TINCTORA 006

6.堕ちた影

015

 ナックはできればティラを生まれ故郷に埋めてやりたかった。
 だが罪人のナックがそんなことをできるはずはない。仕方なく、ナックはティラを殺したこの場所にひっそりと埋葬しようと思った。
 キラは隠れ家まで戻ってくれて土を掘る道具をわざわざ借りてきてくれた。
 それもそうだろう。ナックの服にはべったりとティラの血がついていた。これでは人を殺したと悟られてしまう。それだけは避けなければならなかった。
 なぜならナックは罪人だったからだ。
「さよならだな、ティラ・アザン」
 ナックは無心にずっと墓穴を丸一日くらい掘っていた。飢えも眠気も疲れも何も起こらなかった。ただ、自分が始めて人を殺したということ、そしてそれが大切な友人だったことがティラの墓穴を掘らなければという概念をナックに植えつけた。
 ナックの隣でただナックの動作を見ていたキラも無言でずっとその場を動かなかった。
 ナックはティラの遺体を引きずり、穴に横たえた。穏やかな顔に微笑を残して彼は死んだ。いや、自分が殺したのだ。忘れてはならない。
 ナックはティラの顔に土をかぶせていった。
「夜が明ける。帰らなくちゃ」
「そうだな」
 丸一日、ティラが死んでから穴を掘り続けやっと墓が完成した。日は地平線に沈み、昇ってまた沈んだ。そしてまた昇ろうとしている。
 ナックの格好なら夜に帰らなければならなかった。名残惜しいがナックは立ち上がる。
 もう、恐れるものなどなかった。人さえ、殺してみせる。

 夜に活動するレジスタンスではまだ活動が続いていたようだ。アジトである教会に近づいた瞬間、足元に影が落ちる。
「ナック……どうしたの?」
 カナードが幼い目を驚愕に変えて問う。
「どうってことない。気にしないでくれ」
「……う、うん。オレガノ! ナックとキラが帰ってきたよ!」
 キラが一瞬体をすくませる。ナックはキラの肩を抱いて安心させてやった。
「ナック!!」
 オレガノが奥から走ってきたようで入り口に立つナックを見て唖然とした。が、すぐ我に返ったようで中に入れ、と首を横に振った。
「お前らはもう寝ろ! 昼の班と交代! しばらくここには誰も入るな。サグメを呼べ!」
 オレガノは夜中に作戦立案をしていたであろう仲間に言い放った。
 仲間はナックの格好を見て察したらしく、無言で片付け去ってゆく。おおかた仲間が去ってゆくとサグメが入ってきた。そしてオレガノはナックに問うた。
「何があった?」
「別に、何も……」
「嘘をつくな。それは何だ?血だな」
「……」
 オレガノはナックに襟元を掴んで怒鳴った。
「俺の目を見て答えろ、ナック・ヴァイゼン!! 何をしていた!?」
 それでもナックは答えなかった。いや、答えたくなかったのだ。キラが代わりに説明しようとしているのを目で制してナックはオレガノを睨んだ。
「オレガノ、それよりも伝えるべきことがあるんじゃないですか?」
 冷静なサグメがナックの様子を見てオレガノに言った。
「ナック、人を殺したな」
 オレガノはサグメの言葉に頷いて、それでもナックに言った。
「俺たちはレジスタンスだ。必要とあらば人だって殺す。それが俺たちの戦いだからな。お前だってこれからの作戦上は人を殺さなきゃならないだろう。だがな、これだけは覚えとけ。人を殺すならそれだけの罪を背負う事をな」
 オレガノはナックの目を見てはっきり言った。
「じゃぁ、お前は罪を背負っているんだな? オレガノ。俺に説教たれる位だからな」
「そうだ。おれが始めに殺したのは俺の養父だ。次に殺したのは俺の養母。その次は家の執事。養父の従者が三人と養母の召使五人、家全体の召使十五人、警備の者三人。これが始めての殺人と同時に殺した人の数だ。まだ言えるぞ。言ってほしいか? おれが今までの殺した人の数は全部で百二十八人。その全員の恨みと憎しみ、そして俺はその業を背負っている。お前らファキに民とは罪の種類が違う。俺がそれを省みていないとでも思うか!?」
 オレガノはナックに怒鳴った。
「お前はこれ以上罪を重ねたいと思うか? 言ってみろ」
「わからなかったんだ」
 ナックはポツリと言った。
「どうして殺しちゃったのかわからなかったんだ。ただ剣を構えていただけなんだ。でも気づいたら剣が刺さってて、血が溢れてて、もう……助からなかったんだ」
「誰を殺した?」
「ティラだよ」
 ナックはまた、涙が溢れてきた。ティラの最後の微笑が焼きついて離れない。
「ナックは私を殺そうとしたティラから庇ってくれたの。ナックは悪くないの、私があんなところにいたから……」
 オレガノはキラに頷き、ナックの肩を叩いた。サグメが言う。
「ナックは私によって剣を鍛えました。きっと反射的に剣を向けてしまったのですね。それが今回は仇となってしまった……。つらい思いをしましたね」
「ナック。人を殺したことを忘れるな。人は忘れる生き物だ。人を殺すうちに慣れてしまう。俺が、そうなように。ナックにはただ人を殺すものにはなってほしくない。人を殺したらその者を覚えていてやれ。その者のために後悔の涙を流してやれ。そして詫びて、日々を生きろ。それが死者への手向けとなる」
「本当か? それでティラは救われるだろうか?」
「主はティラを導いてくださるさ、アーメン」
 オレガノが十字を切る。サグメをキラもそれに従った。
「主よ、彷徨えしかの者の魂をどうか、導きたまえ。そして安らかなる眠りを授けたまえ、アーメン」
 ナックは涙を流して十字を切った。今は埃を被り朽ちたキリスト像にナックは祈った。

 ケテルは隣に眠るティフェを起こさないようにベッドから出た。
 ティフェは拾ったときから感情がない人間だった。いや、感情はあったのかもしれない、でもそれが表になかなか出てこなかった。だけどケテルにはティフェの望むことがなんとなくわかった。だから手元において寵愛した。
 彼の瞳が好きだった。深い暗い青い瞳は永遠を感じさせる。ケテルが安心する物だった。
 いままでケテルはティフェの怖がった所を見たことはなかった。
 ティフェは嫌なもの位しかはっきり拒絶しなかったからだ。口数も少ない。ケテルは今回やってみたい遊びがあった。そのために仲間の影を集めている。
 ティフェの影は見た瞬間にわかった。あの女だと。
 しかしそれがこんなにもティフェの存在を揺らしていると考えると腹ただしくもあった。
 が同時にいまだ見ぬティフェの本質を見れそうで興味もあった。彼は本当に人形のようであった。自分が求めたことにしか反応しない人形。
 人形に命を吹き込んだらどんなに愉快だろうか。ケテルはもう一度ティフェの顔を見て部屋を静かに後にした。
「ケテル~」
 ケテルがサロンに入ると先客がいた。
「おかえり。いつ帰ったの?」
「さっきだよ。ケテルはお楽しみ中ってホドに聞いたから待ってたんだ」
 正体は双子のような二人の同じ人間、に見える別の者。イェソドとマルクトだった。
「ちょうどいいところに帰ってきたね。手伝ってほしいことがあるんだ。いいかな?」
「そのつもりで帰ってきたし。イェソドが予言したから」
「ケテル、マルクト、イェソド、必要、出た」
 イェソドが要領を得ていない会話をはさむ。ケテルは頷いてイェソドの頭をなでてやった。
「で? 何を手伝えばいいの?」
「影を捕まえに行こうと思ってね」
「あぁ、例のやつ。そういえばイェソドが影見つけたとか言ってたよ」
 ね? とマルクトがケテルに引っ付いている少女に言った。
「今、カゲ、違う。時間、待つ、必要」
「だって」
 マルクトが言った。
「興味深いけどよくわかんないね。まぁ、先に見つけた方から行こうと思うし」
「誰のなの?」
「ティフェだよ」
「へぇ。よくあんな何考えてるかわかんないのの影見つけたねぇ」
 マルクトは関心して言う。
「今から行くの?」
「どうしようかな。とりあえずホド呼んできて。策を講じたのは彼だからね」

 オレガノとサグメはナックが落ち着いてから新聞を取り出した。
「本来はこれを伝えようと待ってたわけなんだが」
「何?」
 ナックは記事を読むより直接聞こうとオレガノを見た。
「うん。あのな……」
「私が説明しましょう」
 サグメがオレガノに言って話し始める。
「私たちはこの前ようやくファキの皆さんを助けられたわけですが、ファキの皆さんの中心人物が捕まってましたね。火刑される予定の方が……」
「村長さんと親父様だな」
「実は火刑囚宛てに軍が布告しているのですよ。戻ってこなければ残りのファキの村民を女子供関わらず順々に処刑していくと」
「何だって!?」
 オレガノの真剣な目で頷いた。
「今まで処刑されたのはファキの数パーセントにしかならない。残りのほうが多いだろう? 俺たちが救うように手立ては考えているんだが、かなり難しいんだ」
「何が難しいの?」
 キラが口を挟む。
「いままで帝国軍に所属してくれていた私たちの仲間が情報を流してくれていたのでいつ処刑が行われるのか、また捕まっているのはどこかなどわかったんですが今度からはそうではないらしいんです」
「今までは処刑されるファキに民は、見せしめにするために一般公開で広場などで処刑されてたんだが今度からは軍の監獄のなかでランダムに選び、殺して首だけ公開する形にしたらしい」
 オレガノが言った。監獄とはクミンシードのはずれにある大監獄で入ったら一生出てこられないと云われている。警備は帝国軍が行っているし、中には凶悪犯も捕まっている。
 ファキの民だけ救出するのはまず不可能だった。
「そんな!!」
 キラが叫んだ。ナックも愕然とする。
「親父様にこのことは……?」
「まだ」
 ナックは唸った。これではまた振り出しだ。せっかく助けられたのに。
「どうすれば!!」
「そこなんだ、とりあえずお前の父親には作戦が立案できたら話そうかと思っているんだがいつ殺されるかわからない状況では暢気な事も言ってられないしな。お前にいつ伝えるべきか相談しようと思ってたんだ」
 オレガノも厳しい表情で答えた。
「オレガノ!!」
「何事だ!? 入るなって……」
 飛び込んできたランガにオレガノが怒鳴った。ランガはそれどころではないといった感じで叫んだ。
「ファキの民が三人殺されたぞ! 女と子供二人だ!!」
「何だと!?」
「広場に首が放置されてる。たった今だ」
「馬鹿な!? 昨日告知されたばかりなんだぞ!!」
「このペースで殺されたら……作戦どころじゃない!」
 オレガノは怒鳴った。そして毅然と顔を上げた。
「作戦立案の者を全員ここに呼べ! 各リーダーもだ。それがら早馬を飛ばせ! サフランとカラン、ユウナとネルを呼んでこい。大きく動く! 解散の危機かもしれないぞ。だが俺たちはこれ以上王の勝手を許すわけにはいかない!!」
「了解っ!!」
 ランガとサグメが出て行った。ナックとキラも出て行く。入れ替わりに知らせを聞いた者が入ってきた。
 オレガノは地図を広げ、入ってきた者々に指示を出していく。とたんに礼拝堂、現在は会議室兼食堂が騒がしなった。