TINCTORA 002

006

 処刑の時刻に、なってしまった。あれから二人に出来たことなんてないに等しい。
 二人は知らない間に町を一巡し、広場に戻るころには騒がしい、もう、罪人が晒されている広場にたどり着いていた。
 二人にはこのまま、処刑を見ないことも出来た。無力さに打ちひしがれて、逃げて、せめてみんなのうちの誰かが死ぬところなんて見なくてもよかった。
 二人にとってせめて、処刑を見ることで自分たちに気づいてくれるかもしれない仲間が、自分たちに最後に残すメッセージを受け取るかもしれない、そんな可能性にかけて、広場へと足を……運んだ。
 人を押しのけて処刑のまん前に立つ。キラは泣かないように堪えるので精一杯だった。みんなは十字架に張り付けられて死神が鎌を振り下ろす瞬間を待っているように見える。
「……ロイド」
 ナックの友達の一人。よく親父様に内緒で作業をさぼって叱られた。
「タツムさん」
 あまり話したことはなかったけど、黙々と作業をこなす人だった。
「……ルジベルート」
 キラの友達の彼氏だった。キラの友達も捕まったのだろうか……。
「ウィンディア……カジャスタ……」
 残りの二人はナックとは仲良くなかったもののよきライバルだった。
 ナックはひとりひとりの名前をそっと小声で呼ぶ。風が彼らにだけ伝えてくれるように……。
 二人はもう何も言わずにただ、みんなを見ていた。周りが歓声を上げる。……どうしてこんなに騒いでいるんだ? こいつらは。誰かの声が響き渡る。何を言っているのか、わからない。
「これよりぃ、ファキの生き残りであるぅ、罪人五人を銃殺によってぇ、公開処刑するぅぅ!!」
 軍人が叫んでいる。周りの民衆がどっと沸いた。
「処刑者、前へっ!!」
 一番左の十字架に張り付けられているロイドに向かって五人の銃を抱えた軍人が規則正しい足取りで行進した。そして一列に並ぶ。
「構えぇぇえ!!」
 号令と共に銃口がロイドの心臓に向く。ロイドは顔を上げ、そこで自分の人生を見ていたようだった。しかし、虚ろな視線がナックとキラに向いた。ロイドが口を開けて叫ぶ――
 ―――――ドドドドドッ!!!!
 硝煙が一斉に銃口から立ち上る。ロイドの胸から雨のように赤い血が噴出した。ロイドは叫んだままの口がほんのわずかに動き、瞳孔が光を失って絶命した。
 ――ワアアアァァァァッッ!!!
 歓声が広場にこだまする。
 ナックには最後にロイドが何を言ったか、わかった。ただ口が―ナック、とだけ動いていた。
 ナックとキラを残したまま処刑は進む。
「構ええぇぇえっ!!」
 次に銃口が向いたのはロイドの隣にいたタツムだった。
 タツムはロイドの最後でキラをナックに気づいたのだろう。笑って、首を振っていた。
「放てぇっ!!」
 ―――――ドドドドドッ!!
 たなびく硝煙の中で笑顔のままのタツムが死ぬ。
「嫌だぁ! 嫌だぁぁ!! マナ! マナぁ!」
 ルジベルートは泣いて恋人の名前を叫んでいた。容赦なく発砲音が鳴り響く。キラが口元を押さえ必死に耐えていた。
「……死ぬのはいやだぁ!! やめてくれぇ! 助けて! 嫌だああああ!!」
 ウィンディアの悲鳴と絶叫は発砲音にかき消される。
「やめろぉぉぉぉおお!!」
 突然どこからか声が響いた。ナックは声のほうを見つめる。
「なんで、なんでこんなことすんだよ!! こんなんだから帝都にはレジスタンスが出てくんだよっ!!」
 民衆の中から叫んだのは小さな子供だった。子供は叫んで処刑を中止させようとしている。
「何だ! お前!! 捕らえろ!」
 軍人が命令する。子供は叫びつつ逃げ回った。
「ナック!! 助けてくれぇ!!」
 今まさに処刑されようとしていた最後の一人がナックに気づいて叫ぶ。
「カジャスタぁ!!」
 限界だった。叫ばずにはいられなかった。キラも我慢の限界が来たのか涙を流して叫んでいる。
「お前! まさかファキの生き残りかっ!?」
 軍人がナックを見、キラを見た。一方子供は巧みに軍人から逃げている。場は騒然となった。民衆は突如叫びだした子供と罪人と関係ありそうなナックたち両方に目を奪われていた。
 ――そのとき!!
 目の前で赤き閃光と爆発音が轟いた。広場に悲鳴がこだまする。誰もが我先にと逃げ出した。
「なっ!?」
 ドォーン! ドォーン!
 何発もの爆弾が広場で火を噴く! ナックとキラも立ち上がって逃げ始めた。いきなり何が起きたのかさっぱりわからない。ただ、逃げ惑う民衆と戸惑う軍人が残された。
「ナック、今のうちにカジャスタを助けよう!」
「ああ!!」
 逃げ惑う人々と反対の方向にナックたちは駆けていき、カジャスタの十字架にたどり着く。
「ナック! キラ!!」
「今助ける!!」
 ナックは足の硬い縄を解きにかかる。
「よく、無事で!」
 キラがカジャスタに言われ、うんと頷いているのが気配でわかった。
「くそ、硬いな……。……え?」
 縄を解くナックの手に暖かいものが落ちてくる。キラの絶叫。視界は真紅に染まる。
「いやぁぁあああああああ!!!!」
 ナックが上を向いたときそこには額や胸を弾丸に貫かれた友が映った。
「うそ……だろ?」
「貴様らもファキの生き残りだな! この場で処刑する!!」
 軍人の一人が銃口を二人に向けて厳かに告げた。
「やらせねぇよぅ!!」
 軍人の体が新たな発砲音で傾き、絶命する。
「逃げるぞ! ついて来い!!」
 突然現れた長身の男は銃を担いだまま二人に言った。
「え?」
「おらっ! 死にたいのか!? さっさとしやがれっ!」
 男は土煙が舞い上がる広場を駆け抜ける。ナックとキラは急いでその背中を追った。

「たぁっく、無茶しやがるぜ。大丈夫か?」
 男は走っていって近場の馬に飛び乗った。
 仲間がいたらしくナックとキラはそれぞれ誰かの後ろに乗せられた。馬に乗せられている中に先ほど叫んだ子供もいる。
 広場では爆弾の音は鳴り止んでいた。
「あ、あなたたちは!?」
 キラが男に問う。男はキラとナック、それに叫んで男の子に聞こえるよう怒鳴った。
「質問は後にしろ!! とりあえず今は逃げるぜ!」
 馬に鞭を打ち、このよくわからない団体は逃げていった。
 逃げた一同は寂れた酒場に到着した。そこは暗く、誰も入る気を起こさせない感じがした。
「俺たちのアジトだ。入んな」
 男に促されてナックとキラはおずおずと中に入った。中は意外とにぎわっていて若い女が昔のキラのように働いている。
「おっかえり~」
 女が男に笑いかける。そのとたんに場は一斉に男のほうを向いた。
「おっす! ただいま」
 男も満面の笑みで言う。怪我人はいないな、とみんなを見渡していった。
「あら、誰? この子たちは?」
 女が男に酒を渡しつつナック、キラ、そして男の子を見た。
「知らねえ。そういや、自己紹介がまだだったな、俺たちはこのエルス帝国の皇帝・サルザヴェクⅣ世のやり方に不満を持つ者だ。まぁ、反抗分子ってやつだな。俺はここ、帝都の北方をリーダーに任されてる。サフラン・ジェイだ。お前らは……ファキの民だな?」
 サフランがそう確信めいて言うと酒場全体がざわついた。
「そうだ。俺はナック・ヴァイゼン。こっちは俺の幼馴染で同じファキの民、キラ・ルーシだ」
 ナックは負けじとサフランを睨み返した。
「ナックにキラね……。よろしく。お前らはあそこで何をしていた?」
「決まっているでしょう! みんなを助けたかったのよ!!」
 キラが叫んだ。きっとみんなが処刑されたこともあり、感情が上手くコントロールできないのだろう。
「だけど、出来なかった……と。それでただ、この坊やが叫ぶのに乗じた訳だな?」
「……!!」
 キラが何も言えずにサフランを睨んだ。
「そうだ。俺たちはみんなが処刑されると知っていても、何も出来ない、愚か者だ。……だからといって、お前なんかに俺たちの行動を責められたくない。俺たちを責めることが出来るのは今日死んだみんなだけだ!」
 ナックがキラの代わりにサフランに食って掛かった。
「……成程。すまない、言い方が悪かった。謝ろう。俺が言いたかったのは、その、もう少し慎重に行動しろ、って言いたかったんだ」
 サフランは申し訳なさそうに言った。
「……え?」
「つまりな、お前たちはファキの生き残りであることを隠し続けなくてはならない訳。なのにあんな軍人だらけの場所で自分たちの身分を明かすようなまねはするなってことだ。……死ぬからな。それはお前も一緒だぜ? 坊や」
 サフランは向こうにいる男の子に言った。
「でも! 私たちは助けたかった!!」
「わかるさ。俺たちがお前たちの気持ちを理解出来ない訳じゃない。俺たちだって反抗分子として活動を始めてたくさんの仲間が死んだからな。……いいか、お前たちは幸運にも生き残ったんだ。命を無駄に使うなよ。お前たちが生きて、ここに来たのは何かの理由があったんだろう?」
 サフランは泣いているキラの頭を優しくなでた。
「……わ、私たちはっ……みんなの、仇を、打ちたい!! 復讐してやる、んだからっ! みんなを殺した、ファキを滅ぼした奴等、にっ!!」
 キラが泣きながら言った。ナックも視線で問われ、頷く。
「そっか。じゃ、わかったろ? 相手は国なんだ。一人でやれることはたかが知れてるさ」
「それでもっ!」
 ナックがサフランに言った。
「うん、わかる。……だからな、お前ら、俺の仲間にならないか?」
「……え?」
 ナックとキラが同時にサフランを見た。
「俺たちな、もともと今日はファキの奴等を助けようと思ってたんだぜ。だけど、来るのが遅れて……悪かったが、みんなの復讐をして、なおかつまだ生きているみんなを助けたいんだろ? ……俺の手を取れよ!」
「……!?」
 サフランは強い笑みを浮かべて手を差し出した。
「今度こそみんなを救ってみせようぜ!! なっ!」
 それは反射反応のようにキラがナックの手を握り、ナックがサフランの手を握った。
「お、俺も!! 俺も仲間に入れてよっ!!」
 奥から、男の子が声を上げる。サフランは男の子をまじまじと見た。
「俺はファキの人間じゃないけど、俺、俺……」
 最後には涙声になっている。
「俺! ファキのトムゾン・ファルクに世話になったんだ!!」
「トムゾンさんに!? ……君……?」
 ナックが知っている名前を聞いて男の子に視線を向けた。男の子は北のクルセスでは珍しい黒髪に黒い目だった。こんな子供がいたなんて記憶はナックにはない。
「……名前は?」
 サフランが言った。男の子は多少びくつきながらもはっきりと言った。
「カナード。俺は捨て子だから、ファミリーネームはないよ」
「でもお前はまだ、こんな小さな子供じゃないか。仲間には入れられないぜ」
 サフランに向かってカナードは喚く。
「なんでだよ! どうして子供はいけないんだ!? 俺だってみんなを助けたいのに、俺は、子供だからその権利がないのか!?」
 子供は泣きじゃくって己の非力さと無力さを嘆いている。きっと考えたのだろう、こんな小さな自分に一体なにができるのか。そして子供ながらに無謀にも民衆に訴えることを実行したのだ。
 それはただ見ているしか出来ない、ナックとキラより勇気ある行動だった。
「お願いだよ! 俺、なんでもする!! ここの掃除だってかまわないよ! 俺も、仲間に入れて!!」
 サフランは周りの仲間に問うように視線を一周させた。
「カナード、お前育ててくれる人は? お前を心配してくれる人はいないのか?」
「……トムのおじさんだけだよ。今いるところは俺を殴ってばかりいるんだ」
 サフランは痛ましい少年の肩をたたいた。
「よしっ! お前も特別に俺らの仲間だぞ! カナードよろしくな!」
 カナードは喜んでサフランに抱きついた。
「みんなぁ、新しい三人の仲間に乾杯といこうじゃない?」
 女が叫んで、溢れんばかりの酒を運んできた。歓声が次々に上がる。
「よぉし! ナックとキラとカナードに、乾杯!!!」

 三人は宴会騒ぎのようなアジトから一時的に解放された。なぜなら仲間入りするなら荷物をまとめて来いとサフランに言われたからだ。
 夜も更けたころ、ナックは宿屋の前で警戒し、その間にキラが荷物をまとめる分担作業で二人は宿屋を引き払った。
 ナックは満月の夜に一人見張をしている。しんと静まり返った夜はナックにファキの夜を思い出させる。
「……こんなところまで来たんだな……」
 ナックはこれまでの日々を思い返してつぶやいた。
「……」
 ぼんやり辺りを眺めていたナックの視界に水色のものがよぎった。慌てて何かと周囲に目を凝らすと、そこに音もなく一人の少女が立っていた。
 月光に照らされた少女は儚くまた幻想的だった。それは少女の姿がこの世のものとは思えなかったのもあるだろう。少女の髪はこの世界ではありえない水色。その水色の髪をツインテールにまとめた少女の格好はミニのプリーツスカートと組になっている黒スーツである。
 そのスーツの細やかな刺繍からきっと高貴な身分の使用人なのだろう。
 だが、こんな夜中に少女が一人で何をしているのだろうか。ナックの目の前にある通りの石畳の上で少女は黙って月を仰ぐ。
「……君……」
 ナックが思わず声をかけると少女の髪と同じ水色の瞳がナックを映した。
「……嗤う反転の三日月に、お前は導かれるだろう……」
 少女は唐突に詠うように言った。だがその瞳はナックを通して何かを視ているように思える。ナックはこの少女に先ほどとはまったく逆のいやな感じを覚えた。
「……何を……?」
 少女はナックに答えず、そのまま夢うつつのように言った。
「己(おの)の運命を知ることすら叶わず、お前の眼(まなこ)はただ絶望しか映せない……」
「何だと? 俺の未来でも予言しようってのか?」
 ナックの怒声にも少女は反応しない。この子はまるでナックを見ていないのだ。では何を、視ている、というのだろうか。
 ナックは少女からを目を逸らせずに、しかし、ぞっとぜずにはいられなかった。
「ナックー!」
 キラの明るい声が響いた。ナックは声のしたほうを振り返る。
「キラ! 大丈夫だったか?」
「……う、うん。ナックこそ、大丈夫? 青い顔してるよ。何かあった?」
 キラが心配そうにナックを見る。
「こいつが俺に変なことを言って……あれ!?」
 ナックはキラに説明しようとしたが、そこには何も、誰もいなくただ、月光がもとの通りを照らしているだけだった。
「本当にどうしたの?」
「いや、今な、ここに水色の髪をした女がいて、俺に予言めいたことを言ってたんだ」
「……誰もいないよ? 夢でも見てたんじゃない? 第一、水色の髪の毛をした人間なんていないよ」
「……確かにいたんだって!」
「疲れてるんだよ。……あんなこともあったし、今日は早く寝よう?」
 キラはやさしくナックに言うと荷物を半分ナックに手渡して歩き始めた。
「……お、おう……」
 ナックはいまだにあの女の子がいた場所を眺めていたがキラに呼ばれてもう振り返らなかった。ナックはキラにこう反論すべきたっだ。――水色の髪を持つ人間は確かにいない、だが、人間じゃなかったら? と。

「もう、ボクを置いていったらダメって何度も言ったのに!」
 窓からその身を軽やかに部屋の中に入れた少女にすぐさま文句が飛ぶ。
「……ごめんー」
 殊勝に謝る少女に部屋にいた相方は笑って彼女を出迎える。
「本当にイェソドは満月の夜に散歩するのが好きだねぇ?」
「うん、すきー。満月の夜、たくさん、縁(えにし)、会える」
「そっかー。でも、ボクから離れちゃダメだろ? そういう約束だからお出かけできるんだからね」
「ごめんー。マルクト」
「いいよ、イェソドかわいいから許しちゃう!」
 そこで少年が少女に抱きついた。少女は先ほどナックに予言をもたらした人物そのものだった。名をイェソド・ルアージュという。
 少年はイェソドとおそろいの黒スーツを着こなしていて、外見は一卵性双生児のようにイェソドとそっくりだった。名をマルクト・ルアージュという。
 二人は形こそ違うが黒いスーツを着、同じ髪型で、同じ髪色に同じ目の色。
 唯一違うのは着ているシャツの色とスーツの下がパンツかプリーツスカートかというだけだった。
「で、ボクを置いていって何を見つけたの?」
 ベッドの上でじゃれあったままマルクトがイェソドに尋ねた。
「……カゲ」
「影? それってケテルが集めてるヤツ?」
「違う。でもそう。今、まだ、固定、ない」
 イェソドはまるで拙い幼女のような話し方である。でもマルクトはそれに慣れているらしく、イェソドの頭をなでて手を引いた。もしかすると兄妹なのかもしれない。
「マルクトー、しよー」
 何かをねだるイェソドにマルクトは仕方ないなー、と言って応えた。それと同時に二人のシルエットが重なり合う。彼らの目的はお出かけではなく、本来の目的は誰にも邪魔されない蜜時を過ごすことである。
 主にソレをねだるのはイェソドの方であり、主導権を握るのもイェソドであった。
 これは二人の外見を見ればおかしなことであるが本人たちは気にしていないらしく、行為は激しいものへと変わっていく。
「あ……。だめ、これ以上やったら、変身、解け……る」
 マルクトからの言葉にイェソドは応えない。
「ね、ケテルの言ってたコト、やらなきゃ……あ……」
「マルクト、集中、しない、ヤダ」
「……ん……解け、ちゃ……う」
 その瞬間に二人からまばゆい黄色い光が溢れ出した。お互いに触れ合うところが光っているのだ。
「ケテル、愉しいって。」
「なに、が……?」
「運命の歯車、時に従い、回りだす。集めよ部品を、さすれば大儀成就せん」
 マルクトに囁くイェソドは先ほどの拙いしゃべり方しか出来ない時とはまるで違う。
「……そっ、か……。じゃ……わた……しは、最後の剣(つるぎ)と、して……」
 マルクトの言葉をイェソドが奪う。マルクトは奪われた言葉を続けようとはしなかった。イェソドはそんなマルクトに微笑む。
「……マルクト、イェソド、一緒」
「……そうだね、いつまでも……」
 二人の夜は、更けていく……。