TINCTORA 001

003

 二人はずっと走り続けてルステリカへと入った。クスセスと同様、冬の厳しいルステリカはもう冬支度が終わっていた。それでもクルセスとは違ってまだ人々は活発に活動している。
 ナックは始めてクルセスを出たキラが不安にならないようしっかりとエスコートしてあげた。冬の町は宿屋がない。それはわざわざ好んで寒い地方に来る客がいないからだ。だから旅のものは大きそうな屋敷の世話にならなくてはならない。
 以前、ナックが父親と村長とここへ来たときには村長さんの家に泊まったが自分たちが罪人であるならばそれは無理だろう。かといって、小さな家ではすぐに通告されてしまう。
 どうしようかとナックは悩んだ。仕方なくキラに相談してみるとあっさりとしてキラが言った。
「人に聞くのが一番じゃないかな」
「だが、ゼスの村長が言ってたんだぞ、俺たちが罪人だってな。危険じゃないか?」
「うーん、そうだけど、ここでぐだぐだ言ってお腹が空いてるままなのもやだし、それにここはクルセスじゃないからファキが滅んだことさえ知らないかもしれないよ?」
 ナックはしばらく唸ってそうだな、と言った。
「じゃ、ナックはここで待っていて。わたしが聞いてくるから」
「えぇ!? 何を?」
「んもう、ナックのお馬鹿さん! 食料を分けてもらえそうなところを聞いてくるに決まってるじゃない」
 呆れてキラはナックにため息をついた。
「ま、待てよ! 危険だって! 俺が行く!」
「だめだよ、ナックは単純だから心配なんだもの。それに私だっていつまでもナックのお荷物でいるつもりはないんだから」
「……お、俺は……別にキラの事荷物なんて思ってない……ぞ」
 ナックは下を向いて小さな声で言った。
「はぁ……ナックは比喩表現も解らないのね。これだから! もう! やっぱりまかせられません! ナックはここでおとなしく待ってなさい」
 キラは本当に呆れてしまったらしく、ナックに制止の間も与えずに人のいるほうへ行ってしまった。
「……俺はそういうつもりで荷物って思ってない、って言ったのに。……比喩表現がわからないのはどっちだよ……」
 ナックはキラの後姿を見ながらため息をついた。キラはそんなナックに気づく様子もなく、話をしている女性の元へと走っていった。
「あの、すみません」
「? おや、どちらさんだい?」
 片方の女がキラに向き直る。
「私、旅のものですが、ここらで食料を分けていただけるお屋敷を教えてくださいませんか?」
 女は思いっきり不審げにキラを見た。
「女の子が一人で北を旅、してるのかい?」
「いえ、あそこに見えるのが私の連れです。理由を言うのは恥ずかしいのですが、その……私たち、駆け落ちしてきたんです。冬が来るまでに南へ行きたくて……」
 キラの演技は完璧だった。少々下を向いて恥らう様子など、本物のようで、見ていたナックまで赤面してしまった。まぁ、ナックの場合はキラの持ち出した旅の理由に赤面していたわけだが。
「まぁ!! そりゃ、すごいね。親御さんはどうして反対を?」
 理由が深くなってもキラは焦らない。むしろ堂々として答えている。
「じつは私には婚約を約束した人がいたんです。その人とはわたしが十八になったときに結婚する約束でした。……ですが、その方は待っていられなかったのでしょう、もしかしたらまだ幼い私に全く興味がなかったのかもしれません。」
「そ、その婚約者はいくつなんだい?」
「私の八つ上です。」
「まぁ……!!」
 何がまぁ、なのかナックにはさっぱりわからない。とりあえずキラの話におばさん二人が引き込まれているのだけは確かだった。
「彼は私の見ている前で他の女と逢瀬を重ねました。私は許せなかった。それにこんな男のものにはなりたくないと思うようになったんです」
「当然だよ!!」
「最低な男だね!!」
 ……おばさん、ヒートアップしすぎ……。
「その時悩む私に助言をくれたのがあそこにいる彼でした。彼はやさしくしてくれた。」
「いい男だね」
「お分かりでしょうが私は彼に恋しました。彼も私を思うようになってくれたのです。ですがそれを婚約者とお父様は許しませんでした。彼はお父様の村長の権限で村を追放にされました。私は出ていく彼に言いました。『どうか、わたしも連れて行って下さい!あなたなしではもう、生きていけません!』彼はとても困って様子でしたが、『一緒に生きよう』と言ってくれました。」
「素敵! ロマンね!」
「うちのだんなもこれ位格好いいこと言ってくれないかしら」
 ナックは恥ずかしくなってきた。早くここから去りたい、っていうか、穴があったら絶対入る!
「それで今に至る訳です。あら、私ったら、見ず知らずの方々にこんな話を長々と! ごめんなさい」
 慌てて謝るキラ。……キラ、俺にこそ謝ってくれ!!
「いいんだよ、お嬢ちゃん! あんたはこれから幸せになるんだよ!」
「ありがとうございます! で、教えていただけます? 出来れば村長のお宅ではない所がいいのですけど……」
「そうだね、うちのところの村長がお嬢ちゃんのところの村長に言いつけたらたいへんだからね、よし、いいかい……」
 キラが涙ぐむおばさんたちに見送られつつ笑顔でご帰還。ナックは笑いが引きつったままの顔でキラを迎えた。
「ナック、聞いてきたわ」
「う、うん。ソウダネ……」
 ナックはもう早くこの場から去ってしまいたかったからキラの手を引いてそうそうに逃げ出した。それをなんと勘違いしているのか微笑ましくおばさんたちが手にハンカチを持って大きく腕を振り上げている。
「ナック、どうしたの?」
「俺ここの空気はちょっと、いや、ものすごく嫌だからさー……」
「そ、そう?」
「そう!!」
 ナックがキラの腕を放したのはおばさんたちがいないと知っていても村はずれになったところだった。
「で、どこに行けば食料を分けてもらえるんだ?」
 ナックは自分の頭が冷静になるまでキラを引っ張って歩いていたのだった。
「うん、おばさんの話だと、ここにはどこぞの貴族のお屋敷が村はずれに建ってるんだって。で、いつもは使われてなくて使用人の人が住んでるだけらしいんだ」
「その貴族は住んでないのか?」
 ナックは尋ねた。
「そうなんだって。なんでも夏場だけ避暑に使われているお屋敷だから、たぶんクルセスの事とかはあまり関係ないと思うの。どう?」
「そうだな……」
「何かあっても村長より、そこのお屋敷の貴族さまの方が立場は上だし、余計な詮索されずにすむと思うの」
「いいな。まだファキが罪人って決まってからそんなに日はたってないし、主人がいなくて使用人しかいないなら、決定だな。行こうか、キラ」
「うん!」
 二人は狭い村の中を歩いて村の中では南よりの村はずれにある貴族の屋敷を目指した。
 さすがに狭い村だけあってキラとナックの噂が回るのは早く、ナックはあちこちで下を向かなくてはならなかったが他は特に問題なくその屋敷へはたどり着いた。
 逆にキラがあらぬ作り話をしたおかげでナックたちがファキの者と疑われずにすんだ、という点ではキラはよくやったとも言えよう。
 目的の屋敷は白く雄大だった。思わずキラもナックも扉のノッカーを叩くのを忘れてしまったほどだった。が、ナックたちは知らないでけでこの屋敷は貴族の中では質素で小さめの屋敷といえた。
 門から屋敷が見えるし庭の面積も小さく趣向が凝らされていない。本当にまったく夏以外は使用されないのだろうがそれでも村長などの屋敷に比べれば大きいものだった。
 ナックとキラは今までこんな屋敷を見たことがなく本当に驚いた。
「あ、やべ。すっかり本来の目的を忘れるところだった。」
 ナックは時間に直すと五分くらい放心していたので、思いかえってノッカーに手を伸ばした。屋敷のノッカーはこれまた大きく獅子を模って作られていた。
 コン、コン
 しばらく待ってようやく足音が聞こえてきた。
「はい、どちらさまですか?」
 大きな重い扉を慣れているのだろう、簡単に開けて女給姿の女性が顔を出した。
「すみません、旅のものです。食料を少し売っていただけないでしょうか」
「まぁ、どちらからいらしたんです? お急ぎでなければお上がりになられませんか?」
「いいんですか?」
 ナックが止める前にキラが瞳を輝かせて言った。
「かまいません。どうせわたくしたちはだんな様がいらっしゃらないときはこの屋敷を好きに使っていいと命ぜられておりますので」
 女はにっこりと笑って扉の中に二人を招きいれた。二人は中に入った瞬間に歓声を上げる。
 そこはまるで宮殿のようだと思えたからだ。高い天井には巨大なシャンデリア、大理石のような真っ白な床。壁という壁には天使の絵が描かれ、柱という柱のは細かな彫刻が施されている。玄関ホールに続く回廊は果てなく続いていそうだった。
「お気に召されましたか? だんな様も喜ばれますわ」
「ここに住んでいる貴族様はどなたですか?」
 ナックが尋ねた。女は微笑んで
「帝都に御住まいのフェレージ卿です。貴族階級でいえば伯爵です」
「伯爵さま!!」
 キラが感嘆して叫んだ。
「マスイ、アレク! このお二人のお部屋をご用意して頂戴。セリムを呼んで、そう」
 二人が屋敷の様々な物に感激しているうちに女はちっちゃと二人をもてなす準備を始めた。
「お二人は今宵の宿はぜひこちらにして下さいな。だんな様がいらした時の話の種にさせて頂きたいのです。かまいませんか?」
「あ、いいんですか?」
 ナックは遠慮よりも警戒して言った。
「もちろんですとも! あ、申し遅れました、わたくしだんな様よりこの屋敷の全てを任されております、ラキ・ヴァナトと申します」
「短い間ですがお世話になります。こちらこそよろしくお願いします。ナック・ヴァイゼンです」
「よろしくおねがいします、キラ・ルーシです」
 ヴァナトは頷いて笑った。
「ルーシさま、ヴァイゼンさま。フェレージ様の客人として丁重におもてなしさせていただきます」
「キラでいいです。その代わりラキさんって呼ばせてください」
「承知致しました、キラさま。どうぞ呼び捨てで、ラキとお呼び下さい」
「俺もナックでいいですから」
 ナックも慌てて言った。
「はい。畏まりました。ナックさま」
 ラキの後ろから幾人かの使用人が二人に言った。
「お二人の湯浴みの用意が出来ましたがいかがいたしましょうか?」
「はい! 今すぐ入らせていただきます」
 キラは久々の風呂に喜んで駆けていった。ナックも使用人の後に続く。二人には親切なラキのことを疑う気持ちはすでになかった。

「失礼します、若様」
 二人が久々の風呂を楽しんでいるとき、ラキは上の階へ行って本当の客人の扉を叩いた。
「どうぞー」
 中から幼い声が返事を返した。ラキが中に入ると目的の人物は窓枠に腰掛けて空を見ていた。
「どうしたの?」
 特にラキに顔を向けもせず少年は問う。
「新たに客人を招きました事をご報告にと思いまして」
「そー。どんな客?」
 そこでようやく少年は顔をラキの方に向けた。
 少年の瞳は澄み渡った空色、旅の護り石とされる、トルコ石の鮮やかな水色。肩を流れる真っ直ぐな栗色の髪は腰まである。普段はポニーテールにしているが今はくつろいでいるからかその美しい髪を垂らしている。
 歳はまだ成人を迎えてはいないだろう、幼い顔つき。だが成人すればその顔は誰もがうらやむ極上の美しさを放つのは必須。
 ラキは少年を見てため息を漏らす。
「僕の顔見てため息吐かないでよ、感じ悪いな」
「若様がお美しいから漏れてしまうのです」
「そう? で、客ってどんなの?」
 少年はどうでもよさそうにラキの褒め言葉を流した。
「はい、若様と同年代かと思われます少年と少女です。名は少年がナック・ヴァイゼン。少女をキラ・ルーシと云うそうです」
「へぇ。で、何が面白そうなの?」
「面白い、という訳ではなく、キラと云う少女の瞳と御髪の色が若様のお連れ様と同じだったものですから珍しいと思いまして」
「本当!?」
 少年は身を乗り出してラキに確認した。
「はい」
「それはいい。俄然興味が湧いてきたね。ありがと、またあとでその女を見に行くけど構わないね?」
 ラキは悩んで言った。
「それは構いませんがお立場はよろしいのですか?」
「……そうだったね。じゃ、こっそりと」
「承知しました」
 ラキは一礼して部屋を出て行く。少年は窓枠から降りて静かにベッドに腰掛けた。
「そろそろ起きない? もうすぐ夜になるんだけどな」
 ベッドの中から返事はない。
「そろそろ僕、独りでいるのに飽きたんだけど?」
「ぼくはひとりでいるのには飽きてないから。もっと寝させてよ」
 ようやくベッドの中から返事が返ってくる。その声は寝ぼけ声でも鈴を鳴らしたように透き通ったいい声だった。
「自分勝手だなぁ、僕が寂しくてもいいのかい?」
「自分勝手はどっち? ケテルのせいでぼくは昨日寝れなかったんだから。そこらへん、考えてよ」
 少年は甘く微笑んで頭まで布団を被っている人物に語りかける。
「そう……だけど、もう夜だよ。寝すぎじゃない?」
「……」
 答えなくなったからそっと少年は布団を剥がした。中から迷惑そうな顔をした美しい青年が現れる。
「おはよう、ティフェ」
「……」
 だるそうにベッドの中で今まで惰眠を貪っていた青年が起き上がる。
 青年の髪は漆黒。顔のラインに沿い、流れる黒髪は濡れたような艶を持ち、青年の肩口で切られている。髪が覆う肌は透き通り、真っ白な降ったばかりの雪色。きめ細かい象牙の肌は思わず触れるのを躊躇ってしまう位だった。
 その肌の造りは東洋の美女顔負けだろうにその肌にケテルと呼ばれた少年は躊躇いもなく触れる。
「で、なんか用なの?」
「別に用などないよ。ただ寂しかっただけ、と言ったでしょ?」
「嘘だね」
 青年が即答した。青年の瞳がケテルを覗き込む。青年―ティフェレトの瞳は闇夜を孕んだ深い深い蒼穹の色。ケテルは始めて逢った時からこの澄んだ深い青色に惹かれた。
「ラキが面白いことこ教えてくれたのさ、それだけだよ」
「ふぅん。じゃ、ぼくは関係ないじゃないか。まぁいいけどね。多少寝過ぎではあったし」
 完全に目が覚めたようで、ティフェレトはベッドを降りて立ち、うーんと背伸びする。
「ぼくシャワー浴びたいかも。夕飯まだだよね?」
「もちろんいいとも、だけど今はだめだよ」
 ティフェレトは不思議そうな顔でケテルを見つめる。
「なんで?」
「新しいお客さんが今お風呂だからさ。ティフェはお風呂で知らない人とばったり、どっきりしたいのかな?」
「まさか。……あぁ、それが面白そうなことの原因なの」
 一人で肯いてティフェレトは納得する。
「その通り」
 答に満足してケテルは笑った。

 風呂が済んだ二人は大きい食卓で今まで夢でさえ見たことがなかった豪華な食事にありついていた。次から次へと出てくるご馳走に二人は目を回すほどありったけ口に詰め込んだ。
「おいしいです!」
「ご満足いただけて何よりです。シェフも喜びましょう」
 ラキがそんな二人を見て笑った。
「ラキさん、一つ聞いていいですか?」
 キラが急にラキにまじめな顔で言った。
「どうしてこんなみすぼらしい旅人を快くもてなして下さるんです?」
「だんな様の話の種にと、申し上げましたが?お話くださいますか?」
「おかしいですよ、だってもし私たちが悪いやつだったらどうするんです? ……私たちの何が目的なんですか?」
 ナックはキラがはしゃいでいるとばかり思っていた。警戒を怠っていると。だがキラは楽しんでいつつもラキを観察していたのだ。ナックはキラに舌を巻かずにいられなかった。
「うふふ。お利口な女の子だったんですね。いいでしょう、お話します」
 ラキは笑っていった。
「わたくしは本名をラキ・ヴァナト・フェレージと言います」
 ナックはラキを見つめなおした。
「では、あなたが伯爵さまだったんですか」
「はい、わたしはこんな格好をしていますけれど、性別は男。ここのルステリカ公に仕えここらの村をルステリカ公の命により、治めています。最近、帝國が揺れているのをご存知ですか?」
 ナックとキラは何も言わなかった。
「レジスタンスが帝都では暴動を度々起こしているようです。ルステリカは帝都とそんなに離れていません。実際、馬でも使えば十日もせずに帝都に入れます。そのため情報がはやく、その知らせに踊らされた民がレジスタンスに入ろうと職を手放してしまうのです。そのためにここで旅人を迎え入れてレジスタンス志望者なら軍に引き渡します。これがお引止めした原因のひとつです。……ですがあなたたちなら心配ないでしょう。……駆け落ちなんて、若いですねぇ」
 ラキは微笑んで言ったがナックは再び赤面した。
「……もう一つは?」
 キラが追求した。
「あなた方の目的地はどこですか?」
「……一応、帝都です」
「そうでしょう、冬の民は冬に対して対策が入念ですから格好をみればあなたたちがどこから来たかは憶測できます。ルステリカのより奥の極北の街。あなたたちはクルセスの民ですね?」
 ナックとキラは驚いて目を見張る。
「団結の強いクルセスの民が冬篭りの前にやってきたのなら理由は一つ、村を追い出されたのでしょう? その点では駆け落ちですから合っていますね。そして向かう先は冬ではない地域、すなわち南か帝都。違いますか?」
 ナックは表情を硬くして頷いた。
「わたしはお願いがあるのです。帝都に入るあなたがたに」
「お願い……?」
「そう、吾が主ルステリカ卿に伝言を、伝えてほしいのですよ」
「伝言……?」
 ラキは頷いた。
「こうお伝えください、『我、空の欲望に囚われん。冬は長きの眠りに、餓えに、囚わるる。暁闇に金色(こんじき)の矢を放て』と」
「……空の欲望、暁闇に金色の矢……」
 ナックが意味を探ろうと考えるとラキは笑った。
「意味など考えますな。暗号ですから。卿にはそう云えば伝わります。お願いできますか?」
 キラは頷きつつ尋ねた。
「手紙とかはだめなんですか?」
「はい。これは声という媒介があってこそ、はじめて意味をなしますから。だからこそわたしはこの時期の旅人を待っていたのです」
 ラキは笑っていった。何かよくわからないが重要な仕事を任された気がした。

 翌朝ナックとキラは優しいラキに見送られて屋敷を後にした。親切なラキは帝都までの食料に地図と方位磁針、二人乗りできる馬までくれた。
「なんか、わたしたち旅に出てから親切な人にしか会ってないね。ティラといい、ラキさんといいさー」
「そうだな、神様がきっと俺たちの背中を押してくれているんだぜ」
「違うよ、殺されたファキのみんなだよ」
 キラは普通に言い放ったがナックは馬の手綱を握り締めた。キラは馬の後ろにいるから顔は見えないが泣いてるんだ、と分かってしまった。
「……そうだな」
 努めて何でもないようにナックは返すので精一杯だった。

「見た!? 本当にティフェと同じだったよ!!」
 ナックとキラがラキの屋敷を出てから二階ではその様子をケテルとつまらなさそうなティフェレトが見ていた。もちろんそんな事はナック達は知らない。
「そうだね。そんなに黒髪に青目って珍しい?」
「うん。君と初めて会った時の感動が蘇るかなぁ。」
「そんなもんなんだ」
 テェフェレトはつまらなさそうなのにも関わらずケテルと同様に二人が消えた先を眺めている。
「見つけたよ、あの子がティフェの影だ」
「そうなの? 特に何も感じなかったけどな。まぁ、いいけど。これからどうするの?」
 二人が見えなくなってティフェは窓から視線を外す。釣られてケテルも窓から離れた。
「決まってる。帰るさ」
 そう言うか否やケテルは杖と外套を持って部屋を後にする。テェフェは何も云わずに自分の背広だけを持って後に続いた。階段を下りてホールに出るとナック達を見送ったラキがケテルに駆け寄る。
「どうかなさいました? 若様」
「帰る。表に馬車を用意して」
「そんな!! どうしてです? 予定ではあと三日滞在して下さるはずじゃないですか!」
 ラキは失意のどん底に落とされたように絶望的に叫ぶ。
「ごめんね、面白いもの見つけっちゃったんだ。また来るよ」
「次はいつお越しになるんですか!?」
 ラキは半泣きで言った。ナック達と対峙していた時とは別人である。
「さぁ? また連絡するよ。あぁ、泣くな、ラキ」
 ケテルは微笑んでラキの頭をなでてやる。
「若様がいらっしゃるからこんな格好までしましたのに……あんまりです」
「へぇ、それ趣味じゃなかったの?」
「違います! 若様が余りにもわたくしに冷たいから御身に添えるよう女装したまでです!」
「勝手に僕のせいにしないでくれよ。しかも好かれるのは嬉しいけど、女装したってラキは男だから」
 鼻でケテルは笑った。
「でもこの格好が似合うと言ってくだすったのも若様ですのに……」
「そうだったかな? あぁ、来たね。支度はできたかい?」
「うん」
 ラキはケテル熱愛者のくせにティフェレトを見た瞬間に頬を染めて見入った。ティフェレトはそんなラキの視線に気づきもしない。
 表に馬車の音がジャストタイミングで聞こえ美しい二人は表へと出た。
「じゃぁね、ラキ。また来るから、そう泣くでないよ」
「はい! またのお越しを待ってますから! 必ず来てくださいね!!」
 ケテルは笑ってラキの見送りに応え馬車に乗り込む。馬車の扉が閉まり、発進してもラキの泣き声は響いていた。
「君がいるとね、ティフェ」
「何?」
「僕も周りから結構美形で通ってるんだけどね、どうもスルーされる気がするんだよね。ラキも僕にぞっこんの変態のくせに、君が来た瞬間に君に目移りしてたよ。あー、僕って可哀想!」
 少し眉を顰めてティフェレトが言った。
「じゃ、連れ歩かなきゃいいじゃん。今回だってホドに北の視察を任されたのは君だったはずだけどね」
「だめだよ。僕のモノって自慢したかったんだから。連れ歩かなきゃ意味がない」
「何それ」
 呆れた様子のテェフェレトの顔にケテルは手を添えて引き寄せる。
「この『美しさ』は僕のものだと、ね」
 引き寄せてケテルは彼の薔薇色の薄く形の良い口唇(こうしん)を甘く捕らえる。
「ん……」
 艶ある吐息が漏れて唇の傍らでケテルが笑う。
「ホドに手配してもらわないとね。あの女、君の影でさえそれは僕のモノだ。舞台はどこにしようか? 炎上がるファキ、憎悪渦巻く帝都、僕の支配するケゼルチェック。……ねぇ、どこがいい?」
「どこでも、いい。ぼくはぼくの影なんてどうでもいいから」
 頬をかすかな薄紅に染めてティフェレトは言った。
「そ? じゃ、こうしようか。僕は君の影を見つけた。君の影を僕が捕らえよう。だから君は僕に僕の影を与えておくれ。いいかい?」
「……いいよ」
「約束だよ? ああ、楽しみだね。これから毎日が楽しくなるよ」
 幼い独裁者は嗤う。彼は何を望むのか。
 運命の歯車は意図的に急速に回り始めた。この、欲深いケテルという少年によって。

 そして己が運命が仕組まれたともしらずにナックとキラは帝都へと進む。残酷な真実の谷底へと堕ちていくことを彼らはまだ、知らない――――。