モグトワールの遺跡 016

062

 密かにエイローズの屋敷の隣にある雑木林まで移動したグッカスは、素人目だが、矢が放ちやすく、なおかつルビーが囚われている場所にテラが矢を放てる場所に目算をつけた。
 そのまま、気配を殺して、渡された火晶石を握りこむ。そしてその火晶石を自分から少し離れた地面に置いた。火晶石で転移するということは、おそらくあの火晶石は燃えるのだろうと予想してのことだ。
 グッカスは楓たちと別れた後に、屋敷の者にある物を要求し、それを持ってきた。そして、二人を待つ。
 ――ボッ!
 着火音が響いた刹那、橙色の炎が何もない雑木林の隙間で広がり、大きめな炎の中心に影が映る。影が映ったと思った時にはその影が色を濃くし、そのまま人影となって炎から二人の人間が吐きだされるように出現した。二人が移動した後には、あんなに燃え盛った炎は瞬時に消え、火晶石は半分に割れた後に、昇華するように塵も残さず消えていた。役目を終えた晶石は消えるからだろう。
「待たせた?」
 初めて転移を経験したテラは自分の感覚に慣れないようで身体をあちこち触ったり、きょろきょろと辺りを見渡していた。炎の宝人である楓は至って普通の様ですぐにグッカスに声を掛ける。
「いや、どうだろうな」
 何せ、時間を確認しようにも木のせいで太陽の位置を確認できないからだ。
「じゃ、早速やろうか」
 テラがようやく転移の感覚を忘れたのか、切り替えたのか知らないがグッカスに声を掛けた。
「その前に、これを着ろ」
 グッカスは用意した黒衣を二人に手渡す。
「なにこれ?」
 テラが手に取ってうろん気に、楓が不思議そうに視線で問う。
「相手はやり手の女当主だ。何故かセダの名を知っていた。もしかすると、俺たちの名前位はばれていると思う。姿を隠した方がいい。テラは矢を放った後でもいいが、楓は最初から着ておけ」
 楓は素直に頷いて、グッカスに手ほどきを受けながらなんとか目線だけのぞかせるような、見事な妖しい不審人物に早変わりした。テラは着ようか迷っていたようだったが、腕の、特に弓を引く動作に邪魔になると判断したようで、着こみはしなかった。
「それと、楓。お前は契約紋の色で何を扱う宝人かすぐに知れる。絶対フードは取るなよ」
「うん」
 深いフードのおかげで目立つ契約紋は見えない状態になっている。
「あと前にヌグファに聞いた事が在るんだが……。楓、炎を出す際にモーションをくわえてほしいんだ。できるか?」
「モーション?」
 グッカスが頷いた。
「魔法の基本は円らしい。つまり炎を出す前に適当に円形を空中に描くフリができれば宝人の仕業とは思われにくいというわけだ」
 魔法は使いやすさから近代魔法が圧倒的に使用者が多いが、古代魔法なら詠唱がいらず、複雑な魔法が可能となる場合が多い。炎の宝人が少ない現実と火が付きにくいゆえに炎の魔法が滅多に使用されないことからして、宝人の炎と魔法の炎の見分けがつかないと踏んだ訳だ。魔法使いと勝手に思ってくれるとこちらは正体がばれる確率がいっきに下がる。
「それって、こんな感じ?」
 楓は目の前で大きな円を空中に描くとその指先を追うように火が一瞬点り、炎の円形が描かれて消えた。
「んー? こんな感じだよ」
 テラがルームメイト同士、見たことがあるのか身体の前で円を描き、その後で何かを付け加えるように複雑に手を滑らせた後で言う。魔法使いがみれば一瞬でばれそうな魔法陣の真似だった。
「こんな動作の後にポッと火が付けばリアルな魔法ってとこじゃない?」
「そうだな。そんな動きが近いか」
 ヌグファは近代魔法と古代魔法を両方使うので、二人の記憶もあいまいだ。他の魔法科の生徒も数多く見えているはずなのだが。近くにいる者が印象強くなってしまうと言うところか。
「ええっと……」
 テラのまねをするように楓が円形を描いた後に適当に指を動かして、炎が点る。
「こんな感じ?」
「そうそう。だいぶ近い」
「いいんじゃないか」
「……不安が残るね。余裕があれば出来そうだけど」
「近場に宝人がいれば別だが、人間相手なら騙せそうだな。もちろん、余裕があればでいい」
「わかった」
 楓は緊張と不安を隠すようにフードを深くかぶりなおした。テラが笑いかけて楓の肩を叩くと、やっと辺りを見渡した。
「あの尖塔の窓?」
「そうだ」
 それを確認したテラは木々の枝の位置を確認すると良さそうな場所を自分で見つくろい、樹に登り始めた。
「グッカス。悪いけれど、転移は僕と触れ合っていないと一緒に運べないんだ。テラと手と繋いだままで僕が転移してくるのを待つかしてくれると助かるんだけれど」
 グッカスはそれを聞いてその状況を軽く考えたようだ。
「わかった。テラの肩に小鳥の姿で留っていることにする。俺の姿が見えなくても気にするな。最悪鳥の姿でやり過ごせるし、自分で帰れるから」
「そう。わかった」
 楓は頷くと、尖塔に視線を向け、テラを見上げた。
 一番に位置にある枝を選んだテラはしばらく風向きと強さを確認しているようだ。テラの前髪が時折風になびいている。テラは静かに姿勢を正した。グッカスは真下からそれを見上げている。背に背負った少女が持つには大きな弓を下ろし、弦の張り具合を確かめる。 そして、深呼吸を一回。
 準備が整ったようだ。
 テラが静かに弓を構え、すっと視線をはるか彼方に向ける。番えた矢の飾り羽には小さな火晶石がくくりつけられていた。見ているだけで弓弦が引っ張られる音が聞こえてきそうなほどに、テラの全身を使って弓が引かれて行く。引いている途中は弦の強さに負けて震えていた指先も、引き切ってしまえばびたりとも動かない。見据えられた目。引きしまった口。定まった的。
 パン。
 乾いた音を立てて矢が放たれた。残心を崩さず、そのままの姿勢をしばらく保ったまま、テラは矢の行方を追った。自分の腕を信じていないわけではないが、最後までいつも少しの不安があったりする。その刹那の思考さえ奪うように、本当に矢は瞬時に結果を知らせてくれるのだが。
 ガシャーン。
 距離が遠いおかげでそこまで大きな音ではなく、まるで嘘のように聴こえたが、確かに的が外れなかった証拠だ。テラはようやく姿勢を崩し、小さくガッツポーズをした。下を向いて二人を見ようとした時、音もなく楓が炎と共に消えた。――転移したのだ。それを見て、作戦はむしろこれからだと気を引き締め直し、弓を素早く背負いなおして樹を降りる。
「さすがだな、テラ」
 グッカスの短い賛辞に少し照れながら、黒衣を身につける。するとグッカスが小鳥に変じてテラの肩に止まった。
「これだと目立ちそうだ。テラ黒衣の中に入れてもらってもいいか?」
「ん? どうぞ」
 少し襟元を緩めると温かな小鳥が飛びこんで、動かなくなる。
「楓大丈夫かなぁ?」
「どうだろうな」
 耳元で声が聞こえるのが少しくすぐったい。
「なんにせよ、賽は投げられた、むしろ矢は放たれた」
「そうね」
 二人は窓ガラスが無残にも破られた、ここからでは小さな的を眺めつづけた。

 矢が狙い通りに窓を突き破って室内に侵入した。それを確認した刹那、楓は己が生み出した火石に向かって転移した。
 ――だが。
(……どういう状況??)
 楓が混乱したのも無理はなかった。なにせ、ルビーだけがいると思われた部屋には複数の人がいたからだ。そういう意味では変装を指示したグッカスは場数を踏んでいて先見の明がある。
 ルビーの顔は覚えていたからすぐにわかった。壁際に追い詰められている小柄な少女だ。ルビーの前には漆黒のドレスを着こなした美女が新たに侵入した楓を睨みつけている。その他にはおそらくここの屋敷の人物であろう臙脂色のエンブレムを付けた同じ服を着た人が数人入口の付近におり、何より楓が混乱したのは、自分と同じような黒い衣に身を包んだ、あからさまにあやしー人物がエイローズの屋敷の人とにらみ合っていたからだ。
「またしても曲者か!」
 美女、当主のアーリアが叫び、エイローズの者が緊張する。
「仲間か? 人の屋敷を壊して日中から堂々としたことだな!!」
 だが、当然元々怪しげな人と楓はお知り合いではない。怪しげな人たちも新たな侵入者である楓に殺気を向けている。
(困ったな)
 こんなに人がいるとも思わなかった。そこは楓の経験の浅さが招いた結果だろう。困っているテラたちになにか手伝ってあげたくて快く引き受けたのだが、ルビーを攫う為に他の人間と争うという想定をしていなかったのである。
「まとめてひっとらえよ!」
 アーリアが叫び、エイローズの屋敷の者が武装して部屋に入ってくる。黒い服の者らは応戦しつつも、残った人数でアーリアとルビーを囲む。それも当然で狭いこの部屋では入ってこられる人数も限られている。
「その少女を渡せ」
 黒服の一人がアーリアに言う。
「誰に物を言っている!!」
 アーリアが肩を怒らせて逆に言い返した。
「怪我をすることになるぞ!」
「それでわたくしを脅せると思うか!!」
 武器も何一つ持っていない少女は胸を張って侵入者である黒衣の者をにらみ返した。そうやっている間にも黒衣の一人が楓を排除しようと向かってくる。
(傷つけないで)
 小さく指先で円を描いて、その後に適当に指を走らせる。そして向かってきた黒服に向けて指を差す。
 ――ボッ!!!
「うわぁあああ!!」
 男がフードの先に点った炎を見て、仰天し、部屋を後退しつつ、というか、駆けまわる。
(よし、こんな感じでいこう)
 楓は先程より大きな円を描き、縦横無尽に腕だけでダンスを踊るように動かす。一瞬で黒服たちが一部燃えだした。場は一気に混乱する。その間に楓はアーリアの前まで移動する。
「わたくしも燃やすか?」
 黒服の仲間ではないと分かったと見え、アーリアがそう言う。相変わらずに敵意はそのままだ。
(どうしようか)
 屋敷に侵入して、それを守ろうとした主人に見えた楓にとって、この女性に恐怖心を与えるのは気が引けた。
「どうした? やってみるがいい!」
 アーリアは炎を恐れなさそうだ。楓は指をアーリアの前に差し出す。アーリアは瞬きもせずにその指を視線だけで折ろうかと言う位の眼光だった。だが、そうやってルビーから視線が逸れた刹那、楓はルビーの腕を取った。
(テラ!!)
 念じて、瞬時応えるかのように明るい炎が燃える!

 ――テラ!!
「来る!」
 テラが短く叫んだ刹那、雑巾林の先の方で、こっちだ、という声が聞こえた。
 ルビーの部屋で何が起きているかは知らずとも、硝子が割られた方向からどこから矢が射られたかを察し、警備の者が駆け付けると踏んだからこそ、グッカスはテラにも変装をさせたのである。
「楓か?」
「たぶん」
 足音が近づいてくる。まだテラの耳には届かないかもしれないが、グッカスの内心は焦る。
 しかし、次の瞬間、着火音が聞こえ、黒い服の少年がしっかりルビーの腕を握って姿を現した。
「急げ!」
 グッカスが叫ぶと楓は返事もせずに反対の手でテラの手を取った。
 瞬時、炎が燃え、刹那で消える。
「くそ! いないぞ! 周囲を探せ」
 炎で消え去ったとも知らず、エイローズの屋敷の警備兵は辺りの散策を続けた。

 楓が炎で転移した後、残された尖塔の部屋では、目的の人物が消えたと知って、黒服が窓から一斉に逃げ出した。
「逃すな!」
 アーリアの命令がなくとも、すでに侵入者を追うキョセルが放たれているはずだった。
「アーリア様……」
「わかってるわ。貴方達の不手際じゃない。どうやらあの子を狙う者は複数いるようね。カール!」
 アーリアが呼ぶと背後に黒い影が控える。
「ユンと共に最重要に今のやつらを探って」
 カールと呼ばれた青年が頷く。
「腐れジジ王め。ついに尻尾を出したわね……」
 アーリアはそう言って反転する。この部屋にもう用はない、と言いたげに。

「うわぁ!」
 小屋の中で一行を待つヌグファと光の元に大きな炎が噴き上がるようにして三人の人影が現れた。
 声を上げたのはテラでもグッカスでもましてや楓でもない。ルビーだった。
「追っ手は?」
「たぶん大丈夫」
 答えたのは楓。投げ出された形でへたり込んだルビーは状況がつかめなくて益々混乱する。
「セダたちは?」
 テラが尋ね、ヌグファが応える。
「まだです。ですが念をということで、この小屋の出入りは楓の転移に頼ろうという話をリュミィと」
「それがいい」
 グッカスが目を白黒させているルビーの視界に入らない場所で人に戻る。
「楓すごーい」
「いや、初めてで、僕もどきどきだよ」
 光と楓が微笑ましい会話をする。テラが黒衣を脱ぎ捨て、ルビーの目の前に座った。
「初めまして。ルビーさん。私はテラ」
 手を差し出すが、警戒に戻ったルビーは手を握り返そうとはしない。
「助けてもらって感謝するけど、あんたら何?」
「えっと、何って……えっと、なんだっけ?」
 テラがグッカスを振り返った。グッカスが呆れた声で言った。
「お前馬鹿か」
「とりあえず、あんたはエイローズから追われていて捕まりたくないんだろう? それを傍で見てたお人よしがいて、そいつの指示であんたを攫ってきた。逃げられると苦労が水の泡になる」
 グッカスがそう言うと、ルビーは疑惑の眼差しを向ける。
「お人よし?」
「そ。底なしのな。あんたが捕まる時に一緒の場所にいて、お茶に誘われたお嬢さまのお付をしてた金髪少年。あれ」
 ルビーが目を丸くした。
「ってことは、ここはヴァン家!?」
 中々洞察力のある人物の様だ。
「ご明察」
 テラが笑う。
「冗談じゃない!」
 立ち上がったルビーに向けてテラが腕をつかんだ。グッカスが溜息をつく。
「いや。俺たちはヴァン家の者じゃない。というか、土の大陸の人間ですらない。あんたらの事情はおそらく半分も知らない」
「土の大陸じゃ……ない?」
 驚きが少し交った顔で尋ねると全員が首を縦に振った。
「私たち、水の大陸のセヴンスクールと言って、ご存じかわかりませんが、そこの生徒です」
 ヌグファが苦笑しつつ言った。
「まぁ、俺らが世話になっているミィはけっこう間抜けだし、裏表ないし、嘘つける器用人じゃないからな。信用してくれと言って信用しなさそうだが、数日気を静めるつもりでいてくれると助かる。少なくともあんたを助けたがったセダとミィが戻ってくるまではな」
「そうそ。あなたを助ける為にミィは苦手なアーリアさんだっけ? とお茶したし、セダも慣れない場所を承知で時間稼ぎしたんだから。ちょっとは信じてほしいわ」
 テラが笑いながら言う。
「ちょっとでも隠すと信用なくしそうだし、状況を教えましょうか?」
 テラがにっこり笑いながら言う。
「ここはヴァン家の敷地内なんだけれど、その中でもミィとミィの双子のキィと二人のお付の人しか知らない場所なの。倉庫の一つって言ってたかしら? そこを間借りさせてもらったの。あなたを匿う為にね」
「匿う?」
「そう。なんか追われているみたいだし。しかもこの国キョセルだっけ? っていうのがいるからさ、ただヴァン家に招いたらばれちゃうかなってない知恵振り絞ったのよー? で、こういう待遇になってます」
 おわかり? と言いたげにテラが窓の外を示した。
「で、どこまで効くかわかんないんだけれど、そこにいるヌグファが魔法でこの小屋全体に人避けの魔法をかけているの。人の移動はさっき経験したと思うけど、宝人の楓がやってくれるわ。これであなたがここにいることはまずばれないかなーって思っているの」
 楓が照れたように軽く手を振った。光も一緒に振っているのが何故か微笑ましい。
「じゃ、あんたらで保護してくれるってそういう話? ずいぶん親切なんだねー。犯罪者とか考えなかったの?」
 疑惑の目線はまだ緩まないようだ。それはそうだろう。あそこまで徹底的に逃げて隠れてきたのだ。ちょっとした事で人を信頼して、痛い目に何度もあって来たのかもしれない。
「あなたはそんなことしていない。だって魂がこんなに澄んでいる人も珍しい」
 光が遠くを見るような目でそう言った。言われた瞬間に少女が驚く。
「何言って……?」
「一応紹介するわね。彼女は光。彼女も宝人で、宝人だけの特技を持っている子なの」
 ええっと、と言いたげにテラが光を見る。光もなんと説明しようかと思っているようだ。そこにグッカスが割り込む。
「まぁ、状況は分かってもらえただろう。とりあえず、セダたちも戻らないことだ。こちらに害意がないことは少なくとも理解してもらえただろう。少し休んでもらえばどうだ?」
「じゃ、案内するよ! 一生懸命掃除したんだ」
 光がそう言って、ルビーの手を取って二階に誘う。一人の空間の方が安心するかと、皆と別れた後に二階を掃除したのだ。楓も一緒に二階に上がっていく。テラたちはあえてそれについて行かず、二人に任せる事にした。
「さて、これでどうなることかな」
 グッカスがそう言う。
「まったく、とんだ大事に巻き込まれたものですわ」
 リュミィが初めて口を開く。
「そうだな。だが、あの少女、じゃなくて彼が鍵を握っていることには間違いないんだ。世話になっている手前、ミィには手助けしてやるべきだろう」
「……あれ? いつもより親切じゃん。グッカス」
 グッカスは鼻を鳴らして、ふいっと横を向く。その様子を見てヌグファが軽く笑った。