたら即置いていくから」
ジルは馬に跨り、部下を見渡す。ビスも愛馬に跨り、部下を引き連れていた。
「行くぞ!!」
「おお!!」
猛々しい声が響き渡り、馬が一斉にラトリア城目掛けて駆け出した。
走りぬき様に右腕を差し出したジルの手をヘリーは掴み、力強いその腕に引っ張り上げられ、いつの間にかジルの馬に相乗りしていた。振り向くと前を見据えた厳しい表情の兄の顔がある。初めて見る顔で、これが離れていた間に叔母であるルルと一緒にいたときの子供ではなくなってしまったときの顔なのだ。
自分と一緒にいるときは決してみせない大人の顔。戦士の顔だ。両親も、兄も姉もジルを片手で数えられるその年齢で戦士にしてしまったことを深く後悔していた。だから、次にそういうことがあったら止めなくては、止められなくても自分が一緒にその痛みを分け合わなくてはとヘリーはずっと心に誓っていた。
「前を見ていろ。護ってはやらないからな」
「うん」
皆、相当の駿馬を駆っているのか、それともなれていないヘリーだから速く感じるのか遠目に見えていた城はいつの間にか目の前に迫っていた。
「ジル……」
ごおごお感じる風に負けないように名前を呼ぶと、ヘリーの方を見ることもなくジルが厳しく言う。
「舌をかむぞ。口を閉じていろ」
乗馬は出来るとはいえ、戦場に出ている馬とはこうも違うものかとヘリーは膝に力を込めた。確かに無駄口を叩くと舌をかみそうだった。
「陛下、一番槍はいただきますぞ」
「おう、蹴散らしてきな」
部下の一人が土煙を上げながら近づいたかと思うと一言交わして姿を遠ざけていく。ジルとビスの部下が城の姿がもう目の前と言うところで弓を構えた。流れ星のように綺麗な放物線を描いて矢が門の中へ消えていく。そして馬の持つ跳躍力と速度で門番が蹴散らされ、木製の門が破壊される。
鉄製の正門ではなく裏門の使用頻度が高くない門だからこそ馬で蹴散らしたというわけだ。激しい音が鳴り響き、気づいたラトリアの見張り兵が警鐘をけたたましく鳴らす。緊張した空気が流れたがジルたちは構わず進む。
ビスたちとはそこで別れ、ジルたちシャイデの兵は城の中でさえ馬で荒らすように押し入り、そのまま上階へ馬のまま上がっていく。警鐘を聞いたラトリア兵が行く手に立ちふさがるが城の中まで馬で押し入る芸当を近年経験していないためか、まさに蹴散らされている。
目の前で突き出される剣や槍を馬上でジルが見事に払う。そのたびにヘリーは目をつぶってしまい、馬の首にしがみついていた。
さすがに上の階にいくにつれ通路が狭くなり、ジルたちも馬を下りる羽目になった。馬に下に行くように命じ、不思議と言葉は交わさないのに、馬は従って階段を下りていった。
ジルたちはどこかを目指す。ヘリーは慌ててジルの背中を追いかけた。
「いたぞ!」
新しいラトリアの集団が出てきて斬りあいになるが、ジルは相手にせずに奥へ進む。そうするたびに部下が一人、一人と戦場に残っていった。
そういう作戦だったのか、ジルは部下が着いてこないことに目も触れず、先に進んでいく。
そしてある一室を蹴破って押し入った。そこは王の執務室のようだ。執務室といっても広く、部屋の端から端まで走ったら息切れしそうだとヘリーは思ったものだ。ラトリア王と思われる人物は驚いていたが、無言で王を護衛している近衛兵か騎士がジルに向かって刃を向けた。
ジルはヘリーを背後に庇いつつも、腰から双剣を音もなく抜き、駆け出す。二人の影が交差した瞬間にその人物は倒れ伏していた。ヘリーは息を呑んでそれを見つめる。ジルが平気で人を傷つける。その現場を見たのは初めてだった。しかしちゃんと見ておかねば、と思い息を殺してジルについていく。
そうして部屋にいた護衛が一人もいなくなったとき、ジルがラトリア王に剣を向けた。
「ラトリア王だな」
「そういう貴様はなんだ?」
厳しい顔をしているもうすぐ初老という年齢の男性はとても宝人に悪いことをするような人には見えなかった。
「お初にお目にかかる。俺はジル=オリビン。このような形で合間見えるとは残念の極みだな」
青い髪に混じった白髪と尖った顎が目立つが、きっと笑ったら優しそうなのに、とヘリーは思う。
「オリビン。シャイデの新しい王か。この前会ったのはお前らより年上の男女だったが……。シャイデは複座の王だったか。ではお前は弟か」
「第三の王だ。兄弟では三番目。わかりやすいだろう?」
「ふん。で? 無礼極まりないな。国際問題に発展する行為を行っているように見えるが? 何か用か?」
完全に相手が子供と知ってか、それともそれ以外の理由か見下した口調で続ける。
「シャイデとジルタリアを襲っておいて、片腹痛いな」
ジルは鼻で笑い飛ばすと、剣を構えなおしラトリア王に問うた。
「何故宝人の里を襲い、宝人や子供を攫いつつもシャイデとジルタリアを乗っ取ろうとした?」
「子供のお前にそれを説いてなんとする。我が軍門に下るとでも言うつもりか?」
ヘリーはそこで前に出る。
「教えて。なんで宝人にひどいことをするの? どうして宝人の宝とも未来とも言える『卵核』の破壊を命令したの?」
「おやおや、シャイデの最後の王……というか姫が似合うか? なんでかって? そうやって問うて教えてもらえる甘い世界と思うかね、お嬢ちゃん」
完全に馬鹿にした様子でヘリーとジルを見下す。キアやハーキはそんなに感じの悪い王ではなかったといっていたが、それは外交上の表面というわけか。
「下がっていろ、ヘリー」
ジルは妹を背後に庇うと、ラトリア王をにらみつけた。ラトリア王も護身用か愛剣か腰の立派な長剣を抜き放つ。
刃を互いに向けて向かい合い王と王。先に動いたのはジルだった。水の大陸を中心に活動した世界でも抜きん出た腕を持つ集団『世界傭兵』の一人であった叔母ルル=ミナに従事し、直接その全てを叩き込まれたジルの実力は一国の王でさえはるかにしのぐものであった。
ジルは王にさえならなければそのままルル=ミナの後継として世界傭兵になる予定だった。というか世界傭兵として二年ほど活動した後だったのだが、また名を知らしめるほどの活動をしていないだけの話だ。
勝負はすぐに勝敗を決し、部屋の隅に弾き飛ばされたラトリア王の剣がむなしく光った。ジルはラトリア王に傷を負わせることもなく勝負を決めると首元に刃をつきつけた。
「しゃべらないなら、しゃべらせるまでだ。まぁいい。時間はたっぷりある。ジルタリアなりシャイデなりにお越しいただきゆっくり語っていただくまで」
ジルはそう言うとラトリア王をこれまた世界傭兵にしか知られていない縄抜け出来ない縛り方で拘束する。
「貴様! 度が過ぎるぞ、この私に向かって! すぐにでも私の危機を知って兵士が続々とこの場にやってくる。数瞬後にはこの姿なのは貴様だ」
負け惜しみを言う王に追い討ちを掛けるようにジルは言う。
「残念だったな。俺が一人で乗り込んできたとでも思うか? 城は俺の部下とあの名高いジルタリアの白帝剣がきてもうまもなく制圧する。お前の懐刀でさえ、お縄に着くぞ」
「ビス=アザンシードは確かに殺したはず!!」
「あの愛国心、兄への忠誠心が高いあの方が自国への勝手な真似を許すわけないだろ。確かに殺したなら、化けて出ても俺は不思議に思わないけどね」
ジルはそう言ってくすくす笑う。縛ったラトリア王を無理やり立たせ、連れて行こうとするとラトリア王が叫んだ。
「すぐに来い! 彗!」
ジルが警戒を解かずにヘリーを庇うとその場に水が瞬時に溢れ、中から人影が姿を現す。水によって転移した水の宝人だ。
「へ、陛下……」
怯えた声を出した男の宝人は薄い水色の目に怯えを乗せ、状況に困惑している様子だ。
「今すぐこやつらを殺し、私を自由にせよ!」
「へ、陛下。こ、ここ、殺すなんて真似、ぼ、ぼぼぼくには、と、とと到底できません!!」
首を振って腰を抜かしたのかへたり込んだ青年にラトリア王は怒鳴る。
「言うことを聞け! 仲間がどうなってもいいのか!!」
「そ、そそそんなぁ……」
今にも泣き出しそうな様子で青年がジルやヘリーとラトリア王を交互に見つめる。脅されて言うことを聞かされている宝人であることはすぐにわかった。
顔に契約紋がないから契約はしていないのだろうが、哀れな宝人だ。もしかするとジルタリアやシャイデから拉致された宝人かもしれない。ジルは宝人の方に歩み寄った。ひっと悲鳴を小さく上げてへたり込んだまま、慌てて後退しようとする宝人にジルは笑いかけ、剣を収めた。
「大丈夫、仲間は俺たちが必ず救出する。だから、もう脅しに屈しなくてもいいんだ」
「ほ、本当ですか?」
「ああ」
安心させるように力強く頷くと宝人の青年に手を差し出した。おずおずといった様子で青年がジルの手を握る。
「もう、大丈夫だ」
ジルがそう言って笑いかけたとき、青年が何かを呟いた。
「何だ?」
ジルが小さい声を聞き取ろうと耳をそばに近づけたとき、その言葉がはっきり聞こえた。
「『ジルコン』」
ジルは目を見開いて青年を見つめ返し、握った手を離そうとしたが、青年は手を離さない。
「っ!」
ジルが叫び、振り払おうとしたが、力強く握られたというよりかは捕まれた腕は離れない。
「『ジルコン=ダグラッド=オリビン』」
青年がそう言って別人のようにニィっと笑った瞬間、握られたジルの右手の甲に青い模様が浮かび上がった。ジルは腕を離そうと左腕で腰の剣を掴んだ瞬間、青年がぱっと笑顔になって腕を話した。
「お前……何故!」
ヘリーはジルの元に駆けつける。兄の腕に青い刺青が広がっている。さっきまでなかったものだ。
「何故俺の魂名を知っている!」
ジルがそう叫んだのを聞いてヘリーが目を見開いた。魂名は家族でさえ知らない本人だけの唯一のもの。ヘリーだけではない。おそらく生んだ両親でさえ知らないものを。
「よぅし、よくやったぞ! 彗!」
ラトリア王が縛られたまま叫んだ。チッと舌打ちをして、ジルは己のふがいなさを悔やむ。
「勘違いしないでいただきたい」
青年は今までのは演技だと言わんばかりに冷静な顔と態度でラトリア王を見下す。その目を見たジルはこの青年の本質を悟った。すぐさま双剣を抜き放ち、ラトリア王と青年の間に入り込む。
「おや、国を、宝人を襲った愚かな王を助けるのですか?」
「こいつから事の真相を聞いてねーからな。それに、愚王かどうか決めるのは俺たちじゃないさ。ラトリアの民だろう。だからお前がラトリア王を殺すのを両手喝采ってわけにはいかねー」
彗と呼ばれた宝人の青年はふむ、と頷く。
「彗! 私を王にするのではなかったか! 私をこの水の大陸全土の王にすると! それがお前らの望みだろうが」
「他人にそれを望む時点でその資格はありませんよ。ラトリア王。さて、シャイデの王。こんな愚かな男、殺してしまった方が世の為、国の為、人の為ですよ? 愚かな指導者を持つのは本当に不幸なことです」
ジルは青年を睨み、鋭く言い放つ。
「偉そうに上から物を言うな。お前がどれほど偉いか知らないがな……口封じに殺そうって魂胆が見え見えなんだよ、黒幕さんよ!!」
ふぅっとため息を吐き、目を伏せた青年はジルを出来の悪い子供を見るようにして言った。
「さすがかの英雄王。言うことはご立派ですが……させませんよ」
「ぐっ!!」
青年が目を見開いた瞬間に、ジルが苦悶の声を上げて、青い模様を描かれた右腕で握っていた剣を激しい音を立てて落とした。
「ジル!!」
左腕で右腕を押さえるジルの顔には脂汗が滲んでいる。
「お前……さっきのことと言い、俺に何をした?」
「俺は宝人の中でも『魂見』に特化した宝人。俺が魂の性質だけでなくその本質、果てには個人の『真名』でさえ見通すことができる。俺に触れたのは軽率でしたね、ジル王。魂の本質さえ分かれば宝人はその魂に向けて『呪う』ことができる。真名はそれを教えるようなものですから」
「……あの短時間で俺を呪ったってか」
「その通りです。貴方に掛けた呪いは紋様の成長具合でわかるでしょうが、いずれ心臓に達し、貴方の魂にたどり着きます。さすれば真名を呪われた貴方はその瞬間に呪い殺される。貴方のその高潔な心は正直美徳ですが、今この時点では邪魔でしかないので」
青年はジルに死刑宣告をしているときでさえ、まるで何も感じていないかのように言い放つ。そしてジルの背後でラトリア王の絶叫が響き渡った。水のエレメントによって一瞬で殺害されたのだ。
ジルは左腕を離し、落ちていた刃が白い剣を右腕に握らせると止血帯を使って右腕と剣を縛りつけ、固定する。左腕で刃が黒い剣を握り、立ち上がる。そして、刃の切っ先を青年に向けた。
「おや、相当の激痛のはずですが。ラトリア王も死んだことです。おとなしくしていてくれれば呪いを解いてもいいのですが」
それを聞いてジルは剣を下げる。青年がホッと一息つくが、ジルは口元に笑みを浮かべて両手首を打ち鳴らした。その瞬間にジルの顔に黒いシャイデの紋様が浮かぶ。
「そうしたいとこだけどな、お前は後にシャイデに害をもたらすだろう。それを放ってはおけないんだよ」
ジルがタンと軽く脚を踏み出す。その身体のリーチからは考えられないほどの間合いで青年に近づくと、剣が一閃される。青年は目を見開き、思わず息を呑んだ。――速い!!
「馬鹿な! 貴方が死ねば、残る王もみな退位を迫られるのですよ」
「そりゃ悪いな! だけどな、俺が死のうと、みんなが死のうともこの俺がシャイデを背負う王になった以上、後の禍根は!」
水による盾が一閃され、ジルの身が躍り出る。
「今、断つ!!」
彗は驚きを隠せない。呪いを掛けた状態でここまで動けるのも信じられないのに、死に恐怖しないだと!?
「お前を逃がしちゃいけないって、本能が告げてんだよ。俺から逃げるのは諦めな」
彗は自分の動きや水の動きが遅いと感じていた。いつもならもっと動けるのに。そう思ってはっとした。
黒い紋様。それは半人の王である証と同時に宝人と同じようにエレメントを使いこなせる証でもある。黒が意味することは、闇。すなわち『重力操作』!!
「致し方ないですね!」
呪いの効き目を速くし、痛みを強くするように呪う。一瞬ジルの動きが止まったが、すぐに動き出す。
あの痛み、感覚がもうないはずだが、剣を固定し、無理に腕の力で動かしているらしい。
「わかっていますか? その模様が腕を這い登り、心臓まで伸びたら最後、貴方は死にますよ」
「だから?」
「命が惜しくないのですか?」
「命ねぇ……」
ジルはそう言って笑う。
「貴方が死ねば、他の兄弟は悲しむでしょうね」
「かもな。だけどさ、命を伸ばすだけならさー」
ジルはそう言いながらも攻撃の手を緩めない。水でガードするのが精一杯だ。
「腕なんて斬り落とせば済む話だ」
軽い調子で言われたその一言は彗を止めるのに十分な言葉だった。この少年はどれだけの覚悟で、王というものに挑んだのか。ジルが右腕を振り上げる。やられる、と覚悟した瞬間、光が二人の間を通り抜けた。
「仲間か?」
ジルが驚きもせず冷静に問う。彗は誰かに抱えられていることに気づいた。ジルとの距離が離されている。視線を上に向ければそこには仲間の姿があった。
「隼(はやて)!」
白髪で白眼。光の宝人だった。
「お前が失敗するとは珍しい。ああ、王は始末した後か。こいつが邪魔なんだ?」
笑う仲間に気をつけろ、と短く声を掛けた。
「人数が増えた位で調子乗ってると、痛い目見るぞ」
ジルが殺気を隠しもせずにそう言い放つと同時に二人の身体は地に引っ張られるように叩きつけられた。重力操作の真骨頂。二人にだけ重力を何倍にもして掛けているのだ。
「この!」
隼が這いつくばったまま、光のエレメントを使って光を飛ぶ刃のように扱う。無数に光るその鋭利な攻撃をジルは黒い剣を回転させ、じんわりと染み出した闇に吸収させてしまう。
「何!?」
正直この攻撃を避けられはしても無効化されたことは一度だってなかった隼だ。驚く間にもジルが二人を捕らえようと攻撃を仕掛けてくる。重さで動けない二人だが、隼は彗の服をつかみ、違う場所に転移する。
光に重さはない。光と化してしまえば重力は無効化できる。だが、と隼と彗は冷静に状況を見つめなおす。闇のエレメントを使いこなされてしまっただけで、ここまで苦戦するとは。しかも相手は子供ということを抜きにしても自分たち宝人よりエレメントを使いこなすことに長けていない半人だ。それを普通の闇の宝人よりはるかに巧みに使いこなすだけでなく、相当の訓練を積んだのか半端ない双剣使いでもある。
はっきり言って彗も隼も他の宝人相手に引けを取らないだけのエレメントを使いこなす技術がある。しかしこの少年は相手が悪い。彗の水は重さを掛けられ動きを鈍らせるし、隼の光は闇で吸収される。闇に対抗する以上の力を使おうと思えば、彼の素早い動きに捕まってしまう。
現状は彼が彗の呪いによって動きが少しだろうが鈍いことと、隼の光の転移でなんとか攻撃の刃から身を護っている状態に他ならない。
「お前らが何を狙っているかは知らない。でもそれがシャイデに害をもたらすならば、俺はお前らをここで逃がすわけにはいかない。たとえお前らを殺しても」
黒い髪の間から覗く赤い瞳。そのわずかな赤い色に映える黒いシャイデを示す半人の契約紋。
「お前は俺に死ぬのは怖くないかと訊いたな。では逆に訊く。お前らは死ぬのが怖いか?」
そう問われた瞬間に彗の腕を何かが通り抜けたと感じた瞬間に火傷したかのような発火したような熱さが生じ、ぬるっとした感触が腕を伝う。見ることさえ叶わなかった。斬られたのだと理解するまで時間がかかった。
「彗!!」
隼が叫ぶが、彗は己の傷より目の前のジルから目が離せない。
――王だ。彼こそが、魔神に認められた王なのだ。その魂が、王である。
「お前らはラトリア王を手に掛けた。その正当性をラトリアの民に示せるならやってみせるがいい。お前らが宝人の里を襲い、年端も行かぬ宝人の幼子に悲鳴を上げさせたその恐怖と苦痛を取り払えるなら、やってみせろ。奪うだけ奪い、殺すだけ殺すというのは示しがつかないぞ」
「知ったような口を利くな、小僧!」
隼が叫ぶ。
「では貴様こそ、どうして俺たちがこんなことを始めたか考えたことはあるか!?」
「知ったことか」
ジルが見下す目には怒りが宿っている。
「貴様らが大層な理由を掲げても、シャイデの民をそして水の大陸に暮らす者を危機に陥らせたのは変わりない。それを許すと思うか。俺がそんな慈悲深く見えるか!」
意思を折られそうだ。この少年が王であることに。そして本気で民を想っていることに。
「許しは請わない。決めたことはやり遂げる。それには貴方が邪魔なのは変わらない」
彗はそう言って深く息を吐いた。
「その『呪い』は本来三日で完成するものだ。しかし貴方が従わないのはわかった。貴方は今晩死ぬ。呪いの速度は倍以上だ。貴方のような指導者に恵まれたなら、世界は平和であったろう。貴方がもっと早く生まれていればよかったと思うが、残念だ」
「わかりあえなくて残念だ」
ジルが再び剣を振り上げる。隼が彗を連れて転移を行い、ジルは見越したように転移先へ切っ先を向ける。
「貴方は死ぬ覚悟がおありだろう。そしていざとなったら己の身を省みないのだろうな」
彗は隼に囁いた。隼が頷く。
「だが、妹王にそれはおありかな?」
ジルが振り返った瞬間、ヘリー目掛けて無数の光の刃と水の刃が全方向から放たれる。ジルとヘリーの目が見開かれた。
「ヘリー!!」
ジルの決断は一瞬だった。宝人二人への攻撃を全て止め、ヘリーに駆け寄ってその身を庇うように抱きしめる。闇のエレメントを使ってヘリーの背後から襲い来る無数の光の刃を吸収させ、残った水の刃を叩き落す。それはがら空きのヘリーの背中を護るために。他の方向のものも水の刃は剣で打ち落とせるものは打ち落とした。そしてきつく妹を抱きしめる。
ヘリーはジルの胸に抱かれ、何も見えない。攻撃は一瞬だった。それをすべて払い落としたとは思えないが、ジルは苦悶一つ上げない。闇のエレメントによる重力操作が消えた瞬間二人の宝人は逃げる構えを取り転移しようとした。
「逃がさない!」
ジルがヘリーを抱いたまま、叫ぶ。しかし二人の身体が光に包まれていく。ジルは握っていた剣をすぐさま投げつけた。
「ぐぁ!」
その刃が黒い剣は隼の腹に深く突き刺さる。転移を阻止された隼だが、ジルが諦めていないと知ると、すぐさま剣を腹から抜き捨て、再び転移を開始する。二人の姿は一瞬で光と化し、後には血がついた黒い剣だけが残った。
「くそ!」
「……ジル?」
荒い息をする兄を見上げようとヘリーは兄に離す様促した。それを受けてか、大きな音を立ててジルの右腕から剣が抜け、切れた止血帯が落ちた。視界の端に白いはずの止血帯が汚れているのが見えた気がした。身動きできるようになったヘリーはなにかぬるっとした暖かなものに触れたと思ったとき、目を見開いた。
「ジル!!」
「逃がしちまった。格好悪りぃの」
口元だけ笑みを浮かべた兄の背は無残にも無数の光の刃に刻まれて血だらけだった。防ぎきれなかった水の刃が所々腹まで貫通している。茶色い革でできたジルの上着を赤黒い何かが色を変えている。鋭利な穴が何箇所も開いている背中からじわりと滲む赤いもの。
ヘリーを護って兄は傷ついたのだ。上着は赤黒く染まり、両腕には伝う血が止まらず流れている。ヘリーを抱えていたはずのジルは逆にヘリーに凭れ掛かるように体重をかけ、その重さに負けたヘリーがジルに釣られるようにして膝を着く。
ずるり、と滑り落ちるようにジルの身体が傾いでいき、ごん、と重い音をたててジルの頭が床に落ちた。ジルは倒れ伏し、気を失った。
血溜まりが音もなく広がり、ヘリーの膝をぬらす。血まみれの傷ついた兄。それを見、状況を理解したヘリーが絶叫する。
そう、甲高い音となって遠くまで響き渡る『鳴き声』を。