モグトワールの遺跡 015

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 セーンが十二歳になってしばらくした頃、セーンは彼と出会った。
 彼はいつも羊を散歩する崖の岩に囲まれた場所に――落ちていた。
 言葉通り、落ちていたのだ。気付かなかったセーンが、いつものように羊を遊ばせながら砂岩の制作に精を出していたその歌で目覚めたと後に聞いた。
 ――セーンは、その夏の日、テルルと出会った。

 淡い金色の髪に菫色の瞳。肌はうっすら白く、整った顔立ちをした少女、に見えた。
「どこだ? セーン」
 岩谷の隙間に落ちていた人を発見したセーンはすぐに羊たちを羊牧犬に任せて父親を呼びに行った。人が倒れている、と。慌てて山を駆け上ってきてくれた父が救いだした人は、美しい少女だった。
 何故こんな岩谷にいたのか、そもそも村では見かけない顔で、どこのだれかと思った。しかし、少女の脚が紫色に変色し、血を未だ流しているのを見て、すぐさま手当てが必要と知れるとわかると、父の決断は早かった。少女を自宅まで運び、医術の心得のある母親がすぐに手当てをした。
「あ、母さん、目を覚ましたよ」
 拾ってきた動物は拾った人物が世話をすること。それは様々な動物を飼い、生計を立てていた一家の決まりごとだった。ゆえに、拾った少女の手当てが終了したら世話はセーンの役目だった。少女は脚にひどいけがをしていて、動けなかったのだろう。他にも身体のあちこちに怪我をしていた。
「ここは……?」
「ここ? ここはサルン村」
「サルン? 知らないところだ」
「はは! 田舎だからね。それより、痛いところは? 水飲む?」
 そこにノック音が響いて母親と父親が顔をのぞかせる。母親の手には簡単な軽食も乗せられていた。
「どう? 調子は……ええっと、どなたなの、結局」
 母親がにっこり笑いながらトレイをベッドサイドに置いた。
「あ、えっと……」
 セーンが困って少女を見る。
「はい。えっと、先にお聞きしたいのですが、ここはどの辺りなんでしょう? サルン村というと……?」
「ドゥバドゥール西北の山間の村よ。窓の外を見て。あそこから見えるのが、ウィーン山脈の南部の一端。一番近い広めの街はフェル市。だいたいその辺りで分かるかしら?」
「あ、はい。ありがとうございます。で、あの……手当までして頂いてありがとうございました。あの、手当てをして下さった方は……?」
 少女が目を彷徨わせる。母親が笑って言う。
「小さな村だからお医者さまもいなくてね、私が。これでも医術の心得はあるの。脚は全治五カ月。その他も含めて半年は安静にしてもらいたいとこだけど……」
 母親がそう言う。少女はてへへと笑った。
「そうですか。五カ月も……困ったなぁ。どうしよう……」
「? なにが?」
 セーンが尋ねる。父親と母親が笑う。
「いいのよ。たぶんその状況なら、まともに動けないでしょうし。動けるまでここにいてもいいわ。もしご家族にご連絡がつくならしてもいいし。で、そろそろお名前を伺っても?」
「え?! ここに置いて下さるんですか?」
 少女はお礼を言う。
「有難いなぁ。俺はテルル。手当して下さったってことは、俺の性別ばれちゃったっすよね?」
「え? ああ、うん」
 母親の視線が逸れる。しばし沈黙。……沈黙。
「ええ!? 男なの?」
 セーンが驚いた声を上げる。父親も軽く驚いていた。それほど目の前にいる人物は少女にしか見えなかったのだ。
「え? じょ、女装??!」
 セーンが驚いていると、テルルはにこーっと笑って言う。
「ああ。俺の趣味。ごめんね? ちょっと幻滅させちゃったー?」
「いや、幻滅って」
「そうねぇ。こんな美人の女の子村にはいないものねぇ」
「ち、違うよ! 母さん!!」
「あははは!!」
「ははは!」
 室内に笑い声が響き渡る。セーンだけが笑い声の中でむくれていた。

 それからテルルはセーンの家に居ついた。セーンと母の手厚い看護の甲斐あってテルルは順調に回復した。最初の三カ月が過ぎ、脚が動くようになってちょこちょこセーンと行動を共にし、家事の手伝いをしてくれた。
「え? テルルそんなに年上なの?」
「そうそー。俺は童顔かつ美形なのー。今までちょっと歳上くらいに思ってたでしょ?」
「……うん。まさか十歳も年上とは……」
 愕然としてセーンが呟く。テルルはある意味二重でセーンの常識を破壊してくれた。どこからどう見ても女顔のくせに実は男(女装趣味)+童顔。御歳、二十三。……詐欺だ。
「実は俺様、意外と年上なのさー。この前リリィさんも聞いて驚いてた」
 わはは、と悪戯が成功した子供の様にテルルが笑う。
「二十三ってことは、ここで怪我する前は何の仕事をしてたの? っていうか、なんであんなとこに?」
 今まで聞いたことはなかったが、岩谷に落ちたにしては、脚の傷は不自然に思えた。
「なんで?」
「だって、あの落ち方では脚のあそこの部分にはそんな出血の怪我はおかしいし、全身の切り傷も不自然だし」
 テルルが目を丸くしてセーンを凝視している。
「お前、武術か医術の心得もあるのか?」
「ちょっとの医術だよ。ほら、この村こんな山奥だろう? 医師はすぐには来てくれないから、母さんに教わったんだ。いざというときに役に立つからって」
「ちょっとで、そんなことまでわかるもんかよ!」
 テルルの驚きはセーンにしては予想外だった。そこまで特別とは思わない。確かに村の子は医術を扱える子供はいないが、両親ができるものだからセーンも当然のように習ったし、村で役立てばいいと考えたくらいだ。
「お前、ちょっと異常じゃない?」
「どこが?」
 テルルが言う事がセーンには理解できない。
「英才教育にもほどがあるだろう。例えばだ。お前が夕食の後に両親とやっている会話。あれも最初目にした時に目ん玉転げ出るかって位驚いたんだぞ? お前、今いくつだっけ?」
「十三」
「だろう? いいか、お前が気軽に両親とやりあっている夕食のクイズもどきの話はな、普通は討論っていって、王宮とかで花開くものだぞ。医術にしたって、王家がやっているようなものじゃないか! しかも、お前、いや……いい」
 テルルは興奮した様子で言葉を重ねていたのに、急に止める。
「そんなに変?」
「だって、お前友達とかに聞いた事無いのか? 普通の家は子供がそこまでの知識をたった十三で持っているわけないんだぞ」
「そうかぁ?」
 テルルの様子にセーンは首をかしげるばかりだ。
「そうなの。そういや、お前、もう一個特技があったな。『砂岩』を加工できるんだろう? それも普通はできない」
 セーンはようやく思い至った様子で言う。
「ああ、それは違う。おじいさんが砂岩加工師だったんだ。それで興味を持って、羊の世話をしている傍ら習ったんだ」
 テルルはまじまじとセーンを見る。
「お前、きっと将来食うのに困らないな」
「何言ってんだよ。俺はずっとこの村で同じ暮らしをするんだ。食べるのには元から困らないだろう」
「……宝の持ち腐れだな」
 テルルは最後呟くように言うにとどめた。
 実はテルルの驚きは最もで、セーンは十三歳にしてはあり得ない知識と技術を両親によって叩き込まれていた。それは万が一、セーンが王宮で三大王家の一員として過ごすことを望んだ場合を想定しての両親の英才教育だった。
 セーンの両親は二人とも王家出身。それに加えて二人とも教師に近い仕事をしていたのだから、教え方は巧い。セーンは知らないうちに、礼儀作法に始まり、帝王学、経済学、医術、神学、戦術など多岐に渡る事を叩きこまれていた。
 一般教養は学校に任せ、それ以外の高等かつ専門的な学習を両親との会話や一問一答などの毎日行われる夕食後の討論によって知らずの内に培っていたのだった。
「で、話を戻すけど、テルルはなんであそこに落ちてたんだ?」
「ああ。追われたんだよ」
「追われた? 野犬か何かか?」
 冬が差し迫った時や、雪解け間もない頃は食料を求めて、野獣が暴れることがあるが、テルルと出会った時はそういう時期ではなかったが。
「いや、人だ。暗君に追われてた」
「……キョセル? なんでそんなのに?」
 英才教育を知らずに受けていたセーンは事態をすぐに察知した。
「俺の仕事は、そうだなぁ……何でも屋みたいなもんでさ。とある貴族から依頼を受けたんだよ。依頼内容はとある人の死因を調べてくれてってことだったんだけどな。それをつついていくうちに巨大な権力を持つ組織を敵に回してな、で、追われる羽目になったのさ」
「危険な仕事だったのか?」
 テルルは微笑んだ。
「いつもそれなりの仕事さ。ただ相手が悪かったな。で、へましちまった」
 キョセルから逃げるのはそうそうできることではない。逃げ切れただけ、命があって一応五体満足なだけ、テルルは運がよかったのだ。
「そっか。で、その人の死因はわかったの?」
「それがよ、イマイチわからないんだ。一番大切な部分が欠けてる」
 セーンはしばらく言うのをためらっていたが、言う事を決めた様で、テルルに尋ねる。
「怪我が治ったら、またその危ない仕事をするのか?」
 その表情はテルルを案じているものだ。
「そうだな。依頼人は本当に苦しくて辛いと思うんだ。だから、死因を晴らすことで、少しでも心が軽くなるなら、俺はやるよ」
「……そうだな。つらいよな。でも、でもさ! テルルも無理するなよ」
 テルルはふっと笑ってセーンの頭をぐりぐりと撫でる。セーンがくすぐったそうに声を上げて笑った。
「なぁ、セーン。唄ってくれよ」
「え?」
「砂岩を創る時、いつも歌っているじゃないか。あれ、歌ってくれよ」
「ああ、加工の唄な」
 砂岩の加工は彫刻のように道具と手を使うが、色素を変えたり、祝詞や誓約を混ぜる時は唄を使う。砂岩加工師は唄が巧くないと慣れない職業でもある。セーンに加工法を教えたおじいさんも唄が巧い。
「いいよ。丁度あるからな」
 鞄から石を取り出し、太陽に翳す。何を創るかまだ決めていない。
「そうだ! テルル、何を創って欲しい?」
 テルルは広がる草原に寝転んで、空を眺める。
 ――平和だ。
「守り石がいい」
「いいよ。色は?」
 雲が流れゆく。草が囁くように、歌うようにさわさわと音を立てる。
 ここはいい村だ。争いごとからも遠く、皆が平和で、自然と共に力強く生きている。
「お前の目のような緑がいい」
「緑な」
 セーンが笑う。指が繊細に石を撫で、そしてセーンが祈るように囁くように、歌い出す。
 少年独特の高い声が、谷間にすーっと流れ、響く。
 ――美しい唄だ。安らぐ声だ。
 テルルは安心しきってセーンの声に耳を傾けながら目を閉じた。