モグトワールの遺跡 018

第2章 土の大陸

2.地竜咆哮(2)

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 キィが生贄の儀式を受けると決めてから、付人であるファゴはもちろんのこと、カナの付人であるファンランも忙しそうにキィの手足となって働くようになった。カナはファンランに出来る限り手伝うように言った。文君ではない自分が手伝えることなど皆無だからだ。ファゴの話によるとジルドレが自由にしていいと言ったのを最大限利用してキィはかなりの人数の暗君(キョセル)を自在に動かして調べ物をしているらしい。
「で、なんか分かったのか?」
「んー。まだ読めてはこない。今度は書記官(ラウダ)の方面を調べてる」
 キィもまだ手掛かりをつかめていないようで不機嫌そうだ。そこにノック音が響いた。
「キィ様」
「ファゴ」
 キィが意外そうに瞬きをした。ファゴは確かヴァン家の本家まで使いを出したはず。戻ってくるのが早すぎるのだ。ファゴは答えにくそうにうつむいてからキィに近寄った。
「お前、ずいぶん早かったな」
「その、どうしても早く手渡さねばならぬものがございましたので……」
「ん?」
 キィは頼んでいた資料を持ってきてくれたと思ったのだろう。しかし、ファゴの手に荷物はない。
「こちらを……ミィ様よりお預かりしてございます」
 キィが驚いて差し出された封書に目を見開いて見つめる。
「っ! そうだな、お前を使いに出せばそうなることを失念していた……」
 キィはそう言って少し震える手で封書を受取った。
「手紙?」
 カナはそう言ってファゴを見る。ファゴが答えにくそうに頷いた。
「御返事を御預かりするのであれば、その……」
「わかった、少し待て」
 気を使うファゴを留めてキィはその場で封書を切り、内容を読み始めた。
 その間、ファゴは部屋を見渡す。そして大綱集が積み重なった机に寄った。何冊か手にとって眺め、周囲に散乱している資料を眺めていた。カナはふっとその様子が目に入って違和感を覚える。
 ……驚いている?
 何故キィがしようとしていることを知っているはずのファゴが、ファゴ自身が過去に集めた資料を見て驚いているのだろうか。ファゴに尋ねようとしたところで、紙を畳む音が聞こえ、カナとファゴはキィの方を見た。
「キィ様、御返事は?」
「……書かない」
「え?!」
 カナもファゴも驚いてキィを見返す。
「あのよ、なんて書いてあった?」
 カナが聞きづらそうにしつつも内容を問う。
「俺にその気が在るのなら、儀式の前に俺を攫う準備が在ると、記してある」
 カナが驚いた。だが、前科が在る姉だ。当然儀式が真実味を帯びた今、その事くらい考えて在るだろう。
「じゃ、なおさら書いてやれよ!」
 カナが言うと、キィは難しそうな顔をして首を振る。
「だめだ。ミィに下手に動かれると困る。それになんて書くんだ? 俺は死ぬつもりはない。だから誘拐の準備は必要ないって? お前のことも書かなきゃいけなくなるだろう? じゃなきゃミィは俺が死ぬ必要がないことを納得しない」
 キィはそう言ってカナを見た。カナは唸る。
「そうだけどよー」
「ファゴ、ミィの機嫌を損ねて調べ物を続けるのは困難だろうが、返事は書かない。俺は元気そうだと伝えてくれるか?」
「は、はい。かしこまりまして」
 キィの意志は固く、ファゴも頷いた。
「で? どうだ? 進捗状況は?」
 ファゴが困ったように笑う。
「その、ミィ様に気取られないようにというのが中々……ティーニもキィ様のご様子を案じておいでで」
 キィは苦笑する。
「そうか。ティーニは優秀な文君だ。ミィに気取られはしないだろう。手伝ってもらってもいいぞ」
「わかりました。では、どの辺りまでを調べさせましょうか?」
 キィは少し悩む。
「お前には当時の書記君を調べてもらう予定だったな。ティーニには少し手を広げてもらって、その当時の議会記録を洗ってもらうか。どうだ? 頼めそうか?」
 ファゴが少し不思議そうな顔をして言う。
「議会記録、ですか」
 キィは何故ファゴが疑問に思うのか不思議そうな顔をしながら、続ける。
「だって大綱の書き換えは必ず議会で議題が上っているはずだろう? この紙質は置いておくとして、改正印が不自然な年……約二十年前位から調べてもらえるか?」
「はい」
 ファゴはそう言って自然な動作で机の周りに散らばっている資料を集めて机の上に重ねる。そして、一枚の紙を見て、動きを止めた。
「……キィ様」
「なんだ?」
「この書記君のリスト……」
 キィがファゴの元に寄る。カナも先程から違和感を覚えるファゴを不自然に思い、ファゴの側に寄った。ファゴが見ているのは、以前ファゴが集めた歴代の神殿で大綱集の改定を任された書記君のリストだ。神殿で国宝である大綱集の原本を扱う書記君はいわば、書記君の中でもエリート中のエリート。書記君なら誰もが憧れる役職だ。
「……そういうことだったのか!」
 ファゴが聞き取れるか否かというような小さな声で呟く。しかし二人とも近寄っていたために、聞きとることができた。
「何かわかったのか?」
 キィが尋ねる。
「キィ様、疑問に思わず私の質問に答えて下さい」
「? なんだ?」
 キィが不審そうにファゴを見る。ファゴは真剣な瞳でキィを見た。
「キィ様は何を不審に思って、大綱集や歴代書記君の情報をお集めなのですか?」
 キィが不愉快そうな顔をして言う。
「何故ってお前も知っているだろう? 大綱集に不自然な点があって、それを知る事で……」
 キィはそこではっとした。カナもキィの視線をみて剣の柄に手を掛ける。
「お前は誰だ?」
 キィの目が異様に黄色く光る。カナは剣を抜いた。細かい砂の粒子がどこからともなく舞う。
「ミィの言っていた通りだ。あんた、優秀なんだな」
 ファゴの顔をした誰かがそう言う。ファゴにしては表情が気楽そうで、別人の様な印象を覚える。カナは相手に剣を胸に押し当てた。キィを庇うように相手を睨みつける。
「やめときな、ルイーゼのええっとなんていったっけ? あんたじゃまだ俺には勝てないよ」
 ファゴの姿をした誰かはそう言って瞬時に何かをした。
「う!」
「カナ!!」
 何をされたか分からなかった。しかし、ファゴの姿をした誰かによって一瞬でカナは剣を取り落とした。そんなの初めての事で、カナは目を白黒させた。
「何が目的だ?」
 キィが砂を舞わせて脅すように問う。
「ふーん。神子ってのは本当だったんだね。安心しなよ。俺はあんたらの敵じゃない」
「信じられると思うか?」
 カナも取り落とした剣を拾い、構える。
「まったく、動揺して騙しきれないとは、おれもまだまだ未熟だわな。俺はあんたの姉のミィに手紙を密かに直に届けてくれって頼まれたのさ。だから不審がられないよう、この格好を借りただけ」
 ファゴの姿をした誰かはそう言って資料をキィに返す。
「……精霊も嘘をついているとは言っていない」
 キィがそう言って睨む事は止めずに言う。
「自己紹介してほしいものだけど?」
「えー。こういうのは隠密が基本だからあんまり正体晒したくないんだよねー。とりあえず、ミィの手紙は届けたし、俺、もうお暇するわ。ってことで、さっきこの身体の本人に命じたことは聞けないんで」
 ファゴの姿をした誰かはそう言って堂々と扉に向かう。その身体の右側からキィが、左側からカナが掴んで止める。相手は困った顔をして振り返った。
「侵入者は神兵(ナルマキア)に突きだす事になっている」
 キィの言葉に逆に相手は笑う。
「したきゃしてもいいよ。つかまんないから」
「だから、一つ質問に答えていけ」
 キィがそう言う。面白そうに相手は口元を釣り上げた。
「どうぞ?」
 キィは頷いて手を離す。
「あんた、さっき何かに気付いたみたいだけど、書記君のリストの何を見て気付いた?」
「あんたが不審に思った時期に書記君を務めていた男の中に一人、俺の知り合いだったからね。あんたが教えてくれなかったから、俺もまだ仮定の状態だ。答え合わせは本人にすることにした」
 そう言って歩き出そうとした男を今度はカナが止める。
「俺の質問には答えてないぞ!」
「え?」
 相手は不満そうに口を尖らせるが、黙った所を見ると質問には答えてくれるみたいだ。
「あんた、その見事な変装にその強さ……もしかして世界傭兵『千変師』テルル・ドゥペーか?」
 相手は少し目を見開いて驚いた顔をすると、すぐに不敵な笑みを浮かべた。
「さぁね?」
 にやっと笑うと扉が音もなく閉まり、不思議なファゴの姿をした男は消えていた。
「なんだよ、あいつ~~!!」
 カナが悔しがる。そんなカナに目もくれず、手に戻された資料を見る。二十年前、五名ほどいる書記君。
 ――彼らが鍵を握っているということか?
「なんだ?」
 キィは今まで集めている資料を見返し始めた。

 テルルは神殿を抜けた後にキィの付人であるファゴの姿を止めた。そして違う姿に化けると道を急いで、約一日半。神殿からは少し離れているが、確かめなければいけないことがあった。
 そこは臙脂の色が目立つ町並み。その奥にある一際大きな屋敷。そこの一角にとある人物が軟禁されているのは知っていた。時々彼らの息子の様子を伝えに忍びこんでいた。
「よぉ」
「テルル!」
 相変わらず軟禁されているそのストレスを感じさせない朗らかな笑顔で迎えてくれる二人。だが、テルルの顔は険しいままだ。
「テルル、どうしたの?」
 妻である女性が心配そうな顔するが、それに笑顔で応じる余裕はテルルにはなかった。
「お前ら、自分の息子が王に選ばれたら辿る運命を知っていたな?」
「……どういう意味だ?」
 夫である男性は不思議そうに言う。
「なにが、家庭教師を務めていた文君だ。大うそつきめ。文君誰もがうらやむ特別な書記君に就いていたんだろう?」
 テルルはそう言ってようやくいつものような笑みを浮かべた。

「アーリア様」
 ノックの音だけではなく、扉が開く様子もなく、気付けばアーリアの背後に一人男が控えていた。
「なに?」
 それにアーリアは驚かない。暗君だからいつでも報告をするように言いつけているのだ。
「南棟の特別客室の元に侵入者です。いつもの世界傭兵のようですが」
「そう。彼らのお客人はいつでも見過ごせと言ったでしょう? で、何を話していたの?」
 特別室の客人とはセーンの両親であるディーとリリィの事だ。二人の元に一度か二度ほど、世界傭兵のテルル=ドゥペーが訪れていた報告は受けている。ただ、話の内容は気になるので、報告させていた。以前はどちらも息子の様子だけだった。今回もそうだろうと思ったのだが、部下の様子からどうやら違うようだ。
「それが……二十年前、ディー様が書記君だったとか、リリィ様は依頼をするように仕向けただとか」
 話が結びつかないのだろう。部下も不思議そうに言う。
「二十年前……?」
 アーリアも最初わからない顔をしていた。
「もう少し詳しく」
「はい。どうやらディー様が以前書記君に就いていたことが合ったらしく、そこから嘘つきだの、息子の運命を知っていただのと、怒っているようでした。それをリリィ様もご存じだったらしく、テルル=ドゥペーは彼女の意のままに知らず動いていたような……依頼をするよう仕向けたと憤っていた様子で……」
 どうも報告ではあまり内容が伝わってこない。
 しかし、アーリアはそれを聞くと背後の本棚から一冊の分厚い書類の閉じ込冊子を持ちだし、ページを繰る。
「二十年前と言ったのね?」
「左様です」
「二十年前というと、この辺りね」
 アーリアはしばらく無言で書類を眺めている。それはエイローズの誰がどこに配属されているかという書類をまとめたものだ。人事を簡単にまとめたものといっていい。この書類のおかげでアーリアはエイローズの誰がどこで働いているかを頭に入れているのだ。
「……!!」
 アーリアが息を飲んだ気配がする。部下が心配そうに主君を見つめた。
「他には、他に何か言ってなかった?」
「ええっと、確か夫婦そろって約十年前からとかなんとか」
「約十年前?」
 アーリアは記憶を探っているようだ。しばらくコツコツと指で机を叩きながら思案している。そしてふっと思いついたらしくまた本棚の違う場所に行き、分厚い本を引っ張り出した。
「いや、だめね。これじゃわからないわ」
 アーリアが手を叩く。すると瞬時に声がし、違う文君が入室した。
「急いで、二十年前の大綱集の一巻の複写本を持ってきて。すぐによ!」
「はい、かしこまりまして」
 文君が慌てて部屋を出る。その場に残された暗君はどうしたものかと悩んでいた。
「他には?」
「いえ。主なところはその辺りかと」
「わかったわ。ありがとう。テルルに誰かつけた?」
「一応。ただ……」
 言葉を濁す部下にアーリアは言う。
「わかっているわ。相手は世界傭兵ですもの。きっと巻かれてしまうでしょうね」
 アーリアはそう言って暗君を下がらせた。一礼して暗君が消えた頃、大綱集の複写本を持ってきた部下が再びアーリアの前に現れた。アーリアは礼を言って古い大綱集と大綱集の写本を上下に並べて置き、同時にページをめくっていく。それはまるで上下で間違い探しをしているかのよう。
「アーリア様?」
 文君が主君の慌てた様子で何をしているのか、気になった様子で問う。アーリアは集中しており、返事をしない。だが、その箇所はすぐ見つけられたようで、ページをめくる手が止まる。
「……そういうことだったのね」
 アーリアは感嘆した様子で呟くと、すぐに机から紙を取り出し、さらさらと文章をしたためる。封書に入れると、蜜蝋を垂らし、エイローズの当主印で封をする。これでエイローズの当主がしたためた公式文書となる。
「急いでこれをルイーゼのアイリス様へ。早馬で持って行って」
 文君はそれを受け取り、急いで手配するために駆けて言った。
「ったく何が聖女よ。とんだ猫かぶりじゃないの」
 大綱集と書類を元の場所に戻し、別の文君に持ってきてもらった大綱集の複写本を渡すと、アーリアは溜息をついた。そして顎に長く美しい指をあてて考え込む。
「……あの腐れジジィはどこまで関わっていた?」
 才媛と名高いだけある。アーリアはキィとカナが追いかけていた真実に一足早く辿り着いたのだ!
「セーンを王宮が追いかけていたのも理解できた。エイローズの新しい王を失う訳にはいかないわ。セーンは見つけ次第保護しなければ。……そう考えるとヴァンの生贄の儀式もうまく利用する必要があるわね」
 アーリアはそう呟くと指示を出すために書斎から出て、部下を呼び集めはじめた。

 キィとカナの一室でキィがふーっと長い息を吐いた。
「わかった……!」
 カナもげっそりした顔でえ? とキィの方を見た。カナはキィのペースに合わせて情報を洗うと言う、あまりにも似合わない行為をここ数日行っていたのだ。慣れない行為にカナは文君を目指さなくてよかったと心底思っていたところだ。
「なにが?」
 疲労の籠った声で言うカナにキィは感慨深げだ。
「詰んだ。わかったよ。大綱集の謎と、エイローズの大君が逃げている訳」
 カナはふーんと言ってまた書類に目を戻すが、キィの言葉を頭の中で反芻し、理解してばっと顔を上げた。
「まじか!!?」
「うん」
 書類を投げ捨て、キィに近寄る。ファンランとファゴも驚いて顔を上げた。
「で? なんだ?」
 カナが言う。キィは真面目な顔をして、そしてカナに言った。
「九年前、お前にとって一番大きな事件って何があった?」
 キィに問われ、カナは即答した。
「セトが死んだ」
 そしてはっとして言った。
「あ、違うよな。国の事件だろ? えっと、何だったかな?」
 カナは空笑いすると、頭を悩ませ始める。そんなカナにキィは肩に手をやって思考を止めさせた。
「いや、合っているよ。セト様が死んだ。それが全てを解く鍵だったんだ」
 カナの表情が抜け落ち、キィを怪訝そうな目で見る。
「セトが何の関係が在るっていうんだ?」
 セトはアイリスの兄で、元々カナが守るべき人として仕える予定だった人間だ。
「それをアイリス様に確認したい。急で悪いが、カナ、ルイーゼまで案内してくれないか?」
「え?! 今からか?」
 既に日も沈みかけている。それにアイリスに予定を聞いてもいない。
「ファゴ、アイリス様は俺の儀式のために首都のルイーゼ家にいるんだろう?」
「はい、確認済みです」
 キィが頷いた。
「なら、今から行けば儀式までに戻ってこれる」
 カナがキィの決意が固いと知れるや、立ち上がって伸びをした。
「ま、謎解きも気になるしな」
 ファンランとファゴが即座に着いていくために支度を始める。
「お前って自分で馬乗れる?」
「いくらインドアな俺とはいえ、王家の一員ですからそれくらいの嗜みは在りますが?」
 キィが言い返す。カナが悪い悪いと言って部屋を出た。

 ――キィの生贄の儀式まで残すところあと一日。