TINCTORA 005

5.同じ色の罪

012

「奪われたらしいよ。ファキの火刑囚」
「本当に? おもしろいねぇ。王様また怒っちゃうんじゃないの?」
 ケテルが笑って言った。
「そうでもないでしょ~。あの人、もう耄碌してるから」
「そう? 誰だっけ? 次の皇帝順位」
「皇太子いるじゃん。君、確か友人でしょ?」
「ああ、いたね。最近遊んでないからなぁ。見放されたかな」
 ホドは困った表情をして言う。
「はぁ? 皇帝に近い位置にいなきゃだめじゃん。今回の計画パーだよ?」
「わかってるって。でも、あいつ馬鹿なんだもん。付き合ってて面倒だし、あいつ皇帝になったらこの国滅ぶね。絶対」
「言えてる。ケテルは皇帝順位第六位だよね、確か。あと五人も暗殺するのはさすがに出来ないかなぁ」
「おいおい~。僕皇帝なんてまっぴらだから。やめてよ~」
「冗談だよ。でもこれから皇帝が死んだら公爵のなかでも派閥争いが激しくなる。どうして欲しい?」
 ケテルは悩むそぶりをした。
「今仲間な派閥は?」
「表向きはジンジャー、リダー、スウェンだけだね。裏では、表向き対立してるバイザー、ルステリカともなかよしだよ」
「ふむ。今回でクルセスは落ちた。派閥争いには関係ないだろう。次に落とすのは……ラトロンガかソロモンだろうね。これで表向きの敵はいない」
「残された派閥はどうする? ラルキー。仲間にするには信用できないが使えると思うな」
「どうにでもすればいい。一人身と知ったら自ら尻尾を振ってくる。適当にあしらえばいいさ」
 ケテルは笑い加えて言った。
「わかった。今回皇帝暗殺には必ずラトロンガが関わっている。証拠さえ掴めばソロモンも落ちるだろうし」
「好きにしていいよ。あ、でも僕もそろそろ17か。社交界に顔出しを始めなくちゃいけないね。いつから始めようかな」
 ホドは笑ってからかった。
「まずは世の貴族令嬢とお付き合いから始めたら?」
「はぁ? 本気で言ってんの? 勘弁~」
「あははは」

「どうしたの? もう、帰るの?」
「ああ。予定外の仕事だ。すまないな」
 ドレスで着飾った女、まだ年は若いといえよう。その女が庭先で残念そうに顔をしかめる。
 それに対して、相手の女は単純でシックな黒いドレスをまとっている。
 この時代、肌を出すのが女性として恥知らずと言われたが、この女は気にしていない様子で太ももまでスリットの開いたスカートに肩は丸出し。
 しかし、体のラインを強調するようなドレスであった。かなり、奇抜かもしれない。だが、それよりもその女を変と感じさせるのは長い前髪だった。金髪はこれまた、この時代の女としてはおかしな短い髪で肩口までしかない。しかも、その前髪は女の顔を半分以上隠す程長かった。
 女の顔は赤い紅を引いた唇と白い鼻梁がわずかに見える程度しかわからない。こんな髪型と格好で歩けば世に冷たい目線で見られるのは必須だが本人は気にしていないらしい。
 こんな格好の女が何故、貴族の深窓令嬢と友人なのかの方がなぞである。
「いつも仕事でほとんど会えないのに、また賢者の集まり?」
「いや、今回は我の友人の依頼だ。断ることはできんのでな」
「そう。いいわね。アーシェはお友達がたくさんいて。わたくしにはアーシェしかいないのに……」
「そう言うな。お前には妹がいるだろう?」
 そう言ってアーシェと呼ばれた変な女は後ろを振り返った。庭の見事な植え込みの影に貴族令嬢の妹らしき、かわいらしい幼い女の子が二人を睨むように見ていた。
「だけど……」
「本来ならば、お前はこの家の主だろう? 我をここまで見送ることでさえ不用心とは思わぬか? お前の妹もそれを思ってお前を待っているのではないか?」
「……そう、かしら。あの子アーシェを苦手に思っているみたいだから。実際そうとしか思えないし。あ、でも。気を悪くしないでね。きっと警戒しているだけなの」
 アーシェは口元をかすかに綻ばせると言った。
「わかっている。コーリィ、案ずるな」
「よかった」
 コーリィと呼ばれた令嬢は妹を手招きする。妹はおずおずと二人の前に進み出た。
「貴女もアーシェに挨拶なさい」
「……さよなら。ロジックさん」
「またきてね。アーシェ。いつでも心から待っているわ」
「わかった。近いうちにまた来よう。ではな、コーリィ、ローズ」
 アーシェが背を向けたとたんに妹はコーリィに抱きついた。
「あら、どうしたの?」
「あの人、私は嫌。どうして姉さまはいつまでも友達でいるの?」
 コーリィは信じられない様子で妹を見た。
「ローズマリー。アーシェはわたくしの大切な友達なの。悪く言うのは許しません」
「……」
 ローズはうな垂れてはいと言った。

「また、行くのかね?」
「見ていたのか。悪趣味だぞ。コクマー」
 影が伸びるようにして現れた男を女は冷たく見た。
「あれはそんなに大事な友人かね? ならば、もっと大事にするべきでは?」
「そうだな。大事にしないとお前がちょっかいでも出すと言いたいのか? くだらんな。お前は邪推している。コーリィは友人ではあるが我が守る存在ではない」
 男は嗤っている。
「そうかね。いや、勘違いならいいのだよ、ビナー」
「お前はそんなに我の困った顔が見たいのか。ますますくだらん」
 奇抜な格好の変な女はケテルの配下。コクマーの古き友人といえるかは定かではないが賢者と呼ばれる者の一人だ。
 名をアーシェ・ロジック・ビナードと云う。
 永きに渡って得られた二つ名は『冷酷なる等しき天秤』という。
 賢者に数えられるものは必ず二つ名があるものだが、同じ賢者のコクマー・アゼ・リードは『たゆたう黒煙の影』と云う。
 この二人は古くからこの世界の柱を定める賢者のメンバーにして長い世を生きてきた知識の箱の底に位置す者であった。考え方、ものの見方、どれも一般人とは異なる。ならば、この時代で奇抜といえるビナーの格好も理解はできる。
 何せ、人とものを計り方が違うのだから。
「頼まれたことは何だったか、教えてくれ。我は詳しくはお前から聞くよう言われていたのでな」
 ビナーは物事をスマートに進めるのが好きなようで本題を問うてきた。
「久しぶりに会ったのだからもう少しゆっくりしてもいいと思わないかね? お茶でもどうかな?」
「お前と長くいると思考が鈍る。早々にお前といるのを済ませたいのだ」
 ビナーは歯に衣を着せぬ言いようでコクマーの誘いを断った。
「そうかね。少々残念ではあるが仕方あるまい。では、始めようか」
「そうしてくれ」
「ティフェレトの影が見つかったのを知っているかな?」
「いや、知らなかったな。遊びに興じているように見えて着々と物事を進めていたのか。お前の育てた道化は」
「そのようだよ。まぁ、今回のこともお遊びのひとつだとは思うがね。それで、ティフェレトは影に屈したらしい。その原因解明と対処策の提出が今回我々に命じられたことだ」
 ビナーは頷くそぶりを見せ、コクマーに言い放った。
「ティフェレトの影はどこにいる? どんな容貌なのだ?」
「さて、私も今回始めて知ったのでね、知らないのだが……」
 コクマーはうっすら笑って紫煙をゆっくり吐き出した。
「嘘を抜かすな。……ははぁ、見えてきたぞ。今回ティフェレトを揺さぶったのはお前だな」
 ビナーは笑うコクマーに言った。
「そんなことはしてないさ。揺さぶったのは紛れもなく、彼の影だとも」
「その影を操ったのならお前といってもいいだろう? さぁ、猫かぶりはよせ。気色悪い。ティフェレトの影を我に示せ。そして、位置を補足するのだ」
「操ったわけでもないのだが……」
 仕方ないといった感じでコクマーが紫煙をたなびかせた。すでに彼の魔術は始まっていて紫煙が拡散せずビナーの前に円形に集まる。
 その中心に人影がぼんやりと浮かび、姿が明確になってゆく。
「ふむ、確かに髪と目はティフェレトと同じだな。珍しい色を備えている。名前は?」
「キラ・ルーシ」
「居場所は特定できたか?」
 いつのまにかコクマーの足元が黒い円(サークル)状に発光している。コクマーは軽く右手を翳した。
「クミンシードだね。アイゼス通りの古い教会だ。ああ、ここにはゲヴラーがいたんだったね」
「早く言え。追跡者を出していたのだろう? 道化が。我も気づくべきだったか。我らとゲヴラー、それにティフェレトは接触しても大丈夫なのか?」
「特に何も言われていないから支障はないだろうがね」
「そうか。では、向かおう」
 言った瞬間からビナーの足元に黒い光を放つ魔方陣が浮かびあがる。黒い闇がビナーを足元から包み込みまもなく全身を覆って突如魔方陣も闇もビナーもすべて消え去った。それを見ていたコクマーはゆっくり、紫煙を吐き、残念そうに言った。
「そんなに私といるのがいやなのかな。いやはや、嫌われたものだ。せっかく、新たな情報も仕入れてきたのだが……。まぁ、いい。時間はあるさ」
 笑うコクマーにも灰色の魔方陣が浮かび、ビナーと同じように消えていった。後にはここに二人の人間がいたとは感じさせない静寂だけがあった。

 ナックは計画の成功を喜ぶと共に新たな悩みが生じていた。それは、次の作戦で自身が人を殺せるかということだった。
 だが、その悩みも一晩寝れば頭の隅に追いやられ、オレガノの許しが出たので、救出したファキのみんなに会いに行くことになった。
 誰を助けられたのか、ナックは楽しみになっていた。だが、カナードはトムゾン以外はファキに知り合いがいないため遠慮し、キラは気分が乗らないといって辞退した。
 ナックは父が死んだのだから仕方ないかと考え、自分一人で行くことにした。ファキのみんなは町外れの雑木林の中にひっそりと建つ小屋にいる。これは表向きの活動である、野鳥観測に使われているらしい。
 この時代ではそんな暇人は変人とみなされていたため不気味がって誰も近づかず、おかげで安心して匿えたということだった。
 ある意味、カルト集団と思われていたかもしれない。が、ここでは国教であるキリスト教を信じている。もちろんナックもだが、そうでなければこの国ではかなりの迫害を受けることになる。
 いや、この国だけではない。諸国もキリスト教を信じているし、近くにはキリスト教の聖地もあれば、ヴァチカンもある。つまり、ナックにしてみれば有り得ないが、もしキリスト教の背信者がいたら、それはたとえ国王であってもこの地から追放される危険はあった。それほど、神の力が強かった時代である。
 オレガノが特有のノック音で仲間の来訪を告げた。さっとドアが開き、ナックたちをすばやく中に入れる。
「大丈夫?」
「おう、つけられてなんかない。それより様子はどうだ?」
 オレガノが問う前にナックは声をかけた。
「親父さま!!」
「……!!? ナック!!??」
 オレガノが話を止めナックに好きなようにやらせてくれた。
「村長さんもいるじゃないか? リアス! カルジー! ああ、みんな!!」
 ナックは父親に抱きついた。ファキのみんなはナックの姿に安心してナックの周りに集まった。
「よく、無事で!」
 ナックは父親の次は友人と熱い抱擁を交わした。笑顔でオレガノが見ている。
 ナックは早口でナックはキラと一緒に無事で、レジスタンスで活動していること。自分たちがみんなを救出したことを伝えた。
 それにより、今度はどこに連れて行かれるのかと不安がっていたみんなは安心してオレガノに礼を言った。
「救出できたのは7人だろ? あと一人はどこにいる?」
 オレガノが仲間に問うた。仲間はひそひそと奥を指差した。部屋の隅にうずくまる影がある。ナックは自然に目がいってその人物を覗き込んだ。
「!?」
 ナックが驚いてファキのみんなを見る。父親が重く頷いた。
「ティラ!? お前、どうして、ここに!?」
 それは、見るも無残な、変わり果てた次期、隣村の村長・ティラ・アザンだった。
「……!! お前、ナック・ヴァイゼン!」
 低い声でティラが唸り、血走った目でナックを睨んだ。
「ど、どうしたんだよ。ティラ」
「お前のせいだぞ。あそこで、お前とあの女を助けなければ、俺は! 俺は!!」
 ナックの襟元をティラが締め上げる。オレガノが動いた。ティラをナックから強引に離す。
「ナック、お前は隣村に助けを求め、ティラ君に手助けをさせたな。彼は罪人の手助けをした罪で殺されることになっていたのだ」
 ナックの父親が重たく言った。
「そ、そんな。ご、ごめん。俺、そんなことになるとは……」
「思ってなかったてぇ!!? はっ!! 自分たちが生き残るために俺を! 殺そうとしたんだろぉ? この、人殺しが!」
「違う! ティラ」
「俺の名を呼ぶな! 人殺し。お前を助けて俺がどうなったか考えられるか? 俺はあんなに仲がよかった親父からアザンと名乗ることを禁じられ、村長は弟が引きつぎ、お前たちがのるはずの罪人がのった荷車に団子のようにファキのやつらと繋がれて乗ってよ。で、周りの国民に恩知らずとか非国民とかなじられながら石をごろごろ食らって見世物にされて運ばれて、で、死刑だと。それでジ・エンドだ! ひゃっはぁ! 笑えるなぁ、おい!! 俺は何もしてねぇのになぁ! お前の代わりに殺されるとこだったぜ」
 ナックはいままでの喜びは何処へかいき、蒼白な顔になった。
「そういや、あの錯乱魔性女はどこだよ? 会わせろよ。お前のせいでこんなになっちまった、俺にはあてもねぇって見せてやりてぇなぁ」
 ティラの高笑いだけが部屋に響いた。静まり返った部屋にオレガノの柏手が鳴る。
「あいにく、暇ではない。もう時間だ。帰るぞ、ナック」
「え? あ、ああ……」
「また連絡する」
 オレガノは後方支援の仲間に合図してナックを強引に連れ出した。出て行くナックにティラの罵声が続く。
「逃げるのかよ! また、おれに尻拭いさせんのかぁ? おら! 人殺しぃ!!」
 ナックは頭が真っ白になりながら悪夢のような現実のティラの声を背にオレガノに続いた。