モグトワールの遺跡 010

038

 ラトリア王を目指して一直線に王の捕縛を目指したのがジルであれば、ビスの役目は城のかく乱と、それに伴い戦況が終了した部下を迎えつつ、城の制圧をすることだ。
 剣戟の音もほぼ止み、ビスは周囲にいる自分の部下を引き連れて城の者を捕縛していく。
 シャイデのジルの部下を拾いつつ、ラトリアの高官を引き連れてラトリア王の執務室へ向かった。王や高官らを集めて、一気にこの度の思惑を暴こうと言うのがジルとビスの考えていたことだったからだ。
 城を制圧したビスが、あらかじめ決めていた王の執務室に部下やジルの連れた兵士と共に入ったとき、幼い女の子の嗚咽と鳴き声だけがむなしく響いていた。
 静かなその場所には、赤い血を流す人物が二人。
 一人は一目でわかるほどに、すでに命が失われている。ラトリア王である。
 もう一人は今なお、赤い血を流し続けている。特徴的な頭に巻かれた白い布も背中に触れる部分からすでに元の色を失うほどに真っ赤だった。
「陛下!!」
 状況を理解したシャイデの兵が真っ青になって駆け寄っていくのを一瞬呆然として見ていたが、すぐに我に返ってビスも近寄る。ヘリーは我を無くした様子で泣き続け、倒れ伏したジルの周囲には赤い血溜まりが広がっている。
「しっかりしないか!」
 ヘリーの肩をビスは揺さぶり、その嗚咽を止める。
「なにがあったのだ?」
 宝人の兵士は皆置いてきたために、この場所には人間しかいない。ヘリーが鳴いたことを知らず、だから状況を知っている人間がいないのだ。
 ジルの向こうで男が絶命している、身なりからラトリア王はなぜ死んでいる? ジルはラトリア王にやられたのか? ジルほどの腕の者が?
「ビス様……ジルを、ジルを助けて下さい!!」
 ヘリーが泣き顔のまま言う。シャイデの兵士が傷を見る。その兵が絶句するほどひどい有様だ。
「……!」
 背中が真っ赤だった。無数の傷口から今もなお血が止まっていない。
 シャイデの兵士が応急措置を取るべく血を止める為に、頭の布を取り、背中にぐるぐるきつく巻くが、瞬時に白い布が赤く染まる。止血帯を巻き、縛るが、その布さえすぐに真っ赤に染まる。出血が止まらない。
 傷口が多く、深いという一番血を流してしまう嫌な傷をいくつも追っている。部屋の隅に転がっているおそらくラトリア王の武器とは、傷口が合わない。第三者がいたことがわかる。
 ヘリーに説明を求めようとすると、己から訴え始めた。
「あたしのせいで、ジルが……」
「……陛下を殺したのは、そこの少年なのですか?」
 捕虜にしているラトリア兵やラトリアの高官がビスの後ろから叫ぶように言う。ラトリア王と面会させようと連れて来たのが仇になった。ラトリア王が愛されていた王ならば、ジルは間違いなく犯人にされる。
「違う! ジルじゃない! 宝人の悪いやつらが殺したんだよ!!」
 ヘリーの言葉に誰もがわからない顔をしている。入り口付近の近衛はジルが倒したとして、宝人の悪いやつら?
「すぐに手当てをしなければ……しかし本格的な治療ができない。自陣まで運ぶか」
 ビスが呟く。この襲撃舞台に治療ができる兵士や魔法使いはいない。自陣に運び、応急処置を施して血をいち早く止めなければ。そう考えていると、ラトリアの高官の一人が叫んだ。
「そいつは陛下を殺したんだ! 今すぐ死ぬべきじゃないのか!!」
「そうだ、ラトリアから逃がすわけにはいかない!!」
 何を勝手な、とビスはラトリア兵を黙らせようとしたがヘリーが前に進み出る。
「お願いです。ジルは何も悪くないんです。ラトリア王を殺してもいない。逆に助けようとさえしたんです。お願いです。ジルを治療させてください」
 ヘリーの言葉に不信そうな顔を浮かべるラトリア兵。ラトリアの王が国民や部下に慕われていたかは知らない。ただ王を殺した犯人を誰も知らない以上、状況を疑っていることだけは確かだ。
 王を失った国はこれから指導者を探すと同時に、大国であるジルタリアやシャイデと対等な付き合いをするために、否、シャイデとジルタリアに攻め入ったことを不利に取られないように王殺しをどうしてもこちらのせいにしたいのだ。そのためにはジルとヘリーの身柄を確保しなければならない。ここで逃がせば攻め入った国としてラトリアは不利となり、王殺しの犯人でさえ闇に包まれたままとなってしまう。
 だが、ヘリーが正直に語ったとして、子供の発言など王といえ信じられるものではない。おそらく狙いはジルとヘリーにラトリア王殺害の罪を着せ、少しでも戦争における事後の地位を上げるのが目的。そのために時間を稼ぎ、ジルを助けてやったという大義が欲しい。もしくは――。
「待て、手当てが先だろう? それとも死人に口無し。そのまま死んでもらった方が有難いか?」
 ビスがそう言ってラトリアをけん制する。図星か、うるさく騒いでいた高官らが一瞬黙る。ジルがここで死んでしまえば、全ての悪事を死んだラトリア王とそれを聞いた可能性のあるジルを口封じでき、都合いいと考えているのだ。生きているヘリーはあまりに幼いからどうとでもなると思っているのだろう。おそらく彼女がシャイデの最後の王と知らないのだ。
 ジルも本来ならば王であるということは考えられないが、この歳で兵士になる者は少なくないし、彼が先陣を切った姿は多くのラトリア兵に見られており、それだけの武力と階級を持っていると考えられているのだ。
「ヘリー様、ジルのこの模様はなんです?」
 シャイデの兵がラトリアの高官を睨みつけ、少し黙らせるとジルの右腕を広がっていく青い模様について聞いた。
「っ! 『呪い』なの。水の宝人がジルに掛けた呪い。誰か解く方法を知らない?」
「呪いですと? 手短にお話ください。話が見えません」
 ビスはヘリーに言った。ヘリーはラトリア王を捕らえ、話を聞こうとしたときに水の宝人の男が現れたこと。そしてその男がラトリア王を殺し、ジルを呪ったこと。宝人の男は別の光の宝人の仲間と共に逃げたことを伝えた。
「では、ジルは今夜呪いで死ぬ?!」
「陛下!!」
 シャイデの兵が真っ青になってジルの名を呼ぶ。ビスから見てもジルは失ってはならない存在だった。王だというだけではなく、子供ということも関係ないほどにジルはこれから国を背負う定めを負い、しかしそれに負けない強さを持っている。こんなところで失っていい命ではない。
「正直、宝人の能力については無知としか言い様がありません。ただ……シャイデの神殿ならそういう知識も持ち合わせている可能性があります。巫女には癒し手なる魔法使いがいるとも聞いています」
 ビスの言葉にヘリーは希望を持つ。
「シャイデに帰れば助かるかもしれないんだね!」
「しかし、ヘリー様。どうやってシャイデに運ぶのですか? 応急処置もできないこの場では、今陛下の御身を動かすと命に関わります」
「あたしが、運ぶ」
「無茶な!」
 ビスも誰もがそう思った。正直言って、こんな状態のジルを動かすことも無謀だ。自陣から時間がかかるものの応急処置ができる人間を呼んだ方がいい位だ。しかし、応急処置だけではジルは助からない。いずれ、本格的に治療できる魔法使いなり、医師を呼ばなければ。ラトリアにもそういう者がいるだろう。特にここは城なのだかた、常任している可能性も高い。
 しかし、先程の高官の発言で、ラトリアの者など信じられるだろうか?
 ジルの身を預けて、そのまま殺害される可能性は?
「ううん。光の転移を続けて運ぶ。それならジルには負担がかからないもの」
「ヘリー様が、ですか?」
 シャイデの王は半人の王。エレメントの恩恵を受ける唯一の人間だ。現実宝人の誰もが我を失った状態のままだった。もしかすると自陣で今は立ち直ったかもしれないが、運ぶ宝人もいない。ヘリーしかその行為はできないだろう。
「しかし、ラトリアからシャイデでは距離がありすぎます。今晩までには……」
「やってみせる! だから、お願い、誰か! ジルの手当てを……!」
 ヘリーがそう言ってジルの腕を握った。ラトリアの人間は目線を逸らせている。助けていいか迷っている。迷うような人間のにジルを任せられないとビスが考えていると、かすかだがジルが反応した。驚いてそれを見ると、ヘリーの手をジルが握り返していた。
「ジル?」
「ヘリー……」
「ジル!!」
 ジルは視線だけをヘリーに向け、力なく言った。息は荒く、意識が戻ったのも一瞬に思われた。
「連続転移なんて、無理だ。無茶するな」
 夢うつつに会話を聞いていたらしい。ジルはそう言って部下の名を呼んだ。こんな状況なのに、この少年は妹を心配している。
「はい、陛下」
 ジルが無理をしないよう、呼ばれた部下は耳を口元に近づける。
「腕を……切り落とせ」
「っ!!」
 部下が目を見開いて、すぐさま続ける。
「馬鹿なことを仰らないでください!!」
 思わずその部下が叫ぶ。それはヘリーがジルに怒られたときにスープを持ってきてくれたあの部下だった。
「腕は切っても生えてこないんですよ!」
 動転したのか部下がそう怒鳴る。それを聞いた瞬間にヘリーが眼を見開いた。かすかな声が届かなかった者にとって、ジルが願ったことはありえないことだ。そんな周囲の空気を感じてかジルは力なく笑った。
「知ってるよ」
「では! なぜ……」
「きいた、だろ? 心臓に、届く前に切れば、いいんだ。ヘリーに無理は、させられない」
「そんなこと! ……そんなことをしてしまえば、死んでしまいます!!」
部 下はもう泣くかのような声で悲痛な叫びを上げた。
「呪いが解けなければ、死ぬ。腕を切れ。そしたら、万が一生き残れる」
「そんな!」
 ヘリーが怒ったように声を荒げる。そんな風に死を覚悟しないで欲しいのに、だから助けたいのに!
「それ、に……王を失った、ラトリアの民に、誰が弁明……する。ラトリアの感情は、どこに向かえばいい? ラトリアの民が、俺を疑っている以上、ラトリアからは出れないだろう?」
 ビスは戦慄した。なんという子供だ! この状況で己の国民でない者まで気に掛けるとは? 気でも違ったとしか思えないくらいに。それだけ、ジルはラトリア王を護れなかったことを悔いているのだ。
「無茶ですよ。血を流しすぎです。こんな状況で腕をなくしたら、それこそ呪いの前に死んでしまいます!!」
 別の部下も言った。血を流しすぎた怪我を押して腕を切り落とすなんて真似をしたら、本当に死んでしまう。
「いやだ! 絶対嫌だもん。信じてよ、ジル。私が今度は助けるよ、できるよ! ねぇ、信じてよ」
 ヘリーが泣きながら言った。腕なんか何でもないと思っている事くらいわかる。でも、その腕は大事なんだよ。ジルはこれからまだ長く生きなきゃいけない。それに腕が一本ないのは、ヘリーがいやだ。
「責任が持てない発言はよせ、ヘリー。お前が俺を助けて……ラトリアは、どうする?」
 知らないよ、とは叫べない。己の行動が何を犠牲にして成り立つか、考えろと言われたばかりだった。
「いいか、俺が意識を失ったら……腕を切れ。わかったな」
 ジルはそう言って目を閉じた。陛下、と何人もが叫ぶ。
 ジルは己がラトリア王を殺して、そしてその責任をどう取るか考えていたのだろうか。手当さえままならない状況なのに。考える事が違うだろう、と言ってやりたい。キアもハーキも王になって、王だった。自分だけがまだ子供。自分だけが責任を持てない。自分だけが先を見通せない。
 でも、それでもわからなくてもそれはジルの命を落としてまですることなのか? ジルが信じて貫いた道なのに、その結果ジルは腕を失わなければいけないのか? そして命を危機にさらすの?
「止血帯を」
 部下がそう言ってジルの右腕をきつく縛った。もう一人が剣を掲げる。彼らは部下なのだ。ジルの命を救う可能性に掛けて、ジルの右腕を切り落とす覚悟を持ったのだ。ヘリーが悩む間に。
「待って!」
 ジルの身体に覆いかぶさるようにヘリーは叫んだ。
「お願い。切り落とすならぎりぎりまで待ってよ! 私が救ってみせる。だからお願い、シャイデに行かせて」
「ヘリー陛下。しかしシャイデに行けば、呪いを説く方法が確実とは決まっていません。ジル陛下のお体にこれ以上無理は……。移動に耐えられるとは思えないのです。ご決断を」
「それにこの呪いは胸まで達するのでしょう? 時間がたつほどにジル陛下の切り落とさなければならない部位が増えます。いざと言うときにそれでは……義手などのことを考えても……」
 問題が二つ。今夜には確実に命を散らせる水の呪いをどう解くか。そして重症の傷を急いで治療しなければいけない。どちらも急ぐ、どちらを優先すればいいかわからない。どちらも確実にジルの命を削る。
 呪いの方は、今はまだ肘より先を切ればいい。だが時間と共に斬る部位がどんどん上に上がる。それだけ危険度が増す。
 だから、部下も決断した。方法がわからないリスクを冒すより、腕を斬り、治療を優先させる事を。
「……シャイデに逃げる口実ではないのか?」
 ラトリアの高官が呟いた。ヘリーが愕然としてその人を見つめる。どうして、そんなことを今の会話で思えるの?
「黙っていろ」
 ビスがさすがに威圧を掛けると、しぶしぶ黙った。だが、ヘリーは思う。責任を取るってこういうことなのだろうか。
 きっとこの人たちはわかっているのだ。ジルがラトリア王を殺していないことくらい。だけど、ジルをラトリア城から出してしまったら、責める人がいなくなってしまうから、ジルが言い返せないうちに責め立ててしまおうという考えなのだ。そうして、あわよくば死んでしまえばいいと思っている。
 ジルの死をそんな曖昧な、漠然とした理由で望まれるとは。命を命と感じていない証拠だ。そんな人に、負けたくはない!
 ――絶対、ジルを助けて見せる!
「聴け!!」
 ヘリーはキアを、ハーキを、ジルのその背を見てその背を追いかけて育ってきた。上の兄弟達に負けないような威圧を持って、ヘリーがこの場を、その声で、その意志で、威圧する。支配する!
「私は! 私の名は『ヘリオドール=アーマティー=オリビン』! シャイデの第四の王にして、巫女王!!」
 魂名を叫んだ女の子に誰もが唖然として見入る。この少女は何をしようと?
「我が兄・ジルを疑い、私の言うことが信じられないなら私の名を使って、私を責めたらいい! だけど、ジルは、ジルは頑張ったんだよ。だからジルを助けたいの」
 信じてもらえないなら、私を代わりに殺せばいい。魂名を公言したということはそういうことだ。己の行動に嘘はないと、命をヘリーも懸ける。だから、兄を救わせてほしいと!
「私はジルを連れてシャイデに戻るけれど、王様を殺した犯人は私達じゃないけれど、どうしても逃ると信じてくれないなら、ラトリアの王様を殺したのは私たちだと疑うなら! ここに私の魂を残すから、行かせて!!」
 まっすぐラトリアの人々を見据え、ヘリーが言い放った。ジルを疑う、その時間でジルの命を無駄に疲弊させないで。そこまで疑うなら、私がジルの代わりになる。私がジルの代わりに貴方達の責め苦を受けるよ。
「シャイデの王の『宣誓』は絶対だよ。ジルをシャイデに連れてったら私は必ずラトリアに戻るよ。ラトリアのみんなが納得してくれるまでずっと本当のことを話すよ。私は、命を懸けて誓うよ!!」
 ビスが唖然とする。文句を吹っかけているのはラトリアだ。正当性があるのはシャイデとジルタリアだ。なのに、この少女はラトリアの為に命を掛けた! 魂名を明かしたら、魔法でも何でもその魂を害すことができると知っているのだろうか。いや、知っているのだろう。だからこそ、兄の代わりに己の命を懸けたのだ。
「お願い、行かせて」
 ラトリアのものは誰もが顔を見合わせ、ヘリーと視線を合わせない。ヘリーのその意気込みに負けているのだ。
「……あんな、子供が『王』だと?」
「巫女、王?」
 ざわつくラトリアの高官や兵たち。その中でそのざわめきを割るように女性の声が響く。
「結構。お行きなさいませ、ヘリー女王。そこまでされて送り出さねばラトリアの恥です」
 堂々と一歩踏み出した女性がヘリーに告げる。ヘリーははっとその女性を見上げた。
「貴様、勝手に!!」
「『宣誓』などといった御伽噺を信じよというのか?!」
 ヘリーに行けといったのは今まで一言も発しなかった女性だった。その女性に言い募る高官や兵を冷たく一瞥して、女性が言う。
「こんな小さな女の子ですら命を掛けて兄を救うことを願うだけなのに、それを許可できないとは、ラトリアの懐の大きさを示すようなものです。行かせて差し上げるのが人でしょう」
「しかし!」
「みっともない真似は止すべきですね。貴方は同じように命を掛けて彼らを疑うことができますか? シャイデの王の『宣誓』は魔神に誓うもの。違えれば王は命を失います。そこの少年王の命を握っていることと同義なのですから、一時的に国を出る事は問題ではありますまい」
 押し黙るラトリアの人々。宣誓を信じてもいいのか、と今度は疑っている。
「では、こちらから一人ラトリアの兵を一人つけるのがよろしいでしょう。そうすれば、万が一逃げるつもりでも逃げられません。一人は幼い女の子。もう一人は重体の少年です。……ヘリー女王、その小さな身体では転移とはいえ兄王の身体を背負えないでしょう? 大人に負ぶってもらい、その大人ごと転移することをおすすめします」
「はい!」
 ヘリーが女性に頭を下げた。女性はそのままジルの元に座りこみ、ビスを見た。ビスは彼女が望む事を知り、その拘束を解く。女性は祈るようなポーズをとった。おそらく魔力を練り込んでいるのだ。彼女は古代魔法を習得しているのだろう。手をかざすと淡い光が漏れ、ジルの背中に優しく降り注ぐ。
「一時的にですが、血を止めました。パイニー、そなたがヘリー女王のお供を勤めなさい」
 返事をした兵の拘束をビスが解く。ラトリア兵はぐったりした様子のジルを背に負ぶった。
「ありがとうございます! 必ず戻りますから」
 ヘリーはそう言ってラトリア兵を掴んで、顔に白い紋様を浮かべたと思った瞬間、一瞬で光と化した。
「貴様! 勝手に……どうなるか」
「全てのことは私が責任を取りましょう。ですが、そう仰るからには、ヘリー女王を疑った皆様はヘリー女王が帰って来た暁には命を絶つ覚悟なのでしょうね? ヘリー女王はそういう御覚悟でしたよ、あのお歳で」
「う……」
 女性が高官を黙らせてくれたことにビスやシャイデの兵らが一安心する。ラトリアにも光はある。
「……助かってくれよ」
 ビスは小さく呟いた。此度のことは、おそらくシャイデの新しい王がいなければ解決しなかった。これからの大国間にはシャイデの王が必要だ。柔軟な若い力が。
 ジルは死んではいけない。ジルが死ねば残った王も皆退位を迫られる。それでは意味がないのだ。

「……楓」
 セダも光も力なく呟いた。楓がこの光景を見て、理解してショックを受けないとは思っていなかった。きっと楓のことだからまた自分が悪いように思うとも考えた。だが、楓のショックは予想以上だったようだ。
「そうだよな」
 セダは楓が消えてしまった場所を見つめる。
「楓だけが炎を使えるんだ。自分のせいにしてしまうよな……」
 たとえそれが自分の意思ではなかったとしても。たとえこんな状況を望んでいなかったとしても。
「とりあえず、テラを休ませませんか?」
 ヌグファが呟く。グッカスも頷いた。視界が晴れたことで、人の姿に戻っているが、彼の腕も火傷を負ったままだ。皆が疲れている。
「それに、楓がこの場にいないことは、逆にいいかもしれない」
 グッカスの呟きにセダは視線を向ける。
「この場所にあの炎を制御できない楓がいたら、宝人はみな楓のせいにするするだろう。そうしたら楓はきっともう自由には暮らせない。テラとの契約はきっと無理やり破棄させられる。楓が責任を感じていることを逆手にとって楓は言いなりになる」
 光ははっとしてグッカスを見た。確かにそうだ。楓がこの場所にいなければどうとでもごまかせる。
「楓……」
 里では光しか触れ合う者がおらず、そしてほぼ軟禁状態のまま暮らしていたという楓。
 炎の脅威を見せ付けた後で、ただでさえその可能性が高まるのに、これ以上恐怖を植えつければ、最悪殺されてしまうかもしれない。
「そうだな。なんとか宝人たちに見つかる前に俺らが楓を見つける必要があるな」
 転移先は誰も知らない。だが、楓を先に見つけ、事情を説明し、楓は悪くないと自覚してもらわなければこの後楓の立場が不利になる。あれは暴走といっていい状況だった。楓が悪いとは思えない。
 それに異常な状態だったのは楓だけではない。宝人誰もが皆異常だった。
「ああ」
 光がいるので発言は控えたが、グッカスはテラに視線を向ける。もし楓が追い詰められた立場になったとき、契約者であるテラは契約者というその肩書きがどれだけテラの身を護ってくれるかわからない。逆に危うい立場に立たされることになる可能性の方が高い。
 そう、契約を無理やり破棄させるため、テラを殺そうと考えるかもしれないのだから。
 人は恐怖心を掲げると、何をしでかすかわからない種族だ。そう、宝人だって人間と同じだとグッカスは思っている。
 信用ならないのは宝人だって一緒だ。人と名がつく、自分も。