モグトワールの遺跡 020

第2章 土の大陸

2.地竜咆哮(4)

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 竜の姿が見た目でも細くなっていることがわかった。どのくらいの時間が経ったかはわからない。セーンが同じメロディを続けつつも、いつも同じに聞こえない。絶望を見た民もセーンを見つめ、希望を胸に宿している。
これが、王の力か。否、これがセーンの秘めた力だ。
 ――歌が聞こえる。ただ、それだけでこんなにも力が。生きようという意思が湧く!!

「セーン、歌ってる」
 それは、セーンの下に向かうテラの声。ティーニはそのままヴァン家の者として、王家の人間としてテラと別れて動き始めた。テラは一人、馬を駆りながらセーンの下へと戻る。

「ああ、いい歌ですわ」
 それはリュミィの声。グッカスも無言で頷く。この二人もまた、三大王家の当主へ伝えた後に、セーンの元へと向かっていた。

 そして、セーンへと近寄る影は、味方だけではない。ふらりと現れた一団はまるで幽鬼のようだ。身なりだけは立派な神官にも関わらず、表情が暗く、焦点を結んでいない。
「神官長様」
 壮年を迎えた男はこの国の神官長だ。まだ生きているが、退位を表明したアルカン=エイローズ、砂礫大君(セークエ=ジルサーデ)の下で神殿をまとめていた男である。神殿のいろはを知らないアルカンを支え、神殿を蔭ながら動かしてきたと思っていた。アルカンが退位を表明し、自分が正真正銘の神殿の頂点に立った。
 ここからだ。ここから始まるのだ。自分の時代が。ここからなのだ、自分の人生は。
 しかし、毎日あの堅物なジルドレ=ヴァン、現岩盤大君(ガルバ=ジルサーデ)。彼が自由にさせない。それどころか毎日といってもいいほどにせっつかれた。次の大君はいつか。なぜ自国の神官が占えず、他国の占い師が占えるのかと。
 こちらからすれば、魔神の威光だの、魔神が選定する王だの、いつのおとぎ話だと思う。現代は神話で成り立ってはいない。おそらく、神官が良しと思う王家の位の高い誰かを歴代王に据えていただけなのだろう。その証拠に大綱集には神官が次代の王を必ず占いにて予言するとあった。
 なのに、なのにだ! いけすかない小娘が頂点に立ったエイローズで、王紋を持つ少年が現れたという。少なくともエイローズで名が知られているようなことは決してなく、それどころか、王家のいろはも知らない小汚い田舎民だった。
 馬鹿な真似をしたものだ。何を考えているのか、あの小娘は。そうか、傀儡に仕立て上げるためか。それならもう少しこぎれいな貴族だって大勢いるだろうに。それとも、まさか田舎貴族がない知恵を出して偽王に仕立て上げたか。は! 馬鹿めが。偽王を語るなど。そうたかをくくって、始末を命じていたのだが――。
 そして、悪いことは重なる。自分の地位を脅かしつつあるこれまた嘘のような肩書きの神子という、どう考えてもジルドレの傀儡に仕立て上げるための小手先の魔法を使える甥っ子が、神殿で幅をきかせた。それも気に食わない。視界に入って邪魔なことこの上ない。だから、神子を儀式と語って闇に葬り、自分に従順な王を選ぼうとした矢先、今度はジルドレの姪のヴァンの小娘がこれまた偽王を語る!
「もうたくさんだ!!」
 誰も信じられない。先王の時代に自分の味方であった人間は退きを余儀なくされつつある。自分の周りには敵しかいない。でも、それがこの舞台。王族が舞い踊る、国をかけた物語。ならば、勝ち取って見せる!
「神官長様?」
 周囲の神官が驚く。そんな言葉すら今の神官長の耳には入っていなかった。
「おまえは、弓を使えたな」
「は、はあ」
「飛距離は、どの程度だ?」
「え?」
「どの程度なら射られるか?」
「はぁ。まぁ、かなり遠くと申しましょうか……。あ、あの?」
「射よ」
 それは周囲の神官がぎょっとするほどに、恐ろしいまでの無表情で神官長が告げた。
「は、あの……?」
「射よ。聞こえなかったのか?」
 当惑しながら神官が神官長を見ると、神官長はまっすぐ、歌う少年を指差した。
「あそこで魔神さまの御使いである、地竜を怪しい術と歌で惑わし、操ろうとしている偽王を殺すのだ! 魔神さまのお怒りが落ちぬうちに! さあ、早く!!」
「はい!!」
 激して神官長が叫べば、神官長を正しいと信じている神兵らは弓を構え、矢を番えた。
複数の矢がセーンを狙う。
「させるかよ!!」
 若い男の声が響き渡った。まっすぐに、こちらへ駆け寄ってくる少年が見えた。驚いた神兵の数人は向かってくる少年に矢を向ける。金髪の少年はひるむことなく、背から大きな武器を構え、走る速度を落とさない。
「神官長!!」
 剣を抜いた神兵が神官長をかばうように後ろに押しやった。
「早くせよ!!」
 神官長は向かってくる金髪の少年は目に入っていない様子で、怒鳴る。
「はい!」
 焦って打ち出された矢の数本は逸れて見当違いに飛んだが、セーンに向けて放たれた。
「セーン!!」
 それに気づいた楓と光が叫ぶ。セーンは歌いながら後ろを振り返り、見守る民が思わず目を背ける。矢は確実にセーンを狙って放たれ、誰もが間に合いそうにない。セーンも一瞬声が震える。
 瞬間、激しく砂が舞った――。

「……お前は、お前のすべきことを成せ!」
 砂の中に真っ赤な鮮血が吸い込まれていく。ただ、それはセーンの血ではない。
 セーンは目を見開いたまま、かすかに頷き、歌を続ける。震えたのは一瞬。あとは背を任せるように再び竜に目を合わせる。セーンの背を守るように立ちふさがったのは、――カナ。
 カナは差し出した剣を握る腕に、肩に、矢が突き刺さっている。
 セダとカナはセーンを守るためにひたすら砂漠を駆け抜けた。追っていた一団が向こうから見え、矢をセーンに向けた瞬間に、二人は何も言わずとも駈け出していた。セダは、一団に。カナはセーンに。
 カナは間に合わないと悟るや、走りながらセーンの方へ飛び込んだのだ。滑り込むように走り、目の前の砂を剣で激しく巻き上げた。巻き上げた砂と振り上げた剣のおかげで矢の半分以上は威力を失ってそれた。だが、それでも体の数か所に重く、熱い衝撃が駆け抜けた。それでも、カナは驚くセーンの顔が見られて、セーンの体に矢が届かなかったと知るや、安心してしまった。
 ――ああ、今度は守れた、と。
 ふっと先を見る。一団に走りかかるセダを見た。ああ、あちらはセダが止めてくれたのだから、もう攻撃の手は緩められるだろう。もう、矢の一本だって通さない。カナは自らの体に刺さっている矢を抜き、血が噴き出すのも構わずに剣を構える。
「歌え! すべての障害は俺が払う!!」
 セーンとカナは背中合わせ、歌うセーンの返事など聞こえるはずもない。だが、確かに意思が通じ合ったとカナは確信する。

 セダは走り込みながら抜刀した。矢を放つ神兵に刃を向ける。セダに矢がすべて向くが、セダもカナに負けない意思を持って戦う覚悟をもつ。セダに向かう矢が放たれようとしたその刹那、まったく別の方角から矢が神兵に降りかかる。セダはその間を逃さず、神兵に切りかかった。武器を持たせないよう、とびかかる。
「何をしておる! 斬り捨てよ!」
 武器を持たない初老の男性が中心で叫んだ。セダが鋭い目線を向けると、小さく悲鳴を上げている。
 セダを援護するように矢が飛ぶ。セダは姿を見せずともわかった。テラの援護だと。実際、テラが馬上で駆けつけ、巧みにセダを援護するように矢を放っていた。
「セダ!」
 空から降ってくるようにグッカスが降り立つ。傍らにリュミィの姿があり、おそらく二人も転移によってセダの援護に駆けつけてくれたのだ。グッカスがナイフを繰り、リュミィが光を放つ。
「グッカス! リュミィ!」
「まわり込め」
「おう!」
 阿吽の呼吸でセダとグッカスが三十名ほどの神兵を切り崩す。護衛されている初老の男性こそが核であり、元凶であるとわかっているのだ。馬上のテラも近づいてきた。リュミィは頷いて楓と光の助勢に向かった。
「諦めろ、おっさん。降参しな」
 神兵を一人残らず伸したセダたちは刃を向けて男性に言い放つ。
「私を誰だと思っている!」
 混乱している様子の男性が叫んだ。グッカスが無言でやれ、気絶させろ、とアイコンタクトを飛ばす。
 ――その時、わあああっと歓声が響き渡った。