モグトワールの遺跡 011

043

「セダ!」
 光の呼ぶ声がして、セダの意識は目覚める。
「大丈夫? いきなりはぐれたから」
「おう」
 セダが立ち上がる。寝ころんでいたからか、背中までぐっしょり濡れていたが、幸いどこも何ともない。軽い動作で起き上ると、遠くから水がはねる音が聞こえて来た。
「あー、やっと見つけた」
「ハーキ」
 そこにはハーキがなんとテラやグッカスなど一行を連れていた。
「あれ? グッカス入れたのか? 楓も」
「テラがやってみたいと言い張ってな。で、試したらすんなり入れたわけだ」
 グッカスはよくわからない、と言いたげに肩をすくめた。楓も不思議そうだが、一面水の光景に眺め入っている。
「ここが、モグトワールの遺跡の中?」
 テラが尋ねる。どうやら彼らは入ってすぐにハーキと合流できたらしい。はぐれたのはセダと光だけのようだ。
「そうだよ。水の魔神が居る場所」
 光が言う。楓やリュミィは周囲の水に何か感じるものがあるのか、しきりに水を見ている。
「魔神には……会えるのか?」
「会えるよ。というか、もう会っているよ」
 光が自信たっぷりに答える。するとセダが不思議そうに辺りを見渡す。
「え? どこにいるんだ?」
「ここに。ここにある水全てが魔神だよ」
 光にはわかる。リーリオーラの気配があちこちからする。そうエレメントや精霊の気配がないのは当たり前なのだ。ここは魔神の居る場所。すべてが在る場所なのだから。
「ああ、そういうことか」
 楓が納得したように頷く。リュミィも頷いた。
「え?」
「だから、この一面の水が魔神なんだ。そういうことだよね? 光」
「うん」
 楓がそう言う。人間達はどうもわからない。
“ようこそ、子供達よ”
 女性の声がどこからか響いてくる。人間達は周囲を見渡した。すると一行の前の水が盛り上がり、青い美しい女性の姿が現れる。テラは目を見開いて驚いていた。
「水の魔神!?」
“そうですね。そう呼ばれています。ごめんなさい。私は長い事眠りに付いていて、今もまどろみのようなものなのです。ちゃんと招くことができなかったようで、混乱させましたか?”
 女性は魔神というよりかはセダたちがイメージしていた水の精霊の様な存在に思える。水でできた身体。美しい容貌。優しげな声。穏やかな気性。
“さて、私は長い時間目覚めていることができません。ここに来たからには何か私に用でしょう?何を望みますか?”
 混乱しているセダをよそにハーキが一歩進み出た。
「盟約の国・シャイデで新たな王として起ちました。私は第二の王、ハーキ=オリビンです。この度はシャイデを水の加護で護って下さってありがとうございました」
“いいえ。半人の王が願えば応えるのが魔神の役目。当然の事ですよ。それに力がない私の為に、あなたは乙女の大事な髪を躊躇なく下さった。一の王はその意志を私にくれた。それを還したまでのことです”
「それでも言わせて下さい。シャイデの、いえ、水の大陸の民を護って下さってありがとう。お礼と言ってはなんですが、これからは通例どおりお世話の巫女を遣わし、壊れた建物を建て直す事を誓います」
 ハーキがそう言うと魔神は首を横に振った。
“いいえ。そのような気遣いは無用です”
「しかし!」
“もともと私が皆さんから借りた土地です。そこに皆さんが気遣って社を建ててくれた。月日と共に壊れ、朽ちるのは当然のことです。気にしません。それにおわかりでしょう?私が暮らしているのは大地ではありません。水の中。社を再建して頂いても私は実際そこには居りません。いえ、いることができないのです。私は水。私は水そのもの。一つの場所にとどまる事ができないのです”
 ハーキは驚きと共に残念な顔をする。確かに古代から伝わった遺跡が、このありさまなのは手入れを怠ったからなのに、それを直す必要はないと言われてしまえば……。
“それに昔のように私の為に人をやる必要はないのです。私は昔のように活動していないのです。すべてが昔とは違います。今は悠久の眠りの中。全てを巡る水に委ねているのですから”
 魔神の言う昔とは神代のことなのだろうか。
「それは、魔神が人を見はなしたって事なの?」
 テラが訊く。昔は当たり前のように人の前に姿を現し、願いを叶えてくれたという気易い存在だった魔神。
“いいえ。人が私を必要としなくなったのです。だから眠りに付いたのですよ”
「……必要としない?」
“魔神と大層な呼び名でも、私ができることは限られているのです。水を巡らせることだけ。水を管理するのは宝人に任せています。人へ水の恩恵を与えるのも宝人の役目。私は宝人の意志を水に伝えることしかできません。宝人は昔と違って増えました。私が直接手を出さずとも両者だけで水の循環は成り立ちます”
 テラは驚いた。魔神とは、巡らせるものだという。
「じゃ、願いを叶えたっていうのは……」
“願いとはどういったものでしょう?昔、雨を降らせてくれ、川の流れを少し変えてくれ。そんな願いなら叶えたかもしれません。でも、何でも叶えるような……そんなことはできないのです。人が必要としなくなった理由がわかりましたか?”
 セダたちもそれには驚いてしまった。なんて自分勝手な考えをしていたのだろう。相手は魔神。この世を作ったエレメントの一つ。だからなんでもできると勝手に『思いこんでいた』。
 だから、人前に姿を現さず、願いを叶えてくれないから、人を見捨てたなどと言い続けた。
「じゃ、何のために『神国』や『遺跡』を作ったんだよ? そもそもこの遺跡は何のためにあるんだ?」
 今度はセダが訊く。人の願いを聞くことができない。というよりは魔神はそういうものではないという。なら、なぜ、このような場所を過去に作ったのか。
“それは『卵核』を置く場所が必要だったからです。そしてそれを私が抱く場所が必要だったのです”
「どういうことだ?」
“宝人を生み出すための卵核はこの地に馴染むよう、成熟するまで魔神が一定期間、この地で抱く必要がありました。その為の場所が『遺跡』。そして大事に安置する為の場所、宝人だけではなく人も獣も皆がその卵をいつくしみ、護ってくれる場所が必要です。その場所こそ、人が私と誓ってくれた場所『神国』です”
 これには全員が驚いた。神国は人と宝人がとこしえの和平を約束し、その約束の為に魔神が与えた加護を受ける国と思われていたのだが。
「じゃ、護る力を与える為に半人を?」
“そうとも言えます”
「……私たちは護れなかった」
 ハーキが呟く。炎が暴走したその原因はシャイデの禁踏区域で秘匿されていた卵核の破壊だった。思えば、禁踏区域となっていたのは卵核があったからなのだろう。
「水の大陸の卵核は人の手に寄って破壊されました。修復は可能でしょうか?」
 今度はリュミィが尋ねる。何もかも知っていたという様子で水の魔神は悲しげに微笑む。
“いいえ。私だけではできません”
「だけ?」
“皆さんもご存じでしょう?何かを生み出し、創る事ができるのは創生神……唯一、神だけです。私達魔神は神が六つにわけられた存在。魔神一体では、何も出来ないのです。何かを生み出すためには、神でなくては”
「では、水の大陸では二度と…宝人は生まれない?」
それは卵核の修復が不可能ということだ。リュミィが愕然としてそう呟いた。すると魔神は首を振る。
“いいえ。私だけでは、です。魔神はもともと神から分けられた存在。六神全員が集まれば可能です”
「本当!?」
 これには全員が希望を持った顔をし、喜ぶ。水の魔神はにっこりとほほ笑んだ。
“卵核が失われたのは残念な事です。皆さんが想像する通り、再び卵核が命を灯すことができるのは、治った後になります。卵核は魔神が宝人のために六神全員で集まって創ったもの。再び魔神が集うことがあれば、可能でしょう。しかし……問題があります”
「何だ?」
 水の魔神は少し悩んだ様子で、視線を彷徨わせた後、楓を指差した。
“魔神はこの世に直接関わりを持てません。そのままでは現れることができません。そこで彼の様な存在が必要になります。……『器』です”
 楓はそう言われた瞬間に目を見開いて、水の魔神を見返した。
「魔神を顕現させるだけの力を持つ宝人がいるということだね」
 楓が呟き、水の魔神はそれに頷いた。
“『遺跡』は限定された場所ですが、この地に宝人を介さず魔神を現せる場所という役目もあります。力を持つ宝人でも私達魔神の力に耐えられる者は少ないのです。貴方は炎に耐える事ができた。貴方はいつでも魔神と貴方の意志が重なれば炎の魔神をその身に下ろすことが出来ます。それくらいの力を持つ宝人が六人そろわなければなりません。もちろん、各エレメントから一人ずつです。炎は貴方がいます。しかし他の五つのエレメントは魔神を下ろす事の出来るだけの宝人が今はいません”
 つまり、魔神はこの世に現れる事が出来ないらしい。魔神がこの世の人と接触するためにはその身を宿らせることができる『器』が必要となる。魔神は六神。六つのエレメント一つに一神。そしてそれぞれのエレメントを守護する宝人の器が一人ずつ必要なのだ。そうして魔神を下ろすことができて、初めてこの世に顕現し、その力を示す事が出来る。そういう仕組みだと言うことだ。
“魔神をその身に宿す事の出来る宝人六人がまずそろい、そして各大陸に眠る魔神それぞれが顕現し、集まる意思を持たなくてはなりません。私だけではだめなのです”
「魔神を宿す事が出来る六人の宝人。そして六神の魔神がそろって水の大陸の卵核の修復を望まないと、叶わないのか……。難しいわね。まず魔神全員に会って願いを伝え、魔神が了承してくれるか」
 ハーキが呟いて、考え込む。
「そして魔神を宿すほどの力を持つ宝人も六人。うち一人は楓として……残り五人」
“そうです。魔神がそろい、この地に現れることができれば、不可能はありません”
 水の魔神がきっぱりと言い切った。
「わかりました。必ず、集めて見せましょう」
 ハーキが決意を胸に言う。そうしなければ、水の魔には二度と宝人は生まれないのだ。それを人の手で起こした以上、人の手でなんとかしなければなるまい。
“すみません。私がもっと活動できれば……お役に立てることもあるのですが……。私達魔神は眠りについていることがほとんどで、力を使うことはおろか、この世に現れていることもままならないのが現状なのです”
 それを聞いてヌグファが少し驚いた顔をした。
「では、遺跡に来れば必ず会えるというわけではないのですか?」
“そうです。私がまどろみの最中であれば皆さんを招くことはできますが、普段は眠っていることが多く……”
「どうして、眠っているんですか?」
 テラが訊いた。確かに力が制限されているような言い方に思えるからだ。眠っているとはどういうことなのだろうか。
“そうですね……説明するのが今は難しい事ですね。再びお会いできたなら、そのときにでもお話ししましょうか”
 水の魔神は困ったように笑った後に、そう言った。
“そろそろお時間です。もっと多くをお話しできればよかったのですが……。最後に何か訊いておきたいことはありますか。そうですね、貴方からはまだ何もお伺いしていませんが”
 水の魔神はそう言ってグッカスの方を見た。グッカスが難しい顔をして黙り込んでいたのをセダは思い出した。
「では、一つだけ」
“はい”
 グッカスは水の魔神でさえ睨みつけるような顔で訊いた。
「番はどうした?」
 そう言われた瞬間、水の魔神が驚いた顔をした。グッカスを黙って見つめた後に、視線を外し、寂しそうな顔をした。グッカスはそれを見て、視線を緩める。
“水底で眠っています”
「そうか」
 グッカスはそれだけ言うと視線をそらした。セダが何かを聞きたそうな目線を向けるが、グッカスは気づかぬふりをしてやり過ごした。
“では、本当に短い時間でしたが、お話しできて楽しかったです。どうか、他の魔神を説得し、集めて下さい。中々難しい事ですが……さすれば、卵核を修復する事も可能です。宝人は私たちにとっても愛すべき子供。私の力を受け取ってくれる大切な、この世になくてはならない存在。よろしくお願いします”
 水の魔神の声がだんだん小さくなり、景色が白けた。と感じた次の瞬間には、草原の風景に全員が戻っていた。目の前には壊れた神殿の柱が見える。
「あ、戻って来たんだ」
 テラが呟く。まるで白昼夢を見ていたかのようだ。水の魔神は確かにいた。そして会話をした。
「……現実感がないな」
 グッカスが呟く。確かに、と全員が頷いた。楓が気付いたように言う。
「光……髪の色が……」
「え?」
 水の中の様な遺跡の中では誰も気付かなかったが、光の髪の毛の色が淡い水色に変わっていたのだ。そしてそれは目にも同じ色が現れている。
「水の加護を受けたようですわね」
 リュミィが言う。ヌグファが不思議そうな顔をする。
「加護?」
「水の魔神に会った事で光の何かが変わったのですわ。おそらく以前よりは楽に水のエレメントを扱えるようになっているはずですの。これは宝人ではよく見られる光景ですのよ。エレメントを使えば使うほどそのエレメントに対する親和性とでも申しましょうか。それが強くなり、己の色がそのエレメントの色に変わっていくのですわ。光の場合は水の魔神に会った事で、何かが触発されたのでしょうね」
「へー」
 宝人とはやはり神秘に満ちている存在のようだ。髪の色や瞳の色でさえ、エレメントに触発されて変わってしまうとは。
「不思議ですね。失礼かもしれませんけれど、面白いです」
 ヌグファがそう言って光に申し訳なさそうでありながら笑う。魔法科は魔法を扱うだけでなく、研究も行っている。特にヌグファの古代魔法専攻は古代に残された遺跡や古い物を読み解く面もあり、興味深いのだろう。
「じゃ、帰るか」
 セダの言葉に一行は頷いて帰途に着いた。やはり遺跡内部も含め、魔神に出会い、衝撃的な世界の仕組みの一端を知ったこともあって各々考える事が多く、行きより口数が少ない帰り途となったが誰も気にしなかった。