TINCTORA 006

018

「ナック、立ち直れるだろうか」
 オレガノは呟いた。ナックは泣いていた。いままでそんなことはなかった。
 でも自分の父親があんな死に方をしたら、自分を保っていられるだろうか。オレガノは自分で父を殺した。ナックの気持ちを理解して支えてやれるだろうか。
 それよりもキラはどうしただろうか。ナックにはキラが必要だ。探さなければ。探すと言えばナックの父親に処刑のことを教え、仲間を殺した赤目の男も探さねければならない。
 することがたくさんあった。
「カナード」
 オレガノはさっき一緒に帰ってきた仲間を呼んだ。キラの情報はカナードが全て持っているはずだった。ナックの為にまず、キラから探したほうがよいと判断したからだ。
「カナード、どこだ?」
 返事がない。オレガノはあたりを見回したが黒髪の小さな少年の姿は見当たらない。
「誰かカナード知らないか?」
「カナードならここに……誰だ!! てめぇ」
 ランガが叫ぶ。するとさっきはそこにいなかったのに、立っていのだ。なんでもないように、茶なんか飲んで壁に寄りかかっている……赤い目の男が!!
「やあ。こんばんは?」
 オレガノはぞっとした。白皮症でもありえないほどの赤黒い眸に。
「誰だ、お前は」
「さて、誰でしょう? ってかさ、ここで名乗ったら相当馬鹿じゃない?」
 男は笑っていった。ガチャっと銃を構える音がする。オレガノの背後では剣を抜く音もした。それでもおとこは笑みをやめない。あせっている風もなく飄々としている。白髪が揺れた。
「止めとけって、そんな玩具じゃ俺は殺せないよ?」
「おもちゃだぁ?」
 ランガが言うがオレガノがそれを止める。
「聞きたいことがある。お前は何故ファキの者に処刑のことを教えた?」
「それは俺が親切だから」
「親切の尺度が俺らとは異なるみたいだな」
「そうか? でもあのままじゃファキの者全滅だぜ? 種の保存をしたいなら少しでも生きてたほうがいいだろ?」
「そうか。ではどこからファキの者が俺らの元にいると知った?」
「それは知ってたから」
「答えになってないが?」
「知ってたものは知ってたの。ほかに答えようがないね」
「どうやってこの場所に入ってきた?」
「入り口から普通に入ってきたよ」
「質問の答えをはぐらかすのがずいぶん巧いな。ではここにいたカナードという黒髪の少年をどうした?」
「カナード? そんなのいたっけな?」
「では最後の質問だ。今死ぬのと後に死ぬのはどちらがいい!?」
 オレガノも銃を向けた。ガチャンと音がする。
「死ぬのは、お前らだ!!」
 男が動き出す。オレガノは迷わず発砲した。それをきっかけにみんなが発砲した。ドドドドドドと機関銃のように発砲音がこだまする。硝煙の香りとともに視界が一瞬見えなくなった。
「ぎゃぁああ」
 刹那、複数の悲鳴と絶叫がいきかった。硝煙が晴れると五名ほどの仲間が血を流して絶命していた。
「馬鹿な! あの距離ではずすなんて!!?」
「かすってもいないし、あの時間でランガを殺すなんてあいつ人間!?」
「ひゃーはっはっは! 玩具って言っただろっ」
 男は止まらない。踊るように仲間の間を縫って進み出会いざまに仲間が派手に血を出して死んでいく。
「あいつは、なんだ……!?」
 オレガノは今真の恐怖を味わっていた。作戦が上手くいかなかったとき、敵に殺されそうになったとき、たくさんあったがこんな恐怖は初めてだった。
「もう、ティフェの影は手に入れたんだ。俺は晴れてお仕事終了! でも限界なんだよ。だから死んでけっ!」
 オレガノにすれば意味不明だ。しかし男は楽しげに仲間を次々と殺していく。あたりは赤に染まり、血のにおいが立ち込める。仲間は抵抗する間もなく死んでいった。
「オレガノ逃げなさい!!」
 サグメが叫ぶと同時にサグメの体が血を噴き出して傾いていく。
「お前で最後だ」
 男がオレガノに向き直る。オレガノが周りを見てみると血の海の中に立っているのは目の前の男と自分だけだった。
 みんな、オレガノが恐怖している間に死んでしまった。オレガノは残り五発、銃を発砲した。
 男は銃弾を避けるという、人間ではありえない身体能力をオレガノに見せつけた。
「この状況で錯乱せずに狙って撃てたのは褒めてあげる。お前に猶予をやるよ、オレガノ・ルート」
「……猶予だと?」
「そう。団員は今殺したので全員じゃないはずだ」
 オレガノはナックとカナード、キラを考えた。しかし殺されないために知らない振りをする。
「隠すなよ。知ってるって言っただろ? そいつが帰ってくるまでお前の罪を暴いてあげる」
 男はオレガノに見向きもせずにサグメの腕を引きちぎる。もう死んでるとはいえ、筋繊維が切れるいやな音がした。腕の血管の中に残っていたであろう血がぼたぼた垂れる。
 男はサグメの腕の血を使って壁に字を残していく。血はインクの代わりということだ。おぞましさに吐き気がする。
「お前、兄妹と交わった罪を隠すために父親を殺したな? あ、殺したのは嫉妬からだったっけな」
「な、に……?」
「知ってるからさ~。お前の双子の弟、サフラン・ジェイ。あいつ実は女だよな? 遊びで抱いてたのに本気になっちゃったってヤツ。貴族様は馬鹿だよなぁ」
「何故、知っている!?」
「なぜでしょう~?」
「お前は同情を引く振りをして仲間にうそを教えた。サフランを女でなく男にすれば悪い虫もつかずに済むしな。お前は国のためを思うフリして本当はサフランと同じ夢を見たかっただけの愚か者だよ。
 サフランは人気あるよな。何てったってレジスタンスを作り、国に反抗したかったのはサフランであってお前じゃないもいんな。お前はサフランの真似事をしたかっただけだよ。だから俺なんかに易々と進入を許しちまうんだよ」
 オレガノは驚いて男を見た。男の赤い目が自分の罪を語っていた。そう、信用できる団員に話した過去にはうそがあった。
 オレガノとサフランは双子だった。身請けされて離れ離れになった。
 オレガノの父がサフランを買ってきたとき、何も思わなかった。遊んでみろといわれ、薬漬けのサフランを抱いてサフランの夢を聞いていっきに愛が芽生えた。
 それに気づいて父はサフランはお前は兄妹だから禁忌といってサフランを殺そうとしていた。
 許せなかった。父を殺した。それからばれる前に家のものを殺し、サフランと逃げた。
「言い返せないのか。腑抜けめ」
 男は笑って言った。男はサグメの腕を放り投げた。何かを書き終わったようだ。
「そう考えるとこいつらも哀れだな。お前のうそのにつき合わされて何人死んだんだよ? 王よかよっぽどたちわりぃな。あはははは」
 オレガノはもう呆然として前を向けず、うつむいてしまった。その視界に男の血まみれの靴が入る。見えた瞬間に蹴り飛ばされた。呼吸ができなくなり激痛にオレガノは喘ぐ。
「もう、終わりにしてやれよ。お、帰ってきたな。暇つぶしは……オワリだ」
 階段を下りる靴音がする。ナックが帰ってきたのだ。
「ナッ……」
 オレガノの世界はそこで終わった。

「なんか変な臭いすんな」
 ナックは心配しているであろうオレガノに笑顔を見せようと、気持ちを切り替えてきた。
 中に入るとむっと酸のにおいがした。ぴちゃりと濡れた音がする。
「遅かったな、たった今全滅したとこだぜ?」
 部屋は血の海で仲間は全員死んでいた。部屋には男がひとりいる。その男は血まみれだった。
 どさっと音がして男の足元に何かが落ちる。オレガノが死んでいた。
「うわぁああああああ!!!!!」
 ナックは状況を理解して絶叫した。
 男は赤い目をしていた。悪魔だと思った。
「うっせーな。殺しちゃうぞ?」
「な、な、なんで!!?」
「たんなる暇つぶしと後片付け」
 ナックは信じられない気持ちで男を見ていた。こいつ、人を殺すことに何も感じないのか。
「感じない。俺、人間嫌いだから」
 ナックの心を読んだように男は言った。
「俺、親切だからかわいそうなお前に教えてやるよ。キラ・ルーシは生きている。俺たちのとこにいるぜ。殺しはしないと思うけど気が変わったらわかんないなぁ」
「キラが!?」
「それだけ教えといてやる。後ろ盾を失ったお前がどこまでやれるか見ものではあるな。アイツらもぶっ殺したいし、俺の用は終わったな。帰ろ」
 男はひとりでに言うとナックの脇を歩き去った。
「待てよ!」
「あぁ!? お前自分の状況がわかってないみたいだね? そんなに俺を怒らせたい? ただでさえ、俺はお前らが嫌いなんだけど?」
 男がその真っ赤な瞳でナックを覗き込む。その瞬間にナックはあり得ないほどの殺気をぶつけられ、足が勝手に震えだし、その場にへたり込んでしまった。
 ナックは相手が人間ではないと思った。こんな恐怖味わったことがない。強い存在に射すくめられた犬のようにナックは恐怖に動けなくなった。
 怖かった。そう、この男が、ここにいた50人の人間を殺したのだ。
 歯ががたがたと震えだし、ナックはあまりの恐怖に失禁しそうだった。
「バイバイ」
 男は悠然とその殺気を纏ったまま去っていった。

 ナックは一日のうちに総てを失った。どうすればいいかわからず、ナックは血の海の中でただ座っていた。どれくらい時が経ったのか、わからなくなったころ、ふっと気付くと、五人くらいの大人がナックの前に立っていた。
 いつ入ってきたのだろう、誰だろう。
 思うことはいくつもあったがナックは口を利くのも億劫でぼうっとしていた。
「大丈夫かい? これはひどいな」
 男が優しくナックに言い、残りの者は辺りを検分しているようだった。
「誰?」
「我らは神の代行者。助けられなくて申し訳ない」
「……神?」
「ああ。我らは今、世界を揺るがすほどの悪しき者を追っている。今回もやつらの仕業だろう」
 奥で女が言った。
「見つけたわ。マークも一緒。今回はメッセージ付『やれるもんなららってみな』ですって。馬鹿にするのも大概にしなさいよね」
 女は怒って言った。壁に血で文字が書いてあったのだ。
「……奴等って?」
「奴等が誰かはわからない。存在がないんでね」
「……意味がわからない」
「下っ端は何も知らないのさ。が、最近奴等は本格的に行動を始めたように思える。憶測だがね」
「それが、みんなを殺すことか?」
「奴等の目的はわからない。だが、我らは断固阻止するつもりだ。我らは奴の悪を許さない。君も覚えておくといい」
 ナックは男に先を促した。
「奴等は陰に潜み、陰湿だ。黒魔術に精通し、賢者の石と絡んでいるらしい」
 ナックはようやく考えられるようになってきた。あの赤目の男、何者なんだ。
「なんなんだ、あいつ!」
 男は声を潜めて、しかしはっきりとナックに敵の名を告げた。
「奴等の名は……」
「名は?」
「TINCTORA」

「とんでもないことをしでかしてくれたね、ゲヴラー」
 書斎でホドが笑って言った。余裕なのか、そうでないのかわかりにくい。書斎にはネツァー、ケテル、コクマー、ビナー、マルクト、イェソド、ケセド、ティフェレトの10人が集まっていた。珍しいことである。
「こんな仕事を回してくるホドが悪い」
「ホラ、向いてないって言ったじゃない。今回もストレス発散でしょ?」
 ネツァーがお茶目にゲヴラーに言った。
「そういうわけじゃないけど、そうでもある」
 とゲヴラーが言う。
「どっちだよ……」
 それを聞いてマルクトが突っ込んだ。
「もう、笑い事じゃないよ。これで尻尾を捕まれた」
 ホドは軽くため息をついた。
「計算が狂ったかね?」
 コクマーは紫煙を吐いて笑いつつ、問う。
「まぁね。想定外ではある」
 ケテルを見てホドは言った。
「いよいよ出てくるよ」
「……」
 ホドの主人は微笑んで何も言わない。その主人にホドは厳しい目をして言った。
「……ヴァチカンが」
「そう」
 ケテルは空色の瞳を虚空に向けてただそれだけを言った。