076
「私たちは、どうなるの?」
「王を射るような真似をするから、魔神様がお怒りになったんだ」
「どうが、ご慈悲を」
「魔神様、お助け下さい」
儀式場から、その付近の町から逃げたくとも逃げられないドゥバドゥールの民は、上空に浮かぶ土の竜を呆然と見上げながら祈り、呟き、うなだれる。
「あの、地竜は我々を滅ぼすのだろうか」
「魔神さまの使いならば、そうだろう」
「ああ、お助けくださいませ」
一気に絶望に飲まれ、目に光を灯さない民が救いを求めてぼうっとする。逃げなければとか、周囲の人を助けなければ、等と言った思考が働かないのだ。あまりの恐怖で通常の思考が麻痺しているのかもしれない。
「助けは来るよ!!」
――そこに絶望を切り開くように、叫ぶ少年の声。人々はのろのろとその声の方に視線だけを向けた。
「さあ! 立ち上がって!」
少年が力強く励ます。だが人々は動けない。襲い来る不安と絶望が重すぎて。
「魔神様が罪もないみんなを罰するわけないだろう! さあ! 立って、動いて!」
少年がそう言う。側にいる老婆に手を貸して、立ち上がらせた。迷惑そうだった老婆も立ち上がらせてくれた少年を見て、否、正確にはその少年の胸に光り輝く印を見て、眼を見開いた。口を手で多い、そして言葉を無くして、目から涙を流す。
「ああ、ああ」
少年の姿を見た誰もが同じように、涙を流した。生きる事に、生き延びようとする事に無力だった人々が目に光を取り戻して行く。
「ああ! 貴方さまは!!」
まるで少年から光を発して居るように、この少年こそが、眩しく光り輝く存在に見えた。
「陛下! 大地大君(ベークス・ジルサーデ)陛下!!」
その存在が、魔神が遣わせた、人の頂点・この国の導となる者!
「そうだよ。魔神様はこの国を、みんなを見捨ててなんかいない! 俺は王に選ばれた!」
セーンは生きる希望。この国はまだ魔神に見捨てられたわけではないという。
「聞いて! もうしばらくすれば王家がみんなを救出するために動き出す! みんなは王家に従って安全な場所に避難を!! 動けない人には手を貸して! みんな協力して助けあうんだ!」
「陛下」
「陛下!」
この小さな少年の存在そのものが、勇気を力を与えてくれるようだ。それほどこの少年が王と認識できる事、励ましてくれる事が力になる。
「しかし、陛下。あの地竜は……」
皆が不安に思っている事を言う。陰る表情にもセーンは笑顔で応えた。不安を見せたら皆が不安になると知っているから。
「大丈夫。新しい砂礫大君(セークエ・ジルサーデ)が誤って傷つけられたことに怒っているだけなんだ。俺があの地竜をなだめてくるから、何も問題いらないよ」
「しかし、あんな巨大な……」
口ぐちに不安を口にする民に、語りかけるようにセーンは笑いかける。
「大丈夫。俺を信じて。それに射られた砂礫大君は無事だよ。彼女も地竜を静める為に今、あそこで頑張っている。新しい岩盤大君(ガルバ・ジルサーデ)も一緒だよ。何も不安に思う事はないんだ」
いくら大丈夫と言われても信じられないのだろう。不安そうな目は変わらない。
その時、明るくリズムのいい歌が聞こえてきた。はっとすると、セーンが唄っている。
「みんな、確かに怖いよね。不安だよね。だけど、そう思っていたら不安に脚が止まってしまうよ。いい事を考えてみて。ううん、それが無理なら無理矢理でも明るい気分になろう。さあ、一緒に歌って! 気軽に唄ってこの難局を皆で協力して乗り切ろう」
セーンはそう言って唄いつづける。
「こんなことは大したことじゃない!」
母親の手に抱かれて、泣きそうだった子供に笑顔で唄いかける。しばらくして子供もおずおず歌い始める。つられて母親が。うたうことに協力してくれた人に、満面の咲くような笑顔を。周囲が明るい歌で包まれていく。
「そう、唄いながらリズムよく! 楽しくね。こんなことはすぐに終わらせよう!」
セーンはそう言って一人一人に唄いかける。励ます。そうして全員が立ち上がると、頷いた。
「じゃ、俺は行くね! くれぐれも気をつけて、一緒に頑張ろう!」
「はい、陛下」
セーンはそう言ってふわりと浮きあがる。人間ではありえないその行為ですら、彼なら自然に見えてしまう。ゆえに、彼は魔神の加護を受けた、万民が待ち望んだ王であることが魂が震えるほどに歓喜して理解出来る。彼はこれからのこの国の灯火だ。民を、国を必ず正しい方向に導いてくれる、確かな光――。
いつしか民が唄いながら瓦礫をどかし、そして隣の人と手を取り合って立ち上がる。セーンはそのまま地竜に向かって飛翔した。
ヌグファは光と楓に分けてもらった風晶石を基点に魔法陣を描いていく。竜を相手にするだけあって、魔法陣もヌグファが走って描くほど、かなりの大がかりなものだ。魔法陣の作成には全員がヌグファの指示に従って描いていく。大がかりだった魔法も、セーンを待つ間に完成した。あとは、理論構築に従ってうまく発動するかだけが問題だ。
「待たせた!」
宝人のように飛翔したセーンがヌグファの元に着地する。
「はぁ……見事なものですね」
「まぁね。これで夜逃げを決行してたからね。で、準備は?」
「任せて下さい」
ヌグファが杖を構えて言う。その顔はいつもの不安さは影に隠れて、力強い視線があった。
「うん。お願い」
セーンはそう言って楓と光を見た。二人もセーンの後ろで頷く。
儀式場からそう離れていない場所で、右往左往していた民が、何事かとセーン達を遠巻きに眺めている。民は襲い来る竜から逃れたくとも砂漠の地割れで取り残された人たちだ。セーンは先程彼らを励ましていたが、セーンが何をしようとしているかはわからない。
「僕達は、土を留めることに集中すればいいんだよね?」
楓が言うので、セーンは頷いた。四人が一斉に竜を見つめる。竜はすでに高く上空へ昇っていた。相変わらず上空からは雨のように砂が降り注ぐ。時折咆哮が聞こえ、その度にわずかに大地が揺れる。
本格的に竜が動き出すのは時間の問題だ。今まで砂を纏う為に留まっていたにすぎない。身体も十分大きくなった竜は、これから何をしようとしているか誰も分からないのだ。
「では、私から行きます!」
セーンがヌグファに向かって頷き返した。ヌグファはそれを見て、深呼吸をする。緊張がないかと言えば嘘になる。不安がないかと言われればこれまた嘘だ。だが、出来なくてもいい気がした。失敗したら、その原因を探って、構成を変えようとすら思える。
セーンはセダやヌグファのように、失敗したらそれをフォローしてくれるような頼もしさはない。ミィのように助けてあげなくては、とも思わない。だが、一緒に物事を成そうとする力が在るように思う。成功するか、失敗するかわからない。だが、彼とならどっちの結果でも最終的にはうまくいく気がするのだ。だから、一緒の学校の仲間がいなくてもヌグファは堂々と胸を張れる!
白い杖を掲げ、魔力を最大限に練る。集中を高め、高め、高める。極限まで、己の持つ最大まで!
閉じていた目が見開かれた! 杖をより高く掲げる。練られた魔力が一斉に放出され、描かれた魔法陣に魔力を供給する。力が行き渡り、魔法陣が発光して、魔法が完成する。
魔法陣が緑色に発光し、魔法が発動したのを確認してセーンが楓と光に向かって振り返る。二人は頷いた。ヌグファは魔法の維持のため、集中しているようだ。その表情は見えないが、凛とした後ろ姿が大変頼もしい。
セーンはそれを見て、もう一回頷いた。
――大丈夫。皆ついてるじゃないか。セーンが深く息を吸い込んだ瞬間、ぐらりと大きく大地が揺れた。
「わぁああ!」
大地に投げ出され、身体をしこたま打つ。セーンは状況を把握しようと無理矢理視線を上に向けた。
――アアアアアア
――イアアアアア
「え? 泣いてる?」
一人ごとのように呟く。怒り狂っていたはずの竜が、泣いているようにセーンには思えたのだ。
「セーンさん!」
ヌグファがかろうじて少し光る杖を掲げ続けている。そうだ、ヌグファが維持しなければ魔法が効力を発しなくなってしまう。だから、腕だけでヌグファは頑張っているのだ。
「卵核が!!」
楓が悲痛に叫んだ。楓と光が耳を押えてしゃがみこむ。二人は卵核の『鳴き声』がはっきりと聞こえていた。そして、竜が悲痛な悲鳴を上げている。
「そんな! セダは間に合わなかったの?!」
光の叫び声は竜の咆哮にかき消される。大地の揺れが収まらなくなった。
「どうしたの?」
セーンが視線だけを宝人の二人に向ける。その声は地震に負けないように怒鳴り声だ。大地に必死につかまろうにもその大地が揺れている。身体がどこに行くか、どうなるのかわからない。
「『鳴き声』が! 卵核が破壊されたみたい……!!」
楓が叫び返す。水の大陸の時のように怒りに飲み込まれていないのは、距離があるからだろう。だが、この抑えられない怒りと、哀しみは……! 楓は声を抑えられないと知りながら耳を押さえた。
「どうにかなってしまいそう!」
光が上空を見つめて叫ぶ。飲み込まれてしまう。このままでは宝人の本能に従って怒りと悲しみに呑み込まれる。
「竜が!」
上空に滞空していたはずの地竜が下に降りてきて、しきりに咆哮する。大地に向かって、否、人に向かって攻撃しようとするかのように叫ぶ。激しい音を立てて、砂漠に亀裂が走る。人が泣き叫び、混乱しながら逃げようともがく。それをあざ笑うかのように大地が揺れ、人を絶望に落としこむ。民が再びの悲鳴を上げた。
「どうしよう……!」
光が泣きそうになりながら不安を口にする。卵核が破壊された事実。魂を揺さぶり、衝動のままに怒りをぶつけたくなるほどの魂の叫び。それ以上の哀しみと、身を引き裂かれたような苦しみと痛み。
――これが鳴き声。これが、同胞を失う苦しみ。
「竜が……これじゃ、もう止まれない……」
楓が呟いた。かつて自分も炎と化して意識を失った。あの竜は、いや、竜と化したキィはあれではもう自我がないのではないか。おそらく卵核の怒りに支配されて、もう破壊することしかできないのではないだろうか。
竜の咆哮につられて怒りに染まった宝人が何人も転移して移動してくる。その瞳には一様に怒りと悲しみがあり、暴走の兆候に見えた。光とそれを経験した楓は、自分たちが本能に負けないように抑えるのに必死だった。
竜は怒り狂ったように地を舐め、咆哮を上げた。激しい揺れと共に砂粒が礫のように民に襲いかかろうとする。それと同時に集まった宝人もエレメントを掲げる。
「だめだ!!」
セーンが民を守るように竜の眼前に立ちふさがった。今にも竜の咆哮を受けて、もうだめだと感じた民は自分たちの目の前に立ち、守る小さな影を見た。胸には黄色に輝く王紋!
「だめだよ」
セーンが竜の目を真っ向から見つめ、言った。セーンの力で竜の攻撃はすべて無効化されている。セーンは半人の王、守護を受けたエレメントは風と、土!!
「悲しいのはわかる。だけど、他の人を、別のものを壊しても何もかえっては来ない」
セーンが竜に語りかける。
「それに、このまま怒りに支配されたら、一番大切なものまで失くしてしまうよ」
セーンはまるでキィに語りかけるようにそう言う。呆然として楓と光はセーンを見つめる。セーンの王紋を見て、セーンの瞳の優しさを見て、怒りと悲しみがほどけていく。いつしか集まろうとしていた宝人の気配もほどけるように元に戻るようだ。
「わかるよ。引っ込みつかない時ってあるよな。一緒にがんばろう」
セーンはそう言って民の方を向いた。
「安心して。これからだ。大丈夫」
ほほえみ、そしてこの緊迫した雰囲気を壊すようにやわらかく微笑む。
「ヌグファ、頑張れる?!」
「……がんばります!」
そうとしか言えない、だが立ち上がり杖を掲げるヌグファ。
「お願い!!」
セーンは竜を見据え、ヌグファに短く告げる。その様子を見て、楓と光は頷き合った。
「何が起こっても、俺がすべきことは変わらない!!」
セーンは意地のようにそう呟いた。そうだ、この竜を止め、キィとミィを救い、人々の不安を取り除くことこそが今必要な事!
――俺は、この国の王なのだから! 魔神にこの国の未来と在り方を約束した、王であると!
揺れが激しすぎて立ち上がれずとも、身を懸命に起こし、真っ向から竜を睨み、竜と向き合った。まばゆい黄金の王紋が竜の目にも映っているだろうか。
竜が咆哮しようと口を広げた瞬間――透き通った声が、響いた。
ヌグファの魔法によってその声が拡張されて、響き渡る。砂が舞い散る中、セーンが歌う。
その歌には歌詞がない。言葉にならない唄。だが、力強い、生命の力強さを表すような、最初は深く、低い音程から始まる。同じメロディを重ねて、それは次第に大きく、高く、重厚になっていく。不安を吹き飛ばすような調子で声を乗せていく。
「……すごい」
光が呟いた。その声は実際砂岩の加工をしてもらって知っていたのだが、改めて、人を圧倒させるような歌だった。今回はいつもに増してすさまじい。神々しさが増しているとでも言えばいいのだろうか。
それはわずか数節のメロディなのに、何回も音程を変えて、雰囲気を変えて何度も、何度も聞かせるためだけのよう。耳にしみこんで、ただただ、聞き入って、聞き惚れて、動けなくなってしまう。思わず立ち止まって耳を澄ませてしまうような歌。
セーンの声にひるんだかのように竜もまた、動かない、動けない。
「そうだね、僕達がやることも、少ししかなくても変わらないね」
楓が光の手を握る。光もはっとして楓の手を握り返した。もう、怒りと悲しみに支配されない。
「うん」
楓の反対側に握る黄色い土晶石が光り、効力を発揮するように土の精霊が集まってくる。
「あの竜に土の力をこれ以上分け与えないで」
楓が精霊にそうお願いする。精霊が頷いた。光は楓を通して、エレメントが通じる。世界とつながる。その証拠に光は何も言っていないのに、光の手に握られた土晶石も効力を発揮して光る。
「砂が……」
光が呟いた。自分が、否、自分を通してエレメントが動く。これこそが宝人の本懐。
舞い上がっていた砂が、その動きを次第に緩やかになり、竜に巻き上げられる。竜が集めようとする土と、楓と光の願いに従う土が拮抗して、砂が上空で迷うように滞空を続ける。
「っく……!」
楓と光の額に汗がにじむ。竜を相手にするのは宝人二人では分が悪い。みるみるうちに土晶石が小さく成っていく。二人してポケットから新しい土晶石を取り出し、願い続ける。
ヌグファも風晶石を基点にしているとはいえ、この大魔法と呼んでも差しつけない規模の大きい魔法の維持に必死だ。息が切れるほど、体力の消耗が激しい。
だが、三人とも、止めようとは思わない。この澄んだ声が響く限りは。この歌が砂漠を満たすまで。
――希望が行き渡るまでは!