077
神殿の鐘楼にたたずむ少女がいた。遠目に儀式会場を見渡すことができる絶好の場所とも言える。
少女は危険を何も感じていない様子で、眼を閉じている。その目はここではないどこかを見渡している様だ。
「何も、壊すだけが破壊に通じるとは限らないわ」
くすりと笑って少女が目を開いた。
「まぁ、全てを破壊とはいかなかったみたいだけど、半数も壊せば上場でしょうね」
少女はそう言うと、苦笑し、儀式会場を見やる。少女が感知したように、地竜も卵核の破壊を感じ取ったようだ。一際大きい、ここまで声に寄る衝撃が圧力となって届くほどの大咆哮が空気を震わせた。少女は眼を思わず閉じて、耳を押さえて満足そうに笑う。
「予想外の地竜出現がここまでうまく運ぶなんて。ラッキーだったわ」
満足そうに地竜を愛でるように見つめる。何度目かの咆哮の後で、少女ははっとした。
「何?」
鐘楼から身を乗り出して、はるか先を見やる。
「誰? 私の魔法陣を利用して、新しい魔法陣を組んだの?」
少し、楽しそうに。そしてほんの少し悔しそうに少女は儀式場を見やる。そこには、不安をあおる魔法陣を組んでいたのだ。そのままにしてあったのを気付いた誰かが利用したようだが、さて、どう利用したのか。魔法陣を破壊するような、逆探知するような魔力の流れは感じ取れない。
「え?」
そこに、澄んだ声が響き渡る。何の言葉もない、どんな意味があるかすらわからない。
だが、意志を感じられる、力強い歌声が遠く離れたここまで響く。
「唄?」
少女は片目を閉じる。それはまるで儀式場を見るようだ。
「へぇ。土を抑える対極のエレメント、風の利用に歌を使うなんて。面白いけれど、廻りくどいわ。素人考えね」
口調は軽いのに、その視線は冷たい。
「……王紋? 殺し損ねた王がいたのね」
少女の片目には歌うセーンの姿が映っているようだ。どうやら利用された魔法陣は少年の声を増幅するためらしい。声を響かせて地竜を静める心づもりとみた。土の対極のエレメントである風を唄を利用して相殺しようとは、発想は斬新だが、人の歌などでどうにかしようというのだろうか。
いつもなら鼻で笑うところだが、相手は魔神が選んだ王だ。その身は人ではなく、半分は祝福を受けた半人。奇跡を起こすために造られた魔神の遣い魔。
「やはり、王が出張るか」
その言いようは予見していたようでもある。
「この歌は聴いていたいけれど、ちょっとおもしろくないわね」
少女はそう言ってはるか遠くの歌う少年の王に向ける。その口元には笑みがある。余裕で少年をどうにかできると言わんばかりに。
「たっかいトコロが好きなのはっ♪」
「え?」
澄んだ声が響き渡る空間に場違いとしか言いようのない、癇に障る鼻歌。
誰かと振り返る前に、肩に衝撃。見ると短剣、否、暗殺者が好んで使用する暗剣(あんけん)が刺さっている。
「馬鹿と、お偉いさんと勘違いヤロウ」
そこにはドゥバドゥール独特の暗君の格好をした、正体不明の人間が暗剣を構えて立っていた。
「さぁて、お前はどれかしらぁ?」
鼻歌は底抜けに明るいのに、視線だけは鋭い。
「普通はバカと煙よ」
少女は苦痛に顔をしかめながら剣を抜き、投げ捨てた。
「じゃ、お前は煙じゃないからカテゴライズはバカでいいか?」
暗剣がたて続けに投げられる。少女は今度は迎撃の体制を取った。少女の指先が空を軽やかに動いていく。すると、瞬時に投げつけられた暗剣が何もない透明の壁に当たったように跳ね返って床に散らばった。
「初対面にバカとは、呆れてものも言えないわ」
「現にここにいて高みの見物。自分の成した事の成否を確かめずにはいられない。満足そうに下を眺めて、指揮者気取りで魔法を使う。バカか勘違いじゃなきゃなんだってんだ?」
暗君はそう言う。表情は布で隠れて見えずとも笑っていることがわかる。
「そういうお前はなんなの? 暗君にしてはおしゃべりな事ね。何のために私を邪魔するのかしら?」
「俺はこの歌が好きなんだ。邪魔をする理由はそれで十分だろう」
少女は侮蔑の混じった目線を向けて、あからさまなため息を一つ。
「酔狂なことね。邪魔者は消す、構わないわよね?」
「もちろん。俺もそれが目的だ」
背景に荒れる砂漠と、それを打ち消すかのような澄んだ歌声。それに似合わない殺気で向き合う二人。動いたのは暗君が先だった。飛来する刃の奥に、短剣で迫りくる怒涛の攻撃。少女は指先を軽やかに動かして、ことごとくそれを弾いていく。
「口ほどにもないってのはこのこと?」
「まーねー。俺そんなに強いほうじゃないしね」
暗殺者は余裕な口ぶりでそう応える。
「あら。弱気な事」
少女がそう言って笑った瞬間、少女の指が動きを止めた。
「何?!」
少女の軽やかに動いていた指は、見えにくい糸のようなものでがんじがらめにされていた。それだけではない。見えにくい極細の糸は少女の全身を今や捕えている。
「つっかまえた!」
暗君はそう言って糸を手繰る。それに合わせて少女の身体が引っ張られた。
「動かない方がいいよ~。無理に動くとバッラバラの指がお目見えだ」
「何者?」
手に激痛が走る。これは予告だ。こうして痛めつけることができるという。
「そっちこそ、名乗る気は? まぁ、名乗らせるけどね」
ピンとはられた糸のどれかを暗君が弾く。すると、その衝撃が思わぬところで少女を襲った。
「あう!」
「まずは、お前は誰だ?」
少女は視線を走らせる。どこか自由になる場所はないかと。
「おおっと、魔法使いはやっかいだからねー。動くのは無理だよ」
くいっと糸を動かすだけで少女の動きはすべて封じ込められている。焦った少女は内心を見破られないように、逆に笑みを浮かべた。
「ずいぶん、魔法使いと戦う事に慣れているのね」
「そういうお前こそ、近接戦闘との戦いに慣れているね。ただの魔法使いってわけじゃなさそうだな」
「そうね」
「じゃ、どこぞの魔法学校出身者かな?」
暗君が言葉を重ねていく。しかし、その言葉は少女から答えを引き出そうとしているように思えた。
「魔力主義」
暗君はそう言う。思わず少女が息を飲んだ。図星だったからだ。
「魔法陣や媒体なしで魔法の使用を可能とする高等魔法……古の魔女組織出身者かな?」
自分の魔法系統を見破られる事は今までなかった。相手はただの土の大陸の案じゃというわけじゃなさそうだ。自分の出身組織を見破ったことから、世界を見たことが在る人間だとこちらも確信する。
「当たり? エレメントの六色思想じゃなくって、虹を配し、世界を考えるその思想は……魔女組織の中でもヴィアンカ、…キュヴィエくらいか?」
まさか着ている服の模様からそこまで推察されるとは思わず、少女は息を飲んだ。逆にそこまで知った相手と分かり、敬意を払って余裕で応えるよう意識する。暗君というよりかは暗殺者というべきか。
「便利と言う事はそれに見合う何かを支払っているということだもの」
「ふーん。キュヴィエか。滅んだ魔女組織の中でも遠くの昔に廃れたはずだけどなぁ? お前が当代の『キュヴィエ』だろう? 名乗ったら? 魔女の名が泣くぜ?」
暗殺者が言葉を重ねる。相手は自分の反応を見て、情報を得ようとしているようだ。
「名など、キュヴィエで十分よ。そちらこそ、相当の腕をお見受けしたわ。名乗って頂けるとありがたいけれど」
「女性から声を掛けられることは慣れてなくてね、緊張して名前などしゃべれないさ」
「冗談がお上手」
キュヴィエはそのまま動くことを諦めた。対する暗殺者――テルルは魔女の次手を警戒して動けない。
「私を捕えて、何を求めるの?」
「背後関係でもしゃべってもらったら嬉しいけどね。好みの女性のことは何でも知りたいのが男だ」
「そういう軽薄な男性は好みじゃないの、ごめんあそばせ」
ぎりりと糸が引かれる。痛みにキュヴィエは眉をしかめた。
「それに、これで私を捕えたと思っていたら、少し甘いわ」
キュヴィエのほほ笑みにテルルが警戒を最大限に強めた瞬間、キュヴィエが叫んだ。
「エウロ!!」
その瞬間、テルルの視界が真っ黒に染まった、と思ったほど、黒衣が視界を覆った。テルルは反射で糸を自ら切って距離を取る。そして、黒の正体が判明した。
「呼んだぁ?」
目の前にもう一人。それは気配で分かっていたことだが、驚いたのは若いセーンよりも若い少年だったことだ。少年は黒衣の一張羅を着ていた。それは、独特なデザインであったがゆえに、テルルには彼が何者かも理解した。
「ちょっとピンチだったの、ありがと。多勢に無勢ね。しゃべってもらうのはあなたの方よ」
キュヴィエが指を掲げた。
「闇の宝人か……」
テルルが呟く。キュヴィエの号を持つ凄腕の魔女に闇の宝人。
「あら、さすがね」
キュヴィエの指が何かを描くように空を描く。それに合わせて無邪気な笑みを浮かべる少年も闇に溶けるように黒衣が滲むように、黒色が広がっていく。
「っく!」
闇に捕えられたら終わりだ。それは闇の宝人の独壇場。傍らにはサポートできる魔法使いも一緒。
――ならば!
テルルは一気に距離をつけ、こちらも叫んだ。
「ランタン!!」
その瞬間、濃密な暗闇を光が切り裂いた。
「ビンゴはそっちか」
そこには目立つ白髪に派手な水色のコートを着た青年が立っていた。褐色の肌に浮かぶ白い紋様――契約紋だ。
「ランタン=アルコル!!?」
キュヴィエが叫ぶ。
「俺を知っているなら、商売敵だったともあるのかな?」
ランタンは静かに敵である二人を見据えた。キュヴィエが焦ってエウロと呼ばれた少年の袖を引っ張った。キュヴィエの様子が気に入らないのか、エウロはむっとして言った。
「なに? 殺す?」
事態を認識してないのかどうなのか、気楽に尋ねる少年にキュヴィエが首を振る。
「いえ、逃げるわ。目的は達したのだし」
「えー? あれくらい俺、やれるよ?」
首をかしげて言うエウロ。
「ふーん、俺を殺す。面白いじゃねぇの。やってみな?」
強烈な光が刹那走り、少年の黒衣がばっさり切り裂かれていた。エウロはそれを見て、初めてランタンを認識したように、睨む。無言でキュヴィエの手を取ると闇の転移をして姿が消える。
「追うか?」
ランタンが顔を半分以上隠したテルルに短く問う。
「いや、いい」
「にしても、お前の読み、当たったな」
ランタンはそう言った。テルルは頭をすっぽり覆っていた布を取り払う。いつもの金髪が流れ落ち、少女の姿が顔をだした。
「ああ、バカとナルシストと金持ちは高い所が好き、これ俺の持論。今まで外れたことはないね」
「言い得て妙」
テルルは儀式場でミィが射られたのを見、すぐに思考を切り替えた。地竜が出現したことから、混乱に乗じて黒幕が動くと思ったのだ。それなら、確認のために黒幕は高い場所から見るだろうと。
この国で儀式場が見られる高い場所はこの神殿の鐘楼と、王宮しかない。テルルはいくらでも変装して内部に潜り込む事が出来る。逆に、もう一か所に敵が現れた場合を想定して、同じ世界傭兵仲間のランタンを招聘した。
ランタン『光』のエレメントのおかげで高さをものともしない移動ができる。ゆえにランタンを王宮に派遣し、自分は神殿に潜り込んだのだ。
「にしても、あれがジルが言ってた奴ら?」
テルルがランタンに尋ねる。ランタンは頷いた。
「おう。卵核を狙っている団体な。水の大陸の卵核は奴らのたくらみで全滅。土の大陸は半壊ってとこだろう」
テルルは眼を見開いて驚いた。
「嘘だろ?!」
ランタンが首を横に振った。
「いや、宝人の俺は『鳴き声』を聞きとった。間違いない」
「何が目的だ?」
「さぁな。今のところは」
ランタンが土の大陸に来ていたのは、ジルから緊急の通達が来たからだ。土の大陸での仕事ついでに警戒しとこうとしたところで、テルルから打診がきたのだ。その集団が動きそうだから一緒に見張らないか、と。
「お前のとこの姫は占えないのか?」
「イェン? いや、星が霞むって言ってたな。たぶん、さっきの女が魔法で邪魔してんだろう。イェンが深く潜れば見えない星はないが、いまのとこそこまで無理させて占わせたくない。ただでさえ、水の大陸の一連を占ってから寝ていることが多いからな」
テルルはふーんと頷くに留めた。
「じゃ、余計やべぇな。さっきのやつらセーンを襲うみたいな感じだったし、あの地竜もどうにかしないとだしな」
ランタンは遠くに見える竜と歌声が響く景色を眺めた。
「いんや、心配には及ばないんじゃねーの。この歌聞いてるとそう思わねぇ?」
絶えず儀式場と竜の咆哮に混じって力づよい、歩きださせようとするような、立ち上がる力を、気力をくれるような歌声が響いている。
「まぁ、そうだけど。だからって確実じゃねーだろう」
ランタンがほほ笑みながらその光景を眺める。ランタンが眺める空に黒い点が浮かぶ。その点はだんだん大きさを増し、黒い烏であることがわかった。烏はまっすぐランタンめがけて飛んでくるとランタンの差しだした腕に留って闇として姿を失った。
「およ?」
テルルが珍しそうにその光景を見る。ランタンは解けた闇を全身に浴びた。
「その心配はなさそうだぜ?」
黒い石がランタンの手に落ちた。
「あ?」
「イェンがこの一連は心配いらねーって。新しい王に期待したら? それこそお前の教え子なんだろ?」
テルルは少し思うところがあるらしく、視線を彷徨わせた。知っているからこそ、放っておけないのだ。
「どういう意味?」
「イェンが視たらしい。竜が生じるが王がどうにかするってな。王って、あそこで歌っている奴だろう? お前の弟子の」
テルルは頷くに留めた。だが、その顔は複雑そうな表情が浮かんでいる。
「信じてやれよ、それも大事だ。互いにとってな」
ランタンが笑う。テルルはしぶしぶ黙りこんで歌声の響く儀式場を見つめた。