第2章 土の大陸
3.土の魔神(2)
083
会議が終わってアーリアはエイローズの首都の屋敷に戻ろうとしていた。
「アーリア様!」
両親といたはずの、若き王がアーリアに声をかける。アーリアは振り返って、セーンの元まで歩み寄って一礼する。
「陛下、わたくしは貴方の臣下。どうぞ、アーリアと呼び捨てになさってくださいませ」
「あ、えっと。アーリア」
セーンがどもりながら言い直すのがほほえましい。
「なんでございましょう?」
「えっと。俺が正式に王になるまでにもう少しだけあるだろう? その間に二人きりで話がしたい。いろいろ聞いておきたいから、難しいだろうけど一、いや、二日くらい俺のために時間をとってくれないか?」
セーンは大君と認められているが、戴冠式は吉日に行うことになっているため、二週間ほど時間が空いている。アーリアはその間に、当主と大君という上下関係などをはっきりしたいのかも、と考え逡巡する。
「ご命令とあらば喜んで。いつがよろしいでしょう?」
「俺なんかより、アーリアの方が忙しいだろう? そっちが決めて構わない」
アーリアは秘書を呼び寄せ、予定を確認する。そして秘書と短いやり取り。
「三日後であれば、可能ですが」
「うん。じゃ、二日後の晩に迎えに行くよ。エイローズの屋敷にいてね。そうそう。俺、まだお屋敷とか王宮に慣れてないんだ。だから、場所移動したいから、厚着しておいて。夜は寒いから」
「は? はぁ……? あの、護衛を考えると、場所はこちらで指定しますが」
セーンの意図が読めないアーリアが提案する。
「あ、大丈夫。危険なことなんてないから」
「え? あの!」
「じゃ、二日後、楽しみにしていてね!」
セーンはそう言って笑うと、両親の元に駆け寄って行った。アーリアは首をかしげるが、セーンにはユンをつけている。なら、多少暗君を増員すれば大丈夫だろう。
「アーリア様、お断りした方が良かったのでは? まだまだ根回しが必要で仕事を空けられますと、会談の段取りなどが……」
秘書が予定を組みかえながら唸った。
「わたくしたちが認めた方ですもの。支援するのは大事だけど、陛下のご意思が一番大事でしょう?」
くすり、とアーリアがほほ笑む。先ほどの会話を思い出していた。テルルをかばおうと、頭を回転させて反論する姿。論戦は稚拙だが、とても誇らしかった。
――ああ、彼は変わらなかった。今もなお、輝かしい。わたくしの、憧れ――。
魔神が彼を王に選んでくれてよかった。彼こそがこの国に必要な、導き手。ああ、彼を殺さなくてよかった。まだ理解しあえてはいないし、彼は自分を警戒し続けるだろう。でも、それでいい。
彼のこれからの危険は自分が排除することになろう。彼が望まない汚いやり方を使ってでも。彼の輝く道を支えよう。
正直にいえば、王にふさわしいのは自分だと思っていた。エイローズのことなら誰よりも理解していると自負していた。
当主になるための教育を受け、そのための生き方しか知らずまともな育ち方をしていない。それでも、そのためにアーリアは努力をし、皆にそれを認められていた。
だから、望まれるまま王になるべきだと自負していた。王に選ばれずに悔しくなかったかと言われれば嘘になる。
十九を数えて王紋が現れず、こっそり心で涙を流した回数は数えきれない。
王になり、エイローズを導くのはアーリアの誰にも言ったことのない、秘かな夢でもあった。
――でも、セーンになら。託すこともできるだろう。
今は、かすかな期待だけがある。希望といってもいい。だって、セーンだから。唯一、アーリアが焦がれた人物なのだから。唯一、殺すかどうか、迷いに迷って決断できなかった人物なのだから。
殺したいほど揺れて、焦がれ、悩ましいほどに想った相手。――黄金の印を戴いた、ドゥバドゥールの新たな、我らがエイローズの王。
ルイーゼ家に戻ったアイリスとカナは会話もなく、アイリスの自室へと収まった。アイリスが人払いをする。カナはそれを確認して、アイリスに言った。
「お前は知っていたんだな」
アイリスは困ったように視線を逸らせた。それはアイリスが相手を気遣っている時のくせだ。
だから、カナはアイリスのそばに歩み寄り、その小さい体を抱きしめた。アイリスが驚いて身じろぐが離さない。
「俺が何も考えないで、武君になるためだけに日々を費やしている間、お前は当主になった。グラファイ叔父様ともにこやかに会話した。おれだったらとてもできない。セトを、フリア姉様を殺したんだ。ぜってー、許せない。闇討ちでもしたかもな」
苦笑とともにつぶやかれる言葉。アイリスは首を振った。
「いいえ、わたくしも、同じ。グラファイ叔父様を許すことなんて、できませんでした」
「何言ってんだ。お前は、頑張ったよ」
アイリスは激しく首を振った。
「いいえ。カナ。わたくしはあなたが思うような、貴方が知っているアイリスでは、もうなくなってしまったの」
「どういう、意味だ?」
カナはアイリスを見下ろし、アイリスはカナを見上げた。その瞳は揺れている。
「わたくしが必死に当主になったのは、お兄様の仇を取るため。わたくしが当主になってはじめてやり遂げたことはなんだと思います? ……グラファイ様を殺すことですよ?」
そして、悲しそうに笑う。
「わたくしはグラファイ様を殺すためだけに、当主になったのです」
カナが驚いて目を見開く。二人は見つめあったまま、無言だった。
しばらく時が流れたあとに、カナはゆっくり目を閉じた。そして再び見つめあう距離さえつめて、アイリスを抱きしめる。
「それでも、お前は頑張ったよ」
「……カナ」
「私は、この国の王を殺したのですよ?」
「魔神に見放された王だろう」
「でも、陰で殺すような、汚い手を」
「相手が先に仕掛けたことだろう?」
アイリスの言葉を遮るように、カナがすべてこたえる。アイリスの目から涙がこぼれた。
「だから、わたくしはっ、聖女、なんて……柄じゃっ……っ」
「ルイーゼのみんながお前の行動を見て、聖女と思ったんだ。なら、それが真実だろう。民から王を奪った罪滅ぼしだとしても、事実、ルイーゼのみんなはそれで、助かっただろう? それでいいじゃないか」
カナはアイリスの頭をセトがよくしてくれたように、やさしく撫でた。
「おまえは、よく、頑張ったよ。アイリス」
その小さな肩にルイーゼのすべてを背負い、失った兄を思い、折れそうな手足で踏ん張ってきた彼女。
「カナ。わたくしを甘やかしすぎですよ」
「おまえだっていつも俺に甘いだろう?」
涙が止まらないアイリスを見ないように、カナは頭をなで続ける。
「今度は一緒だ。セトはもういないけど、セトが作りたかった国を二人で作ろう。お前はセトに言ったように国一番の文君で。俺は一番の武君で。もう、お前だけに背負わせない。俺も同じものを一緒に背負う。だから、もう、ひとりで悩むなよ」
アイリスは頷いた。涙を流しているがゆえ、声を出さずに、何度も。何度も。
「おっはよう! 諸君」
元気よく挨拶したのは、一行を待ち構えていたミィだった。その隣には双子のキィもいる。
キィはあの儀式というか、事件の後に宝人と同じような契約紋に似たものが顔に描かれていたが、なにせ神子という特殊な身の上のために、初めての事例として特に注目はされていないらしい。
「ミィ! ひさしぶりだな」
「お二人ともおはようございます」
「今日は一緒にごはんが食べれるの?」
それぞれの返答をしながら、各自席につく。双子も席に着くことから、朝食を一緒にとる時間はあるらしい。
和やかに食事が済むと、待ってました、とばかりにミィが身を乗り出した。
「あのね、みんなをモグトワールの遺跡に案内できそうな日程が決まったのよ」
「本当か?」
セダも身を乗り出し、逆にヌグファが恐縮する。
「ありがたいのですが、大丈夫なのですか? お忙しいのでは?」
「うん。まだ戴冠式は済んでいないから、公式にはまだ王じゃないの。正式になる前に、魔神様に挨拶に行った方がいいっていうのは、いろんな人のアドバイスで」
キィはミィの後をつなげて話す。
「一応、生贄の儀式は中断されたわけだから、魔神の意向を伺おうってこともあるんだ。だから、俺もついていくよ」
それは、もちろん卵核が半数破壊されたこともあるのだろう。セダたちは偶然にも水の大陸でも卵核が破壊された現場に居合わせ、これで、卵核の破壊が意図的であったことが判明した。
しかし、水の大陸では踊らされたラトリア王、ドゥバドゥールではこれまた、踊らされた神官長が、己の意思と関係なく破壊している。犯人にまだたどりついてもいない。
「わかった。日取りはいつだ?」
グッカスが問い返す。確か、ミィたちの戴冠式まで時間はそうなかったはずだ。
「あのね、急で悪いんだけど、今日。しかも、これから。……ダメ?」
ミィが両手を合わせて申し訳なさそうに言う。道理でキィを連れて朝から来るはずだ。
「いや、こちらこそ。お忙しい中、ありがとうございます」
ヌグファが舌打ちしそうなグッカスが反応する前に、礼を述べた。むしろ、国の管理である施設を一学生団体が見学させてもらうのだ。日程がどうであれ、感謝すべきところだ。
ただ、ミィの軽い感じと今日の予定を狂わされたグッカスが不機嫌になったのは、彼の性格ゆえだろう。
隣でテラが肘でつついてけん制しているが、その辺りは承知の上か、グッカスがテラをにらみ返していた。
「そ! よかった。じゃ、一時間後にホールに集合して。結構遠いから、三日以上の旅は覚悟してね」
「え? 移動にそんなに時間がかかるのですか?」
以前の話だと、このヴァンの屋敷からそこまで離れていないというものだったはずだ。
「この前の儀式で竜が地割れを起こしただろう? その周囲は立ち入り禁止なんだ。当然迂回路を取る。片道で一日半はかかる。本来なら往復で一日ってところなんだけど」
キィがそう言った。
「そうそう。移動はミィも俺も偉い人になったから、護衛がつくが気にしないでほしい。あと、長距離の乗馬ができない人はいるかい?」
キィは重ねて問うた。光と楓が挙手した。
「長距離ってどれくらい?」
テラたち学生は乗馬の単位があるので、乗れるが長距離となると不安が残る。
「休憩をはさみながらだけど、どのくらいかかるかな?」
傍らのファゴに問いかける。ファゴはすぐに返事を返した。
「最低半日程度は乗り続けることになるでしょう。砂漠を渡ることになりますから、予想以上の辛さかもしれませんよ」
「大丈夫かな?」
テラがヌグファに問いかける。乗馬したまま長い距離を踏破した経験は学生の身分ならそうない。
「仕方ない。脚は遅くなるが、やっぱり駱駝を使おう」
キィがそう言い、ティーニが頷き、手配のために身をひるがえした。
「らくだってなに?」
キィはミィのように知らないの、とは聞かなかった。相手が水の大陸から来ているなら、駱駝を知らないことを知っているようだ。
「見てのお楽しみ」
キィはにやりと笑ってミィを伴って退出した。一行も少し呆けたものの、出発の準備のために各自用意を始めた
掌に乗っているのは、小さな黒い石だ。闇晶石(あんしょうせき)である。
「ただの伝書カラスじゃなかったわけ」
気配もなく、背後に妙齢の女性が座っていた。背を合わせてはいるが、その間には椅子の背もたれがある。隣の席の背向かいの席に座っているのだ。
一見、その女性と背中合わせに座っている男性が知り合いと気付く者はよっぽど観察眼があるか、じぃっとその二人を見つめていたものだけだろう。それほど、会話は小声で行われ、互いに他人を装っていた。
女性は散歩の途中に席に腰掛け、一休みしているだけに見えたし、男性は昼休みの転寝をしているようにしか見えない。
男性は褐色の肌に白い髪を持ち、筋肉質な腕を目立つ鮮やかな水色のコートで覆い隠している。
白髪の頭には紫色の飾り帯。生え際の髪に編みこまれた装飾具。格好も土の大陸特有の詰襟ではないことから、他の大陸から来たことがうかがえる。
それも、当然。この男は『暗殺師』・ランタン=アルコルだ。この大陸でランタンに知った顔で話しかけてくる他人に誰? と問うのは愚かなことだ。
自分を知っており、知った顔で核心を突く情報を仄めかしたされたときには、特に。それは相手は十中八九、『千変師』の名を継ぐ世界傭兵・テルル=ドゥペーに違いないのだから。
「一つの闇石に複数の命令を込めるなんてのは、イェンにとっちゃ呼吸に等しいかんな」
ランタンが寝たふりをしたまま、他人のふりをしながら会話を続ける。その口は動いてすらいない。
「そういうお前こそ、王宮に正式に呼ばれたんだろ? なんだった?」
声だけは疲労した調子で、貴婦人のテルルが言った。
「この一連の流れ、世界公共団体のせいで、その手下と思われた俺らへけん制。あきれ返ったけど、セーンが必死に俺をかばうから、逆に調子崩したな」
ランタンがかすかにわらう。
「見切り付け損ねたか」
「おうよ」
テルルもかすかに笑う。そして、話題を変えるようにテルルは言った。
「で? お前の姫さんからの頼みは?」
「地竜になった神子がいたろ。なんつったっけ? 王家のお坊ちゃん」
かけらも笑う様子を見せていない貴婦人は小声で笑う。
互いに姿を偽って気持ちを表した口調でやり取りしているのだ。そんな芸当は世界傭兵同士ではよくみられる。特にテルルは姿を隠しているだけあって徹底している。
「キィ=ヴァンな。公式には次期王を殺そうとしたのを守ろうと魔神が派遣した使いを鎮めた神子になっているはずだが?」
「ああ、そいつ。イェンの見立てだと、早々に教育しないとまずいんだと。なんつったって、やつらのせいで世界が揺れているからな」
貴婦人は遠くを見つめたまま、声だけ驚かせて返答する。
「そうか。じゃ、早々に一度集まるか?」
「どうだろうな。ジルが本調子とは言えないからな。しかもシャイデは動きだしたばかりだろう? 国を空けさせたらまずいんじゃないか?」
しばしの沈黙は、テルルが対応を悩んでいるせいだろう。テルルはしばし悩んだ末にこう切り出した。
「じゃ、ルルを引っ張り出すか?」
「それこそだめだろう。ルルは呪剣のせいで、もう長くない。空元気も大陸移動は持たないだろうよ」
二人の間にまたもや沈黙。
「だが、動き出したならやつらは早い。もう二つ卵核が落とされたからな。悠長じゃ後手に回る。次は、お前のところだろう。姫さんもそうそう寝てられないだろうよ」
「そうだな。イェンも気づいているだろう。次はうちだとな。ジルには無理してもらうか。若いしな。それにあそこは複座の王だ。すぐ帰せば問題ないよな」
ランタンは最後には自分のいいように納得したらしい。そうと決まれば話は具体的に動き出す。
「わかった。通知はどうする? お前がするか?」
「そうだな。いや、お前に頼もう。世界傭兵とは言え、もう二座は欠番同然だ。世界一周、難儀か?」
最後はからかいを含めてランタンが言う。テルルが苦笑する気配がある。
「老体に鞭打ちさせる気か」
「おいおい、年齢不詳が。自分の設定を悔やめ」
「はいはい。好きで千変なんじゃねーっての。じゃ、場所は? いつものとこでいいな?」
「わかってる。イェンを連れていこう。どれくらいでいける?」
ランタンは世界に散る世界傭兵への連絡がいつ済むかを聞いた。
「二週間でいけるだろう。それより姫さん引っ張ってこれるのか?」
世界を一周近く行うという話になるが、さすが世界傭兵だけあって大陸移動に支障はないようだ。
「寝ていたら俺が抱える。問題ない」
貴婦人のテルルが呆れている気配が、声だけでわかる。
「おまえと違って姫さんには役割があるだろう。それにビスマスも来るなら闇はガラ空きじゃないか」
そう言った刹那、ランタンが鼻を鳴らした。
「なら、集まるなんてのは土台無理な話だ。なぁに、何日も空けるわけじゃないんだ。それでどうにかなりゃ、むこうの不手際であって俺らのせいじゃない」
「おまえは姫さん第一だったわ。愚問だわ」
貴婦人はそう言い、立ち上がる。小休止というにふさわしい短い時間。話は唐突に終了した。
だが、二人の世界傭兵の間では、この短いやり取りで取り決めを交わし、互いに去っていく。無駄な会話はしない。それが世界傭兵の決まりごとなのかもしれなかった。