069
テルルがセーンを匿っている小屋に居候して二日経った頃、ミィとテルルは初めて出会った。ミィは有名なテルルと出会って感激し、興奮した様子だったが、テルルの存在を知らない水の大陸一行にとってはすごいらしい少女が来た、という印象しかなかった。
それを見て当のテルル本人ががっくりしていた。千変という二つ名を持つ姿を隠すのが十八番のくせに、目立ちたがりというか。セーンが呆れていた。
という調子で、すこぶる明るい調子で毎日が続いていたのだが、ミィが次にセーンの前に姿を現した時は、それは皆が気遣うのを通し越して、心配するような消沈ぶりだった。突然の豹変に誰もがミィを案じた。
「ミィ? どうしたんだ? さっきから溜息ばかりだぞ」
セダがそう問いかけると、慌てて笑顔を取りつくろって何でもないと言う。セダたちにはさっぱり事情が呑み込めないが、ミィに何かあったことだけは確かだった。
その原因は久々に街に出たグッカスとテラによって判明した。
「おい、まずい事になりそうだぞ」
グッカスが帰宅早々セダやヌグファを集めたことからもそれはわかる。
「どうしたんだ?」
セダたちは自室にこもってグッカスの話を聞く体制になる。
「超大変! どうやら、キィが生贄になるらしいの! 街中その話題でもちきり。来月にヴァンの神子が次代の大君を願って祈りを捧げるって……そういうことでしょ?」
テラもそう言う。その瞬間ここ数日でげっそり痩せたミィの姿に得心がいく。
「なんだって?!」
セダは信じられない顔をして二人を見るが、二人は至って真面目な様子だ。
「じゃ、ミィは……」
「お元気がない様子はそういうことですか」
ヌグファは口に手を当てて、驚いていいやら心配していいやらという顔をしている。
「どうすんだよ?」
「どうするも、こうするも……ミィが何も言ってこないってことはよ、私たちには秘密にしようとしてるんじゃない?」
テラがそう言う。確かに、前に救出作戦を失敗したセダ達を気遣っているのだろうか。
「いえ、違うんじゃないでしょうか」
ヌグファが考えながら言うと、テラとセダが答えを求めて視線を向ける。
「私たちではなく、セーンさんを気遣っていらっしゃるのでは? 私たちに伝われば、きっとセーンさんにも気付かれてしまうと思っての事じゃないかと思うんですけれど……」
ヌグファがそう言った瞬間、皆が納得して大きく頷く。
「そうかも!!」
「だな!」
「そうか。よく考えればミィなら俺たちに今度こそって頼ってきてもいいくらいだ」
ミィの双子の弟キィが生贄の儀式を執り行うと知れれば、王に選ばれているセーンはヴァン家にいることはセーンの性格からきっとできなくなる。今でさえ先行きのわからないまま、セーンも悩みながらヴァン家にいる状態なのに、そんなことが知れたらセーンはきっとヴァン家からは姿を消すだろう。
「じゃ、どうする?」
そうとなれば、セーンの前でキィの事を聞いたりは出来ない。
「どうするってもね、何かできるわけ? 私たち」
テラが一行を見渡す。互いに目を会わせる。
「でもさ、何かできるはずだろ?」
キィが拒否したとはいえ、ミィの願いを叶えることができなかったのに、ミィは一行をもてなしてくれた。それどころか巻き込んで悪いと謝ってさえくれたのだ。
「何かしてあげたいわよね」
「はい!」
「……今度こそキィを連れてくるか? おい、今度こそ誘拐犯にでもなるつもりか?」
グッカスがそう言う。そこでセダはうなだれる。確かに、一学生の自分達がもしできたとしても、誘拐まがいのことをして無事とは思えない。キィの傍には凄腕の剣士の少年もいたことだ。
「難しいよねー」
テラもそう言って頭を悩ませる。
「俺たちに出来る事などないに等しい」
グッカスも悩みながら言う。ミィに何かしてあげたい。ただ黙ってキィを死なせたくはない。
「楓の転移みたいにぱっと連れてこれたらいいのにねー」
テラが呟く。その瞬間、セダが言った。
「それだ!」
「え?」
テラがセダをうろん気な視線で見た。
「儀式ってことはさ、処刑じゃないんだから隙くらいはありそうだろ? その瞬間さ、楓に転移してもらえばいいんじゃねーの?」
「え? 結局誘拐するってこと?」
テラが笑いながら言う。セダらしく単純すぎる考えだから笑えてしまう。セダは何故か自信満々に言う。
「だって、そしたらキィは助かるだろ? ミィも泣かなくてすむじゃねーか」
「いやいやいや!! ちょっと待て! お前、本気か?!」
グッカスが額に手を当てて、このバカどうしようと言いたげに言う。
「なら、グッカス他にいい案あるのかよ?」
「いや、いい案と言うかだな……」
「テラにはセーンがいる小屋でも遠く離れた場所でもとりあえず離れた場所にいてもらってさ、楓にぱっ、ぱっ、って転移してもらえばいいんだよ」
グッカスが呆れて返って深い溜息をついた後、わざわざ大きく息を吸い込んで怒鳴った。
「馬鹿か! この国は魔神が王を選ぶ。その王が選ばれないから国民の悲願を背負って神子が生贄になるんだぞ! その国の一大イベントでその主人公をかっさらうだと?! できるわけないだろ! そもそもどう責任を取るんだ! それで王が選ばれなくなったらどうする?」
セダは怒るグッカスに慣れているので、あっけらかんとして言った。
「だってセーンは選ばれてるじゃねーか。魔神が選ばないってことがまず間違いだろ。キィは知らないから死にに行くようなもんじゃねーか」
「……確かに」
テラが頷いた。その点は正しいのでグッカスも言葉に詰まった。
「だろだろ」
うきうきとしてセダが言う。
「あ、でもいけるかもしれませんよ?」
「ヌグファまで!!」
グッカスが最後の砦が落ちたと言わんばかりに絶望的にヌグファを見る。その様子を視界に入れ、ヌグファが済まなさそうに肩をすくめつつ、言った。
「話を聞く限り、生贄の儀式は近年行われていない、いわば伝説的な儀式みたいです。なら、国民の皆さんが儀式の詳細を知る筈がありません。と、言う事はですよ? セダが言ったように転移で瞬間移動したように見せかけてキィさんの姿が消えれば、魔神の生贄に選ばれて姿を消した、と見せる事が可能じゃないかと思うんです」
「さっすがー!」
テラが手を叩く。セダも頷いて手を叩いた。
「いや、だが……」
つまり誰も知らないのだからキィの姿が掻き消えても、魔神に選ばれて姿を消したと思わせればキィは死なずに儀式を終えたことにできる、とヌグファは言ったわけである。
「な! 俺達にもできそうじゃねーか」
グッカスを三者の目が見つめる。グッカスは頭痛がする頭を押さえ考えた。
……お前ら勇者にでもなったつもりか? どう考えても学生団体が実行する事じゃない。確かに、ミィを思えばキィを助けてやりたい気持ちはグッカスにもある。だが、だが! 国の次期王を選ぶための儀式とやらに参入して、無事で済むのか? ……とかいうことをこのバカ共は絶対考えていない。そうだ、絶対。
――絶対そうなんだが、上手く反論できない……。
「土の魔神の生贄なのに炎が攫うのはおかしくないか?」
現実的に計画の穴を突く辺り、もう実行は半ば決定されたようなものだ。グッカスも内心はキィを助けられたらと考えていたに違いない。
「そうですね……」
楓の転移は炎を使う。炎が一瞬点る。土の魔神への生贄にそれは確かにそぐわないだろう。
「ヌグファどうにかならねーか?」
「魔法で、ですか?」
うーんと思考を始めるヌグファ。
「時間を頂ければ仕込みという形でできなくもないです。でも、炎を隠す事ができないでしょうね」
「うーん。悩みどころね」
テラが悩む。グッカスが仕方なさそうに口を開いた。
「炎を隠すよりは砂で目くらましと考えればいけるんじゃないか。派手な見た目の土魔法だ」
「ああ、そうですね。それならできそうですね」
わーいと喜ぶテラとセダ。
「待て待て待て!」
グッカスが慌てる。
「なんだよ?」
「本気でやるんだな? リスクも考えずに」
「もちろん。お前ももう、わかっているんだろ?」
セダがにやっと笑って言うとグッカスが溜息を長めについた。否、つかざるを得なかった。
「…………わかった」
「やったー!!」
三人がハイタッチを交わす。その様子をぐったりした様子でグッカスが眺めた。
「ただし! だ!!」
念を推すグッカスに良い生徒の様に手を上げて返事をするテラとセダ。
「まずは儀式を詳しく調べないと。ティーニさんやミィに訊くことも視野に入れて行動するぞ。計画が実行できそうだという事が判明してから楓や光、リュミィに話を通す。わかったな?」
「おう!」
なんだかんだ言ってセダはテラとハイタッチを交わし、グッカスが疲れた様子なのをヌグファがなだめると言ういつもの日常に落ち付いてしまった。
ミィは久々に楓に頼んでセーンの顔を見に来ていた。ミィにとって新しい弟ができたような気分でセーンは世話を焼きたくなるのだ。セーンはヴァン家の世話になって少しストレスが減ったようだ。その様子を見て安心する。
だが、キィがついに生贄の儀式を行うと言う。わかっていたとはいえ、ミィは心が張り裂けそうだ。皆、同じヴァン家で育ったのに誰ひとり異を唱えない。誰もキィを殺すことをおかしいとは思わない。ミィにはそれが信じられない。
なによりショックだったのは、キィが生贄の日のその当日までミィには会わないと言った事だ。残り一カ月しかないのに、ヴァン家にも戻らないと言う。
ここにきて、正直ミィにはキィが何を考えているかさっぱりわからなかった。そんなキィを無理矢理連れだすような真似をしても、キィは自ら生贄の儀式に脚を運んで終わりだ。
――もう、どうしたらいいかわからない。
「ずいぶんと暗い顔だな。あんたは笑っている顔がいいよ?」
ふっと気付くとテルルが隣に来ていた。先程までいたセーンは二階で光と遊んでいるらしい。
「テルルさま」
「おいおい。様はないだろって前もいったじゃん。わたしこう見えても心は永遠の15歳よ? あなたより年下なんだから」
「あ、はい。すいません」
素直に謝るとテルルが困ったように肩をすくめた。
「相当だな。今のは突っ込みどころだが。で? 何があったよ? お譲さま」
テルルがふわりと微笑んで尋ねる。確かにお姉さんみたいだなぁとミィは思った。実際は年上でなおかつ男であるテルルなのだが。
「どうしたらいいか、もう、わかんなくて」
ぽつりとつぶやく。誰にも言っていなかったのに、自然と口から言葉が漏れた。
「それはあんたの弟さんのこと?」
ばっとテルルの顔を見上げて驚く。目が久々に大きく見開かれた。
「知ってるの?」
「知ってるも何も、おれ、セーンの側にずっといるわけじゃないからね。嫌でも耳に入る」
テルルがしれっと外出していることをにおわせると、ミィはその事にはなにも言わず、違う事を焦って言った。
「あの! セーンには言わないで! お願い!!」
テルルは穏やかに尋ねる。
「なんで? セーンに王になってって頼めばいいじゃん」
ミィは力なくうなだれて言った。
「言えないわ。セーンは次期大君に選ばれたことでこんなにつらい日々を送っているのに」
「そうか、あんた優しいね」
テルルはそう言ってミィの頭をあやすように撫でる。ぽんぽん、と優しく撫でられるとその胸に縋ってしまいたい気分になった。
「もし、いえ。キィは望んでいないかもしれない」
ミィは首を振って己の考えを否定した。
「言ってみな? 誰も聞いていないから」
テルルはあくまで穏やかに優しく言う。
「セダ達に一回、キィを連れ戻してもらったことがあるの。その時は私が勝手に計画したわ。だからセダ達を巻き込んでまでやったのに、キィに拒否されて……失敗しちゃった」
悔しげに手のひらを握りしめてミィが俯いたまま告げる。
「セダたちはまた言えば力になってくれると思うの。でも、キィは私の手を取ってくれるかしら? また、私、独りよがりで……キィを助けられなかったら……!!」
テルルはそっとミィのかたく握りしめられた手を包み込んだ。はっとしてミィは顔を上げる。テルルは悪戯っ子のように笑ってミィに言った。
「ストップ、ストップ」
ミィの暗く落ち込んでいってしまう思考をその言葉で絶つとテルルは重ねた。
「あんな、誰だって親しい人間が死ぬとなれば、普通ではいられないもんよ。前に拒否られたとはいえ、前は前。今は今。状況も違うしな。あんたはあんたの思うようにしたら? 人の命がかかっているんだろ? しないで後悔するよりはよっぽどましってもんだ」
テルルは年齢不詳と冗談かどうかわからないが言っている。でもこういうアドバイスをできるあたり、テルルの人生経験が豊富と言える点だろう。その経験で今までセーンを何回も励ましてきたのかもしれない。
ミィはそのまましばらく黙りこんで悩んでいたようだが、何かを決意すると顔をばっと上げた。
「お願いがあるのっ!」
「はいな~。俺は変装名人『千変』のテルル。言ってごらんなさいませ? お金があれば、どこにでも潜り込みましょう? 依頼はいつでも受付中ですよっと」
テルルも気軽なノリで笑いながら答える。
「私が願えば、あなたならキィを攫ってこられる?」
「俺を誰だと思ってんの?」
テルルのその自信満々な態度は今のミィにとってとても心強い。
「じゃ、お願い。どうかキィが生贄になる前にキィを攫ってここに連れてきて」
「承りました。ヴァンの姫」
テルルがかしこまって答える。ミィの顔にようやく笑顔が戻った。
「あ、でも! その前にもう一つお願い。テルルはどこでも忍びこめるのよね?」
「まぁね」
それは今のところ誰にも知られていない秘密のセーンを匿っているこの場所でさえ、いつの間にか入り込んでいたテルルだ。どこでも潜り込めるのは実証済み。
「キィに手紙を届けてほしいの。今度は私の独りよがりにならないように、私の想いを先に伝えておきたいの」
テルルは頷いた。
「余裕余裕。任せなさい。追加料金を取るまでもない、楽な頼みだ」
テルルはそう言って胸を拳でどんと一回叩いた。ミィが笑って頷いた。
「あんたにはセーンが御世話になっている事だ。料金は特別にうんと安くしておくよ」
「うん。ありがとう」
ミィはそう言ってテルルの手を取った。