モグトワールの遺跡 008

032

 隼の転移によってジルから逃げ出した宝人二人はヘリーの『鳴き声』を訊いていた。
「まずいな……」
 状況を正確に伝える宝人のその能力によって自分たちがラトリア王を殺したことだけでなく、互いの会話やジルを傷つけたこと全てがどこまで遠くかわからないが宝人に伝わっている。それどころか、かの巫女王は半人のくせに『鳴き声』を使うだけでなく、それに己の意思を伝える上等手段まで併用している。
『――聞け! ラトリアの民よ! そなたらの王は殺された。絶対にこの二人をラトリアより逃がすな!!』
 すぐさま移転を用いてラトリアの宝人が二人を追ってくる。
「隼! もう一回転移できるか?」
「……ちくしょ、あの小僧……やってくれる!」
 逃げる前に黒い剣を投げられ、それが刺さったのは知っているが、傷口から黒い模様が浮かび上がっている。
「まさか、半人のくせに『呪い』を使いこなしたっていうのか?!」
「お前じゃあるまいし、俺の真名をあのガキが知るわけない。……あれ『陰陽剣』だろう? シャイデで眠っているはずの剣が主を得て目覚めたとすれば、これは剣の呪いだ」
 隼が冷静に言う。隼が傷ついて動揺しているのは自分のようだ。
「効果は?」
「わからねー。下手すりゃ死ぬか」
「くそ! わかった。転移は俺がする。傷が水に浸かるが我慢しろよ」
「ああ。今は逃げることが先決だ」
 彗が水の在り処を感知し、転移を行う。宝人二人はそうしてラトリアから姿を消した。

 まるで痙攣したようにキアは動けない。遠く離れたラトリアにいる妹の声がここまで聞こえる。『鳴き声』を通してジルが重傷、ラトリア王は殺害された事実を知る。
 半人であるキアが『鳴き声』を受け取れたのは初めてだった。ヘリーの絶叫が今もなお、耳に残る。
「さすが巫女王と名高いことはあるわ。普通の宝人でも国を超えるような『鳴き声』は出せないのよ」
 翔が耳を押さえて言った。キアはふっと視線を上げる。
「今の青い髪と白い髪の男、お前の仲間か?」
 翔がふっと笑う。
「今のでわかったでしょ? 私をここから出してよ。そうしたら私が彗に弟さんの呪いを解くように言ってあげるわ。いくら商人気質でも命までは買えないでしょう?」
 彗と隼が予想外にやられている。こんなところで待ってはいられない。もう用済みの王を消したし、宝人の里を消した。目的は達せられた以上長居は無用だ。
「だめだ」
 キアの表情は近くにいるので良く見える。今まで余裕だったのか口元に笑みが浮かんでいたが、今は違う。無表情だった。これが本当の顔か。――許さないって、人間らしい顔をやっとした。
「そんなこと言っている場合? 呪いは本物よ。ジル王が死ねば貴方達はもう王ではなくなる。それ以上に兄弟を失うのが辛いでしょう?」
「そうだな。ジルが死ぬようなことになれば、俺はお前らを許さないだろう。でも今はジルの命よりお前らを逃がすことの方が大きな間違いになるだろう」
 あの弟にしてこの兄あり。
「馬鹿じゃないの?! あたしが彗に呪いを解くよう言うのは本当よ! だから逃がしなさいよ」
「ジルが死に、俺たちは王でなくなってもそれは今夜の話。今ではない。今、俺が王である以上事態を引き起こしたお前らを逃がす愚行は王として犯さない」
「なんでそこまでするのよ! 貴方が王になったのはこの前の話でしょう? そこまで国に愛着があるの?」
「ないさ。でも魔神に選ばれた以上、逃げるわけにもいかないだろう。俺が逃げて、俺が好き勝手生きてそれで助かる高官はたくさんいるかもしれない。それで事態は解決するか? それでシャイデは平和に幸せに豊かになるか! 誰かの幸せの元に成り立つのが王ならば、その幸せを与えるのもまた王だ!」
 翔は返す言葉がない。先ほどの『鳴き声』の中にあった彼の弟も、どうしてここまでの器を持つのか。
「逃げはしない。俺は運命から逃げない。俺は、いや、俺がこの運命を掴み取ったなら、俺は流されずに己の意思を貫く。王が俺の運命なら、国を位背負ってやるさ。だから、お前たちがそれを阻むなら容赦しないさ」
 キアはそう言って翔の首に手を掛けた。キアはジルやハーキのように武人ではないので、気絶のさせ方など知らないのだ。しかし、気絶させないとこの女は止まらない。
「安心しろ、殺しはしない。気を失ってもらうだけだ」
 喉が圧迫され呼吸が困難になる。目がちかちかする。苦しい翔がキアの両腕に手を力なく掛けたとき、土の塊が音をたてて砕け散り、光が差した。
「翔!!」
 キアは腕の力を緩めず、新たな敵を見定めた。顔には黄色だった契約紋が浮かんでいたが、瞬時に青い契約紋が浮かび、水が溢れ出す。水が男に襲いかかる様に噴出した。
「離せよ!!」
 白い髪の男は水に恐れもせずに自身を光とし、キアに襲い掛かる。キアは仕方なく翔を手放すとすぐさま掻っ攫うように男が翔を抱きかかえた。
「大丈夫か、翔」
「啓(けい)! ありがと」
 咳き込みつつ翔が立ち上がる。戦う様子を見せた啓に翔はそれをやめるように言う。
「しかし翔!」
「いいの。……貴方は魂からして、王なのね。魔神に選ばれるのも当然だわ。貴方には負ける。王をたくさん見てきたけれど、貴方ほど王らしく残酷で強欲で、そして全てを背負う覚悟を持った人に会ったことはなかった。貴方は王だ。正真正銘の王。貴方のような良き指導者がこの世界を統べたなら、少しは世界は良い方向にいったでしょうに。残念だわ、キア王」
 寂しそうな表情をして翔は言う。キアは二人を睨みつけたまま動かない。ジルと違って武力に優れないキアは二人の宝人を相手にして勝てるとは思っていない。
「シャイデを大切にして。貴方の統べる国を見てみたい。貴方が自慢するほどの国が本当に夢のように素敵な国だったら、貴方の誘いにそのときは乗ってもいいわ。さようなら、キア王。再び会うことが無い様祈っている」
 翔はそう言って啓を掴むと、突風を生じ、空のかなたへと消えていった。キアは無言でそれを見送る。翔とキアを閉じ込めて拘束していた土の塊が壊れたのを見て、兵士達が寄ってくる。
「キア王、お怪我は?」
「ありません。ご迷惑をおかけし……」
 キアがそう言おうとしたとき、突如空が紅蓮に燃え上がった。呆然と見上げる空が煌々と赤く染まっている。その方角はシャイデ。赤い空が意味することは……!
 キアはそれを見上げ、表情を険しくする。一回、ラトリアの方を振り返り、そして拳を握り締める。下を向き、少し悩んだあと、毅然と顔を上げシャイデの方角を見た。
「急ぎ、シャイデに戻る! 大臣には引き続きジルタリアに残り、後を任せるよう伝えよ。誰かフィス王に伝令を」
「陛下!!」
 ジルタリアの兵が頷き、シャイデの兵がキアの様子を見て緊張した雰囲気になる。
「事態は火急だ! 光の宝人はいるか? 手を貸してくれ」
 それを見てジルタリアの兵が近寄る。
「すまないがシャイデまで転移を続けてもらえるだろうか?」
「承知しました」
 シャイデから来た宝人の兵士達は各々転移の体制に入る。ジルタリアの光の宝人がキアと共に光となって消える。