モグトワールの遺跡 012

第2章 土の大陸

1.男装少女と女装少年(1)

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 水とはいえ、音が全くしないというのはよくある。例えば水の中。水に動きが無ければ、水そのものが立てる音というのはない。
 水の中に音を立てる何かが存在していれば別だが、この場所にはそれさえもいない様で、水の中とは言え、音を立てる要因は全くない。ゆえに、ただ停止しているような、静止しているような、ともかく水の流れさえ存在しない水だけの空間がそこには存在している。
 そして、そういう動きがないものは、たいていあるものを呼び込むものだ。
 ――闇を。
“あなたにしては、事を急いだ選択を取りましたね”
 静かでいて闇を思わせる声が響いた。水の中から突如生じた声だが、その声は生き物や『動き』を与えるような印象を持たない、冷たい印象のある声だった。
“……あなたこそ、ここまでいらっしゃるとは珍しい。お久しぶりですね”
 冷たい声が響に対し、その声に応える声がある。その声も静かだが、先程の声よりかはまだ温かみがある。
“お久しぶりです。不思議な事ではありません。闇こそ全ての事象に関わる事が出来ますから”
 水の中。話し合う声に対し、その姿はない。水しかない水だけの空間に、光が差さないゆえの闇しかない。
“急いだ選択……ですか。確かにそうかもしれませんね。ですが、あの子は生まれ、そして育ちました。己の脚でもう、歩む事が出来るほどに。……運命はそう待ってはくれないものです”
“運命と言えば何事も動き出すような言い方はやめてほしいものです。私はそういう言い方は好みません。ですが、時間が来て、動き出したことも事実です。私たちにとって今回は、どうなることやら”
 冷たい言い方のおかげで冷戦状態の関係性に思われるが、話しかける存在は誰に対してもこういう話し方をする。別に機嫌が悪いわけでもなんでもない。だからこそ、穏やかにあくまで自分のペースで返す。
“動き出さねば、何も始まりません”
“それはあなたの役目ではありません。あなたはむしろその対極にいる存在です”
“わかっています。ですが、その役目をすべきものは……あなたとてわかっているでしょう? 動き出したからには誰かが一石を投じねばなりません。今回はそれがわたしだっただけのことです”
 水の中で闇が増していく。まるで動いているかのように。
“あなたの投じた石に期待しましょう。始まりがあなただからこそ、変わる事もあるでしょう。だからこそ、わたしはあなたに会いに来ました。いいえ、伝えに来たのです。あなたが始まりだから、一番に”
 水が初めて音を立てる。それは水が動いた、ということ。
“……そうですか。賛同して下さるのですか?”
“誰もまともな番(つがい)を持っていないのが現状です。故に『導き手』は今回次点で宝人が果たします。私の元に一人、最適者がいます。闇ゆえに全てを吸収できます。現状で最高、過去最低の鍵となるでしょう”
“ありがとうございます。動き出した鍵はそろわないといけません。私だけでなく、番は皆まともに動けません。……しかし、いいのですか? 最高の宝人ならば『器』にした方が……”
“いいえ。あれは一種の禁忌を侵しています。器にはなれません”
 声はそう伝えた。重ねて言う。
“ただ間に合うかが問題です。動かす前に少なくとも相談していただければよかった。いいえ、わかっていたことです。そんなことは言い逃れでしょう”
“ありがとうございます。そう言って頂けると助かります”
“私の元に鍵が来るまでには覚醒させたいとは考えていますが、何せ初めて宝人が導くわけですからあまり期待はしないでください。……では”
 水の中の闇が唐突に薄くなっていく。こぽり、と水が音を立て、それ以降再びの無音が降り注いだ。