モグトワールの遺跡 013

053

 キィと同室になって一カ月が過ぎた。その間に分かったことと言えばキィがずぼらであるという事だった。
 キィは神子という権限を最大限に利用して神殿のお偉いさんにうまく取り入り、自分の私生活に口を挟ませないようにしている事がよくわかった。
 キィは神官必須の朝の潔斎ですらまともに行っていなかった。カナも面倒とは思っていたが対外的にまずい気がして果てしなく短い時間ではあるものの行っていた。
 しかしキィはその時間に合わせて神殿内の書庫に出入りし、さも潔斎は一番に済ませましたと嘘をついていたのである。
 そして食事すら集団で食べる神殿の習慣が気に食わないらしく、食が細いという事にし、軽食を常に持ちこみ己の好きな時間に好きなように食べている。
 しかも食料の確保は自分の付人に任せるなど徹底した個人主義ぶりだ。よくそんなんでいままで生きてきたな、と言えば今までは双子の姉がそこ辺りをしっかり管理していたのだそうでカナは双子のまだ見ぬ姉に、お疲れと肩を叩いてあげたい気分になった。
 と思えば付人をしょっちゅう神殿内に放ち、情報収集は密にやっている。この一カ月の間にカナがキィに抱いた印象といえばその位か。
 カナはカナで自分の腕や間力を落とさないように自己鍛錬に余念がない(室内だが)。キィは情報収集と読書に忙しい。同室の割には話すことも特にない。
 しかし互いに互いが気にならず、かといって邪魔にもならない現状最高の日々を過ごしていた。

 と、そんな日常を送っていた二人だが、その日の晩はなにか騒がしかった。
「ファンラン」
 カナが呼ぶと従者である青年が続きの部屋(キィの従者と同室)から現れた。それに合わせてキィの従者であるファゴも出てきた。
「なんか騒がしいな。いつも自分の会話すら響きそうなくらい静かなのによ」
「そうですね。調べて参りましょうか」
「いや、いい。どうせ明日にも原因は知れる。ここで出てく方が面倒そう」
 キィが何故かファンランにそう告げる。するとなぜかファンランもカナの従者であるはずなのに、まるで主人に言われたかのように頷いた。
 最初は疑問に思ったり、憤ったりしたものだが、今では慣れた。
 それにファンランをうまく使う事が出来るのも断然キィだ。カナは所詮暮らしやすく己のしたいことができれば満足なのだ。
「まさか賊の侵入だったりしてな」
「まさか」
「だってここらで最近砂賊が出没してるんだろ? やっぱりジルサーデが立たないとそういう輩が多いよな」
 カナがそう言うと、キィも頷いた。
「俺らが任されている港町も海賊に悩まされているんだよ」
「そうなのか? じゃ、アイリスが許してくれたら俺、キィの街の自警団にでもなろっか?」
 キィがそれを聞いて噴き出した。
「おいおい、ありがたいけど、もうちょっと現実的に考えろよ。ルイーゼのカナがヴァン家の領地を守れるわけないだろ?」
「そうかぁ? 面倒だよなぁ。この三大王家って派閥も。俺個人的にキィは好きだし、仲良くしてもいいと思うんだけどなぁ。キィの話を聞く限り、キィの双子の姉さんもいい人っぽいじゃん。アイリスも確かに頭はいいけど、基本的に悪いやつじゃねーし……仲良くできると思うのに」
 キィが少し寂しそうな顔をして苦笑する。
「だなぁ。そうできたらいいよな。こればっかは先人達のこともあるしな……。だけどいがみ合うのは悪いことばかりじゃないぜ? 競い合うからここまでこの国は豊かになったんだ」
「そっかぁ。そういう面もあるかぁ」
「そーそ」
 二人がそう話し合っている最中、ノックがされた。ファンランが出る。何か知らせにきたであろう使用人がファンランに何かを言う。ファンランが頷いた。
「なんだったー?」
「……その、図星でした。カナ様」
「へ?」
「賊が侵入したようです。東殿の方角らしく、部屋から出るなとのお達しです」
 それを聞いてキィが笑いだす。冗談だったカナも笑うしかない。しかし神殿には多くのナルマキア(神兵)がいる。ナルマキアとはパテトール(神官)に仕える神殿に勤務する兵のことだ。自分達が手を出すまでもなくすぐに騒ぎは収まるだろう。
「ファンラン。おれ少し興味あるから見てきてよ」
 神殿に入りこむ賊というのにちょっと興味があったのだ。ファンランは溜息をついて頷いた。
「承知いたしました、カナ様」
 ファンランが帯刀して出て行こうとした時キィがファゴに声を掛けた。
「ファゴも話の種に見てきて息抜きをしてくるといい」
「はい。ありがとうございます」
 ファゴがそう言って一応帯刀し、ファンランを連れだって部屋から出て行った。
 二人の付人は一応カナとキィのナルマキアとして神殿に入っているのだ。帯刀も許され、いざという時に顔が効く。
「にしても神殿に狙うって、何が狙いなんだろな、逆に」
 と話していたらまたノック音がした。
「なんだよ、ファンラン。忘れ物か? ……って、あれ?」
 カナが扉に向かって言い放ち、近場にいたキィが扉を開けたままの様子で固まっている。
「どーしたぁ? キィ」
「キィ!!」
 扉を開けて固まっていたキィに誰かが抱きついた。
「ミィ! なんでここに?!」
 キィの驚いた声がする。抱きついている少年のような姿はよく見えない。しかしキィからよく話を聞いていた双子の姉の名がミィではなかったか? ヴァン家のご息女・ミィ=ヴァン。キィの双子の姉。
「来て!」
 抱きついた何ものかがキィの手を引いて勢いよく部屋の外へキィを連れて掛けて行く。
「キィ!」
 カナが叫んで追いかけようとした際、長い衣をかぶった何者かがカナの行く手を阻んだ。
「どけ!」
 カナが言っても相手はどこうとしない。カナは帯刀していた獲物を相手の目前に翳し、同じ事を言った。しかし相手の反応は変わらない。
「悪く思うなよ」
 振りかぶった刃が相手のナイフと激突する。どうやらこの人物を倒さないとキィの後は追えないようだ。
 相手はナイフの扱いが相当巧く、カナの動きに合わせているかのように滑らかに動く。長い衣の下から程よい殺気が漏れ、久々の感覚にカナは思わず笑みが漏れた。
 どちらかといえばキョセルに動きが似ている。背後から狙うような動きが多いのもよく似ている。しかし、ただ単純にキョセルというわけでもなさそうだ。動きが甘いし、どことなく違和感がある。
 カナが己の生家がもつ権力を利用した点と言えば、様々な猛者と討ち合い、仕合を行ったことだろう。カナは見かけによらず腕を磨くことには果てしなく真面目で、己の鍛錬を怠らないのだ。
 ゆえに、カナは自分では気付いていない、というのも正式な軍に所属できる年齢ではないからだが、かなりの腕を持っている強者であった。そのため討ち合いがしばらく続いたが、獲物の差が出たのか、相手がじりじりと押され始めた。
「もう後がないぜ」
 カナは相手を窓際まで追い詰めた。ここは四階だ。窓から逃げるという手はない。その衣をまず剥いでやろうとカナが裾を握った瞬間、逃げるように相手は窓際に飛び上がる。
 その時に繰り出された蹴りを仰け反る事でぎりぎり避ける。しかし相手が追い詰められているのは同じ。カナが一歩踏み出すと相手はそのまま後ろに倒れ込む。
「おい!!」
 そこは窓際。まさか、失敗の暁には死をという暗君だったのだろうか。殺すつもりはなかったのに。相手はそのまま後ろ向きに身を空に躍らせた。
 カナは急いで窓枠に駆け寄り腕を伸ばした。
「え?!」
 手を伸ばした先には何もなかった。そう“何”も。
 在るべきはずの身を躍らせているであろう身体も、あまり見たくない身を散らしたその姿も。何もない。空に溶けるように相手は消え去っていた。
「消えた……?」
 いくら優秀な暗君でもあんな無理な体勢から無事でいるのものだろうか。カナは呆然として窓の外を見つめていた。
 そんなカナの視界に鮮やかなあまり見ないオレンジ色の小鳥が横切っていった。
「っと、そんな場合じゃない! キィ!!」
 カナは慌てて部屋を駆けだして行った。
「予想外に足止めにならなかったが……セダがなんとかするだろう」
 オレンジ色の小鳥、グッカスは誰もいない部屋の窓枠に止まって呟いた。そして状況を確認するために再び空に身を躍らせたのだった。

 あらかじめ用意していた馬までミィはキィの手を引いて走る。そのすぐ後ろをセダが追う足音もする。陽動のヌグファたちは大丈夫だろうか。いざとなったらリュミィという女性が逃がすと言っていたが。
 ミィはそれよりも手の中にあるこの確かな熱さに幸せを覚えていた。やっと、やっとだ。己の半身を取り戻した。キィ。私の弟。
 馬にキィを乗せようとしたところでキィがミィを見つめる。
「どうして? ミィ!」
「助けにきたんだよ! キィ。早く乗って!」
 キィは驚きより愕然とした顔をした。
「……なんて事を……」
 キィが呟く。その時高い馬の嘶きが聞こえた。
「キィ!」
「もう追手が! 行け! ミィ」
 セダが叫ぶ。ミィが頷いてキィを馬に引っ張り上げ、手綱を取った。
「説明してよ、ミィ!」
 キィがミィに捕まりながら叫ぶ。ミィはキィに応えず馬を走らせる。背後で甲高い刃の音。あの声はカナだ。カナが心配して追ってきてくれている。でも、相手がミィなら、この人たちはミィの知り合いか、ミィに頼まれた人だ。ミィが巻きこんだのだ。
 頭を抱えたくなるほど破天荒の行動をする姉を、神殿の平和な場所で忘れていた。
「ミィ!!」
「もうちょっとだから!」
 馬の足音と風の音で声が届きにくいのだろうか。いつも破天荒な事ばかりして、その後始末を自分がいつもしてきて……だけどここまでは予想外だよ。とキィはとりあえずどうやって馬を止めようかと考えていた。

 いつもの両刃刀を振り回し、追手の少年と戦っているセダだが、内心かなり焦っていた。
 足元が砂というのを抜きにしても相手が悪いと感じた。セヴンスクールではセダより強いものは居なかった。だってセダが主席なのだから。しかしこの目の前の少年は強い。
 全身を覆い隠していた衣は等に動きの邪魔になるので捨ててしまった。一瞬の気の持って行きかたで勝敗が決する。武器の差というのはもちろんあるだろう。それを抜きにしても速い。動きについて行くのが精一杯だ。それに加え、一撃が重い。
 ――くそ、世界は広いな!
 自分と同じような年齢の少年でさえ、ここまで強い。世界は広い! 自分の実力を出せずにいた学校内とは違う。本気を出せる相手が少ないあの場所での物足りなさがここでは命取りだ。しかし、セダが逆にそれが嬉しかった。それが楽しかった。本気を出せる相手がいること、本気を出しても敵わないかもしれない相手がいること。
「あー、強い! お前強いよ!」
 話しかけられた相手は一瞬驚いた顔をしたが、にやりと笑った。
「お前もな!」
 こりゃ本気をもう出しているけれど、奥の手しかない。セダはそう考え、両刃刀の柄をにぎりこみ、ひねった。すると音も立てずに両刃刀が折れたように真っ二つになり、二本の剣となる。
「なにそれ! 面白い得物だな!」
 相手が喜んだ声を上げる。セダは自ら壊したように見える剣を構えなおした。セダの武器が特注なのはこの点だ。柄を回すことで接続されている両刃刀の形式と、柄を離す事によって二刀になる武器。
 セヴンスクールでは武器の大まかな分け方で専攻を決めていた。しかし多くの生徒は専攻の中から己に合う武器を一つだけ選ぶ。セダはそれをしなかった。全ての武器を多少の得手不得手はありつつ見事に使いこなしたからだ。
 好きな武器を決めかねたセダは今回の旅に効率を重視し、この両刃刀を選んだのである。
 大多数、猛獣などの群れに遭遇した時などを想定して対多数戦がこなしやすい大型かつ動かしやすい武器。それが両刃刀だ。だが対人ともあれば両刃刀では速さに劣る。両刃刀はその性質ゆえに回転させて斬りこむ。人ではその大ぶりな動きでは対応できない。かといって旅の装備は増やしたくない。
 そのために両刃刀を分解するとこで二刀にすることを思いついたのだ。
「特注でね!」
 セダはいつの間にか戦う事自体が楽しく思え、名も知らぬこの少年とのう討ち合いをずっと続けていた。互いに相手の隙をつき、斬り込むこの単純なやりとりのなんと心地よい事か!
「カナ!」
 しかしそのやり取りは馬のいななきと遠くからの呼び声で中断された。弟を連れだしたと思われたミィがその弟に馬の手綱を奪われた形で舞戻り、遠くから馬の一団が見える。
「キィ!」
 少年が刃を収める。セダもそれに倣った。そして遠くに落ちていた己の衣をかぶり直す。
「ミィ、どうして!」
「セダ! 武装の一団が向かっている。急げ!!」
 グッカスが滑空しつつセダに囁いた。砂ぼこりが舞う辺りに馬の一団が見える。
「ミィ! 引くぞ」
 弟が馬から飛び降り、カナに向かって走り去る。
「なんで、どうしてよ! キィ!」
「ミィはまだ気付かないの?! どうしてこんな愚かな事をしたんだ!!」
 弟が怒る。キィというミィの双子の弟はミィとあまり似ていない。ミィが元気で溌剌とした雰囲気を纏っているのに対し、キィは静かな印象が強い。文学少年といった感じだ。
 その静かな弟がミィに向かって怒っているようだ。どうやらミィと違って弟であるキィは今回の救出劇が予想外だっただけではなく、迷惑に思っているようでセダ達も当惑している。まさか自殺願望があるわけでもなし。
「それはねーだろ? ミィはお前のこと心配して……」
 セダが思わず言う。するとキィがセダを見て、溜息と共に早口で言った。
「旅人、国外の人を巻き込むなんてどうかしてるよ、ミィ。だから、ああ、もう! 俺がいないとどうしてそう暴走するんだ! どうせ事情を知らない人を巻き込んだんだろ! ならなんで旅人の証、しかもヴァン家のを隠す位の配慮ができないのさ!」
 事は兄弟げんかに発展している。
「何でよ! キィこのままじゃ死んじゃうかもしれないんだよ! どうして一緒に逃げてくれないの!」
「どうしてじゃないだろ! なんでそう考えなしなんだ。じゃ、聞くけど、一緒に逃げるってどこに? まさかヴァンの家とは言わないよな! 二人きりでヴァン家の後ろ盾もなくして暮らしていけるのか? 無理に決まってるだろ」
「どうしてそう決めつけるの! なんで自分にリミットを儲けるのよ!」
「そういうこと言ってるんじゃない! ミィと一緒ならどこだって逃げてやるさ! だけど、分かってない。ミィは根本的なことがまったくわかってない!!」
「何よ!?」
 キィだけではなくミィも怒鳴り合いに発展している。呆然とするセダと、あわあわしているカナ。セダの肩の上で近づく一団をどうしようか思案するグッカス。
「俺が逃げて、神殿は神子を失って。それでも王が選出されなければ、ヴァン家も他の王家も、もっと神殿に直系の人間を入れるだろう。それで、その後は? ミィ、よく考えろよ。王が選出されない、いや、王がたたないのはどうしてか。少し考えればわかるだろう? 俺がどうして神殿に入っているか考えてみてくれよ」
 グッカスはこの双子の弟の発言に耳を傾けていた。
 ――選出ではなく、王がたたない、理由? 神子が神殿に入った理由?
「キィが犠牲になるのは嫌なの、キィはなんでわかってくれないのよ!」
「なんではこっちだよ! ミィはミィの価値をもっとわかれよ! こんなことして……ああ、もう目茶苦茶だ」
「セダ!」
 グッカスが言う。セダも頷いた。カナも後ろを振り返っている。キィがはっとした。
「ミィ!!」
 セダがミィの連れてきた馬に乗り、ミィに手を差し出す。その直前に背後の一団が追いついた。
「これはこれは……神殿から神子を連れ出すとは……いくら身内とは言え、ただではすまないぜ? ミィ」
 一団の先頭にいたチャラ付いた印象の青年が馬から降りて、ミィとキィを眺めた。
「いえ、これは違います。ティズ様」
 キィが慌ててミィの間に入った。カナは嫌そうな顔で後ろに控えていた。
「ちょっとした手違いで……」
 キィがフォローしようとしている最中、ティズと呼ばれた男はミィに近づいた。
「ミィ、まさかこんな格好をしているとはね。そこまでして神殿に入りこまずとも俺に言えばいつでもキィに会わせてやったものを……」
 ミィの頬に触れたその手をミィが勢いよくはたき落とした。
「あんたには関係ないでしょ!」
「っと。ったく、もっと大人しくしおらしくしてりゃ可愛げがあるのになぁ?」
 ミィが青年を睨みあげる。キィも不愉快そうな顔で青年を見た。
「キィがいなけりゃ何もできないんだから大人しくこんな格好をせず、女を磨け。そうだな、もっと髪を伸ばせ。女らしさがきっと増す。そうすりゃ俺がお前を貰ってやるよ」
 にやっと笑った青年にミィがカッとして手を振り上げた。しかし、青年が容易くその手を止める。
「ったく、ヴァン家の恥が。次こんな真似をしてみろ。今回のことは父上にも叔父上にも報告するからな」
 キィが無言でカナの馬に相乗りする。
「ルイーゼの。ここは麗しい姉弟愛に免じて、見なかった事にしてくれ。どこからか入りこんだ賊が神子を奪取したが我々と君で賊を取り逃がすも神子は救出したということだ。そうだな?」
「もちろんですよ、ティズ様」
 カナはそう言って、必死に涙をこらえているミィを一瞥すると神殿に向けて馬を向ける。
「とりあえず、お転婆は封印して家で大人しくしていろ」
 青年はミィにそう吐き捨てると砂埃をもうもうと上げて神殿へ引き返して行った。
 ミィはその一団が去りゆく姿を歯を食いしばって見ていた。涙があふれ、手は拳を握りしめたまま震えている。
 セダは一団が去ってから泣き始めたミィを静かに待っていた。グッカスは鳥の姿のまま溜息を押し殺していた。グッカスもさすがに泣きやめ、はやく移動しろとは言えなかったのである。
 なにせ、今回のことでセダもわかってしまった。
 ……どうやらミィは男装した少女であるということが。
 それに加えて一行が作戦に失敗し、キィを取り戻せなかったという事実だけがそこには残った。