モグトワールの遺跡 009

035

 混乱に陥る城下町で軍人を通りに立たせ、避難経路を指示させる。母親とはぐれた子供、逃げることが困難な老人、家族を探す人たち。ただ逃げようと急ぐ者。それらを各道に、各交差点に軍人を一人置いて、通れる通路を確保させる。
 言葉が通じないほど混乱に陥っている場合は、わざと建物を破壊して道を封鎖した。
 とりあえず、炎が一番近く、熱気を感じるこの城下町の避難だけは済ませなければ。只一人、炎の前に残った王に申し訳が立たない。
「ラージ!」
 馬の早駆けの音が騒音に交じって聴こえた頃、金髪の頭が向かってくるのが見えた。
「キア陛下!」
「状況は?」
「はい! 避難はルートを五本決め、それ以外の道を封鎖しました。絞る事によって護衛も多少の騒ぎも沈められると判断いたしました。確認はできておりませんが、おそらく三割は城下町から抜けたかと思われます」
 キアは頷いた。
「よく頑張ってくれた」
「あと、避難が困難なものは城に避難させました。力にものを言わせて強行いたしました」
「構わない。ヘリーがいないが……神殿も解放させろ。とにかく安全な場所に全ての民を!」
 避難を手伝っていたローウがそれを訊いて頷いた。神殿は避難途中にあるし、水も豊富だ。一時避難場所には最適だろう。
「神殿には移送可能なけが人や病人を運ぶようにしてくれ」
「御意」
 ローウは今度こそ、この王の為に神殿の成すべきことをしようと決意した。今度はラダと闘うことになるが、これ以上ハーキに、そしてこの王らに神殿のふがいない場面を見せて失望させてはならない。
「道すがら、避難経路を指示してきた。各場所に待機していた軍がうまくやってくれることを祈るが」
 キアはそう言って炎を見上げる。自分が翔と闘っている間にシャイデの空は紅蓮に燃えていた。こればかりはハーキの指揮に感謝するしかない。避難はハーキの指示か、それともこのラージの指示か予想外にうまくいっていた。この混乱下に置いてよくここまで民を誘導できたものだ。
「宝人は立ち直ったか?」
 キアがそう問いかける。
「はい。先程の地震で。数人宝人の兵士がおりますが」
「そうか。では、民が安心できるよう、エレメントを用いて炎の脅威を遠ざけるよう、避難の誘導を助けるように言ってくれ。宝人が助ければ魔神の加護を人が疑わずに済むだろう。それは、救いとなる」
「……避難に、ですか」
 てっきり、ハーキの救援に行かせるのだと思っていた。あの少女が一人で戦っていることを、彼は知らないのだろうか。確かに避難は済んでいない。混乱も続いている。時間との戦いではあるが、可能だとラージは思っていた。それなら宝人の助けはハーキにこそ、必要ではないだろうか。
「恐れながら申し上げます。ハーキ陛下の救援に向かわせるべきではないでしょうか」
「いいや。宝人との絆を強めるのにいい機会だ。シャイデの未来の為に、宝人との関係が昔と変わらないと民が、人間がそう感じれば、これからの世でこの二つの種族は明るい。その為に、宝人には人を助けてもらいたし、人間にはエレメントや魔神、宝人をもっと身近に感じてほしいんだ」
 その答えに、ラージは絶句する。――こんな時なのに、この王は、そこまで先を考えているとは!
 確かに、現在のシャイデでは宝人だと名乗りを上げる者は少ない。今軍部に残っている宝人とて、昔のシャイデに友好的だったものばかりだ。若い宝人はシャイデではほとんど見かけない。それほど宝人は人間を恐れている。人間を警戒している。契約どころではなく、里から出てこない。
 そう、宝人と盟友の国と謳う、シャイデでさえこのありさま。宝人がそれでは魔神の加護を人間が疑うのも仕方のない話なのかもしれない。そうして互いの関係がどんどん浅くなっていくのだろう。人と宝人との懸け橋となれるよう、魔神に使わされた国のリーダー、それが半人の王。友好を誓い、二つの種族の懸け橋となれるよう、それが半人の役目。
「では、ハーキ陛下はいかがなさいますか」
 その王としか言いようのないキアの考えに感服するが、同時にハーキのことも気にかかる。彼女も彼女ですばらしい器の持ち主だった。
「私が行く」
 キアは強硬路に付き合ってくれた馬を撫でて、そう言った。
「陛下!!?」
 ぎょっとして思わず声を荒げる。
「この場は君に任せれば問題なさそうだ。シャイデの高官は己の懐を温めるのに必死だが、城や神殿に避難した無力な民を追いだすほど、懐が狭くはないだろう。それに次官やその次などの若手にはシャイデの未来を任せてもいいと考えている。ラトリアも今は王が倒れた。混乱はするだろうが、次の王が起つまでシャイデは持つだろう」
「なぜ、そのような事を! 退位を思わせるようなことを仰いますか?! シャイデはこれからです。まだまだ貴方がた兄弟王のお力を我ら、いえ、全国民が必要としております」
 偉い高官や将校が何を感じているかは知らない。だが、実際この王らを見て、共に過ごした者なら誰だって感じる。この王にシャイデを引っ張ってもらいたい。この王にならついて行きたい。この王ならと!!
 キアは力なく笑った。ジルが見つけ、ジルが表舞台に立たせる用意をし、ハーキが引っ張り出したこの男に、ジルとハーキが命の危機にさらされているとは言わない方がいいだろう。
「私たち兄弟は国をひっかきまわし過ぎた。その結果が民を混乱に陥れた。その責任は取る必要があるだろう?」
「そんなことは!」
 必死にキアを思いとどまらせようとするが、キアはもう炎を見つめていた。
「それに妹を最後くらいは護らせてほしいな。ハーキには戦力外通告されそうだけれど」
 キアは笑うと馬を炎に向かって走らせた。誰もキアに着いて行けない。かける言葉が見つからない。ラージは今にも叫びだしそうだった。だれか、あの王を護ってくれ! どうか、魔神よ!! 貴方が選んだ王を、最後まで王であらせてくれ。その命を護りたまえ!
「ラージ大佐……」
 立ち直った宝人の部下が、一部始終を耳にしていたのだろう。キアの走り去った方向を見つめて、己の指示を待っている。
「人間なんて、嫌いです。やつらはやってはならないことをしました。だけど……キア陛下の、あの王の為なら己を捧げることが惜しくはないんです」
「どうか、キア陛下とハーキ陛下のご助力をお許しください」
 ラージも今すぐに王を護れと命令したかった。だが、キアの望みは何だった? 己の保身か? 己の護衛か? 違う。最後まで民の為に、シャイデの未来の為に宝人と人間の融和を願っていた。
「ならぬ」
「しかし!!」
「キア陛下のご命令だ。そなたら宝人の兵は、最後まで逃げる民を助けよ」
「ラージ大佐!」
 必死に叫ぶ兵士たちに、ラージは声を張り上げて命令した。
「人間の心の支えとなるよう、そなたらは人間を護るのだ!!」
 ラージの目には涙が滲んでいた。キアが走り去った方向を向いて、敬礼するラージ。宝人の兵士たちはラージの想いをようやく理解し、上官に倣って敬礼した後、民を護る為に散っていた。
 キアは恐れる馬をぎりぎりまで走らせる。なぜかキアにはハーキがどこで戦っているか分かる気がした。馬が熱気に触れるたびに暴れるので、これ以上はかわいそうかと思い、馬を下りて自由にしてやる。真っ赤な視界の中央でハーキの青い髪が翻った。
 国を護る役目を負った王。自分は国を興した王に見合っただろうか。
「ハーキ」
 ハーキの周囲から絶えず水が溢れ出している。ハーキのおかげで城下町に一直線に舞う火の粉は消されている。城下町が熱気に包まれながらも火の手が上がっていないのは、彼女の地道な努力のおかげだろう。
 飛ぶ綿毛を見つめ続け残らず掴むような繊細かつ根気のいる作業だ。でもその作業の裏に何万という命が控えている。
「キアぁ?! なんで来たのよ」
 第一声がそれ。
「手伝おうと思ってさ」
「キアがきたとこで、何の役にも立たないわよ」
 熱気にあおられ乙女にはありえないほどに顔を赤く腫らせたハーキが言う。
「そう言われると思った」
 苦笑するキアの顔に青いハーキ同様の契約紋が浮かぶ。二人の半人の王から水が溢れ出す。
「避難は?」
「済んでいない。だが、ラージはいい指揮官だね。おそらく最小限の被害で済むだろう。それまで二人で火を遠ざけよう」
「来たのを追い返すのも時間の無駄だしね」
 ハーキはあっさり言うと、キアに『水帝剣』を投げてよこす。
「あれ? 俺には荷が重いってハーキに渡したのに」
「あたしが抜いても、うんともすんとも言わないのよ。重いからキアの剣だし、持ってたら?」
「次の王の為に、王宮に置いておけばよかったかなぁ」
「は? どういう意味よ。あたし自殺したくてこんなことやってんじゃないわよ」
「うん。知ってる」
 剣の鞘を撫でてキアが言った。会話する合間にも水によって炎を遠ざけている二人。
「……ジルが今夜死ぬ」
 ラージには言えなかった。だけど、一人で抱え込むにはあまりにも大きい問題で。キアは気付けばハーキにも内緒にしようと頭では考えていたはずなのに、口からその言葉が出ていた。
「え?」
「ラトリアで、宝人の手にかかって呪われた。今夜までの命だそうだ。それだけじゃなくて、ヘリーをかばって背中が穴だらけの重体だ」
「嘘」
 一瞬、水を操る手が止まる。おそらくハーキまでヘリーの鳴き声は届かなかったのだろう。
「ジルの元に、行きたかった」
 キアの言葉をハーキは待っている。
「だけど、行かなかった。泣いているヘリーを抱きしめて、ジルをしかってやらなくっちゃって……そう思ったはずだったのに……」
「そうね。ジルは己を大事にしない。そこが直らない。だから怒ってやらなくては」
 ハーキは微笑んだ。
「でも、今から行ってもラトリアには間に合わないわね。最後まで思い通りにならない弟だわ」
 否、今すぐ馬を駆けて休まずに進めばぎりぎり夜更けには間に合う。――でも、しない。
「そうだな」
「だけど、ヘリーを護ったんでしょ? 最高にかっこいいじゃない? 自慢の弟だわ」
「……そうだな」
 キアもハーキも最後まで王であろうと。弟に恥じない行為をしようと、そう決めた。だからキアはここにいるし、ハーキはうろたえずに水を操る。
「弟だけにいい格好はさせないわよ。だからもっと水を! 鎮火してしまうくらいに、水を!!」
「ああ! 俺にも水を! この国を護るだけの水を!!」
 水の勢いが増した。だが、足りない。もっともっと水を! 民を救えるほどの炎を、脅威を取り除けるだけの水の加護をこの手に!! だれか! どうか、この声を聞き届けたなら! どうか!!
“できるわ”
 ハーキとキアの心の声に応えるように声が聞こえた。
“貴女の心が本当なら、貴女の名を懸けて。貴女の物をくれたなら水のエレメントは半人の王、貴女に応える”
 ささやかに聴こえたその声にハーキは嘘とは考えなかった。だから腰の剣を瞬時に抜き、真っ青な美しい髪を切り落とした。その声の主が何か、そんなことは今のハーキにとっては関係なかった。
「これでいいでしょ? 我が名は、『ハーキマー=イイオーシェ=オリビン』!! 神国シャイデの二の王にして守護王! どうか水のエレメントよ! 我が想いに応え、炎を遠ざけるだけの水をこの手に!!」
 ハーキが髪を投げ、宣言したその瞬間に青が視界を青に染め上げるだけのエレメントがハーキに応える!
 それと同時に同じ声がキアに伝える。
“貴方は魔神が認めた我らの王! その剣の主は一の王である貴方。貴方が抜き、宣誓を行えば、シャイデの精霊は皆、貴方に従う。貴方がそれ相応の覚悟と誠意を持って願えば、必ず!”
 キアが水帝剣を抜き放つ。ハーキの時や以前の時とは全く違う、青く光る済んだ色の刃が現れた。キアは剣を掲げて叫ぶ。
「我、シャイデの一の王、『キアナイト=ワン=オリビン』が宣言する! 自国の災厄を、混乱をこれ以上許さない! 速やかに炎は退去し、水の加護によるシャイデの安息を、今ここに! 取り戻せ!」
“我らが力と心は陛下の御為に”
 応える声が響き渡る。炎の精霊の歓喜の声をかき消すほどの、それは水の王に対する水のエレメントの総意だった。