TINCTORA 005

014

「ナック、ファキのみんなの身寄り場所が決定したんだが、早いうちから三日後には護送する。あんなことがあって行きづらいだろうが、今生の別れとなるかも知れない。別れの挨拶を済ませろ」
 ナックはオレガノに言われてああ、と頷いた。
「キラも連れて行け。キラだってファキの者だろう?」
「わかった」
 ナックはキラにその旨を伝えたが意外と行きたくなさそうだった。だが、しぶしぶ、納得したのかナックの後を付いてきた。
 ナックはキラの様子がクミンシシードに来てから本当に変わってしまったと思った。元気で溌剌とした女の子だったはずだが、今は棘のように鋭いことを言い、人と関わらず、殺伐とした雰囲気を放つようになった。
 本来なら友達を作りやすいタイプなのにクミンシードでキラは友人が一人もいない。それどころか、最近はカナードとさえ会話してないように思える。
 ナックは自分から話しかけるようにしているがそれを止めてしまったら、キラは自分にも話しかけなくなっていくのだろうか。
 何があったんだろう? 自分はこんなに近い場所に立っているのに何一つ気づいてやれなかった。
「キラ、俺、お前の味方だからな。なんかあったら言えよ」
「やだ、ナック。わたしなら大丈夫だって」
 キラは笑って言ってくれる。
 自分は何度、キラの笑顔に励まされてきたことだろう。もっと強くなってキラの力になってやらねば、とナックは決心した。

「最初に行くのはハルディエさんとアレイか」
 ナックはまだ若い友人とその父親に抱擁を交わした。二人はキラが来たことに喜んでいた。
「行き先はケゼルチェック? いい場所じゃない。よかったね」
 キラも見知らぬ地に旅立つ仲間を元気付ける。二人と別れるとナックとキラはティラに会わずに帰ろうと思い、隠れ家を後にした。
「待ってくれよ、ナック!」
 肩を捕まれナックが振り返ると笑顔を浮かべたティラがいた。
「ティラ……」
「この前はごめんな~。俺、当たっちゃってさ。あの後、オレガノさんだっけ? に怒られてさ、っちょっと反省したんだよ。よく考えれば、ナックを勝手に助けたのは俺だしな。しかもナックに助けられたなら、これでトントン、貸し借りなしだな」
「そ、そんなこと……」
 ナックは信じられない様子でティラに感激の目を向けた。あんな様子だったティラがまた、もとのように仲良くしてくれるなんて!!
「まだ、友達でいてくれるよな?」
「もちろんさ!!」
 ナックはその場でティラと昔のように抱き合った。
「俺、オレガノさんに言ったんだ。ナックと一緒に過ごしたいって。……俺もレジスタンスに入ることにしたんだ!」
「本当か!?」
「ああ、もちろんさ! 止めるなよぉ? 俺、本気だからな」
「うれしいさ!」
 ナックはティラに笑顔を向ける。
「だから、キラもよろしくな?」
 ティラが笑顔でキラに言う。
「……何が望みだ?」
「はぃ?」
 ティラの笑顔が固まる。ナックもティラを睨むキラに呆然とした。
「おい、キラ……」
「だからナックは観察眼がないのよ。あんた、こんな暗がりで剣持って、いままでナックを罵倒してたくせに……笑わせないでよ!」
 確かにティラは剣を持っていた。だが、レジスタンスに入るし、護身用なら剣を持っていたっておかしくもなんともない。ナックだって帯刀していた。
「えぇ!? っちょっと、キラ」
「考えなくたってわかることよ。わたし、例え軍が助けてくれても復讐する気持ちは褪せないから。同じよね? あんたはナックとわたしを憎んでる。なら、仲間? 友達? あり得ないのよっ!」
 キラは冷笑して言い放った。また、どん底に突き落とされた気でナックはティラを見る。
 すると笑顔が表面から剥がれ落ちたようにティラは無表情だった。見下した冷たい目線がナックを捕らえている。
「ティ、ティラ……?」
「その名を呼ぶなと言ったろう? 人殺しぃ」
「!?」
 今や、ティラとキラのにらみ合いがこの場を支配していた。
「久しぶりだなぁ? 錯乱魔性女。俺が恥辱にまみれている間、さぞや元気だったろうなぁ?」
「ええ、健やかだったわよ。ま、あんたのおかげじゃないけど。逆恨み男」
「何だと? お前、自分の境遇わかってんのかぁ? 今から俺に殺されて終わるんだぜ?」
「あんたには虫一匹だって殺せないわよ」
「ふざけんなよ! お前なんか俺の剣の前に絶叫して死ぬんだよっ!!」
「狂った男にわたしを殺す権利などない。お前は……そうねぇ。私に触れることなく斬殺だわ」
「舐めるな!」
「ナック!」
 怒りに剣を抜いたティラを前にしてキラは悠然としてナックに言い放つ。
「敵よ! 殺して」
 ナックは目を見開いてキラとティラを見た。キラは剣を抜かないナックに続けて言う。
「ナック! わたしと約束したわね? 私の敵はっ! 殺してくれるんでしょう?」
 ナックはあり得ないと叫んだ。
「だって、ティラはっ!!」
「わたしたちに剣を向けてる! 殺気を放ってる! わたしたちを憎み、殺意を持ってるのよ。どこが敵じゃないって言うのよ!?」
 キラの言葉を聴いてティラが言った。
「まだ、わからないのか? この女の言うとおりだよ、ナック・ヴァイゼン! 俺はお前を……」
 ティラはナックに向かって剣を振り上げた。ナックは反射的に剣を抜いて刃を弾く。
「殺す!!」
「ティラ!!」
 ナックはそのまま、ティラを迎え撃つ。防戦一方の打ち合いが始まった……。
「ティラ、嘘だったのか? レジスタンスに入って俺と……!!」
「集中しろよ。ただでさえ、お前剣だめなんだし、死んじゃうぜぇ!はぁっ!」
 ギィィン! と昔やりあったようにティラの打ち込みは重かった。ゼスは刀剣を作っていた村だ。その次期村長であったティラは剣が上手いに決まっている。
 型も本当はナックよりずっとしっかりしていた。ナックが一番知っていたことだった。
「嘘に決まってるだろ! お前たちを暗がりで殺して軍に売ってさ、また、人間に戻ろうと思ったんだよ」
 力をこめたティラの剣の重みにナックは唸る。刃が頭上に肉薄してティラの全体重が剣にかかっているようだった。
 ナックはなんとか持ちこたえ、その剣の重心を変えようと刃を傾ける。それに気づいたティラは一度剣に重さをぐっと乗せ、それからその反動を利用して自ら剣を弾き、後退した。
「それがっ! いけないことかよっ!!」
 ティラの素早い切返しは今度は横向きの攻撃だった。ナックはそれを正面から迎え撃つ。高い金属音がして刃が離れ、再び激突する。
「人間に……戻る!?」
 ナックはまたもや重いティラの剣に耐えかねて押し返すのがやっとだった。
「そうだ。……この国ではな、罪人は人として……生きられないんだよっ!」
 ガンっと正面からの攻撃に手が痺れ一瞬握力が抜ける。ナックは慌てて剣を持ち直した。
「人が人として生きていくためには人はある程度の集団に属していなければならない。罪人とはその集団から弾かれし者。俺がそうだったように!」
「人は! 一人でも生きていけるんじゃないのか?」
「そう思うなら、やってみろ! どれだけ辛いと思う!?」
 ナックは剣を避けて左に横転する。
「わからない、でも!!」
「お前は罪人でありながら一人ではなかったはずだ。罪人の癖してレジスタンスなんかに入ってのうのうと集団に属しているじゃないか! そのお前に、俺の苦労がわかるか? いつ『お前は次の処刑で死ぬんだ』って言う、看守の足音を日に日に聞いて、いつ俺の番は回ってくるのかと夜毎に恐怖するんだ。でも、それを打ち明けられる人間なんて一人もいない! 自分ひとりが闇の中で、殺されるのを待つんだぞ!!」
 ナックは何も言い返せずにいた。ティラもいつのまにか剣の打ち込みを止めている。
 ティラはいまだに恐怖の中にいるのだ。ナックは自分か何て無責任で愚かだったのかとティラを正面から見れなかった。
「お前に、わかってたまるか……!」
「ごめん、ティラ」
「許せるもんか……」
 ティラは構えていた剣を下ろした。
「……それでも、おれは再びお前と会えて嬉しい。ようやく恐怖を打ち明けてもいい存在に出会えて嬉しいんだ。許せないのに、どうしてなんだろう?」
 ティラの目に涙が光っているのがわかる。ナックはティラに一歩近づいた。
「待ちなさい」
 キラの声にナックは足を止め、ティラは顔を上げた。
「あなたさっき、私たちを軍に売ると言ったわね? どういうことよ?」
「キラ、もう、その話は……」
「ナック。いつこの男が信用できると判断したか知らないけど、この男が私たちを油断させるために芝居を打っているとは考えないの?」
 キラはあくまでティラを睨んで言った。
「俺はファキの民ではないからな。軍人が言ったんだ。もし、お前の身が再び自由になることがあればお前はその恩を忘れず、ファキの民を狩れと。そうしたら、お前から剥奪した権利をすべて返してやるってな」
 ティラは呟くように言った。
「で、あなたはそれに従った……愚かね」
「うるさい!」
「今はもうその気はないのかしら?」
 ナックが聞きたかったことだ。
「レジスタンスに入るといったのは、確かに嘘だ。オレガノさんに話してないしな。でも、今はお前に……ナックに敵意はない」
 ナックは心の底から嬉しさがこみ上げてくるのを感じた。
「ティラ!!」
「……本当に? 私が本当か確かめてあげるわ」
 キラが言う。キラは笑ってティラに問うた。
「あなた、どうして私たちがあなたを頼ったかわかる?」
「?」
 ナックは呆然としてキラを見つめた。ティラはキラを睨んで話の続きを窺う。
「庇護が必要な私たちに貴方ほど利用しやすい人はいなかったからよ」
 ティラの眉間が吊り上る。キラはなぜわざわざティラを怒らせようとしているのだろうか。
「貴方はそれにまんまと騙された。そして今度は軍に利用されようと……」
「お前ぇぇぇぇっっ!!」
 ティラが怒りに身をゆだねて剣を再び構えキラに向かって刃を向けた。
「ナック!」
 キラはナックの名を呼び、ナックの元に駆けて来る。
「そうか、お前もか! ナック。二人して俺を!!」
「違う! 俺はっ!」
 キラはナックの背後に回りこむ。ティラの憎悪に歪んだ目が二人を捕らえた。
 キラの微笑みとナックの絶叫、ティラの怒りが交錯した。
 ……ティラが血を吐いた。
 ナックは己の目を疑った。生暖かい物が手を通して体を覆っている。
「……どう、して……??」
「剣、うま……く、なったじゃ、ねぇ……か……」
 ナックの剣はただ、構えていただけなのに動かした覚えなどないのに、深々とティラの体を貫いていた。剣から血が伝い、ナックの上半身は真っ赤に汚れ、ティラの力ない吐息がすべての音だった。
 ティラは自身の力を失ってずるずると倒れるように座り込む。ナックもそれに合わせてしゃがみこんだ。
「ティラ! ティラ!!」
 ナックはパニックに陥り、ひたすらティラの名前を叫びつづけた。
「医者を!」
「無駄、だ。もう、助からない……」
 ティラは先ほどまでの憎悪が嘘のように穏やかな顔をしていた。
「もう、闇に怯えなくていいんだな……。死に場所を自分で選べた、のは……」
 ナックは剣をティラから抜く。どっと血が溢れて止まらない。ナックは出血場所を手で抑えたが無駄なことだった。ナックの目に涙が溜まってくる。
「ナック。俺の死を……悲しむな。俺は友達に、死を与えて、もら……って、幸せ、だった」
「まだ、友達って言ってくれるのか?」
「当たり前だろ……」
「ティラ!」
 ティラの手がよろよろと持ち上がる。ナックはそれを握り締めた。
「ナック、気をつけろ……あの女は、キラは……魔女だ」
「え?」
 ティラは見えていたのだ。ナックの後ろに回りこんで微笑むあの女が。
 魔性の女だ。危険すぎる。この女といれば単純だが根は優しい誠実な友人が殺される。自分のように罠にはめられて。
 それだけは、許せなかった。自分は友を疑った。憎み、恨んだ。死んで当然かもしれない。でも、ナックに罪なんか、ないんだ。
「あの女と離れろ。……お前が今度は殺される……」
「何のことかわかんないぞ! ティラ! おい!!」
「ああ、空がきれいだな」
 夕暮れが終わろうとしていた。同時にティラ・アザンの短かった人生も……。
「ティラ――――!!」
 ナックの絶叫はオレンジ色をわずかに西に残した夕闇に飲まれていった。ナックの腕の中で冷たくなって死んでしまった、友人。ナックが殺してしまった、友人。
「どうして!? こんなことなら! 俺が、代わりに死んでいればよかった。俺が! あの時、頼らなければ、こんなことには、ならなかったのに!!」
 ナックは泣きながら慟哭を上げる。拳で地面を何回も叩いた。キラはそれを冷たく見ていたがしばらくして誰にも聞こえないように囁いた。
「ほら、触れることなく斬殺だったでしょう?」
 語りかけた人物は永遠に答えはしない。
「キラ」
「ナック……」
「……どうして、あんなことを言った?」
「だって、怖かったんだもの。ナックが死んじゃったらって思ったらもう、信じられなくて」
「でも!! あんな事言うことなかった! ティラは被害者なんだぞ! どうして死ななきゃならなかったんだ? 俺が! 俺が!! ……悪かったのに」
「ナックは悪くない。悪いのは、私。ナックは私との約束を守ってくれただけ」
「……約束?」
「そうだよ。ナックは私の敵を殺してくれたんだもんね」
「敵?」
「そうだよ」
 ティラが敵か? ナックはもう、わからなかった。
「ナックは一人じゃないよ。ナックが悲しいなら私が代わりに泣いてあげる。だから、ナック悲しまないで。ナック、私だけを見て。ナック」
「!!」
 ナックは驚愕に目を見開いた。キラはナックと口付けを交わしていた。
 冷たい涙を流したあとの暖かい愛撫はナックに理性を失わせる。
 二人は冷たく、硬直していく友の死体の隣で長く、長く交じり合った。

「案ずる事はない。確かにキラ・ルーシという少女はティフェレトの影だが、ティフェレトが屈服させられているのではない。むしろ、逆だ」
 ビナーはケテルとホドに向かって報告を手短に言った。
「じゃ、なんでティフェは怖がっているのさ?」
「それは、我が言っていい事なのか判断に苦しむ。まぁ、別の存在とでも言おうか」
「今回のことと関係ないの?」
 ケテルは愛らしい顔を少しだけ歪ませて唸った。
「そうとも言えんな」
 ビナーはそこでくすりと笑った。
「おや、噂をすれば影とはよく言ったものだな」
 ビナーが言った瞬間、窓から黒い影が飛び込んでくる。入ってきたのは黒いスーツを着た人形のような青年だった。ティフェレトである。
「ティフェ!」
 ホドが驚いて侵入者に言った。
「おかえり、どうしたの?」
 対するケテルは微笑んで彼を迎える。
「抱いて」
 ティフェは怖いくらいの顔をして今までに望んだことのない欲求を口にした。ケテルはそれを聞いて軽く驚いたようだが微笑んで言う。
「いいよ。おいで」
 その反応にホドが驚く。ビナーは笑っていた。
 二人は何も言わずに部屋を出てゆく。残されたビナーとホドもしばらくは無言だった。
「何を驚いている? すべてはお前が仕組んだことではないのか? 道化」
「道化って止めてよ。まぁ、あそこまで感情的だったっけ? ってびっくりしただけさ」
「その本質にいままで気づかなかったのか?」
「こんなことがわかるのは君くらいだよ、ビナー」
 ホドは笑っていった。
「そうか? 駒の性質を理解するのもプレーヤーの基本、ではなかったのか?」
「そうだよ。……だから言っただろ? 影に夢を見せてあげようと……」
 ホドは悪戯が成功した子供のような笑顔を向けた。
「すべては僕の手のひらの上さ」
「だからお前は道化と言うんだ」
 ビナーは苦笑して言った。道化と呼ばれる彼は一体どこまで知り、予測していたのだろうか。
「コクマーは弟子に負けっぱなしだな」
「どうだろうね。あはは」
「まぁ、そういうことにしておいてやろう」
 ビナーは呆れて言った。
「まったく、師匠がだめな人間だと弟子まで堕落するのか、永遠のなぞだな」
「そんな……」
 今度はホドが苦笑する番だった。