TINCTORA 001

002

 ファキがなくなった、いや、故郷を失ったナックたちはとりあえず隣の村に行くことにした。寒風を凌げなければ寒いクルセスでは生きていかれない。
 ファキの隣の村はゼスという。ナックは父と一緒になって何度かゼスを訪ねたことがあったからだ。キラもそれには賛成してくれたから歩いて三日程度の村へと急いだ。
「おや、ファキのナックじゃないか。どうしたんだよ」
 村に近づいて後もう少しでゼスというところだったが、たまたまゼスの知り合いに会った。名前をティラという。
「おぉ、偶然だなぁ。元気だったか?」
 まだ村から出たことのなかったキラが誰? と視線で問うてくる。
「おお、……そっちの美人さんは誰よ?」
「あ、紹介するな。キラ、こっちはゼスの村長さんの息子、つまり、次期村長のティラ・アザン」
 紹介されて、ティラがどもーと握手をキラに求める。
「ティラ、俺の幼馴染、キラだ。」
「はじめまして。」
 キラがティラの握手に応える。
「で、どうしたのよ? もう冬が来るってのに何しにゼスへ? まぁ歓迎するけどな。」
 軽く尋ねたティラに二人の表情は暗くなる。
「ん? どうした?」
 重い口を割ったのはナックだ。
「実はな、ファキはもうないんだ。俺たちは冬を越すためにゼスを頼ってきたんだ」
「は?」
 隣の村といってもファキとゼスはかなりの距離がある。実際ナックとキラがゼスに来るまで三晩かかった。爆弾の着弾音は届かないかもしれないし、お互いに厳しい冬を乗り切るために冬の間は村を全く出ないクルセスの民は情報交換などしていようはずがない。
 なかなかティラは信じられない様子だったが二人の暗い眸を見て顔が強張っていった。
「……まじかよ。他のファキのみんなは?」
「わからない。村に爆弾はいくつも降って来ていた。誰が生きていて誰が逃げているのか、俺たちにはわからないよ」
 ナックの言葉を聞いてティラは真っ青になる。
「……爆弾? それでファキは攻撃されたのか? ……何てことだ」
「……どうした?」
「ナック、それからルーシさん。爆弾で攻撃されたと言ったな。どういう事か理解できるか?」
 お互いに目を合わせて首を振る。
「いや、いい。まずは俺の家に行こう。そこでゆっくりしろよ。それから話そうぜ。とくに野宿は女の子にはつらかっただろうからな」
 ナックは質問の答えを聞きたかったがキラの事を言われれば従うしかなかった。二人はティラの後に続いてゼスへと歩いた。
 それから半日もしないうちにゼスへと着いた。二人は何も知らないゼスの村人に手厚く歓迎されティラの村長の家に案内され熱い風呂に入り暖炉に当たって、暖かい食事をとった。そのあとにティラが真剣な顔をして二人の元に来た。
「ティラ聞かしてくれ。さっきの質問の答えを」
 ティラはまだ悩むようだったが、意を決したのだろう、頷いた。
「お前たちファキはこのクルセスで一番の腕を持つ武器製造の職人だ。その腕を認められて50年前からファキは王の軍隊専用の製造者になった。しかも第一軍のだ」
 ナックのキラも事実なので頷いた。
「その武器製造者の村が破壊された。生き残りも少なく、な。」
 ティラは意図的に二人の表情を見ないようにしていた。
「わからないか? 考えられることは二つ」
「王に楯突く輩が何らかのメッセージをファキを滅ぼすことで示した、と言う事」
 キラが目を見開いた。
「……レジスタンス」
 ティラが頷いた。最近帝都の付近の町にはレジスタンスが度々テロを起こして軍に誅殺されているのを大人たちが噂していた。
「もう一つは言いにくいんだが。……ファキが何かしらの形で王命を裏切ったってことだ」
「……え」
 キラが呟く。
「どういうことだよ!?」
「わからないが、考えられるんだ。見せしめかもしれないだろ! 現にファキは滅んでおれたちゼスや、セジーヌやトコルカ、クルセスの武器製造に携わる者への警告かもしれないだろ?」
「どういう警告だよっ! 俺たちファキが何をしたんだ!?」
「知らねぇさ! だがな、考えてもみろよ? この国で爆弾を持ちえる組織は何だ! 軍! レジスタンス! それから俺たち武器に携わるもの! それから、賊だ」
 ティラは襟を掴んでいたナックの手を払った。
「消去法で考えたら……わかるだろ」
「そうだね」
 静かなキラの声が男二人を静まらせた。
「賊がファキを滅ぼすとは考えられない。奪うことはしてもあいつらは一つの村を理由なしには襲わない。それからわたしたちクルセスの民は決してほかの村を襲うことはしないわ。ナック」
 キラがナックを呼びかけた。
「私たちの敵はこれで二勢力に絞られた。しかも、次の行き先も決まったわ」
 ティラが信じられない様子でキラを眺めている。
「帝都よ。そこにレジスタンスも軍もいるもの」
 ナックはキラが違う人になってしまったのかそれとも昔からあってナックが気づかなかっただけなのかわからなくなってしまった。
 自分はそれでもキラに賛同する。自分が自分ではない気さえした。
 どこかで警告する声もある、キラの熱に当てられているだけだと、やめたほうがいいと。
「ああ、わかったよ、キラ」
「おまえら……本気か? レジスタンスならともかく軍を相手にするなんて、正気か?」
 キラがあの復讐を湛えた眸でティラを見つめ返す。
「あなたは、わからないから」
「?」
「わからないから、言えるの。目の前で炎に包まれた村とみんなを見ていなかったから。だから言えるの」
 キラが激情のままに叫んだ。
「だから『正気か?』なんて言えるの! 復讐を誓ってから、いえ、ファキが炎に包まれてから当に正気など失っているわ! 狂気だけがあるのよ!! みんなを殺した、ファキを滅ぼした奴等を殺せとみんなが狂気のうちに叫ぶのよ!!」
 ティラは唖然としていた。ナックでさえ何も言えなかった。女は情に厚いというのはこういうことなのだろうか。でも、キラの復讐に燃える眸を綺麗だと思ってしまう自分がいることもナックは自覚していた。
「……好きにしろよ。確かに俺はわからない、けどな! 俺は、ナック」
 ティラがナックを見ていった。
「友達として辛いことがあったからこそこれからは平穏に生きてほしいんだよ」
 復讐に飲まれたキラの憎悪の目と友人を気遣う暖かなティラの目。本能ではティラの目のほうがいいと知っていてもナックにはティラに応えられない。
 ナックがここで諦めればキラは一人で復讐の炎を絶やさずに死んでしまうと知っていたから。
「……ごめん」
 ティラは唇をかみ締めて視線をそらした。
「もし、ゼスに暮らす気があるなら親父に頼んでやるよ」
 二人に背を向けたティラはわざと明るく言った。今言った言葉に応えてくれないと知っていても友人として言ってくれたのだった。
「ごめん、ティラ」
 ナックの謝罪にティラは何も言わなかった。静かに扉が閉められてティラの姿は見えなくなった。
「ごめん」
 ナックはもう一度言った。もうティラの姿はなくても。

「くそっ」
 ティラは廊下を歩きつつ毒付いた。すべてはあの女のせいだ。ナックは明るくて短気ですぐ怒るけど復讐などする性格じゃない。きっとあの女の復讐に彩られた魔性の瞳に引き込まれているだけなんだ。
「コラ、あいさつもなしか? ティラ」
 身近で聞こえた声に驚いてティラは思考が現実に戻ってくる。
「わあ、親父。帰ってたのか。ごめんごめん。おかえり」
 笑顔で父親を迎える。
「お客さんが来ていたのだろう? 話は済んだのか?」
「ん、ああ。まあね。」
 歯切れ悪くティラは笑った。
「お客さんはだれだ? 俺も知ってる人か?」
「おう。ファキのナックとルーシさんだよ。そうだ! 親父、ファキが滅んだのを知ってるか?」
「何だと……!?」
 父親の顔が豹変したのを見てティラは怪訝そうな視線を向ける。
「ファキのナック君……だと?」
「……そうだけど、どうかしたのかよ?」
 父親はしばらく黙って言った。
「……さっきまで俺が出かけていたのはなクルセス卿に緊急で呼ばれていたからだ。呼ばれたのは俺だけじゃなかった。クルセスの村長全員だったよ。ただ、ファキを除いて、な」
 ティラの視線が固まる。先ほど自分が話した結論に達したのだ。
「ファキはレジスタンスに武器を売った。王命に反してな。ファキはその罰として滅んだ。」
「……やっぱり」
「ファキは国を敵に回した。……言いにくいがティラ、ナック君は軍に引き渡さなくてはならない。」
 ティラは衝撃に貫かれる。
「そう、命令が下った。」
「そんな…………」

「さっきはアザン君に悪いことしたな。悪気があった訳でもないし、心配していってくれたのに」
 しばらくして興奮も冷めたのかキラはしゅんとして言った。
「明日謝ればいいさ。明日いろいろ分けてもらってゼスを出よう」
「うん、ここにいられないと言ったし早めに出たほうがいいよね。お互いに」
「ああ」
 明日のことを少し話し合って二人は早々に寝入った。久しぶりのベットだったし寝れるときに寝ておきたかったからだ。
 ファキが滅んでからの日々の疲れと苦痛のせいもあって二人はすぐに寝入ることができた。夢さえ見なかった。
 だが、翌朝目覚めた時にはそこはベットの上などではなく、冷たい床の上で二人は寒さで目覚めた。石造りの床に狭い部屋。
「……ここはどこ?」
「???」
 キラとナックはお互いに目を合わせて首をかしげた。寝るときにはちゃんと暖かいベットで寝たはずなのに現在は床の上で寝転んでいる。これはどういうことだろうか?
「なんで、手が縛られてるの? ゼスってこういう村だっけ? でも私たちお金なんて持ってないのに」
 キラは昨日のティラの様子から自分たちから物を盗むとは考えにくかった。ナックに至ってはどういう事かまったく理解できずにいる。
「おーい。誰か!」
 ナックが大声を上げた。
「おーい。ティラ! いないのか?」
 ナックが二、三度呼びかけると遠くのほうから足音が聞こえてきた。足音は二人のいるところに近づいてきて止まる。足音は複数あるようだった。
「起きたか」
 扉の向こうから男の声がする。
「扉を開けてくれ」
「はい」
 鍵を開ける音の後で最初に知らない男が、続いて村長が部屋に入ってくる。
「久しぶりだね、ナック君。そしてはじめまして……えっと……」
「キラです。キラ・ルーシ」
「ルーシさん。手荒なまねをして本当にすまないと思っているよ」
 やさしそうな表情のまま村長が言った。
「アザン村長これはどういうことですか? 縄を解いていただきたいのですが」
「すまないが、それは出来ない。この様子だと君たちは知らないようだね。君たちは罪人なんだよ、もう、すでに」
 村長が厳しい顔をして告げた。
「え?」
「本当に知らないのか……。よく聴きなさい。ファキは王命に背いた罰として先日村を滅ぼされた。君たちは運良く生き残った。だが生き残りがいると知った陛下は生き残りを処罰する心積もりのようだ。わたしたち、ゼスの者は君たちを明日に軍に引き渡す」
「王命に背いたって、私たちが何をしたって言うの!?」
 キラが叫ぶ。
「レジスタンスに武器を売ることは王命に背くことだ、第一軍の武器を作っていた君たちは特に王命に背いてはならない存在だった。ファキのおかげでクルセス全体の信用度が下がってしまった。これ以上信用を下げないためにも我ら残りのクルセスの民はファキの生き残りを逃さない」
 村長は威厳のある顔で言い放った。
「どうして! 私たちクルセスの民は助け合うのは当然のことでしょう? 私たちは突然村を亡くしたのよ! 自分の村さえよければファキは関係ないの!!?」
 キラが村長に向かって怒鳴った。キラは自分たちがゼスで助けを得られないことを怒っているのではなくファキを裏切ることを是としたことに怒っているのだ。
「ああ、関係ない」
 キラの激情に何も感じない様子で村長は呟いた。
「考えてもみたまえ。君たちを一時の情に流されて救ってしまえばゼスがファキの次を追う事になるだろう。そうすれば、わたしはゼスの全てを消すことになるのだ。後悔せざるを得なくなるだろう。あまつさえ君たちを憎むかもしれない。怨むかもしれない。わたしだけではない、ゼスのみんなが。君たちはそれに堪えられるか? ゼスのみんなが君たちを恨みから殺しても笑って許してあげられるか?」
 キラが目を見開いて黙る。
「……できないだろう? ……助け合いなど言っていられるのは甘い子供の世界だけだ。自分の感情が全てを起こすに正しいと思い上がるな、小娘」
 大人である村長と世間知らずの二人。口論するには現実に差がありすぎた。
「というわけで残念だが君たちは明日、軍に引き渡す」
 一方的に告げると別人のように大人の面を見せた村長は扉の向こうに消えてしまった。
「畜生!」
 ナックはキラの言葉を自身が発したような気持ちでいたから、村長があんな事を言うとも思わなかったし、ああいった人柄だとも思っていなかった。自分たちが考えるほど現実は甘くなかったという訳だ。
「……ナック、私たちどうなるの?」
 キラがこれからのことを恐れて呟く。
「わかるもんか」
 ナックは憮然としている。だが、思い至って真剣な面持ちでキラに向き直った。
「キラ、ここから逃げようぜ」
「え?」
「いいか、村長は明日、俺たちを軍に引き渡すといった。なら、今夜がチャンスだよ。逃げるしかないさ。もし、軍に捕まってしまったら……」
 ナックは続けられなかった。考えを自ら肯定したくなかったのである。
「でも、どうやって? 私たち縛られたままなのよ」
 ナックは立ち上がってキラの背後に回った。そして器用に縛られたままの手でキラの縄の結び目を長い時間をかけて解いたのである。これにはキラも感心せざるを得なかった。
「へぇ、すごいのね、ナック!」
「まあな。キラ、俺の縄も解いてくれ」
「う、うん」
 キラはおたおたしつつもナックの縄をナックの倍の時間を掛けて解いてくれた。
「よし、これであとは夜を待つだけだな」
 ナックの得意げな表情にキラが知識を足していく。
「見回りが来たときにはちゃんと縛られているふりをしなくちゃ。ナック、縄を解いた位ではしゃぎすぎだよ。外に聞こえたら困るじゃない」
 そう諌めるキラの表情も今や明るい。二人は夜を今か今かと待ち続けた。
 夜も更けて、二人が行動に出ようとしていたところにティラがやってきた。
「何の用だよ?」
 思えば最初からティラは村長たちとグルだったかもしれないのだ。暖かく村に迎え入れて安心させたところを捕らえたのだから。
「今から言うことをよく聞け」
 ティラは下を向いていてその表情は見えない。
「何だ? 役人が来た時の礼儀作法か?」
 ナックが鼻で笑った時に目の前に小さな麻袋とそれよりは大きい抱えられるほどの麻袋が投げられた。
「……逃げてくれ」
「……ティラ?」
 ティラが堪えきれなくなったように顔を上げた。その顔は苦悩が張り付いている。村と友人とどちらも選びたい若き少年の、ありのままの心情が。
「逃げてくれ! ほんの少ししか食料は用意できなかった。金は俺が今までためてきた小金しかない、それでも! ……逃げて、生き延びてくれ! お願いだ……」
 ティラの言葉は心からの願いの叫びだった。
「……ティラ、お前……!」
 ナックもキラも驚きを隠せない。まさか次期村長の立場にいるティラがこの行為の意味を知らないわけがない。
 ナックたちはティラが自分たちをだましていなくとも助けはないと思っていた――共犯者、になる行為を。
「一番足の速い鹿を用意してある。ぶっ通しで森伝いに進めば二日でクルセスを抜けてルステリカに着けるだろう。そこから南へ真っ直ぐ進め。十日で帝都に入れる。」
 ティラは自分たちのために決断してくれた。
「いいのか? わからないお前じゃないだろう」
「いいんだ、俺は……決めたんだ。行け」
 ティラが扉を開けて鹿のいるところまで見送ってくれた。
「すまない! 恩に着るよ。お前を友人に持てて俺は幸せだ。」
「何言ってんだよ。……もう、会うことはないだろうな。……生きろよ」
 ティラとナックは最後の別れとして抱き合った。
「ありがとう、アザン君。」
「ティラでいいって。……達者でな、ルーシさん」
「キラよ。心から感謝してる、さようなら」
「ああ、じゃぁ、な」
 二人が鹿の背にまたがりティラに頷いて見せる。
「ありがとう、ティラ!」
「生きろよ! キラ! ナック!!」
 見る見るうちに二人を乗せた鹿は遠ざかっていって、すぐに見えなくなった。
「……生きろよ」
 ティラは二人が行ってしまった先を名残惜しく見ていた。
「お前には失望したよ、ティラ」
 ティラの顔が決意された表情を見せて振り返る。
「親父、俺は自分に正直な行動をとったまでだ」
「残念だ。俺の後を継ぐのはお前だと思っていたのだが、今にしてみれば一時の情に流されたお前にゼスは任せられないな。弟のカイスに任せよう」
 ティラは正面から父親の視線と対じする。
「かまわない、ゼスの村長の座より俺には大切なものがあったまでだ」
「……? 誰がゼスの村長の座だと言った? お前が失うのは」
 冷たい父親の表情をティラは始めてみた気がした。
「人として生きる権利だ」
 ティラの顔が驚きに彩られる。
「え」
「あの二人の代わりにお前が人の座から落ちろ、ティラ。今からお前はゼスの民でもない、アザンの名も語ることは許されない。……それを知っていても、あの二人に生きていて欲しかったのだろう……?」
「……親父……?」
「聞こえなかったのか? お前は俺の息子じゃないし、人間でもない。明日、お前があの二人の代わりに軍に引きずられるのだな」
 ティラは強引にさっきまで二人がいた部屋に閉じ込められた。
「馬鹿が、中途半端な正義など持つからこうなるのだ。二人を逃がすならお前も一緒に逃げればよかったものを。愚かに俺の手を煩わせてからに」
 こうして目の前の扉は閉まった。その音がティラにはこの世を終わらせる音のように思えて仕方がなかった。

「ティラは本当にいい人だったね。」
「ああ、この騒動が終わったころにはあいつも村長になっているだろうし、礼を言いに戻ってもいいかもな」
 二人は遠い未来に思いを馳せて微笑んだ。
「そうだね、すっごいお礼を持ってね」
 二人は和やかにしばしの時をゆく。自らのせいで友人の運命を変えたとも知らずに……。