068
いつもの様な日常を過ごしていたキィとカナの元に顔色を変えたファゴがキィを呼びに来た。カナは素振りをする手を一端止め、深刻そうな顔をしているファゴに、どうしたと聞こうとした。
「キィ様」
キィは本を閉じて立ち上がる。
「……ジルドレ様、いえ、岩盤大君陛下が、お見えです」
「そうか」
キィは頷くに留め、着崩していた神官服をきっちり着こむとファゴを伴って素早くキィは部屋を出て行った。
「どうしたんだろうな、二人とも」
カナがそう言うと、ファンランが不安そうに二人が出て行った扉を見つめる。
「もしや、カナ様」
「ん?」
「いえ、お二人をお待ちしましょう」
「……? ああ」
付人であるファゴは部屋の外で待機の体制を取る。同室はできないのだ。キィはファゴの肩を軽く叩いて部屋に入る。
「おはようございます。キィ、まかり越してございます」
入室して正式な拝礼を取るその姿は、厳粛な神官見習いそのものだった。
「よく来ましたね。キィ様。さぁ、こちらへお掛け下さい。陛下も御待ちでございます」
神官長が告げ、キィは頭を上げると立ち上がって示された席に着いた。
「お久しぶりにございます、岩盤大君陛下」
席について、一番の上座に座っている初老の男性に頭を下げる。
「よしてくれ。久々に顔を見せるのだ。そうかしこまらずともよい。いつもの様に叔父様とでも呼んでくれ」
「はい。ジルドレ叔父様」
「神官長よ、うちのものがいつも世話をかける。どうだ? キィやティズの様子は?」
「それはもう……」
「よして下さいよ、叔父様。そんな本人を目の前にしたら、神官長もお答えしづらいでしょう。私のいない時になさって下さいよ」
キィが笑ってたしなめた。
「それもそうか。すまないな、神官長」
神官長は居づらそうだ。外見からして強面のジルドレを苦手に思っているのかもしれない。
「お二人で積るお話もおありでしょう。陛下、わたくしは隣室に居りますので、何かございましたらお呼び下さいませ。では、こちらを」
神官長はそう言って畳まれた封書をジルドレに手渡し、足早に去っていった。
「なにもそう邪険にせずともよいのになあ、キィ?」
「ははは。お気を使われてしまわれたようですね」
キィも二人きりになった事でようやく本音で話せる。ジルドレに向かい合った。
「で、突然のお越し。一体何をたくらんでいらっしゃいます?」
「相変わらず身内には核心をついてくる。まぁ、時間がないのを気遣ってくれているのか」
ジルドレはに苦笑いしつつ、封書を開いた。そしてそれをキィに差し出す。キィはそれを見て、しばらく黙った。
「これは? と聞くのは、愚かな事でしょうか?」
キィは静かにそう言って封書を伏せた。
「さすがよの。わかっているか」
「さすがに、わが身がこの場所にある事を考えれば」
キィは黙る。ジルドレも無言だ。
「神官長に占わせた。そこに記される来月の吉日、生贄の儀式を行う」
「我が身も残り二十日程度ですか」
キィはさすがに堪えたのか、上を向いて溜息をついた。
「済まない。我らヴァンの責務ゆえ、神子として使命を全うしてくれるか」
キィは眼を伏せて答えない。
「もう少し先だと思っておりましたが、ずいぶん早急にお決めになられましたね。もっと前に事前のお話くらい頂けるものと思っておりました」
ふぅっと少しも隠す様子もなく溜息をつく。
「急なこととなって済まないが、他家や国民を押さえておくのももう限界なのだ。現在の大君も私一人だしな」
「御一人で国を支えてこられた御苦労は私では察することもできませんが……」
キィも言葉がなかなか続かない。
「お前には次世代のヴァンを支えてほしかったのだが……私としても残念だ」
「それは私が次代の当主に、ということですか?」
ジルドレは重く頷いた。だが、キィは神子だ。現在も次期王が立たない。ゆえに生贄として魔神に捧げられる。
――今のままであれば、キィに未来はない。
「これからお前は残り少ない時間をできるだけお前の自由取り計らうつもりだ。何か望みはあるか?」
呆然としてキィが言う。
「のぞみ……?」
「そうだな。もう神殿に居らずとも良い。ヴァン家に戻るか? 久々にミィにも会いたかろう」
キィはしばらく額を抑えながら黙っていたが、ふっと窓の外を眺め、口を開いた。
「いえ。神子として選ばれたからには最後までこの身は神殿にあるのが良いでしょう」
ジルドレがさすがに驚いてキィを見返す。
「ただ私の自由にして頂けるなら、ミィを、ミィのことをお願いしたいのです」
「ミィのことか?」
キィは頷いた。
「ご覧の通り、ミィは王家には不向きです。しかし生まれついた家は、運命は誰も選べません。私が神子に選ばれた事も。だからこそ、ミィの将来の自由を私は望みます」
それだけは意志を通しておきたい。キィの目線がジルドレを射抜くように見つめる。
「ミィの自由? それはどういう意味だ?」
「ミィは王家の直系の人間です。責任も重い位に将来就かねばならないでしょう。結婚も自由にはできないと思います。でも、私はミィにいつでも笑っていて欲しい。ミィの笑顔が、その素直でまっすぐなその性質こそがヴァン家で最も必要で、人に好かれるところだと思います。ミィの自由を家が縛ってはいけない。それではミィの良さを殺してしまう。私は私が将来、ミィが自由にあれるよう支えるつもりでした。しかしそれが叶わないなら、ミィが自由であるよう、それだけを私は望みます」
ジルドレは驚き、キィを見返す。
「お前はミィの事をそんなに考えておるのか」
キィはそこで朗らかに笑う。
「先程、叔父様は私が次の当主に相応しいと仰いました。私の考えは違います。ミィこそが、次代のヴァンを担うに相応しいと思っています」
「ミィが、だと……?」
思いもよらない名前にジルドレがキィに訊き返す。
「はい。私の様に少し頭の回転がよい人間はどこにでも居ります。小手先で何事もできるような小物はいつの時代でも居るものです。しかし、ミィは違います。たとえ知識が足りずとも、ミィは誰もがミィのために動こうと思わせる力があります。力が足りずともそれを補うだけの味方を、部下をそろえる事ができます。何より、敵を作らないその行動こそ、誰にでもできるものではありません」
ジルドレは半ばあきれつつ、驚きながら呟く。
「お前はミィに次期当主を推すか」
「いいえ。それはミィ次第です。私が決められる事ではありません」
キィはそう言って首を横に振る。
「私の望みはただ一つ、ミィが自由である事です」
「なぜ、そこまでミィを気遣う? 双子とはそこまで情が深いものか?」
キィはそれこそ笑いながら言いきった。
「それができるからこそミィの力です。俺がいない未来、ミィの事を頼めるのは父様か叔父様しかおりません。ミィの事を頼む為、残りの一カ月私は神殿で力を尽くします。次世代の砂礫大君はヴァンから出るでしょう。誰がなっても万事事が運ぶよう、神殿の把握はほぼ済んでいます。今はルイーゼ家の当主、アイリス様の付人である青年に取り入っております。ルイーゼとのパイプはそれで成りましょう。些事はすべて私が片付けると約束します。ですからミィの事だけはどうか……。死人とはいえ約束を破らねば、神子という特殊ゆえ、どうなるかはわかりませんよ?」
少し早口になりながらキィが告げる。
「そなた、大君であり、実の身内であるこの私を脅すか」
くくくと笑うジルドレに慌てて手を振って否定するキィ。
「いえ、そのようなつもりは」
「わかった。お前がミィのことをどれだけ本気かはわかった。しかし、神殿内の把握は愚息に命じたはずだが、まさか入って浅いお前が成し遂げようとは」
キィは肩を竦める。
「そこまでの大事ではありません。今は砂礫大君がおりませんから」
キィはそう言う。カナが驚いた位、キィはあっという間に神殿を自由に動かした。
「大事ではないと抜かすか。まったくその才、本当に惜しい。お前ならあの魔女の小娘とやりあえるのにな」
キィは少し思案する顔をした。
「アーリア様、そこまでの者ですか?」
「小憎たらしい位にはな。人の痛いところを遠隔に突くのが巧い小娘だ。口先の達者なエイローズらしいといえばそうだな」
「さすが聡明なお譲さまですね。では後の憂いをなくすべく、少しの自由を許して頂ければエイローズへも手を打ちましょうか。私が生きているうちに」
「それには及ばぬ。お前には残りを自由にヴァンも関係なく己のしたい事だけを思っておればよい。それにエイローズはミィの方が手を出しておるようだしな。少しそれを見守ろうかと思う」
「ミィが?!」
笑いながらお茶を掲げ、ジルドレが言う。
「あの小娘とお茶などをしたようだ。口車では負けようが、意地だけは通しそうだろう?」
ジルドレの笑みに本気でミィを見守る気があるのか、見極めようとするキィだが、それよりもアーリアに接触したミィがまた暴走していないか、そちらの方が心配だ。
「気になるか?」
「いえ。ご迷惑をおかけしていないなら良いのですが」
「そうだな。迷惑を掛けるようなことがあれば、エイローズに借りを作る事になろう。その前に止めるが。それよりは私はあの小娘が何を思ってミィに近づいたか、その方が気になるがな」
キィはお茶を飲みながら瞬時に思考する。
「そこまでお気になさらずともよいのでは? おおむね次期ヴァンの当主候補に辺りを付けておこうと考えた程度だと思いますよ」
キィはそう言う。各家はそれぞれ次期当主を考えていろいろ各策を始める時期だ。自分に何も来ないのは神殿に入っているせいだ。そう考えるとカナの性格さえ利用してキィに接触してきたアイリスはアーリアよりわかりにくい。ちらりと時間を確認し、ジルドレが言う。
「そうか。話が動いたが、生贄の儀式の件は了承してくれたと思ってよいな?」
「はい。謹んでお受けいたします。ヴァンの当代の神子として、勤めを果たして参る所存」
「そうか。この事は触れを出す。よいな?」
「……はい」
キィはそれで少し思いついたように言った。
「触れを出すということはいろいろありそうです。面会は謝絶にしていただけますか。神殿にて儀式まで祈りを捧げるということで」
キィが生贄の儀式を行うと分かれば各家だけではなく様々な貴族など何からかにまで、様々な者が面会に訪れ、心ない言葉を落として行くだろう。それはキィにとってかなり不愉快だ。それ以上に面倒そうである。
誰もが行われる事無い初めてといっていい生贄の儀式を表面上は同情しつつ、内心は好奇心でいっぱいなはずだ。そんなのは反吐が出る。
「そうだな。お前の心情を考えるとそれは当然か。神官長にも言っておく」
「ありがたき御心遣いです」
「ジルガラは後で伝え、ここに呼ぶとして、女であるミィはどうする? 落ちついて話すにはやはり一度位ヴァン家に戻ってはどうだ? お前も生まれ育った場所をもう一度見たいだろう?」
それまで微笑みながらも会話をつづけていたキィだったが、その言葉が出た瞬間、動きを止めた。表情も固まっている。
「……ミィへの別れを言わぬとはさすがになかろう? さすがにそんなことをすれば私がミィに恨まれる」
「ティズ様から伝わっていると思いますが、ミィは一度私を神殿から攫おうと致しました」
「聞いている」
キィは初めて辛く、苦しい表情を浮かべる。
「現実味が帯びた今、もう一度ミィにその手を差し伸べられたら、私はその手を取らない自信が……ありません」
ぐっとテーブルの下でキィは拳を握りしめる。
「お願いします。儀式のその当日まで絶対私とミィを会わせないで下さい」
「何故だ! ミィを一番に思っているのだろう」
ジルドレの感情を込めた声に、キィも押し殺した声で返す。
「だからです! ミィと会って話し、もし、ミィに泣かれたら……俺は!! 俺はっ! ……死ぬ覚悟が揺らぎます。儀式から逃げ出してしまう。きっと! 俺は投げ出してしまいます。決意がきっと揺らぐ。だから、ミィと会うのは、もう逃げられない状況の最後の最後でいいのです」
キィはつらそうにそう言って視線を下に向けた。慌ててジルドレが肩を叩く。
「いえ、取り乱しまして、申し訳ありません」
キィはそう言って頭を下げる。ジルドレは鷹揚に頷くと席を立った。キィも続いて立ち上がる。
「では、もう少しお前と語っていたいが……残り、自由に達者にな。望みは出来る限り叶える。いつでも言うと良い。また、来る」
「ありがとうございます」
扉の側で控えるファゴに気付くとジルドレは一声かける。
「キィにしっかりと仕えよ、ファゴ」
「はい」
ファゴは拝礼したまま、ジルドレを見送る。
その後キィと共にジルドレを見送るとカナの待つ自室へ無言で戻った。扉を開けるとカナとファンランが心配そうな顔を向ける。キィは仕方ない時に見せる独特の笑みを見せると襟元を緩めた。
「あのさ、何だったんだ?」
カナは口火を切る。キィは定位置に戻って寝転がると、読みかけの大綱を開いた。
「んー。俺、来月の吉日に生贄の儀式受ける事にしたから」
さらりと言う。ページをめくる音が部屋の中に響き渡った。
「はぁあああ!!?」
カナが叫んだ。ファンランも眼を丸くして、ファゴを見つめる。
「おい! お前、それって!!」
「ん? 聞いた通り。俺、来月死ぬから」
カナはキィに駆け寄って読んでいる大綱を手から叩き落とし、胸倉をつかんだ。
「本気で言ってんのか?!」
キィはやれやれと溜息をついて、カナの手をゆっくり外させた。
「乱暴だな。本気だよ。俺が神殿に入っているのは元々その為だぞ? 当然のことだ。まぁ、そろそろとは思ってたんだよ。俺、再来月誕生月だしさ」
カナが信じられない目でキィを見る。
「誕生日……お前、いくつになる?」
「十九になる。王に選ばれる可能性が消える日だ。まぁ、本当は誕生日を迎えてから儀式の話が来ると踏んでたんだが、きっと何かあったんだろうな」
キィは平然とそう言う。
「お前、なんでそうなんだよ! お前、死んじゃうんだぞ?!」
「そうです。キィ様! 何故ですか?」
ファンランも心配そうにそう言った。対するキィはジルドレの前でつらそうにしていたのが嘘の様に平然としている。
「いやさ、さっきまで俺も死んじゃうのかー。短い人生だったなぁとか考えてたんだけど。お前の顔見て思い出したんだわ」
キィはそう言ってカナを指差した。指差されたカナは当惑している。
「ああ、俺には『保険』があった、ってね」
キィはカナに向けていた人差し指を己の項に持って行ってとんとんと叩きながら示す。
「あ、そうか」
カナも思いだして少しほっとした顔をする。
「じゃ、俺今すぐにでも、王紋を見せて宣言すれば……!」
キィは落とされた大綱を拾ってそれをカナの頭に落とした。鈍い音がしてカナが瞬時に呻く。
「はい、却下ー」
「ってぇな! なんでだよ!!」
キィが呆れて口を開いた。
「お前、なんでここにいる面子以外に王になったことを教えるなっつったか忘れた?」
「そりゃ、俺が危険だからだろ?! でもさ、お前が死ぬってのに、そんなこと……!」
キィは苦笑する。神殿に来ていいことがあったとすれば、カナと友達になれた事だろう。
「言っただろ? お前は俺の保険。俺も早々死ぬつもりはない。お前は最後の最後に俺を助けてくれればいいんだ。お前が安全に王になる為に、残り一カ月死力を尽くしてやるから。まぁ、見てな」
キィはそう言う。カナは信じられない。残り一カ月しかない人生を、カナのために使うと言う。いや、本人は死ぬ気はないようだが。
「なんでだよ? お前、何をするつもりなんだ? 俺が王と言えば何がそんなに危険なんだよ?」
キィはそう言われ、身を起こし、カナに言った。
「俺は以前エイローズの次期王が逃げているかもしれないからお前も危険と言った。その理由はわからない。だけど、たぶん、この謎を解くと全てが一気に解決する、そんな気がするんだ」
広げられた大綱を見つめ、キィは呟いた。
「それにさ、もしもだけど。もしも、本当にエイローズで王が立っていないなら、おれが神子として役目を全うしなければいけないんだ。本当に」
「え」
カナもファンランもキィを見つめ返した。
「だってさ、絶対いるとは思うんだけどみんな俺の思い込みで、本当にエイローズに次の王がいないとしたら? 魔神に請うのは神子である俺の役目だろ?」
ファンランは呆然としてキィに言う。
「それは……それでわざわざ儀式を執り行うのですか?」
「まぁね。形だけでも国民には必要だろう。民の憂いを晴らすが、王家の責務ってね」
キィはそう言ってへらっと笑う。
「それにせっかく選ばれた新しい大君を暗殺なんて残らない形で失う訳にはいかない。お前には本当に次の岩盤大君として立ってもらわないといけないんだ。その為にはこのしこりを払う。まだまだ可能性と選択肢が多すぎて絞り込めないのが現状なんだが、残り一カ月でどこまで詰むかが勝負だな」
キィはそう言う。カナからすればキィが何を思い描いているかさっぱり分からない。
だが、一つだけ分かった事が在る。その証拠にファゴも諦めた様子で溜息しかついていない。
――キィは神殿の暗部に踏み込もうとしている。
その証拠に今、集められるだけの大綱の複写本を手元に取り寄せている。
この神子、ラストダッシュで何をやらかすつもりだ??