モグトワールの遺跡 009

034

 キアは途中で光の宝人が我を失くしてしまったので、そのまま一人の部下を残し、シャイデに急いでいた。河を越え、もうシャイデに入っている。しかし紅い空は、それは近づいて炎とわかったが、それはまだ遠い。
「陛下!」
 シャイデ側から数頭の馬が駆けてくる。
「ご無事で!!」
 ラトリアとの国境を護るシャイデ兵だった。
「どうなっている?」
 キアの様子は紅い空を見上げたままだ。
「原因はよくわかっておりません。しかし、先程伝令がありまして、ハーキ陛下のご指示の元、続々と民がこの運河のふもとへと避難を開始しております」
 キアは頷き、重ねて問うた。
「ハーキは?」
「炎から民が逃げる間、盾になると仰ったそうで、今も……あの場に……」
 キアが愕然とした。ジルだけでなく、ハーキまで! しかし、王としてハーキの行動は正しい。おそらく宝人が我を失くしているのだろう。水によって少しでも炎を、熱気を防ぐために一人残ったという妹。
「指揮官はどこにいる?」
「総指揮はラージ大佐が城下町の城前広場にて執っておられます」
「避難は? どの程度済んだかわかるか?」
「詳細はわかりません。ただ、城下は大混乱に陥っており、早急な避難はほぼ無理かと」
 キアは頷いた。そして目を強く閉じ、己が取るべき行動を考える。ハーキの助けに回るべきか。己も水のエレメントを使える。だが、それで民が助かる確率はどれだけ上がる?
「馬を貸してくれ」
 キアはそう言うと、すばやくまたがった。
「キア陛下?」
「君たちは指示に従ってくれ。私は城下へ、広場へ向かう!」
 馬を叱咤し、急いで城下町向かう。ここからは少し距離があるが馬を手に入れた事で、馬には無理をさせるが間に合わない距離ではない。
 キアが駆け出したのを見て、ついてきた部下も馬を借り、キアに着き従う。キアはわざと人が住む街を横断し、その度にパニックに陥る住民に、冷静に避難経路を指示し、これからも続々と来る城下町の人間と共に避難するよう伝える。
 そして水の宝人は兵の手を助けて、避難に協力してほしいと伝え、先へ進む。最初はパニックに陥り、話を聞かなかった民たちも馬で眼前に迫られ、高く嘶かせられると、一瞬キアに注目する。キアはそれを逃さずに、早口でもはっきりと告げる。思わず聞き入って、頷かされるのはキアが持つ気迫か、オーラか、はたまた王としての何かか。
 とにかくキアの呼びかけに民は応えるかのように従う。その様子を追う兵は感心を通り越し、崇拝するような面持ちでつき従った。
 ――この王がいれば万事解決するとさえ、思うほどに。

 ヌグファは少し離れた位置でグッカスの火傷の手当てを魔法でしていた。おそらく誰も言わないがグッカスは再びセダと光を背に乗せて飛ばなければいけない。それも背の上で炎を発するであろう光を。
 グッカスは何も云わなかった。グッカスは怪我をしても炎を恐れない。ヌグファは何もかもわからないまま、それでも出来ることを精いっぱいやろうと治療に集中した。
 光は契約をする、といってもどうすればいいのかさっぱりわからなかった。光のだめな一面である。楓はテラと契約する時にどうしたのだろう? 魔神に話しかけたりしたのだろうか。しかし、己が守護するエレメントが分かっていない光にとって、どの魔神に話し掛ければいいかもわからなければ、どうやって魔神とコンタクトを取るかも分からない。
「……どうしよう」
 力強く宣言しても、やり方がわからないとは。こう言う時は宝人の本能が助けてくれたりしないのだろうか。
「どうした?」
 セダが動かない光を見かねて声をかける。
「契約の仕方を……しらないの」
「あちゃー、それは困ったな」
 わざと軽く言った。光は契約できないことをとても恥じて、そして苦しんでいるとがわかる。この状況でもセダが光を責めることはなかった。逆にどうやって励ませばいいかと悩む。周囲に宝人の姿はない。訊こうにも訊けないし、自分にはまったくわからないものだ。
「契約って、魂を近づけるんだっけ?」
「うん。人間の魂を私たちが感知して、そして契約によって繋ぎ止めるの。それによって宝人の生き物としての魂がより安定して、エレメントを安定して使うことができるようになる。その恩恵の形として、契約された人間はそのエレメントの加護を受けることができるし、宝人はその契約者を護る義務がる」
 セダはふむふむと聞いていたがいまいち実感がわかない。
「ちなみにこの前水を使ったときはどうした?」
「あの時は……セダの魂を確かに近くに強く感じた。それに励まされるような感じで、水の精霊に意志を伝えることが出来た」
「今回はどう違う?」
「炎の精霊が私の言うことに耳を傾けてくれない。みんな怒りに支配されてて、周囲を見ていないから、私の言葉が、意志が届かない」
 叫んでいる人間に話しかけても気付かれないようなものか、とセダは内心納得する。では叫んでいる状態をやめさせるか、それ以上の声で叫び、話を聞かせるしかない。
「今のままじゃ、伝わらないんだ?」
「そう。今度はたぶん……」
 楓が言っていたこととは真逆になる。たぶん、従わせなければいけないのだ。宝人として、精霊とエレメントを。そのためには己の意志を、力強く伝える必要が……。炎を使えば、少しは伝わり易くなるかと考えたのだが。実際炎は使えなかった。使い方を知らないのもあるし、炎の精霊と会話したことがないのもあった。
「宝人ってさ、エレメントを司るのに、精霊を通さないとだめなのか?」
「ううん。自分が守護するエレメントにはそんなことないよ。でも、私は違うから」
 己が守護するエレメントが決まっている宝人は、エレメントを精霊そのものを生む。だから晶石を副産物として作れる。だが、己が守護していないエレメントは晶石の力を借り、精霊に語ることで疑似的に使えるだけだ。
「じゃ、お前は今日から炎の宝人。お前は宝人。そうだろ?」
 セダが軽く言った。笑みさえ浮かべて。
「楓みたく炎を生む事が出来る宝人。だからお前には炎のエレメントはきっと従う」
 セダがそう言って光の手の中の火晶石を一緒に握った。その瞬間、光に、何かが降りたかのように、閃いた。光の髪が靡く。ふわりと風も受けていないのに翻った。その白い目にセダが映り込む。
「セダ、いくよ」
 軽く声を懸けた光の顔から表情が抜けて行く。火晶石を挟んで手を取り合ったまま、光がセダを見据えた。セダは声を返すことも出来ずに、突然始まった何かに当惑し、光を見つめた。
「『今から始めるは、我とそなたの契約』」
 光の声で、光ではないような重い雰囲気を持つ何かが、セダに語りかける。セダが目を見開いた。これが、契約なのか! 自分が言ったことが、何がきっかけだったのかセダには皆目見当がつかないが、とりあえず光は契約方法を理解した様子だ。
 そう、光に足りなかったものは――自信。己が宝人であるという当たり前の自信が常に欠けていた。己が守護するエレメントがわからず、晶石を頼ってでさえまともにエレメントを扱えない落ちこぼれ、できそこないと影口を叩かれてきた。魂見ができることが証拠のようなものだった。自分は宝人じゃないのだと落ち込む日がないことは、ないくらいだった。
 だけど、セダが、光にその自覚を思い起こさせた。セダと一緒なら、水を使えた。宝人だったと、そう感じた。
 ――私は、宝人だ! だから、契約できるのは当たり前!
「『そなたの名を述べよ、偽る事無く』」
 セダの方が今度は当惑する番だった。名前を偽るなと言われても、これは捨て子だったセダを学園長が拾い、名付けてくれたものだ。本当の名前なんかセダには知る由もない。
 今までずっとセダで生きて来た。これからもセダで生きて行くつもりだ。でも、本当の名前と言えるだろうか。
 光は何も云わずにセダを見つめている。セダを待っている。
「俺の、名前?」
「『左様』」
 そして光が左手で、セダの胸を指した。そして優しく触れる。まるで鼓動を確かめるように。
「『その魂が持つ、唯一のもの、そなたを示す、そなたを表す、そなたの起源だ』」
「俺の、起源……」
 両親を知らない。どこでいつ生まれたかもしらない。光が指す胸を見つめる。自然と両腕が目に入った。そう言えば、この赤い刺青はなんであるのか。どうして成長と共に増えるのか。セダは何も知らない。自分の事など、何も知らないのだ。
「わからないんだ。俺、何も知らない」
「『否。知っている。そなたの魂がそなたを知っている。問いかけよ、そなたの答えを』」
 セダは光ではない別人のような光に促されて、左腕を光の左腕に重ねた。胸の上で鼓動を感じる。生きていると実感できる。けれど、魂をどうやって感じるのだろう。
 目を開いて光を見ると、光は微笑んでさえいるような眼差しで、続けろと示す。目を閉じて、光と一緒にずっと己の鼓動を聞いていた。いつしか、温かい気分になる。まるで眠るようにセダは己を感じる。どこか別の場所でセダ自身を見ている。これが、俺。
 金の髪、青い目。鍛えた身体。身体の様々な部位にある赤い刺青。これがセダ。この身体の持ち主がセダ=ヴァールハイト。俺は、セダだろう?そ れ以外になにがある? これからもセダとして生きていていいだろう?
 身体と魂と思考が、全てがセダの問いかけに答えた気がした。
「『セダ。セファルダルク=ヴァールハイト』」
 セダがすっと目を開いて、そう言った。光が満足したように頷き、左手を離す。
「『セファルダルク。今繋がる。そなたと我の魂が』」
 光がそう言った瞬間に、透明で見えづらいが極光色のわずかな色が光の周囲を走り抜けた。
「『これより、我はそなたの危機には我の力を持って立ち向かう。契約は今成立した。そなたの魂が今後離れることなく我を共にあらんことを』」
 光がそう言って微笑む。その顔には何かの模様が光を反射した硝子のように一瞬だけ様々な色で光る。セダの右腕にも同様の事が起こった。セダの身を何かが通り抜けたような気がした。
 そうして、光の様子が元に戻っていく。別人だったような光の様子が、目を一回閉じた事で完全に戻った。
「成功した?」
「さぁ?」
 光に恐る恐る訊かれても、セダはよくわからなかったので、そうとしか答えようがなかった。
「でも、なんか、通り抜けた感じはしたぞ」
 だが、楓のように光の顔に契約紋は浮かんでいないし、セダの右腕にもそれはない。
「そうだね、繋がっている感じがするよ。セダを近くに感じる」
 もう、セダの胸に手を置かなくても、セダの命の拍動はいつでも聞こえる。これが、契約し、人間の魂と繋がるということなのだろう。わからなくても実感できる。だから、きっと出来る!!
「私の言うことを聞いて!!」
 光が火晶石を握りしめ、叫ぶ。叫んだ光の髪が楓同様に根元から瞬時に真っ赤に染まった。毛先から赤い火の粉がはらはらと散る。開いた眼さえ、炎のように赤かった。
「……お前!」
 顔を上げた光の顔には、真っ赤な契約紋が浮かんでいる!! 光の右目を挟んで頬から額にかけて伸びる線で構成された光の契約紋。セダははっとして自分の腕を見ると、己の右手にも光の契約紋と同様の赤い契約紋が浮かんでいた。
「行けるな?」
 遠目で見守っていたグッカスが声を懸けた。光の手からは炎が勢いよく燃え盛る。
「うん」
 光が力強く頷いた。セダも頷く。
「グッカス、もう一度飛べるか?」
「誰に訊いている」
 再び大きな鳥となったグッカスの背にセダと光が軽い動作で飛び乗った。
「頼んだぞ!」
「任せておけ」
 グッカスの力強い言葉を裏付けるように先ほどよりももっと力づよい羽ばたきで、グッカスは再び上昇した。今度は目の前に迫りくる炎に、誰しも恐怖はなかった。