第2章 土の大陸
2.地竜咆哮(3)
075
「どうしてこのような事に……」
それは白亜の宮殿と言わんばかりの美しい由緒ある建物。ドゥバドゥールの民なら誰しも知るその建物を神殿と云う。その奥へと続く場所。一般だけではなく、神官も官位が低いと脚を踏み入れることもできないような場所。その場所で数人の高位の神官に囲まれながら初老の男性がうなだれていた。
「神官長」
「ここも危険なれば、お早くの避難を……」
周囲の神官がそう言って神官長を囲む。
「ああ……」
神官長はそう言いながら緩慢な動作で立ち上がった。
「だが、なぜ……」
神官長の悩みはその一点に尽きる。どうして、どうしてだ、と。
「神官長様……」
「おお!」
新たに現れたのは、若い神官だった。
「外は混乱に見舞われております。ここもいつまで無事かわかりませぬゆえ、急いで避難をお済ませくださいませ」
「ああ、わかっている。だが、何故なのか。何故、魔神様はお怒りを露わにされたものか?」
ようやく歩き出しながら神官長はそう言う。隣に追従するように若者が斜め後ろに並んだ。
「やはり、魔神様は生贄の儀式が失敗したからではないかと……」
若者も何が何やらと言った表情のまま、神官長に言う。神官長も、追従する神官たちも不思議そうだ。
「しかし、あの場ではああするしかなかったのだ! 魔神様が見ておられるやもしれぬ生贄の儀式で偽王の名乗りを許すわけには……どうすればよかったというのだ」
最後はうなだれ、しぼむような口調で神官長は言った。
「はい。神官長のなさった事に間違いはございません」
若者も頷く。周囲の神官たちもつられるように頷いた。
「とにかく、ここは危険ですし、王家がどう動くかわかりません。神罰を下した神官が王家の穢れた手にかからぬとも限りませぬゆえ、早くこの場を離れましょう」
「そうか? この大事に神殿におらぬ神官長とはいかがなものだろうか」
「いえ、途方に暮れた民を導くことが神官長の務めでしょう。こういう事態だからこそ、民の前で祈りを捧げる我らの姿が救いとなりましょう」
足早に移動しようとする一団に、奥から新たな神官が駆けてきた。
「神官長!!」
「どうした?」
駆け寄った神官は跪き、早口で述べた。
「避難してきた民で神殿の入り口はふさがれております。神殿への避難を求めています。神兵が押さえるのも時間の問題です。いかがいたしましょう」
神官長は困った顔をする。そしてすぐに決断した。
「一般公開されている大聖堂までは侵入を許しても、その奥は聖なる場所。いかなる理由があろうとも、神官以外の侵入は許さぬ。全神兵にそう伝えよ」
そう命令された神官は困った顔を隠せず、逆に困惑して言った。
「この状況下で民を拒否すれば、何が起こるか……」
そう言った瞬間、隣の若者が怒鳴った。
「愚か者! 神聖な神殿をなんと心得るか! これだから魔神様のお怒りに触れたのだ! 民にはそう申し伝えよ」
「は、はい」
隣で怒鳴った若者を頼もしそうに神官長は見て、そして自信を持ったように頷いた。
「そうだ」
そう言い去って一行は神殿の奥へと踵を返す。
「このままでは暴徒と化した民に、御身を晒してしまいますね……」
若者がそう言って憂慮な顔をする。神官長も深刻な顔で頷いた。民を救うと言ったことも忘れ、民から逃げようとする神官長とその連れ。
「奥の通路が外に通じております。禁踏区域を使いましょう」
「しかし、あの場所は……」
禁踏区域への侵入が許されているのは宝人と王のみだ。
「何を仰います。ここは神殿。貴方様はこの神殿の頂点に立つ尊きお方。その神官長である貴方様が立ち入りを許されない場所等あるはずもございません」
若者が大げさにそう言うと、神官長はそうかとただ呟き、力強く脚を進めた。
内部を熟知している若者は迷うことなく最短距離で誰も普段は立ち入らない神殿最奥――禁踏区域にたどり着いた。
「ここが……私も初めて来たが……」
「どうぞ、神官長様」
若者が扉を開ける。中は何もなかった。灯りすらないが、神聖な空間だと言う事が肌で感じた。ごくりと知らずの内につばを飲み込む。雰囲気に圧倒され、神官長は脚が止まる。
「お早く、神官長様」
若者に言われて、我に返った神官長は、光晶石でつくられた心もとない灯りを持った神官の後に続いた。
「っつ!」
灯りを持った神官が暗いゆえに何かに躓いた。
「どうした?」
「なにか、石の様なものがあるようです。お足もと、お気をつけください」
部屋の中に入って奥に進むにつれ、確かに何かが床に転がっている。誰も立ち入らないとはいえ、何にそんなに躓いているのか、神官長は分からなかった。
「邪魔だな……」
周りの神官が何かを蹴飛ばす。からーん、という軽い音がして何かが蹴られ、どけられたようだ。
「できれば、この邪魔な石を蹴飛ばしてくれ。これでは足元が不安だ」
「はい、神官長」
周囲の神官が応えた。からーん、こーんという石を蹴飛ばす音がしばらく響いた。
「禁踏区域は一体どこまで続くのだ?」
暗いのでわからないが、傍にいるはずの若い神官に神官長は尋ねる。
「おい、どこにいる?」
若者の声は返ってこない。そこで、神官長はふとその若者の名前を思いだせない事に気付いた。あの頼れる、魔術に強く、どの神官よりも魔神や大綱、神官の在り方に秀でた若く優秀な――誰か。
「おい、あいつはどこだ?」
「え? どなたのことでございますか? 神官長」
「あいつだ、ここまで案内してくれた若い神官がいただろう?!」
周囲の神官は不思議そうに黙りこみ、神官長にとって信じられない事を言った。
「そんな者おりましたか?」
「なんだと? 誰も覚えていないのか?! あいつを!」
暗い周囲。急に認識できなくなった若者。魔神の怒り。急に不安が膨らみ、神官長は怒鳴る。
「シっ! お静かに」
周囲の神兵が急に言った。喘ぐように短く呼吸をし、神官長は気持ちを落ち着かせようとした。
――あれは誰だったんだ?
急速に、砂時計の砂のようにさらさらと若者についての記憶が失われていく。いつどこで出会った?
「何者かが跡をつけているようです! 神官長、お早く!!」
神兵がそう言って神官に先に行くように示す。わけのわからぬまま、神官長は誰とも知れぬ手を引かれて足元に転がる石の様なものを蹴り、踏みつぶし進んでいく。不安が襲い、いつしかそれは駆け脚になっていた。
「待てぇえええ!!」
若い男の声が響き渡り、同時に、扉が激しく破られた。
「てめぇら、ここで何してるんだ!?」
その声を聞いた瞬間に、神官長は何かが弾けた。自分がしていた事は間違っていたのではないか。不安が膨らみ続けて、そして許容量を超えて弾けた。
神官長は我知らず叫んで、ひたすらこの暗闇を駆け抜けた。
「ったく、奥ってどこまで行きゃいいんだよ!」
セダがカナに聞こえるように怒鳴る。民衆が神殿に救援を求めて集まっていたので、カナは方向を変え、神殿の中庭に続く通路を突っ切った。いつもなら神兵がいるのだが、この災害のためか、誰も中庭にはいない。それをいい事に馬でそのまま乗り込んでいるのだ。
「キィでもないと神殿の内部を把握しちゃいねーよ」
カナは馬を走らせながら言う。しかしいつも行った事のない場所でも方角さえわかればなんとかなる。神殿は通路が広く、馬を走らせることができた。カナでさえここまでやろうとは思っていなかったが、緊急時のため仕方ない。蹄の音が怖い位に通路内で反響していた。
「だが、神殿の広さを考えれば、そろそろ禁踏区域に入ると思う!」
人が歩けばかなりの広さと複雑さだが、馬を全速力とは言わずともかなりの速度でほぼ無人の神殿内を走らせているのだから、かなりの時間短縮にはなっているはず。
「にしても誰もいねーな。神殿ってそうなのか?」
「いや、いつもならうじゃうじゃいるがな。ほとんど王家の端っこの人間の集まりだ。とっくに逃げ出したんだろう。敬虔な神官なら大聖堂辺りで祈っているだろうさ」
「へー」
おかげでこんな暴挙を誰にも知られていないのだから良しとする。
「おい!」
セダが言った瞬間、カナが馬をとめた。
「通路が……ない?」
一本道で続いている通路が突然消えたように何もない。
「いや、違う。暗いんじゃないのか?」
カナがそう言って近寄る。セダも抜刀して歩み寄った。
「本当だ。暗いだけか。……今、昼だよな?」
振り返ったセダとカナは、今まで通って来た通路が暗くもなく、むしろ積極的に日の光を取り入れる構造であることを確認した。
「おー、ビンゴ?」
「あやしぃ~」
二人はそう言うと、暗闇をものともせずに進んでいく。すると脚が何かにぶつかった。そう思うほど周囲は夜と思うほどに真っ暗だった。
「お前、光晶石持ってる?」
カナが尋ね、セダが頷いて光を灯す。仄かな光だが、ぶつかった物がなにかは判明した。
「神官??!」
カナが驚き、セダが慌てて呼吸を確認する。
「気絶しているだけみたいだ。目立った外傷はない」
カナが抜刀した。見えずとも二人の息が合う。
「扉だな」
セダが目の前の何かに触れて言う。材質と壁の様な感触から、扉と判断した。壁で行き止まりのわけがない。なにせ、この通路の設計と目の前で倒れているこの神官。不自然さが際立っている。
「奥で音がする」
カナが扉に当てていた耳を離して頷いた。そして息を吸い込む。
「待てぇえええ!!」
カナが叫んだ。セダとカナが同時に扉を破壊する! 破壊された扉が激しい音を立てた。それと同時に複数の足音が響き渡った。何者かが逃げようとしている空気が伝わる。
「てめぇら、ここで何してるんだ!?」
セダも叫んだ。
「こう暗くちゃ……」
セダが短く叫ぶ。ここが禁踏区域なのか、それともただの通路なのかそれすらもわからないのだ。
「この闇は魔法かなにかだろう。じゃなきゃおかしい」
カナが後ろを振り返る。扉を破壊したのに、光が差してこないからだ。
「だが、行くしかないだろ」
「ここがもし禁踏区域なら卵核がどこにあるかわからない。うかつに動いていいものか」
セダが追いかけようとしたカナを留める。カナとセダは脚を止めてしまう。だが、逃げている人物が逃げている以上妖しいことこの上ない。早く追いかけなければならない。
「あー!! もー!!」
カナが怒って、剣を床に突き刺した。
「うっとおしいな! 闇よ、晴れろ!!」
カナがやけになって叫んだ瞬間、カナが剣を突き刺した場所から闇がさーっと晴れて室内に光が差し込む。
「え? ええ!!?」
やった当人が一番驚いている。カナは気付かなかったがカナの項には黒い紋様が光っている。カナは王に選ばれたことで、その魂は半人である。闇のエレメントを知らず操ったのだ。
「でかした!」
セダがそう言って駆けだそうとして止まる。
「おい!」
セダが足元に散らばる小さな石を示した。
「やばいぞ!」
カナも駆けだそうとして留まる。
「まさか、これが?」
「たぶん」
二人は脚を止める。砕けた石の欠片としか思えないもの。だが、割れた卵によく似た形で、なおかつその岩は妙に光っていた。奥には割れていないものもいくつか存在しており、その割れていない物は命を主張するように、それはまるで鼓動を刻むように瞬くように光っている。
「……あれが、卵核」
「じゃ……」
二人とも絶句した。水の大陸のように全て破壊されたわけではない。総数はわからない。だが、確実に踏みぬかれ、壊れている卵核も多くある。おそらく半数は壊れてしまっている。
「俺たちは……」
「遅かったんだ!!」
セダはそう言って武器を投げ出し、壊れた卵核を元に戻らないと知りつつ、欠片を集めた。欠片を集めるだけで両腕が一杯になる。
――アアアアアアア
――イアァアアアアアア
「……」
耳に聞こえたわけではないのに、悲鳴が聞こえた気がした。セダには覚えがある。
――ああ、水の大陸の時と、同じだ。
「何か、聴こえたよな?」
カナが同じように欠片を大切に拾い集めて言う。
「遅かった」
セダが外の様子が分からないまま、呟いた。
「宝人が、怒り狂っている」
「どういう、ことだ?」
セダは厳しい目をして、拾い集めた欠片を生きている卵核の周囲に静かに置いた。カナもそれに倣う。
「行くぞ。やつら、逃がしちゃならない」
「ああ」
武器を拾い、セダとカナは卵核を避けて駆けだした。カナは水の大陸での事件を知らない。だが、状況を理解せずとも、魂が理解していた。
――人が、また侵してはならぬ罪を犯したと。