モグトワールの遺跡 020

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「ああ、魔神様……どうか」
 母親は跪いて祈る。懸命に歌う王に、その王を守る王に。そして地竜を鎮めようと地竜に呑まれたという神子と最後の王に向けて。地竜は吠えなくなった。小さな少年の王が言うとおりに。だから、というわけではないけれど、王を信じられる。王の歌が生きる希望になっている。
 そんな母親や周囲の大人たちの姿を見た子供たちは、そこまで距離を離していない場所で懸命に歌う少年を見た。彼の笑顔が印象的だった。そして今もなお響く歌声。少年は言った。-歌って、と。
 祈る母親の隣で幼子が声を響かせた。セーンの唄う歌の言葉の意味はわからない。だが、真似をして同じように歌う。母親がはっとしてわが子を見た。そして歌う王を見る。
 母親も息子を抱きしめながら歌い始めた。それに触発されるように皆が歌いだす。セーンと同じ歌を。そして、重なり合う歌は、今は揺れる大地を圧倒するような大きさと熱意ですべてに広がっていく!!
 ――だから、どうか! この王を、この王が導く新しい時代を、新たな国を! 見捨てないで、魔神様!!
 ――どうか、陛下にお力添えを!!
 カナは響いてきた民衆の歌声に驚いた。背で守る少年には先ほど会ったばかりだ。だが、彼が王だと王に選ばれた自分でさえも思う。民を導く、この確かな――何か。
 そうして心を揺らしたのは、なにも人間だけではない。
“おまえはすごいな。ここまで多くの心を一つにした者は珍しい”
 セーンはずっと地竜と向き合っていたので、その声が何か分からなかった。カナも聞こえる声の正体を探し、少し視線を巡らせる。
“俺を使う、その歌も気に入った。実に惜しい。お前が土の王にさえ選ばれていなければお前は、世界を揺るがす歌い手になっただろうに。”
「誰だ?」
 カナの言葉にその声の主は答えない。だが、確かにセーンに語りかけているようだ。不思議とセーンはそれを、いや、それが何か理解しているようだ。
“なら、風である俺がお前に力を貸すのは当然だろう。今や、歌はお前のものだけではない。ここで祈り、願うすべての歌! お前の名を懸けてさらに歌え! 大地を揺るがすほどのその意志で!! さすれば風はお前の歌を、声を、意志を、すべてをこの大地に届けよう!!”
 カナが思わずセーンの方を振り返った。セーンは地竜の眼を見据えたまま、一度目を閉じた。そして、一瞬だけ歌を止めた。だが、絶えず民によって歌が続けられる。セーンはそれを聞いて思わず歌う民を振り返った。
 ――それは、まるで民に宣誓を行うように。
「俺の名は、『セフィラレーン=ヴィーア=エイローズ』!」
 堂々と何かもわからないその声に応えたセーンは、再び地竜の方を向いて、歌い始める。その声に最初に重なるのは歌う民の声。合唱――合わさり、重なる民の希望。それにさらに重なって壮大に幾つもの音程を重ねて歌う、その存在は何だ――? 
「まさか……風の精霊、か?」
 カナが呟く。大気が震える。大地以上に歓喜に声を響かせる。今まで精霊やエレメントなどを感じたこともないカナが肌で、その身で、魂で理解し、感じる。セーンが風と共に歌っている。それは歌う民も同じだろう。ここは土の大陸、風のエレメントの対極に位置するにも関わらず、風がセーンと皆の歌を乗せて、否、一緒に歌い、増幅させて国中に運ぶ。この希望の歌を――。

「カナ!!」
 歌にかき消されて、それ以外の音が聞こえづらく、その声が耳に入ったころ、カナは驚くほどそばにアイリスが来ていることを知った。いつの間にきたのだと思ったものだ。アイリスの馬と相乗りしてきたのは驚くことにえエイローズの当主だ。数人の護衛とともに駆け付けたらしい。
「アイリス!」
 怪我をしていると知ったアイリスが顔をしかめるが、状況を察知して、違うことを言った。
「無事ですね」
「ああ」
「ジルドレ様より、こちらをお預かりしました。今のあなたになら、使うにふさわしいだろうと」
 手に持っていた何かから布を取り去る。すると現れたのは、黄金の装飾が施された一本の剣――。
「これは……」
「岩盤大君が国を守るためだけに振るうことを許された、国の宝――土帝剣(どていけん)です」
 カナは一瞬息をつめたが、アイリスの目を見つめ返し、頷く。
“まったく、風の小僧にだけ良い思いはさせられぬ。少しは気張って見せよ”
 今度は女性のような声がカナの周囲のどこかわからない場所で響く。アイリスは驚いて周囲を見渡すが、カナは二度目なので、今度は自分だと覚悟した。
「俺は何をすればいい?」
 セーンがためらわずに答えた。だから、カナもその存在を不審がらない。
“そなたにその気があるのなら。名を懸けて土の剣を抜け。剣が応えてくれようぞ”
 アイリスが不安そうに見つめるのを目線で制し、カナがすらりと剣を抜く。銀の光を放つ刃がカナの意思に反応し、金色の光を帯びた。
「我が名は『カナンフィラ=リーリ=ルイーゼ』!! 俺の想いに応えるならば、地竜を止めてくれ」
 カナがそう叫んだ瞬間、まばゆい金の光を刀剣が包み込んだ。カナは自然とすべきことがわかっているように、その剣を砂漠に突き刺した。光が砂漠を走り抜け、地竜に直撃する。地竜は光を浴びた。それは地竜を斬るというよりかは、包み込んだ感じだ。そう、殺すのではなく、セーンが望んだようになだめるかのようなやさしいもの。

 ――ああ、泣いている。
 ミィはそう感じた。誰かが泣いている。どうして、泣いているの? そうして、気がついた。ああ、泣いているのはキィだ。キィは昔から泣けない子だった。三大王家に育ち、ミィよりも誰よりも王家の人間がどうあるべきか自覚していた精神的に大人な子供だった。だからか、キィは人前で泣くことを良しとしなかった。
 大切にしていたものが壊れた時も、飼っていた小鳥が死んだ時も、大事な関係性だった王家の人間に裏切られたときでも、そして母親が死んだ時でさえ――。
 キィは泣かなかった。だから、どうしてって聞いたことがあった。キィは困ったように笑っていた。自分でもわからないと言っていたっけ。だから、ミィはわんわん泣いた。どんなに見苦しくても、声を張り上げ、涙を流してキィの前で泣くのだ。キィが泣けないぶんまで、キィの代わりに自分が泣くのだ。キィが泣けるまで、こっそりでもいい。もしくは、ミィの代わりに泣いてくれる人が現れるまで。それまで一緒だ。ずっと一緒だ。キィとミィ二人で、互いを補い合って、一緒に――。
「キィ様とミィ様は別人です。いつまでも同じ道を歩めません」
 アーリアに言われたことはキィとミィがずっと目を背け続けてきたことでもあった。いくらずっと一緒に過ごしても、二人は違う人間。互いに伴侶を見つけ、王家の血を絶やさないようにもしなければならないし、立場も異なるだろう。なによりキィは神子なのだから――。
 だから、自分以上にキィを任せることができる人を選ぶまで一緒にいようと思っていた。なのに、神子であるキィにはその時間が残されていなかった。そんなのはダメ。だめなの。まだ、離れる決意ができてない。キィを助けなきゃ。一人でなんて、死なせない。
 キィのために、王にだってなってみせる!
 私は、王になったよね? 無事に選ばれたはずだわ。キィも笑っていたでしょう?
 ――なぜ、キィは泣いているの?
“まったく、いつまで寝ぼけているのやら”
「え?」
 そこで声が出ることに気づいた。
“うるさいくらいに、王に、王にしてって言うから王にしてみれば、この様かや? まったく、口先だけの小娘なら穿いて捨てるほどに居るわ。そなたの決意はその程度か? 片割れが苦しむのはお前がいつまでたっても目覚めぬからじゃ”
「だれ?」
“さてな。お前が呼び、お前がつかまなければ、いくら他の王が命を賭けても仕方のないこと”
 そう言ったきり、その存在の言葉は二度と聞こえてこなくなった。ミィははっきり意識が覚醒する。目を見開く。薄暗くてどこかわからない。でも、不思議と恐怖はなかった。
そんなことより、キィは?!
「キィ!!」
(――あああ、ミィ! ミィ!!)
 泣き叫ぶような、苦しいくらい痛い声が響く。それと同時に、同じくらい響き渡るやさしい歌声がある。
「この歌は?」
 辛いことがあってずっと幸せな夢を見ていたいと願う夜からの目覚めを促し、そして立ち上がる朝日のような勇気をくれるような歌声。
「……セーン?」
(大丈夫だ、何も心配いらない。大丈夫だから!)
 セーンの歌に乗せた気持が真摯な思いが直接響く。少しずつ思い出す。
「そうか。私が射られたから」
 額に手をやる。だが、血が出た感触もなければ打ち身もない。矢がかすってもいないようだ。
 キィは私が射られたと思い、だから泣いている。それで神子の力か何かが暴走しているのかな? セーンはそれを歌でなだめているみたい。
 ――私が泣かなかったからね。キィ泣いちゃったんだ。そうだね、私が泣いたらキィがいつもなぐされめてくれた。それで私は泣きやんだんだもの。私が慰めなきゃ、キィだって泣きやめないわ。
「キィ!!」
 キィに私の思いはきっと伝わる。だってキィはいつも私を、私はいつもキィを気にしてきたのだから。
「キィ! 私は無事よ」
 鳴き声がふつり、とやんだ気がした。ここぞとばかりにミィはキィを呼ぶ。
(……ミィ?)
「キィ!」
(どこにいるの?)
「ここ。キィ、どこにいるの? もし私がわかるなら、ここにきて、私の元に」
 何も見えない、だけどキィがそばにいることは確かに感じられる。もっと触れたくてそばに寄りたくてミィはキィを呼んだ。
「ミィが死んじゃったんだと思って」
 姿は見えないが、確かにキィを感じた。声が聞こえる。
「キィを残して死ぬわけないじゃない。キィの代わりに死ぬつもりで王になったわけじゃないのよ? それに私が王になったらキィが隣で支えてくれなくちゃ、ヴァンもドゥバドゥールもすぐに立ちいかないわよ」
 気づくとキィが目の前で不安そうに立っていた。
「そうだね、俺がミィを手伝ってあげなきゃいけないんだ」
 ミィはふっとほほ笑んだ。キィの姿が見えて安心した。でも、ここに二人だけだから、誰に気を使わなくていい。なら、目をそらし続けてきた問題を、このままにしてはいけない。
 二人で一緒に、ずっと。でも、それはいつまで?
「ねぇ、キィ。ずっと一緒。ずっと隣で。……それはいつまで?」
 ミィは自分が案外冷静だと気付いた。対するキィは視線を逸らした。
「ずっとだよ。ずっと。なんでそんなこと言うんだよ?」
「死が二人を分かつまで? それじゃ、まるで結婚だわ」
「……」
 キィに沈黙が落ちる。ミィは落ち着いて話しかけた。
「無理でしょ? だって、キィ私が倒れただけで、こんなに苦しいの。泣くキィを見て私、同じくらい苦しいの。私たち、ずっと一緒だった。お互いにお互いを支え合って、一緒に生きてきた。でも、それっていつまで? 大人になったら? ねぇ、じゃ、大人っていつなるの?」
 下を向いてしまったキィの表情は見えない。だけど、ミィにはわかった。どんな難問を吹っ掛けられても余裕なキィでも、今はきっと泣く直前のような顔をしているだろう。でも、聞いてもらわなければならない。
「いつか、私たち互いの伴侶を見つけるでしょうね。私たち、そうしたら二人じゃなくて四人になるわ。ねぇ、想像してみて。四人で過ごしたらそれはそれで楽しそうよね? 二人だけでいることはいけないことじゃないと思うの。でもね、それにこだわり過ぎるのは二人にとってきっと良くない」
「……ミィは、俺がいらなくなった?」
 キィがそう言って、瞳を揺らしている。
「ううん。キィが一番大事。だけど、キィは今まで神殿に行ってたでしょう? そこでキィは新しい可能性に出会ったんじゃない? 友達もできたんでしょ? 生き生きしてたよ? 私にはわかる」
「……俺がいない間、ミィもあったの? 新しいことが」
 ミィはほほ笑んだ。セダたちのことが浮かぶ。それだけじゃない。いろいろあった。
「うん。ね、二人ずっと一緒じゃなくても、心では繋がってる。私たちの間に誰かが入っても、私たち、変わらずにいられるわ。それは違う道をたとえ歩んだとしても同じだと、思わない?」
「そうだね」
 そこで光がさした気がする。ミィはキィを抱きしめていた。キィの手もミィの両手に回る。
「俺たちが、消して途切れない絆を持つと?」
「うん」
 キィとミィが額を触れ合わせる。そのミィの額には王紋が主張を続ける。同じ道を歩みたくとも、彼女に選ばれ、彼女もまた運命を選んだ。そしてそれはキィも同じ――。
「ミィ、じゃあ、誓って。俺に、そしてミィ自身に。いい?」
「なに?」
 キィが手を伸ばす。思わずミィも右手をとった。
「ミィの決意を俺の魂に刻む。俺は俺たちの絆が途切れないと、俺の行動で証明しよう。ミィ、誓ってくれ。俺と。ミィの名前を、俺にくれ」
 ミィはぷっと吹き出した。用心深いキィらしい。魂名を教えるというのは、そういうことだ。魂で誓うと。互いに裏切ったら報復をするとか、そういうことではない。魂名を教えるその誓いこそが、尊くてとても大事なものなのだ。それが自分らに対しても有効とは、あきれる。でも、それでキィが安心できるなら。
「名前をくれときましたか。ずいぶん大仰だこと、いいよ。じゃ、キィの名前も教えてよ?」
 キィが頷いた。二人して手をつなぎ、目を閉じる。キィは目を閉じるミィを見つめながら薄く眼を開けた。
「『今から始めるは、我と汝が契約。汝の名を述べよ、偽ることなく―』」
 キィの髪が持ち上がり、砂が舞う。キィの髪や目がまばゆい黄色に染まり、色が深くなっていく。目を閉じているミィはキィの変化に気づかない。
「うん。私の名前は『ミュリエール=リア=ヴァン』」
「『ミュリエール。これより、我はの魂はそなたと共に。そなたの心に寄り添い、そなたの勇気と力の糧とならんことを』」
 ふっとミィの中で駆け抜けた。さらりと砂がすべっていく感触。驚きながらもミィは自然とキィの一部を受け入れた気分になった。
「もう、目をあけていいよ」
 やさしいキィの声がして、目をあける。まばゆい光に包まれたキィと自分。
「納得出来た? キィ」
 キィの左目のあたりが光っている気がしたが、ミィは周囲も明るいので大して気にならなかった。
「『キィリュール=ヴァン』、俺の名前」
「うん」
 ミィは笑顔になった。なんだ、魂の名でさえ似ているなんて。さすが、双子。
「じゃ、もう大丈夫だね。みんなも心配してる。一緒に、帰ろう」
「ああ」
 二人は手をつないだまま、笑顔で頷きあった。ずっと二人を案じて響く歌声。もう二人だけの世界で無視はできないほどに、その歌は温かく、心地よい。その歌う人たちの元に帰りたい。帰ろうと、思う。
 今や、まばゆい光は暗かった空間を打ち壊す勢いで増していく。歌声がいつの間にか響き渡り、二人の背を強く推す。二人なら。否、皆と一緒なら不思議と大丈夫と思った。

 最大級の人数と、精霊によって響き渡るセーンの歌。
 土エレメントの加護を受けたカナ。
 二つが合わさり、地竜がからまばゆい黄金の光が漏れた。動きをとっくに止めた地竜の内部からひびが入り、亀裂から眩しいくらいの光が洩れる。金色の光は強度を増し、亀裂の部分から砂が音もなく崩れていく。
 ふわりと、霧散するように地竜は姿を消し、内部から手を取り合った双子が降り立つように姿を現した。その瞬間、爆発的な歓声が響き渡った。驚いたセーンが思わず歌を止める。民が抱き合って喜んでいた。
「いやったぁあああ!」
「うおぉおお!」
 地竜の姿が消え、空が元通りに晴れ渡る。大地はぴたりとも動かず、いつもと同じ砂漠の景色があった。
「やった……!」
 セーンがつぶやいて、降り立った双子の元に駆け寄る。カナも剣を砂漠から抜き、白い刃に戻った剣を鞘に納めて、双子に駆け寄っていった。
「ドゥバドゥール三大君陛下、万歳!!」
 民が歓声を上げて、叫び、祝う。目が覚めたようなミィとキィはすこし呆けていたものの、すぐにセーンやカナと一緒に笑いだした。それにつられ、民も笑う。笑顔が、砂漠中にはじけ、こだました。
「三大君陛下、ならびに当代の神子様、御無事で何よりです。エイローズを代表して、次の時代を統べる陛下に忠誠を」
 アーリアが膝を折り、忠誠を誓うよう、その場で三人に向かって頭を垂れた。
「アーリア様が、お認めになられた!」
 ざわざわと民衆が騒ぐ。エイローズの当主が忠誠を誓ったのだ。アーリアの護衛である武君が続いて、三人の王に向かって同じく跪いた。
「アーリア、様」
 セーンが驚いて当惑している。それはそうだ、アーリアはセーンの両親を軟禁しているのだから。
「わたくしからもまずの御無事を。わたくしもルイーゼを率いる当主として、三大君陛下に忠誠を誓います」
 アイリスが同じように跪くと、ルイーゼの武君も即座に跪いた。
「アイリス!」
 カナがアイリスに何と声をかけようかと、慌てている。ミィとキィも二人の当主の女性に頭を下げられて驚きを隠せない。そこにいつから見ていたのか、ジルドレがゆっくり近づいてくる。
「新しい大地大君陛下ならびに岩盤大君陛下、我が甥と姪をよくぞ無事に帰してくれた。個人的にも礼を言う」
 頭を下げたジルドレは久方ぶりにその眉間のしわを解いて笑った。
「土帝剣を使いこなしたな。立派な岩盤大君をドゥバドゥールは授かった。わしは大君の地位を退き、この若く、新しい王に譲ろう。そして、キィ。……次代のヴァンの当主はお前だ。お前が好きにせよ。新しい時代を築いて見せよ、若人たちよ」
 ジルドレがそう言ったのを聞き、キィが頷いた。そしてミィの隣で同じように跪く。
「新しいヴァンの代表として、喜んで三大君陛下に忠誠を」
 キィがそうしたのを見て、ジルドレとジルドレが連れていた武君が跪く。三大王家の当主が全員新しい王に忠誠を誓った。それを見て、民が自然とセーン、カナ、ミィに頭を下げる。
「みんな、ありがとう」
 セーンは一斉に下げられた頭を見て、ひとつ息を吸い込み、そう感謝の言葉を述べた。頷くでも、認めるでも、受け入れるでもなく、ただ協力してくれた全ての民に、わけ隔てなく一言感謝を。それがセーン。魔神が選んだ新しいドゥバドゥールの王。新しい時代の幕開け――。
 ぱちぱち、と拍手が響く。それは全くこの国の事情に関係ないセダたちだった。ささやかな七人分の拍手が響き渡る。それをきっかけとして頭を上げた民がいっせいに拍手をした。
「三大君陛下、万歳~~!!!」

 頭を垂れていた当主らも立ち上がってその光景を微笑んで見ていた。民が喜んで新しい王とキィを囲むのを武君に護衛を任せ、三大王家の当主が歩き出す。
「神官長、奇遇ですわね。こんな何もない砂漠でお会いするとは」
「アイリス様」
 アイリスが聖女と呼ばれているのを示すかのような慈愛のこもった微笑みを見せる。セダたちによって神官長を護衛していた神兵はすべて伸されている。誰も彼を守れない。
「よくも、わたくしの武君を傷つけてくださいましたわね?」
 見上げたアイリスのほほえみに浮かぶその視線の冷たさを見て神官長が目を見開いている。
「アイリス、様?」
 神官長はルイーゼ家出身ゆえに、親しくしていたアイリスの冷たい視線を初めて見た。アイリスだって、一連の流れには怒りを抱いているのだ。そのアイリスの肩にそっとアーリアが手を置いて止める。
「お忘れ? 貴女は聖女。それは貴方の役目ではありませんわ」
 アイリスの耳元でそっとアーリアがつぶやいた。アイリスが自然に微笑む。この二人の当主もひそかに一連のことで仲を深めていた。
「それは、魔女であるわたくしの役目」
 最後はうっすら楽しそうに囁いて、アーリアが神官長の前に立ちふさがった。
「アーリア、様?」
 誰もが見ほれるような極上の笑みを浮かべて神官長を見つめる。次の瞬間、アーリアの白い脚が神官長の頭をけり飛ばしていた。蹴り飛ばされ目を白黒させる神官長に、すっきりした、と言わんばかりに晴れやかに笑う。人を蹴っ飛ばした後でのその笑みに周囲の武君がぞっとした。
「アーリア様?!」
 アーリアはしゃがみこんで、蹴り飛ばした神官長の顔をその白い美しい手で挟み込んで、視線を合わせた。
「覚悟なさいませ? 神官長。よくもわたくしらエイローズの王を付け狙ってくださいましたわね? 背後関係までみっちり苛め抜いて差し上げますから。わたくしを小娘と侮ったことを後悔されても遅いですわよ」
 アーリアが笑いながら立ちあがった。神官長が青ざめ、倒れそうになっている。
「捕らえよ」
 ジルドレが最後に締めるように命令を下した。引っ立てられていく神官長の一行。
「なんだかんだ言ってもわたくしたちも結構いい組み合わせでしたわよね?」
 アーリアがジルドレとアイリスを振り返って笑う。そして、パンと手をたたいた。
「ジルドレ様。これからゆうるりとしたご隠居生活に入られる身ですもの。その前にお祝いでも致しましょうか?」
「おまえからの誘いなど、御免こうむるわ」
ジルドレが眉間のしわを復活させていった。
「あら、つれない」
 アーリアが朗らかに笑う。アイリスも笑った後、顔を引き締めた。
「さて、首謀者はとらえても、根底まではすくい上げられませんでしたわね。敵もかなりの者ですわ」
「ええ。もう王家同士での小競り合いという場合ではなさそうです」
「ああ」
 三人は民や協力者である水の大陸から来た旅人、それに大勢の民と笑う新しい王を見つめながら厳しい視線を和らげることはなかった。