071
神殿を擁する街の砂漠の入り口、丁度街では広場になっている砂漠と街の境目で生贄の儀式が行われる。セダたちが目的にしていた土の大陸のモグトワールの遺跡がこの砂漠の丁度中央の辺りにあるらしい。
キィはここでこの儀式のために造られた祭壇にて生贄の儀式を受け、そしてその身は聖なる供物として、モグトワールの遺跡へと運ばれる。これが生贄の儀式の大まかな流れだ。街の中で行われるからか民衆も大勢見に来る儀式で、さすがに処刑のように目の前で命を絶たれるようなことはしないようだ。
つまり、セダたちがキィをかっさらうことは十分可能ということだ。あれから少ない日程で、セダたちは情報を集め、キィの救出作戦を練っていた。それは一応ミィには極秘に計画を立てた。テラ曰く。「あっと驚かせたいじゃない?」とのことである。
祭壇の前には貴族や王族の血統が高い人のための場所が用意され、あと数時間もすればこの席は皆埋まる事になるだろう。ミィも王家の一員としてこの席の最前列に列席する事になるだろう。
祭壇を取り囲むように配置されているのは神官と神兵である。この生贄の儀式のために列席している神官と新兵で千人を超すらしい。その背後にようやく民衆が列席できる。
セダたちはヴァン家に頼み込んでその民衆の席と貴族らの貴賓席の間辺りに位置している。この場にいるのはセダ、テラとリュミィだ。ヌグファは魔法の発動のためにミィの付人ということで貴賓席に座っている。グッカスはセダの肩に止まっている。
本来ならば楓の転移に頼る予定だったが、リュミィが楓をこれ以上危険な目に合わせられないと憤ったので、一瞬で消えるなら光の転移の方が炎の転移より自然に見せられる観点からリュミィに白羽の矢が立ったというわけである。光と楓はセーンと共にお留守番だ。
「儀式ってまだか?」
セダが隣のテラに声を掛ける。貴賓席はとっくに埋まり、リュミィがようやく祭壇を視認できる程には目の前に人が集まっていた。
背後はもっとひどく、近年行われなかった神子による魔神編の生贄の儀式を見ようと多くの民が押し掛け、警備の新兵や武君が苦労している声が響いていた。単純にヴァンの民は生贄となるキィの姿を一目でも焼きつけようと押し掛けている。
「もうすぐだと思うけど」
テラは日の高さから時間を考えて言う。
「ヌグファは大丈夫かなぁ?」
「どうだろ」
実はヌグファはミィの付人としていく事になっていたのだが、朝になってもミィが姿を見せず、ティーニに言われて一人先に会場入りしている。ミィが側に居らず、どうしていいか不安に思っているだろう。
それよりもキィの命が消えようとしている儀式を目の前にしたミィの方がセダたちには心配だった。救出作戦を伝えた方がミィにはいいとセダは言ったのだが、グッカスは計画が漏れる事を危惧して秘密にしたのが実情だ。
「ミィ、もう来たのかな?」
セダが呟くと、テラが首を横に振った。目が良いテラにはヌグファの前に座るはずのミィの席が人影から見えているのだろう。
そこにわっと動揺のような民衆の声が響く。漆黒に銀の刺繍が入ったドゥバドゥール独特の詰襟ドレスをまとったアーリアと淡い水色に桃色の刺繍が入った詰襟ドレスのアイリスが会場入りしたのだ。二人は各王家の上座に座した。ジルドレがそれ見てヴァンの上座に着く。ミィの姿はまだない。
ジルドレが太陽の位置を気にし、神官長はジルドレの合図を待っている。明らかにミィを待っているのだ。しかし、ジルドレは刻限が来たと知れると、神官長に合図を送った。
その時、淡い桃色に白い刺繍の入ったドレスをまとい、頭にヴェールをかぶったミィが現れ、ヌグファの隣に静かに座した。ジルドレがほっとしたように小さく頷くと、片手を上げた。
――儀式が始まる。
生贄の儀式が行われる事は光も楓も知っていた。二人してセーンにはばれないよう、気を使ったつもりだ。だから今日は誰もがセーンの顔を見に、挨拶に来なくても不思議ではなかった。
「今日は誰も来ないな」
セーンが呟く。
「どうしたんだろうね?」
下手に嘘がつけない光と楓は知らないふりをしようと決め込み、不思議そうな顔をする。
「まぁ、みんな忙しいのかな」
セーンが呟き、手元の石を削る。初めて光達が見たような美しい砂岩の加工品がこの場所に来てからいっきに増えた。セーンは砂岩加工師としてかなりの腕を持っているようだ。次々と宝石が増えていくような感覚を覚える。
「俺ばかり暇だものな」
セーンは何かを考えているような上の空でそうつぶやく。
「そんなことないよ」
楓もそう言うが、セーンは肩をすくめただけだった。その時、扉が激しくノックされる。
「誰?」
この小屋の出入りは楓の転移に限られている。誰かが訪ねてくるということがないのだ。だからセーンは慌てて二階に逃げ込んだ。楓は光を背後に庇いつつ返事をする。
「私! ミィよ」
その声に楓が扉を開けると、息を切らした様子のミィが現れる。
「ミィ! どうしたの?」
光はミィが今日、キィの生贄の儀式に出るはずだと言う事を知っている。儀式は昼。太陽が真上に上るときにはじまるはず。ならばもう屋敷を出ていなくてはならない時間のはずだ。
「テルルは?」
転移ができないから走って来たのだろうか。膝に手を着いて、肩で呼吸を整えながら言うものだから、光も楓も驚く。
「いや、昨晩から姿を見てないよ」
「そう」
ミィはそう言うと頭を上げた。そこで、光と楓は言葉を失う。
「――ミィ……」
――その額には黄金に輝く紋様が。
「王様に、なってる!」
光が魂見を行って確かに確認した。それだけではない、光も楓も額にドゥバドゥールの紋様が現れたミィを見て、次の王だと確信する。
――次期砂礫大君(セークエ・ジルサーデ)はミィ=ヴァンに決定したのだ。
「そうなの!」
ミィが満面の笑顔で告げた。彼女は自分で弟を救うべく、運命を掴みとったのだ!!
「これでキィを救えるわ! 楓の言った通り、毎日暇さえあればお祈りしたのよ。私を王にして下さいって。魔神さまは叶えて下さった!」
「すごい!」
「おめでとう!!」
宝人二人がミィの手を取って喜ぶ。
「キィは死なずに済むね!」
「ええ! これから儀式を中止させに行くつもりよ!」
ミィが満面の笑顔で言った。光とミィが手を取り合って喜びながら小さくジャンプをし、くるくる回って喜びを分かち合う。楓はそれを傍から見て笑顔になった。
「よかったね! ……あ、テルルに用って?」
楓が思いだしたように微笑みながら問いかける。するとミィも思いだしたように言った。
「うん。いざって時のためにね、テルルにキィを攫ってってお願いしていたの。でも、もう必要ないから、作戦は中止って伝えようと思ってたんだけど」
楓と光は目を合わせて驚きの顔をする。セダ達もキィを攫う計画を立てているが、どうしたらいいのだろうか。
「えへ。また懲りずにって思ってた?」
悪戯をばれたような子供の様にミィが照れて笑う。二人は首を同時に横に振る。
「いや……」
楓が言葉に詰まっている。再び、目を合わせ思案する二人。
「あのね、じゃ、言うけど。セダ達もキィを救うために計画を立てているんだよ。儀式の会場にもう着いていると思うけど……」
光の遠慮がちな声にミィが目を丸くする。
「それは大変! セダたちが犯罪者になっちゃう。急いで会場に向かわなきゃ」
ミィはそう言う。
「それにそろそろ時間でしょう? 間に合う?」
楓が言うとミィははっとした。
「そうなのよ。王として皆の前に立つと思うとね、いろいろ込みあげて来ちゃって。だけど、私頼りないかもしれないし、まだまだ未熟だけど、頑張るわ! キィが助かったらそれでおしまいじゃない。ちゃんと王として国をより良く導いていくって、決めたわ」
時間ぎりぎりになっていたのはそういうことだったようだ。
「じゃ、私行くね。テルルに伝言をお願いできる? 作戦は中止にするって。もう大丈夫って」
「うん。わかった」
「あ、帰りは僕が送るよ」
楓はそう言ってミィの手を取る。一瞬の炎で楓とミィの姿が消えた。
「ミィだったの?」
二階から様子をうかがっていたセーンが言う。
「うん!」
「なんだって?」
光は全てを話そうとして、はっとする。セーンは何も知らないのだ。それならば何も知らせず、全てが解決してからセダたちの口から話してもらった方がよい。
「いつもの顔を見に来ただけっぽい」
「そう」
セーンはそう言って納得し、不自然には思わなかったようだ。
そのうち楓が帰ってきてしばらく過ごしていた頃、テルルが顔を出した。姿を見せたテルルはセーンにはわかる仕事着だった。
「あれ? これから仕事?」
だからセーンは当然の如くそう聞いた。テルルは本気で世界傭兵の仕事をする時、少し厚着になるのだ。服の下にいろいろな暗器を隠し、二回、三回とすぐに変装できるように準備している。
「おう。ちとな」
テルルはそう言う。それを聞いて楓と光ははっとした。
「あ! ミィから伝言があって」
「なんだ?」
「その……」
セーンを気にしながら光が言う。
「作戦は中止だって」
テルルがそれを聞いて目を丸くする。
「作戦って?」
セーンが尋ねる。逆に作戦中止が納得できないテルルは少し怒った調子で言った。
「なんで中止なんだ?」
光と楓は目を合わせる。なんと説明したものだろう。
「その、うーんと、大丈夫だからって」
ミィの言葉をそのまま伝えてもテルルには事情が伝わっていない。テルルはますます不機嫌になっているようだ。
「大丈夫って何が大丈夫なんだ? わかるように説明してもらいたい。ミィは会場か?」
「会場?」
セーンが問い返す。それでテルルもはっとした。その様子を見て、セーンが不愉快そうに言った。
「この前から薄々思っていたけれど、皆俺に何か隠していない?」
「! あ! そんなことないよ!?」
光が慌てて言う。だが、それは何かあると言っているようなものだ。光が嘘を付けないのが露呈している。楓も慣れていない言い訳になんと言ったらいいやらで、困っている。テルルはそんな宝人二人を見て、仕方ないと感じたのか、セーンに言った。
「隠してたんじゃない。みんなお前を気遣ってたんだ」
テルルの言葉にセーンが納得できない表情で視線を険しくする。
「まぁ、この俺様が華麗に解決する予定だからぶっちゃけるが。今日、ミィの弟のキィが生贄の儀式を受ける事になっている。皆いないのはその会場に行ってるからだ」
「テルル!」
楓と光が制止する声を上げるが、テルルはそれを片手で押えた。セーンはそこまで子供じゃない。これ以上事情を知らなければ、今度外に出る時に困ることにもなる。
「どういうこと?」
セーンは愕然としてテルルに問うた。
「俺はミィにキィを儀式の直前で攫ってくれと依頼を受けた。それがこの格好の理由」
テルルはそう言って、楓と光を見る。
「だが、その計画が大丈夫だから中止ってどういうことだ? 納得できる説明を求める」
テルルからすればキィをミィが諦めたとは到底思いにくい。それとも儀式を中断させる手はずを思いついたのか? そんな大それたことが当日にできるだろうか。いくらヴァン家直系の娘とはいえ。
「どうしようか?」
光が楓を見る。楓もしらず溜息をついて、肩をすくめた。
「僕らもよくわからなかったけれど、キィが死ぬ必要がなくなったから大丈夫なんだと思うよ」
楓がしぶしぶそう言った。
「死ぬ必要がなくなった?」
「うん。突然のことで驚いたけれど、ミィは今日王に選ばれたんだ。額にセーンと同じ模様が出てた」
「私も視た。ミィの魂は半人の形になっていたよ」
その言葉にセーンとテルルが絶句する。
「嘘」
「本当」
セーンが目を見開いて驚いている。テルルも予想外の事態にどうしたらいいのかと固まっていた。
「それで、か」
「ミィは儀式の会場で自分が王に選ばれたって言うつもりなんじゃないかな?」
楓はそう言った。キィが死ぬ前にそう言って認められれば、魔神は次の王を選び国に授けたこととなる。キィが死んでまで魔神に請う必要はないのだ。
「……はー。あのお嬢さん、やるね……」
感心と呆れと、様々なものが入り混じってテルルが溜息をついた。反対にセーンはみるみるうちに表情が険しくなっていく。
「それで、ミィは会場入りしちゃったの?」
「……たぶん」
楓が光と顔を合わせて頷く。
「駄目だ!!」
セーンが叫んで立ち上がった。他の者が驚いてセーンを見上げる。
「駄目だよ! 何でミィをそれで行かせちゃったの?」
「え? だめだったの?」
光がおずおずと言う。楓も驚いている。
「俺がどうして逃げていたか忘れた? 王に選ばれたからだよ?! 俺だから狙われてたならいいけど、もし次の王を狙っていたとしたら、ミィが危険じゃないか!」
セーンの言葉に浮ついていた空気が凍る。皆が水を頭から掛けられたかのように冷静になって静まり返った。
「……そうじゃねーか。そうだ、ミィが危険だ」
テルルはそう言って瞬時に身をひるがえし、窓から姿を消した。テルルはまだ誰にも言っていないが、ミィの手紙をキィに届けた際、キィが調べていた事から、事の顛末を知っている。セーンが何故狙われ続けたかもわかった。原因を排除してからセーンに伝えるつもりだったのだ。
――ミィは王と宣言すれば確実に命を狙われる。
「え?」
光が姿を消したテルルを呆然と見詰めた。
「ミィを止めないと!」
セーンがそう言う。
「でも、今から行ってもミィには間に合わないよ!」
光が動揺して震える声で言った。
「ううん! 間に合うかもしれないよ!」
楓がそう言った。
「楓?」
光が言うと楓は強く頷いた。
「テラは会場入りしてるんだよね? 僕が転移でテラの元まで飛べば先回りできるかもしれないよ!」
「そうだね! 楓、私も連れて行って!」
楓は頷いて光に手を差し出した。セーンは決意した宝人たちを見つめ、一瞬悩んだが、楓を見て言った。
「俺も連れて行ってくれ!」
その決断は、反射的で何も考えていなかったとセーンは思う。楓が少し驚いてセーンを見る。
「でも、いいの?」
「俺が行っても何もできないかもしれない。逆に悪い事態を呼ぶかも。でも、ミィを助けたいんだ!」
セーンの真っ直ぐな瞳を見て、楓は頷くと無言でもう片方の手を差し出した。セーンはそれを頷いて固く握りしめる。
――瞬時、炎が三人を包み込んだ。