モグトワールの遺跡 009

036

 燃え盛る巨人に立ち向かうように小さな炎を抱えた鳥が跳び上がる。赤い風景に同化するような鮮やかなオレンジ色が高速で巨人の周囲を飛びまわる。その背に乗る、小さな炎。赤い髪をなびかせた少女。
「止まって!!」
 その瞬間に光の炎が激しく燃え上がる。
「止まれ! 楓!!」
 セダも叫んだ。水ではなく、炎による制止の声。炎の巨人は初めて気付いたようにやっと視線を向けた。
 赤い中でわずかに濃い色だと分かる程度の差しかない炎の塊だが、確実に頭であり、顔である部分の目がセダ達を視界に入れた。
「これ以上、ここで暴れないで!!」
「楓、もうやめろ!!」
『否、我は楓ではない』
 重苦しい声だった。男のようにも聞こえるし、老婆の様な重みのあるようにも聞こえるし、不思議な声だった。複数の人間が同時に話しているようにも聞こえる。
「楓じゃないってどういうことだ? じゃ、楓はどこにいる?!!」
 セダが声を張り上げると、炎は答えた。
『ここに。楓は器にすぎぬ。我の器にその場で一番ふさわしいと感じた。ゆえに我が宿った』
「楓を……利用したのか!」
 光も驚いている。テラは巻き込まれただろうと感じていたが、まさか楓そのものが巻き込まれていたとは。
『否。喜んで我を迎えた。いわば協力関係といってもいい。我の思いに魔神が応え、その力の依り代に楓が選ばれた。宝人であれば魔神を宿すなど光栄なことだ。拒むはずもない』
「違う!!」
 光が叫んだ。確かに卵核を壊されて楓だって怒っただろう。だけど、楓は怒ったからといって人間をすべて滅ぼそうなんて考えない。人間を嫌っていても、誰を嫌っていてもそういうことが出来ないから楓なんだ!
「楓はそんなこと、望んでない! 今すぐ楓を返して!!」
「そうだ! お前全然分かって無いぞ! でかいからわかんないかもしれねーが、この場所を、この状況を見てみろ」
『なんだ?』
 視線を一巡りさせて、冷静に巨人が言う。
「なにもない! 全てお前が、炎が燃やしたんだぞ! 宝人達も、人間も逃げ回っている。恐れて怖がって世界の終わりを見たような顔して!! そしてこの場には何も残らない!」
『当たり前だ。我は炎。破壊を司る者。そして全てを無に帰し、初めて再生が始まるのだ』
 当たり前のように言われた言葉に愕然とすると同時に激しい怒りがセダを突き動かす。
「それを、楓が哀しまないと思うのか! 楓が苦痛に思わないと思うのか!! 楓は自分が、自分一人が炎だということを知っている。そして炎が安易に生き物を傷つけることも知ってるんだ! そして、傷つけばそれがなんだろうと哀しむ優しい奴なんだぞ! それを! それなのに、この状況でお前が暴れて! 平然と『破壊と再生』だとかほざいてんじゃねーよ!!」
 セダの叫びにグッカスも光も頷く。楓はそういうやつだと短い付き合いでもわかる。炎を愛してほしくて、炎を求めてほしい。だけど、誰もそれを望まない。だから自分は炎を封じて、傷つけないように、決して火種にならないように。怒りに支配されないように、常に笑っていようと努力して。
 いっそ笑ってしまうくらい己のエレメントが過去に犯した罪を知り、たった一人でそれを背負えないのに、背負おうとして傷ついて、泣くことも出来ない……可哀想で、哀れでそれでも健気で愛しい炎の宝人。
「じゃ、あなたは何なの? 何がしたいの? 人間を今度こそ、すべて滅ぼすとでもいうつもりなの?!」
『人間が止まらないならば』
「止まれば、あなたも止まってくれるの!?」
『……人間が止まるとは思わない』
「それを決めるのは、貴方じゃなくて、私たちではないの? いま、ここに生きている私たち宝人ではないの?」
「そうだぜ、俺が一人で叫ぶならお前も納得できないだろう。人間が命乞いしてるだけに聞こえるかもしれない! だけど、光は宝人だ。グッカスは獣人だぞ! 人間だけじゃない。生き物全てがお前のこれ以上の暴走を止めようと必死に頑張ってる。お前が止まらない事で、人間だけじゃない! 全てが無に帰してしまうんだぞ」
 目の前の巨人が炎の魔神だと言うのなら、人間ではなく他の命を救って見せろ。人間に脅かされたと怒るなら、それ以外の命も顧みろ!
「よく地上を見ろ! 宝人が今なお嘆く原因は何か! 人間がすべて宝人を害そうとしたか! そして今もまだ、宝人と人間は争っているか!」
 セダはそう言って下を指差した。セダ達は知らない。キアによって人と宝人が現時点で手を取り合って協力し合っていることを。古の世のように人と宝人が等しく、エレメントを分け合っているその光景が現時点でよみがえっていることを! しかし、当然魔神ならそれに気付くはずだ。
「楓を泣かすんじゃねーよ! お前の分身みたいなものなんだろうが!! 責任も、後始末も全部楓が負うことになるんだぞ」
 セダは尚も言いつのる。魔神の心に訴えようと、叫び続ける。決して泣けない炎の宝人が、泣かない事で苦しむことのないように。泣かないからこそ、だれよりひどく心の奥底で泣くことのないように。
「炎の魔神だと言うのなら、お前が生んだ炎の宝人一人位救って見せろよ! その炎で!!」
 その言葉に炎の巨人が返す言葉は、ない。そしてセダは、更に問いかける。
「楓が本当に世界を滅ぼそうとしてるように、まだ思うか? だって楓は契約しているんだぞ。テラと!」
 世界を絶望しきれなかった楓が、テラ個人を認め、そして炎を人間に還した。その契約の行為そのものが、人間を許していることにならないか。
『テラ?』
「楓の契約者だ」
『それなら我の腹の中だ。人間とは言え、契約者の者。命までは奪えまい』
 グッカスもテラに命があり、無事だと知って一安心する。しかし、奪わないだけでその場にテラが契約していない状態でいたのなら、テラの命はなかったことになる。平然と、そう言ったのだ。セダはあまりの理不尽さ、その傲慢さに怒りでしばし口が利けなかった。
「もう、いいでしょ? 人間は十分反省したよ。だから楓とテラを返して」
 光が言う。
『我は『怒り』を司る者。『怒り』はそう簡単には収まらない。だからこそ、全ての争いの火種となるのだ』
 矛先を収めることは出来ない。怒りを抑え、手を取り合うことを目の前の炎は知らない。それを体現した言葉。それを聞いてセダがカッと怒りに目を見開く。
「結局お前は殴りかけた手を寸前で止めることが出来ない、己の感情と力を制御できない子供と一緒だ! そして収めることを知らないから、後に起こる惨劇にも責任を持てない! それが一魔神のすることか! 仮にも神を名乗る者ができることかよ!!」
 グッカスの背の上でセダが立ちあがる。背中に手をかけ、己の武器を取った。
「『怒り』しかお前が発せないなら、受けてみろ! これが『怒り』だ!!」
 セダの抜き放った両刃刀が、瞬時に紅蓮の炎を燃やす。それは、宝人と契約したからこそできる芸当。宝人の加護。エレメントが人間に還るその行為。
「私は今、炎の宝人。セダは私を通して炎の加護がある! だから行って、セダ!!」
 光が叫んだ。セダは頷く。燃え上がる刃を構えてセダが言った。
「テラを返せ!!」
 グッカスの背から飛びだしたセダは空中で姿勢を整え、そして炎の巨人の眉間めがけて炎を吹き上げる刃を叩きつけた。セダはそれだけでは止まらない。飛び降りたその力を利用して一気に炎の巨人を切り裂くように、切っ先を炎にめり込ませて炎の巨人の中に飛び込んでいく。
『な、何!!?』
 己の身を切り裂かれる驚きに彩られる声。静かに光が言葉を続ける。
「炎を生むのは貴方かもしれない。でも、私の炎を従えるのはこの世でそれを許された私だけ。私の意志に従う炎は、貴方の炎とは相いれない!」
 だからこそ、セダが炎の巨人の身体を切り裂くことが出来る!! 炎を炎で持って制す。
「『怒り』を自分で止めることが出来ないなら、何度でも私たちが止めて見せる。それができるのも人間の美点だよ。人間は確かに利己的で、怖くて、どうしようもないかもしれないよ。でも、全ての人がそうじゃない。あったかい人もいるし、すばらしい人だっている。だから貴方達魔神は、神は、人を滅ぼすことを過去にためらったんでしょう?」
 今の炎の巨人は引っ込みがつかなくなった子供のようだから。心底人間を許せないわけではないような気がするから。だから、光とセダの話を聞いてくれたのだと、そう思うから!
「お願い、怒りを収めて。楓を返して」
『……それが、宝人の総意だと?』
 炎は戻ろうとすれば瞬時に一つの巨人になれるだろう。だが、セダが飛び降り、切り裂いた軌跡をそのまま残して、二分割された炎の巨人が、静かな調子で言った。
「わかんない。けれど誰だって全てを滅ぼすことを望んでいないのは確かだよ」
 セダは炎の中で影の部分を見つける。胎児のようにテラが膝を抱えて眠っている。腕を取り、抱き寄せてちゃんと息をしていることを確かめる。その身を抱き上げると、セダはそのまま炎から飛びだした。
 ――その時。
 セダの額を、テラの頭を、そして燃え盛る炎に一粒の水滴が落ちる。
“怒りの矛先を収めることができないのは炎の特質の一つかもしれないわ。でも、だからこそ私たちがあるのです”
 それは女性のような声にも聴こえた。はっとして周囲に目をやると赤い炎のエレメントの周囲にうっすらと青い色が漂っている。
“全てを『流す』ことこそが我ら『水』”
 水滴は数を増し、そして量を徐々に増やす。最初は炎に当たった瞬間に水蒸気を生むだけだった行為でも、時と共に確実に炎を小さくする――それは、雨!!
 文字通り、炎の『沈静』と怒りの『鎮静』の雨!! 今や滝のように降り注ぐ雨は炎の巨人さえをも消していく。グッカスは急降下し、テラを抱きかかえたセダの元に降り立った。
「水の魔神か?」
「わからない。でもここまで水のエレメントが……」
 遠くから喝采の声がここまで響く。炎の脅威に怯えていた誰もが水の加護を喜んでいる。燃える炎は完全に息をひそめ、巨人の姿はもうなく、赤く染まった空は今や雨を降らせる暗い空に変わった。
 そして炎の巨人が立っていた場所に、小さな人影は霧の向こうに見える。光はその影に駆け寄った。炎の残滓を残したような真紅の髪が、雨に当たることで火の粉を失い、黄金に燃える色が赤い色に戻っていく。雨に打たれた楓の身体がその場に呆然と、夢から醒めたように突っ立っていた。
「楓!!」
 あれだけの巨人の器にされていたのだから楓の疲労も相当だろう。完全に炎を消し去った雨は、始まった時と同じように徐徐に勢いを失って急速に晴れた。霧の向こう、遠くに人影が二人見える。
「……やったのか?」
「水の魔神を呼んだりした?」
 キアとハーキである。彼らの行動が、水の魔神の加護を得たのだろうか。お互いまだよくわかっていないまま、とりあえず刃の色が普通の色に戻った水帝剣を腰に収めるキア。
「……僕は、なんてことを!!」
 安堵する一行に悲痛な声が響く。
「楓」
 顔に両手をあてて、楓が事態を引き起こしたのが炎であり、自分であると知って愕然とする。セダが、光が心配していたことが現実になる。
「違うんだ、楓!」
 セダが言おうとするが、あまりのショックに楓は真っ青だった。
「近づかないで!」
 手を伸ばす楓の腕かからは水蒸気が立ち上っている。赤い色の髪や目も元の色に戻っていない。
「上手くエレメントを扱いきれないんだ。みんなを怪我させる。しばらく、離れていて」
 良く見れば、楓だけが濡れていない。正確には濡れたが、もう熱気で乾いてしまっているのだ。
「テラ……!!」
 セダの腕の中でぐったりした様子のテラが余計に楓の心を苦しませる。護ると約束したはずの自分の力が、逆に彼女を苦しめてまきこんだ。
「僕のせいだ……テラはちゃんと止めてくれたのに……」
 苦悩する楓。その抱える頭を支える手からも炎が燃えたり消えたりする。炎の魔神を宿して、扱いきれないエレメントに楓が支配されている。
「ごめんね、テラ。みんな、ごめんね」
 楓はそう言ってその瞬間炎と共に消えた。その場にいることが耐えきれないように。
「楓!?」
 転移したのだった。