モグトワールの遺跡 018

072

 儀式会場には豪華な儀式用の白い神官服を着用したキィが姿を現した。その瞬間に動揺のような声が広がる。キィは観衆に一礼すると、指定された一番の上座、すなわち祭壇の上に静かに座した。
 次に、ジルドレが立ち上がり、キィの前に跪いた。この儀式では王より魔神へ直接請う役目を負った神子の方が位が上になるのである。
 ジルドレが国を代表し、神子であるキィに魔神へ次代の王を授ける要請を請うている、形式上の要請を述べている。それを次は各王家の当主が始める。
 始めは現在の砂礫大君を擁する家であるエイローズのアーリアが、ジルドレ同様に跪いて祈る。その次にはルイーゼ家を代表してアイリスが。そのアイリスの席の隣には、さすがに神官服を着用したカナが心配そうにキィを見つめている。そうしてヴァンの順番が巡り、最後に神官長となる。
 その後キィは神官の祝詞が唱えられ、身の清めが終了する。最後に特別な輿に乗ってキィはモグトワールの遺跡へと運ばれていくのが一連の流れだ。
 アイリスの言葉が終わり、ヴァンからは当主であり実の父親であるジルガラが立ち上がった。実の息子を亡くすとわかっているジルガラは元々の病弱に拍車がかかって、様子はかなり悪そうだった。立つのもままならない様子で、常に付人の手を借りている有様だ。ミィはその時、そんなジルガラを推し留め、立ち上がった。
「ミィ?」
 ヌグファが驚いて小声で制止するが、ミィは堂々とした様子で頷く。
「お父様、わたくしにお任せ下さい」
 ジルガラも驚いているものの、ミィは当然のように確かな足取りで素早くキィの座す祭壇の元へ近寄っていく。キィもさすがに驚いていた。だが、ミィはすたすたと歩き、祭壇の前で跪いた。
「ミィ?」
 キィは儀式の前に会う時間を創っていたにも関わらず、ミィにすっぽかされてどうしたかと不安に思っていたのだ。実は一連の謎が解けたキィはアイリス、偶然居合わせたアーリアと話し合い、この儀式の後に、一つの計画を立案していた。ミィにそれを伝えようと思っていたが、ミィと会えなかったのでそれを伝え損ねたまま、儀式となってしまった。
 小声で話しかけてもミィは変じない。それどころか、急に立ち上がった。
「こちらにおわす神子・キィ=ヴァンは、今日に至るすべての時間を、魔神様への祈りに捧げてこられた。それはここにおわす神官全員、我らヴァン、そこにおわすエイローズ、ルイーゼ各王家の者も同じこと。我ら、魔神様に守護された約束の国・ドゥバドゥールの神殿が、これだけの祈りを捧げているのに、魔神様が聞き届けぬはずはない!」
「ミィ?!!」
 いきなり何を言い出すんだ? とキィがミィを見ようとするが、ミィは観衆の前に立つばかりでその表情はうかがい知れない。
「故に、魔神様は神子や神官の祈りを聞き届け、今日、この神子の命を掛けた儀式の日にそのお答えを聞かせて下さった。魔神様は慈悲深く、神子の命を摘み取る事を良しとしなかった!!」
 ミィはそう言って頭にかぶっていたベールをばっと取り払う。
「見よ!! ドゥバドゥールの民よ!!」
 ざっと風が吹く。ミィの前髪は軽やかに舞いあがり、その額にある物を皆に見せつけた。
 ――黄金に輝くドゥバドゥールの王紋を!!
「砂礫、大君!!」
 どよっと観衆全てが驚きに染まっていく。
「私が、次代の砂礫大君(セークエ・ジルサーデ)!! 魔神様は次代の大君を授けて下さった!!」
 キィがさすがに予想もしない事態に驚いて思わず立ち上がった。ミィはそこでようやく半身たる弟の方に振りかえった。その顔には笑顔。
「だから、キィは死ななくていいんだよ?」
 その声はキィにだけわかるようにはっきり口を開いて、だたし声は小さく。でも、照れたような笑顔の額には確かに王紋が在る。
「ミィ……」
 キィもさすがに何も言えない。だけど、その顔は自然と口元が上がる。その顔は釣られたように笑みに変わっていく。双子が久々に微笑みあった瞬間だった。
「えへへ」
 カナが遠くからその様子を見て、すげー姉だなと感心を通り越してあきれて見ていた。

 ――その時。

 テラの隣で突如炎が燃え、三人の人が降り立った。
「ミィ!!」
「楓?!」
 当惑するテラの視界の端――。

 同時――。

 どこからか射られた矢がミィの額、王紋を狙って放たれた――!

 ――アアアアアアアア

 何かの魂を切り裂くような悲痛な叫び声が響き渡った気がした。一瞬の事で、一体何がなんやら。どうなったかさえも誰も正確には認識できていなかった。
「なにが……?」
 誰かが呟いた。
「ミィ! ミィ!! ミィ!!」
 色を失って絶叫しているのはキィだ。
「キィ……!」
 いつも飄々としていて、絶えず余裕な表情しか見せていなかったキィが、倒れたままぴくりとも動かないミィを祭壇の上から覗き込んで、ミィの名を叫び続けている。
 その様子はとても普段のキィを思えず、動揺とか、そういうレベルではない。気が狂ったようにミィを祭壇から落ちんばかりに叫ぶ。
「ミィ!」
 何度呼んでも何度叫んでも、ミィの目が開くことはない。
「誰? 誰がミィを……誰だ!!! 誰だぁああああ!!!」
 キィがミィを絶望的に見つめたまま、周囲に向けて叫ぶ。誰も答えることは出来なかった。
「……遅かった……」
 テラの隣に降り立ったセーンが青くなって呟いた。
「……ミィ」
 セダも呟いた。ミィが王であると宣言し、その王紋を見せた。それによって王紋が見えた者は誰もがミィを次の砂礫大君だと認識したはずだ。土の大陸の神国・ドゥバドゥールはそういう方法で魔神が次の王を選ぶのだから。
 なのに、ミィが王であると分かった瞬間に、ミィは何者かに矢で射られた。
「何をしている! 矢の方向から犯人を突き止めよ!」
 ジルドレが立ち上がって叫び、ヴァン家の人間と武君が慌てて駆けていく。
 その時点になって会場は混乱に包まれ、観衆は立ち上がって、何が起きたか知ろうとし、神官は儀式を続けられないと神官長の指示を仰ごうとしておろおろする。
「許さない……許さないぃいい―!!」
 キィが誰にも聴こえない声で呟いた。それはキィを見ていたカナだけが気付いた。
「キィ?!」
 思わずキィの方に駆けだす。虚空を見つめるキィの目が異様に黄色く染まっていく。その視線はなにも捕えていない。ただ、己の半身であるミィを害したその世界そのものを見つめている。
 風も吹かないのに、キィの髪がふわりと持ちあがる。その髪は持ちあがって揺れ、もともと色素の薄い金髪だったのに、黄金色の夕日を浴びた様に、黄色く光っていく。それに伴い、小さな最初は誰もが気付かない様な砂の粒子がふわりと舞い上がる。
 それは、キィの周囲を渦巻くようにして徐々に、だが、すぐに誰しもがその異様さに気付く範囲で広がっていく。カナがキィの元にたどり着くその直前、周囲を巻き込んでそれは突如として発生した。
「砂嵐だぁあああ!!」
 観衆が叫び、超至近距離で発生した砂嵐に誰もが対応できず、遠くが見通せない様な砂の中に誰もが巻き込まれる。砂漠の砂がまくれ上がったかのように、一斉に辺りを包み込み、昼間なのに夕暮れの様に暗くなる。見上げる空でさえ、砂に埋められて暗く、茶褐色に覆われた。この視界で誰もが動けない。だが、そうも言っていられなくなった。
「逃げろぉお!」
「砂が巻き上げられ始めたぞ!!」
 キィがいた辺りから、砂が渦を巻いて、空へと立ち上り始めていたのだ。螺旋を描いて、勢いよく回転するように立ち上る砂の脅威。逃げようと急いで駆け出し、貴賓席の人間は我先に避難しようと身勝手に動き始め、儀式会場は大混乱になった。それは遠くから眺めていた住民も同様で、逃げようと混乱が生じる。
「キィ!!」
 カナが砂嵐の中心にいるであろうキィの名を呼ぶ。当然、答える声はない。
「おい! キィ!!」
 逃げ惑う人々を逃がさないと言わんばかりに、ぐらりと、今度は大地が揺れる。
「え?」
 走っている人々は気付かない。だが、それは確実に揺れ幅を大きくし、そして人々に襲いかかった。セダ達もあまりの揺れ幅に最初はバランスを取ろうとあがいていたが、それも無理だと直感的に次の瞬間わかることになる。
 「うわぁああ!!」
 セダたちはあり得ないほど、経験した事のない大地の揺れに倒れ込んだ。セダたちだけではない、この場にいる人は誰もが立っていることができず、倒れ込んだ。
「くっ!」
「地震……!!?」
 いつもは動くことのない不動の大地。それが揺れている、動いているという異常事態に誰もが夢とも思ったようだ。しかしそれは悪夢だ。恐怖のどん底だ。誰も悲鳴を上げて、大地に身をゆだねるしかない。
 街中でがらがらと建物が揺れ、石造りの建物が崩壊していく音と、人々の怒号や悲鳴が響き渡るのが同時だった。逃げようとしていた、街に駆けこんだ人の上に容赦なく瓦礫が降り注ぎ、建物の上から観覧していた人が建物の倒壊に巻き込まれて落下する。人々は逃げることも避けることもできずに大混乱に陥る。
 なのに、ドンと一際大きい揺れの後、これ以上の災厄が降りかかった。
「……嘘だろ」
 セダたちでさえ、あまりの恐怖に真っ青になる。
「……地面が、割れてる……?!」
 大地が割れて地震は収まった。しかし、誰もが動けない。再び揺れるのではないか、と動けずにいる。だが、それだけではない。祭壇を真っ二つにするように、街の中ほどまでは届いてはいないものの、砂漠の先までも両断するように大地が裂けていた。その亀裂がどこまでか、どこまで深いのか、誰も見通す事が出来ない。
 セダはようやく身を起こした。
「落ちた人が……いるのか?」
 呟くことしかできない。祭壇から始まった大地の裂け目は今や流砂のように砂漠の砂を飲み込む断崖絶壁と化している。その切り立った崖のような砂漠を両断した裂け目はその裂け目の中心で渦巻く砂嵐が発したものだろうか。その砂嵐は明らかに規模が大きくなっている。
「もう、あれは……」
 グッカスが呟いた。
「砂嵐というレベルじゃ……?! 竜巻に近いぞ!?」
 最後は恐怖の混じった叫びだ。大地を割いた割れ目の中心で育った砂嵐はもう点に届くかというほど巨大な砂を巻き込んだ渦と化している。その砂嵐のおかげで周囲で砂が雨の様に激しく叩きつけられ、ごっそりと地形が変わっていく。
 通常竜巻は上空の雲と風が嵐となって地上に届くものだ。ゆえに、風が全てを巻き込み、地上のものが全て破壊される。
 しかし、これは違う。風は伴っていない。全て砂の小さな粒一つ一つが意志を持ったかのように動き、竜巻のように渦を巻いて立ち上り、移動を始めている。砂嵐にしてもそうだ。風がないのに、砂粒が持ち上がる。砂粒が猛威をふるう。それは通常ではありえない。つまり、これは。
 ――魔神の怒りだ。
 せっかく授けた王を人間の都合で捨てた。その怒りだと、誰もが思った。
 ドゥバドゥールは土の魔神の信頼を裏切り、裁きを受けているのだと!
「ここにいたら、まずいんじゃないか?」
 誰かが叫ぶ。
「どこに逃げたらいいの?」
「どこが安全なんだ!?」
 人々が混乱し、恐怖で立ち竦み、空を見上げて叫び、嘆く。上空で育つ何かを、魔神の示す天罰を見極めようとしている。
 その砂礫の竜巻はどんどん巨大化して伸びあがり、やがて渦を巻きながら姿を変えていく。横に伸びて、縦横無尽に空を舞う。砂嵐だったものは今や巨大な砂を纏ったなにかに。
「なんだ、あれは?!」
 これもまた誰かが叫ぶ。
「……蛇?」
「いや、あれは……竜、じゃないか?」
「地竜だぁああ!」
 ――竜。
 それは、伝説の生き物。魔神が地に降り立った時に、竜の姿を取って降りてきたとも、竜の背に乗って降りてきたとも言われている。それは地域によって違うが、様々な伝承を元に、神聖なる魔神の使いとして、人々に語り告げられている生き物。
 姿は巨大で、蛇に似ている。ただし、立派な角を持ち、人に似た顔をしているという。脚があり、その脚の爪は鋭く、軽く振られただけで地形を変えると言う。魔神の次に自然を操るに長け、宝人を生みだす際に魔神は竜の血を一滴垂らすことで、エレメントを管理する能力を与えたとも言われている。
 その竜が現れたと言われても誰もが信じるような光景が眼前に広がっている。目の前の上空にたたずむその砂の固まりは、確かに生き物に見え、その生き物はこの世のものとは思えないものだ。
 そう、砂嵐ではなく、今はもう伝説の生き物の姿である竜の形によく似て、空を飛び、周囲に砂を降らせ、地形を変えている。
 ――グォオオオオオ!!
 砂を纏った竜が吠えた。
「きゃぁあああ!!!」
「うわぁああ」
 その叫びだけで人が巨大な砂混じりの風にも似た力の固まりの鉾に叩きつけられて飛んでいく。竜が吠えながら上空を飛びまわり、その度に地面が揺れる。人は立ち上がることもできず、だが、この場所には恐怖で居れず、尻をついたままじりじりと後退し、逃げようとあがき始める。
「キィ!!」
 叫ぶカナの声は届かない。キィとミィの姿は見えない。
「カナ!!」
 己の名を呼ぶ声に、カナがようやく気付いて振り返る。そこには部下に肩を掴まれ、少しでも安全なところに避難させようとさせられているアイリスの懸命な姿が合った。
「アイリス!」
 カナはアイリスの元に駆け寄った。鍛えているせいか、立っているのもやっとの地震の中、バランスをうまく取って駆け寄っていくカナはさすがだ。
「ここは危険です。避難しなければ!」
 アイリスがそう言って手を伸ばす。アイリスを支え、守るのがカナの武君としての仕事だ。それだけのために今まで腕を磨いてきた。――だけど!
「ごめん! 先に逃げていてくれ」
「カナ?!」
 アイリスが驚いてカナの手を思わず取った。
「キィがいるかもしれないんだ。俺は今、まだ神官見習いだろう? 儀式を抜けるわけにいかないんだ」
「そんな建前!」
 アイリスの叫びにカナは首を振った。
「お前にはお前を守ってくれる者もいる。お前には逃げる場所もある。だけど、キィは今、それがない。キィは俺の命と将来を案じてくれた。俺はそれに返す恩が在る!」
 カナはそう言って剣を抜き、柄をアイリスに差し出した。
「それとも、お前の武君は恩を忘れ去るような、人として許されざるもので構わないのか?」
 ただの武君ではない。三大王家の当主である人間の武君になろうとしているのだ。ただ武力に優れればいいと言う訳ではない。すべての武君の鏡となることが必要なのだ。アイリスは苦痛を堪えた顔でカナをしばらく睨んだ。
「……許可します」
 アイリスは剣を受け取ってその刃の背で軽くカナの肩を叩いた。
 ――それはまるで半成人の儀式の時の様に。カナの誓いをアイリスが受け取った証だ。
「ただし、危険だと思ったら絶対に帰ってきなさい!」
「御意」
 カナは頭を垂れ、恭しく剣を受け取ると、すばやく立ち上がり剣を腰に差すと砂嵐の真っただ中に向けて走り出した。
「アイリス様」
 部下に引きずられるようにしてアイリスが儀式上を立ち退こうとする。
「待って!」
「お待ちください!」
 そのアイリスを少女と青年の声が引きとめた。遠目から二人の人がアイリスに向かって駆けてくる。護衛の武官が庇うように前に出た。小柄のアイリスより少し背が高い少女とヴァン家の証を身に付けた青年。
「……あなたは?」
 二人が視認できるくらいに近づいた瞬間、その二人が跪いた。