039
パイニーという名のラトリア兵はエレメントの転移というものを初めて経験した。城の中にいたはずなのに、城の窓の外の風景が見えいえた場所まで瞬く間に移動していた。
驚きに周囲を眺めている間にヘリーの体が光っていき、また見える景色の最も遠いところまで移動している。最初は慣れなかったが、次第にこういうものなのだということがわかってきた。
ヘリーの体が白く輝きだすと転移が始まる。そして見える範囲で一番遠い場所まで一直線に瞬間移動をしているようだ。その際にヘリーは必ずパイニーの腕を取っていた。己の身体に触れるものは同じように転移できるようだ。おそらく服のように己の延長線と捉えることが出来るのだろう。
あまりに幼く、あまりに小さいこの女の子のどこにこんな力が眠っているのだろうかと思うくらいヘリーは必死に転移を繰り返していた。そして背に背負った少年の体が熱い。彼の身体を支える腕が時折滑る。それは彼の血がまだ止まっていないからだ。シャイデまで持つだろうか。頑張るヘリーのためになんとか持ってもらいたいものだ。
一瞬止まる間に景色がころころ変わるが、だいたいどの辺りかは辺りをつけることができる。ラトリア領を抜けようかという頃から、ヘリーの息が上がり、苦しげな表情が晒され始めた。まるでずっと走り続けたかのように、額には汗が流れ、口が半開きのまま閉じられなくなる。
しかし、彼女は前だけを見据えて転移を続けていた。
「ヘリー様、一息入れては?」
見かねて声を掛けるが、返事を返す余裕もないようだ。首をかすかに振ったのだけがわかる。しかし、限界がきているのか、最初の頃より転移の距離が短くなっているようだ。
「ヘリー様」
苦しげな呼吸は喘ぐような調子になり、視線がさ迷いだしている。やはり国を二つ越えるような長距離の転移の連続は無理だったのではないだろうか。パイニーは何も出来ないまま、ヘリーを案じることしか出来ない。
「大丈夫」
ヘリーは自分に言い聞かせるように、もう一度転移しようと身体を光らせた。が、次の瞬間、すぐ近くの場所で転移が急に終了し、ヘリーの身が投げ出される。
「ヘリー様!!」
「もう一回!」
ヘリーは立ち上がることも出来ない様子だが、それでも立とうと腕に力を込めている。限界だとわかった。
「ヘリー様。一回休みましょう。少しだけです」
せめて呼吸を戻すくらいは。しかしヘリーは首を振る。そうだ、彼女にとってはこの移動は兄の命が掛かっている。それに、あそこまで自分の意思を通したのだ、やりきって見せなければとヘリーを急ぐ道に駆り立てる。
「大丈夫! 絶対、助けて見せる」
ヘリーはそう言って身体を光らせようとする。すると、無理がたたったのか、喉がきれるように痛く、呼吸さえままならないことに気付いた。だけど、呼吸なんかを気にする間にも、移動出来たら!
――なんで、なんでできないの!? 絶対助けるって、決めたはずなのに。私が頑張らなければジルは死んでしまうのに! なんで、なんで、出来ないの。なぜ今転移できないの!
唇を噛みしめ、定まらない視線や痛い胸を押さえて、ヘリーはパイニーを掴む。今度こそ! しかし、一瞬身体が光っただけで、動くことはなかった。
「ヘリー様」
「なんで!どうして!!」
悔しい! ジルを助けたいのに、なぜ身体が苦しいの! どうなってもいいのに! ジルが死んでしまうのに!!
「『転移』の乱用は、命を縮めるぞ」
声がした、と思った瞬間に目の前に男が立っていた。今まで気配さえなかった。それどころか転移を続けていたヘリーの前に姿を現すとは! 浅黒い肌には白い紋様が見える。白髪に白い目。
「何奴!?」
パイニーはヘリーを庇って前に出た。
「それの知り合い」
男はそう言って背のジルを指差した。
「おれは光の宝人。光の転移のプロが見たところ、あんた光の転移は慣れてないな? それなのにラトリアからシャイデの長距離。加えて成人の男と子供、自分の体重の倍以上の重さを抱えての転移。これ以上の転移は無理だ」
光の転移は直接転移で一番早く移動できる。光は重さを無視できるが、それは自分の体重だけだ。自分が光のエレメントを使えるから己の身体を光のエレメントに変えて移動が可能なのだ。しかし、他のものの一緒に転移するとなれば別だ。他のものを光のエレメントに乗せるその作業に力を使う。
ヘリー一人の転移ならもっと距離を稼げただろうが、他者を巻き込んでの転移は初めてに加え、これだけの重さを転移させ続けるとなれば、無理がたたる。
「いいの。ジルは私のせいでこうなったんだから」
ヘリーはそう苦しげな呼吸の合間にそう答えた。男は肩をすくめた。少女の本気に気付いたからだ。
「俺はさっきあんたの『鳴き声』を聞いた。だから俺は俺の正義に基づいてあんたを助けることにした。ジルは知り合いでもあるし、今死なせるには惜しいからな。……信じるか?」
男はヘリーの目をまっすぐ見て問うた。ヘリーも真っすぐ男を見返した。
「何を、信じられるわけ……」
パイニーはそう言うが、ヘリーの言葉は即答だった。
「うん」
「よし、いい子だ」
男はそう言ってヘリーの頭を撫でた。
「いいか。このままシャイデまで運んでもいいが、ジルにかかる負担が大きすぎる。ジルを無駄に疲労させる。それにまだ血が止まっていないんだろう? このままじゃ死ぬ。お前、一端ここに寝かせろ」
男はそう言って草の上にジルを寝かせるよう言った。パイニーは不信に思いつつ従う。男は止血帯を一旦解き、ジルの傷の様子を見て、未だに血が止まらないことを確認した。
「ここと、ここ。この貫通している傷はこのままじゃ命を縮める」
男はそう言うとその場所の衣服を剥いだ。
「何をする?」
パイニーが問いかけた。男は平然と言った。
「傷を焼くんだよ。これ以上血を流させない為に。今出来る最大の治療だ」
男の手が一瞬白く染まったと思った瞬間に、ジュッという音と血の臭い、そして焼ける臭いが鼻を突いた。
「っ!」
ジルが呻くが男は休むことなく次の傷口を焼いてふさぐ。
光を一点に集中させることによって、強力な熱源とし、傷を焼くのだ。その後、ポケットから水晶石を出し、ジルの首に繋いだ。何かを呟くと、流れ出ていた血の勢いが失せ、止まったかのように見えた。水晶石によって血液を液体と捕らえ、流れを一時的に支配したのである。宝人ならではの傷の手当てと言えるだろう。
「血の流れを抑制した。これで持つ。今からジルをジルタリアに運ぶ」
「それでは呪いが……!」
「今からシャイデに運んだら助かる命も助からない。あそこは炎が暴れた。とても治療できる状況じゃない。ジルタリアの城に運ぶ。あそこには腕のいい医師がいる。ビス=ジルタリアがルル=ミナに受けた瀕死の重傷を治したほどの腕のいい医師がな。その医者にジルをすぐ治療してもらえ」
男はそうヘリーに言い聞かせた。ヘリーが頷く。幸い、ジルもヘリーもフィスと知り合いだ。おそらく願いは聞き届けられるだろう。ヘリーはようやく呼吸が戻り、落ち付いてきた。
「だが、呪いは……」
パイニーはそう心配する。
「ああ、だからその代わりお前がシャイデに向かえ、ラトリア兵」
「私が?!」
「呪いの解き方を知っているの?」
ヘリーがすがるような思いで尋ねる。
「シャイデに行って、お前は炎の宝人を連れて来い」
ヘリーもパイニーも驚いて男を見た。男は平然と言う。
「『呪い』は陰属性の宝人が放つ最大攻撃だ。解くには呪いを掛けた宝人以上のエレメントの扱いに長けた同じエレメントを守護する宝人に解かせるか、対極のエレメントを持つ宝人に破壊させるしか方法はない」
エレメントは二種類の属性に分けられる。陽属性と陰属性の二つだ。光、風、火は陽属性、逆に闇、土、水は陰属性となる。光と闇、土と風、水と火はそれぞれ対極に位置する関係になっている。この関係性は大陸間の配置でもそうなっているのだ。つまり水の呪いに打ち勝つことができるのは炎のみ。
「あれだけの炎を出したんだ。シャイデには炎の宝人が必ずいる。探し出せ」
パイニーは頷いた。やはり宝人のことは宝人が一番知っている。
「そして、ジルタリア城のどこかで炎を燃やせ。そうしたら炎の宝人に感知させて転移させるんだ。間接転移は直接転移より移動距離に縛られない分、移動が早い。うまく行けば今夜までに余裕で間に合う」
男はそう言って懐から今度は風晶石を取り出した。パイニーに向かって言う。
「お前をこれから風に乗せて運ばせる。動転したりせず、己の目的だけを思って正気を保て。それからシャイデにはラトリアがことの原因だと知れている。お前が上手く立ち回らなければ、ジルの命は助からない。お前の誠意をシャイデに示せ。わかったな」
パイニーは頷いた。男はパイニーの手に風晶石を握らせて、何かを呟いた。するとパイニーの体がふわりと浮き上がった。驚き、手足をばたつかせるが、男の厳しい視線を見て、なんとか姿勢を保つと、ジルを助けることだけを考えるようにした。
すると準備が整ったと知れたのか、パイニ―の身体が天高く浮かび上がり、そのまま風に乗ってシャイデの方角へ一直線に飛んでいく。
「お願い! キアかハーキを頼って。そしたら、きっとわかってくれる」
ヘリーが必死に言うので、身を上空に運ばれながらもパイニーは強く頷いた。
「では、行くぞ。俺は連れて行ってやるが、そこまでだ。ジルタリアの人間への説明はおまえがするんだぞ」
「うん。お願いします」
ヘリーは力強く頷いた。男は笑う。そしてジルを背負い、ヘリーの手を取って、ヘリーよりはるかに長く一息でジルタリア領まで転移した。
本物の光の宝人は違うとヘリーはようやく己の呼吸を整えながら感じていた。男はたった三回の転移でジルタリア城の手前まで移動してくれた。
「こっからはおまえだけでがんばりな」
「ありがとう。助けてくれて、本当に……」
「なに、命掛けてまで兄を護ってやるのに感動したんだよ。俺が手伝ったのはついで、あんたにほだされただけ」
「ううん。ありがとう。本当に、絶対助けてみせるから」
ヘリーはそう言って、ジルを抱きかかえた。そしてはっとする。
「そうだ! 貴方の名前は?」
男は転移する寸前で全身を光らせながらヘリーに向き直った。
「ん? 俺? 俺はランタン。そう言えばジルはわかるよ」
「ありがとう! ランタン」
男、ランタンはにっと笑うと光と共に消えて行った。ヘリーも残る力を振り絞って城の前まで転移する。ぎょっとしたジルタリア兵にフィスを呼んでもらうよう、叫んだ。
兵が集まり、ヘリーの姿を認めると慌てて城の中に駆け出していく。フィスの姿が見えたとき、ヘリーは安堵で泣いてしまったが、ジルの傷を治してくれるように頼むことは出来た。
老人と言うような歳の人がフィスの要請を受け、素早くジルの身を受け取ったところでヘリーは力尽きて倒れてしまったのだった。
避難先、ということで開放されたシャイデの城の一室に一行が移動して二時間が経とうとしていた。炎による被害は幸い均等区域のみで、そのすぐそばにある城や城下町は燃えることはなかった。混乱していた民も戻りはじめ、活気が町に戻ってきていた。
「楓……」
光が呟く。楓はあれから姿を現すことはなかった。
「テラがいる以上、そこまで遠くへは離れられないはずですわ」
リュミィがそういう。テラはあれから熱を出していた。おそらく極度の環境下にいたせいで体が疲労しているのだろう。シャイデの医師も疲労が原因だからしばらく休ませ、目が覚めたら滋養のあるものを食べさせ、休養をしっかりとらせれば良くなると言ってくれた。
グッカスは楓を探そうとしたようだが、火傷を完全に治すまでは鳥になるのを止めた方がいいとヌグファが言っていたおかげで誰も楓の居場所を知らないままだった。
「そうか」
一時的に、というかあの場に楓がいないのはいいが、姿を見せないのはそれはそれで問題だ。今度はいないことであらぬ疑いを掛けられるかもしれない。そこを皆心配していた。
その時、部屋が慌しくノックされた。返事をすると煤を被ったままのくたびれた青年が、急いだ様子で入ってきた。その後ろには兵士が何人かついてきている。シャイデの偉い人か? とセダは考えた。そして驚いたのは青年のすぐ後ろにラトリアの兵士が一人いたことだ。しかし捕まっているような様子は無く、捕虜ではないようだ。
「失礼する」
青年がそう言った。セダたちは迎え入れる為に立ち上がった。
「挨拶もそこそこで申し訳ない。私はキア=オリビン。折り入ってお願いしたいことがあって……」
「キア=オリビンって……シャイデの王様?!」
ヌグファが目を丸くして驚いている。え、王様? そういえばどことなくジルと似ている部分がある。王様にしては格好は薄汚れているし、来ているものも庶民とほとんど変わらない。騒ぎあがった直後だからか、もともと着飾らない人なのか。
「君たちと行動を共にしているという、炎の宝人を探しているのだが……」
その瞬間にグッカスの目が鋭くなり、セダと光が警戒する。楓を犯人にしたいということだろうか。
「なんで?」
セダが問う。
「君たちと一緒ではないのか?」
焦った様子で聞くキアにグッカスが警戒を解かずに言った。
「貴方には関係のないことでは?」
キアはそれを聞いて、そのまま頭を下げる。周囲の兵が慌てた。
「陛下!」
「キア陛下! お止めください!」
しかしキアはやめることなく、頭を下げたまま、搾り出すような声で言った。
「弟を、ジルを助けてもらいたいんだ! お願いだ、炎の宝人に取り次いでくれないだろうか」
キアの取った行動にあっけに取られていた一行だったが、その言葉に目を見開いた。
「え? ジル?!」
「どういうこと……?」
一行は忘れていたが、ジルはシャイデの王。すなわちキアの弟である。キアは知らないが、ジルとセダたちは一緒に戦った仲で、知り合いである。楓とも面識があるのだ。
「私がご説明します。ジル陛下はラトリアの地で水の宝人にその身を呪われました。呪いを解くためには炎の宝人の力が必要なのです。ジル陛下は今夜呪いで命を落とされます。その前にどうか、ジル陛下をお助け下さい」
「ジルが、呪われた?」
「今夜?」
ラトリア兵が頷く。セダとグッカス、ヌグファと光は目を合わせた。
「相克のエレメント。そうですわね、呪いを解く可能性が唯一あるならなら炎ですわね」
少しの情報でリュミィが納得する。
「呪いって?」
「陰属性のエレメントを持つ宝人が放つ最大攻撃ですわ。そのものに触れるだけで、その者の身体的な自由を奪いますのよ。死ぬ死なないのレベルなら相当の力量の宝人か……ジルは魂名を奪われた可能性が高いですわね。今夜と仰いましたわね? ということは相手にとって相当ジルが厄介だったのですわね」
「こん、や? ……今夜ジルが死ぬって言うのかよ!?」
セダが叫ぶと、リュミィもキアもラトリア兵も頷いた。
「それが呪いですの」
セダは返す言葉を失った。代わりにグッカスが目線を逸らせて言う。
「……ここにはいないんだ。あの騒乱の最中に行方不明になってる。俺たちも探しているんだ」
キアがそれを聞いて絶望的な目をする。
「生きてるよ! でもどこにいるか……」
光がキアを励ますように言った。
「……っ」
キアが歯を食いしばっている。握り締めた拳が震えていた。
「陛下、兵を使って全方向に捜索を……」
兵士が言うがキアは首を振った。
「だめだ。兵は混乱した民を助けるためにまだまだ働いてもらわなければならない。ジルにやる人手はない。それより、今の話は絶対ハーキの耳に入れるなよ。やっと休ませたのに、飛び出していきかねない」
セダやグッカスはキアの言葉を聞いて驚いた。ジルが、弟が死ぬかもしれない。弟を救う唯一の希望なのに、この王は民を優先している!
「邪魔をしたね。ゆっくり休んでくれ」
「待てよ!」
セダが思わずキアを呼び止めた。くたびれている様子なのはなにも外見だけではない。この王はジル、弟の命を心配しながらも、王としてしなければならないことを優先しているのだ。
「あんたが王なのはわかってる! だけど、弟だろ! 生きるか死ぬかなんだぞ。諦めるなよ。俺たちに命令すればいいじゃないか。楓を探せって、楓に助けろって」
誰だって短い時間だがジルのことを知っている。飄々としているが、本質を見極めることに長けた少年王。
「……そうだな」
キアはセダを見てふっと微笑んだ。だが疲れた笑みにしか見えない。
「命令して解決させるのが王かもな。ありがとう。命令して解決するなら誰にでも言うけれどね」
「いいえ、陛下! 彼らの言うとおりです。ジル陛下を失ってはなりません!」
「シャイデにはあなた方が必要なのです」
高官たちは己の屋敷に引っ込んでしまい、代わりに若手や次官がキアの指示の元動き始めた。誰もがあの騒動の中、キアとハーキの行動を知っている。そしてジルとヘリーがしたことも理解した。
すでに民意はキアたちにむけられたのだ。ジルを失うだけでも痛手なのに、兄弟王に退位されては、困るのだ。
「私だってジルを死なせたくない。けれど、ジルの身を案じる間に救えるシャイデの民はいくらいるだろう? 街や家、怪我や病。恐れに痛み。全て取り払うことはできなくても、軽くする努力を今はすべきだ。そのための国。そのための軍。そのための王だ」
グッカスが目を見開いた。セダもリュミィでさえ返す言葉を失ってしまう。
「ありがとう。聞けば君たちはセヴンスクールの学生なんだろう? 関係ないシャイデの事に協力してくれてありがとう。もし学校側から何か言われたら便宜を計らうつもりだから、安心して欲しい」
キアはそう言って兵を促して静かに退出した。シャイデ兵が続く中、ラトリア兵が戸惑ったようにキアの後姿とセダたちを交互に見て、決心したかのように言った。
「どうか、炎の宝人を探してください。そして見つかったらジルタリア城へ転移して欲しいと伝えてください。ジルタリア城で炎を燃やしてもらっています。今夜、本当に呪いが解けなければジル陛下は死んでしまうのです!」
お願いしますと頭を下げるラトリア兵。
「なぁ、どういうことなんだ? 俺たちジルとは知り合いなんだ。この前まで元気だっただろう? どうしてジルはシャイデに戻ってきていないんだ?」
宝人に呪われたというのも眉唾物だ。だってジルはあんなに強かったのに。
「詳しいことは私もわかりませんが……ヘリー陛下を庇って現在、瀕死の重体なのです。呪いが無事解けても助かるかどうかの瀬戸際なのです。それなのに、あのお方はラトリアの為に……!」
感極まって言葉が続かないようだ。ジルが急いで出かけた先はラトリアだったのか! ということはこの度の原因はラトリアと辺りをつけてジルは行動を起こしたことになる。そのジルが、重体?!
「……ジル」
ヘリーと仲良くなった光が唖然として呟く。
「あんなにひどい状態なのに、呪われた部位を切り落とせと、さも平然と仰るのです。ヘリー陛下が無理やり助けようとジルタリアまでお運びになったのですが、途中で力尽きてしまわれ……」
「で、どうしたんだ?」
「見知らぬ宝人が助けてくれたのです。そして私に呪いを解くために炎の宝人を必ずつれて来いと」
セダは思わずもう姿が見えないキアが去っていた扉を見つめた。是が非でも弟を助けたいだろう。今すぐにでも楓を探して無理やりでも連れて行きたいに違いないのに。それなのに……。
「あの、キアって人は……」
セダが呆然と呟いた。ラトリア兵が続ける。
「キア陛下は敵国である私の言葉を真摯に受け止めてくださいました。私の体調すら案じてくれたのです。ハーキ陛下はご自身で動こうとなさいましたが、先ほどの炎で全身に火傷を負われ、キア陛下が無理やり寝所に押し込まれました。キア陛下はジル陛下のご様子も存じているご様子でした。それなのに、一心に民のことを思い、指示を出し続けていらっしゃいます」
「お待ちになって。ジルがもし、今晩で命を落とせば……確か王は交代するのではなくて?」
リュミィがそう言った。ラトリア兵が頷く。ラトリア兵であるにも関わらずキアは近くにいることを許してくれた。だからキアの取っている行動がわかる。
「それを見越してキア陛下は退位を匂わせるような行動を取っておいでです。必死に周りの者がなだめている様子でしたが……」
「ジルが死ぬかもしれないってわかってるのにか……?!」
グッカスも思わず呟いた。普通じゃない。ジルが死ぬかもしれないなら今晩までの王位なら全てを放り出してでもジルの元に向かうのが家族だろう。
「そういうやつなんだよ。氷のように冷たいのに、内心後悔の炎を燃やしてんだよ」
扉にいつの間にか凭れ掛かっていた女性がいる。グッカスは驚いて闖入者をにらみつけた。
「誰だ?」
「あたし? ルル=ミナっての。悪いね、会話が聞こえちゃったもんだからさ」
「……ルル=ミナだと!!」
グッカスが驚くが、セダは女性に言った。
「あんた、キアって人と知り合いなのか?」
「親族さね。まぁ、あいつらが王になってから血縁関係を感じなくなったけれども。ジルはあたしの愛弟子だよ」
「ジルの言ったことは本当だったのか……」
グッカスは呟いた。セダたちはわかっていないようだったが、リュミィもおそらく驚いたことから理解しただろう。目の前のこの女性こそ、水の大陸で有名な『世界傭兵』の一人。そしてジルの師でもある。
「あの兄弟はね、みんなてんでばらばらなのに、心の芯はみんな一緒なんだよ。だからシャイデの王に選ばれたときから最後まで王であろうと決めたんだろうさ。王なら一番に何を優先すべきか特にキアはわかっているからね。ジルを内心助けたくて、会いたくてたまらないだろうに、無理してんだよ」
ルル=ミナはそう言って笑った。
「だからさ、本当に頼むよ、っても肝心の宝人がいないんじゃ、話にならないね。ジルはこれからが楽しみなやつだったのにさ。本当にいいやつほど早く死ぬよ」
寂しそうに言うとルル=ミナはラトリア兵を伴って出て行った。扉が今度こそ小さな音をたてて閉まる。
「ジル」
誰もが思わず呟いてしまうほど、ジルが死ぬと予告されたことが信じられない。
「今夜って……あと数時間しかないぞ」
誰もがジルを死なせたくないのは痛いほどわかる。
「楓を探すしかないだろう」
セダが言うが、グッカスが言い募る。
「しかし、どこに転移したかわからないんだぞ?シャイデは広い。今夜までって、到底探しきれない!」
光がジルタリアの城下町で行方不明になったのとは訳が違う。楓は均等区域で消えた。均等区域だけなら探すことも可能だが、シャイデの城下町や均等区域周囲の森、城の付近の河周辺、考えれば範囲が広いのだ。
「……わか、る……よ」
セダたちが言い合う背後でかすかな声が響いた。
「テラ!!」
テラが薄目を開けて身を起こそうとしていた。ヌグファが慌てて支える。
「大丈夫。あたしなら楓がどこいるか、わかるわ。繋がってるもの」
テラはふらつく頭をかるく押さえた。
「大丈夫か? テラ」
セダの言葉にテラは頷く。ヌグファに支えられながら身を起こしたテラは言う。
「聞こえてた。だから楓に会いに行こう」
セダはテラの目を見て、決心が変わらないことを理解すると、テラに背を向けてしゃがんだ。テラはくすっと笑ってその背に負ぶさる。
「楓は、どうして消えたのかな?」
光が寂しそうに言う。テラはかすかに微笑んだ。
「怖いからよ。自分が、炎が。傷つけることを恐れて逃げたんだよ。だから、ひっぱたいてやんなきゃだめ」
「え?」
光が聞き返す。するとテラは言った。
「セダも私も、もちろん光だって楓を恐れたことはない。もし炎で怪我しちゃっても、それで楓を恨んだり、怖がったりはしない。少なくとも私達はそう思って一緒にいた。でも、楓はそれを信じられないから逃げたのよ。だから怒ってやるの。もうちょっと信頼してくれてもいいでしょって」
口先だけの約束じゃないのだと。本当に楓と一緒にいるために炎を恐れないと誓ったのだ。
「そうだな。それに、自分から逃げちゃだめだ」
セダが続けるように言う。
「逃げても何も始まらない」
「……そうだな。起こったことは消せないし、戻らない」
グッカスが言う。光は納得したように頷いた。そうか、楓だって間違えることもあるんだ。楓を怒ることもできるのか。人間はそうやって絆を深めていくんだ。