モグトワールの遺跡 012

048

「ここまで腕がいいのに、まだ弟子とは……残念だぁな。な、事前契約だけでもしてかねーか? 嬢ちゃん」
「いえ……そんな恐れ多いです」
 明らかに商店の親父と言う印象を抱かせる恰幅のいい中年の男性が、まだ若い成人させしていない年齢の少女に残念そうに言って肩をすくめた。
「あんたの作品は高値で売れるんだよー。多くこっちに回してくれるとおじさんとしても助かるんだけどなぁ」
 対する少女は困った顔を隠せない。
「そう仰いましても……師匠にお許しを頂けるまで、組合には入れませんし、自分で値段を付けることも禁じられています。一度に出す作品の数も。ご了承いただけないと……私が師匠に怒られてしまいます」
 頭を下げて困る少女。それを見て、中年の男性は逆に焦る。
「ご、ごめんよ! 困らせるつもりはなかったんだ!!」
「申し訳ありません。修行中の身ですから、いろいろご迷惑をおかけして……」
「こっちも悪かったよ。じゃ、今回の材料ね」
「ありがとうございます。何かモチーフなどおありですか?」
「んー、あんたのはなんでもいいんだけれど。そうさね、これからの季節の花とかがいいかねぇ。今度は首飾り、耳飾りとかの一連の装飾品のセットにしてもらいたい。できるかね?」
「わかりました。ではいつものように、半月で仕上げます」
 少女は丁寧に中年の男性に頭を下げ、小走りに去っていく。男性はそれを見送って、少女から渡された箱の中身を見聞し、さっそくショウウィンドウの目立つ場所に飾った。
 飾られたものは、細かい細工を施された髪飾りだった。しかし見る限り、それは石の様なものでできていた。美しいグラデーションが髪飾りを彩っている。
 この中年の男性の店は宝石店である。しかし、その髪飾りはどう見ても宝石ではない。よく見ると美しい色をしていても、細かい砂の粒子が表面に見える『岩』である。ただし、肌触りは滑らかでとても砂の粒子が見える岩とは思えない。光を受けて所々宝石のように光る。
 ――これこそが、土の大陸でしかお目にかかれない『砂岩(さがん)』である。砂岩なら別段土の大陸だけに見られるものではない。他の大陸でも当たり前にある、砂や土が月日を重ねて岩になったものだ。
 土の大陸でしかお目にかかれないというのは、その砂岩を宝石や彫刻のように自由自在に加工することができる技術である。この技術を持った職人を『砂岩加工師(さがんかこうし)』といい、特に土の大陸の神国ドゥバドゥールでは国家資格となっている。
 砂岩加工師になるには、長年の修行も必要だが、感性や、岩に対する相性など様々な要因が複雑に絡まって、才能を開花させる。そのため、砂岩加工師になる為には、国家資格を持った者が、資格を悪用されないよう作った組合に申請を行い、師匠となる人物を己で見つけ出し、教えを請わなくてはならない。
 教えの最中で座学を一通り習った後に、組合の試験を合格したものだけが、実技を習得する資格を与えられる。実技を習い始めれば、師匠によって習得、修行法は大きく異なる。
 だが、最終的に一人前に認められる前に、必ず武者修行のようなものが存在する。期間はまちまちだが、一人で旅をしながら己の腕で生計を立てることが義務付けられる。これは、人前に出しても恥ずかしくない腕を持つと師匠に認められた加工師の卵のみが行うもので、作品と呼ばれる、砂岩を加工したものを初めて世に出す旅でもある。
 材料費を安く手に入れられる代わりに、テーマやニーズに応える義務があり、買い取ってくれる側が気に食わなければ材料費を全額負担するなど、己の腕一本に生活がかかっている。他にも、一つの店に出せる期間や数が決まっているだけでなく、己の利益を上げてはならないなど、少なくとも細々とした生活を強いられること間違いなしな点も武者修行に変わりない。
「あー、一人前になったらうちと専属契約してくれたらいいのになぁ」
 本気で彼女の才を惜しむ声を出したあと、開店の準備を店主は始めた。そう、彼女はその武者修行真っ最中の砂岩加工師の卵なのだ。こうやって修行中に己の腕を売って、一人前になった際に己の腕を頼りに店を構えたり、顧客を得る意味も修行にはある。
「おんや、ルビィさんの作品が入ったの?」
「おお、そうなんだよ」
 奥から店主の妻が顔を出し、彼女の作品の目の前で脚を止めた。ほうと思わず見入る。精緻な彫刻、美しい形、気を配られ、全体の印象を引き立たせる色遣い。彼女は数々の卵のうちでもピカイチの才能の持ち主だ。
「キレイだねぇ。売り物じゃなければ一度この髪に飾ってみたいよ」
「馬鹿をいうな。こういうのはもっときれいな人が似合うんだ」
「なんだって! ……まぁ、彼女の名が売れないうちじゃなければ手に入らない品になるだろうねぇ。この才能だったら、一人前になったら貴族の専属加工師になるかもしれないからねぇ」
「だなぁ」
 国家資格となっているのは様々な理由があるがこういう理由もある。華美な装飾品や贅沢品にしか砂岩の加工は用いられない。つまり、土の大陸において、砂岩加工師は宝石や芸術家と同等の価値を持つ。それ故に、貴族に囲われたり専属になったりという上流階級に好まれる。
 良い作品はそれだけ名と権力を上げていく。故にその加工師には最低限の教養が必要になり、時には国家を左右することもあり、ちゃんとした人格の形成が必要になる。だからこそ、厳しい修行や修練を必要とし、百人が弟子入りを望んだとして、砂岩加工師として一人前に成れる者は五人いるかいないかという厳しい現実が待っている。
 その中で有名になれるかといえばもっと数が減っていく。それだけ厳しい道のりでもあるのだ。
 ――そう、砂岩加工師とは、土の大陸では誰もが憧れる職人の一種である。

 表通りから何本か裏に入った道のり。喧騒は聴こえるが、静かな通りの中でも影のある方の場所。人があまり寄らない場所に先程の砂岩加工師を目指す少女の仮住まいはあった。手には先程の次の作品の材料。そして数日の食事の材料と、新聞。
「ったく、そろそろ潮時か? しつこいんだよな。嬉しいんだけどさ」
 テーブルの上に手にした荷物を置く。そして結んでいた髪を解いた。その時、手櫛で髪を梳く。
「やべぇな。そろそろ身を清めないとまずいな。いくら外見に気を使わなくていい職人とは言え……」
 明るい茶色の髪は肩口までざんばらに伸ばされている。その肌触りはちゃんと手入れをしていればすっと指が通る筈だが、数日ろくに洗髪をしていないせいで、頭皮に近い部分は少しべたつき、毛先は乾燥してぱさついている。
「……女ってめんどくせ……」
 しかし顔立ちは整っている方だ。だが、残念な事に手入れをかなり怠り、己の格好に気を配っていないゆえに彼女の外見の魅力は半減いや、八割減である。透き通るような緑の目も疲労でぱっちり開かず、視線が鋭くなっている。大変残念な少女だ。格好に気を配り、身なりを整えれば十人に三人は振り返るであろう顔立ちなのに。
「……テルルの情報は……ないか。しかしこの街に入ったのが陰の風月。あれから三カ月……そろそろ潮時」
 新聞にざっと目を通した少女の顔つきは真剣そのものだった。
「と、決まれば善は急げ。来月までに引っ越すか」
 少女は一度決断すると、作品に取りかかるべく道具を取りだしたのだった。これがこの町にいての最後の作品になるだろう。

 砂漠の中にどうしてこんな場所に? というほど唐突に存在するオアシス。そのオアシスの恩恵を全て受け入れて存在している施設。それは土の大陸唯一の施設である。
 名を神殿。砂漠の中に突如存在するその施設は広大な砂漠の中でひときわ目立ち、美しい白亜の宮殿の様だ。実際宮殿の様な大きな建物で、建物の全体が白い。この宮殿の恩恵を受けようと数多くの施設が集まり、民家が増え、一つの街を形成している。
 ここはオアシスでありながらも神殿を筆頭とした街が出来上がっている。土の大陸・神国ドゥバドゥール北西の大きな街・ルンア。神殿はルンアのシンボルであり中心だ。信心深い人々も集まり、人々は活気づいている元気な街である。
「すいませーん」
 そのルンアのシンボルである真っ白な神殿の裏口で中年の男性二人と少年が声を張り上げる。すると門番が建物の中から顔を出した。
「お、あんたらか」
「はいー。毎度ありがとうございます」
 彼らは神殿に食料を運びこむ専属の商人である。
「じゃ、いつものようにな」
「はい、お邪魔します」
 大きな台車そのまま裏口とはいえ、広い神殿内部に入っていく。神殿内部は外面と同様、内面も白で統一された厳格な雰囲気が漂う場所だ。台車を押しながら進む三人は手慣れた様子で食料を納める倉庫へ向かう。
 が、しかし。途中で少年が二人の大人に目配せをした。大人もそれを目線で受け取り、頷く。
 すると周囲を見渡し、確認した少年がだっと台車から離れて駆けだしていく。少年の身のこなしは素早く、そのまま広い廊下を突っ走り、奥の階段を駆け降りていく。数階という階段をものともせず、転がっているような速度で駆けおり、そのまま地下へとたどり着くと、手慣れた様子で奥の部屋を目指す。
 さすが地下でうす暗い地下だが、目的の場所を教えるかのように仄かに灯りがともっている。
「キィ!!」
 忍んでいることも忘れるような明るい声で部屋に着く前から声を掛ける少年。すると部屋の扉が勢いよく開き、中から少年が飛び出してきた。その少年に向かって抱きつく少年。
「ミィ!」
「大丈夫? なんかされてない??」
 抱きついた少年が訊く。すると抱きつかれた少年が首を振る。
「いや、それより毎回こんな無茶すんなよ! 心配するこっちの身にもなって欲しいよ」
「だいじょぶ、だいじょーぶ」
 呆れたように溜息をついて、キィと呼ばれた少年が言う。
「ミィの大丈夫は当てならないんだよ。毎回忍び込ませてもらってる商家の人にも悪いしさー」
「そんなことよりキィは自分の心配しなよ! 待っててね!絶対助けてあげるんだから」
「無茶はだめだぜ? ミィはすぐ周りが見えなくなるんだからさ」
 互いの頭を撫でて頷く少年達。
「あ、そうだ。たぶん次から俺、ここが部屋じゃなくなる。中に戻されるっぽい」
「ええ? せっかく覚えたのに」
「叔父さまから訊いてないの? なんかルイーゼ家が俺に対抗して一人神殿に送り込む影響で、俺の扱い良くなるんだってさ。ルイーゼ家がくるってことは、派閥争いで神殿もしばらくざわつくだろうしさー」
 やれやれと言った感じでキィが言う。ミィはむっとした。
「聞いてないし。ってか送り込むならキィの代わりを送ってくれたらいいのよ。そうしたら権力云々なんかどうでもいいこっちとしてはありがたいのよ。っていうか、気にするならディズの馬鹿ボンがなりゃいいのよ! キィをこんな地下に押し込めてさ! こっちとしては会えてありがたいけど」
「まぁ。俺の身代わりになられても感じ悪いしさ」
 憤慨する少年を見て、キィは力を抜いて諦めたように笑う。
「キィはお人よしすぎ!」
 ふっとキィは笑って、ミィの肩を叩いた。
「俺だって諦めてないし。一応これでもヴァン家ですよ? 神殿内の権力争いに革命を起こすルーキーになるぜ?」
「ぷ! キィそういうこと面倒なくせに」
 二人してくすくす笑う。うす暗い場所でも二人の笑い声で光が点ったようだ。
「ミィの為なら頑張るぜ? 俺」
「あたしだってキィのためなら頑張るよ! じゃ、そろそろ時間だから。元気でね!」
「うん、ミィも気をつけてな!」
 二人の少年はきつく抱き合って、その後頷きあった後に、ミィと呼ばれていた少年が同じように走り出した。

 澄んだ空には雲ひとつない。周囲の気温が低く、寒い空は青さをどこよりも増して、人の心を洗ってくれるかのようだ。そんな澄みきった空の下に相応しい草が生えただけの野原の高台。そこに寝転がる少年が一人。目は閉じられ、落ちついた規則的な呼吸に腹が上下している。健康そのもののその身体に突っ込みのように軽く他人の脚が腹を蹴った。
「見張りが寝てどうすんだ」
 その少年しか気配と姿がなかったのに、いつの間にか少年の元に一人の青年が流星の如く降り立っていた。
「んー、ランさまぁ?」
 数回瞬きをして、今気付いたことを隠しもせずに少年が身を起こす。呆れた様子でランタンは少年を見降ろした。
「おかえりー」
 にかっと覚醒した少年が笑う。ランタンは溜息をつきながらも笑顔で少年に応える。
「見張りの時くらいお得意の居眠りは封印しとけ。俺楽にお前の命取れるぞ」
「ラン様を目の前にして勝てる相手はいませーん」
 少年はおどけて言う。確かに世界傭兵ランタンと言えば暗殺師で有名。
「あのなぁ……」
「それにさ、イェン様の結界があるんだもん。見張りは形だけでしょ?」
「イェンだって万能じゃねーぞ? そのための見張りだろ?」
「うんうん。わかってますって。ラン様ほどじゃなけりゃ、俺だって飛び起きるさね」
 少年が笑顔で言い切るので、困った様子を隠せず、かつ叱れずランタンは苦笑する。
「どうだかなー」
「にしても今回は早かったね、ラン様。そんなに遠くなかったの?」
 ランタンは世界傭兵として、資金集めに奔走しているのだが、大陸間を渡る事はしょっちゅうで、一度に数件の依頼をこなして戻る。大金と共に。
「いんや。今回は依頼じゃなかったからな、イェンのお願い」
 ぱちくりと目を丸くする少年。
「そうなん? じゃ、今回はお土産なし? お金も?」
「うぐっ……! 遠征費は自費ですよ……。そんなに稼ぎ頭をいじめてはいけません」
 ここは闇の大陸―宝人の隠れ里の一つ。ランタンはイェンリーと共に一つの里を任されており、その資金源はランタンとイェンリーの稼ぎでまわっている。
「稼ぎ頭はイェン様だろー? ま、いいや。じゃ、今日はラン様のお手製メニューが並ぶかなぁ?」
 ニマっと笑って少年が言う。ランタンは視線を泳がせて頷いた。
「それって、脅してない? いいけどよ」
「じゃ、早いとこ言いにいきなよ? 今日の食事当番はリラだよ」
「リラな。わかった」
 ランタンは頷いた。歩きだそうとしたランタンに少年がコートの端を掴んで止める。
「そうだ、大事な事言い忘れてた。皆に言われると思うけど……」
「ん? なんだ?」
 少年が笑顔を引っ込めて言った。
「イェン様が起きないんだ。みんな心配してる」
 そう言われた瞬間にランタンの顔からも笑顔が消えた。
「今度はなにやらかした?」
「んー、特に思い当たらないんだよ。余計それで不安かも。結界も維持できてるんだけどさ『夢渡り』出来ないほどに深い眠りみたいなんだよ。まぁ、数日前に新術開発とか言って三日間位籠ってはいたんだけどさー」
ランタンは額に手を当てた。
「イェン……またか!」
「ってわけで、たぶん最初のお仕事は目ざまし係だよ」
「……イェンはお仕置きだな!」
 ランタンはそう言うとその場で光と化して消えた。少年がそれを見送り、やれやれと苦笑した。
「まったく」
 そうして少年は再び惰眠をむさぼるために横になったのだった。
 ランタンは里の内部で転移を止め、歩きだす。すると里のあちらこちらにいる子供がランタンに気付き駆け寄って来た。ランタンは一人一人とあいさつを交わし、時には抱き上げ、時にはハイタッチを交わし、久々に帰郷する。
 そして見張り番の少年に言われたように、イェンリーが起きない事を度々訊かされる。
 ランタンは苦笑しながら頷くにとどめ、今日の食事当番の少女に自分が代わる事を告げ、食材管理の係に使っていい食材を確認し、頭の中でメニューを組み立てる。
 しかし、ランタンが会う人物は皆子供である。少なくともランタンより年上の人物はいない――。
 ここは闇の大陸の中の宝人の隠れ里の中でも特殊な里――子供だけで構成された隠れ里。大人はイェンリーとランタンしかいない。宝人の子供約百人に大人二人というあまりにもおかしい構成。
 しかも大人のイェンリーとランタンも宝人で言う成人に達したばかりのまだまだ人生経験が豊富とはいえない人物だ。なぜそんなことが許されているかは、この里の特殊な事情により成り立ったからだが、暮らしている子供達の顔は明るい。
 子供達は二人を両親や家族の様に扱ってくれる。それはさきほどの見張りの少年の気軽さからも容易に伺える。
「よう」
「あ、おかえりなさい、ラン様」
 大樹が複数寄りあわされたような形の場所。イェンリーとランタンの住処である。子供達も皆、周囲の木を数本寄り合わせたような奇妙な木々の中に住まいを持っている。
「ただいま」
「イェン様が……!」
「うん。訊いた。俺に任せときな」
「うん!」
 木の前で心配して佇んでいたであろう女の子の頭を撫でてランタンは木々の洞をくぐった。この里は皆寝所を木の洞の中に構えている。というか、木を複数合わせ内部を住居に改良することで複数の子供に効率よく二人部屋を与えている。木々の集まり一つに対しだいたい十人程度が暮らしている寸法だ。その中でも大きめの大樹で形成されたイェンリーとランタンの住処は洞の入り口にランタンの寝室がある。
 久々の寝床を軽く整え、ランタンは荷物を置くと木の内側に出来た凹凸を利用して上の階に上っていく。木の空洞に木の枝を網状にして木の幹の中に複数階を作っているのである。二階より上がイェンリーの寝室兼書斎になっている。
「ラン様、おかえり!」
 何せ木の幹の中なので広さはない。上がっていくとすぐにイェンリーの寝具が広がっている。その隙間に子供が二人いて、イェンリーの様子を見ていた。
「おう、ただいま」
 己が座る場所がないのでとりあえずイェンリーの足元に身をかがめて立つ。
「ラン様、イェン様起きる?」
「ラン兄が帰ったら大丈夫って言っただろ!」
 二人の子供が言いあう。ランは破顔した。心優しい子供たちだ。
「ったく、二人を心配させるなんてイェン悪いやつだな! 俺が叱っとくからな!」
 そう言われた子供達は頷いて笑顔になる。そして猿のようにするすると木の肌を伝って下りていった。二人が居た場所に座りこみ、眠りこけるイェンリーの顔を見る。
 顔色は良い。疲れて寝ているわけではないらしい。
「イェン」
 軽く声をかける。そんなことで起きはしない。したらそれはすでに嘘寝だ。イェンは寝起きが悪いので有名なのである。ランタンは両手でイェンリーの頬を挟み込み、額同士をくっつけた。
「イェン、起きろ」
 目を閉じるランタンの身体が薄く光る。光が心なしかイェンリーに注ぎ込まれているような気がする。
「イェン」
 優しく声を掛ける。そして、しばらくして目をあけ、ランタンは己の光を収めた。
「イェン、起きないとちゅーするぞ」
 といたずらっぽく言った瞬間に、目の前の漆黒の目がぱちりと開いた。
「変態」
「お前、開口一番それ?」
 からからと笑うとランタンは安心したようにイェンリーから身を離した。
「お帰り、ラン」
 イェンリーが微笑んで身を起こそうとして眉をしかめる。
「やべー、寝過ぎた。身体動かない」
「はいはい」
 見越していたかのように呆れた様子でランタンはイェンリーの脇に手を入れ、己にもたれかからせるようにして、イェンリーの身体を起こしてやった。その度に関節が軋み、音がした。
「お前はじいちゃんか」
 ランタンが思わずつっこむ。イェンリーはいてて、と言いながらゆっくり己の身体を伸ばした。
「教導着なんか着たまま寝るからだ。身体が固まってんだよ。今回は何日?」
 少し怒った様子でイェンリーに言う。イェンリーは視線を彷徨わせ、脳内で記憶を確かめているようだった。
「んー、一週間くらいか、いや、そんなに長くない……と思う」
「馬鹿か? あんだけ寝だめすんなって言っただろ! みんな心配したんだぞ?」
 イェンリーは困ったように視線を逸らせた。
「いやー、そんな疲れるようなことはしてなかったから大丈夫だったと思うんだ。ちょっと寝ようかなーって思ったらこれだったんだよ。本当だぜ?」
「どうだか。お前はもっと自分が貧弱だって自覚しろよ!」
 その言葉にカチンときたのか、イェンリーは不機嫌になる。
「うるせー」
「で? 今回は何したの?」
「……闇石を使って同時複数会話ができねーかなぁ……って。ホラ!『夢渡り』の要領で、それを夢を介さずに石を介してーって考えて構成を練ったりしてたんだけどー」
 がっくりとランタンはうなだれた。そんな高等そうな新術を開発してどうしたいんだ、お前は。
 目の前の青年は己に比べて貧弱と言ってもいいと思う。痩せていて肌も色白いというよりかは青白い。しかし、この青年と暗殺師の異名をとるほどの己が一対一で戦うと五分五分の確立で勝敗が決まる。なぜか、というとこの青年はエレメントの使い方が巧いからだ。
 様々な大陸を渡り、数多くの宝人を見たが、イェンリーほどエレメントを巧みに使いこなす者にお目にかかったことがない。彼の術と言っているエレメントの使い方は本当に素晴らしく、ランタンの常識を変えたほどだ。
「まぁお前の趣味だから口出ししねーけどよ、ほどほどにしろよな。皆を心配させんなよ」
「それは……悪いと思ってる。ただな、ほんとに今回は変だったんだよ。まだ頭がぼーっとしててさ」
 ランタンはイェンリーの額に手を当てる。
「病じゃねーよなぁ?」
「おう。ま、なんか食べたらシャキッとすっかも」
 イェンリーはそう言って首を回し、上着を脱いだ。ぼすんと音がする。イェンリーが着ている上着は特製なのだ。
 里の運営を任された長、闇の大陸の里ではその長を教導師と呼ぶが、その教導師に着用を義務付けられた上着なのである。
「おい、教導師サマ?」
 ランタンが呆れて声を掛ける。教導師たる者威厳あれ。それが教導師の格言の一つだからだ。
「いーんだよ。だって重いんだもん」
「いや、知ってるけどさ」
 長の権威を示す大切な着ものだが、イェンリーは動きにくいとか重いとかうざいとか言ってよく着忘れる。というか着ない。
「ラン」
「ん?」
 イェンリーは微笑んだ。
「おかえり」
「ああ、ただいま」
 ランタンも微笑んだ。この為に、この笑顔のためにイェンリーの元にいる。ランタンは己を変えたイェンリーの側にいる。イェンリーを護り、イェンリーと共に過ごし、イェンリーの為に生きる。
 それがランタンの生き甲斐で、生きる理由だ。